2015年12月31日

あらすじとテーマは身につまされるが全体的に深みがない 『虚無』


3歳の娘を殺した男は統合失調症だった……。その男は無差別に12人を殺傷もしたのに、精神鑑定を受けて心神喪失で不起訴になった……。

同じく3歳の娘を持つ父としてはのっけからどえらい描写で読むのが苦しかった。そして統合失調症を治療する精神科医としても複雑な気持ちになった。

統合失調症と心神喪失、刑法39条を主題にしているのだが、多くの統合失調症の患者と実際に接したことがなければリアルに描くのは難しいのだろうと感じた。非専門家が読めばそれなりに真に迫っているように感じるものなのかもしれないが、専門家からすればちょっと違うよなぁという感覚がずっと続いた。

薬丸岳の小説には社会的テーマが含まれるのが良いところなのだが、本書は先にテーマを決めて、そこに付け焼刃でストーリーをくっつけたという感じで深みがないし、ミステリとしても先が読めてしまうしで、星は2つ半といったところ。

2015年12月30日

ジェフリー・ディヴァーの短編集 『クリスマス・プレゼント』


それぞれの短編において、最後の数行でこれまでの展開をガラッと引っくり返される、手品のような楽しさがある。分厚い本だが、短編が16作品も収められているので、時間が空いた時に一つずつ読んでいけばあっという間に終わる。Amazonレビューでいけば星4つかな。

2015年12月29日

篠田節子の短編集 『家鳴り』


篠田節子の7作品が入った短編集。

彼女の長編小説が好きで、特に初めて読んだ『仮想儀礼』には脳天が痺れるほどの興奮を味わった。短編集はどうかというと、決してつまらなくはないのだが、やはり長編小説で見せてくれる大胆な大風呂敷がなく、素っ気なさを感じてしまった。

2015年12月24日

B級映画を観終わった後のような感覚 『ナチの亡霊‏』


戦闘訓練を受けたアメリカの科学者チーム『シグマ・フォース』の活躍を描いたシリーズ第2作。1作目は『インディ・ジョーンズ』と『ダ・ヴィンチ・コード』と『ミッション・インポッシブル』を足して3で割って、少し割引きしたくらいの内容で、映画にするならB級というクオリティだった。

本作もやはり内容的には似たようなものだが、クオリティ的には前作よりは少し上がっていた。ただし、科学史的(「科学的に」ではなく)に明らかな間違いがあり、それがまた物語の核心に近い部分だったので、「あれ?」という違和感があった。

アクションと科学・歴史っぽいものの融合した小説を読んでみたい人には良いかもしれない。

2015年12月22日

とにかく冬に読め! 名作『北壁の死闘』


邦訳の初版が1987年と古いが、舞台が第二次大戦中のドイツやスイスであるため、古くささはない。というより、むしろ名作。

本書は山岳冒険小説というジャンルに入ると思う。そして、山岳小説を読む時の鉄則。

とにかく冬に読め。

それもちょっと肌寒いくらいの場所で読めるなら、そのほうが良い。そうすると、高所で寒さと戦っている登場人物と一体化しやすく、自分まで山の中にいるような気持ちになれる。

戦争に翻弄されながらも山と戦った男たちと一人の女性の物語。読めばきっと胸が熱くなるはずだ。

2015年12月21日

サラッと読んで、どこかで活きる 『野村の流儀 人生の教えとなる257の言葉』


野村克也は監督時代、試合をやっている間に終了後のインタビューでどんなことを話すかコピーライターのように考えていたというから感心する。彼の発言がマスコミに取り上げられるためには、どういう風に言えば良いかと作戦を練るのだ。そこにはもちろん選手の名前が出てくる。田中将大を評した「マー君、神の子、不思議な子」はまさにキャッチーで、あまりプロ野球に興味のない俺でも覚えているくらいである。そうやってテレビや新聞で自分の名前が出た選手はモチベーションが上がる。野村克也にとっては、試合後のインタビューすら、チーム指揮の一環なのだ。

普段はプロ野球も高校野球も見ないが、ピッチャーとバッターの駆け引き、サヨナラのかかった打席での選手心理、プロ選手の心構えや監督のチーム運営といったものには興味があって、時々データに見入ったり、野球がらみの本を読んだりする。それらは実は精神科での臨床や治療の考え方にもけっこう役立つ。

プロ野球の歴代監督の中でも野村克也には以前から関心があった。試合後のインタビューでの言葉選びが面白かったし、あちこちで見聞する監督の名言も良かったからだ。ただし、本書の著者は野村克也となってはいるが、実際には彼の言葉を集めたものである。

たまにはこういう本をサラッと読むのも良いものだ。

2015年12月17日

この面白さは読んでみないと分からない。Amazonの紹介文や文庫本の裏の筋書きを読んでも、これがもの凄く面白い本だということには気づけないはずだ。井上ひさしのユーモラスな昔話 『新釈 遠野物語』


この本を買ったのは、井上ひさしの『腹鼓記』(Kindle版)が非常に面白かったからだ。『腹鼓記』はタヌキとキツネの化かし合いをユーモラスに描いたもので、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』に通じるところがあって、この映画が好きな人なら『腹鼓記』も気に入ると思う。

話がそれたが、本書はタイトルからも分かるように柳田国男『遠野物語』のパロディであるが、本家を読んだことがなくてもまったく問題にならないくらいできが良い。実際に俺も本家は読んだことがないが、始まりからグイグイと引き込まれて、あっという間に読み終えてしまった。

主人公は大学生で、学費が払えないのと勉強がつまらないのとで休学して実家に戻る。たまたまアルバイト先の近くの山に住む老人と知り合い、その老人がこれまでに体験してきた不思議な出来事の数々を聞いていく。こういう大枠は平凡なのだが、老人の語る奇想天外な話がそれぞれすごく面白い。

この面白さは読んでみないと分からない。Amazonの紹介文や文庫本の裏の筋書きを読んでも、これがもの凄く面白い本だということには気づけないはずだ。

この本で井上ひさしの評価が確定して、他にも数冊買うことにした。

2015年12月15日

バカバカしいものから、しんみりとするものまである梶尾真治の短編集 『恐竜ラウレンティスの幻視』

恐竜ラウレンティスの幻視 

8つの短編が収めてある。バカバカしいものから、しんみりとするものまである。梶尾真治といえばSFだが、本書にはまったくSFと関係のない話もいくつかある。

エマノン・シリーズをはじめとして、梶尾真治の本を数冊読んで思うのが、この作家は「人と人との出会いと別れ」を描くのが上手いということ。ありきたりな表現であるが、「切ない別れ」の演出が巧みなのだ。

本書で言えば、最後の短編『時尼(ジニイ)に関する覚え書』はSFと恋愛、ミステリのような謎が絶妙にブレンドされていて、非常に好きな作品だった。

2015年12月14日

赤ん坊はなぜかわいい?―ベイビー・ウォッチング12か月

赤ん坊はなぜかわいい?―ベイビー・ウォッチング12か月

人が生まれる少し前から一人で立つ頃までの12か月を大雑把に「赤ん坊」と定義して、赤ん坊にまつわる素朴な「なぜ?」を58コ集めて回答した本。著者が独自の意見を述べているわけではなく、各分野の研究結果を一般向けに分かりやすく解説している、のだと思う。というのも、巻末に参考資料が明記されていないので、実際にどういう資料を見ての解説なのかよく分からないのだ。

 一次資料や参考文献が明記してあるからといって、それだけでその本が科学的で信用できるものであるという根拠にはならないが、少なくともこういう類いの本では資料を載せるべきだと思う。翻訳書の場合、原著には資料が明記してあっても、翻訳家や出版社の判断で省略されていることがあるが、非常にマズイ判断である。本書がどうなのかは分からないが……。

明らかに著者自身の意見で、かつ凄く同意できる部分があった。それは母性、父性に欠ける人がいるということ。著者は、そういう人は何らかのトラウマを負っていて、本来持っているはずの感情がなにかの形で損なわれているのだろうと解説する。そしてこう結ぶ。
酷なことを言うようだが、赤ん坊をかわいいとはまったく思えないなら、子供はつくらぬほうがいい。
ちなみに原題は『Babywatching』である。「赤ちゃん観察」といったところか。子育てしながら読むと、面白いですよ。

2015年12月11日

ペットボトルの水に「ありがとう」とか「ばかやろう」とか、声をかけたり張り紙をしたりすることで味が変わるのは科学的か? 『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』

ペットボトルの水に「ありがとう」とか「ばかやろう」とか、声をかけたり張り紙をしたりすることで味が変わる。

そんな話を聞いたことがないだろうか。これの延長線上の話として、二つの瓶にご飯を入れて、それぞれに「ありがとう」「バカ」と張り紙をしておくと、「バカ」の張り紙をされた瓶のご飯のほうが早くカビる、というものがある。

ある小学校で、教師がこの話をしたところ、男子児童が「バカの瓶にはツバがかかったんじゃないの?」と発言した。この子どもなりの着眼点と指摘は教師から黙殺されたうえ、その授業を見学していた別の教師から「関係ない話をするんじゃない!」と叱られたそうだ。

水にしろ、ご飯にしろ、荒唐無稽でバカげた話ではあるが、これを大まじめに信じ切っている人たちがいる。

 
さて、科学的であるとはどういうことか。メディアに踊らされることなく、科学とエセ科学をきちんと見分けて吟味するための知識はどうすれば得られるのか。本書は日本人にとって身近な健康や食品を中心に論を進めてあり、メディア・リテラシーを身につけるための、とっかかりやすい最初の一歩としてお勧めである。身近で言えば、妻や同僚の奥さんたちに読んでみて欲しい一冊。

2015年12月9日

未来のためにやるべきこと、やめるべきこと、できること、できないこと 『百年の愚行』


この100年で人類が犯した愚行の数々を、これでもかとばかりに見せつけられる。つい先日読み終えた『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』では、時代背景や撮影エピソードがそこそこの分量で付記されていたが、本書では短いキャプションのみ。だからこそ、写真そのもののインパクトが高まる。

「愚行」と銘打ってあるだけにショッキングな写真が多い。特に幼い子を持つ父親として、胸が痛くなる写真も何枚かあった。この愚行を止めるために、繰り返さないために、何をすべきで、何ができて、何ができないだろうか。そういうことをしみじみと考えさせられる一冊。

2015年12月8日

長女サクラの成長!?

昨日の朝、長女サクラがパンを食べながら、
「あのね、ママがパパのこと大好きなんだって」
と言うので、おかしくて、
「へぇ、そうなんだ」
と笑顔で答えると、
「ママね、パパに玄関でいってらっしゃいしたいって、言ってたよ」
なんてことまで言う。

ちなみにその時間、妻は前日の日曜日にあった幼稚園のお楽しみ会と、その後のあれこれの疲れ(よその子を4時間くらい預かったり)から、まだお布団の中だったんだけどね(笑)

あと2ヶ月ちょっとで4歳になるサクラ。ある本には、4歳くらいから「他人の気持ちが分かるようになる」というようなことが書いてあった。相手の気持ちをただ感じるのではなく、具体的に分かる、ということだろう。そして「ママがパパのこと大好きなんだって」と教えてくれたのは、その第一歩みたいなものなのかもしれない。

2015年12月7日

時間にまつわる文化の違いへの入門書 『あなたはどれだけ待てますか - せっかち文化とのんびり文化の徹底比較』

世界には、今でも「時計時間」ではなく、「出来事時間」で生活がまわっている地域・文化がある。例えば、牛を畑に連れて行って働かせる。その牛が疲れて水を飲みたがる時間はだいたい同じなので、待ち合わせの時間を「牛が水を飲みに行くころ」といった風に設定するのだ。それより細かい設定は、「飲みに行く前」「飲んでいる間」「飲み終わり頃」となるが、いずれにしろかなりアバウトで、1時間や2時間のずれは当たり前。こういう生活もたまには良いかもしれないが、多くの日本人にとって長期間はもたないだろう。

こういった時間の流れ、時間のとらえ方、時間にまつわる作法やマナーなどは、国によっては日本と大きく違う。例えば、約束をして時間通りに来ることがマナー違反になる国もあり、ならば遅刻せずに早めに来るのが良いかというとそういうわけでもなく、少し遅れるくらいがちょうど良いそうだ。

この「時間」、単位できちんと測定できるようになったのが300年ほど前のことである。最初期の機械時計は14世紀頃にヨーロッパで作られたが、それには針も時刻表示もなかった。現在の時間を知るためではなく、定められた「祈りの時刻」に鐘を鳴らすためだけに生み出されたのだ。16世紀末になってガリレオが振り子の働きを発見し、17世紀半ばに振り子時計が開発された。


そうした「時間」に関する本書の著者はアメリカの大学教授で、一年間の休暇をブラジルで過ごすうちに「時間」と「文化」というものに惹きつけられ、それを研究の専門分野にすることになった。本書は「時間」にまつわる地域・文化の違いを研究したものを、一般向けに分かりやすく解説してある。学術的な言葉はほとんどないが、学問の世界への入門書(それも所々のジョークが面白い入門書)といった趣きがある。

残念なのは『あなたはどれだけ待てますか せっかち文化とのんびり文化の徹底比較』という邦題。いまひとつ興味を抱かせないヤボなタイトルである。絶版になってしまった原因はこのあたりにもありそうな気がする……。原題は『A GEOGRAPHY OF TIME』といたってシンプル。Geographyとは「地理学」のことで、そのまま訳せば「時間の地理学」といったところだろうか。

2015年12月3日

魅力的なキャラたちが大暴れ! 『荒野に獣慟哭す』


もともと新書5冊分であったものを1冊の新書にまとめた、1000ページ近くあるかなり分厚い本。腕の疲れとしては、辞書を読むような感覚である。

夢枕獏は独特な息遣いのある文章を書く人だが、本作では中盤から後半にかけては、わりと普通の小説の文体に近くなっている。著者がのっているからなのか、その逆なのか……?

伝奇アクション・バイオレンスであり、グロテスクな描写も多々あるので苦手な人は避けるが吉。
御門周平は大脳病理学研究所所長の川畑総一郎の助手だったが、自ら志願してニューギニアの奇病ウィルス独覚菌を、脳に植えつけられた。ために超人的な肉体と格闘能力の保持者となる。その代わり記憶を失い、何者かに襲われる。川畑と手を組んだ土方重工業は、兵器産業にも手を染め、戸籍上死んでいる自衛隊の幽霊部隊ゾンビストを組織し、彼らに独覚菌を接種して獣化兵と呼ばれる獣人たちを造りだした。獣化兵は牛、虎、鳥などの姿を体現している。御門を襲ったのは、彼らだったのだ……。

2015年12月1日

トリックの連続に警察も読者も翻弄される 『魔術師』


脊髄損傷によって、首から上と左手の薬指しか動かせなくなってしまった天才犯罪学者リンカーン・ライムを主人公にしたシリーズ。小説の中では美形の白人男性という設定だが、映画の影響で俺の脳内変換ではずっとデンゼル・ワシントンになっている。

著者のジェフリー・ディーバーは弁護士で、これまでのライム・シリーズの多くが社会問題を扱っていた。しかし、本作はひたすら手品やイリュージョンに関する雑学と、それらを駆使したトリックに終始している。普通のミステリ小説としてストーリーを追いかける分には、最高級と言って良い面白さだが、社会問題への切り込みがなかったぶん物足りなかったことは否定できない。

シリーズ初期と比べて翻訳もだんだん巧みになっている。そりゃそうだ、プロだって成長し続けるのだから。もちろん、精神科医も成長する、しなければいけない。そんな変なところでプロ意識を刺激された一冊。

2015年11月30日

子育て中の人たちに勧めたい! 毎日の子育てが少しだけ軽く楽しくなる本 『子どもの心のコーチング』

親の気持ちは、自分が親にならないと分からない。「親」というのは、親になって初めて体験することだからだ。では、子どもの気持ちはどうか。誰にだって子ども時代があるのだから、子どもの気持ちなんて分かりそうな気もするが、それは間違っている。「その子」の気持ちは、その子にならないと分からないものである。子どもの頃の自分と、いま現在「子ども」として生きている彼・彼女は別人なのだ。

数週間前、長女サクラのこだわりや癇癪、こちらの言うことをきかないといったことに頭を悩ませた時期があった。そこで、ものは試しとばかりにネットで評判の良い本を2冊買ってみた。


子どもの心のコーチング―一人で考え、一人でできる子の育て方

分量はそう多くないので、その気になればあっという間に読み終える。書いてあったことを帰宅してサクラに試してみたところ、すんなりと言うこときいてくれた。

あらら、簡単。

他の類似の本と比べて特別なことが書いてあるわけではない。むしろ育児の本ならどこにでも書いてありそうなことだ。それなのに、読むと「やってみよう」と思わせられる。『子どもの心のコーチング』というタイトルだが、実は親である自分がコーチングを受けたのだということに気づく。

本書の最後に、作者不詳の「ひび割れ壺の物語」というのが紹介されていた。それをかなりざっと俺なりの物語に換えて記す。
昔々、あるところに「ひび割れた壺」がいました。

ひび割れ壺の持ち主は、ひびについて不平を言うことはありませんでしたが、それでもひび割れ壺はこころを悩ませていました。というのも、持ち主が川で水をたっぷり入れても、家に帰るまでに少しずつこぼれてしまい、帰宅したころには水が半分に減っていたからです。そのせいで、持ち主は他の人の二倍、川まで往復しなければなりませんでした。

ある日のこと、ひび割れ壺は持ち主に「ごめんなさい」と謝りました。
「どうして謝るんだい?」
「それは、私のせいで、あなたが人より多く歩かなくてはならないからです」
「なーんだ、そういうことか」
持ち主は笑って、家の中に飾られた花々を指さしました。
「川から家までの間に、君がこぼしてくれた水のおかげで咲いた花たちだよ。君が水をこぼさなかったら、僕はこうして花を飾ることができなかっただろうね」
俺にもひびがある。妻にもひびがある。長女サクラにも、次女ユウにもひびがある。誰にだってひびがあるはずだ。そして、そのひびのおかげで咲く花があることに気づければ、子育てだけでなく、人間関係全般がきっともっと楽になる。

さて、もう一冊。

こちらも人気はあるのだが、『子どもの心のコーチング』よりは分量がやや多い。読んでみて、今日から実践してみようかと思うでもなく、全体として「親であることの心構え」の授業を受けたという感じ。時間の余裕のある親、意識の高い親、あるいは悩みの深い親に向いているのかなぁ、なんてことを考えた。

お勧めは断然、『子どもの心のコーチング』である。

2015年11月26日

長女サクラのお気に入り物語 『おきゃくさんはオバケ』

最近の長女サクラのお気に入りは、歯磨きを終えて布団に入ってからの寝物語だ。
「パパー! むかしむかし、して!」
サクラの合図で、物語が始まる……。



「むかーし、むかし、あるところに、パパと、ママと、サクラちゃんと、ユウちゃんが住んでいました」

そう、この物語は我が家を舞台にした、アドリブ豊富なオリジナル劇なのである。

ある日、パパとママはお買い物に行くことになりました。サクラちゃんとユウちゃんはお留守番です。パパとママは言いました。

「サクラちゃん、ユウちゃん。お客さんが来ても、絶対に玄関を開けちゃいけませんよ」

「はーい」

二人は元気に返事をしました。パパとママが出かけた後、サクラちゃんとユウちゃんはお馬さん(のオモチャ)に乗ったり、ソファでピョンピョン飛んだり、おままごとをしたりして遊んでいました。すると……、

ピンポーン。

あれ? 誰か来ましたよ。インターホンのテレビで見ると、外には……。


ここでサクラに「誰が来たのかな?」と問いかけると、サクラが思いつきでオオカミとか、オバケとか、いろいろなものを挙げる。この日サクラが思いついたお客さんは、
「たまねぎオバケとー、にんじんオバケとー、納豆オバケとー、にくにくオバケ!」
であった。


インターホンのテレビには、たまねぎオバケと、にんじんオバケと、納豆オバケと、にくにくオバケがうつっていました。そして、みんなそろって言いました。

「サクラちゃん、ユウちゃん、遊びに来たよー。開けてください」

(ここで「どうしよう?」と小声でサクラに聞くと、「ダメ……」と答える)

「パパとママが開けちゃダメって言っているから、ダメーッ!!」

サクラちゃんは大きな声で言いました。すると……、

ドンドンドンドン!!

オバケたちが玄関を叩きます。とても大きな音です。そして……、

バリバリ、ガチャーン!!

玄関が壊れて、オバケたちがお家に入ってきました。大変だ!!

どうしよう、どうしよう。

その時、ユウちゃんが言いました。

「サクラお姉ちゃん! お姉ちゃんはたまねぎとにんじんが大好きだから、食べちゃってよ!! ユウは納豆とにくにく食べるよー!!」

そして、サクラちゃんはたまねぎオバケをパクリ! にんじんオバケもパクリ!!

ユウちゃんは納豆オバケをパクリ! にくにくオバケをパクリ!!

みーんな、食べてしまいました。


「ただいまー!」

あっ、パパとママが帰ってきました。パパとママに、サクラちゃんは言いました。

「パパ、ママ、今日ね、たまねぎオバケと、にんじんオバケと、納豆オバケと、にくにくオバケが来たよ! でもね、サクラとユウちゃんで食べてしまったよ!」

(ここから先は、毎回のお話の定番の流れになっている)

それを聞いて、パパとママは大笑い。

「サクラは面白い夢を見たんだなぁ」

サクラちゃんは怒ります。

「夢じゃないもん! プンプン!!」

そんなサクラちゃんを見て、パパとママはますます大笑い。

そして、みんなでお風呂に入って、みんなでご飯を食べて、みんなで歯磨きをして、それからみんなで仲良く寝んねしました。めでたし、めでたし。おしまい。


はい、寝るよ!!


「もういっかーい! 今度はねー、ぶろっこりオバケとー、おおかみオバケとー」


お……、おぅ……。



適当すぎる寝物語も楽じゃない。

2015年11月25日

『クマのパディントン』の作者によるミステリ小説? 『パンプルムース氏のおすすめ料理』


サラッと読み終えるミステリ、なのかな? というのも、大きな謎もトリックもなく終わってしまうからだ。

舞台はフランスの田舎町。主人公のパンプルムース氏は警視庁の凄腕警部だったが退職して、現在はグルメ本の会社でレストランの覆面評価を行なっている。相棒は元警察犬のポムフリットで、この犬もグルメである。

推理小説というよりはユーモア小説という感じで、下ネタもたくさんある。これがフランス流のユーモアかぁ、うん確かに映画『アメリ』のような雰囲気があるぞ、うむうむ納得だ、と思ったら著者はイギリス人だった。あぁ、イギリス流のジョークなのか。

ちなみに、著者のマイケル・ボンドは『クマのパディントン』の作者でもある。

2015年11月24日

最近のサクラのお姉ちゃんっぷりが素敵

長女サクラも次女ユウも大好きなチーズ。お互いに一つずつあげると、ユウのほうが先に食べ終えてしまう。そしてユウがもっと欲しいと言ってゴネる、泣く、叫ぶ。そんなユウの姿を見たサクラが、自分の残ったチーズを半分に割って、
「はい、どうぞ」
そう言ってユウにあげていた。

また別の日には、大好きなヤクルトを少し残して、ヤクルトが飲みたいと言って泣きじゃくるユウに渡していた。褒められたいからやっている、というわけではなく、すごく自然に「はい」と言って渡す姿がキラキラ光って見えた。

ほんの数ヶ月前までは、ことあるごとに物の取り合いをしては、次女ユウにつねられて泣いていた長女サクラ。ユウが少し成長して、めったやたらとサクラをつねることがなくなって、それに伴ってサクラが泣かされる回数が激減。そしてユウの成長と同時に、サクラがぐんぐんとお姉ちゃんになっていく。そんな二人を妻と一緒に見つめ、語り、時に腹を抱えて笑い合う。

なんとも楽しくて素敵な毎日を、ありがとう。

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寒くなる前に、少し早目の大掃除を手伝うサクラ。

2015年11月20日

「眼球とは、剥き出しになった脳である」という言葉を思い出す一冊 『心の視力‏』

森の中で生活し、森から出たことがないという人は、遠近感覚が凄く乏しいらしい。自分から一番遠いものが2メートル先という生活を続けると、脳がそのような環境に適応してしまうのだ。

あるピグミー族の男性を森から連れ出した人の手記によると、そのピグミーの男性は遠くにある山を手でつかもうとした。さらに車で移動中に、
「あの虫は何だ?」
と言うので、彼が指さすところを見るとバッファローであった。森の中で生活している限り、「小さく見えるもの」は小さいのだ。ところが広い世界には遠近がある。結局、この男性は車がバッファローのいる場所を通り過ぎるまで、決して窓を開けようとしなかったそうだ。彼にとって「徐々に大きくなっていくように見える虫」が、どれほどの恐怖と衝撃を与えたのか、想像すると面白い。

これと似たような体験を中学3年生の時にしたことを思いだした。日本の山田舎で育ったので、ピグミーの男性ほどではないにしても、遠くにあるものはせいぜい数キロ先の山であった。夏休みに祖父とアメリカに10日ほど滞在し、グランドキャニオンに行った。あの雄大な景色を見た瞬間、遠近感がずれたような感じがした。遠くにあるのか近いのか、大きいのか小さいのか。知識ではちゃんと分かっているのに、知覚のほうが追いつかない。目まいがするようなその感覚に、胴震いしたほどである。


本書の原題は『The Mind’s Eye』。オリヴァー・サックスは様々な本を書いているが、今回は知覚の中でも特に眼と脳の関係について、自らが出会った症例と自分自身の体験から深い考察をしている。仕事で眼に関わる人、脳に関わる人、好奇心旺盛な人に勧めたい一冊。

ところで、邦題は『心の視力』であるが、日本で視力と言った場合、一般的には「1.0」とか「0.3」とか乱視とか遠視とか、そういうものを思い浮かべる。このように「視力」という日本語は、眼という器官に集中しすぎるところがあるが、本書のテーマはあくまでも「眼と脳」であり、「Eye」を敢えて「視力」と訳さずとも、『心の目』あるいは『心眼』としたほうが内容的にもしっくりくるのではなかろうか。

2015年11月19日

罪の償いとは何だろう? 模範囚とはどういう意味だろう? 刑務所で大人しく過ごすことが罪を償うということなのか? 『白昼凶刃』

通り魔によって、1歳男児、3歳女児、27歳の母が殺害された現場を目撃した主婦はこう語る。
「倒れた奥さんは『ロアール』の前に仰向けになり、痛い痛いと苦しんでいたいので、“すぐ助けが来るからね”と声をかけてあげました。幼稚園の子は仰向けに倒れて苦しがり、お腹から腸が飛び出して、それを両手でつかんで身をよじっていました。お母さんはその横に倒れて、何かを訴えているようなので、“お子さんはだいじょうぶよ”と声をかけてあげたら、そのとたんに動かなくなりました。診療所の先生はバギーに乗ったまま倒れている赤ちゃんを介抱していましたが、“まもなく死ぬ”といわれ、赤ちゃんはボクシングをするような恰好で両手を前に突き出し、目を開いて口惜しそうな顔をしていました」

白昼凶刃―隣りの殺人者

昭和56年6月17日、歩行者6人を次々と刺し、4人を殺害した川俣軍司(本書内では川本軍平と記載されている)の生い立ちから犯行、裁判の結審までを追いかけたルポである。自分の子どもがちょうど3歳と1歳、妻が29歳で、被害者とまさに同じような家族構成であるために他人事とは思えず、胸が痛む話であった。妻子3人を失った会社員は、若くして父母を亡くし、兄弟姉妹もいなかったため、幸せな家庭に憧れていたそうだ。ようやく手に入れた幸せな家庭生活を踏みにじられ、その後しばらくは酒浸りで体調を崩し、
「この家に居れば妻や子が居る気がして、部屋で子どもとフザけっこする夢を見る」
と洩らし、行き先を明かさずに引っ越しをしたようだ。

逮捕後、犯行方法を確かめるため、警察署で婦人警官を被害者に見立てて再現させたところ、川俣は冷静に再現してみせた。たいていの被疑者は罪の意識にとらわれて手足がすくむそうだが、川俣は平然とやる。それがあまりにも真に迫っているもので、襲われる役の婦人警官が逃げ腰になるほどだったという。

こんなことをしておきながら、警察には、
「殺す意志はなかった、俺が刺したらたまたま死んでしまった」
というようなことを言ってのける。遺族でなくても腹立たしい言い分だが、遺族であれば気も狂わんばかりになるだろう。

死刑を免れて無期懲役で結審した後、川俣は弁護士らに控訴したいと言い出した。二名の弁護士は必死になってそれを止めた。すると川俣は数日考えた後に控訴を取り下げることにする。そして弁護士に、
「今度こそ家庭をもって幸せになりたい。でもお勤めは無理でしょう。誰も雇ってくれないだろうから。……、いや、世の中には物好きがいるから、俺のことを使ってくれるかもしれない」
そんなことを饒舌に語った。
「先のことはともかく、今は罪の償いをしなさいよ」
弁護士にそうたしなめられて、川俣はこう言った。
「だから、模範囚になれば、早く出所できます。十年も経てば出れるから」
罪の償いとは何だろう?
模範囚とはどういう意味だろう?
刑務所で大人しく過ごすことが罪を償うということなのか?

ふと、神戸連続児童殺傷事件の加害者である「元少年A」を思い出した。彼が事件をネタに本を出版したりホームページを作成したりして、遺族の心情を逆なでし続けているにもかかわらず、「元少年A」という匿名で守られていることに違和感と腹立たしさを抱く人は多いだろう。これに対し「法に則った処罰を受けて、罪は償ったのだから」という意見もある。

人を殺した罪を償うということは、そういうことなのだろうか?
俺は違うと思う。
そして、法的に処罰しても罪の償いができない人間には、それ相応の社会的処罰が必要だとも思う。「元少年A」に関して言えば、それは実名と顔写真の公開だろう。

本書の話とは無関係なところへ話が飛んだが、そんなことを考えさせられた。


<関連>
人を殺すとはどういうことか

2015年11月18日

抑制のきいた文章に目頭が熱くなる 『たった一人の生還』


海での漂流記である。

タイトル通り、生き残ったのは著者一人。救命イカダに乗った仲間たちは、一人また一人と命を落としていく。著者は決して自賛することなく、かといって卑屈になったり卑下したりすることもない。逝ってしまった仲間のことを真摯に語り尽くしたいというひたすらな想いがひしひしと伝わってくるような、そんな抑制のきいた文章に思わずこちらの目頭が熱くなる。

素晴らしい本だった。

2015年11月12日

『黄泉がえり』『エマノン・シリーズ』を書いた梶尾真治の想像力とユーモアが光る 『ゑゐり庵綺譚』


惑星ズヴゥフルⅤにあるソバ屋「ゑゐり庵」(エイリアン)の主人であるアピ・北川を主人公としたSF短編が16本と、わりとシリアスな内容の短編2本、それから『包茎牧場の決闘』というもの凄く卑猥なのに、読み終わってみるとなんだか壮大な話だったという短編からなる。

本の最初で、「これは、アイデア・ストーリーを作るという作業に、ひたすらのめり込んでいた時期の作品です」とあるとおり、いずれもキラリと光るアイデアを小説に紡いだという感じで、どれもこれもが面白かった。タイトルからは、もっとフザけた感じのドタバタSFかなと思っていたが、内容はシリアスなものも多かった(ただし登場人物や惑星や宇宙船の名前などはかなりユーモラス)。

SFというだけで毛嫌いする人がいるが、SFは舞台を近未来・未来に設定してあるだけで、中身は普通の小説同様に人間模様や心の機微を描いてあることが多いし、またそうでなければ読んでいて面白くない。本書もSFではあるが、通常の短編集と考えて読んでも充分に楽しめるし、SF初心者にはよくまとまった短編ばかりなので読みやすいはずだ。

2015年11月10日

「バカがボーッと観ていても理解できる」といった酷評にも頷ける 『ゼロ・グラビティ』


子どもたちを早く寝かしつけて、妻とワインを飲みながらの映画ナイト。そこで選んだのが本作。

感想は「面白かったぁ」だが、その後にネットで評価が分かれていることを知り、確かに否定的意見にも納得できるところがあった。シンプルすぎるストーリーについて「バカがボーッと観ていても理解できる」といった酷評もあり、これには思わず吹き出してしまった。確かに単純な映画だった。

壊れた宇宙船から別の宇宙施設まで、ガスをプシュプシュやりながら移動するというのはさすがに無理がある。いくら宇宙には空気がなくて光が弱まりにくいといっても、何十キロも離れている施設を目視できるとは思えない。あの描き方だと、何百メートルしか離れていないような設定だと思うが、実際には施設同士がそんなに接近していることなんてほとんどないんじゃなかろうか。

俺が気に入ったのは、サンドラ・ブロック演じる女性博士が地球に帰り着いて、よろけながら見せた嬉しそうな表情。重力を感じることへの喜びと、その画面に重なる「gravity」の文字。良い組み合わせだと思う。ところで、この映画の原題は『GRAVITY』。どうして邦題でゼロを付け足したのだろう?

宇宙船とか潜水艦とか、そういう密閉空間ものの映画が好きな俺からしたら充分に楽しめたのだが、これでアカデミー受賞というのはやりすぎかな。

2015年11月6日

波乱がないのに退屈しない船乗りたちの無人島生活 『無人島に生きる十六人』


船が難破して、十六人の日本人船乗りが無人島で生活することになった。この時の話が、当時の船長の目を通して語られる。

無人島生活は規律のとれたもので、ケンカやもめ事などの派手な話はない。もちろんラブストーリーもない。いや、あった。島に棲息していたアザラシたちとの、人と動物の親愛という意味でのラブではあるが。

そんな無人島での暮らしぶりが、テンポ良く、活き活きと描かれて、退屈せずにぐいぐい読まされていくうちに、あっという間にラストを迎える。すごく素敵な終わり方だったが、具体的にどういう結末だったかはここには書くまい。

2015年11月5日

果てしない切なさの中に、一筋だけ希望が光る 『夜のふくらみ』


ドロドロに見えるのに、なぜか爽やか、だけどチクリと胸に切ない、そんな小説。これはもう窪美澄(くぼ・みすみ)の十八番といって良いストーリーだろう。

小さい頃から憧れていた2歳年上の圭祐に高校1年生で告白されて付き合いだした「みひろ」は20代後半。圭介の弟の裕太はみひろの幼なじみで、みひろにずっと恋している。全部で6章から成るこの小説は、各章の主人公がみひろ、裕太、圭介の順で繰り返す。

これはジャンルとしては恋愛小説というのだろうか? なんだか恋愛ものとは違う気がする。恋愛事情を軸にしつつも各人が背負う人生を描いてあり、もし映画化されてレンタルビデオ屋に並ぶなら「ドラマ」のジャンルに置いて欲しい、そんな一冊。

2015年11月2日

形を味わう人、色を聴く人、そんな共感覚者について深く考察していく硬派な一冊 『共感覚者の驚くべき日常』


音を聞くと色が見えたり、食べ物を味わうと手触りを感じたりといったぐあいに、ある感覚刺激があった時に、別の感覚が生じる人たちがいる。こういうケースを「共感覚」と言い、最近はわりと知っている人も多いかもしれない。

本書は、10万人に1人とも、2万5千人に1人とも言われている共感覚者をテーマにした本。面白そうなタイトルだが、中身はかなり硬派なのでだまされてはいけない。神経内科医が、専門用語・医学用語をふんだんに使いながら共感覚の謎に迫っていくので、脳神経系の解剖学に疎い人が読むと、きっと眠くなる。下手したら投げ出すだろう。

精神科医としては、臨床のヒントになることや医療者としての教訓がちりばめられていて、同じ医療者にはお勧めしたい一冊だが、上記したようにあまり解剖に詳しくない人はチンプンカンプンになりかねない。脳神経の解剖なんて忘れちゃったという人は、避けておくが吉かもしれない。

2015年10月23日

性描写もちょいちょいある短編集 『雨のなまえ』


窪美澄の短編集。これまで読んだ彼女の小説は「連作」短編集が多かったが、本書はまったくつながりのない、それぞれが独立した短編集。

5編から成り、いずれも素敵な読書時間を与えてくれるのだが、読後感はどうかと言われると……、あまり良くない。ハッピーエンドでない、その先にまだドロドロした何かが待っていそうな、そんな空気感を漂わせて終わってしまうのだ。かといって尻切れトンボというわけでもなく、実に窪美澄らしい幕のおろし方である。

性描写もちょいちょいあるので、年ごろの子どものいる家庭ではリビングでの置きっ放し注意。

2015年10月20日

博多を舞台に、ホークスも出てくる 『消し屋A』


主人公は消し屋である。名前も戸籍もコロコロ変えて生きている(本書では名前は幸三)ため、ここではタイトルのように主人公を「A」と呼ぶ。消し屋とは簡単に言えば殺し屋なのだが、Aの場合、ただ殺すだけではない。発覚しないよう殺人の痕跡を「消す」こともあるが、他にも警察の捜査のやる気を「消す」ということもやる。ありふれた事件・事故に見せかけ、警察からありきたりな推測を引き出し、本格的に捜査しようという気概を奪うのだ。まぁ現実にはそう簡単ではなかろうが、設定としては面白い。

Aのキャラに格別魅力があるというわけでもなく、物語も全体的にちょっとえげつない感じなのだが、舞台が福岡であることと、ホークスが出ること、博多弁での会話がメインであることが良かった。そして標的となるホークスのキャッチャー・真壁の人柄と男っぷりが格好良くて惚れました。ウホッ。

2015年10月15日

人類に共通する喜びや悲しみといった感情に触れる 『世界はフラットにもの悲しくて 特派員ノート 1992-2014』


藤原章生が携帯サイトや雑誌に載せた文章に加筆・修正して一冊にまとめたもの。46編のエッセイで構成され、すごく惹きつけられるものと、そうでもないものに分かれる。

魅力的な写真がふんだんに使われており、舞台はラテンアメリカやアフリカがメイン。自分とは今後も縁がなさそうな国や町ばかりなのだが、人として共通する喜びや悲しみといった感情に触れることができ、タイトルにあるように「フラットなもの悲しさ」がじわりと胸にくる一冊。

2015年10月13日

寝る間を惜しんで読み耽ってしまった 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』


ネットワーク理論についての本、というとなにやら難解なイメージを抱くかもしれないが、語り口は基本的に平易だし、具体例は豊富だし、翻訳も上手いし、読むのが苦にならないどころか寝る間を惜しんで読んでしまった。

同じ著者が書いた『バースト』はちょっと歯ごたえがあって、手放しではお勧めできなかったが、本書は「ネットワーク」「ネット」という単語のついた言葉(インターネット、人材ネット、ネットワークビジネスなど)に少しでも興味のある人なら読んで損はないだろう。

<関連>
肥満は伝染する。 『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力 』

2015年10月9日

肥満は伝染する。 『つながり 社会的ネットワークの驚くべき力 』


肥満は伝染する。

こんなことを書くと反発する人がいるかもしれない。実際、2007年に本書の著者らが研究結果を発表した時には大反響が起こり、反論、批判のメールも多かったらしい。しかし、「肥満が伝染する」のは大規模なデータから様々な交絡因子を排除して得られた結論であり、またこの発表後にもいくつかの研究チームが別々の集団で肥満の伝染を確認している。

確かに日常生活において、太っている人の家族は太っていることが多い。これは食生活や遺伝のせいだろうと思っていたが、太っている人の友人も太っていることが多いのはなぜだろう。太っている者同士が集まる、いわゆる「類は友を呼ぶ」ということで一応の説明はできる。ところが、あるグループのうちの誰かが太ると、その人を除いたグループ内の平均体重が増加するという事実は「類は友を呼ぶ」では説明できない。その逆もあり、誰かが痩せるとグループ全体も細くなる。

「肥満は伝染する」というのはキャッチーではあるが、より正確には「行動(過食やダイエットなど)が伝染する」ということで、これは言われるまでもなく感覚的に理解できる。このことをもっと詳しく、もっと体系的に調べ上げてまとめたのが本書である。

他にも興味深い話題が豊富であり、この本をネットワークに関する入門書として読むのも良いし、人によっては自己啓発本としても活かせるだろう。ある人と他者とのつながりの数と質によって、その人の人的ネットワーク上の立ち位置が変わり、それは人生において大いなるプラスになるが、時にはマイナスにもなりうる。残念なことに、本書はどういうつながりが良質なのかを教えてはくれない。そういう安っぽい本ではない。読むと「つながりを意識する」ようになる。そして、これがきっと著者の狙いである。

ちなみに著者の一人・クリスタキスは内科医で、社会学者でもある。

2015年10月8日

ラミクタールの処方開始時に気をつけていること

ラミクタール(てんかん、躁うつ病の薬)の処方時には、患者や家族に対して副作用で重篤な皮疹が出るかもしれないことを説明する。それと同時に「初めて飲む前に、鏡で全身をチェックしておく」ことを勧めている。というのも、もともとあった皮膚の発赤などを皮疹と勘違いして慌てて中止する人がいるので、事前に自分の体を観察しておいてもらうのだ。それから、皮疹が起きた場合の対応方法も、
「まずすぐに中止する。水ぶくれができたり、口内炎ができたりしたら、なるべく早く救急外来を受診する」
など簡潔に指示しておく。

また、ラミクタールは精神科医にはお馴染みの薬で、重篤な皮疹が出るリスクも把握しているが、その知識がすべての身体科の先生に行きわたっているとも思えないので、処方開始時から安定するまでは、電子カルテの付箋機能(※)を使って、
「〇月△日にラミクタール開始しました。重篤な皮疹で救外を受診された時はスティーブンス・ジョンソン症候群に準じて治療をお願いします」
と記載している。

薬の副作用というのは、患者に「起こるかもしれない」と説明するだけでなく、起こった場合にはどうすれば良いのかまで指導してこそ意味がある。また重篤な副作用のリスクがある薬を処方する場合には、情報を他科とも共有できるよう心がけておくことも必要だろう。

※付箋機能を使えば、患者カルテを開いた時に必ず最初の画面に表示される。

2015年10月6日

ジェットコースターのような小説 『裏切りのステーキハウス』


木下半太の小説は、ジェットコースターみたいに右に左に揺さぶられた挙げ句、天地が逆さまになる一回転が待ち受けている。今回は会員制のステーキハウスの中だけで話が進むのに、状況が二転三転四転していく。ちょっとバイオレンスが入るので、そういうのが大丈夫な人にはお勧め。

2015年10月5日

地球上に生命が誕生してからのすべての記憶を受け継ぐ存在エマノンを中心に描かれるシリーズもの 『まろうどエマノン』


地球上に生命が誕生してからのすべての記憶を受け継ぐ存在エマノン。人類が誕生してからは常に女性であり、一人だけ女児を生み、その子にすべての記憶を受け継ぐ。名前はなく、「No Name」を逆から読んだのがエマノンである。

エマノン・シリーズでは、そんなエマノンと出会った人たちの視点から語られることが多い。本書では中編が二つ。どちらも面白かったが、特に表題作である「まろうどエマノン」は涙ぐみそうになってしまった。

エマノン・シリーズはお勧め。

2015年9月30日

もの凄い疾走感で引っ張られていく 『知らない映画のサントラを聴く』


とにかくもう、もの凄い疾走感で引っ張られていく。カバーイラストはラノベ調で、文章全体からもそういう雰囲気は漂うのだが、言葉の選び方、ストーリーの運び方、登場人物の人数や設定などが絶妙で、読後感もスッキリのとした良い小説だった。

恋愛小説とは銘打ってあるが、俺はほろ苦さと切なさを含んだ青春小説に感じられた。騙されたと思って読んでみて欲しいくらい、お勧め。

2015年9月25日

質・量ともに、大人が読むのにちょうど良い!! 『予告犯』


非常に面白いコミックだった。最近映画化され、CMで面白そうだったので原作を読んでみた。

新聞紙で作った覆面をかぶり、ネット動画で犯罪予告を行なう男と、彼を追う警察との攻防が描かれる。随所にネットスラングやネットサーフィンで見慣れた画面が出てきて、時には実在の人物や団体を風刺した内容が盛り込まれるので、ニヤリとしたり思わず吹き出したりする。

3巻で完結する分量と中身のバランスがとても良い。海外での評価も高いようで、映画を観る前に読んでみても良いんじゃなかろうか。

2015年9月24日

「病院食が美味しくない」と市議会で問題視された

病院食が美味しくない、と市議会で取り上げられたらしい。

おいおい……。

まず、うちの病院は市立ではないから、市議会で問題にしてもほとんど意味がないのではないか? 知人の市議会議員に文句を言った人がいるのかもしれないが、それは筋違いであろうし、それを議会に持っていった議員も何を考えているのだか……。

それから、現在は病院食は外部委託していて、もしも市議会がその会社に「病院食の味」の改善を求めたとしたら、それはそれで問題があるような気がする。経営や衛生面の改善を市が求めるならまだ理解はできるが、味はねぇ……。

病院で当直もしている師長によると「確かに美味しくない」らしいのだが、それが議会で取り上げられるという前代未聞さに驚き呆れてしまった。

ところで俺は、家の中でも外でも人が作ってくれたものを「美味しくない」と感じたことがほとんどない(※)。舌の許容範囲の最低ラインが低いのだろう。この最低ラインが高い人は大変だね。


※医学部時代に家の近くにあった中華料理屋の野菜炒めは食べられたものではなかった。まずいというより、油の中に野菜が浮いていると表現したくなるくらい油だらけだったのだ。

2015年9月18日

僕の父は母を殺した

小学校6年生の時に、実父が実母を殺した。

事件当初は、母が酔った上での溺死と思われた。父と二人で支え合いながらの二年間を過ごし、そして父は著者の目の前で詐欺容疑にて逮捕される。それからしばらくして、テレビニュースで父が母を保険金目当てで殺人したという情報を知ることになる。


著者は父を激しく憎み、それから何年もの間、万引きやバイク泥棒と素行は荒れ狂い、自殺未遂も繰り返した。そしてついに、自らの前進のため拘留中の父と会う決意をする。

父と直接に話し、手紙をかわし、著者は裁判では認められなかった「父にとっての事実」を知る。しかし、だからといって、「裁判では認められなかったが、父の言い分のほうが真実だ」とは主張しない。あくまでも「父の話」であり、周囲はともかく自分はそれを信じる、と明言するに留めている。そして、父が高裁で死刑判決を受けた後も、なんとか死刑を免れるように手を尽くす。

「死刑に反対というわけではない。ただ、自分は加害者家族であると同時に、被害者遺族でもある。そして自分のように、被害者遺族が死刑判決を望まない、そんなケースもあるのだということを伝えたいだけ」
そういうふうに著者は語る。

本のカバーに顔も含めた全身の写真を使い、実名を明かしたうえで、こういったことを主張していくのは相当に勇気が必要だっただろう。また不利な扱いを受けることも多かっただろう。それでも著者は腹をくくって、表舞台で堂々と自分の考えを訴えている。

冗長さもなく、スッキリとまとまっており、時おり涙ぐまずにはいられなかった。

どうにもショボい「元少年A」とは大違いである。

2015年9月16日

天才神経内科医オリヴァー・サックスが自らに起きた転落事故と入院体験を語る 『左足をとりもどすまで‏』


「天才」という言葉にふさわしい神経科医であるオリヴァー・サックスが、自ら登山中に転落して左足に受けた障害から立ち直るまでを描いたもの。時に詩的な、時に臨床医学的な、さまざまな言葉を使いながら、日記のような考察のような、そんな一冊を織りなしていく。

サックス先生は、自らが入院することで、「患者になる」とはどういうことかを書いている。それは「体系的に個人化されることなのだ」とサックス先生は言う。この本は1983年頃に書かれているようだが、それから30年以上がたった今、医療はどのようなものになっているだろうか。幸か不幸か、自らが大病をしたことがない俺にとっては判断のしようがないが、サックス先生が入院した当時よりは良い医療を提供していると思いたい。

左足に大けがをしたサックス先生は、その「左足が自分のものでない」ような奇妙な感覚に悩まされる。そういえば、俺も19歳の時に右の人差し指を骨折したことがあった。その時には、その人差し指が自分のものではないような感じがする、ということはなかったが、違和感があったのは確かだった。そういう違和感を深く考察する若者であれば、今の俺はもう少し違ったところにいるのかもしれない。

最近の長女サクラと次女ユウとの関係

ユウは、サクラが持っているものなら何でも欲しがる。

サクラは、ユウが欲しがるものは何一つあげたくない。

2015年9月15日

「目を背けてはいけない、これが世界の真実だ!」 なんてことはない。そこにどういう意味を見出すか、どんな時代の空気を読み取るか、それはすべてあなた次第 『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』


ピュリツァー賞を受賞した報道写真が、時代背景や写真撮影時のエピソードとともに掲載されている。1942年から現代のものまで、各年で見開き2-4ページくらい。中にはショッキングなものもあるし、思わず涙ぐみそうになるような写真もある。

「目を背けてはいけない、これが世界の真実だ!」

ということはない。「写真」とはいうものの、どんな写真家であっても真実を写すことは不可能である。多くの場合、撮影者の意図があり、目的がある。そういうものはなく、ただタイミングが良くて撮れた写真(※)だとしても、その出来事の「真実」を写しているわけではない。あくまでも「場面」を切り取っているにすぎない。

そこにどういう意味を見出すか、どんな時代の空気を読み取るか、それはすべてあなた次第なのである。

ようやく読み終えたと思ったら、第2版である2015年の最新版が刊行されてしまった。さすがに追加で買うことはしないが、これから買おうと思う人は間違うことなく最新版を購入するように!!

※例えば有名な「ハゲワシと少女」という写真は偶然の産物であるが、これがどうやって撮られたのか、そして世界中から非難を浴びた撮影者がなぜ自殺したのかについては、『絵はがきにされた少年』に詳しく書いてある。

2015年9月14日

心のどこかに引っかかって留まり続ける一冊 『絵はがきにされた少年』


とんでもなく面白いというわけでもないのに、なぜか心のどこかに引っかかって留まり続けるような内容の本。

多くの日本人にとっては非常に縁遠いであろうアフリカ。そこに長年滞在したジャーナリストが、アフリカのいくつかの国の現状や歴史、自らの体験、調べたことや感じたことなどを綴ってある。

表題作『絵はがきにされた少年』では、裸でクリケットをやっていた少年が、村にやって来たイギリス人に写真を撮られる。当時の少年は写真というものを知らず、成人してから自分の写真が外国で絵はがきになっていたことを知って驚く。彼はそのことについてどんなことを想い、感じ、どんな行動をとったのか。決して派手ではないが、多くの人の予想を裏切るんじゃないだろうか。

他にも『ハゲワシと少女』というピュリツァー賞をとった写真の裏話(実はみんなが考えているような写真ではなく……というもの)と、その写真を撮ったカメラマンが自殺したことに関する真相など、短いエッセイはいずれも興味深かった。アフリカにはあまり興味がなかったけれど、なんだか少しだけ心が惹かれるようになってしまった。

2015年9月11日

死者を鞭打ちたくなるほどの衝撃 『家族喰い』


兵庫県尼崎市を中心に発覚した大量変死・失踪事件を地道に追いかけたルポ。

これまでにも殺人事件をあつかったルポは何冊か読んだが、この事件はとにかく人間関係が複雑に絡んでいて、読んでいても誰と誰がどういうつながりでどうなっているのか頭が混乱しそうだった。いや、実際に混乱した。

主犯とみられる角田美代子は逮捕後に拘置所内で自殺した。彼女は相手が自分より弱いか強いかを見抜く目が圧倒的に優れていた。そして弱い者には徹底的に攻撃的に、強い者にはとことんへりくだる。そうやって自らの王国を築き上げていった。

死者を鞭打つのは心苦しいものだが、この角田美代子については、死んでもなお厳しく鞭を打たれ続けなければならないだけの業がある。

安らかに眠っている場合ではないぞ、オバハン。

2015年9月8日

安保法案に興味がある人であれば立場を問わず読んでおくべき一冊 『メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会』

安保法案というと、賛成派でも反対派でも、多くの人が「アメリカ」の存在を意識すると思う。ではそのアメリカが、どういう外交戦略をとり、実際にどういうことをしてきたのか、ということを真っ正面から指摘して突っ込んでいるのが本書。著者は現代における知の巨人とも言われるノーム・チョムスキー


2001年9月11日のテロ以前は、あまり深く考えることもなくアメリカ礼賛主義であったが、その後の対テロ戦争という大義と、アフガニスタン爆撃やイラク攻撃などを見て、アメリカはちょっと危ない国なのではないかと感じ始めた。素晴らしいところがたくさんあるのは確かだと思うけれど、どうもそれだけじゃないぞ……、という警戒感。

一般人を巻き込んだテロへの報復が大義として成り立つのなら、アメリカの首都ワシントンだって他国から報復攻撃を受けるだけの充分な資格があるではないか。ベトナムを見よ、ハイチを思い出せ、アフガニスタンやニカラグアやパナマでやったことをふり返れ。というのが、これまでアメリカがやってきたことを「大義」という色眼鏡をつけずに見据えたチョムスキーの、ちょっと過激だが、確かに一理あると思わせる意見。

今のところ、俺は安保法案に対して消極的賛成派だが、本書は賛成か反対かに関わらず、安保法案に興味がある人であれば立場を問わず読んでおくべき一冊だろう。平和憲法云々の議論は置いといて、アメリカと超親密な蜜月関係を築いて保つことが本当に良いことなのかどうか、考えさせられること請け合いである。

2015年9月4日

邪悪、とにかく邪悪、ひたすら邪悪。その邪悪さに怖くなる 『模倣犯』



面白い本を読むという快感を長時間にわたって与えてくれる本。

多くの登場人物の背景を細部まで描くところが宮部みゆきらしく、そこが読者の好みを分けるかもしれない。小説の奥行きはぐっと深まるのだが、ストーリーのスピーディな展開を期待する人にはもどかしいだろう。

殺人には加害者と被害者がいるだけでなく、加害者にも被害者にも、家族や恋人や友人がいる。そして、そういう人たちで織りなしている社会という布地の1ヶ所が殺人で破れると、その周りが次々とほつれていく。本書ではそういう「ほつれ」の残酷さや切なさが大きなテーマで、だからこそ「こんな脇役についてもここまで背景・細部を描写するか」と思えるほどに描きこまれていて、それが実際に活きている。

犯人の底なしの邪悪さには怖気を感じるほどである。小説とはいえ、よくもまぁこれほどグロテスクな内面を持つ人間を描き切ったものだと感服する。

ストーリーは充分にハイレベルで面白いのだが、最後が若干大味になった感がある。宮部みゆきの本には、時々こういう「突然の来客で部屋を慌てて片付けた」ようなラストのものがある。そんなところもひっくるめて、宮部みゆきの魅力、かな?