2015年12月31日

あらすじとテーマは身につまされるが全体的に深みがない 『虚無』


3歳の娘を殺した男は統合失調症だった……。その男は無差別に12人を殺傷もしたのに、精神鑑定を受けて心神喪失で不起訴になった……。

同じく3歳の娘を持つ父としてはのっけからどえらい描写で読むのが苦しかった。そして統合失調症を治療する精神科医としても複雑な気持ちになった。

統合失調症と心神喪失、刑法39条を主題にしているのだが、多くの統合失調症の患者と実際に接したことがなければリアルに描くのは難しいのだろうと感じた。非専門家が読めばそれなりに真に迫っているように感じるものなのかもしれないが、専門家からすればちょっと違うよなぁという感覚がずっと続いた。

薬丸岳の小説には社会的テーマが含まれるのが良いところなのだが、本書は先にテーマを決めて、そこに付け焼刃でストーリーをくっつけたという感じで深みがないし、ミステリとしても先が読めてしまうしで、星は2つ半といったところ。

2015年12月30日

ジェフリー・ディヴァーの短編集 『クリスマス・プレゼント』


それぞれの短編において、最後の数行でこれまでの展開をガラッと引っくり返される、手品のような楽しさがある。分厚い本だが、短編が16作品も収められているので、時間が空いた時に一つずつ読んでいけばあっという間に終わる。Amazonレビューでいけば星4つかな。

2015年12月29日

篠田節子の短編集 『家鳴り』


篠田節子の7作品が入った短編集。

彼女の長編小説が好きで、特に初めて読んだ『仮想儀礼』には脳天が痺れるほどの興奮を味わった。短編集はどうかというと、決してつまらなくはないのだが、やはり長編小説で見せてくれる大胆な大風呂敷がなく、素っ気なさを感じてしまった。

2015年12月28日

人生の転機を迎える人の周囲が、その人のうつ病予防のためにできることとして知っておいて良いこと 『うつ病と頭の中の喪失感』

精神科医・中井久夫によると、ある棋士が引退した時、それまでに覚えた棋譜が頭の中でガラガラと音を立てて崩れ去る体験をしたそうだ。似たようなことが自身の受験体験にもあり、大学に合格した瞬間に微分積分が解けなくなった気がしたし、実際に問題を見ても頭が反応しなくなっていた。

こういうふうに、「不要なものが頭からなくなる感覚」というのは確かにある。

受験勉強で覚えたことが頭からなくなる程度のことですら、人によっては喪失感をおぼえるだろうし、もしかしたらその喪失感が大学生のいわゆる「五月病」の原因の一つなのかもしれない。

もう少し視野を広げてみると、引っ越しや定年退職といったことがうつ病の引き金になることがあるのも、新しい土地や次の人生に慣れないからということに加えて、この「不要になった知識が頭からなくなることによる喪失感」が関係しているのかもしれない。

この仮定が正しいとすれば(実際にある程度は正しいと思うが)、例えば仕事に関しては、隠居・引退する人に対して、後輩たちが「きっと何かトラブルがあるでしょうし、その際にはご相談に伺います」と声をかけて見送れば、立ち去る人に「知識を保つ意義」を与えることになり、「ガラガラと一気に崩れ去る喪失感」を体験させずに済むかもしれない。逆に、安心感を与えようとして「あとのことは心配いりません、任せておいてください」という声かけは、知識の崩壊を助長し、喪失感からうつ病へと至る危険性を高めるだろう。

「知識の崩壊と喪失感を防ぐ」
これは簡単なようで難しいが、きっと大切なことである。そのためにできることの一つとして、今の立場から大きく変わったところへ行く人に対して、「あなたの頭の中にあるソレが必要な時がくるかもしれませんから、大切に保管しておいてください」と声をかけてあげる。そしてこれは「頭の中の何かがガラガラと音を立てて崩れ去った後」ではダメで、あくまでもそうなる前でないといけない。

これは、人生の転機を迎える人の周囲が、その人のうつ病予防のためにできることとして知っておいて良いことではないだろうか。


棋士の体験については、本書の中にあった。

2015年12月25日

当院に、マタニティ・グリーフケアのチームを築きたい

統合失調症を患いながらも2児をもち、さらにもう一人欲しいと(特に姑が)希望して、減薬にトライして妊娠した女性が流産した。この時に発覚したのが、当院のマタニティ・グリーフケアの乏しさである(※1)。

彼女はいつも精神科の前に産科を受診していた。他科を受診している患者の場合、事前に他科カルテのほとんどに目を通すのだが、今回そこに「胎児心拍確認できず」「稽留流産」という文字があった。彼女を診察室に呼び入れる前に、どう声をかけたら良いものかしばらく思い悩んだ。結局、「寄り添うことしかできない」と半ばあきらめ、半ば覚悟して診察を始めた。

部屋に入ってきた彼女は、うつむいてはいたものの挨拶はしっかりできていた。席についたのを確認して、「産科のカルテは見ました」と声をかけた。彼女は下を向いたまま頷いた。俺自身、その後はしばらく言葉が出なかったが、ようやく「精神的につらいですよね」と言葉をかけた瞬間に、彼女は声を殺して、しかし激しく崩れるように泣きだした。何も声をかけることはせず、しばらくはそのまま泣いてもらった。

結局、“赤ちゃんのため”にという想いをこめて、
「いっぱい泣いてあげましょう」
と言うのが精一杯で、それ以上に何か言うのは自分も泣きそうだった。これはかなり感情的、感傷的な自分である。それと同時に、「グリーフケアとしてはこれで良い」という、そんな冷静な判断をしている自分もいた(※2)。

自分自身、いろいろな想いがよぎった。気持ちが安定しないためわりと薬が多めになっていた彼女が、姑の期待に応えるために減薬にトライし、そのせいで時どきイライラ感が出ながらも頑張って……、という姿を見てきたから。どう声をかけて良いか分からないまま、彼女は診察室で泣き続けた。

しばらくして、ようやく自分なりにかける言葉が見つかった。
「いまの状態で、家に帰って家族に報告するのはきついですね」
と尋ねると、ポロポロと涙をこぼしながら頷く。こういうケースでのケアは、産科の、特に助産師で得意な人がいると考えた。そこで流産と診断した産科医に電話して聞いてみたが、その日は「スタッフが少なく、外来が多い」ということであった。

自分の中では、流産・死産した女性へのケアも含めての産科だと思っていたので、この回答には正直ちょっと不満をおぼえた。
「なんだよ、赤ちゃんが死んじゃったら、もう産科には関係ないってことかよ。生きている赤ちゃんがお腹にいる妊婦を待たせないことが優先かよ」
みたいな。そうは言っても、産科の忙しさを考えると、現実的に死産・流産のグリーフケアにまでは対応不可能というのも理解できるし、責められない。

もちろん産科医に対しても他意はない(大学時代からの後輩でもあるし)。それどころか彼の彼女への対応は素晴らしくて、
「統合失調症の薬とは関係なく、全妊婦の15から20%は染色体異常などで自然流産してしまう」
と説明してくれていた。彼女のこころを正確には知りようがないが、自分が統合失調症であり薬を飲んでいることは、亡くなった胎児に対する罪悪感となっていたのではないだろうか。だから、産科医のかけてくれたこの言葉は、彼女のこころをいくばくか慰めたはずである。もしも、「統合失調症の薬が悪さをした可能性は低いけれどもゼロではない」ということをにおわす説明があれば、きっと彼女は自分自身を許せなくなる。

結局、精神科のK看護師にお願いすることにした。ゆっくりできる部屋が見つからず、病棟の面談室を貸し切りにした。俺と看護師とで彼女を部屋に案内して席に座らせると、K看護師は自然と彼女の隣に座った。こういうケアは女性同士のほうが良いと考えて部屋を出た。彼女は堪えに堪えていたのだろう。扉を閉めるとすぐに、悲痛な嗚咽が外にまで漏れ聞こえてきていたたまれなくなった。

彼女が帰宅した後、K看護師には、
「きつい仕事をお願いしてすいません」
と謝った。その看護師は、
「いいえ、大丈夫ですよ。実は私も死産したことがあって、その時には女性の産婦人科医が『いいのよ、ここで泣いても』と言ってくれて、エコー室をしばらく貸し切りにしてくれたんです」
とのことであった。

「私にも経験があるんだけれど」「流産はあなたのせいじゃない」「家族も分かってくれる」
そんな声かけをしたそうだが、それはその看護師の実体験に裏打ちされたからこそ通じた言葉であって、男の俺が言っても空々しいどころか有害ですらあるだろう。では、男性の精神科医として、どういう声かけが正解だったのかというとそれは分からない。ただ、少なくとも「流産はあなたのせいじゃない」「家族も分かってくれる」というのは不正解だろう。お前に何が分かる、と怒られて当然である。分からないものを分かったふりして慰められるほど腹立たしいことはない。

自分に何ができるか。敢えて表現するなら、お地蔵さんみたいな存在になるしかない。無力なお地蔵さんには、目の前で泣いている人を見つめるしかできないし、手を差し伸べるどころか表情すら変えられない。それでもきっと、お地蔵さんに涙を打ち明けることで救われる人がいる。だから、こういうケースの時には、次からもお地蔵さんになろうと思う。

ただ、もっとグリーフケアを充実させられないかと考えて、その翌日に産科の医師と立ち話だけれども話し合いをした。問題点はたった二つ。
1.人の確保
2.部屋の確保
言葉にすればこれだけなのに、壁は高く厚い。

部屋の理想は、ベッドがあること。ベッドがムリなら、かなりくつろげるソファがあること。ケア担当者の理想は言い出せばキリがないが、やはり女性が良いだろう。今回はたまたまK看護師が死産経験者だったが、担当者自身の流産・死産を条件にすることはおかしいし、現実的でもない。とはいえ、そういう経験のある人のほうがグリーフケアに強く興味を持つだろう。それから精神科医としては、「隣でそっともらい泣きしてしまう人」をメンバーにしたい。「隣で」「そっと」「もらい泣き」という3つの条件が大事である(※3)。

チームの全面指揮は、自分の能力的に足りず、キャラ的にも合わないので、まずはチームを立ち上げるところを目標にしたい。具体的には、産科と精神科から看護師を2名ずつと、精神科から心理士を1名。それから、他職種でも有志を募る。精神科医と産科医はリーダーというより、上層部との交渉やチームのバックアップをするための顧問として活動する(産科医はリーダーをやれそうだが)。

また、自分がずっとこの病院に留まるわけではないので、無理なく続けられることが最低条件である。現時点での自分たちの人数や能力、モチベーション、勤務体系をもとに「最大限の理想形」を目指して、場合によっては完成させて、「あとはヨロシク」と立ち去るのでは無責任すぎる。

田舎の総合病院なので、マタニティ・グリーフケアのチームができたとしても、メンバーがケア専従になることはあり得ない。通常業務にプラスして、臨時・緊急の仕事と役割が求められる。恐らく、相応の手当てがつく可能性も低い。だから、モチベーション維持とインセンティブも課題だ。

「命をあずかる医療従事者なのだから、文句言わずにやれ」
という人は最近は減ったと思いたいが、これは例えるなら、
「マラソン選手なのだから、42キロ走った後も、文句言わずにあと20キロ走れ」
と言うようなものである。無理は崩壊につながる。まずはゼロを1にする。そこから1を10や20に上げることは考えず、1を維持する。

モチベーション維持やインセンティブに関しては、上層部との交渉で研修費を出してもらうことができないかと考えている。凄い赤字らしいので快くオーケーはされないと思うが、ここでグリーフケアをやっていることの評判が、都会に流れがちな患者を地域につなぎとめて、結果として利益になるのではないかと期待したいし、そういうふうに説明・説得するだろう。

現在、少しずつ進めているところで、今年度末あたりにここで良い報告ができるよう尽力したい。


※1 マタニティ・グリーフケアとは、残念ながらも流産・死産・人工死産・新生児死という結果になった際にお母さんの精神的なケアをするものである。

※2 これは今ふり返ると、自分自身の気持ちを崩れ落ちさせないようにするための「こころの防衛」といった面があるかもしれない。

※3 時どき本人や家族より先に泣き出したり、時には取り乱したりする医療者がいるらしい。さすがに取り乱す人は見たことがないが、研修医時代には女医が家族より先に泣きだしてしまった場面に出くわしたことがある。

2015年12月24日

B級映画を観終わった後のような感覚 『ナチの亡霊‏』


戦闘訓練を受けたアメリカの科学者チーム『シグマ・フォース』の活躍を描いたシリーズ第2作。1作目は『インディ・ジョーンズ』と『ダ・ヴィンチ・コード』と『ミッション・インポッシブル』を足して3で割って、少し割引きしたくらいの内容で、映画にするならB級というクオリティだった。

本作もやはり内容的には似たようなものだが、クオリティ的には前作よりは少し上がっていた。ただし、科学史的(「科学的に」ではなく)に明らかな間違いがあり、それがまた物語の核心に近い部分だったので、「あれ?」という違和感があった。

アクションと科学・歴史っぽいものの融合した小説を読んでみたい人には良いかもしれない。

2015年12月22日

とにかく冬に読め! 名作『北壁の死闘』


邦訳の初版が1987年と古いが、舞台が第二次大戦中のドイツやスイスであるため、古くささはない。というより、むしろ名作。

本書は山岳冒険小説というジャンルに入ると思う。そして、山岳小説を読む時の鉄則。

とにかく冬に読め。

それもちょっと肌寒いくらいの場所で読めるなら、そのほうが良い。そうすると、高所で寒さと戦っている登場人物と一体化しやすく、自分まで山の中にいるような気持ちになれる。

戦争に翻弄されながらも山と戦った男たちと一人の女性の物語。読めばきっと胸が熱くなるはずだ。

2015年12月21日

サラッと読んで、どこかで活きる 『野村の流儀 人生の教えとなる257の言葉』


野村克也は監督時代、試合をやっている間に終了後のインタビューでどんなことを話すかコピーライターのように考えていたというから感心する。彼の発言がマスコミに取り上げられるためには、どういう風に言えば良いかと作戦を練るのだ。そこにはもちろん選手の名前が出てくる。田中将大を評した「マー君、神の子、不思議な子」はまさにキャッチーで、あまりプロ野球に興味のない俺でも覚えているくらいである。そうやってテレビや新聞で自分の名前が出た選手はモチベーションが上がる。野村克也にとっては、試合後のインタビューすら、チーム指揮の一環なのだ。

普段はプロ野球も高校野球も見ないが、ピッチャーとバッターの駆け引き、サヨナラのかかった打席での選手心理、プロ選手の心構えや監督のチーム運営といったものには興味があって、時々データに見入ったり、野球がらみの本を読んだりする。それらは実は精神科での臨床や治療の考え方にもけっこう役立つ。

プロ野球の歴代監督の中でも野村克也には以前から関心があった。試合後のインタビューでの言葉選びが面白かったし、あちこちで見聞する監督の名言も良かったからだ。ただし、本書の著者は野村克也となってはいるが、実際には彼の言葉を集めたものである。

たまにはこういう本をサラッと読むのも良いものだ。

2015年12月18日

精神科の診断と老いについて

精神科の診断について、色のスペクトラムを用いて自分の考えを説明したことがある。

精神科の診断

これは今でも概ね間違っていないと思っているが、先日、改めてスペクトラムの画像を検索しながら非常に興味深いものを見つけた。
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統合失調症、躁うつ病、強迫性障害、人格障害、発達障害など、精神科にはさまざまな病気がある。それはこの画像で言えば、円の外側のスペクトラムで表される。そして、健常人であれ精神障害者であれ、人間は歳を重ねるごとに円の中心部へと向かっていく。そうするとどうなるか。

画像を見て分かるように、中心部に行けば行くほど混沌となる。色の境目がなくなり、元が何色だったか分からなくなる。極端な例は「認知症が進んだ人」で、その人が昔は統合失調症だったのか、それとも躁うつ病だったのか、発達障害だったのか、もはやそういうことは治療するうえで大きな意味は持たなくなる。安らかな老後のために医療は何を提供できるか、ということが主眼になる。

大御所の精神科医の本には、統合失調症は歳をとると病勢が弱まる、といったことが書いてある。症状そのものが軽くなるということも確かにあるだろうが、この図で示されるように、健常人も他の病気の人も年老いてみんな中心部に集まるので、それぞれに特徴的な症状が「目立たなくなる」ということかもしれない。

精神疾患は、社会や人とのつながりが強くて濃い人ほど症状が目立つ。子どもが巣立ち、友人知人との交流が減っていき、配偶者に先立たれ……、そうするうちに症状が目立たなくなっていくのではなかろうか。逆に、それまで健常人として生きてきた人も、この段階に至れば時に古くからの精神科患者のように見えることもある。

人は歳を重ねて赤ん坊に戻っていくと言われる。できていたことができなくなり、分かっていたことが分からなくなる。個々の赤ん坊にほとんど差がないのと同じように、老人になるということは、それまでにできたいろいろな差、知能的、体力的、社会的な違いが埋まっていく過程なのかもしれない。そしてそれは、厄介ながらも愛おしい「心」というものを持ったヒトにとって、きっと幸せなことなのだろう。

2015年12月17日

この面白さは読んでみないと分からない。Amazonの紹介文や文庫本の裏の筋書きを読んでも、これがもの凄く面白い本だということには気づけないはずだ。井上ひさしのユーモラスな昔話 『新釈 遠野物語』


この本を買ったのは、井上ひさしの『腹鼓記』(Kindle版)が非常に面白かったからだ。『腹鼓記』はタヌキとキツネの化かし合いをユーモラスに描いたもので、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』に通じるところがあって、この映画が好きな人なら『腹鼓記』も気に入ると思う。

話がそれたが、本書はタイトルからも分かるように柳田国男『遠野物語』のパロディであるが、本家を読んだことがなくてもまったく問題にならないくらいできが良い。実際に俺も本家は読んだことがないが、始まりからグイグイと引き込まれて、あっという間に読み終えてしまった。

主人公は大学生で、学費が払えないのと勉強がつまらないのとで休学して実家に戻る。たまたまアルバイト先の近くの山に住む老人と知り合い、その老人がこれまでに体験してきた不思議な出来事の数々を聞いていく。こういう大枠は平凡なのだが、老人の語る奇想天外な話がそれぞれすごく面白い。

この面白さは読んでみないと分からない。Amazonの紹介文や文庫本の裏の筋書きを読んでも、これがもの凄く面白い本だということには気づけないはずだ。

この本で井上ひさしの評価が確定して、他にも数冊買うことにした。

2015年12月15日

バカバカしいものから、しんみりとするものまである梶尾真治の短編集 『恐竜ラウレンティスの幻視』

恐竜ラウレンティスの幻視 

8つの短編が収めてある。バカバカしいものから、しんみりとするものまである。梶尾真治といえばSFだが、本書にはまったくSFと関係のない話もいくつかある。

エマノン・シリーズをはじめとして、梶尾真治の本を数冊読んで思うのが、この作家は「人と人との出会いと別れ」を描くのが上手いということ。ありきたりな表現であるが、「切ない別れ」の演出が巧みなのだ。

本書で言えば、最後の短編『時尼(ジニイ)に関する覚え書』はSFと恋愛、ミステリのような謎が絶妙にブレンドされていて、非常に好きな作品だった。

2015年12月14日

赤ん坊はなぜかわいい?―ベイビー・ウォッチング12か月

赤ん坊はなぜかわいい?―ベイビー・ウォッチング12か月

人が生まれる少し前から一人で立つ頃までの12か月を大雑把に「赤ん坊」と定義して、赤ん坊にまつわる素朴な「なぜ?」を58コ集めて回答した本。著者が独自の意見を述べているわけではなく、各分野の研究結果を一般向けに分かりやすく解説している、のだと思う。というのも、巻末に参考資料が明記されていないので、実際にどういう資料を見ての解説なのかよく分からないのだ。

 一次資料や参考文献が明記してあるからといって、それだけでその本が科学的で信用できるものであるという根拠にはならないが、少なくともこういう類いの本では資料を載せるべきだと思う。翻訳書の場合、原著には資料が明記してあっても、翻訳家や出版社の判断で省略されていることがあるが、非常にマズイ判断である。本書がどうなのかは分からないが……。

明らかに著者自身の意見で、かつ凄く同意できる部分があった。それは母性、父性に欠ける人がいるということ。著者は、そういう人は何らかのトラウマを負っていて、本来持っているはずの感情がなにかの形で損なわれているのだろうと解説する。そしてこう結ぶ。
酷なことを言うようだが、赤ん坊をかわいいとはまったく思えないなら、子供はつくらぬほうがいい。
ちなみに原題は『Babywatching』である。「赤ちゃん観察」といったところか。子育てしながら読むと、面白いですよ。

2015年12月11日

ペットボトルの水に「ありがとう」とか「ばかやろう」とか、声をかけたり張り紙をしたりすることで味が変わるのは科学的か? 『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』

ペットボトルの水に「ありがとう」とか「ばかやろう」とか、声をかけたり張り紙をしたりすることで味が変わる。

そんな話を聞いたことがないだろうか。これの延長線上の話として、二つの瓶にご飯を入れて、それぞれに「ありがとう」「バカ」と張り紙をしておくと、「バカ」の張り紙をされた瓶のご飯のほうが早くカビる、というものがある。

ある小学校で、教師がこの話をしたところ、男子児童が「バカの瓶にはツバがかかったんじゃないの?」と発言した。この子どもなりの着眼点と指摘は教師から黙殺されたうえ、その授業を見学していた別の教師から「関係ない話をするんじゃない!」と叱られたそうだ。

水にしろ、ご飯にしろ、荒唐無稽でバカげた話ではあるが、これを大まじめに信じ切っている人たちがいる。

 
さて、科学的であるとはどういうことか。メディアに踊らされることなく、科学とエセ科学をきちんと見分けて吟味するための知識はどうすれば得られるのか。本書は日本人にとって身近な健康や食品を中心に論を進めてあり、メディア・リテラシーを身につけるための、とっかかりやすい最初の一歩としてお勧めである。身近で言えば、妻や同僚の奥さんたちに読んでみて欲しい一冊。

2015年12月10日

ジョークから得るリーダー論 「善意のネガティブ」に目を光らせろ!

二人乗りの自転車でゆるやかな坂を登る男性たち。ようやく頂上にたどり着き、前に座った男が言う。
「見かけは楽そうだったのに、けっこうキツい坂だったな」
後ろの男が答える。
「あぁ、まったくだ。俺がずっとブレーキをかけていなかったら、下に落ちていただろう」

これは俺の好きなジョークの一つで、医療現場にも通じるところがある。

後ろの男はマヌケだが、決して悪意があるわけではない。医療の場でも、誰かの善意による行動がネガティブに作用していて、しかも前方でリードする者がそのことに気づいていない、ということがあるのだ。

リーダーにとっては、たまに後ろを振り返ることも大切な仕事の一つであり、「善意によるネガティブ」がないかにも目を光らせる必要があるということだ。

2015年12月9日

未来のためにやるべきこと、やめるべきこと、できること、できないこと 『百年の愚行』


この100年で人類が犯した愚行の数々を、これでもかとばかりに見せつけられる。つい先日読み終えた『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』では、時代背景や撮影エピソードがそこそこの分量で付記されていたが、本書では短いキャプションのみ。だからこそ、写真そのもののインパクトが高まる。

「愚行」と銘打ってあるだけにショッキングな写真が多い。特に幼い子を持つ父親として、胸が痛くなる写真も何枚かあった。この愚行を止めるために、繰り返さないために、何をすべきで、何ができて、何ができないだろうか。そういうことをしみじみと考えさせられる一冊。

2015年12月8日

病棟スタッフを耕す 「笑い」を処方するということ

精神科において、「病棟を耕す」という表現を最初に用いたのが、どの大御所先生かは分からないが、「病棟スタッフを耕す」という表現を日本で最初に使うのは、きっと俺が初めてだ。

この病院に赴任した6年前、最初に感じたのが病棟スタッフの緊張感ある雰囲気だった。これは良く言えば「引き締まった」、悪く言えば「ピリピリしている」。最大の理由は、俺が敬慕し続ける指導医Y先生が放つ空気感だったと思う。そしてその雰囲気は、俺が理想とするものとは少し違っていた。まだ駆け出しのペーペーだった俺が、指導医の創りあげた病棟を見てこんな感想を抱くのは身の程知らずも良いところだが、とにかく俺は病棟を自分の理想に近づけたいと思った。そんなに小難しい理想ではなかった。ただただ、もっと「笑い」のある病棟にしたかったのだ。

それから3年間、Y先生のもとで学びながら、地道に「病棟スタッフを耕す」ということを意識した。といっても、これもまた難しいことは考えていない。ただジョーク、ジョーク、とにかくジョーク。病棟で、飲み会で、休憩室で。医師のジョークでスタッフが笑う。スタッフの笑顔は患者に伝わる。ある患者が笑えば、別の患者が笑う。笑顔の連鎖が病棟全体を柔らかくする。きっとそうなるはずだ。

Y先生が去られて「独り医長」になり、一気に40人の入院患者を受け持つようになった時、
「自分が耕してきたところに種をまいて花を咲かせるのは今だ!」
そう考えた。とはいえ、やはり大したことはない。日中だけでなく、毎朝のミーティングでもスタッフの笑いを引き出すよう心がけただけだ。

表情というのは不思議なもので、本物の笑顔ではなく「笑顔っぽい顔」をつくるだけで気持ちが少し明るくなり、「しかめ面のような顔」をするだけで気分まで悪くなる。これは多くの科学的研究で確かめられている。また、人は無意識に相手の表情のマネをすることも分かっている。ということは、医師が朝のミーティングに笑顔を持ち込むか、しかめ面を持ち込むかで、スタッフの表情に影響が出て、それはそのまま患者の表情になるということだ。

だから、毎朝、笑いを処方する。

ちなみに。

「笑われる」のではなく「笑わせる」。

こんなこだわりは芸人だけが持てば良いと思っている。誰かが笑顔になるのなら、笑わせるでも笑われるでもどっちでも良いじゃないか。この境地に達したオッサンならではの精神医療が、うちの病棟の持ち味である(今のところ)。

こうして書いてみると、俺にとって「病棟スタッフを耕す」というのは、つまるところ「笑い」を大切にするというだけの簡単な話であった……。でもまぁ、日本で最初に「病棟スタッフを耕す」を使ったのは俺だからね!!


<関連>
精神科診療における笑いについて

長女サクラの成長!?

昨日の朝、長女サクラがパンを食べながら、
「あのね、ママがパパのこと大好きなんだって」
と言うので、おかしくて、
「へぇ、そうなんだ」
と笑顔で答えると、
「ママね、パパに玄関でいってらっしゃいしたいって、言ってたよ」
なんてことまで言う。

ちなみにその時間、妻は前日の日曜日にあった幼稚園のお楽しみ会と、その後のあれこれの疲れ(よその子を4時間くらい預かったり)から、まだお布団の中だったんだけどね(笑)

あと2ヶ月ちょっとで4歳になるサクラ。ある本には、4歳くらいから「他人の気持ちが分かるようになる」というようなことが書いてあった。相手の気持ちをただ感じるのではなく、具体的に分かる、ということだろう。そして「ママがパパのこと大好きなんだって」と教えてくれたのは、その第一歩みたいなものなのかもしれない。

2015年12月7日

時間にまつわる文化の違いへの入門書 『あなたはどれだけ待てますか - せっかち文化とのんびり文化の徹底比較』

世界には、今でも「時計時間」ではなく、「出来事時間」で生活がまわっている地域・文化がある。例えば、牛を畑に連れて行って働かせる。その牛が疲れて水を飲みたがる時間はだいたい同じなので、待ち合わせの時間を「牛が水を飲みに行くころ」といった風に設定するのだ。それより細かい設定は、「飲みに行く前」「飲んでいる間」「飲み終わり頃」となるが、いずれにしろかなりアバウトで、1時間や2時間のずれは当たり前。こういう生活もたまには良いかもしれないが、多くの日本人にとって長期間はもたないだろう。

こういった時間の流れ、時間のとらえ方、時間にまつわる作法やマナーなどは、国によっては日本と大きく違う。例えば、約束をして時間通りに来ることがマナー違反になる国もあり、ならば遅刻せずに早めに来るのが良いかというとそういうわけでもなく、少し遅れるくらいがちょうど良いそうだ。

この「時間」、単位できちんと測定できるようになったのが300年ほど前のことである。最初期の機械時計は14世紀頃にヨーロッパで作られたが、それには針も時刻表示もなかった。現在の時間を知るためではなく、定められた「祈りの時刻」に鐘を鳴らすためだけに生み出されたのだ。16世紀末になってガリレオが振り子の働きを発見し、17世紀半ばに振り子時計が開発された。


そうした「時間」に関する本書の著者はアメリカの大学教授で、一年間の休暇をブラジルで過ごすうちに「時間」と「文化」というものに惹きつけられ、それを研究の専門分野にすることになった。本書は「時間」にまつわる地域・文化の違いを研究したものを、一般向けに分かりやすく解説してある。学術的な言葉はほとんどないが、学問の世界への入門書(それも所々のジョークが面白い入門書)といった趣きがある。

残念なのは『あなたはどれだけ待てますか せっかち文化とのんびり文化の徹底比較』という邦題。いまひとつ興味を抱かせないヤボなタイトルである。絶版になってしまった原因はこのあたりにもありそうな気がする……。原題は『A GEOGRAPHY OF TIME』といたってシンプル。Geographyとは「地理学」のことで、そのまま訳せば「時間の地理学」といったところだろうか。

2015年12月4日

「一般教養としてギリシャ神話に軽く触れておきたい」という人にはうってつけ 『私のギリシャ神話』


阿刀田高によるギリシャ神話の軽い解説エッセイ。同じく阿刀田の『ギリシア神話を知っていますか』を、もう少しシンプルにして、カラーの絵や写真を盛り込んだ感じ。

研修医時代に1ヶ月ほど師事した精神科の先輩がギリシャ神話に関する本を愛読しており、その先輩が、
「精神科のエッセンスはすべてギリシャ神話に詰まっている」
と言っていた。それよりずっと以前に上記の『ギリシア神話を知っていますか?』は読んだことがあったので、その時には「そんなものかなぁ」という感想で終わった。

自ら精神科医となり、当時のことを思い出して、改めて『ギリシア神話を知っていますか?』を読み、それからまた数年して本書を読んでみて、やっぱり感想は「そんなものかなぁ」というものである。本書は面白いし、ギリシャ神話も興味深いのだが、俺くらいの洞察ではギリシャ神話から精神科のエッセンスのすべてを抽出することは困難であった。

「一般教養としてギリシャ神話に軽く触れておきたい」という人にはうってつけの本である。

<関連>
ギリシャ神話を知っていますか(ブログ内レビュー)
インセプション

2015年12月3日

看護師が自分の悪口を言っている場に出くわしたら……

病棟である看護師が同僚先生の悪口を言っていたら、なんとすぐ後ろに立っていたらしい。周りの看護師は青ざめた。これは気まずい。言った方も言われた方も居心地悪い。周囲の看護師らもいたたまれない。結局、そこで互いにフォローすることなく、散り散りになったらしい。この報告をクラークさんから聞きながら、俺ならこうするなと考えた方法がある。

その看護師の首を後ろからしめるのだ。もちろん本気ではなく、北野たけしみたいな感じにおどけながら。
そうやって一旦は本人と周りの緊張を緩和させておいて、
「大切な話だと思うので、改めて話し合ってみますか」
と持ちかける。

こういうのは、日頃からのキャラ作り(!)やコミュニケーションのあり方で各人に合ったやり方があるはずだが、とりあえずわずかでも笑いを生み出せれば、あとはどうにかなる。このブログで紹介した固有反射心理学の応用みたいなものだ。大切かつ難しいのは、どうやって緊張緩和と少しの笑いに持ちこむか。これは日ごろから意識することで、感覚と腕とを少しずつ磨くしかない。

魅力的なキャラたちが大暴れ! 『荒野に獣慟哭す』


もともと新書5冊分であったものを1冊の新書にまとめた、1000ページ近くあるかなり分厚い本。腕の疲れとしては、辞書を読むような感覚である。

夢枕獏は独特な息遣いのある文章を書く人だが、本作では中盤から後半にかけては、わりと普通の小説の文体に近くなっている。著者がのっているからなのか、その逆なのか……?

伝奇アクション・バイオレンスであり、グロテスクな描写も多々あるので苦手な人は避けるが吉。
御門周平は大脳病理学研究所所長の川畑総一郎の助手だったが、自ら志願してニューギニアの奇病ウィルス独覚菌を、脳に植えつけられた。ために超人的な肉体と格闘能力の保持者となる。その代わり記憶を失い、何者かに襲われる。川畑と手を組んだ土方重工業は、兵器産業にも手を染め、戸籍上死んでいる自衛隊の幽霊部隊ゾンビストを組織し、彼らに独覚菌を接種して獣化兵と呼ばれる獣人たちを造りだした。獣化兵は牛、虎、鳥などの姿を体現している。御門を襲ったのは、彼らだったのだ……。

2015年12月2日

ボディ・ランゲージに関するライトな専門書 『本音は顔に書いてある』


人が情報を伝える時、言葉そのものが果たす役割は全体のわずか7%に過ぎず、声の調子やイントネーション、声以外の音が38%、言葉以外の表情や態度が55%もの割合を占めているらしい。

本書はいわゆるボディ・ランゲージに関するライトな読み物である。情報伝達において役割の55%を占めるという表情や態度に関して、参考になる話がわりと多い。ただし、すべてを完全に真に受けるのは問題だろう。というのも、お国柄、国民性というものもあるからだ。

本書の中から精神科臨床に役立ちそうな話を一つだけ紹介。

ノースカロライナ大学の心理学教授が行なった実験で、うつ病の初期症状を示している人を二つのグループに分けた。それぞれにコメディ映画とそうでない映画を3週間にわたって観てもらったところ、コメディグループのほうは明らかに症状が改善した。また同教授は潰瘍患者がそうでない人に比べて眉をひそめる表情が多いことにも気がついた。

これは以前に紹介した固有反射心理学に通じる話だ。固有反射心理学の研究で分かっているのは、気分とは無関係に意図的に笑顔を作るだけで、脳が刺激を受け幸せな気持ちになるということだ。これを精神科に応用するなら、例えば精神科の作業療法の一環として映画鑑賞があるが、患者の精神衛生を改善させるにはどういう映画が良いかの参考にできそうだ。

本書はタイトルからすると表情に関する本のように見えるが、原題は、『The Definitive Book of BODY LANGUAGE』であり、表情以外にもたくさん記述してある、というより表情に関する記載はごく一部である。目次から抜き書きして紹介してみると、

・手のひらと握手で相手を支配する
・笑いという魔法
・腕が発するシグナル
・手と指に注目
・嘘は手と顔に出る
・本音は脚に聞け
・なわばり感覚とパーソナルスペース
・動きをまねれば心が通う
・タバコ、メガネ、メーク - 雄弁な小道具たち
・高さと地位の微妙な関係
・仕事に役立つボディランゲージ

興味がある人は読んでみると良い。量は多くないしイラストもたくさん使われているので簡単に読み終えることができる。ちなみに著者は、一時期有名になった『話を聞かない男、地図が読めない女』を書いた人である。

2015年12月1日

トリックの連続に警察も読者も翻弄される 『魔術師』


脊髄損傷によって、首から上と左手の薬指しか動かせなくなってしまった天才犯罪学者リンカーン・ライムを主人公にしたシリーズ。小説の中では美形の白人男性という設定だが、映画の影響で俺の脳内変換ではずっとデンゼル・ワシントンになっている。

著者のジェフリー・ディーバーは弁護士で、これまでのライム・シリーズの多くが社会問題を扱っていた。しかし、本作はひたすら手品やイリュージョンに関する雑学と、それらを駆使したトリックに終始している。普通のミステリ小説としてストーリーを追いかける分には、最高級と言って良い面白さだが、社会問題への切り込みがなかったぶん物足りなかったことは否定できない。

シリーズ初期と比べて翻訳もだんだん巧みになっている。そりゃそうだ、プロだって成長し続けるのだから。もちろん、精神科医も成長する、しなければいけない。そんな変なところでプロ意識を刺激された一冊。

2015年11月30日

子育て中の人たちに勧めたい! 毎日の子育てが少しだけ軽く楽しくなる本 『子どもの心のコーチング』

親の気持ちは、自分が親にならないと分からない。「親」というのは、親になって初めて体験することだからだ。では、子どもの気持ちはどうか。誰にだって子ども時代があるのだから、子どもの気持ちなんて分かりそうな気もするが、それは間違っている。「その子」の気持ちは、その子にならないと分からないものである。子どもの頃の自分と、いま現在「子ども」として生きている彼・彼女は別人なのだ。

数週間前、長女サクラのこだわりや癇癪、こちらの言うことをきかないといったことに頭を悩ませた時期があった。そこで、ものは試しとばかりにネットで評判の良い本を2冊買ってみた。


子どもの心のコーチング―一人で考え、一人でできる子の育て方

分量はそう多くないので、その気になればあっという間に読み終える。書いてあったことを帰宅してサクラに試してみたところ、すんなりと言うこときいてくれた。

あらら、簡単。

他の類似の本と比べて特別なことが書いてあるわけではない。むしろ育児の本ならどこにでも書いてありそうなことだ。それなのに、読むと「やってみよう」と思わせられる。『子どもの心のコーチング』というタイトルだが、実は親である自分がコーチングを受けたのだということに気づく。

本書の最後に、作者不詳の「ひび割れ壺の物語」というのが紹介されていた。それをかなりざっと俺なりの物語に換えて記す。
昔々、あるところに「ひび割れた壺」がいました。

ひび割れ壺の持ち主は、ひびについて不平を言うことはありませんでしたが、それでもひび割れ壺はこころを悩ませていました。というのも、持ち主が川で水をたっぷり入れても、家に帰るまでに少しずつこぼれてしまい、帰宅したころには水が半分に減っていたからです。そのせいで、持ち主は他の人の二倍、川まで往復しなければなりませんでした。

ある日のこと、ひび割れ壺は持ち主に「ごめんなさい」と謝りました。
「どうして謝るんだい?」
「それは、私のせいで、あなたが人より多く歩かなくてはならないからです」
「なーんだ、そういうことか」
持ち主は笑って、家の中に飾られた花々を指さしました。
「川から家までの間に、君がこぼしてくれた水のおかげで咲いた花たちだよ。君が水をこぼさなかったら、僕はこうして花を飾ることができなかっただろうね」
俺にもひびがある。妻にもひびがある。長女サクラにも、次女ユウにもひびがある。誰にだってひびがあるはずだ。そして、そのひびのおかげで咲く花があることに気づければ、子育てだけでなく、人間関係全般がきっともっと楽になる。

さて、もう一冊。

こちらも人気はあるのだが、『子どもの心のコーチング』よりは分量がやや多い。読んでみて、今日から実践してみようかと思うでもなく、全体として「親であることの心構え」の授業を受けたという感じ。時間の余裕のある親、意識の高い親、あるいは悩みの深い親に向いているのかなぁ、なんてことを考えた。

お勧めは断然、『子どもの心のコーチング』である。

2015年11月27日

同僚先生が入院患者の家族から金をもらってしまった……

同僚先生が入院患者の家族から金をもらってしまった……。断りきれなかった金をどうしたら良いか困り、机の引き出しに入れている、ということを外来クラークに漏らしたそうだ。

入院患者の家族から金をもらうのは、規則違反という以前に、治療に影響を及ぼすという意味で禁忌、悪手である。医師の考えや治療方針が、いくらかの金をもらったところで影響を受けることはない。少なくとも自分はそうだ。ただ、金を渡して受け取ってもらえた家族がどう考えるかはまったく別問題である。金を受け取ることで、「もっと長く入院させてもらえる」など家族に要らぬ期待を持たせることもありうる。

「金は受け取ったが、どうして良いか分からずに机の引き出しに入れており、決して私腹を肥やしたわけではない」というのは、あくまでも受け取った側の言い分であり、差し出した側には、そんなことは一切分からないし通じないのだ。

今日にでも、「まずは絶対に受け取らないよう、そして引き出しの金はすぐにでも返すよう」指導しなければいけないのだが、臨床経験が俺と1年しか違わないのに、そんなことまで教えなければいけないのかと思うと暗澹たる気持ちになる。

実は、俺も金を受け取ったことがある。

幻覚妄想で大暴れして精神科に入院した高齢男性が退院し、その後に身体状態が悪くなって内科に入院して末期となり、奥さんが挨拶に来てお礼を渡してくださった。固辞したが、白衣のポケットにねじ込んで走り去られてしまった。

その後まもなく男性は亡くなった。もらった金は、
「精神科に入院していたAさんの奥さんからいただきました」
と報告した後、病棟の飲み会の幹事に渡して軍資金となった。

この場合、男性は精神科に入院しているわけではなく、また身体的に末期であり、もう二度と精神科病棟への入院はないだろうと思ったことと、ダッシュで立ち去る奥さんを追いかけてまで感謝の気持ちのあらわれである金を突き返すことに抵抗があったのとで、ありがたく受け取ることにした。

これに対して、外来患者からのお菓子やジュースの差し入れ(毎回のようにポケットティッシュを一つくれる人もいる)は、一切の拒否なく受け取ることにしている。それは、そのほうが互いに気持ちが良いと思うからだ。ただし、入院患者の家族からの差し入れは、どんなものであれ一切お断りしている。

なぜ入院患者の家族からの金員や差し入れを受け取らないのか、なぜ外来患者からの差し入れは受けとるのか。そういうことを日ごろから自分なりに突き詰めて考えるということをしておかないから、「断れずに受け取ったが、財布には入れられないから引き出しに」という事態になってしまうのだろう。

診断基準や治療マニュアルにはめっぽう詳しい同僚先生だが、そうした基準やマニュアルと同じくらい、臨床における種々のことに対する自分なりの基準やマニュアルを持つ、そのために日々考えるということの大切さを伝えなければいけない。

でもこれも、敢えて指導すべきものかと考えると暗澹とした気持ちに……。

2015年11月26日

長女サクラのお気に入り物語 『おきゃくさんはオバケ』

最近の長女サクラのお気に入りは、歯磨きを終えて布団に入ってからの寝物語だ。
「パパー! むかしむかし、して!」
サクラの合図で、物語が始まる……。



「むかーし、むかし、あるところに、パパと、ママと、サクラちゃんと、ユウちゃんが住んでいました」

そう、この物語は我が家を舞台にした、アドリブ豊富なオリジナル劇なのである。

ある日、パパとママはお買い物に行くことになりました。サクラちゃんとユウちゃんはお留守番です。パパとママは言いました。

「サクラちゃん、ユウちゃん。お客さんが来ても、絶対に玄関を開けちゃいけませんよ」

「はーい」

二人は元気に返事をしました。パパとママが出かけた後、サクラちゃんとユウちゃんはお馬さん(のオモチャ)に乗ったり、ソファでピョンピョン飛んだり、おままごとをしたりして遊んでいました。すると……、

ピンポーン。

あれ? 誰か来ましたよ。インターホンのテレビで見ると、外には……。


ここでサクラに「誰が来たのかな?」と問いかけると、サクラが思いつきでオオカミとか、オバケとか、いろいろなものを挙げる。この日サクラが思いついたお客さんは、
「たまねぎオバケとー、にんじんオバケとー、納豆オバケとー、にくにくオバケ!」
であった。


インターホンのテレビには、たまねぎオバケと、にんじんオバケと、納豆オバケと、にくにくオバケがうつっていました。そして、みんなそろって言いました。

「サクラちゃん、ユウちゃん、遊びに来たよー。開けてください」

(ここで「どうしよう?」と小声でサクラに聞くと、「ダメ……」と答える)

「パパとママが開けちゃダメって言っているから、ダメーッ!!」

サクラちゃんは大きな声で言いました。すると……、

ドンドンドンドン!!

オバケたちが玄関を叩きます。とても大きな音です。そして……、

バリバリ、ガチャーン!!

玄関が壊れて、オバケたちがお家に入ってきました。大変だ!!

どうしよう、どうしよう。

その時、ユウちゃんが言いました。

「サクラお姉ちゃん! お姉ちゃんはたまねぎとにんじんが大好きだから、食べちゃってよ!! ユウは納豆とにくにく食べるよー!!」

そして、サクラちゃんはたまねぎオバケをパクリ! にんじんオバケもパクリ!!

ユウちゃんは納豆オバケをパクリ! にくにくオバケをパクリ!!

みーんな、食べてしまいました。


「ただいまー!」

あっ、パパとママが帰ってきました。パパとママに、サクラちゃんは言いました。

「パパ、ママ、今日ね、たまねぎオバケと、にんじんオバケと、納豆オバケと、にくにくオバケが来たよ! でもね、サクラとユウちゃんで食べてしまったよ!」

(ここから先は、毎回のお話の定番の流れになっている)

それを聞いて、パパとママは大笑い。

「サクラは面白い夢を見たんだなぁ」

サクラちゃんは怒ります。

「夢じゃないもん! プンプン!!」

そんなサクラちゃんを見て、パパとママはますます大笑い。

そして、みんなでお風呂に入って、みんなでご飯を食べて、みんなで歯磨きをして、それからみんなで仲良く寝んねしました。めでたし、めでたし。おしまい。


はい、寝るよ!!


「もういっかーい! 今度はねー、ぶろっこりオバケとー、おおかみオバケとー」


お……、おぅ……。



適当すぎる寝物語も楽じゃない。

2015年11月25日

『クマのパディントン』の作者によるミステリ小説? 『パンプルムース氏のおすすめ料理』


サラッと読み終えるミステリ、なのかな? というのも、大きな謎もトリックもなく終わってしまうからだ。

舞台はフランスの田舎町。主人公のパンプルムース氏は警視庁の凄腕警部だったが退職して、現在はグルメ本の会社でレストランの覆面評価を行なっている。相棒は元警察犬のポムフリットで、この犬もグルメである。

推理小説というよりはユーモア小説という感じで、下ネタもたくさんある。これがフランス流のユーモアかぁ、うん確かに映画『アメリ』のような雰囲気があるぞ、うむうむ納得だ、と思ったら著者はイギリス人だった。あぁ、イギリス流のジョークなのか。

ちなみに、著者のマイケル・ボンドは『クマのパディントン』の作者でもある。

2015年11月24日

最近のサクラのお姉ちゃんっぷりが素敵

長女サクラも次女ユウも大好きなチーズ。お互いに一つずつあげると、ユウのほうが先に食べ終えてしまう。そしてユウがもっと欲しいと言ってゴネる、泣く、叫ぶ。そんなユウの姿を見たサクラが、自分の残ったチーズを半分に割って、
「はい、どうぞ」
そう言ってユウにあげていた。

また別の日には、大好きなヤクルトを少し残して、ヤクルトが飲みたいと言って泣きじゃくるユウに渡していた。褒められたいからやっている、というわけではなく、すごく自然に「はい」と言って渡す姿がキラキラ光って見えた。

ほんの数ヶ月前までは、ことあるごとに物の取り合いをしては、次女ユウにつねられて泣いていた長女サクラ。ユウが少し成長して、めったやたらとサクラをつねることがなくなって、それに伴ってサクラが泣かされる回数が激減。そしてユウの成長と同時に、サクラがぐんぐんとお姉ちゃんになっていく。そんな二人を妻と一緒に見つめ、語り、時に腹を抱えて笑い合う。

なんとも楽しくて素敵な毎日を、ありがとう。

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寒くなる前に、少し早目の大掃除を手伝うサクラ。

2015年11月20日

「眼球とは、剥き出しになった脳である」という言葉を思い出す一冊 『心の視力‏』

森の中で生活し、森から出たことがないという人は、遠近感覚が凄く乏しいらしい。自分から一番遠いものが2メートル先という生活を続けると、脳がそのような環境に適応してしまうのだ。

あるピグミー族の男性を森から連れ出した人の手記によると、そのピグミーの男性は遠くにある山を手でつかもうとした。さらに車で移動中に、
「あの虫は何だ?」
と言うので、彼が指さすところを見るとバッファローであった。森の中で生活している限り、「小さく見えるもの」は小さいのだ。ところが広い世界には遠近がある。結局、この男性は車がバッファローのいる場所を通り過ぎるまで、決して窓を開けようとしなかったそうだ。彼にとって「徐々に大きくなっていくように見える虫」が、どれほどの恐怖と衝撃を与えたのか、想像すると面白い。

これと似たような体験を中学3年生の時にしたことを思いだした。日本の山田舎で育ったので、ピグミーの男性ほどではないにしても、遠くにあるものはせいぜい数キロ先の山であった。夏休みに祖父とアメリカに10日ほど滞在し、グランドキャニオンに行った。あの雄大な景色を見た瞬間、遠近感がずれたような感じがした。遠くにあるのか近いのか、大きいのか小さいのか。知識ではちゃんと分かっているのに、知覚のほうが追いつかない。目まいがするようなその感覚に、胴震いしたほどである。


本書の原題は『The Mind’s Eye』。オリヴァー・サックスは様々な本を書いているが、今回は知覚の中でも特に眼と脳の関係について、自らが出会った症例と自分自身の体験から深い考察をしている。仕事で眼に関わる人、脳に関わる人、好奇心旺盛な人に勧めたい一冊。

ところで、邦題は『心の視力』であるが、日本で視力と言った場合、一般的には「1.0」とか「0.3」とか乱視とか遠視とか、そういうものを思い浮かべる。このように「視力」という日本語は、眼という器官に集中しすぎるところがあるが、本書のテーマはあくまでも「眼と脳」であり、「Eye」を敢えて「視力」と訳さずとも、『心の目』あるいは『心眼』としたほうが内容的にもしっくりくるのではなかろうか。

2015年11月19日

罪の償いとは何だろう? 模範囚とはどういう意味だろう? 刑務所で大人しく過ごすことが罪を償うということなのか? 『白昼凶刃』

通り魔によって、1歳男児、3歳女児、27歳の母が殺害された現場を目撃した主婦はこう語る。
「倒れた奥さんは『ロアール』の前に仰向けになり、痛い痛いと苦しんでいたいので、“すぐ助けが来るからね”と声をかけてあげました。幼稚園の子は仰向けに倒れて苦しがり、お腹から腸が飛び出して、それを両手でつかんで身をよじっていました。お母さんはその横に倒れて、何かを訴えているようなので、“お子さんはだいじょうぶよ”と声をかけてあげたら、そのとたんに動かなくなりました。診療所の先生はバギーに乗ったまま倒れている赤ちゃんを介抱していましたが、“まもなく死ぬ”といわれ、赤ちゃんはボクシングをするような恰好で両手を前に突き出し、目を開いて口惜しそうな顔をしていました」

白昼凶刃―隣りの殺人者

昭和56年6月17日、歩行者6人を次々と刺し、4人を殺害した川俣軍司(本書内では川本軍平と記載されている)の生い立ちから犯行、裁判の結審までを追いかけたルポである。自分の子どもがちょうど3歳と1歳、妻が29歳で、被害者とまさに同じような家族構成であるために他人事とは思えず、胸が痛む話であった。妻子3人を失った会社員は、若くして父母を亡くし、兄弟姉妹もいなかったため、幸せな家庭に憧れていたそうだ。ようやく手に入れた幸せな家庭生活を踏みにじられ、その後しばらくは酒浸りで体調を崩し、
「この家に居れば妻や子が居る気がして、部屋で子どもとフザけっこする夢を見る」
と洩らし、行き先を明かさずに引っ越しをしたようだ。

逮捕後、犯行方法を確かめるため、警察署で婦人警官を被害者に見立てて再現させたところ、川俣は冷静に再現してみせた。たいていの被疑者は罪の意識にとらわれて手足がすくむそうだが、川俣は平然とやる。それがあまりにも真に迫っているもので、襲われる役の婦人警官が逃げ腰になるほどだったという。

こんなことをしておきながら、警察には、
「殺す意志はなかった、俺が刺したらたまたま死んでしまった」
というようなことを言ってのける。遺族でなくても腹立たしい言い分だが、遺族であれば気も狂わんばかりになるだろう。

死刑を免れて無期懲役で結審した後、川俣は弁護士らに控訴したいと言い出した。二名の弁護士は必死になってそれを止めた。すると川俣は数日考えた後に控訴を取り下げることにする。そして弁護士に、
「今度こそ家庭をもって幸せになりたい。でもお勤めは無理でしょう。誰も雇ってくれないだろうから。……、いや、世の中には物好きがいるから、俺のことを使ってくれるかもしれない」
そんなことを饒舌に語った。
「先のことはともかく、今は罪の償いをしなさいよ」
弁護士にそうたしなめられて、川俣はこう言った。
「だから、模範囚になれば、早く出所できます。十年も経てば出れるから」
罪の償いとは何だろう?
模範囚とはどういう意味だろう?
刑務所で大人しく過ごすことが罪を償うということなのか?

ふと、神戸連続児童殺傷事件の加害者である「元少年A」を思い出した。彼が事件をネタに本を出版したりホームページを作成したりして、遺族の心情を逆なでし続けているにもかかわらず、「元少年A」という匿名で守られていることに違和感と腹立たしさを抱く人は多いだろう。これに対し「法に則った処罰を受けて、罪は償ったのだから」という意見もある。

人を殺した罪を償うということは、そういうことなのだろうか?
俺は違うと思う。
そして、法的に処罰しても罪の償いができない人間には、それ相応の社会的処罰が必要だとも思う。「元少年A」に関して言えば、それは実名と顔写真の公開だろう。

本書の話とは無関係なところへ話が飛んだが、そんなことを考えさせられた。


<関連>
人を殺すとはどういうことか

2015年11月18日

抑制のきいた文章に目頭が熱くなる 『たった一人の生還』


海での漂流記である。

タイトル通り、生き残ったのは著者一人。救命イカダに乗った仲間たちは、一人また一人と命を落としていく。著者は決して自賛することなく、かといって卑屈になったり卑下したりすることもない。逝ってしまった仲間のことを真摯に語り尽くしたいというひたすらな想いがひしひしと伝わってくるような、そんな抑制のきいた文章に思わずこちらの目頭が熱くなる。

素晴らしい本だった。

2015年11月17日

精神科で外来患者の服薬状況を確認する方法

「薬はきちんと飲めていますか」
ではなく、
「飲み忘れる日はどれくらいありましたか?」
と尋ねるほうが、患者は本当のことを話しやすい。

これは、製薬会社のMRが企画してくれたweb講演会で、あるベテランの女性医師が語っていたことである。聞きながらナルホドと思ったのだが、では自分はどうやっているかと振り返ってみると、実はもう少し良い聞き方をしているかもしれない。

診療の終盤、処方箋を書く段階になって、ふと思い出したように、

「あっ、そうそう、薬の余りってどれくらいありますか?」

この質問に対して、
「ほとんど残っていない」
と答える人にも、
「もし余っていたら、勿体ないから今度の受診で教えてください。減らして処方しますよ」
と声をかけておく。そうすると次回診察時に、
「1ヶ月分くらい余っていました」
なんてこともある。ということは、実はけっこう飲み忘れが多いということだ。

患者の心理を正確には知りようがないけれど、もしも心の中に、
「主治医の信頼を裏切りたくはない、でも薬は飲みたくない」
という葛藤があるとして、その結果、後ろめたく思いながらも「ちゃんと飲んでいる」「飲み忘れはない」「余りはほとんどない」と答えているのだとしたら、それは可哀そうだし残酷である。
「お金が勿体ないから、余りがあれば減らして処方します」
という声かけは、そういう葛藤を少し和らげるのではなかろうか。

そんな気持ちで、日々、問いかけている。

2015年11月16日

笑顔のような表情をするだけで気分は少し上向きになる 『その科学が成功を決める』

人は嬉しいから、あるいは楽しいから笑うのだろうか?

もちろんそうだ。

だがその逆もあるらしい。つまり、笑うから、いや、実際に笑わなくても、笑ったような顔を作ることで、嬉しさや楽しさが引き出されるということだ。

固有反射心理学という研究分野があり、そこでさまざまな実験がなされている。例えば、あるグループには歯で鉛筆くわえて唇につかないようにしてもらい、もう片方のグループには歯を使わず突き出した唇だけで鉛筆をくわえてもらう。こうすると、歯を使うグループは顔の下部分が笑顔に近くなり、唇だけだと不満げになる。ただこれだけで、本人の気分に差が出るというのだ。他にも様々な実験が行なわれており、結論として、気分が行為を左右するだけでなく、行為が気分を左右することは確かなようだ。

これは精神科医として診療にもの凄く有用な知識である。歯で鉛筆をくわえて笑顔のような顔をするだけで気分が少し明るくなるのなら、診察室には患者用の鉛筆を用意しておいて、それを口でくわえてもらいながら診察をするのも独創的で良いかもしれない。というのは半分冗談にしても、デイケアや作業療法、院内活動などで「笑顔体操」なるものを考案して実施するだけで、患者の気分が上向くかもしれない。実際にやるとしたら、患者が笑顔を押しつけられたと思わないよう、「アンチエイジングの顔面体操」といったネーミングが良いのかもしれない、というのは結構本気。


本書はそうしたことを考えるキッカケになる一冊。『その科学が成功を決める』という邦題は胡散臭さを感じさせるが、著者はハートフォードシャー大学の心理学教授であり、また本書の執筆にあたっては240以上の文献(心理学論文や『サイエンス』『ネイチャー』といった科学雑誌)を参考にしてあり、トンデモ本の類いではない。お勧めである。


<関連>
幸せを感じやすい人が成功する 『その科学が成功を決める』

2015年11月13日

リスカやODを繰り返す人の初診における自分なりの工夫

リストカットや過量服薬(以下、リスカとOD)を繰り返していた若い患者たちが精神的に成長して、いつの間にか問題行動が目立たなくなるということはけっこうある。こちらが積極的に精神療法めいたことをやったということはない。ただただ根気強く、歳をとるのを待っていただけだ。

「歳をとればしなくなる。心身の成長を待ちましょう」
これはリスカやODをする本人だけでなく、心配してついてくる家族にも必ず伝える。「精神科で治してもらおう」と考えてやって来た人たちにとっては拍子抜けというか、あてが外れた感じかもしれない。とはいえ、何もしないわけではない。自分なりの診療の工夫を書いてみる。

リスカやODを主訴にした初診の場合、
「イライラして人を殴る奴よりはマシ」
といったことを、その時その場の雰囲気に合わせて、ただしハッキリと伝える。一緒に来た家族は「そりゃそうなんですけどね……」と弱りきった顔をするが、患者本人は少しホッとしたような表情になる。そのタイミングをつかまえて、
「でもまぁ、しないにこしたことはないね」
と、これはボソリと声かけする。本人もそんなことは重々分かっているので、あまり声を張らずにボソリと言うくらいでちょうど良い。この小さな声かけは家族もきちんと聞いているので、リスカやODをやめさせたくて本人を連れてきた家族の顔も立つ。両者のメンツを潰さない、というのは間に入る者として大切な心構えである。


本書にも、『「歳をとるのを待つ」という治療』というのが出てくる。俺の初診では、この治療(?)について説明すると同時に、前回書いた「その場しのぎ」にも似たようなことをやっているわけである。要するに、家族には「待ちましょう」と伝え、本人には「しないにこしたことはない」と意識してもらう。こうやってその場しのぎをしていくうちに時が経ち、いつの間にか問題は他のところに移っている。こういうことが、時々、ある。そう、あくまでも「時々」。残念ながら、すべてのケースで上手くいっているわけではない。

2015年11月12日

『黄泉がえり』『エマノン・シリーズ』を書いた梶尾真治の想像力とユーモアが光る 『ゑゐり庵綺譚』


惑星ズヴゥフルⅤにあるソバ屋「ゑゐり庵」(エイリアン)の主人であるアピ・北川を主人公としたSF短編が16本と、わりとシリアスな内容の短編2本、それから『包茎牧場の決闘』というもの凄く卑猥なのに、読み終わってみるとなんだか壮大な話だったという短編からなる。

本の最初で、「これは、アイデア・ストーリーを作るという作業に、ひたすらのめり込んでいた時期の作品です」とあるとおり、いずれもキラリと光るアイデアを小説に紡いだという感じで、どれもこれもが面白かった。タイトルからは、もっとフザけた感じのドタバタSFかなと思っていたが、内容はシリアスなものも多かった(ただし登場人物や惑星や宇宙船の名前などはかなりユーモラス)。

SFというだけで毛嫌いする人がいるが、SFは舞台を近未来・未来に設定してあるだけで、中身は普通の小説同様に人間模様や心の機微を描いてあることが多いし、またそうでなければ読んでいて面白くない。本書もSFではあるが、通常の短編集と考えて読んでも充分に楽しめるし、SF初心者にはよくまとまった短編ばかりなので読みやすいはずだ。

2015年11月10日

「バカがボーッと観ていても理解できる」といった酷評にも頷ける 『ゼロ・グラビティ』


子どもたちを早く寝かしつけて、妻とワインを飲みながらの映画ナイト。そこで選んだのが本作。

感想は「面白かったぁ」だが、その後にネットで評価が分かれていることを知り、確かに否定的意見にも納得できるところがあった。シンプルすぎるストーリーについて「バカがボーッと観ていても理解できる」といった酷評もあり、これには思わず吹き出してしまった。確かに単純な映画だった。

壊れた宇宙船から別の宇宙施設まで、ガスをプシュプシュやりながら移動するというのはさすがに無理がある。いくら宇宙には空気がなくて光が弱まりにくいといっても、何十キロも離れている施設を目視できるとは思えない。あの描き方だと、何百メートルしか離れていないような設定だと思うが、実際には施設同士がそんなに接近していることなんてほとんどないんじゃなかろうか。

俺が気に入ったのは、サンドラ・ブロック演じる女性博士が地球に帰り着いて、よろけながら見せた嬉しそうな表情。重力を感じることへの喜びと、その画面に重なる「gravity」の文字。良い組み合わせだと思う。ところで、この映画の原題は『GRAVITY』。どうして邦題でゼロを付け足したのだろう?

宇宙船とか潜水艦とか、そういう密閉空間ものの映画が好きな俺からしたら充分に楽しめたのだが、これでアカデミー受賞というのはやりすぎかな。

2015年11月9日

他人の悲鳴を音符に置き換えるようなことはすべきでない 『臨床の詩学』


他人の悲鳴を音符に置き換えるようなことはすべきでない。
本書の中のすごく胸を打たれた一文。

大まかに2部構成になっており、前半は看護師向け雑誌(現在休刊?)に連載したもの、後半は単発の論考を集めたもので、どちらかと言えば後半の方に読み応えがあった。

中でも同感なのは、境界型人格障害をはじめとするトラブルメーカー的な人たちやクレイマーと、どうやって接していくかについて書かれた部分。まず第一が「その場しのぎ」。
話の通じない相手には、淡々と必要最小限の援助を提供し、それをも拒んだり曲解しようとするなら、たんに損得感情のレベルで「こうしたほうがあなたにとってベターですよ」と告げて引き下がる。
これは俺も問題行動の多い患者(特に入院)に使う方法で、「こういうことをしていると、あなたにとって損ですよ」ということだだけを告げておいて、あとは多くを語らない。それで行動が改まらない場合、淡々と粛々と隔離などの行動制限を開始する。この方が患者の身にもしみるようだし、こちらの精神衛生にも良い。こうしたことについて、本書の著者はこう言いきる。
我々は「善人ごっこ」をしているわけではないのである。
日々の業務に疲れている対人援助者にとっては、一服の清涼剤になるような一言である。 

2015年11月6日

波乱がないのに退屈しない船乗りたちの無人島生活 『無人島に生きる十六人』


船が難破して、十六人の日本人船乗りが無人島で生活することになった。この時の話が、当時の船長の目を通して語られる。

無人島生活は規律のとれたもので、ケンカやもめ事などの派手な話はない。もちろんラブストーリーもない。いや、あった。島に棲息していたアザラシたちとの、人と動物の親愛という意味でのラブではあるが。

そんな無人島での暮らしぶりが、テンポ良く、活き活きと描かれて、退屈せずにぐいぐい読まされていくうちに、あっという間にラストを迎える。すごく素敵な終わり方だったが、具体的にどういう結末だったかはここには書くまい。

2015年11月5日

果てしない切なさの中に、一筋だけ希望が光る 『夜のふくらみ』


ドロドロに見えるのに、なぜか爽やか、だけどチクリと胸に切ない、そんな小説。これはもう窪美澄(くぼ・みすみ)の十八番といって良いストーリーだろう。

小さい頃から憧れていた2歳年上の圭祐に高校1年生で告白されて付き合いだした「みひろ」は20代後半。圭介の弟の裕太はみひろの幼なじみで、みひろにずっと恋している。全部で6章から成るこの小説は、各章の主人公がみひろ、裕太、圭介の順で繰り返す。

これはジャンルとしては恋愛小説というのだろうか? なんだか恋愛ものとは違う気がする。恋愛事情を軸にしつつも各人が背負う人生を描いてあり、もし映画化されてレンタルビデオ屋に並ぶなら「ドラマ」のジャンルに置いて欲しい、そんな一冊。

2015年11月4日

精神科診察室における挨拶を診療ツール化する

診察室に招き入れた患者が「おはようございます」と言えば、こちらも「おはようございます」と返す。「こんにちは」なら「こんにちは」。人は意識せずとも自然にそういう同調・同期行動をとる。これはミラーリングという行動の一つで、同調された相手はささやかながらも安心感を抱く。

診察室では、このミラーリングを意識的に行なう。たとえ12時近くになっていても、「おはよう」には「おはよう」と答えておいて、「ちょっと遅いおはようですね」などジョークを織り込む。患者によっては、こちらが「おはようございます」と声をかけているのに「こんにちは」と返ってくることがある。こういう時には「ミラーリング不全」ということを少しだけ念頭におく。実際、例えば慢性期の統合失調症患者において、こういうケースが多いように思う。

ミラーリングを意識した挨拶をすることが、どれくらい診療のプラスになっているかは分からないが、精神科医の意識としては、診療は挨拶の時点から始まっている(※)。

こんなふうにして、「精神科医の診察室でのあれこれ」のツール化を目指している。ツール化とは、「大切なことだから気を配りましょう」といった抽象的なアドバイスではなく、もっと具体的なものだ。「金槌の頭には平らな面と凸面がある」と教えるくらいにシンプルで良い。そして、こういう俗っぽくて精神科医ライフハックのようなことに関して書かれた本は、実はあまりない。


※高名な先生方は著書の中で「患者を呼び入れる時点から観察を始める」と書いてらっしゃることが多いが、当院では電子カルテ端末でクリックすると待合室のモニターがチャイムを鳴らして患者の受付け番号を表示し、それを見た患者が自ら入室するというシステムになっている。病院では名前を呼ばれたくない人がいる一方で、番号で管理されるのを嫌う人もいる。難しい問題ではあるが、個別対応はできないのでこの方式に一元化することとなった。

<関連>
精神科医は自分の視線さえも診療ツールとして使っている

2015年11月2日

形を味わう人、色を聴く人、そんな共感覚者について深く考察していく硬派な一冊 『共感覚者の驚くべき日常』


音を聞くと色が見えたり、食べ物を味わうと手触りを感じたりといったぐあいに、ある感覚刺激があった時に、別の感覚が生じる人たちがいる。こういうケースを「共感覚」と言い、最近はわりと知っている人も多いかもしれない。

本書は、10万人に1人とも、2万5千人に1人とも言われている共感覚者をテーマにした本。面白そうなタイトルだが、中身はかなり硬派なのでだまされてはいけない。神経内科医が、専門用語・医学用語をふんだんに使いながら共感覚の謎に迫っていくので、脳神経系の解剖学に疎い人が読むと、きっと眠くなる。下手したら投げ出すだろう。

精神科医としては、臨床のヒントになることや医療者としての教訓がちりばめられていて、同じ医療者にはお勧めしたい一冊だが、上記したようにあまり解剖に詳しくない人はチンプンカンプンになりかねない。脳神経の解剖なんて忘れちゃったという人は、避けておくが吉かもしれない。

2015年10月23日

性描写もちょいちょいある短編集 『雨のなまえ』


窪美澄の短編集。これまで読んだ彼女の小説は「連作」短編集が多かったが、本書はまったくつながりのない、それぞれが独立した短編集。

5編から成り、いずれも素敵な読書時間を与えてくれるのだが、読後感はどうかと言われると……、あまり良くない。ハッピーエンドでない、その先にまだドロドロした何かが待っていそうな、そんな空気感を漂わせて終わってしまうのだ。かといって尻切れトンボというわけでもなく、実に窪美澄らしい幕のおろし方である。

性描写もちょいちょいあるので、年ごろの子どものいる家庭ではリビングでの置きっ放し注意。

2015年10月22日

本当は間違っている心理学の話:50の俗説の正体を暴く


心理学に関して世間に広まっている、神話とも言うべき50個のウソ情報について、科学的に検証された論文を用いて否定していく本。430ページを超える分厚い本だが、13ページが巻末索引、80ページ弱が引用文献や推薦資料と「検討すべきその他の神話」である。

心理学の近縁領域で仕事をしているので、とりたてて目新しいというものはなかったが、心理学に興味がある人なら面白く読めるだろう。一般の人が好きそうな「神話」(つまり真実ではない通俗心理学)を紹介する。

・人は脳の10%しか使っていない。
・サブリミナル効果でものを買わせることができる。
・モーツァルト効果で子どもの知能が向上する。
・夢には象徴的な意味がある。
・うそ発見器は確実に嘘を見破る。
・怒りは抱え込まず発散したほうが良い。
・ロールシャッハ・テストでパーソナリティが分かる。
・筆跡にはパーソナリティが現れる。
・満月の日には精神病院への入院と犯罪が増える。

「えっ、違うの!?」と思う方にこそ読んで欲しい一冊。通俗心理学を心理学だと勘違いして、「大学では心理学を学びたい」などと思っている高校生が、科学的態度を身につける一歩にするために読むのも良いかもしれない。

2015年10月21日

プロの気遣い 「お疲れさまです」‏

施設に入所している患者が受診する場合、その施設のスタッフが同伴する。診察を終えたら患者には「お大事に」と声をかける。それと同時に施設スタッフに対して、なるべく「お疲れさまです」と言うようにしている。

精神科医として仕事をし始めたころに感じたのが、看護師やコメディカル、それから施設スタッフが医師に対してすごく気を遣っているということだった。中には「そこまで恐縮するか!?」というほど腰の低い人もいた。何か言うにも「恐る恐る」といった態度なのだ。これでは医師に言いたいことも言えないだろう。

病棟スタッフとは、普段の仕事中にジョークを飛ばし合ったり、プライベートの飲み会で親睦を深めたりできたが、施設スタッフとはそういう機会がない。そこで考えた結果、「お疲れさまです」という声かけをするようになった。些細ではあるが、少しでも医師に親近感を持ってもらえれば、診療上こちらが得る利益も大きい。

「プロ同士なのだから、そういう気遣いは無用だ」
という医師もいるかもしれないが、むしろプロだからこそ、臨床をやっていくうえで有益そうなことは何でもやってみようという心構えが必要なのではなかろうか。

2015年10月20日

博多を舞台に、ホークスも出てくる 『消し屋A』


主人公は消し屋である。名前も戸籍もコロコロ変えて生きている(本書では名前は幸三)ため、ここではタイトルのように主人公を「A」と呼ぶ。消し屋とは簡単に言えば殺し屋なのだが、Aの場合、ただ殺すだけではない。発覚しないよう殺人の痕跡を「消す」こともあるが、他にも警察の捜査のやる気を「消す」ということもやる。ありふれた事件・事故に見せかけ、警察からありきたりな推測を引き出し、本格的に捜査しようという気概を奪うのだ。まぁ現実にはそう簡単ではなかろうが、設定としては面白い。

Aのキャラに格別魅力があるというわけでもなく、物語も全体的にちょっとえげつない感じなのだが、舞台が福岡であることと、ホークスが出ること、博多弁での会話がメインであることが良かった。そして標的となるホークスのキャッチャー・真壁の人柄と男っぷりが格好良くて惚れました。ウホッ。

2015年10月19日

精神科カルテについて

精神科では、患者の治療経過はカルテでしか分からない。その他の診療科では、問診、身体所見の他に、CTやMRI、採血データといった客観的なものが残るが、精神科では医師やスタッフが書いたカルテだけが頼りとなる。以下は、医師のカルテに関してのみの話である。

カルテ、特に初診時のまとめでは、原則として「映画で遠くから主人公に近づいていく映像」をイメージして書くようにと指導される。どういうことかというと、まず遠目で分かること、例えば猫背であるとか、服装が派手とか汚れているとか、髪の毛がぼさぼさとか、態度がソワソワしているとか、そういったことから書き始める。そして少しずつ近づいて感じる様子、異臭がする、表情が虚ろ、涙ぐんでいるなどを加えていく。最後に話した内容や、そこから受ける印象などを書く。

このように初診時まとめの「流れ」は「映像」をイメージした型があるのに対し、「内容」は「絵画」のようにかなり人それぞれである。絵画に例えて大きく分けると、ディテイルまで描き込んで写真のような絵にするか、鉛筆でササッと描き上げるラフな似顔絵か、といったところ。指導医Y先生はラフな似顔絵の名人で、カルテはサラッと書いてあるが、読めば患者や診察の雰囲気が伝わる。俺は紙カルテの時には書ける量が時間・体力で制限がありラフスケッチのようなカルテを目指したが、電子カルテになってからはなるべく詳細を書き込むようにしている。

今後、もしかすると一般病院の精神科でも、患者の許可を得て音声や画像、さらには映像を駆使するようになるかもしれない(昔の大学病院では研究用に録画されることもあったようだが今はどうか不明)。データをどう管理するかが問題になるし、初診時にいきなり録音・録画や写真撮影があると、患者や家族も戸惑うだろうから、実現しない可能性のほうが高い。ただ、初診以外、例えば病棟などで写真を残しておくことは、医療記録としても病棟全体で共有する思い出としても歴史資料としても、きっと良いものだと思う。

2015年10月16日

幸せを感じやすい人が成功する 『その科学が成功を決める』


人はあらゆる分野で豊かになるから幸せを感じるのだろうか? どうやらそうではないらしい。むしろその逆で、幸せを感じることは結果ではなく原因、つまり幸せを感じられる人が経済的にも、対人交際でも豊かさを得られるようだ。また、幸せを長く感じるためには「物より思い出」「自分より他人」に投資する方が良いそうだ。

本当かなぁ……? そう思う人はぜひ本書を読んでみて欲しい。上記は第一章のほんの一部である。『その科学が成功を決める』という邦題はなんだか胡散臭さを感じさせるが、著者のワイズマン博士はハートフォードシャー大学の心理学教授である(その前はプロのマジシャンという異色の経歴)。また本書の執筆にあたって、著者はなんと240以上の文献(心理学論文や『サイエンス』『ネイチャー』といった科学雑誌)を参考にしており、それらがすべて巻末に記載されている。

精神科医として診療のヒントになる話も満載であり、かつ将来は心理学を勉強したいと考えている高校生にも勧められる。また、自己啓発書としても優れた本であり、ただのエンタテイメントとして読むのにも適している、なんともオールマイティな一冊。

2015年10月15日

人類に共通する喜びや悲しみといった感情に触れる 『世界はフラットにもの悲しくて 特派員ノート 1992-2014』


藤原章生が携帯サイトや雑誌に載せた文章に加筆・修正して一冊にまとめたもの。46編のエッセイで構成され、すごく惹きつけられるものと、そうでもないものに分かれる。

魅力的な写真がふんだんに使われており、舞台はラテンアメリカやアフリカがメイン。自分とは今後も縁がなさそうな国や町ばかりなのだが、人として共通する喜びや悲しみといった感情に触れることができ、タイトルにあるように「フラットなもの悲しさ」がじわりと胸にくる一冊。

2015年10月13日

寝る間を惜しんで読み耽ってしまった 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』


ネットワーク理論についての本、というとなにやら難解なイメージを抱くかもしれないが、語り口は基本的に平易だし、具体例は豊富だし、翻訳も上手いし、読むのが苦にならないどころか寝る間を惜しんで読んでしまった。

同じ著者が書いた『バースト』はちょっと歯ごたえがあって、手放しではお勧めできなかったが、本書は「ネットワーク」「ネット」という単語のついた言葉(インターネット、人材ネット、ネットワークビジネスなど)に少しでも興味のある人なら読んで損はないだろう。

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肥満は伝染する。 『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力 』

2015年10月9日

肥満は伝染する。 『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力 』


肥満は伝染する。

こんなことを書くと反発する人がいるかもしれない。実際、2007年に本書の著者らが研究結果を発表した時には大反響が起こり、反論、批判のメールも多かったらしい。しかし、「肥満が伝染する」のは大規模なデータから様々な交絡因子を排除して得られた結論であり、またこの発表後にもいくつかの研究チームが別々の集団で肥満の伝染を確認している。

確かに日常生活において、太っている人の家族は太っていることが多い。これは食生活や遺伝のせいだろうと思っていたが、太っている人の友人も太っていることが多いのはなぜだろう。太っている者同士が集まる、いわゆる「類は友を呼ぶ」ということで一応の説明はできる。ところが、あるグループのうちの誰かが太ると、その人を除いたグループ内の平均体重が増加するという事実は「類は友を呼ぶ」では説明できない。その逆もあり、誰かが痩せるとグループ全体も細くなる。

「肥満は伝染する」というのはキャッチーではあるが、より正確には「行動(過食やダイエットなど)が伝染する」ということで、これは言われるまでもなく感覚的に理解できる。このことをもっと詳しく、もっと体系的に調べ上げてまとめたのが本書である。

他にも興味深い話題が豊富であり、この本をネットワークに関する入門書として読むのも良いし、人によっては自己啓発本としても活かせるだろう。ある人と他者とのつながりの数と質によって、その人の人的ネットワーク上の立ち位置が変わり、それは人生において大いなるプラスになるが、時にはマイナスにもなりうる。残念なことに、本書はどういうつながりが良質なのかを教えてはくれない。そういう安っぽい本ではない。読むと「つながりを意識する」ようになる。そして、これがきっと著者の狙いである。

ちなみに著者の一人・クリスタキスは内科医で、社会学者でもある。

2015年10月8日

ラミクタールの処方開始時に気をつけていること

ラミクタール(てんかん、躁うつ病の薬)の処方時には、患者や家族に対して副作用で重篤な皮疹が出るかもしれないことを説明する。それと同時に「初めて飲む前に、鏡で全身をチェックしておく」ことを勧めている。というのも、もともとあった皮膚の発赤などを皮疹と勘違いして慌てて中止する人がいるので、事前に自分の体を観察しておいてもらうのだ。それから、皮疹が起きた場合の対応方法も、
「まずすぐに中止する。水ぶくれができたり、口内炎ができたりしたら、なるべく早く救急外来を受診する」
など簡潔に指示しておく。

また、ラミクタールは精神科医にはお馴染みの薬で、重篤な皮疹が出るリスクも把握しているが、その知識がすべての身体科の先生に行きわたっているとも思えないので、処方開始時から安定するまでは、電子カルテの付箋機能(※)を使って、
「〇月△日にラミクタール開始しました。重篤な皮疹で救外を受診された時はスティーブンス・ジョンソン症候群に準じて治療をお願いします」
と記載している。

薬の副作用というのは、患者に「起こるかもしれない」と説明するだけでなく、起こった場合にはどうすれば良いのかまで指導してこそ意味がある。また重篤な副作用のリスクがある薬を処方する場合には、情報を他科とも共有できるよう心がけておくことも必要だろう。

※付箋機能を使えば、患者カルテを開いた時に必ず最初の画面に表示される。

2015年10月7日

患者にもいろいろいるように、看護師だっていろいろな人がいる 『聖路加病院訪問看護科―11人のナースたち』


聖路加病院の訪問看護に密着取材。患者にいろいろなケースがあるのは当然として、看護師にも様々なタイプや経歴があるものだと感じた。

当科でやっている訪問看護は精神科訪問看護であり、身体科とは看護の種類がちょっと異なる。例えば採血をすることはほとんどないし、浣腸くらいはすることがあっても、摘便まではしない。尿道カテーテルの交換もないし、呼吸器のチェックもない。そういう意味では気楽なのだろうか? いや、決してそんなことはない。

ある程度落ち着いた人が対象になるとはいえ、精神病症状の突然の増悪がないとは言い切れず、油断していると痛い目に遭う。だから必ず2名で訪問する(聖路加の訪問看護は1人)。スタッフの身に受けるリスクを考慮に入れているからだ。2人いると突発的な事態でも意外と落ち着いて行動できるものである。

ところで、本書の内容自体も興味深かったのだが、それ以上に著者の文章や視点が面白く、同じ著者の本を何冊か読んでみたくなった。

2015年10月6日

ジェットコースターのような小説 『裏切りのステーキハウス』


木下半太の小説は、ジェットコースターみたいに右に左に揺さぶられた挙げ句、天地が逆さまになる一回転が待ち受けている。今回は会員制のステーキハウスの中だけで話が進むのに、状況が二転三転四転していく。ちょっとバイオレンスが入るので、そういうのが大丈夫な人にはお勧め。

2015年10月5日

地球上に生命が誕生してからのすべての記憶を受け継ぐ存在エマノンを中心に描かれるシリーズもの 『まろうどエマノン』


地球上に生命が誕生してからのすべての記憶を受け継ぐ存在エマノン。人類が誕生してからは常に女性であり、一人だけ女児を生み、その子にすべての記憶を受け継ぐ。名前はなく、「No Name」を逆から読んだのがエマノンである。

エマノン・シリーズでは、そんなエマノンと出会った人たちの視点から語られることが多い。本書では中編が二つ。どちらも面白かったが、特に表題作である「まろうどエマノン」は涙ぐみそうになってしまった。

エマノン・シリーズはお勧め。

2015年10月2日

医師が使い分けるべき「天皇」「宰相」「皇帝」‏としての振る舞い

病棟で患者を受け持つ主治医は、天皇のようにただ象徴として存在しているだけで患者にもスタッフにも安心感を与えられる時と、民主主義体制の宰相のように振る舞うべき時と、専横政治の皇帝のように独善・唯我独尊的に断行すべき時とある。

このあたりのバランスに絶対的な基準というものはなく、医師の個性、各スタッフの個性、スタッフが集まった時の雰囲気(「集団としての個性」と言っても良いかもしれない)、それからそれぞれの患者の個性によって変わるだろう。

臨機応変を求められるのが医療の常ではあるが、医師は場面に応じて「天皇」「宰相」「皇帝」を使い分ける必要がある、という認識だけは持っておいたほうが良い。決断力と勇気が特に強く求められる「皇帝」は、あまりやりたくないけれど……。


※ 天皇については教科書的な「象徴として」という例えであって、俺自身の主義主張を含むものではなく、他意はない。

2015年10月1日

精神科病棟で電子カルテを使いこなす

電子カルテにスタッフが記録した中で素晴らしいものは、そのまま自分のカルテに「A看護師の記載より抜粋」と書いたうえでコピペする。こうすることで、その人の記録が今後の治療方針にとって有用であったということを公式に残す(※1)。些細なことではあるが、スタッフのモチベーション向上にはつながるはずだ(※2)。

電子カルテ化で残念な点は、ベテラン看護師になるほどパソコンが苦手という人が多く、記載量が減るところである。これはもう悔しいけれど、どうしようもない。では、そういうベテラン看護師の仕事ぶりを電子カルテ内に引っ張り出して評価するにはどうしたら良いか。答えは簡単で、
「主治医が話しても聞く耳を持ってくれなかったが、石田看護師が対応したら患者が穏やかになった」
と個人名を出した記載をするだけである。

この方法にはスタッフを評価するという以外にも目的がある。例えば、
「看護師が注意したら患者が激怒した」
だけでなく、そこで「石田看護師が」と名指しして書けば、そのカルテを読む方にも状況の判断がしやすい。「激怒させたのが石田看護師だったら、言い方に問題があったのかもなぁ」とか、逆に「あの患者から特に信頼のあつい石田看護師でさえ激怒されたのだから、状態が悪いのかもしれない」とか、そういうところまで想像が働く。単に「看護師が」だけだとその効果はない。

病棟という舞台に「看護師」というエキストラはいない。特に精神科では、同一患者でも、それぞれの看護師によって患者の反応が異なる。だから、個人をひどく貶めるような内容でない限り、スタッフを名指ししてカルテ記載していく方が良い。このあたりの機微が分からない医師(精神科医にはいないだろうし、いないで欲しい)のカルテでは、看護師が「エキストラ化」してしまうだろう。

当初、精神科において電子カルテの導入には反発する気持ちもあったが、どうせ電子カルテでやるのなら、「紙カルテよりも読みやすい」ということ以上のメリットを見出ださないといけない。今後、電子カルテの記載を単に「自分の診療録」と捉えているだけではチームリーダーとしての医師は務まらないだろう。例えば上記のように、リーダーがメンバーの仕事ぶりをきちんと見て評価していることをさりげなく示すツールとしての活用方法もあるのだ。与えられたものをただ使うだけでは情けない。今も新たな活用法を模索中である。



読んではいないが、買おうか迷っている本。


※1 作業療法士のOさんのカルテを見て、これは素晴らしいと思ったので引用し、太字にしてアンダーラインを引いたのが最初である。その時には本文に書いたような意識まではなかったが、しばらく考えるうちにこういう活用方法に気がついた。

※2 身体科に入院中の患者が精神科に紹介になる時、看護師記録には「夜間、大声で異常言動あり」としか書かれていないことが多い。それがどういう内容なのか、例えば妻の名を呼ぶのか、誰かが殺しに来ると叫ぶのか、虫がいる蛇がいると言って騒ぐのか、もっと具体的に書くようにと指示を出したことがある。その翌日にカルテを見るとしっかり具体的に記載されていたので、指示簿に記載者の名前を挙げて「Aさんのカルテは完璧です。今後の診療に大いに参考になりました」と書いた。こういう大っぴらなことは、紙カルテの頃から身体科病棟に対してはやっていたのだが、さすがに身内である精神科スタッフには照れくさくてやりにくい。というより、うちにはこのレベルの記載ができないスタッフはいない。

2015年9月30日

もの凄い疾走感で引っ張られていく 『知らない映画のサントラを聴く』


とにかくもう、もの凄い疾走感で引っ張られていく。カバーイラストはラノベ調で、文章全体からもそういう雰囲気は漂うのだが、言葉の選び方、ストーリーの運び方、登場人物の人数や設定などが絶妙で、読後感もスッキリのとした良い小説だった。

恋愛小説とは銘打ってあるが、俺はほろ苦さと切なさを含んだ青春小説に感じられた。騙されたと思って読んでみて欲しいくらい、お勧め。

2015年9月29日

精神科医は自分の視線さえも診療ツールとして使っている

精神科医にとっては、視線も診療ツールである。

こういう文言の後に「だから、視線のやり場にも気を配りましょう」というのでは、ツールの使い方の説明になっていない。もちろん、気を配ることで自分なりに視線の使い方に関する気づきがあり、そこから洞察が芽生えることはあるかもしれないが、アドバイスとしては不親切だろう。

ツール、というからには大雑把にでも使い方を説明できなければいけない。そこで思い出すのが大工のツールである金槌。まだ小学生の頃、日曜大工の真似事で板に釘を打ち付けて遊ぶのだが、釘がまっすぐに入る時と、斜めになってしまう時とがあった。単に自分の腕の振りが悪いとばかり思っていたが、実は先端の叩く部分(頭という)には平らな面と凸になった面があると教えてもらい、この平らな面を使うように心がけるだけで釘をまっすぐ打てるようになった。

視線がツールであるというからには、「金槌には平らな面と凸面がある」くらいの大雑把さでも良いので、「気を配りましょう」では終わらない具体的なアドバイスというものがあるはずだ。そういうわけで、今からここでツールとしての視線の使い方を教示できれば良いのだが、今まさに自分が暗中模索な状態なので、そういうレベルに達していない。

すいません。

ところで視線だけでなく、姿勢、服装、診察の始め方や終わり方、言葉遣い、その他もろもろの細かい点もツールとして使い方を言語化できるはずだ。人によってはこれを、診療のマニュアル化と批難するかもしれない。しかし先の金槌の例えで言えば、同じ金槌を使うにしても、人が違えば完成品が異なるのと同じように、診療の細部がツールとして言語化されても、できあがる診療は人それぞれになるはずだ。コツを伝えることと、マニュアル化とはまったく違うものなのである。

2015年9月28日

責任能力とはなんぞや……? やっぱり難しい…… 『死刑でいいです―孤立が生んだ二つの殺人』

発達障害、アスペルガー症候群などは、心神耗弱や心神喪失の理由になるのだろうか。ケースバイケース、と言ってしまえば一番楽だが、それだと何も言っていないのと同じだ。ここで、疾患は違うがもう少しだけ具体的に考えてみることにする。

例えば妄想性障害の男性が「妻が浮気している」という嫉妬妄想を抱き、不貞をはたらく妻を許せずに殺害したとする。この場合、男性が妻を殺そうと思った根本原因は妄想であるから、心神耗弱・喪失を認めるべきだという人もいるだろうが、それはおかしい。もし仮に「妻が浮気している」というのが妄想ではなく事実だとして、「だから殺してやる」という結論を出すことは心情的に許しがたい。

これに対して、統合失調症の男性が「命を狙われている」という被害妄想をもち、「いつの間にか家族もグルになって食事に毒を盛っている」と考えるようになり、その挙げ句に「殺される前に殺さなければいけない」という結論に至ったとする。これも動機の根本は妄想であるが、上記した嫉妬妄想と違うのは、もし「命を狙われている」というのが事実だと仮定した場合には、自分を狙っている相手に対して先手を打つということが、さすがに正当化はされないにしても、心情的には理解できるというところだ。

「妻が浮気した → 殺してやる」という思考の流れより、「狙われている → 家族もグルだ → 警察も信用できない → 八方塞がりだ、やられる前にやらなければ」という思考の流れのほうが理解できる。理解できないほうが責任能力ありで、理解できるほうに心神耗弱・喪失を認めるというのは一見変に感じられるかもしれないし、やっぱり俺も上手く説明できない(ちなみに精神科医は鑑定において心身耗弱や喪失を判定しない。それを決めるのは裁判官である)。あくまでも、俺が精神鑑定する時の思考の流れの一部である(そういえば、数年そういう機会がない。平穏なのは良いことだ)。

発達障害やアスペルガー症候群、人格障害ではどうだろうか。そういうケースでの鑑定経験がないので詳しくは分からないが、自分なら責任能力ありとすることが多いのではないだろうか。


大阪で若い姉妹が刺殺された。犯人はその数年前、17歳の時に自分の母親をバットで撲殺して3年間を少年院で過ごしていた。少年院では広汎性発達障害と診断を受け、裁判での精神鑑定では人格障害と診断されたこの若い男が、どういうふうに育ち、どうやって母や女性2人を殺害するに至ったのか。そしてこういう加害者、加害者予備軍を、この社会はどう扱っていけば良いのか。あれこれ考えさせられる本だった。

姉妹殺人に関しては同情の余地なしなのだが、母親殺害に関しては、筆者らが取材した幼少期から思春期までの生育環境を読む限りでは、決して許されることではないにしても同情はしてしまう。というのも、この殺害された母親がかなりだらしない生活をしており、加害者は育児放棄に近い扱いを受け続けていたからだ。本書を読むと、殺人や責任能力とは別の社会問題についても考えさせられる。

最後に、
「発達障害やアスペルガー症候群だから犯罪に手を染めやすいということは断じてない」
本書で何度となく繰り返されていることだが、俺もまったくその通りだと思う。

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グロテスクな一冊 『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』

2015年9月25日

質・量ともに、大人が読むのにちょうど良い!! 『予告犯』


非常に面白いコミックだった。最近映画化され、CMで面白そうだったので原作を読んでみた。

新聞紙で作った覆面をかぶり、ネット動画で犯罪予告を行なう男と、彼を追う警察との攻防が描かれる。随所にネットスラングやネットサーフィンで見慣れた画面が出てきて、時には実在の人物や団体を風刺した内容が盛り込まれるので、ニヤリとしたり思わず吹き出したりする。

3巻で完結する分量と中身のバランスがとても良い。海外での評価も高いようで、映画を観る前に読んでみても良いんじゃなかろうか。