2013年4月30日

長沢タキ ~伊藤循環器内科の人々~

「血圧も血糖もいい感じだし、今日の午後は外出しても構いませんよ。外出する時は、看護婦さんに伝えてからにしてくださいね」
伊藤医師の話を聞き、長沢タキは思わず合掌しながら頷いてしまった。タキにとって外出は決して特別ではなかったが、主治医のお墨付きである。胸を張って、後ろめたさも感じることなく家に帰れる。かといって、家に誰かがいるわけでもないのだが。夫の寛雄はタキが入院する二ヶ月前に脳卒中で亡くなっていた。そもそも、寛雄が他界した後の忙しさが一段落した頃に、かかりつけの伊藤医師から、
「休養も兼ねて入院しませんか」
と勧められたので、タキは伊藤循環器内科医院に入院することになったのだ。

入院して二ヶ月。休養も兼ねてと言われていたが、高血圧と糖尿病はタキが思っていたよりも悪いようで、二週間の予定が一ヶ月、一ヶ月が一ヶ月半という具合に延び延びになり、結局今もまだ入院している。とはいえ、タキは嫌々入院しているわけではない。むしろこの病院はタキにとって居心地が良いくらいだった。伊藤医師は親切だし、若い看護師たちも気さくで働きぶりも良くて、タキは彼女らが好きだった。そしてなにより、同室の三人が明るくて賑やかだった。家で自分だけのための家事をしてぽつねんと暮らすよりは、ここで笑って暮らしていた方が良いと思っている。ただ一つ、仏壇だけが気になっていた。
(おとうさんが寂しがってるんじゃないかしら)
最近は病室の消灯後に、仏壇と寛雄のことが気になって寝つけない日が増えた。家にいるときは仏壇に話しかけていたが、病室にもってきた写真には話しかける気が起こらなかった。

昼食の後、タキはロビーにある公衆電話でタクシーを呼ぶと、部屋に戻りすぐに外出用の服に着替えた。同室の三人に軽い挨拶をして部屋から出て、すぐ左にある階段を降りた。看護婦に外出の旨を告げて靴を履いた。ポケットの中で家の鍵につけた鈴がチリチリと鳴り、その久しぶりの音になにか胸が躍った。タキがタクシーの運転手に家の住所を告げると、本当にこれから家に帰るのだという実感が湧いてきた。タクシーは二時前に家に着いた。久々に家の玄関を開けると懐かしい匂いがした。すこし畳のにおいが強く感じられた。タキはまっすぐ仏間に向かった。仏壇の前で立ったまま、
「おとうさん、ただいま」
と言うと、すぐに仏間の窓を開け、それから家中の窓を全て開けてまわった。春過ぎてやや湿った風が家の中をそよいで、仏間にこもった畳と線香の匂いが薄くなった。裏庭に生えかけた雑草が気になり、着替えて草むしりをした。机や棚に薄くのったホコリが目について、あちこち拭いてまわった。

なんやかやと立ちまわって、気がつくと四時を少し過ぎていた。タキは仏壇の前に座り、線香を立てて火をつけると、鈴(リン)を二度打った。澄んだ音が聞こえなくなるまで、タキは黙って目を閉じて合掌した。鈴が鳴り止むと、タキは目を開けて寛雄の位牌を見た。
「おとうさん、寂しくいらっしゃいませんでしたか」
どこからも返事はないが、タキはゆっくりと話し続けた。
「もう四ヶ月になるんですね。おとうさんがいなくなってから。その後は忙しかったですよ、なんだかんだの手続きをしなくちゃいけないとかで。病院へ診察に行くにも合間を縫って行かなければいけませんでしたし」
新しい線香の匂いが煙とともに立ち上っては風に乗って消えていく。

「私の病気が分かってからはどれくらいになりますかしら。二年位かしらね。覚えていらっしゃいますか。トイレの汲み取り屋さんが見えて、『この家に糖尿の人がいませんか』って言われましたねぇ。びっくりするやらおかしいやらで。汲み取り屋さんってお仕事柄、臭いで分かるものなんですって。入院してる人の中に、汲み取り屋さんから指摘された方がもう一人いらっしゃったの」
タキは当時を思い出し、笑みがこぼれた。
「おとうさん、お仕事辞めてから急に肥えてらしたでしょ。私はてっきりおとうさんが糖尿だとばっかり思って。おとうさんが強情に検査は受けないっておっしゃるから、それじゃあ私も受けますから一緒に、って言って。やっとおとうさんに検査を受けさせたと思ったら、本当は私が病気だったなんて。あれも、おかしいやら恥ずかしいやら。病気の怖さもあまり知りませんでしたものねぇ」
ゆっくりと風が吹いて、線香の灰が落ちた。

「『お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで』って、覚えてらっしゃいますか。一義が東京に就職して、弘子が結婚して家を出て行って、家の中が急に寂しくなって。夜中に私がため息ついてたら、おとうさんが寝言のふりしておっしゃってくれたんですよねぇ。実は本当に寝言だったのかしら。あれから三十年、おとうさん、白髪が生える前に髪の毛がなくなっちゃいましたね」
タキは仏壇の脇に置いてある遺影を見た。頭の禿げ上がった寛雄が気難しい顔をして写っている。

タキはもともと人に対して軽口を言う方ではなかったが、寛雄に対してだけはよく冗談を言っていた。冗談というよりは、気難し屋の寛雄をからかうのがタキは好きだった。そんな時、寛雄は怒るでもなく、咳払いをしながら気難しい顔をより一層渋らせ、耳を、髪がなくなってからは頭と耳を赤くするのだった。それが返答に困っている時の寛雄の癖だとタキが分かったのは、結婚してすぐの頃だった。あれから五十年以上がたった今、寛雄は生きていない。タキは二ヶ月も入院して、二人で一緒に過ごしてきた家はその間ずっと閑散としてきたのだ。

なぜだろう、ふと、タキは急に寂しくなった。
(おとうさんよりも、私の方がさびしかったのかも)
「おとうさん、私ね、さびしいですよ」
(こんなこと、言ったことないのに)
「おとうさんがいないと、こんなにもさびしくなるものなんですね。いつも一緒だったし、ケンカしてコンチクショウなんて思ったこともありましたけどね」
いつだったかの大ゲンカを思い出して、ふと笑みがこぼれた。ケンカの理由はなんだったろう、それはもう思い出せない。
「好きとか愛しているとか、今の若い子みたいにはお互い言ったことはありませんでしたけど、私はおとうさんを好いてたんでしょうねぇ。今はちょっと恥ずかしいけど、ちゃんと言えますよ」
(きっと今、おとうさんは耳も頭も真っ赤でしょうねぇ)
そう思いながら遺影を見ると、急に涙が出そうになって慌てて袖で目を拭った。

空はまだ明るいが、もう少しすると病院へ帰る時間になる。知らず知らず病院へ“帰る”という考え方をしている自分を面白く感じたが、裏腹にため息がもれた。そろそろ、戻る準備をしなくてはならない時間だ。
「今日一日くらい、お薬飲まなくても平気ですとも」
誰に言うともなく呟いた。
「病院では毎日ちゃんと言われたとおりの生活をしてるんですもの。一晩くらい、お薬なしでもちゃんと大丈夫にやっていけますよね。明日の朝早くに帰ればそれで済むことですもの。家の片付けも、もっときちんとしないと。こういうのを、若い人たちは無断外泊とか朝帰りとか言うのかしら。一日くらい、無断外泊したって良いですよね、おとうさん」
入院前に片付けたし、さっきもあれこれ整理していたのだから、片付けるものなど何もない。そんな部屋を眺めまわしていると、寛雄の苦りきった顔が思い浮かんで、タキは独りで静かに笑った。

家に入り込んでくる風は湿っているが、徐々に肌寒くなってきた。タキは立ち上がって仏間の窓を閉めた。ふと咳払いが聞こえたような気がして、仏壇の方を振り返った。タキの立つ位置からは、短くなった線香の薄明かりが遺影に反射し、寛雄の耳と頭が赤く見えた。
「そうですね」
(おとうさんがいらしたら、きっと……)
「お前百まで、ですものね、おとうさん」
光の加減か、寛雄の遺影がほんの少しだけ揺れ、タキにはそれが寛雄が頷いたように見えた。
(元気になって帰ってこなくちゃ)
「病院に、行ってまいります」
タキはそうつぶやくと、家中の窓を閉めてまわった。最後に、使ってもいないガスの元栓を確認して、タクシー会社に電話をかけた。

タンポポの庭

うちの裏庭、太郎のプレイスペースにタンポポが群生している。
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2013年4月29日

スパイダーマン

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PowerShot G15で撮影。

2013年4月28日

強く押せ!

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PowerShot G15で撮影。

2013年4月27日

オモチャの影

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2013年4月26日

チューリップ

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2013年4月25日

絶対貧困―世界リアル貧困学講義

絶対貧困―世界リアル貧困学講義
面白かった。「貧困地域の子どもたちカワイソウ」では済まされない、いろいろな裏側というものがあるということを知った。俺にできることは多い、が、俺がやろうと思うことは少ない。結局、こうした地域の人たちがいつまで経っても貧困から脱しきれないのは、俺のような俗人が多いからだろうと思う。

著者である石井の講演会などの後に、
「世界の現実を知り、呆然としています。私はどうすればいいのでしょう?」
と尋ねてくる人が多いそうだ。石井は毎回、同じように答える。
「それはご自身で決めることではないでしょうか」

そう、寄付するのも、もっと大きな行動にチャレンジするのも、自分が決めなければ意味がないことだ。そして、石井も言うように、「知ろうとする努力をする」ということだけでも良いのだ。石井はこうしたルポを書くことが自分にできることだと言っている。そんな石井の本を読み、こうして少しでも世間に広めていくことが俺のできることかなぁ、とそう思う。

お勧め。

緑の花

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花じゃないと思うけど、花みたいに見えたので。

2013年4月24日

霊は存在するが、霊感なんてものはない。

霊は存在するが、「霊感」なんてものはない。あるのは、霊を知覚化する装置(人、場所、モノ)である。

霊の存在を真っ向から検証しようとしても不可能なので、ここでは霊が存在するものとして話を進める。


「霊の知覚化説」は、病院のエコーやCTで例えると分かりやすいかもしれない。肉眼では見えないものを、ああいった装置を使って見えるようにする。それで全てかというとそうではなく、エコーやCTの写真は、人によって写っているものの見え方が違う。医師はそこに胎児や腎臓や肝臓や脳が「みえる」し、そこに存在する病気を見つけることさえできる。一般の人は「みえかた」に違いが出てくるし、人によってはそれが体の中を写していることさえ分からない。

「霊の知覚化」説は、個々人に霊感があったりなかったりするわけではなく、エコーやCTのように、霊を知覚化させる人や場所やモノがあるという説だ。知覚化された霊は、ほぼ等しく全員に知覚されている。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、ときには味覚、そしてなんとなく感じる第六感。知覚化された霊の性別や年齢、訴えたいことまで分かる人が時どきいて、そういう人たちが「霊感がある」と言われているに過ぎない。逆に、エコー写真を見ても、それがなんだかサッパリ分からない人がいるように、霊を知覚してもまったくなんとも思わない人は「霊感がない」と言われているのだ。

「この人といると、不気味な体験をすることが多い」
「あの場所には、霊が集まっている」
「このカメラは、霊が写りやすい」
これらは、実はすべて霊を知覚化しやすい装置の話なのだ。

一霊、もとい一例をあげる。大学時代から仲の良い後輩にシンジという男がいる。彼が浪人時代、遠方の親戚が亡くなった。受験勉強の真っただ中だった彼は葬儀には出席できず、後日、旅行がてら親戚のところへ墓参りに行った。さすがに喪服は大げさなので、彼は黒いジャケットを着て向かった。親戚の家から帰るとき、親戚の一人がジャケットを脱いで帰れと言う。墓参りのあとだから、霊がついてくるというのだ。田舎の迷信だと思ったシンジは、その助言を聞き流して帰路についた。彼がそのジャケットを着て帰省するとき、高速バスのチケット売り場では、
「二名様ですね」
と言われた。
「え?」
と振り返ると誰もいない。窓口係も「あれ?」という顔をしている。その後に入ったマクドナルドでは、注文の後に、
「お連れの方もどうぞ」
と言われ、やはり、
「え?」
と思って振り返ったが誰もおらず、店員も慌てた様子で「失礼しました」と謝った。さらに、高速バスを降りてタクシーに乗り込み行き先を告げると、なぜか運転手が車を出そうとしないので、不審に思ったシンジが改めて行き先を言うと、運転手が、
「お連れの方は乗られないんですか?」
と聞いてきたという。

大学時代に聞いたこの話を、なんとなく思い返していて、
「窓口係、店員、タクシー運転手が三人とも霊感を持っていた」
と解釈するのはあまりにも無理がありすぎると思って考えついたのが、霊の知覚化説である。この出来事の場合、知覚化装置はシンジではなく、ジャケットの方であろう。

ま、与太話である。

プッシュ!

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PowerShot G15で撮影。

2013年4月23日

銃のあるステーキ屋

島のステーキ屋で撮影。
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PowerShot G15で撮影。

儚い羊たちの祝宴

儚い羊たちの祝宴
可もなく不可もなし。ふーん、といった感じ。退屈ではないけれど、アッと驚く仕掛けもない。俺の好みではなかった。

2013年4月22日

なぜ、それを買わずにはいられないのか

なぜ、それを買わずにはいられないのか ブランド仕掛け人の告白
mixiに登録し、Facebookに個人情報を載せ、ブログを毎日更新している身として、本当にいろいろ考えさせられた。

うちではパソコンに、俺と妻のアカウントが設定してある。俺のアカウントでログインすると、ネットサーフィンをすると画面のどこかに「カメラの広告」が入り込んでくることが多い。妻のアカウントだと、これが洋服や子どもグッズになる。きっと他の人のパソコンだと、またぜんぜん違ったものが広告にあがるのだろう。つまり、ネットでやったことは、しっかりマーケティングされているということだ。

これはネットだけでなく、クレジットカード、店のポイントカードなどでも同じことが言える。そんなことだろうと薄々感じてはいたのだが、それがいかに緻密に、そして強力に我々のプライバシーを分析しているかまでは想像が及ばなかった。この本を読むと、空恐ろしささえ感じるほどだ。とはいえ、ネットからの退却やクレジットカードの破棄は考えられない。もはやそれらは必需品となってしまっているからだ。

ならば、せめてもの知識を持つしかない。たとえそれが焼け石に水でも、きっと無知よりは良いはずだ。だからこそ、本書を勧める。

2013年4月19日

カルテに患者の「今後の予定」を書ておくと凄く有用

診察時には、カルテにその日の会話を記載する。中でも、
「来週、孫の結婚式に行くんです」
とか、
「今度の週末に温泉旅行に行きます」
とか、
「近々、目の手術を受けに行くんです」
とか、そういう情報は漏らさずに残す。俺の場合、そこに下線を引くこともある。次回診察の時には、事前にカルテに目を通しておいて、
「あ、そうそう、この人、結婚式に行ったんだよな」
「温泉旅行はどうなったのかな」
「手術はうまくいったかな」
といったふうに思い出して、それを会話の切り口にする。「楽しかった」「疲れた」「よく見えるようになった」など、いろいろな答えが返ってくる。こちらも「おー、良かったですねぇ」「あら、大変でしたねぇ」「お疲れさまでした」と返す。

実にちょっとしたことだが、患者はたったこれだけのことでも安心感を抱く。こういう会話の組み立て方は精神科ではごく当たり前のことである。うちは総合病院なので、身体科のカルテも読めるが、このような雑談の記載はほとんど見かけない。きっと身体科では忙しすぎて、診療に無関係な世間話などする暇がないのかもしれないが、ほんのちょっとだけこういう会話を差し挟むだけで、患者の満足度が違ってくると思うので試してみて欲しいところ。

ちなみに、この方法はここで紹介する本に書いてあったと記憶している。

精神科における予診・初診・初期治療

ヴィオラ

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花言葉は、『誠実な愛』。

PowerShot G15で撮影。

2013年4月18日

植物のマクロ写真

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1センチまで寄れるマクロは凄いけれど、オートフォーカスでのピント合わせはなかなか難しい。どうやってうまく撮るかが課題だなぁ。

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PowerShot G15で撮影。

2013年4月17日

引け!!

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PowerShot G15で撮影。

2013年4月16日

自殺報道のあり方について

自殺報道に関しては、自殺防止を目的にした世界保健機関(WHO)の勧告がある。

以下、Wikipediaから引用する。すべきこと、すべきでないことに分かれているが、特にすべきでないことのほうを日本のマスコミがやりまくっていて目立つので、そちらから紹介する。

【すべきでないこと】
・写真や遺書を公表しない。
・自殺の詳しい内容や、方法を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける(嘆き悲しんでいる人の映像を添付しない)。
・自殺の名所などの表現を避ける。
・宗教的、文化的な固定観念で報道しない。
・断罪しない。
・精神病に汚名を着せない。

日本の報道では写真・遺書の公開は平然と行なわれている。また自殺の方法もしっかり詳細に説明される。そして、「いじめ→自殺」「体罰→自殺」など単純化した図式で語られる。特に問題だと思うのは、遺族や友人知人にインタビューをして、お涙ちょうだいの演出をすることで、これを見た自殺志願者は「自分もこんなに悲しんでもらえる」と思うかもしれず、最後の背中の一押しをすることになりかねない。

【すべきこと】
・健康に関する事実を提供する際の責任者は、注意深く行動する。
・自殺か自殺未遂かということだけを報道する。
・関連する情報だけを、同じページで提供する。
・自殺に代わる方法を示す。
・ヘルプラインや各地域の支援機関を紹介する。
・危険な兆候や、警告サインを知らせる。
・セルフ・エスチームの向上(積極的な自己評価は精神的苦悩から成少年を保護し、生活上の困難とストレスに対処することができる)。
・学校でのいじめと校内暴力の防止(不寛容から解放された安全な環境の構築)。


さらに、アメリカの研究ではあるが、自殺が報道された後の一定期間、交通事故や飛行機事故も増えるということが分かっている。それも一人で自殺した報道の後には一人の事故、心中のように複数が同時に自殺したような場合には、犠牲者が複数の事故が増えるという不気味な一致。この理由は明らかではないが、一説では、自殺を考えているが「明らかな自殺は家族その他に迷惑がかかる」と思い止まっているような人が影響されて似たような行動を取るのではないかと言われている。

WHOの勧告は、日本語版でPDF化されており、こちらはWikipediaより詳細である。また少々表現が異なっているが、一読する価値はあるので紹介しておく。
【自殺予防 メディア関係者のための手引き 2008年改訂版日本語版】 PDF
http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~psychiat/WEB_YSPRC/pdf/media2008.pdf


この機会に、ウェルテル効果についても読んでおくと良いだろう。
ウェルテル効果(Wikipedia)

<自殺と事故の関係について参考にした文献>


<関連>
閲覧注意!! 樹海の自殺防止パトロール
『「生徒の暴言で教諭自殺」を公務災害と認定』というニュースについて

2013年4月15日

素晴らしいゾンビ映画 『CARGO』


「cargo」には積荷とか荷物とか、そういう意味がある。本作品のタイトルがそういう意味でつけられているかどうかは分からないが、そう考えるとしっくりくるタイトルである。

2013年4月14日

着信、アリ

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「ただいま」
「お帰りなさい。出張、携帯電話がなくて大変だったんじゃないの?」
「ん?」
「昨日の夜遅く、あなたの携帯を拾ったって女の人から電話があったのよ」
「あ……、あぁ、そうそう、大変だったんだよ、うん」
「ちゃんと携帯電話は戻ってきたの?」
「うん、もちろん、ほら、この通りさ」
「どうやって受け取ったの?」
「え、連絡があったから取りに行っ……」
「落とした携帯電話で、知らない人とどうやって連絡つけるのか、きちんと説明してもらいましょうか」

PowerShot G15で撮影。

2013年4月13日

お気に入りの店の一つ

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店構えはぼろいが、味はかなり良い。もともとは指導医Y先生のお気に入りで、さらにはその上のS先生から代々と語り継がれてきた、島の精神科医にとって心の名店である。

墜落の村―御巣鷹山日航機墜落事故をめぐる人びと

墜落の村―御巣鷹山日航機墜落事故をめぐる人びと
この事故関連の本は、やっぱり胸が痛くなる。目頭が熱くなる。ぜひご一読を。

<関連>
墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便

2013年4月12日

UFOはもう来ない

UFOはもう来ない
冗長!!

伝えたいことの核はしっかりしているのに、その他の余計なエピソードや情報が多すぎて、核がかすれてしまって勿体ない。

誰に向けた本なんだ? 
編集者、もっとしっかりしろよ。

という本。

2013年4月11日

ヘルメット

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実家は中学校から近くて、自転車通学が許可されていなかった。でも、中学校近くの公民館までは自転車で行っていた。そんな古き日を思い出した。

2013年4月10日

パラダイス・ロスト

パラダイス・ロスト
スパイ組織であるD機関シリーズの3作目。前2作に劣らず面白かった。短編集だけど、さらに続きも出るのかな? もし出るのなら読みたい。そんな風に思えるシリーズ。

2013年4月8日

「女子」にご用心

いつの頃からか、「女子」という言葉が成人女性に使われるようになった。「女子会」「女子力」「女子活」、ちょっと変則的なものでは「ガールズトーク」。フェイスブックには『女子活(Woman's Activity ) 戦う女性の為の総合情報サイト』というのがあり、雑誌『日経ウーマン』のオンライン版では「すべての働き女子を応援します」と書いてある。いつから「Woman」を「女子」と訳すようになってしまったんだ!?

子どもの頃は、男より女のほうが早熟で精神的成長が早いという。しかし、最近の女性は20歳を越えても自らを「女子」と呼ばれることに抵抗を感じないどころか、むしろ自ら進んで「女子」という言葉を使う。ただの単語とはいえ、「女性」に比べて「女子」は幼稚な印象を免れない。

こうした大人の女性に対する「女子」という言葉の使い方を変えない限り、無意識に「幼い」イメージを持ってしまって、結果として『「女子」の社会進出』なんておままごとにしか見えなくなる。成人女性に「女子」という言葉をあてることで、女性を幼稚化し、あるいは幼稚だと感じさせることで、得している人間がどこかにいるはずだ。

それで良いのか、女性陣!!


<追記>
そういえば、30歳くらいの男に対しても「草食系男子」なんて言葉が出始めている昨今。そのうち報道でも、「中年女子」「高齢男子」なんて言葉が使われるのかもしれない(笑)


※1 ところで、確かに「女子アナ」やスポーツで「女子フィギュア」「女子マラソン」など、「女子」が付くのが一般的というものもたくさんある。アナウンサーは「女性アナウンサー」とも言うが、「女性フィギュア」「女性マラソン」とは言わない。

※2 「女性のみの団体様割り引き」「レディースデイ」などより、「女子会応援フェア」「ガールズ割り」などのほうが売り上げが伸びるそうだ。


新入社員に女性4割「法律で」 野田聖子・自民総務会長
朝日新聞デジタル 4月3日

国が数値目標を決めて、例えば新入社員を雇うときに4割は女性社員にするという法律を作れば、文句はあるだろうけど流れができる。そこが私と高市(早苗・自民党政調会長)さんとの見解の違い。国がセットしてあげて、命令にするのか、4割雇ったところには税制優遇するのか。そういうことをやらないと日本の大企業は動かしにくい。(女性の参加について一定の数値の枠を定める)クオータ制はいずれ検討してほしい。高市さんともしっかり議論し合う。(都内での講演で)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130403-00000009-asahi-pol

この島は、どこへ行ってもこんな感じ。

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PowerShot G15で撮影。

2013年4月7日

フェリーは指導医を乗せて

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フェリーでの別れはドラマチックだ。たくさんの人たちが見送り、見送られ、エールを送り、エールを受ける。手を振り、振りかえす。泣いたり、笑ったり、そうこうするうちに汽笛が鳴って、フェリーがだんだん遠くなる。

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平成25年3月31日。Y先生が船に乗った時点で、この島には精神科医が俺一人となってしまった。孤独感と責任の重さに肩が重くなりがちだが、この別れの日にはそういうことを一切置いといて、ただただY先生との惜別を噛みしめた。

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先生からの薫陶を受けて育った3年間。指導医や教わる側がたくさんいる中で過ごしたわけではない。ほぼマンツーマンで過ごした3年間だ。県内の若手精神科医の多くから「Y先生に教わりたい」と言われる先生を独り占めで師事できたことは、俺の医師人生の出発点として非常に幸運だった。

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「遊びに来てね」
先生のこの言葉は社交辞令ではない。そういう無駄な言葉は使わない先生だ。だから数ヶ月後には、たくさんの愚痴や不満と少しの自慢話を持って遊びに行く予定。