2017年6月26日

名人・米長邦雄による人生の勝負指南 『人間における勝負の研究』


名人棋士・米長邦雄による勝負をテーマとしたエッセイ。エッセイにありがちな「何かの雑誌の連載をまとめた」というものではなく、おそらく書き下ろしで、だから一気に読んでも疲れなかった。短文をまとめたエッセイは、まとめて読むと疲れるものである。

読んでいて、ナルホドと思うことも多々あった。精神科医療にも通じると感じる部分もあった。

たとえばプロ棋士は、決して全部の手を読んでいるわけではなく、読まない手、つまり捨てる手の判断が迅速かつ適切なので、読むべき手に時間と集中力をかけられる、という話。あるいは、「カンは、努力・知識・体験のエキス」であるという話。こうしたことは、将棋でも精神科の診察室でも、それから日常生活でも同じことが言えるのではないだろうか。

米長棋士の語る「女性のありかた」については、きっと多々批難されそうではあったが、それもまぁご愛嬌というところ。著者の兄は三人とも東大卒業ということで、きっと地頭が良いのだろう。文章は読みやすく、感心させられるものだった。

2017年6月23日

てんかん、気分障害で用いるバルプロ酸(デパケン、セレニカ等)を内服中の女性にとって大切なこと

てんかんや躁うつ病の治療のためバルプロ酸(デパケン、セレニカ等)を内服している妊娠可能な女性は、児の神経管欠損を防ぐため「少なくとも受胎1ヶ月前」から葉酸を「1日5mg」摂取する必要がある。5mgとは、つまり5000μgであるが、市販のサプリは1日量で400μg。必要量の10分の1もとれないのだ。内服している女性や家族は「必ず」主治医に確認して処方してもらおう。

また、医師においては、バルプロ酸を自分が処方しているわけでなくても、妊娠可能な女性で内服している人を見つけたら、葉酸が処方されているかを確認すべきである。そして万が一にも葉酸の未処方例を見つけたら、処方医に指摘するか、自ら葉酸を処方するかしよう。これは、非常に簡便かつ効率的な「予防医療」である。決して「市販の葉酸サプリを飲んでおきましょう」なんて指導をしないように。

これはあくまでも「バルプロ酸内服中」の女性の場合であって、バルプロ酸を飲んでいない人が葉酸を1日5mgも飲むのは過剰摂取になるので注意。

2017年6月22日

ERの原作にもなったマイケル・クライトンの医療ノンフィクション 『五人のカルテ』


医学生時代、なけなしの金でアメリカのテレビドラマ『ER』のDVDを購入し、何度も繰り返し観た。最初は日本語の吹き替えで、2回目からは英語音声、日本語字幕。何回か繰り返して、今度は英語音声だけにした。そうこうするうちに、医療現場での定番英語ならなんとか聞き取れるようになった(いまはもうダメ)。

当時、原作があると知って本書を読んだ記憶があるが、あまり面白さが分からず投げ出した。今回、15年ぶりくらいに読んでみると、学生時代にはピンとこなかった話でも、現場を多少は知っているからか身近に感じられて、最後まで飽きずに読むことができた。

1970年に書かれたものなので、医療行為の中身はちょっと古い。また、いまのアメリカとでは社会背景もだいぶ違っている。ただ、医療には時代を問わず通底するものがあるので、古文書を読んでいるような気分にはならない。

改めて、『ER』を観たくなった。

2017年6月21日

感動なんてない。ただひたすらの悲哀、憤り、虚無 『津波の墓標』


『遺体 震災、津波の果てに』では、東日本大震災後における遺体安置所でのエピソードを中心に描いてあった。本書では、筆者が当時取材したが文章化していなかったものを記録してある。

中身は、暗澹とした気持ちになるような話ばかりだ。

木の枝にぶら下がっている母親の遺体を見上げる男の子。魚に食べられた遺体を見て以来、魚を食べられなくなった小学生。派遣された自衛隊隊員をアイドルのように感じる若い女性被災者たちと、もてはやされる隊員たちに苛立ちを感じる若い男性被災者たち。どこそこに幽霊が出たと聞くと、自分の家族の霊かもしれないと思って一斉に駆けつける人たち。ピースサインで写真を撮るボランティア、彼らに憤然とする被災者。若い女性ボランティアの体を触るなど理不尽な行為におよぶ被災者。被災地に残る夫、去っていく妻。

マスコミで取り上げられる感動的な復興エピソードの裏には何十万もの悲哀があり、同じだけの憤り、虚無があり、そしてギスギスドロドロとした人間模様がある。そうしたことが赤裸々に語られる。涙よりも、ため息を呼ぶ、そんな本である。

2017年6月20日

「子どもを殺してください」 精神科医ならたいてい一度は言われたことがある…… 『「子供を殺してください」という親たち』


ショッキングなタイトルではある。しかし、実際にこれと似たようなことを言われたことのある精神科医は多いのではなかろうか。

「副作用で死んでも良いから、落ち着くよう大量の薬を出して欲しい」
「楽に死なせるような薬はないですか」
「いっそ死んでくれたら良いのに」

発言者は両親であったり、兄弟姉妹であったりする。本人の前で吐き捨てるように言うこともあれば、主治医と二人きりになった時にボソッと呟くこともある。いずれにしても、たいてい半分は冗談である。しかし、つまり、半分は本気だ。

本書は民間の「精神障害者移送サービス」を経営する押川剛によるノンフィクションだ。およそ半分を割いて7つのケースについて紹介・描写してある。いずれも精神科従事者にとっては珍しくない光景だが、一般の人からすればショッキングな部分もあるだろう。あるいは身近に同様の患者がいる家族なら、「分かる……」と頷いたり、場合によってはこの会社の連絡先を調べたりするかもしれない。

それぞれ極端な例であるため、「精神科患者は危険だというレッテル貼りにつながる」といった批判も浴びているようだ。しかし、「精神科の病気は真面目で良い人がなる」というのも、逆の意味での間違ったレッテルではなかろうか。「真面目な人がなる」というのは耳に心地良いが、実際には誰もがなりうるもので、不真面目な人も、人格に大問題のある人でも、精神科の病気になる可能性はある。だから、本書で紹介されるケースは極端ではあっても、現実の一部であると認めなければならない。

本書の後半では、著者が精神保健福祉に対する思いを語っている。賛否両論とまではいかなくとも、読む人の立場によって賛同したり納得できなかったりする部分があるだろう。

批判も受けている本だが、精神保健医療・行政に少しでも関心を持ってもらえるなら、それなりの存在意義はあるはずだ。また、こういう人たちが家族を支えないといけない状況には、精神保健医療・行政に少なからぬ責任があるはずだ。互いに批難しあっていても進歩はない。患者も家族も救われない。うまく利用しあえる日が来ると良いのだが……。


※本を読むのが苦手という人にはマンガもあるので、試しにどうぞ。こちらもやはり批判は多いけれど。
「子供を殺してください」という親たち