2013年2月7日

酒を飲んで運転して、なにが悪い!? ~準強姦問題を考える~

さて質問。
酒を飲んで運転するのはどうしていけないのか?
「飲酒運転になるから」
というのは答えになっていない。飲酒運転はなぜ悪いのかに対して、「酒を飲んで運転してはいけないから」と答えているようなものだからだ。

なぜ酒を飲んで運転してはいけないのか。それは、飲酒酩酊が正常な認知・判断・操作を妨げるからである。だから、飲酒後の運転は厳しく取り締まられるし、運転すると分かっている人に酒を飲ませることも同様に取り締まられるのだ。

では、ここで違う質問。
飲酒して酔っ払っている教え子とセックスし、準強姦だと訴えられ、「合意があった」と主張しているのに有罪となるのはなぜか? ここまで読んだ人ならもう分かるだろう。それは、「その合意が“正常な認知・判断”で行なわれたとはみなされないから」だ。

準強姦問題で反論する人の多くが、「女子学生は確かに酒を飲んだかもしれないが、判断力を失うほどには醉っていなかった」といったことを言う。どれくらいの飲酒で正常な認知・判断ができなくなると皆が考えているか、それは飲酒運転を非難する時のことを想像してみれば良い。焼酎一杯で運転はOK? ビール一杯は? サワー数杯は? 梅酒ちょっとは? どれもアウトと言われそうだが、ならばどうして準強姦を訴えた女子学生は「酔いつぶれてはいなかったのだから判断できるはず」「醉っていたとはいっても正常な判断ができないほどじゃない」という風に非難され、被告の「醉ってはいたが正常な判断に基づく合意だ」という主張が支持されるのだろう。

「醉っていたけれど正常だった」は、飲酒運転にしても、準強姦にしても、通じない。この手の話を書くと、「じゃ、醉った女とセックスしたら、男は全員が準強姦で訴えられるのか?」「それが通るなら、怖くて女も口説けない」などと言い出す人がいるので敢えて書いておく。それくらい自分の常識と良識に照らして考えろ。そういうことをいちいち他人に聞かないと判断できないようなら、そして寝た後に訴えられる恐れのある男女関係しか築けないのならば、女を醉わせてベッドインしようなんて考えないことだ。

ここまで書いたことに対して、
『“運転で求められる正常な認知・判断”と“セックスの合意に求められる正常な認知・判断”は違うのではないか。運転での認知・判断には完全が求められるが、セックスの合意は不完全ではあっても正常と認められるのではないか』
という凄くもっともな指摘をする人も出るだろう。そこでそれについても書いてみる。

確かに、運転に求められるのは「完全な認知・判断」であり、性交の合意は「不完全な認知・判断」で良しとするというのは常識的だ。そもそも、完全な正常判断で始まる恋愛関係・男女関係なんて今の日本ではかなり少ないだろう。

となると、不完全さの中のどこに正常・非正常の境界線を引くかが問題になる。そこで、その線引きのためにはある程度の客観的指標が必要で、それは表出する態度などではなく、やはり飲酒量で決めるのが妥当であろう。外から見える態度で決めるなら、女性側が泥酔を装うこともできるし、指標の曖昧さは女性にとってはもとより、訴えられる側の男性にとっても危険である。

内柴事件での飲酒量に関しては具体的にどのくらいか知らないが、裁判では当然に重要視され検証がなされているはずである。女性と内柴以外にも複数の人間が飲酒の場にいたのだから、捜査の過程でわりと正確な飲酒量が分かっているだろう。もしその検証がないままに「女性は酔っていた、だから準強姦だ」という短絡的な判決であるのなら、この裁判はかなり不当である。ただ、ここまで注目された事件でそこまで杜撰な裁判はしないだろうから、有罪が出るということは、飲酒量からみて「仮に女性が合意していたとしても、認知・判断の不完全さは許容範囲を超えており、到底正常な判断とは認められない」と認定されたのであろう。

さらにここまで読んだところで、
『飲酒量ではなく酩酊の度合いで判断するべきではないのか。飲んだあとの酔い方には個人差があるじゃないか』
と思う人もいるだろう。上記したように、酩酊の度合いという曖昧なものを判断根拠にすると、女性側が、
「酔っていないように見えたかもしれないが、自分としては泥酔だった」
という主張も受け容れなければならなくなるし、逆に男性側が、
「女性はフラフラしていたが、意識はしっかりしていて正常だった」
という主張も認められるようになる。これは男女双方にとって危険なので、客観的な指標が必要なのだ。飲酒量を強調するのは、それによってアルコールの血中濃度が推測できるからである。

アルコールがらみの事件の場合、精神鑑定では飲酒量からアルコール血中濃度を推測する式を用いる。また、血中アルコール濃度が脳の判断能力にどの程度影響を与えるかは、長い歴史の中でしっかり調べられている。どういう式で計算し、また血中アルコール濃度と脳の関係がどうなっているか、それらを分かりやすく紹介しているページが、なんとキリンビールのホームページにあった。ビール会社らしい実に素晴らしい配慮だと思う。
血中アルコール濃度と酔いの症状

蛇足ながら、女子学生も未成年で飲酒したのは悪い。しかし、本来であれば指導者が飲酒を止める立場にある。とはいえ、今の日本、高校卒業したら飲酒するのが普通なので、「被告は飲酒を止めるべき指導者だったのに」という批判はきれいごと過ぎると思う。それに、そういうことはほとんど枝葉に近いので、そこで熱く議論してもあまり益がない。個人的には高校生は卒業してから、中卒者は18歳から飲酒して良いのではないかと考えているし、そういうふうに法律を変えたほうが現実的だと思う。

<関連>
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日本人と飲酒 内柴問題を題材として
「一種の人権侵害 東京・石原慎太郎知事」 価値観の相違……なのか?
飲酒運転:「免職重すぎる」神奈川県教育委、処分見直し
毎日新聞 2013年02月05日
神奈川県教育委員会が飲酒運転をした教職員に行った4件の懲戒免職処分うち、3件が県人事委員会の採決や裁判所の判決で「重すぎる」などと処分を覆されていた。県教委は処分指針の運用を見直し「個別の状況で判断する」方針に改めた。兵庫県加西市職員の免職取り消しが確定した09年の最高裁決定以降「飲酒運転したら懲戒免職」という基準を見直す自治体が相次いでいるが、いまだに明確な判断基準はなく、処分に苦慮するケースが出そうだ。【松倉佑輔】
全国の自治体で飲酒運転の厳罰化が進んだのは、06年8月に飲酒運転の福岡市職員(当時)に追突され、幼児3人が死亡した事故がきっかけ。神奈川県教委も同年9月に懲戒処分の指針を改定し、二日酔い以外の飲酒運転は免職とした。以前は酒気帯びで事故を伴わなければ停職だった。
これまでに県教委が改定指針に基づき免職処分にしたのは4人。しかし昨年9月、酒気帯び運転した茅ケ崎市立中の教諭の処分を「懲戒免職」から「停職6カ月」に軽減した。
この教諭は11年7月、飲食店でビールを2杯飲んで別の飲食店に車で向かっていたところで検問を受け、翌月懲戒免職となった。教諭の不服申し立てに県人事委は▽事故を起こしていない▽生徒らから復帰嘆願書が出ている−−などとして「免職は重すぎる」と判断。県教委の処分を初めて修正する裁決を出した。
この教諭のほかにも、免職処分になった2人が免職処分取り消しを求めて提訴。いずれも県教委側の敗訴が確定した。09年の最高裁決定以降「飲酒運転による免職は過酷」との司法判断が相次いでおり、県教委は「飲酒運転は引き続き厳しく処分するが、判決や裁決も参考に、個別の状況で判断したい」と従来の方針を改めた。
横浜市も07年10月、市営バス運転手の乗務前検査で呼気1リットル当たりのアルコール量が▽0.15ミリグラム以上なら懲戒免職▽0.10〜0.15ミリグラムは戒告−−などの基準を設けた。大阪市は0.15ミリグラム以上で停職1〜3カ月、名古屋市は1回目の検知は停職としているのに比べ、異例の厳しさだ。
市内部でも「厳しすぎる」との声が上がり、市は基準導入時から乗務前検査の前に運転手が自主検査できる仕組みを採用。全営業所に同じ検知器を2台用意し、自主検査での検知は0.15ミリグラム以上で戒告とした。
http://mainichi.jp/select/news/20130205k0000e040174000c.html

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