2018年9月25日

死刑廃止を願った死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの人生 『死刑執行人サンソン 国王ルイ十六世の首を刎ねた男』


「死刑執行人」というから、どんな非情で恐ろしい人物かと思って読み始めたが、これがぜんぜん違っていた。この先入観、偏見こそ、本書の主人公シャルル=アンリ・サンソンが当時受けていたのと同じものだろう。予備知識なしとはいえ、自らの内にある偏見を恥じた。

サンソン一族は200年にわたって死刑執行人を務めたという。シャルル=アンリは4代目当主であり、ルイ16世を敬愛しており、そしてフランス革命のときに、その敬愛するルイ16世に死刑を執行した人物である。そのときの苦悩や葛藤も本書では描かれている。

文章は読みやすくて飽きさせない。主人公は魅力的。全章を通じて、まるで小説を読んでいるような感覚であった。もちろん、題材が死刑執行人なので、残酷な描写はところどころあった。読みながら、首筋のあたりがひんやりしたことは確かである。そういうのが苦手な人は読まないほうが良いかもしれない。

2018年9月21日

支援者必読! しかし、邦題がミスリーディング!! 『いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学』


アメリカのある病院は、オペ室が常に予定手術で満杯なうえ、予定外の緊急手術が頻繁に入りこみ、そのせいで慢性的なオペ室渋滞に悩まされていた。病院から依頼されたコンサルタントが調査した結果、この病院に勧めたのは、オペ室を一つ「空けておく」ということ。すでに予定手術で満杯なのに……。当然、外科医らは反発した。しかし、いざ実行してみると、なんと大幅に改善されたのだ。

いったい、なにが起こったのか。

「オペ室を一つ空けておく」ことで、緊急の「予定外」手術はそこで行われるようになった。すると、これまで予定外の手術のためにずらしたり調整したりが必要だった予定手術がスムーズにいきだした。急な調整による時間外労働がスタッフを疲弊させていたので、それらが解消されたことでスタッフの負担は大幅に減り、それがまた手術のスムーズさにつながった。

予定外の緊急手術のためにオペ室を一つ空けておくのは、「予定外」を常に起こりうるものとして考え、「予定外を予定しておく」ということ。つまるところ、「予定外」の手術とはいうものの、それが頻繁に入り込むのであれば、それは「予定された予定外」であり、そもそも「予定外」という言葉のほうが間違っていたのかもしれない。

時間でも金銭でも仕事でも、この「予定外を予定した」緩衝材があるだけで、負の連鎖に落ち込まずに済む。

本書は、お金や時間の「欠乏」がいかに人間の処理能力を劣化させるか、そして、適度な緩衝材があれば、その劣化をかなり防ぐことができる、ということをテーマにしている。

それなのに、それなのに。

なんでこんな邦題をつけたのやら……。これではまるで「タイム・マネジメントの自己啓発本」みたいだ。実際には時間だけでなく、というより、時間以上に、お金、貧困といったことを中心に語られていた。表紙も文庫版、Kindle版ともに、かなりミスリーディングなものである。


ちなみに、英語版のKindleはこんな感じ。


英語版のペーパーバックはこんな感じ。

本書では時間やお金、その他なにかの「欠乏」「貧困」が、その人のもっている本来の処理能力をいかに浸食し低下させるか、ということについて詳しく論じてある。その影響力は予想以上に大きいだけでなく、本人の無意識下で起こることなので気づかれにくい。さらに「欠乏」「貧困」を支援するはずの人たちの無意識下でも強く影響を与えていて、問題の原因を支援を受ける人たちの「人格」「人間性」に帰結しがちとなる。

読みながら、これは自分と家族の今後についてためになる本だと確信した。それと同時に、精神科領域における支援者として活かせるヒントに満ちていると感じた。まだ具体的な言葉にはできないが、支援する際に活用できる「考えの種」をこころにまいたような気がする。

支援のヒントを探し続けるすべての支援者にとって、大いにためになる本だろう。

2018年9月20日

「発達障害」の人からみた外界と、彼らの内界を巧みに小説化 『夜中に犬に起こった奇妙な事件』


いわゆる「発達障害」、それもおそらく前に高機能とつくタイプの少年(高校生くらいか?)が主人公。彼の視点からみた外界の描写は興味深く、また彼の内界の描写が突然に(多くの読者にはそう感じるだろう)挿入されるのも、決して読みやすくはないが、こういう特性を持った人たちの感覚を追体験するようで面白い(現実には感覚の個人差が大きいだろうが)。

発達障害の人の家族、支援者が読むと、彼らへの支援のヒントが得られるのではなかろうか。もちろん、小説としてもそれなりに面白いものである。たいていの小説は読みながら主人公に感情移入するものだが、本書ではおそらくほとんどの人が主人公のクリストファーには感情移入しないし、できない。頑張ればできるかもしれないが、簡単ではない。これがまさに発達障害の人をとりまく現実であろう。そのあたりを、とても上手く計算して構成しているように感じた。

2018年9月18日

リンカーン・ライム・シリーズの9作目は電気が凶器だ! 『バーニング・ワイヤー』


脊髄損傷を負ってしまった犯罪科学者リンカーン・ライムのシリーズ第9弾。凶器は電気。

電気って怖いなぁ、なんてチープな感想を抱きつつ読んだ。これまでの作品が名作揃いだっただけに、ちょっとパワー不足を感じたことは否めないが、それでも決してハズレではなかった。

著者のディーバーは弁護士でもあるからか、どの作品にも社会問題が絡めてある。今回は日本でも話題の電力問題についてで、「自然派」の人たちへのちょっと皮肉のきいたセリフなどもあり面白かった。

2018年9月14日

絶望に寄り添うのは、絶望 『絶望名人カフカの人生論』


カフカのネガティブさに何度も吹き出してしまった。幸運にも、俺はまだ「絶望」というほどのものを体験したことがない。あるいは、もしかすると体験したけれど忘れているだけなのかもしれないが、いずれにしろ幸せなことである。

さて、カフカのネガティブさの中でも、俺のお気に入りはこれ。
将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。
将来に向かってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
しかもこれ、ラブレターの一節だというから驚きだ。

本書は、そんなネガティブ人間カフカの絶望名言を集めたもの。シンプルで読みやすく、ちょっと肩の力が抜ける感じがして良かった。

ちなみに、著者の頭木弘樹氏はツイッターもされている。
→ @kafka_kashiragi

2018年9月13日

残酷な結末を知らないまま、一生懸命に人生を歩んでいく女性の物語 『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』


2007年8月24日に起こった殺人事件。被害者は磯谷利恵さん。1976年7月の生まれで、当時31歳。俺の一学年下ということになる。彼女が2歳のころ、父親が白血病で亡くなり、母親が一人で必死に育て上げた女性だった。

そんな利恵さんが、面識のない男3人に強盗目的で拉致され、首を絞められながらも、「生きたい」「死にたくない」「殺さないって約束したじゃない」と抵抗し、コンクリートを砕くためのハンマーで頭を何度も殴られ、それでもなお絶命せず、とうとう顔に粘着テープを31周も巻かれ、さらにハンマーで40回以上も殴られ、そしてついに窒息死してしまう。

本書では、冒頭部分で彼女の最期の様子が描かれ、その後に彼女の生い立ちの話が始まる。それは彼女が生まれる前、両親の出会いにまで遡って語られる非常に丁寧な伝記で、読者は一人の赤ん坊が幼女から少女、女性へと成長していく姿を微笑ましく見守ることになる。ところが、読者は彼女の凄惨な最期をすでに知っているのだ。読み進めながら、「彼女の時間がここで止まれば良いのに」と何度感じたことか……。

本書では3人の男たちの裁判についても描かれる。これについては中身を知らないまま読んで欲しいので、ここでは触れない。ただ、司法の世界に対する苛立ちと不信感が強まったことだけは記しておきたい。

ノンフィクションではあるが、自ら語るはずのない被害者の内面・心情を記述しすぎているのではないか、という印象はある。それはノンフィクションとしてはマイナス点かもしれないが、こうして内面・心情を想像で補って描写したからこそ、読者は深刻に、より身近な問題として、この事件について考えられるのかもしれない。

とても辛い内容だったが、素晴らしい本だった。

2018年9月11日

怪物の独白が凄まじい 『フランケンシュタイン』


フランケンシュタインというと「頭に釘の刺さった怪物」を思い浮かべる人も多いかもしれないが、『フランケンシュタイン』はヴィクター・フランケンシュタイン博士の苗字であり、博士によって創りだされた怪物には「怪物」という名前しか与えられていない(これもまた「怪物」の哀しみを引き立てる)。

大雑把なストーリーは、ロバート・デ・ニーロの映画『フランケンシュタイン』がわりと忠実になぞっている。ただ小説では、怪物を創りだす工程についての記述はほとんどない。映画のほうが人体を継ぎあわせたり電気を用いたりと「もっともらしく」描かれていた。それもそのはず。この小説はいまから200年前の1818年に発表されているのだ。そんな古い時代に、これほどのものが書かれたのだから驚きである。

さらに驚くのは、この小説を書いたのが、当時まだ20歳だった女性作家メアリー・シェリーだということ。20歳! しかも処女作である。おそろしい才能だ。

構成は大きく三つに分かれており、まず怪物を生み出すまでのフランケンシュタイン博士の青春が語られる。次に怪物が、生まれてから博士に再会するまでの苦労を独白する。この部分が本当にすごい。苦しみや哀しみがひしひしと伝わってくる。後半は博士と怪物の静かなる対決で、現代人の感覚からすると怪物に同情的になるのではなかろうか。
「博士、可哀想じゃないか、どうにかしてやってくれよ!」


映画でも感じた切なさは、小説のほうがより強く滲み出ている。改めて、デ・ニーロの映画を観たくなった。

2018年9月10日

うつをみたら、アルコール問題を疑え! 『アルコールとうつ・自殺 「死のトライアングル」を防ぐために』


アルコールと自殺に関する薄い本。値段も手ごろなわりに、統計もしっかり載っているので、ある程度の読書力のある人であれば当事者、家族、医療者のいずれにとっても有用だろう。

印象的だったところを紹介していく。

アルコール問題が認められた自殺者の特徴として、「道に迷ったときに、人に道を尋ねることができない」人たち、というのがある。これを読んで、ギクーッ、となった男性は多いんじゃなかろうか。たしかに道は尋ねたくない……。

さて、日本における男性社会の慣習(?)で、悩んでいる友人や同僚がいたら「晩飯でも行くか」「ちょっと飲みに行くか」というのがある。著者の松本先生はこの慣習を修正して、
悩んでいる同僚がいたら一緒に晩飯ではなくランチを
と勧めている。なるほど。でも、俺は人と一緒にしらふでご飯を食べるのが苦手で、似たような人も多いのではなかろうか……。とはいえ、こんな話を読むと、松本先生の勧めに従いたくもなる。
会社の同僚で最近表情がさえず、元気のない奴がいた。仕事もあまり手がつかない感じだ。それで、少し話を聞いて元気づけようと思い、「今夜、一緒に晩飯を食わないか?」と誘った。一緒に酒を酌み交わしながら話していると、その同僚も酒がまわって少し元気づいたのか、ふだん会社で話さない家族の話や、学生時代の話などをしてくれた。二人で意気投合して、二次会でカラオケに行こうという話になり、深夜まで大いに歌い、盛り上がった。そして、最後は笑顔で別れたはずなのに、翌朝未明に死なれてしまった……。
アルコールは一時的には気分を持ち上げてくれるが、数時間後には以前にもまして気分が悪化し、衝動的で自己破壊的な行動が起こりやすくなると言われる。その端的なケースだろう。
「追いつめられたときに、飲みながら物を考えるな!」
アルコールは二次的にうつ状態を引き起こすし、すでにうつ病の人であれば、その症状や経過を悪化させる。だから、治療中は原則として禁酒である。が、しかし、実際の診療では酒を飲みながら治療している人は多い。せめて治療中だけでも断酒を、と勧めても、いまのところ上手くいったためしがない。臨床技術の精進が必要だし、工夫の余地がまだまだありそうだ。
酒は2合まで!
この根拠は「1日あたり日本酒換算で2合半以上飲酒する人では自殺リスクが高くなる」というもの。各学会が低リスク飲酒として提示しているのは「1日1合まで」。しかし、酒好きな人たちにとってはやや厳しすぎて実現性に欠ける。そこで松本先生は「自殺リスクを高めない飲酒量」として日本酒2合までを提案している。普通の缶ビールなら350mlを3本、ワインならグラス3杯半、ウイスキーならダブルで2杯。愛飲家のみなさん、これならどうだろう。

最後に、医療者向けの言葉。医師免許とりたての研修医は「女性をみたら妊娠と思え!」と口酸っぱく言われる。それと似たことを、すべての医療者の頭に入れておいて欲しい。

うつをみたら、アルコール問題を疑え!

2018年9月7日

高齢者に「言わずもがなの心配」を言葉にして差し上げること

海釣りが趣味という高齢男性(単身)の診察で、毎回のように、
「この病院でも毎年、何人かは転落事故で運ばれますよ。釣りのときには、くれぐれも気をつけてくださいね」
と声をかけていた。男性は、そのたび嬉しそうに「おうおう、大丈夫」と笑顔で頷かれた。

こういうのは「言わずもがなの心配」だろう。

我が身を振り返ると、43歳の俺は、65歳の母から「風邪ひかないように」「ストレスためないように」と言わずもがなの心配をされる。そのいっぽうで、6歳の長女や4歳の次女に「落ちるよ」「危ないよ」「暑いよ」「寒いよ」と言わずもがなの心配をする。

言わずもがなの心配を、「される」、「する」。

いまの俺は、その両方を体験する立場にいる。これはきっと幸せなことなのだ。
だがいずれ、母親がいなくなる。そうなれば、「される」は激減する。

「言わずもがなの心配」は、大人になるにつれてされなくなるものだ。それが単身者や夫婦二人だけで生活している人たちならなおさらだろう。だから、月一回の診察でされる「言わずもがなの心配」が、嬉しく感じられるのかもしれない。

「言わずもがなの心配をされること」には、子ども時代や若かりし日に親からかけてもらった言葉を思い出させる「ノスタルジアや照れくささを伴う嬉しさと癒やし」があるのではなかろうか。

2018年9月6日

シンプルでコンパクトにまとまった負の科学にまつわる5章 『闇に魅入られた科学者たち 人体実験は何を生んだのか』


2時間くらいで読み終えられそうな文章量のわりには、1620円と値段が高い。それから、副題の「人体実験は何を生んだのか」がちょっと煽りぎみかなという印象。「何を生んだのか」という問いに答えるほどの事実や考察が述べられているわけではない。

面白くなかったわけではなく、むしろ楽しい読書ではあった。シンプル、コンパクトにまとまっていて読みやすかった。各章のタイトルは以下のとおり。

第1章 切り裂きハンター 死のコレクション
外科医・解剖学者ジョン・ハンター

第2章 “いのち"の優劣 ナチス 知られざる科学者
人類遺伝学者オトマール・フォン・フェアシュアー

第3章 脳を切る 悪魔の手術ロボトミー
精神科医ウォルター・フリーマン

第4章 汚れた金メダル 国家ドーピング計画
医師 マンフレッド・ヒョップナー

第5章 人が悪魔に変わる時 史上最悪の心理学実験
社会心理学者フィリップ・ジンバルドー

2018年9月4日

プロ野球で言えば下位打線にあたる新選組隊士たちの物語 『地虫鳴く』


多くの新選組関係の小説で主役級として扱われるのは、近藤勇、土方歳三、沖田総司、斉藤一、永倉新八あたりだろうか。本書では、たいていの本で脇役や憎まれ役としてとして扱われる隊士たちが主軸となっている。プロ野球で言えば下位打線。クリーンナップ打線には組み入れられないものの、それぞれに大切な役目があり、しかし外からは目立たない。そんな彼らの鬱憤や苦悩、ささやかな喜び、悔しさ、希望と挫折、そして死が、痛く切なく描かれている。

新選組が好きな人は、ぜひ読んでおくべき一冊。

2018年9月3日

「何かを一緒にする人は、他にもいる。ただ、一緒に何もしない、という人は、他に誰もいない」 医師として、夫として、父として、息子として、一人の人間として、死について考えさせられる 『死にゆく患者(ひと)と、どう話すか』


國頭英夫先生(里見清一のペンネームのほうが有名か?)による看護学生のゼミをまとめたもの。とても濃い内容でありながら、國頭先生の軽口が冴えわたり、ちょいちょい吹き出さずにはいられなかった。こんな面白くて深い授業を受けられた看護学生は幸せだ。

中でも印象的だったのは、乳がんで妻を失った医師の言葉。
「何かを一緒にする人は、他にもいる。ただ、一緒に何もしない、という人は、他に誰もいない」
ハッとするような名文だ。ここで我が家のノロケというわけでもないが、たしかに「一緒に何もしない」という人を考えると、妻以外にいないのである。きっと妻にとっての俺もそうだと思う、思いたい。

本書の中心はがん患者についてだが、精神科医でも病院勤務である以上は看取りの役目を負うことがある。そういうとき、本人や家族に対してどういう話ができるのか、どんな姿勢でいるべきなのか。そんなことをたくさん考えさせられる、非常に素晴らしい本だった。