2017年10月31日

キャスティングや雰囲気はサム・ライミ版のほうが好きだが、チャラい感じのスパイダーマンもそれはそれで良い感じ 『アメイジング・スパイダーマン』


サム・ライミ監督の『スパイダーマン』に比べると、ちょっと軽薄な感じでよく喋るスパイダーマンだが、こちらのほうが原作に近いらしい。確かにDlifeで放送されているアニメのスパイダーマンもペラペラとよく喋る。本作で気になったのは、スパイダーマンのときと素顔のときとでキャラがだいぶ違うこと。素顔ではそうたくさん喋らないハニカミ屋で、決して明るい性格というわけでもないのに、スパイダーマンになると身振り手振りをまじえた饒舌家。これも原作でこういう設定なのかな? マスクをかぶると大胆になる、というのは人として決して変なことではないので、これが設定であればナルホドという感じ。

細かいツッコミどころは多々あったが、そこはアメコミ映画なので目をつむろう。しかし、ラストは……。

ヒロインであるグウェンの父・ジョージが死の間際、パーカーに対して切実に「娘にはもう近づかないでくれ」と頼んで約束したのに、最後の最後で「守れない約束もある(ニヤリ)」なんて軽くナシにしてしまう。おいおいおいおい……。

でも、この結末、一緒に観た妻は「わたしは好き」と言っていたし、感覚の違いがあるのかなぁ。特に俺は、ジョージ目線というか、可愛い娘を危険から守りたい父親の気持ちが痛いほど分かるだけに……。愛する娘のパートナーとして、俺こんな男イヤだ……。

こういう難点はあったものの、スパイダーマンの動きや映像はかなり良かった。クモの糸で飛び回るシーンは、サム・ライミ版も含めて、気持ち良いの一言に尽きる。

2017年10月30日

戦時の軍医たちを描いた大作かつ名作 軍医たちの黙示録『蠅の帝国』『蛍の航跡』 


第二次大戦中に軍医として生きた人たち、つまり医師としての大先輩を描いた短編小説集。短編小説とはいえ、それぞれけっこうな分量があり、二冊含めるとかなりの大作だった。

戦時中の話なので、暗いストーリーや陰惨な描写はもちろんある。ただ、短編の中には、コミカルな展開、ユーモラスなエピソード、目頭が熱くなるような人間模様を描いたものも含まれている。

いずれも、著者が膨大な資料を読み込んで小説化したものである。当時の先輩、先生たちが、どのような医療をされていたのかを知るうえでも、大変勉強になった。

医師なら一生のうち一度は読んでおくべき本だろう。

2017年10月27日

パーキンソン病、ひとまずこれ一冊! 『パーキンソン病の診かた、治療の進めかた』


精神科医でありながら、祖母のパーキンソン病を見逃してしまった。

農業で鍛えた身体をもち、気も張っていた彼女が、少し前から「調子が悪い」「声も出ない」といったことを言うようになっていた。電話で話しながら、
「心配ない、声は充分に聞こえているよ。歳をとっているんだから、若いころみたいにはいかないものさ」
そういうふうに慰めていた。

一年ほど前のある日、糖尿病でかかりつけの病院に行ったところ主治医が不在で、たまたま代診したのが神経内科の医師だった。そして入室した祖母を見るなり、
「あなた、パーキンソン病がありますよ」
そう言ったのだという。そして抗パーキンソン病薬の内服が始まった。治療効果はてきめんで、翌日には「歩きやすくなった」「声が出るようになった」と喜んでいた。

このエピソードは大きなショックだった。精神科と神経内科は別物だが、遠い親戚くらいには思っていた神経内科医の「目」に、改めて畏敬の念を抱いた。そして、精神科医でありながら身近な祖母のパーキンソン病を見逃すだけに留まらず、「歳のせい」と言って慰めていたとは……、深く反省と後悔。

その後悔があるので、パーキンソン病を「診断して治療ができるように」とまではいかないまでも、もしかしたらと疑うことができて、神経内科受診を勧めて、治療につなげられるような精神科医になりたいと思った。これまでに、患者で一人、付き添い家族で一人、パーキンソン病の疑いがあることを指摘して治療にもっていくことができた。

さらに知識を得るべく、パーキンソン病についての良い本を探していて本書に目がとまった。内容は臨床編と基礎編に分かれており、特に臨床編は具体的・実践的であった。文献を明示した「根拠ある治療」だけでなく、著者の想いや配慮なども書いてあったのが良かった。たとえば、
「ご主人が患者さんの場合、奥様に色々症状のことを言われるのが嫌」
という項目で、「また背中が曲がっているわよ」「またよだれがおちるわよ」などの言葉が辛いものであることを指摘している。同じく女性が患者の場合には、夫に対して家事をそれとなく手伝ってあげるよう促すなど。こういう著者の「臨床哲学」に触れられる本は、勉強になるだけでなく面白いから大好きだ。

後半の基礎編のほうは、ちょっと専門に入りすぎていて流し読みになってしまったが、非専門医なら、パーキンソン病の診断・治療については、ひとまずこれ一冊でOK!


ところで、本書を読んで知ったのだが、農薬への長期暴露はパーキンソン病のリスク因子なのである。若いころから農婦として生きてきた祖母が発症するのもむべなるかな、である。

2017年10月26日

刑事たちの寡黙で粘り強い生きかたに圧倒される 『警視庁捜査一課殺人班』


こういう本を高校時代や経済学部のときに読まなくて良かった。きっとかなり影響されて、「刑事になる!」なんて言い出したかんじゃなかろうか。どう考えても俺には向いていないけれど……。

警視庁、つまり東京の「県警」にある捜査一課殺人班を丁寧に取材したノンフィクション。いくつかの殺人事件が発生して解決されるまでの経緯を描きながら、組織の構造、刑事たちの仕事ぶり、内面にまで踏み込んだ良書。

2017年10月25日

不眠の改善ポイントを一つに絞ると……

不眠治療では、薬を処方する前に患者がやるべきことがいくつかある。ただ、初診でそれらすべてを伝えても患者は覚えきれない。そこで、生活習慣の改善を3大鉄則として患者に勧めてきた。

1.毎朝、土日や休日も含めて決められた時間に起きる。
これは、前夜に寝つけずに夜更かししても、あるいは徹夜をしても関係なく、とにかく朝は決められた時間に起きる、ということ。

2.昼寝をしない。
「夜眠れなかったから昼寝しよう」はダメ。昼寝をするから夜眠れなくなる。だいたい、昼寝で1時間とか2時間とか、ひどい場合だと3時間以上とか、それだけ寝たら、夜は眠れなくて当然である。

3.眠れないからとベッドの中でウダウダせず、30分眠れなかったら布団から出る。
携帯でネットしたり、本を読んだり、テレビを観たりせず、眠れないなら布団から出て眠くなるまで何かして過ごす。


診察室では、夜眠れない、昼寝もできないという不眠症の人は意外に少ない。たいがいの不眠は「昼夜逆転」で、本人もうっすらそれに気づいている。そして、その眠れなさを薬でてっとり早く治そうと考えて精神科に来る。そんな生活習慣の乱れた人が、いきなりこの3つを言われても実践できそうにない。

そこで、最近はどれか一つ、やれそうだと思うものを選んでもらう形式にトライしている。それでも、なかなか期待通りにうまくはいかないけれど……。

2017年10月23日

原作ほど独善的ではないが、勧善懲悪的な描写が残念 映画『アメリカン・スナイパー』


クリス・カイル本人の自伝を原作にした映画。自伝では「悪者をやっつける」という独善っぷりが目立ち、まったく非のない市民を傷つけたことに対する反省の弁も一切ないものだったが、映画のほうではその独善ぶりはかなり薄められていた。

この映画を戦争賛美と責める意見もあるようだが、それはあまり感じなかった。むしろ、クリスの弟が軍隊に嫌気がさしたと吐き捨てるシーンもあるくらいで、決して戦争を煽ったり美化したりはしていないほうだろう。ただ、独善性は薄められているものの、「悪者をやっつける」という典型的で残念な構図が用いられていたのは確かである。

その最たるものが、非常に優秀な敵スナイパーの存在だ。映画の中では、彼にも家族がいて、オリンピックの射撃選手だったことを示す写真が出るなど、彼が「ただの敵スナイパー」ではなく「ムスタファという個人」であることが一応の申し訳程度に描かれてはいた。とはいえ、思い出す限り、彼は一度も言葉を発さず、家族とのやり取りも描かれていなかった。観客がムスタファに感情移入する要素は、ほとんどないと言って良い。

いっぽう、クリスのほうは少年時代から私生活がふんだんに描かれ、父との関係、弟との仲、妻との出会いや愛や葛藤、同僚兵士との友情など、感情移入できる部分が多々ある。クリスの自伝が原作なのだから、それは当然のことではある。

しかし、考えてみて欲しい。シリアの代表選手だったムスタファが、なぜイラクで人を撃つスナイパーなんてやっているのか。きっとムスタファにも「彼のみが語ることができる自伝、物語」があったはずなのだ。

さらに言えば、原作にムスタファと交戦したという記述はない。ムスタファという元オリンピック選手の一流スナイパーがいて、それを米軍の誰かが倒したということが書いてあるだけだ。そのムスタファを、映画ではわざわざ特別な敵役として登場させ、何人もの米兵を無慈悲に殺させ、そして最後にクリスに見事な退治を遂げさせる。

なんだこれ……。

この映画は「戦争賛美」でこそないものの、そして原作ほど独善的ではないものの、やはり一方的な「勧善懲悪」映画ではある。ムスタファさえ出さなければ、あるいは、ムスタファをもう少し丁寧に描いていれば、この映画は「互いに家族と守るべき信念のある者同士が殺し合う戦争の悲惨さと虚しさ」をうまく訴えられたのではなかろうか。そして、ムスタファをはじめとしたイラク兵士たちを軽視した本作がそれなりの評価を受けるところが、いかにも無邪気な保安官アメリカ、まさに監督イーストウッドが主人公を演じた『ダーティ・ハリー』の国という感じである。


<関連>
「イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ」 政治的に大義名分を与えられて他国に乗り込む優秀な兵士は、これくらい独善的な単純バカでなければいけないということか…… 『アメリカン・スナイパー』

2017年10月19日

『暴れる精神障害患者に鎮静剤投与は違法』 まず警察へ!!

『家族が突然に興奮して暴れ出したら、救急車よりも先に警察へ通報をするべきだ』にも書いた通りであるが、下記事例の場合、相手が刃物を持っていたわけで、その状況で医師に診察を依頼する感覚のほうがおかしい。また、そんな依頼を受けて、のこのこと往診に出向いた医師にも責任はあるだろう。
『暴れる精神障害患者に鎮静剤投与は違法』
「問診が不足」「注射なしでも搬送できた」と医師敗訴

暴れていて会話が成り立たない精神障害患者に対し、医師は病院に送るために押さえ付けて精神安定剤を投与しました。裁判所は、注射をせずとも搬送できたとして、医師の注射を違法であると認定しました。

<事件の概要>
1998年2月、町議会の議員であった男性Aは、町長に対して、52歳の妻から暴力をふるわれたことを話した。町長は、以前にも腹部を刺されたなどの話を聞いていたことから、町の「しあわせ課」に相談したらどうかと助言した。
Aは町役場を訪れ、町職員3人に対し、妻が暴力をふるって自分の身が危ない旨を相談し、妻を医師に診察してもらうことにした。Aは職員に同行してもらい病院医師の聴取を受けたが、病院医師は「妻本人を診察しないと最終的な判断はできない」として、往診可能なB精神科開業医を紹介した。
なお、病院の求めに応じて町職員が作成した書面には、妻の行動について(1)妻は長男出産後あたりから異常と思える言動が目立ち始めた(2)8年前、妻は上半身裸でいきなりカセットテープの束でAを殴りつけた(3)Aが家に入ろうとすると妻は刃物を持って暴れる(4)妻は暴力団員に「Aを殺してほしい」と依頼した(5)妻は三角関係のもつれから関係者と公道でカーチェイスを演じた――ことなどが書かれていた。
Aは長男とともにB医師の医院を訪れ、妻がAを包丁で刺したことや、物を投げたりしたこと、カーチェイスを演じたことなどを話し、妻を入院させたいとの希望を伝えたが、B医師は「妻を直接診察しないと入院の必要性を判断できない」旨答えた。
同日夜、Aは町長宅に「妻が刃物を振り回し、とても家の中に入れない。自分の身が危ない」と言ってやって来た。町長は町職員を介してB医師に「早く往診してほしい」旨を伝えた。そのため、Bは翌日の16時ころに往診することを決めた。翌日16時ころ、Bは移送先の病院の医師に「今から注射をして連れて行く」旨伝えた。病院の医師は「診察に支障があるから注射をせずに連れて来てほしい」旨を話したが、Bは「刃物を持っているからとても無理」などと答えた。
AはBと長男、町職員3人とともに自宅へ向かった。Aは長男と一緒に妻に対して医師の診察を受けるよう話したところ、妻がAの顔を叩いたため、Aは「何するんや」と叫び、長男と協力して妻を押さえ付けた。騒ぎを聞いてB医師と町職員3人が家の中に入ると、妻はソファ上に押さえ付けられていた。
Bは妻に医師である旨を話して問診しようとしたが、妻は興奮しており、会話が成り立つ状態ではなかった。AはBに対して妻を落ち着かせてほしいと依頼したため、Bは町職員3人に妻の体を押さえるよう指示し、イソミタール、レボトミンおよびピレチアを注射した。
注射後おとなしくなった妻は病院に搬送され、病院医師の診察を受けた。診察の結果、妻は心因反応と診断されて、Aの同意のもと医療保護入院することになった。
これに対して妻は、精神安定剤を注射して無理やり病院に連行したことは違法だとして、2003年4月、町とB医師を相手取り、1100万円の損害賠償を求めて提訴した。

<判決>
裁判所は、市(町村合併後の自治体)とB医師に対し、連帯して110万円の損害賠償を支払うよう命じた。
裁判所は、精神障害患者の病院搬送に関し、「本人を移送するために、保護者となるべき者の同意のもとで、本人の行動を制限する措置を取ることも、その方法が社会通念上相当と認められ、かつ必要最小限のものである限り許されるというべきである」との一般的基準を示した上で、「精神安定剤の投与については、(中略)身体の拘束などのほかに適切な方法がない場合に限られると解するのが相当である」との見解を示した。
その上で、「原告を診察するためには、まず、Aおよび長男と妻を引き離し、妻の興奮が静まるか否かを見極めながら、十分に問診を尽くすことが必要というべきである。それにもかかわらずB医師は、問診を試みて会話が成り立たないことを確認すると、間もなく妻に本件注射をしており、(中略)十分に問診を尽くしたとは言いがたい」と認定。そして、「Bは、妻が現にAに暴力をふるったり、刃物を振り回したりしている状況を見ておらず、ほかに、問診時において妻に自傷他害の恐れが顕著であるなど、直ちに精神安定剤を注射して妻の興奮を静める必要があったことを示す具体的な事情もうかがわれない」「いかに妻が興奮状態であったとしても、その場には成人男性6人がいたのであるから、精神安定剤を注射しなくても自傷他害の事態を防止し、妻を安全に病院に移送することは可能であったというべきである」などとした。
そして、妻に自傷他害の恐れがあるなど緊急に入院させる必要性は認められず、精神安定剤の注射も社会通念上相当とは認められないとして、注射は違法であるとの判決を下した(京都地裁06年11月22日判決)。

<解説>
暴れていて会話が成り立たない精神障害患者に対し、病院に送るために押さえ付けて精神安定剤を投与することは許されるのか。このケースでは、違法であると判断されました。
医療保護入院とは、治療や保護のために入院を要すると精神保健指定医によって診断された場合、保護者の同意により、本人の同意がなくても精神科病院に入院させることができる制度です。1998年当時、指定医の診察を受けさせるための移送手続についての規定は存在しませんでした。
移送には原則として患者本人の同意が必要となりますが、裁判所は、保護者となるべき者の同意がある場合は本人の同意がなくても精神科病院に移送することは可能、との見解を示しています。この見解は、患者が適切な医療を受けられるようにするという精神保健福祉法の趣旨からしても、正しい判断でしょう。
では、移送のために精神安定剤を投与するのはどうかといえば、今回の注射に対しては「社会通念上相当と認められず、かつ移送の目的を達するのに必要最小限のものとはいえない」と判断しました。
裁判所が重視したのは、(1)精神障害か否か確認するための問診ができていないこと(2)患者が女性で、現場に6人の成人男性がいたことから、精神安定剤以外の方法による抑制措置も可能であったこと(3)自傷他害の恐れが顕著とはいえないこと(4)移送先病院の医師が精神安定剤の投与に消極的な見解を示していたこと――などのようです。
確かに、押さえ付けた時点で興奮が認められただけでは精神障害があるという判断をすることはできません。しかし、医師であることを告げても興奮状態で会話が成り立たない状況であったことからすると、「患者と家族を引き離し、興奮が静まるか否かを見極めて十分に問診を尽くさなければならない」との裁判所の判断は、少し形式的すぎて、現場での緊急性をあまり考慮していないように思えます。また、興奮状態にある患者を無理に押さえ付けたまま移送することは、かえって患者の安全を害することにもなりかねないでしょう。
医療保護入院について、患者の同意を欠く場合の移送手続が定められていないことも、裁判所の判断に影響を及ぼした可能性は否定できませんが、この裁判所の判断は、やや精神科医師に酷な印象を受けます。

【執筆】蒔田覚=弁護士(仁邦法律事務所)
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/dispute/201209/526539.html

2017年10月18日

教科書ではない、ヒント集だ! 『森を見る力 インターネット以後の社会を生きる』


『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ』でファンになった橘川幸夫による、ネット時代を生きる人たちに向けた「ヒント集」。これを決して教科書だと思ってはいけない。時代は常に変わっていき、本書の内容もすぐに時代遅れになる。ただ、ヒントとして考えたことや身につけたことは、きっとこれから先を生きる糧になる。

橘川氏はツイッター(@metakit)ブログでも情報発信されているので、気になる人はチェック。

2017年10月17日

鵜呑みにせず、飲み会ネタくらいに考えておきましょう! 『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』


脳科学者が雑誌に連載したエッセイをまとめたもので、それぞれのエッセイに追記を加筆してある。面白くはあるのだが、全体的には眉をツバで濡らしまくって読んだほうが良いような部分もある。

単行本初版が2006年。10年以上前なのだから情報が古くても仕方ない、というわけでもない。たとえば睡眠について「人の体内時計は25時間周期」という記述があるが、1999年にハーバード大学で厳密に行なわれた研究では24時間11分という結果で、日本での追試でも24時間10分だった(『8時間睡眠のウソ』より)。本書を読む人は「出版される7年前の研究さえスルーされている箇所がある」ということは認識しておくべきだろう。

そういうわけで、決して鵜呑みにせず、合コンでウンチク披露するくらいに留めておくほうが良い。

2017年10月16日

東日本大震災で人知れず活躍した人たちを讃えつつ、民主党を無能集団として徹底的にこき下ろす佐々節全開の本 『佐々淳行の危機の心得 名もなき英雄たちの実話物語』


「危機の心得」と銘打ってはあるものの、実際には「名もなき英雄たちの実話」のほうがメインである。リーダーシップ論や自己啓発系の本だと期待して読むと、ちょっと肩すかしをくうだろう。

実話を集めてはあるものの、ノンフィクションとして読むにはそれぞれの内容はあっさりしすぎていて、ぐっと引き込まれるようなものは少ない(皆無ではない)。

功労者を現場で速やかに昇進させる「フィールド・プロモーション」について知ることができたのは良かった。といっても、自分が誰かを昇進させる立場になることは絶対にないんだけれど。

佐々氏の民主党大嫌い節が全開で、無能集団として徹底的にこき下ろすのが読んでいて痛快ではあった。

2017年10月7日

全体的には治療者向けだが、自分自身、あるいは家族・友人が境界性人格障害という人も読む価値は充分にある! 『境界性人格障害のすべて』から (4)


全体的には治療者向けの本ではあるが、自分自身、あるいは家族・友人がBPDという人が読む価値は充分にある。

ただし、書いてある症状・性格を自分自身に当てはめて考えないように。何を隠そう、俺自身がその罠にはまりかけ、「あぁ、俺ってBPDなのかもしれない」という気持ちになったのだ。

さて、BPDの根底にあるもの、それは「安心感の欠如」である。本来であれば、0歳から5歳くらいの間に養育者から与えられるべき安心感を、身体的・性的な虐待、ネグレクト、離婚などで、充分に与えてもらえないことがある。こういう家族を、機能がうまく作動していないという意味で「機能不全家族」という。その後、小学校に入ってしばらくの間、安心感の欠如は症状として表面には出てこない。この時期を潜伏期、潜在期、あるいは「ギャング・エイジ」とも言う。同世代の同性とグループを作って遊ぶ時期で、わりと安定していることが多い。ところが、思春期に入ると、情動の不安定性が噴出する。幼児期の「安心感の欠如」のツケがまわってくるのだ。

最後に、アメリカのエール大学精神科のリッズ教授が挙げる『健康家族の三大条件』について記載しておく。

  1. 夫婦間同盟 なにがなんでも妻を守ってあげる。
  2. 世代間境界の確立 祖父母に口出しさせない。
  3. 性別役割の明確化 父は男性モデル、母は女性モデルになる。

これには、特に3番に関して異を唱えたくなる人もいるだろう。あくまでも参考程度と割り切り、知っておいて損はしないと思う。

それから2について。子どもの責任は、成長して最終的には子ども自身がとるとしても、それまでの最終責任は親が担う。その最終責任を負うことのない人(祖父母や親せき)に余計な口出しをさせない、というのが「世代間境界の確立」である。

以上、かなり少ない分量の抜粋・要約であったが、この本に関してはこれで終わり。

2017年10月6日

全体的には治療者向けだが、自分自身、あるいは家族・友人が境界性人格障害という人も読む価値は充分にある! 『境界性人格障害のすべて』から (3)


今回は、SET(支持、共感、真実)のどれかが欠けた場合についてである。

支持が充分に伝わっていないと、BPDの人は、
「自分を心配していない」
「自分との関わり合いを避けている」
と言って、こちらを非難する反応を示す。
「私のことなんてどうでも良いのね!!」
と彼らが責める時は、たいてい「支持」がうまく伝わっていない。

共感がうまく伝わらないと、
「あなたには私の気持ちなど分からない」
と、自分の気持ちが理解されていないという感覚を引き起こす。そして、BPDの人たちは、「分かってもらえない」という理由を掲げて、コミュニケーション拒否を正当化する。

最後に、真実がうまく伝わらない場合であるが、さらに危険な状況が生じることになる。支持と共感だけが伝わってしまった場合、BPDの人たちは、相手の容認を自分にとって最も都合の良い形で解釈する。そして、自分にかかわる責任を相手が引き受けてくれると勘違いするか、そうでなければ、自分の考え方、感じ方が全面的に受け容れられ支持されていると誤解してしまう。まっすぐ向き合う姿勢での「真実」が伝わらないと、BPDの人たちは相手にしがみつこうとする態度をいつまでも続けてしまうことになる。

今回はここまで。

2017年10月5日

全体的には治療者向けだが、自分自身、あるいは家族・友人が境界性人格障害という人も読む価値は充分にある! 『境界性人格障害のすべて』から (2)


BPDの人とのコミュニケーションの取り方が「SET」として紹介されている。これはセント・ルイスにある病院で開発された方法で、

支持(Support)
共感(Empathy)
真実(Truth)

の、それぞれの頭文字を取ったものである。

まず、支持について。
これは「相手を気遣っている」という個人的な気持ちを表明することである。例えば、
「あなたがどんな気持ちなのか、私はとても心配しています」
「君が苦しんでいるのを心配している。愛しているから力になりたい」
といった感じである。ここで大切なのは話し手自身の気持ちで、心から力になりたいと思っていることを伝えること。

次に、共感について。
これは、相手の混乱した気持ちを受け止める姿勢を表すことである。決して同情と混同してはいけない。なかなか難しいのだが、本書に従うと、共感の良い表現は、
「どんなにつらいことでしょう」
「君はこれまで苦しんできたんだから、もう耐えきれなくなったんだろう」
「これ以上、先へ進んでいく気力をなくしてしまったんだね」
であり、逆に悪いのは、
「かわいそうに……」
「どんなにつらいか、よく分かります」
といったもの。支持と違い、あくまでも強調されるのは相手の気持ちであり、こちらの感情ではない。共感は非常に分かりにくいが、「相手の憤りや悲しみや混乱した気持ちを言葉にしてあげる」といったところだろうか。決して、こちらの感情を言葉にすることではない。

最後に、真実について。
これは、現実と言っても良い。
「あなたに関わる最終的な責任は、あなた自身にしかとれない」
このことを明確に伝え、
「こちら側に、どれほど力になろうとする気持ちがあっても、最終的な責任は、あなた以外の誰にも肩がわりすることはできない」
ということを表明する。支持がこちら側の気持ちを、共感が相手の気持ちを、それぞれ主観的に述べるのに対して、真実では、今の問題を認識させ、解決に向けて何がなされるべきかを述べることが主体となる。ただし、非難・叱責というかたちになるのは避けなくてはならない。例えば、「だからこういうことになったんだ」や「自分のまいた種なんだから……」といった言いかたは良くない。

今回はここまで。

2017年10月4日

全体的には治療者向けだが、自分自身、あるいは家族・友人が境界性人格障害という人も読む価値は充分にある! 『境界性人格障害のすべて』から (1)


境界性人格障害を、以下、疾患名の略語であるBPDと記す。

BPDに関する詳しい説明は本書を読むか、Wikipediaでも参照してもらうとして、ここでは、この本に書いてあったことで印象深かったことを記す。

BPDの人には、完璧主義者が多いが、逆に積み上げてきたものを一気に手放す傾向もある。それは、BPDの特徴である「理想化とこき下ろし」という態度と根底は同じである。本書の例え話で分かりやすかったのは、
足を痛めた人がそうするように、BPDの人たちは足を引きずって歩くことを学ばなくてはいけません。ベッドに横たわったままの状態では、筋肉が委縮して収斂してしまいますし、逆に運動が激しすぎれば、傷ついた足をいっそう悪化させてしまいます。そのかわりに、足を引きずりながら、体重をかけすぎないように痛めた足をいたわりながら、徐々に力をつけていかなくてはいけません。BPDの治療についてもそれと同じように、力のかけ方を配慮しながら前に向かっていく姿勢が大切です。
という部分。できるところまでは徹底的にやり、それができないのなら、すべて放棄する。その極端な思考を少しずつ変えていくことこそが大切なのだ。このことは別の例え話でもしてある。
自分につける成績に、「優」か、そうでなければ「不可」の、どちらかしか選ばないのです。(中略)配られたカードでプレーするのを嫌がるBPDの人たちは、毎回パスを宣言して掛け金を失いながら、いつかはエースが四枚揃うチャンスを待っています。確実な勝利が保証されなければ、配られた手札でプレーをしようとは考えません。状況が前向きに変わり始めるのは、上手にプレーすれば勝つこともできるのだと気がついて、自分の手札を受け入れられるようになったときなのです。

今回はここまで。

2017年10月3日

オッパイとドパミンと産後うつ

姪っ子に授乳していた妹が、

「オッパイを飲ませていると、なぜか分からないけれど、哀しい気持ちが襲ってきて涙が出てくる」

と言っていて妙に納得した。これから書くことは、大脳生理学的に正しいかどうかは不明だし、また仮説というわけでもなく、ただ俺が「納得した理由」である。

いきなり変な話になるが、統合失調症の治療にはドパミンを遮断する薬を使う。そしてこの薬の副作用に「乳汁漏出」というものがあり、男性でもオッパイが出てくることがある。

さて、お母さんから乳汁が出るためには、プロラクチンというホルモンが増える必要がある。そしてドパミンは、このプロラクチンの分泌を抑えている(正確にはもう少し複雑だが省略)。だから、薬でドパミンが遮断されたら乳汁漏出が起きるわけだ。そして、赤ちゃんにオッパイをあげる授乳期には、このドパミンが減少する。

ドパミンというのはうつ病にも関係していて、喜びとか満足感とか、そういったものを司っていると言われている。もの凄く単純化して言えば、統合失調症ではドパミンが出過ぎていて、うつ病やパーキンソン病では足りなくなっている。シンプルに、ドパミンとオッパイ、ドパミンと喜びの関係を大雑把に眺めてみると、授乳期にうつ病になる「産後うつ」というものが腑に落ちた。

もう少し広げて考えれば、もしかすると進化の過程では、「授乳で快感を得る」というのは不利だったのかもしれない。なるべく早く離乳させるほうが有利な気はする。

ただし、産後に全員がうつ病になるわけではないので、上記が全例で当てはまるわけでないことは言うまでもない。そもそも最初に書いたように仮説ですらない。

以上、まったくの与太話。

2017年10月2日

セカンドオピニオン、特に医師にとってのセカンドオピニオンについて

セカンドオピニオンについて思うところがあったので書いておく。

患者から「他医にセカンドオピニオンをもらいたい」と希望された場合、「はいはい」と安易には応じない。まず現行治療への疑問や不安をしっかり確認する。

診断や治療開始の時点で患者や家族の強い納得が必要という場合は、こちらから「セカンドオピニオンをもらいに行きませんか」と勧める。

「セカンドオピニオンをもらいに行く」という行動は、患者や家族にとって金銭的にも時間的にも精神的にも大なり小なり負担であるということを、「セカンドオピニオンをもらいに行きたい」と言われた医師は認識しておかないといけない。

セカンドオピニオンをもらいに行くことが、本当にその患者や家族のためになると思えば、ためらうことなく送り出す。デメリットのほうが大きそうなら、そう考える根拠も含めて説明し、現行治療や診断についての疑問や不安を解消することに努める。

ぶっちゃけた話、「セカンドオピニオンもらいに行きたい」と言われた時、まったく何も検討せず「どうぞどうぞー」とやるほうが主治医は楽である。

しかし本当は、どうしてセカンドオピニオンを求めたくなったのか、いまの診断や治療への不安や不満は何か、セカンドオピニオンをもらいに行くことのメリットとデメリットなどを語り合うほうが有意義なのだ。ただし、主治医はとても大変。

「診断や治療に自信がないからセカンドオピニオンに行かせたくないんだろう!!」

と考える人もいるが、実際にはその逆。自信があって、
「行っても、きっとここと同じことを言われるだけ。お金と時間のムダになる」
と思っているからこそ、説明して、場合によっては引き止める。自信がない時には、むしろこちらからセカンドオピニオンを勧めるくらいだ。

セカンドオピニオンを求められる医師にしても、
「この人、こんな遠くから来たけど、いまの主治医のもとで治療継続するんだろうから、あまり極端な変更もできないよなぁ」
など考えると思う。変更したからには自分のところで引き受ける覚悟のある医師もいるにはいるけれど、医師に覚悟があることと、患者のアクセシビリティが一致するとは限らない。

たとえば、田舎の病院から都会の病院へセカンドオピニオンをもらいに行き、セカンド医師が
「今後はわたしに任せなさい」
とすべて引き受けて診断や治療を変更して通院開始したとする。しかし、急に悪くなった時に頼れるのは、交通手段や時間の関係から元々の田舎病院ということも多々ある。そして、元主治医が治療の大幅変更とその悪影響を見て仰天する、ということもある。

逆に、自分がセカンドオピニオンを求められた場合、紹介状がしっかりしていて診断・治療にも同意であれば、
「良い先生にみてもらっていると思いますよ。信じて治療を続けましょう」
と答えるだろう。

もらった紹介状がずさん、でも診断・治療には同意という場合、
「今のところは大丈夫そうです。でも、もしまた今度何か疑問や不安なことがあったら、遠慮なくご相談に来てください」
くらいに言うだろう。

セカンドオピニオンを求められて、主治医の診断・治療に同意できない場合の対応がちょっと難しい。紹介状の中身が濃い薄いにもよるが、基本的には「うちに転医するかどうか」と「緊急・急変時にはどこに行くか」を確認して、「うちに転医、急変時もうち」ということなら少しずつ方針変更することになると思う。

最後に。

医師にとって、
「セカンドオピニオンをもらいに行きたい」
と言われた場合に大切なのは、それを「現行の診断や治療に関する不安や不満を聴きとるチャンス」ととらえること。

「診療情報提供書の発行マシーン」になり下がってはいけない。