2017年3月30日

次女ユウの喉に魚の小骨が刺さって、救外を受診した話

昨日の15時すぎ、妻から次女ユウの調子が変だという連絡があった。食べたものを吐きだしたり、咳をしたりするが、それが続くわけでもない。ユウは時々こういう演技めいたことをするので、今回もそんな感じなのかと考えていた。

帰宅してみても、ユウは元気そのもの。ただ、唾を飲みこまずに、溜めてペッと吐きだす。これも時々やる遊びである。妻に聞くと、
「昼ごはんで、手作りのオニギリを食べた時に急に泣き出して、その後はまた機嫌が良くなって遊んでいた」
とのこと。

長女サクラと次女ユウを風呂に入れながら、サクラに聞いてみた。
「ユウちゃん、お昼ごはんの時に泣いたの?」
「うん、泣いたよ」
「吐いた?」
「はいてないよ」
「なんのオニギリだったの?」
「シャケ」
……シャケ? 骨か?

風呂からあがって懐中電灯で喉を照らすと、軟口蓋に一ヶ所、小さな赤い点がある。これか? これだけにしては様子がおかしい。舌圧子はないので、妻と二人で体を抑えながらスプーンで確認。でもなにも見えない。次女のキツそうな様子に、だんだん「これは骨だ」という確信が強まり、21時を少し過ぎたころに勤務先病院の救外を受診することにした。

その日の当直はベテラン内科医のK先生だった。喉の奥に白いものがチラッと見えたものの、きちんとは確認できず、K先生が若手小児科の女医H先生に応援を要請。やってきたK先生も目視はできなかった。そこで、エスクレという座薬を用いて眠らせた後、耳鼻科用の細いファイバーを使って確認。

処置にあたって、三女を抱いた妻と長女サクラは外に出された。寝ているとはいえ、泣き叫ぶことがあるかもしれないし、辛い姿を見せるのは酷だという看護師の心遣いだった。

ファイバーで、喉のかなり奥に小骨が見えた。これをとるには……、
「ブロンコしなきゃだね」
ブロンコとは、気管支鏡である。

エスクレより深く寝せるため、ドルミカムという点滴を用いることとなった。小児科H先生が点滴をとり、ドルミカムで寝せて、K先生によるブロンコ開始。骨が扁桃の奥に、しかもとりにくい角度で刺さっているのが見えた。それを苦戦しながらも、決して時間をかけることなく、みごとに抜去! その瞬間、K先生、H先生、当直の看護師さん2名が、
「ワーッ!」
と歓声をあげた。それに重なって、俺も、
「あーっ! ありがとうございます!!」
と思わず大きな声が出た。

とれた骨は2センチ弱。オニギリを作るときに、妻はかなりたんねんに骨を除去しているので、昼間の時点ではまさか骨とは思わなかったとのこと。普段の食事でも、俺より丁寧に魚を処理して子どもにあげているので、今回の件で妻に落ち度はなく、敢えて言えば次女の不運だろう。もともとなんでも食べる良い子だが、咀嚼が足りなかったり、口に詰め込み過ぎたりと、食べかたに関しては毎回注意される子でもある。

不幸中の幸いは、当直のK先生が呼吸器専門で、気管支鏡の腕が良かったことと、当直看護師が普段は内視鏡室で勤務していて気管支鏡介助に慣れていたこと。

今回、身体科の先生は本当に凄いと実感した。点滴にしろ気管支鏡にしろ、患者の親であり同僚医師でもある俺が患者の抑え係という「医師としてはやりにくい状況」で、それぞれビシッと一発で決めた二人の姿は、ひたすらカッコよかった。

余談ではあるが、ユウがキツそうにしているのを見て、5歳のサクラが、
「ユウちゃんしぬの!?」
と明るく朗らかに尋ねてきたので、カチンときて、
「死なないよ!」
と強く答えてしまった。5歳だと、まだ分からないよなぁ……。でも、あの状況では「死」という単語を冷静に聞き流せなかった。ただ、その後のサクラはひたすら優しくて、次女がジュースを欲しいと言えば、妻と一緒に買いに行き、そこでは自分のジュースを欲しがることなく、
「あっ、ママ! ユウちゃんの好きなジュースあったよ!」
と飛び跳ね、その後はグズりだした三女をあやすなど大活躍。処置中には、外に漏れ聞こえるユウの泣き叫ぶ声に、
「ユウちゃん、かわいそう」
「もうユウちゃんと遊べなくなるの?」
そんなことを言って涙を流していたそうだ。もちろん、妻も泣いていたとのこと。

帰宅したのは12時過ぎだが、サクラは病院でも一切うたた寝せず、最後は寝る前の絵本読み聞かせまで求める通常運転。

そして今朝。

次女ユウはまだ寝ているが、昨日の夕ご飯を食べていないので、早朝からお腹がぐぅぐぅ鳴っている。微笑ましくて、愛おしい。妻も三人の娘たちも、まだ寝ている。こんな平和な朝が、これからもずっと続きますように。

2017年3月29日

身体は一つ、心は二つ。奇妙な主人公の転落人生をユーモラスに描く 『バルタザールの遍歴』


日本ファンタジーノベル大賞をとった小説である。すごく珍妙な出だしで、これはもしかして損切りするのかもしれない、と危ぶんだが、結果としては満足のいく読書タイムであった。決してグイグイ引っ張るタイプではないが、なぜか惹きつけられて読み進めてしまう感じ。

主人公は、一人ぶんの身体にメルヒオールとバルタザールという二人の精神が宿った貴族の子。これは二重人格ではなく、二人で対等に会話するという不思議な状態である。そんな主人公(たち?)の、じわじわと転げ落ちていく人生模様を、決して悲劇的にならずに、かといってギャグ小説にもならず、主人公の回想録(主にメルヒオールが語るが、時どきバルタザールのツッコミが入る)という形式でユーモラスに描いている。

この作家は初めて読んだが、他のも買って読んでみようと思うくらい面白かった。

2017年3月28日

Mr.Childrenの『花 Memento-Mori』を初めて聴いたときのことを思い出す、藤原新也の対談・小文集 『沈思彷徨』


Mr.Childrenのボーカル・桜井和寿の、
「なんのことわりもなくシングルのサブタイトルにして、すみません」
という謝罪から始まる対談が掲載されている。

藤原新也といえば写真家である、と俺は思っているが、わりと多くの文章を書いている人でもある。本書は、そんな彼の対談や雑誌に載ったような短文を集めたもので、対談相手の一人がMr.Childrenの桜井和寿だ。

藤原新也の写真集『メメント・モリ』を初めて読んだのは、ミスチルの『花 Memento-Mori』がリリースされる1年ほど前だった。『花』を初めて聴いた時、
「あれ、これはどこかで……?」
とデジャブに襲われた。歌のタイトルを見ると「Memento-Mori」とあり、合点がいった。

桜井の謝罪に対し、藤原は「この言葉は僕が作ったものではないですから」と答えている。そう、「Memento-Mori」は藤原が生み出した言葉ではなく、古代ローマでも使われていた警句のようなものだという。その意味は「死を想え」あるいは「死を忘れるな」。

藤原の同タイトル写真集には、インドの川べりで犬が人間の死体を食べている写真がおさめられている。

「人間は犬に食われるほど自由だ」

という一文が添えられたその写真は、20歳そこそこの俺には衝撃的だった。この写真集は、何度も何度も読み直した。

その後、藤原新也の『東京漂流』も買ってみたが、これはなんだか面倒くさいことをこねくり回して書いているような印象で、あまり記憶に残らなかった。いま読むと、もしかしたら違う感想を抱くのかもしれないが。

Mr.Childrenの『花』が好きな人は、一度は写真集『Memento-Mori』も読んでみることをお勧めする。

ところで、この写真集を初めて読んでから15年後、手もとになかったので買い直した。そして、それから5年後、すでに手もとにない。いったいどこに、誰のもとに行ったのだろう?

必要な時に、必要な人のところに現れ、ふっといなくなる。

『メメント・モリ』は、そんな本なのかもしれない。

2017年3月27日

日航機墜落事故で遺された男性・男児たちの、当時とその後 『尾根のかなたに』


日航機が御巣鷹山に墜落したのは、小学校4年生のときだった。生まれて初めての飛行機、それも一人で乗った日である。

本書を読んで知ったのだが、当時、子どもだけで飛行機に乗るという「ちびっこVIP」というJALの企画が始まったようだ。もしかすると、俺が一人で飛行機に乗ったのも、このちびっこVIPを利用してのことだったのかもしれない。ちなみに、現在は「キッズおでかけサポート」という名前に変わっている。

墜落した飛行機には、俺と同じ小学4年生の男の子が乗っていたそうだ。生まれて初めての飛行機というのも同じだ。筑波万博を目指した俺に対し、野球が大好きだった彼はPL学園を応援するため甲子園に行くのが目的だった。俺が羽田に到着して、数時間後に123便は出発している。だから、俺はこの同級生や他の犠牲者とは羽田空港ですれ違っていた可能性がある。

この事故に関する本を読むのは4冊目。どれも涙なくしては読めないものばかりである。本書は特に、「遺された男性」に焦点を絞ってある。事故当時、それぞれ小学生だったり高校生だったり社会人だったりだが、こころに受けた衝撃が計り知れないという点ではみな同じだ。

家族ができてから、単身での出張が嫌になった。怖くなったというほうが近いかもしれない。もし自分の身に何かあったら、妻や三人の娘らはどうなるのだろう。そんなことが頭をよぎってしまうからだ。

墜落した日本航空123便は、異常をきたしてから墜落までに30分ほどかかっている。その間に乗客らが感じた恐怖や怒り、遺すことになる家族への惜別の念に想いをはせる時、事故から30年を経て父親にもなった俺の胸は、痛く強く締めつけられてどうしようもなくなる。

多くの人に勧めたい一冊。


<関連>
涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

2017年3月24日

地図は現地ではない。精神科医療において、「地図」と「現地」を結びつける役割をもつ訪問スタッフのための実践書かつ哲学書 『 精神保健と福祉のための50か条』


「地図は現地ではない」という言葉がある。

いくら地図に詳しくても、現地の空気感までは分からないということだ。同じように、精神科医が患者の情報にひたすら詳しくなっても、その患者の家の中、周囲の環境、そういったものを実際に見ないことには、「現地」としての患者を感じることはできない。

ところが、往診を積極的にやる病院でない限り、医師が病院外に出る機会は少ない。ほとんどないと言って良い。そういうなかで、「地図」と「現地」を結びつける大切な役割をもつのが、訪問看護や保健師の訪問である。そして、本書はそういう業務に携わる人たち向けの実践書であり、また精神保健に従事するための哲学書でもある。

『精神科看護のための50ヵ条』と同じく、素晴らしい内容だった。ただ、病院が活動拠点の精神科医である自分にとっては看護のほうが身近なので、『看護のために』が実践的で役立つものであるのに対し、本書のほうは「気構え・心構えとして非常に参考になる」という感じだった。

訪問をメインにしている看護師や作業療法士、保健師、保健所職員にとっては実践的でためになる話が多いのではなかろうか。