2013年1月30日

戦争広告代理店

ドキュメント 戦争広告代理店
実に衝撃的な内容、そして面白い。Amazon評価も高いし、これは一度読んでおいても損はないと思う。世界中のあらゆる戦争・紛争に関して、見る目が少し変わること請け合い。日本も領土問題で中国・韓国と揉めているが、世界に自分たちの正当性をアピールする気概や手法において圧倒的に負けている気がするので、政治家や官僚には是非ともこういう本を読んで諸外国がどうやっているのかを知って欲しい。

2013年1月29日

ちょっとしたマスコミ論、視聴者論

酒呑みながら、だらだらテレビみていてふと気づいた。一頃に比べて、外国人から見た日本の「ここがダメ」「これがおかしい」という番組が極端に減った。かわりに、「日本のここがイイ」を推し出す内容が増えてきた。尖閣や竹島問題からも分かるように、つまりこれが日本の右傾化なのだ、なんて言わないけれど、ほんの10年前には『ここがヘンだよ日本人』みたいに、外国人がよってたかって日本を悪しざまにいう番組が流行っていたのだから、テレビも変わったものだ。

本もラジオもテレビも映画も、あらゆる表現媒体にそれぞれの「意図」があり、真の意味での「客観的」なものなど皆無だ。客観的そうな「アンケート結果」ですら、質問者、解析者、発表者の意図に左右される。そのことは意識しすぎなくらいに意識したほうが良い。もし、「我こそは客観的である」というジャーナリストがいたら、そしてもしそいつが本心からそれを信じきっているのだとしたら、それほど怖いジャーナリストはいない。独善的、という言葉はそういう連中のためにある。

東日本大震災の発生からしばらく、テレビは右に倣えである種の映画やドラマを放送自粛した。あれと同じようなことが、今も実はもっと小さなレベルでひっそり行なわれている。バラエティ番組が日本非難から日本礼讃に変わったのも、あまりにも地味なので皆が気づかないか、気づいてもそれを取沙汰しないだけだ。

大衆がマスコミに洗脳されているのだろうか、それとも、マスコミが大衆に迎合しているのだろうか。これは、きっと両方だ。尖閣・竹島問題、イジメ自殺、尼崎連続殺人、政権交代、体罰自殺……。話題は次から次へとかわり、視聴者は自分の主観的な怒りを客観的な装いで代弁してくれるような、目や耳に心地良い番組を選ぶ。マスコミは視聴率・販売部数を伸ばすために、視聴者の好みそうな題材を次から次へと探し出しては使い捨て、主義主張なく視聴者好みに調理する。こうして大衆とマスコミは、洗脳と迎合の螺旋階段を上へ下へと大騒ぎする。それはまるで、リーダーがいないまま本能的に右往左往する小鳥や小魚の群れのようだ。

基本的に視聴者でしかありえない我々はどうするべきなのか。これは至って簡単な話で、ただひたすら「意識する」、これだけ。テレビでやっていること、週刊誌や新聞で書いていること、それらはすべて、製作者・執筆者、テレビ局・出版社が何らかの「意図」のもとで創っているというのを意識する。たったこれだけとはいえ、今までのように漫然と見て、波に乗って憤慨して、流れに従って批判することと比べると、確かに少し面倒くさい。

ちょっと意識するだけで、この世の中は必ず変わる、わけがない。意識することで変わるのは、世の中ではなく、自分自身なのだ。

誘拐ラプソディー

誘拐ラプソディー

まだるっこしかったのでザックリ斜め読み。うーん、Amazon評価の高さがいまいち納得いかない。これがそんなに面白いのだろうか……。荻原浩の中で、これは面白いですよとお勧めできるのは今のところ4冊だけ。

噂 (新潮文庫)
これは帯にあるように、ラストの一行で鳥肌。怖かった。

押入れのちよ (新潮文庫)
短編集で、粒ぞろいの秀作。

ある一本の木が千年の間に見聞きした(?)怖かったり切なかったりする出来事たち。

認知症をテーマにした作品。重くならず、さりとて軽くもない、絶妙のバランスで描かれている。

2013年1月28日

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている


面白かった! 藤原新也が描く、小説ともノンフィクションとも言えない雰囲気をもった短編集。決して派手ではないけれど、じわっとしみこんでくるような話ばかり。Amazon評価も高い。これはお勧め。

印象に残ったフレーズを一つ。
自分の手相ばかり気にしている人って不幸になるんだよって。自分のことばかり考える人というのはそのぶんだけ心配を抱え込むということだから。
だから手相ばかり観てもらうような自分から卒業しなきゃあね。
そして自分のことより人のことを考えなさい。
生きる勇気が湧くからって。
子供を産んではじめてあの言葉の意味がわかりました。

2013年1月27日

黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人

黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人

この事件の主犯である看護師は、最重度の人格障害(恐らく演技性と境界型の両方を兼ね備えている)であり、精神病質(いわゆるサイコパス。決して精神病ではない)でもあり、非常に不快かつ不気味な存在だ。こういう人間には恐らく改心・更生は望めず、一生を刑務所で送ってもらうのが望ましい。間違えて出所なんてさせた日には、次の被害者が出ること請け合いだ。まぁ安心なことに、最高裁で死刑が確定している。

死刑の賛否に関しては、過去記事を参照されたい。

<関連>
殺人犯への怒りより、まず恐怖を感じて慄く一冊 『消された一家』
人を殺すとはどういうことか
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
元刑務官が明かす死刑のすべて
彼女は、なぜ人を殺したのか
死刑について考えるキッカケ、にはならないが、わりと面白い 『13階段』

2013年1月26日

シャドー81

シャドー81
面白い……のか? 徹夜小説として紹介されていたのだが、むしろ眠くなってしまうことが多かった。舞台がベトナム戦争の時代だからではない。これは好みの問題かもしれないが、こういう神の視点(色々な人の気持ちが同時に描かれる)のような群像劇が苦手だ。そういうのを許容できる人なら、それなりに楽しめる小説だろう。

2013年1月25日

山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた

山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた
iPS細胞という名前は知っていたが、なるほど、こういうものだったのか。すごく簡単な本で、タイトルからも分かるように科学の本ではない。Amazonの評価もおおむね高い。話題性のある人とテーマなので、図書館にあれば借りてみても良いかもしれない。値段のわりに分量は少ない。

2013年1月24日

さよなら、そしてこんにちは

さよなら、そしてこんにちは
はずした……。短編集で、表題作は非常に良かったが、あとはほとんどが星3つ以下。ほんと、荻原浩は当たりはずれの大きい作家だ。

2013年1月23日

腰痛探検家


辺境を探検する作家・高野秀行が腰痛に悩まされ、治療するために東奔西走する話。ラベルに「精神科」を入れているのは、高野氏が最後のほうで心療内科も受診していることと、彼が出す結論がどこか精神科に相通ずるものがあるように感じたから。腰痛持ちなら共感しながら読めるだろうし、腰痛に悩まされているわけでない人でも話が面白いのでお勧め。

2013年1月22日

セックスボランティア


タイトルは人目を惹きつけるやや過激なものだが、中身は障害者の性について考えることからスタートし、障害者に限らず「性とはなにか」という問題に行きつく凄く真面目な本。ただし、文中には、オナニー、マスターベーション、セックス、フェラチオといった単語が出てくるし、決してお堅い本ではない。読みやすくて、いろいろ考えさせられた。

脳性麻痺の男性を風俗店に連れて行くのを介助するのみならず、オナニーまで手伝う男性介護者、障害者専門のデリヘルで働く聴覚障害の女子大生、体の動かない障害者にセックスボランティアを行なう主婦など、いろいろなエピソードを交え、遠くオランダまで性介助について調査に行く。短時間で読める本だが、読みごたえはある。

印象的な話は多数あったが、二ヶ所だけ引用。
障害者について、世間全般がもっと自分のこととして切実に感じてくれないと変わるのは難しいでしょう。障害者に自分はならないだろうって、そう思っている限り、障害者が抱えている問題は自分のこととしては感じられない。せめて想像くらいはして欲しいのです。
セックスは両脚の間(下半身)にあるものだが、セクシュアリティは両耳の間(大脳)にあるものだ。
<関連>
セックスレスキュー
職業としてのAV女優
封印されたアダルトビデオ

2013年1月19日

今日はディズニー・シー

妹家族と一緒に夢の国。懸念された寒さも、快晴でそこまででもない。ただ、東京はインフルエンザが流行しているみたいなので要注意。

2013年1月18日

文句なしの名著! 『セックス障害者たち』


これは文句なしの名著。

女優にゲロを吐きかけるポンプ宇野なんて男優の話や、それ以外にも小便を飲むとかウンコ食べるとか、想像すると気持ち悪くなるようなエピソードの連続。そういうのが苦手な人は読むのをやめておいた方が良い。俺はそういう場面を観るのは嫌いだけど、読むのも嫌だというほどでもない。それでも気持ち悪いことが多かった。ただ、各エピソードは面白くて読んで爆笑しまくった。

<関連>
セックスレスキュー
職業としてのAV女優
封印されたアダルトビデオ

2013年1月16日

夜の田舎道

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2013年1月15日

買いたたかれる女優たち 『職業としてのAV女優』


AV女優のギャラは、一本当たりどれくらいだと思うだろうか。俺のイメージとしては、一本100万円くらいもらっても割に合わない気がしていたのだが、驚くなかれ、安い場合だと3万円くらい。女優になるのに精神的な敷居が高かった一時期と比べ、今やAV女優志望者が多すぎて完全に供給過剰。ただ脱げば金になった時代は終わり、写真面接の時点で100人中70人は落とされる。辛うじてプロダクションに所属しても、仕事がないか、あっても激安で買い叩かれるか。こんな背景があるから、最近のAV女優は外見のレベルが高いのだ。

AV女優に志願する理由は圧倒的に金銭問題が多いということは多くの人に想像つくだろう。この「金銭問題」、以前は借金が数百万円くらいなんて話が多かったのが、最近では数十万円という人も多いらしい。数十万円の借金を返済するためにアダルトビデオに出る。この思考の短絡さは、いったいどうしたことだろう。

俺は男でAVも観るが、家族がAVに出ていたらかなりショックだろう。職業に貴賤があるとかないとか、そういう話ではない。この感覚は何だろうと考えてみたら、「尊厳」という言葉に行きついた。世の中に流通することを前提として人前で裸になり、カメラの前でセックスをして、それが金になる。売っているのは「裸」でも「痴態」でもなく、「尊厳」なのではないだろうか。そして、観る側はその切り売りされた「尊厳」に金を出す。その尊厳が激安で取引きされているのが今の世の中なのだ。

「お金に困ったからAVにでもチャレンジしてみるか」
そんな甘い考えは捨てたほうが良い。今や芸能人レベルの顔とスタイルでなければ、大した金にはならない。とてもじゃないが、借金返済なんてできない。少しでもAV出演が頭にちらついたことがある女性には、ぜひとも本書を読んで勉強してから改めて考えてみて欲しい。

<関連>
封印されたアダルトビデオ
セックスレスキュー

2013年1月13日

去年はいい年になるだろう

去年はいい年になるだろう(上) 
タイトルのチープさ、それからAmazon紹介文の魅力のなさから敬遠していたが、レビューは結構良い。山本弘の本はクセがあるけれど、これまで読んだ数冊で大ハズレというものはなかった。むしろ新鮮で面白いものが多かった。よし、ならば本作も、と思って読み始めてみて、最初の十数ページでは退屈さを予感した。そして、その後すぐに、完全に惹きこまれた。途中、いろいろと実在する登場人物が登場し、それぞれにちょっとした説明がついた時などは、同好会で書いている小説じゃないんだから勘弁してくれよ、という気持ちに少しなったけれど、安田均(俺が大好きなドラゴンランス・シリーズの翻訳者)、小川一水(SF小説家)が出たあたりでは「オーッ」となった。

それはともかく、内容は一流。SFとはいえ、難解なことなど何もない。これを読まずにいるのはもの凄く勿体ない。ぜひぜひご一読を。

2013年1月12日

星をつくった男 阿久悠と、その時代

星をつくった男 阿久悠と、その時代


阿久悠の歌をたくさん知っているわけではない、というより、むしろ知らない曲のほうが多い。しかし、沢田研二の『勝手にしやがれ』が好きで、それが阿久悠の作詞と知ってから、ちょっと興味をもっていた。今回、重松清さんがまとめた阿久悠物語を読んでみようと思い立って、出張の時間を使って読み切った。もの凄く面白かった、ということもないが、さりとてつまらなかったということもなく、歌謡曲の一時代を創った人がいたことがよく分かった。子どもの頃から、なぜか歌謡曲にはほとんど興味を持たずに来たが、それでもいくつか好きなバンドや歌手がいた。今の音楽界には、あまりにも興味が持てなさすぎる。

阿久悠時代の音楽を知っている人なら、なお楽しんで読めるかもしれない。

2013年1月11日

火車

火車
読み応えがあったなぁ。時代は少々古いものの、飽きさせることのない展開と読み応えはさすが、宮部みゆきファンの妹が一番にお勧めするだけあった。残念なのは時代背景が非常に具体的なので、今ひとつ身近さを感じられなかったことだが、この具体性もこの小説には必要だったのだろう。面白かった。

2013年1月10日

体罰は、愛のムチになりうるか

高校生が、教師からの体罰を苦にして自殺したことを受けて、体罰についての考えを書いてみたい。

まず、体罰が必要な場面があるかどうかに関してだが、各論はともかくとして、総論としてはあるだろう。ただし、何でもかんでも叩いて言うことを聞かせるというのは、これは体罰ではなく、暴力による強制・矯正である。体罰とは伝家の宝刀のようなもので、本当に大切な場面で出すから価値も効果もある。決して見せびらかすものではないし、まして脅すために鞘から抜いてみせるなんてのは論外だ。誰だって日常的に宝刀を持ち出されたらうんざりするし、そこにありがたみなんてない。

体罰の質についてだが、体罰に必要なのは痛みそのものではない。「いつも護ってくれるあの人が叩くほど怒っている」という衝撃のほうが大切なんだと思う。だから日常的に体罰をしても意味はないし、痛ければ痛いほど効果があるわけでもない。ここぞという時であれば、痛くない体罰でも効果があるし、体罰なんかに頼らなくても充分に何かを感じさせる方法はある。

例えば、子どもの万引きが見つかったとき。日頃は威厳のある父親が、店長に泣きながら土下座して謝っていたら、その姿を見た衝撃からくる教育効果は高い。逆に普段からすぐ叩くような父親が、店長の前で子どもを殴って「もうさせません」と言ったところで、それが再犯防止につながるかと考えると怪しい。ここで思い出すのが、機動戦士ガンダムのアムロ・レイがホワイトベース艦長のブライトから殴られたシーンである。以下、その場面。

アムロが出撃を拒否した時、艦長のブライト自らアムロの所へ行く。そして、アムロの態度に怒って殴る。
アムロ「殴ったね」
ブライト「殴って何故悪いか。貴様はいい。そうして喚いていればすむのだからな」
アムロ「僕がそんなに安っぽい人間ですか」
その言葉を受けて、さらにブライトが殴る。
アムロ「二度もぶった。オヤジにもぶたれたことないのに」
ブライト「当たり前だ。殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか」
アムロ「もうやらないからな。誰が二度とガンダムに乗ってやるもんか」
ブライト「俺はそれだけの素質があれば、シャアを越えられる奴だと思ったが……。残念だよ」
ブライトが出て行く。
アムロ「ブライトさん……」

この後、アムロは成長していく。アムロは父親にも殴られたことがなかったわけだが、もしアムロが荒くれ体罰オヤジの息子で日常的に殴られていたら、
「ぶったな! ブライトさんもぶつんだな! 大人なんてみんな一緒だ!」
となってしまい、教育効果はゼロに近く、その後の成長も望めなかっただろう。

ただし、ブライトが顔を殴ったことに関しては賛成できない。体罰などないのが一番なのは確かだが、やむを得ず体罰を加えるにしても、重要なこととして、顔を叩くのは絶対にダメだと思っておく方が良い。顔は感情の表現器官で、顔を叩くのは相手の感情、ひいては人格までも否定していると受け取られかねず、そうなると心に傷をつけたり、ただ反発心だけを感じさせたりすることになる。今回自殺した高校生は顔が腫れていたという話だが、それはつまり、教師がこの生徒の心の大切な部分を傷つけていたということだ。

話は少しそれるが、DV加害者は顔を叩く効果を無意識にでも分かっているから、殴ることによる関係性を維持していける。敢えて相手の人格を否定し、自尊心を傷つけることで、相手の自己価値観を落とし、自分に隷属させるのだ。顔を殴らないDV関係はそう長続きしない。

ここまで読んで、
「ならば体罰は教育ツールとして、淡々と頭を叩けば良いのか」
と思う人がいるかもしれないが、そんな不気味な体罰ならしないほうが良い。最初に述べたように、体罰は伝家の宝刀なのだ。「ここぞという時」は当然怒っているわけで、まったく冷静であるということはありえない。淡々と叩けるなら、それはまだ宝刀の抜き時ではないということだ。

前述したことの繰り返しになるが、「普段は手を上げない人なのに、思わずこちらの頭を叩くほどに“怒らせた”」という衝撃こそが大事なわけで、体罰が愛のムチとして有効であるためには、まず「普段から叩く教育がないこと」が大前提である。そのうえで、「叩かれるほど怒らせた」と、こちらの怒りという感情もセットにして伝える。ただ冷静に叩けば良いというようなものではない。

以上、頻繁に子どもを叩いてしまう人に伝えたいこと。


<関連>
柔道と過剰体罰の思い出
子どもを叩く

プライド

プライド
Amazonの紹介文の通り、社会問題を切り取ったような短編集でちょっとしたどんでん返しもあったりで面白かった。ただ、このての小説(官僚とか企業とかが絡む小説)は好みが大きく分かれそうな気がする。新聞の社会面を読むのが日課、むしろ読まないと落ち着かないような人には、面白く感じられるんじゃないだろうか。

2013年1月9日

昼のラウンジ

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こういう店に、夜、来てみたい。

マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと

マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと

映画化された本。流し読みしたけれど、プッと吹きだすようなエピソードがたくさんあった。著者のユーモアセンスが良いのと、訳者の文章力があるのとで、実に面白いエッセイになっている。イヌ好きなら読んで色々考えること請け合い。

2013年1月8日

ジョーカー・ゲーム

ジョーカー・ゲーム
ここ何冊かパッとしない本を読んだということもあってか、本書の新鮮さにワクワクしながら読めた。スパイ小説、といってもアクションシーン豊富なものではなく、もっとじっとりと、「見えない存在」としてのスパイ短編集。続編が出ているようで、そこまで手を伸ばすかどうか悩みながら読んだが、最終話のラストシーンで続編を読もうと決めた。なかなか良い一冊。

2013年1月7日

初詣で

喪中なので初詣でも遠慮するべきか迷ったけれど、三家族が揃うこともなかなかないので、みんなで大挙して神社に押しかけた。願いごとは一つだけ、サクラの健康をお願いしてきた。

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2013年1月4日

今日はお休み

今日は仕事の休みをもらっているので、1月1日から6連休である。

義祖父の葬儀も滞りなく終わった。妻と二人の義従弟らによる孫から祖父へ贈る手紙には胸を打たれ、また彼らのしっかりした姿が親族として誇らしくもあった。きっと義祖父も嬉しかっただろう。

サクラはちょっと泣いたが、大事な場面では大人しくしてくれていた。時々、何もない上のほうを見て不思議そうな顔をしたり微笑んだりして、葬儀が終わるのを待っていたかのように眠りに落ちた。

今日は家族三人で俺の実家に帰る。妻とサクラは、明日からまた妻の実家に戻る。しばらくは実家でゆっくり過ごしてもらう。

2013年1月3日

赤いセーターベスト

義祖母が通うデイサービスに100歳のおばあちゃんがいて、その人が編んでくれたらしいベスト。しっかりした作り。

2013年1月2日

本日は義祖父の葬儀

昨日の通夜では、義理の伯父や従弟二人とたくさん飲みながら語った。

俺のことをチャン付けで呼んでくれていた義祖父。あと何回か、話したり飲んだりしたかった。伯父にとって義祖父は舅にあたり、血のつながりがないとはいえ、付き合いは俺なんかより断然長かったから、もっと寂しいだろうなと思った。まして血を受けている従弟二人や妻にしてみれば……。

心の救いは、義祖父にとって現在ただ一人のひ孫であるサクラの存在で、大きな哀しみに包まれた中に、大きな希望がある。

写真は年末に撮ったもの。義祖父には、これからもずっと見守ってもらいたい。

2013年1月1日

淡々と迎える2013年

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妻とサクラが先に帰省しているので、一人で淡々と迎える2013年である。昨夜は23時には布団に入り、本を読んでいるうちに眠ってしまった。いつ日付けが替わったのかも分からない。朝は朝で、一人で起きてエアロスミスの新譜『Music from Another Dimensionを爆音でかけながら帰省の準備。

今年は指導医が去っていく年。勤務体制が大きく変わる。俺が医長となる可能性が非常に高い、というどころの話ではなく、精神科医が一人しかいない事態になってしまう恐れが、いや、恐れと言うよりほぼ確実にそうなりそうなのだ。

指導医は、以前に勤めていた精神科救急病院で、「ハード・ワーカー」「ワーカホリック」「こなす仕事の量がはんぱなく多い」など評判を受けていた人だ。そんな先生が、
「この病院を独りでやれと言われたら、俺でもムリ。うつ病になる」
というくらい、当院精神科の独り診療はハードだ。

一般的に、医師の数が半分になれば仕事が倍になる、わけではなく、人員が減れば負担は指数関数的に増える。保護室を抱える病棟では、365日、一日の休みもなく医師が診察をしなければならず、また精神保健指定医が島内不在ということも許されず、したがって来年度一年間は、応援を頼める夏休み以外、一日たりとも休みがないという状況になる。これで精神的・肉体的にまいらないほうがおかしい。

このまま一人でやり続けろと言われるなら、病院側と交渉して、一年後の元日には退職を考えているかもしれない。体を壊してまで続けようという闘志はないし、そもそも俺が体調を崩した時点で当院の精神科は崩壊するのだから、病院側が俺一人に任せ続けようとする限り、当院精神科は遅かれ早かれ潰れるわけだ。家族を抱える身として、妻や娘の生活のほうが大切だし。

新年早々、ちょっと暗い話になってしまったが、正月はネット過疎しているだろうし、これを読む人も少ないだろうし、まぁ良いか。

今年もサクラの写真を中心に、精神科の話、ニュースに対するコメント、本や映画や音楽の感想など、寄せ鍋のごとくブログ更新していきますので、どうぞよろしく。