2017年9月26日

精神療法とは、まず聴くこと

愚痴は「こぼす」から良いのであって、あふれて「こぼれる」ようではいけない。ストレス発散を「ガス抜き」と言うこともあるが、これも意図して「抜く」うちは良いが、ガス「漏れ」になってしまっては良くない。怒りを爆発「させる」のと怒りで爆発「してしまう」のも、やはり前者のほうがたちが良い。

要するに、こころの中にあるなにかをコントロール範囲内におけているかどうか、ということ。

もちろん、ときにはあふれる想いをぶつけることも必要なことがあり、そのほうが伝わることもある。たとえばラブレターとか。

では、精神科診察室ではどうか。

愚痴はこぼさせ、ガスは抜かせ、怒りは爆発させてあげる。こぼれる前に、漏れる前に、爆発してしまう前に。

「ただ聞いているだけなのに精神療法を請求されるのが納得いかない!」

と怒っている患者をネットでよく見かける。しかし、そんな人たちの身のまわりで、些細な愚痴でも、やり場のない怒りでも、どんな突拍子のない妄想的なことでも、遮らず、ただ黙って耳を傾けてくれる人が、いったいどれくらいいるだろうか。もし、そうやって聴いてくれるような友人が一人でもいるのなら、きっとその人は精神科をあまり必要としないだろう。

精神療法とは、まず聴くことなのだ。

2017年9月25日

『ねころんで読めるてんかん診療』の中里先生の講演を聴いてきたよー!!

東北大学てんかん科教授である中里先生(@nkstnbkz)の講演会を拝聴に行ってきた。

もともと御著書やツイッターで熱烈ファンだったので、会場に入る前から胸はドキドキ。講演会というより「憧れのアイドルのコンサート」という心境であった。

会場に入ったのは開演から数分後。一般講演が始まったばかりだったが、俺の目は中里先生をロックオン。

あの後ろ姿は中里先生に違いない。

最前列からオーラが届いて、胸の高まりが増す。

普段は裸眼で、運転の時だけしかメガネをかけないのに、この講演会にはメガネ持参。中里先生の後ろ姿をうっとり眺めた。

講演会の中身はめちゃくちゃスゴかった。
内容はもちろんだが、プレゼン・スタイルがカッコ良い。まるでTEDを見ているようだ。中里先生はポインターを使わない。そのかわり、両手をダイナミックに動かしてアピール。

スライドはシンプル。でも奥が深い。医療者同士なら、あの中のスライド一枚だけで、飲み会の一つ二つやれるレベルだ。

講演そのものも素晴らしかったのだが、それ以上に質疑応答が神がかっていた。

極端な話、講演は用意していたものを話すので準備もできるが、質疑応答はアドリブになる。それをこうも見事にコントロールするか、というくらい、「聴く」と「語る」のバランスが見事。

講演の最後、中里先生がなんと『ねころんで読めるてんかん診療』(通称ネコテン)について書いた俺のAmazonレビューをキャプチャ画像で紹介! 鼻血を出して卒倒するかと思った。また、
「このレビュー、文章うまいでしょう。この先生もねぇ、ツイッターで良いこと書いているんですよねぇ」
といったご感想も!!

この時点でオシッコちびったかも……。


いや、オシッコはちびっていなかった。それは講演後のトイレでちゃんと確認した。中里先生にご挨拶する前に、トイレは済ませておこうと思ったのだ。

用を足してトイレを出ようとすると……、アーッ、いま中里先生とすれ違った!!

完全に、芸能人の追っかけ状態である。

そしてついに、情報交換会でご挨拶のチャンス。例えるなら、

「憧れのアイドルのコンサートを聴いて感動したあと、なんと楽屋でお話できる機会をもらった感じ」

中里先生の空き時間を待つ間に舞い上がってしまい、MRさんからも、
「先生の緊張が伝わってきます」
と言われるほどだ。

中里先生と仙台から同行したMRさんによると、
「中里先生も、レビューを書いた先生とお会いできるのを楽しみにされていて、何度となくその話をされてましたよ」
とのこと。

オシッコちびらそうとしてんのか、このMRさんは!!

さて、ついにご挨拶。
中里先生にご挨拶した瞬間、
ガシーッ
両手握手!!
あっ……。
オシッコちびったかも……。

そしていろいろお話をさせていただき、最後には持参した『ネコテン』にサインをゲットー!!!


少し冷静になって真面目な話を。

てんかんは、陰陽で言えば「陰」の病気である、現時点では。
「高血圧で薬もらってるんだよー!」
「俺なんて尿酸値が高くてさ(笑)」
と語れるような「陽」の要素はない。

しかし、中里先生の講演、その後のご挨拶を通じて思った。

この先生は、陰を陽にするための先駆者だ!

中里先生の明るさとバイタリティ、情報発信力は、てんかんとてんかん診療に対するイメージを大きく変える。特に「明るさ」は、これまで「陰の病気」として過ごしてきた患者や家族にとっての福音であろう。

ちなみにこの日の講演会。質疑応答で脳外科の若い女医さんが、心因性けいれんとの鑑別にかける期間について質問した。中里先生の著書やツイッターで中里イズムを吸収している俺は、
「鑑別にかけられる期間は、患者の状況による!」
と思った。中里先生の返答も同じだったので、答え合わせとしてホッとした。

憧れの先生ではあったが、実はちょっとイジワルな気持ちもあった。中里先生はツイッターではすごく良いことを書いてらっしゃるし、プレゼンのしかたについてもたびたび語られているけれど、実際はどうなのかなぁ? この目で確かめてみよう、という感じ。

講演を拝聴した結論。

ナマ中里に勝る中里ナシ。

ツイッターで伝わるのは中里先生の魅力や教えの一部に過ぎない、そう強く感じた。

中里先生は、今後どんどんテレビに出なければいけない人だ。
「てんかんあるある」を、明るくおかしく教育的かつ分かりやすく語れる稀有な存在なのだから。


<関連>
「てんかん診療には自信がありません!」と、自信を持って言えるようになる不思議な本 『ねころんで読めるてんかん診療::発作ゼロ・副作用ゼロ・不安ゼロ!』

2017年9月22日

善悪の判断基準を自らの良心ではなくランプに任せてしまうのは、映画の中に限った話ではなく、現実世界に生きる俺たちの中にもあるじゃないか!! 『エクスペリメント』


被験者らを看守役と囚人役に分け、数日のあいだ生活させると、だんだんと看守役は支配的に、囚人役は被支配的な言動となる。そんな実験の話を聞いたことがないだろうか。この映画は、実際にあったその実験を映画化したもので、『es[エス]』というドイツ映画のハリウッド・リメイク版である。

本物の実験は1971年にスタンフォード大学で行なわれたが、被験者らが禁止されていた暴力行為に及んだため危険として中止された。

本作のストーリーは、大方の予想どおりに進んでいく。いろいろとツッコミどころは多かったものの、非常に面白いシーンがあった。

実験前に、看守役にはいくつか指示がなされる。その中には暴力禁止という項目がある。そして、
「指示に反した者がいれば、あの赤いランプが点灯して実験中止になる。その場合、報酬(日給1000ドル)は一切支払われない」
と念を押される。物語が進むにつれて、看守役の一人が特に支配的行動をエスカレートさせていく。囚人役になった主人公の顔を便器に突っ込んだり、皆で小便をかけたりする。明らかな暴力行為だが、赤ランプはまったく点灯しない。ここで看守役の男が自信満々の表情で言う。

「ランプが点灯していないから、ルール違反じゃないんだ。判断基準は、あのランプなんだ!!」

深い。
なんとも深い言葉だ。
看守にこれを言わせるために、監督はこの映画を創ったんじゃないかと思えるくらいだ。

彼らは「模擬刑務所」という特殊な環境だから、こういう心理状態になったのだろうか?

いや、そうじゃない。

今まさに俺たちが生活している日常にだって、似たようなことがあるじゃないか。バレなきゃ良い、いや、バレても罰されないこともある。「暗黙の了解」で、ここまでは違反してもオッケーというのが実際にある。たとえばスピード違反。50キロ制限を60キロで走っていても普通は捕まらない。では、65キロは? 70キロは? どの時点で赤ランプが光るのか。

「判断基準は、あのランプなんだ!!」

自らの良心ではなく赤ランプに善悪の判断基準を任せてしまった彼の弱さ、愚かさは、多かれ少なかれ、現実世界に生きる自分たちの中にもあるのだ。

2017年9月21日

味も素っ気もないタイトルに惑わされるなかれ! ダイナミックに描かれる特殊班捜査に引き込まれる名著!! 『警視庁捜査一課特殊班』


タイトルがシンプルすぎて、あまり人目をひかない。面白いのかどうか不安だったが、読み始めると一気に引き込まれて、ページを繰る手が止まらなかった。

特殊班では、身代金目的の誘拐や企業恐喝などを対象に捜査する。殺人事件と異なるのは、殺人が基本的には「過去のこと」を調べていくのに対して、誘拐や恐喝は「現時点で動いている」事件への対応を求められるというところ。特に身代金目的の誘拐では、特殊班が対応を一つ間違えると、金は盗られ、犯人は逃げ、被害者が死亡するという最悪の事態になりかねない。それだけに、緊張感が尋常ではない。読んでいるほうもドキドキ、ピリピリしてしまうほどである。

多くの事件捜査を詳細かつダイナミックに描いてあり、とんでもない名著に出会えたことに感謝。ただし、のっけから子どもの身代金目的誘拐で、かつ被害者死亡という結末だったので暗澹たる気持ちにもなった。来年度から長女が小学生になるだけに、とても他人事とは思えなかった。

素晴らしい本なので、タイトルをもう少し人目を引くものに変えればいいのに……。なんだかもったいない。

2017年9月20日

『亡国のイージス』からすれば、見劣りしてしまう…… 『川の深さは』


マル暴の刑事を辞め、やる気のない警備員となった主人公を狂言廻しにしたスパイもので、本書の後に発表された大作かつ名作『亡国のイージス』(以下、イージス)へと緩やかにつながっている。ただ、『イージス』という弟があまりに優れているせいで、兄である本書が見劣りしてしまう。

『イージス』に比べれば、分量がおそらく半分にも満たないからか、全体に説明くさくなってしまい、情景描写は不十分で、人物もあまり深めきれないまま終わっている。登場人物は、「あれ? これって名前や役職こそ違うけれど、イージスに出てくるアノ人とアノ人だよね」というくらいステレオタイプ。本書を下敷きにして、より完成度の高い『イージス』を創り上げた、といったところか。

『イージス』レベルのものを期待して読むとガッカリするだろう。