2019年12月25日

ゲーム障害の治療について

ゲーム障害の治療で、「ゲーム時間を減らす」を主軸にすると、思ったようにいかず、治療者も患者さんも家族も辛くなる可能性が高い。

目標を「◯◯(ゲーム以外)の時間を増やす」にすることで、みんなの意識がゲームにとらわれずに済み、目標達成もしやすく、小さな成功を積み重ねていける。

ゲーム障害の治療は全国どこでもまだ手探り状態で、上記もあくまで実際に俺がやっている現状を記したにすぎず、これが長期的に見て最良かどうかは分からないことは、念のため書いておく。

2019年12月6日

ビートたけしさんの「引きこもり対策には『1人部屋禁止法案』」にガッカリ……

ビートたけし 引きこもり対策には「1人部屋禁止法案」

反対である。

「引きこもり対策」としては逆効果で、有害にさえなりうる。

というのも、安心して引きこもれる場所のない子たちは、別の安心できる場所を求め、よりハイリスクなところに引きこもる恐れがあるから。一人部屋をなくせば、ネットで知り合った人の家やネットカフェなど、引きこもる場所が変わるだけだろう。

たけしさんの主張は、「アル中は、酒をなくせばいなくなる」というのと同じ発想だ。ズバッと大胆なことを言っているように見えるかもしれないが、ハッキリ言って、陳腐である。

これくらいは誰もが思いつくアイデアであり、すでにそれに近い実力行使がなされており、そして効果はほとんどない。

たけしさんの切り口はけっこう好きなのだが、そのたけしさんにしてこれである。
「あぁ、引きこもってる人たちって、この程度の認識でしか見られていないんだな」
という参考にはなった。

一人部屋をなくせば引きこもりの問題が解決?

あまりに安易で苦笑すら漏れてしまう。

たけしさんには、

「国が安全な引きこもり施設を作ってあげれば良いじゃねぇか」

くらいは言って欲しかった。

2019年12月5日

ゲーム障害(依存)について、少し自分の頭を整理

ゲーム障害(依存)。

家族がゲームは何時までと決めると、それを守れるか守れないかで家庭内がギスギスし、ときに大喧嘩に発展する。

診察室では本人・家族と話し合い、本人に「やめる時間」を決めてもらう。これは守りやすく、家庭内の紛争が減る。

根本解決ではないが、まず継続治療を目標に。

ちなみに、まずは「始める時間」は決めない。極端な話、5時起床でゲームするのもあり。ゲームのためとはいえ早起き習慣がつくなら良し、くらいに考えてみる。

ゲーム障害は新しい疾患概念で、治療も暗中模索。

患者さんは中高生が多く、本人に「困り感」はない。

いっぽう家族は学校のことが気になり、目に見える成果を早めに欲しい。家族が受診に意味がないと感じると、治療中断してしまうリスクが高まる。

これらを考慮して、バランスよく関わる。

このときに治療者を支えるのは、

「依存症の予後は、どんな治療をするかより、どれだけ長く治療できるかで決まる」

という報告(松本俊彦先生の本などにちょいちょい出てくる)。

「困っていない本人」と「早い成果を求める家族」と関わり続けるためにはどうすれば良いか、を考える。

2019年12月2日

面白くて読み足りない!! 『仮病の見抜きかた』


エピソード、「賢明な読者へ」、エピローグという構成で、10章から成る。
面白くて、だからこそ読み足りなかった。

非常に印象的で、共感できる部分を抜粋。
頻回突診をする患者本人に、「なぜそんな理由で受診するのか」などと訊くのは全くの無駄である。そうではなく「頻回受診をしてしまう」こと自体を症状と捉えるべきである。
医師の誠実さというのは尊いが、診療が患者に届かなければ失敗である。逆に、診療の中断を防ぎ、多少いい加減でも患者に医療が継続的に提供されていれば成功である。
臨床医は、病気を持つ者の人生や人生観に触れられる、相変わらず奇異な職業だなとあらためて思った。

2019年11月29日

タイトルが堅すぎるが、中身は依存症治療に携わるすべての人に読んでみて欲しい良書 『ハームリダクションアプローチ やめさせようとしない依存症治療の実践』


一年半前に読んだ『アルコール依存症治療革命』では、俺の脳内で本当に革命が起こった。
革命家・成瀬先生が新たに出された本、ということで期待して読んだ。
しかし、内容的には『アルコール~』に書かれていたことを薬物・処方薬へと広げたもので、一年半前のような興奮は感じなかった。

これは、少しも残念なことではない。

なぜなら、あの革命がいまなお脳内で生きているということだからだ。

では、人に勧めるなら『アルコール~』とどちらだろうか。
それは人による。
アルコール依存症にだけ関わる人なら前著で良いし、他の依存症にも関心があるなら本書だ。

残念な点を一つあげるならタイトル。
「ハームリダクション」という単語は、依存症に関わる人にはかなり普及しているが、医療者でさえ「なにそれ?」という人はまだまだいるし、たとえ聞いたことがあったとしても、
「あぁ、HIV予防のために、麻薬常習者に注射器を配ったあれね」
くらいの人も多いだろう。
そういう人たちに本書を読ませ、依存症治療への意識を改革する、ということを目的にした場合、このタイトルでは届きにくいのではなかろうか。
『アルコール依存症治療革命』のように、もっとポップに、『依存症、これだけ!』とか、出版社は違うが『ねころんで読める依存症治療』とか、そういう手に取りやすさを重視しても良かったのではなかろうか。

以下、本書で時おりまとめられるポイントを引用。

【依存症に関係する人間関係6つの問題】
  1. 自己評価が低く自分に自信をもてない
  2. 人を信じられない
  3. 本音を言えない
  4. 見捨てられる不安が強い
  5. 孤独でさみしい
  6. 自分を大切にできない
    ※自分は親からさえ受け入れられていない、他人から受け入れられる価値がない、と誤解している。

【依存症患者の背景にみられる具体的な特徴】
  1. 本当は、完璧主義できちんとしなければ気がすまない。
  2. 本当は、柔軟性がなく不器用で自信がない。
  3. 本当は、頑張り屋であり頑張らなければと思っている。
  4. 本当は、根はきわめてまじめである。
  5. 本当は、やさしく人がいい。
  6. 本当は、気が小さい・臆病・人が怖い。
  7. 本当は、恥ずかしがりで寂しがりである。
  8. 本当は、自分は人に受け入れられないと思い込んでいる。
  9. 本当は、自分は人に受け入れられたいと思っている。
  10. 本当は、生きていることがつらくて仕方がない。

【依存症患者への望ましい対応10カ条】
  1. 患者一人ひとりに敬意をもって接する。
  2. 患者と対等の立場にあることを常に自覚する。
  3. 患者の自尊感情を傷つけない。
  4. 患者を選ばない。
  5. 患者をコントロールしようとしない。
  6. 患者にルールを守らせることに囚われすぎない。
  7. 患者との1対1の信頼関係づくりを大切にする。
  8. 患者に過大な期待をせず、長い目で回復を見守る。
  9. 患者に明るく安心できる場を提供する。
  10. 患者の自立を促す関わりを心がける。

【「ようこそ外来」は「ハームリダクション外来」である】
  1. 外来に来たこと自体をすべてのスタッフで評価・歓迎する。
  2. 覚せい剤使用については通報しない保証をする。
  3. 本人が問題に感じていることを聞き取る。
  4. 本人がどうしたいかに焦点をあてる。
  5. これまでに起きた問題点を整理し解決案を提示する。
  6. 依存症について説明し適時必要な情報提供をする。
  7. 外来を正直な思いを安心して話せる場とする。
  8. 外来で治療を続けられるように最大限配慮する。
  9. 断酒・断薬を強要しない。再飲酒・再使用を責めない。
  10. 患者の困っていることに焦点を当てて関わる。
  11. ※患者の人権を尊重して信頼関係を築くことを優先する。

【依存症治療「7つの法則」】
  1. 依存症は「病気」であると理解できれば治療はうまくいく.
  2. 治療を困難にしている最大の原因は,治療者の患者に対する陰性感情である.
  3. 回復者に会い回復を信じられると,治療者のスタンスは変わる.
  4. 依存症患者を理解するために「6つの特徴」を覚えておく.
  5. 依存症患者の飲酒・薬物使用は,生きにくさを抱えた人の「孤独な自己治療」
  6. である.
  7. 断酒・断薬を強要せず再飲酒・再使用を責めなければ,よい治療者になれる。
  8. ※断酒・断薬の有無に囚われず信頼関係を築いていくことが治療のコツである。

【ハームリダクション臨床の心得10カ条】
  1. 患者中心のスタンスを常に維持する。
  2. 患者に敬意をもって誠実に対応する。
  3. 患者との信頼関係づくりを優先する。
  4. 患者の現状をそのまま肯定的に受け入れる。
  5. 患者の問題行動は症状の影響が大きいことを理解する。
  6. 治療目標を断酒・断薬に焦点づけしない。
  7. 患者の飲酒・薬物使用を責めずに受け入れる。
  8. 患者が困っていることに焦点づけする。
  9. 患者の飲酒・薬物使用に囚われず患者の害の軽減を目的とする。
  10. 患者に陰性感情をもたずに寄り添っていく。

2019年11月22日

日本初の「処方薬依存をテーマにした本」 『処方薬依存症の理解と対処法』


日本初の「処方薬依存をテーマにした本」。

いや、実際にはタイトルに「処方薬依存」を冠したものもあるのだが、中身は精神医療批判に近く、純粋に「処方薬依存」を扱っているとは言い難い。

本書はアメリカのジャーナリストによるもので、筆者自身が弟を処方薬依存で喪っている。

内容はかなり中立的、包括的、支持的であったが、治療者にとっては専門的な部分が物足りず、当事者にとっては分量が多すぎる感があり、なんとなく「帯に短したすきに長し」という印象だった。

翻訳も少々ぎこちない。

2019年11月18日

復刊か電子書籍化が強く望まれる良書! 『依存症から回復した大統領夫人』


アメリカのフォード大統領夫人ベティはアルコール依存症だった。そして、処方薬依存でもあった。彼女は自らの依存症を克服し、全国民にカミングアウトし、さらには依存症治療施設を創りあげ、多くの依存症者とその家族を救ったのである。

Wikipediaによると、米国では「ベティ・フォード」が依存症治療施設をさす一般名詞として普及し、「ベティ・フォードに行くべきだ」というのは、ベティ・フォード・センターではなく「依存症治療施設に行くべき」の意味になるらしい。

本書は彼女の回復記であると同時に、センター立ち上げの記録でもある。

非常に優れた本だった。

2019年11月11日

「回復」「解放」への提案 『もちきれない荷物をかかえたあなたへ アダルト・チャイルド、そして摂食障害・依存症・性的虐待……いくつもの課題をのりこえる生き方の秘訣」


アルコール依存症の親を持つ人たちへの援助を任されたクラウディア・ブラック。ところが、援助を受ける人たちの年齢層はバラバラで、小さな子どもから青少年、中高年の人たちまでいる。幅広い年齢の人たちに、同一の援助を行なっても効果的ではない。

そこで彼女は、被援助者を3つのグループに分けた。

12歳までのヤング・チャイルド・グループ。
13歳から19歳までのティーンエイジ・グループ。
20歳以上のアダルト・チャイルド・グループ。

そして、この「アダルト・チャイルド」(AC)という言葉がアメリカ、そして日本で爆発的に広まることになる。

もともとはアルコール依存症家族で育って成人した人の意味だったが、現在では日本だけでなくアメリカでも「機能不全家族で育った人」というように拡大されている。

ブラック自身は、このアダルト・チャイルドという言葉の流行と拡大に対して、ちょっと危惧を抱いていたそうだ。

アダルト・チャイルドは病名でも医学用語でもない。

機能不全家庭で育ったがゆえの問題から回復しようと取り組んでいる人、援助を受けている人のことである。決して、「自分はアダルト・チャイルドだから」という言い訳のための言葉ではない。重い荷物をおろすための気づきを与えてくれる言葉なのだ。

本書では、そんなアダルト・チャイルドがどうやって荷物をおろしていけば良いのかのヒントをたくさん提示してくれている。

治療者としても回復者としてもためになる良い本であった。

2019年11月8日

誰からも記憶されない女性が、生活改善アプリに毒されていくディストピアでたくましく生き抜く物語 『ホープは突然現れる』


主人公ホープは、誰からも記憶されない特殊体質を16歳で発現してしまう。両親や友人から徐々に忘れられ、人と会っても数分で忘れ去られてしまう。

そんな彼女の生きる術は、泥棒。

舞台は「パーフェクション」というスマホアプリが広まりつつある世界。この生活改善アプリによって画一化されつつある人々の暮らしぶりは、どことなくオーウェルの『1984年』で描かれたディストピアを彷彿とさせる。オーウェルが描いた「ビッグ・ブラザー」の役割を、本作では「パーフェクション」というアプリが担っている。

作者クレア・ノースの第一作『ハリー・オーガスト、15回目の人生』は心に残る名作だったが、こちらも「世界幻想文学大賞」を受賞したのが頷ける素晴らしい作品だった。

余談だが、この小説の映画化は絶対不可能だろう。「誰からも記憶されない」ということを映像では表現できないから。小説でしか描けない物語という点でも価値ある作品。

2019年11月7日

田代まさしさん逮捕へのコメントを見て思うこと

田代まさしさん逮捕で、普段かなり見識ある発言をしている人でも「薬物こわい」にフォーカスを当てすぎていて残念である。というのも、「こわい」にとらわれすぎると、「手を出したら終わり」になるし、それは容易に「そんなものに手を出した奴が悪い」に変わってしまう。

実際には、ハマらない人も、回復する人もいる。
意外かもしれないが、
「覚せい剤はしばらくやったことあるが、合わなかった」
と自然にやめてしまい、依存症に至らずに済んだという人は少なくない。
決して「手を出したら終わり」ではないのだ。酒やタバコと同じで、悪い意味での相性がある。相性が合うと、すんなり入って、そこから抜け出せなくなる。

本当に「こわい」のは薬物ではなく、田代さんが再使用するに至った個人的な問題や環境、入手経路が身近にあるという社会的な背景などのほうだし、もちろん依存症そのものが「こわい病気」である。

たとえば、糖尿病はこわいが、糖はこわくない。高血圧や動脈硬化はこわいが、塩分や脂質はこわいものではない。
もちろん違法か違法でないかの違いはあるし、それは社会的には重要なところだが、医療において「病気」として考えた場合、こわいのは「依存症」であって「薬物」ではない。

それから、「反省して欲しい」というコメントも見られるが、田代さんに対して世間が反省を求める必要などない。当たり前だが、使用した本人が最も後悔しているし、そもそも依存症は「反省で治る病気」ではない。
いくら反省しても再発は起こりえるし、反省なんてしなくとも回復することだってある。

これは、医療者であれば、臨床現場でのヒヤリハットやアクシデントに置き換えてみると分かりやすい。

ミスは起こりうる。だから対策を練る。

反省していないから、反省が足りないから、ミスが起こるわけではない。もっと反省すればミスが減るというわけでもない。
依存症も、反省よりは対策が重要かつ有効なのだ。


余談ではあるが、田代まさしさんがいた「RATS & STAR」には「ドブネズミからスターになる」という想いがあったそうだ。

鈴木雅之率いる不良グループがドブネズミからスターを目指したのに対し、法政大学に進学した甲本ヒロトは「リンダリンダ」で「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と歌い上げた。

ドブネズミにまつわる二つのグループの対比が、なんだか美しい。

ちなみに、「RATS & STAR」は、逆から読んでも「RATS & STAR」である。

2019年11月1日

アンリミテッドで読める秀逸な怪談3冊 『寒気草』『崩怪』『坑怪』


Kindleアンリミテッドに『寒気草』という本があったので読んでみたところ、これが非常に面白かった。怪談はこれまでもたくさん見て聞いて読んできたつもりだったが、まだまだいろいろなレパートリーがあるものだなと感心した。いかにも日本的な怪談が多く、背筋がゾッとするようなものもいくつかあった。

作者は神沼三平太という怪談作家。この人の文章は日本語がきちんとしていて、怪談の導入、展開、オチがリズムよくて間延びせず、真実味と虚構感のバランスもとれていて、とてもクオリティが高い。読みやすくて、ついついたくさん読んでしまい、気づくと、普段は気にならないあちこちの暗闇が怖くなる。

とはいえ、すべての本が秀逸というわけにはいかず、何冊か損切りしたものもある。そんななかで上記3冊はオススメできる。

2019年10月29日

怖さはアップしたものの…… 『奇奇奇譚編集部 幽霊取材は命がけ』


第1作目に比べると、怖さはアップしたように感じる。しかし、全体的には文章がブツ切りになっているところが多々あり、読書のリズムを削いでしまっている。一例をあげると、
そう、これが彼の仕事のひとつなんだ。ぼくを。とことんまで。怖い目にあわせるのが。
この小説は主人公の一人称視点であるため、彼の思考をそのまま文字にしたとすればこうなるのかもしれない。しかし、「人の心の中身を文字で読むこと」と、「人の心の中身を描いた小説を読む」のとでは違うはずだ。そして、一般的に、読書する人は後者のつもりで本を読んでいるのではなかろうか。

このプツリ、プツリと途切れる文章で読むリズムが削がれてしまい、内容は面白いのに入り込むことができなくて残念だった。完結編である第3作目に期待する。

2019年10月24日

援助職を長く続けるために必要なこと『悲しみにおしつぶされないために 対人援助職のグリーフケア入門』


対人援助職に真面目に取り組んでいる人は、たいてい自分の神経をすり減らす経験をしている。どんなに周りからはのほほんとしているように見える人であっても、実際には多かれ少なかれ、精神的に疲弊したことがあるはずだ。

ある人はそれで援助職を辞するかもしれない。また、ある人は仕事を続けるものの、援助対象者とは極端に距離をとることで自らの精神衛生を保つという方法をとるかもしれない。いずれにしろ、援助される側としては好ましくない。

適切な援助を、長期にわたって安定して提供するためには、援助者が振り回されたり押しつぶされたりしてはいけない。そのためにどうすれば良いか。以下の引用を読んで、ハッとする人も多いのではなかろうか。
援助職に就いている人たちは、人のために働くのは得意ですが、自分のためのケアは不得意です。
援助職の専門家は、自分自身にはどういう問題・課題があり、自分がどういう生育歴をもっているか、そして自分のどういう問題が未解決になっているのかということを、ちゃんと知っておくことが必要 
自分の問題を全部解決してからでなければ援助者になってはいけない、というわけではありません。問題はあっていいのですけれども、自分にはどういう問題・課題があって、そのために自分は今どんな取り組みをしている……、ということをふまえて仕事をすればいい
 みなさんのいい仕事で、たくさんの人が笑顔を取り戻しますように。

2019年10月21日

仕事にも子育てにも活かせそうな「伝えかた」の本 『人を動かす伝え方 動きたくなる56の伝え方』


中谷彰宏の本は、シンプル、読みやすくて分かりやすい、そして「行動に移しやすい」。

本書も従来通りの良書。

「丁寧すぎると伝わらない。詳しすぎる道案内は、かえってわからなくなります」というのは、日々の診療でも感じることで、大いに同感。例として出されているのが、道案内のとき目印にローソンがある場合。案内は、

「ローソンの角を曲がる」

だけで良い。

「ファミマでは曲がっちゃダメ」

は言わない。ところが、親切な人ほど説明が丁寧になり、余計な情報(「ファミマ」)が入り込み、間違う原因になってしまう。

それから、本当に伝えようと思ったら、少し乱暴な言葉を用いるというのも頷けた。
「逃げてください」ではなく、「逃げろ」。
さらに言えば、逃げている人が「逃げろ」と言うのが一番伝わる。
震災や飛行機事故などの緊急事態では「逃げろ」「荷物を持つな」という命令形が必要かつ効果的であることは、もっと周知していきたい。

また、「伝えるためには、言いきること」。具体例として、「七人の侍」は強そうだが、「七、八人の侍」になると弱そう、という面白い例が出してあり、こういうところがさすがだなぁと感心する。

本の表紙にあるように、「早くしなさい」より「タッタカ・タッタカ」といったオノマトペを使うほうが効果的というのは、仕事だけでなく子育てでも活きそうだ。というか、本書全体が子育てにも活かせそうな内容盛りだくさんであった。

2019年10月18日

涙ポロポロこぼれるエッセイ 『病院というヘンテコな場所が教えてくれたコト。』


現役看護師によるイラストエッセイで、あまり期待せずに読み始めた。ところが、冒頭からグイグイと引き込まれ、最後にはポロポロと泣いてしまった。

妻とは、彼女が一年目看護師のときに出会ったので、当時の妻がどういうことで悩み、どういう辛さを体験していたのかということも、少しだけ知ることができた気がする。

オススメ良書。

2019年10月17日

精神科診療にも応用できそうな良書 『好かれる人が無意識にしている文章の書き方』


ブログやTwitterやFacebook、メールや手紙などで、書いた文章に好感を持ってもらうためにはどうしたら良いかが述べられている。

中谷彰宏の自己啓発本は、経済学部生として就職活動をしていた時期に何冊か読んだ。特徴は「簡潔明瞭で、実行へのハードルが低い」。そのせいか、「中谷彰宏を読んでいる」と言うと「フン」を鼻で笑われることもあった。低く評価する人がいるのは、中谷彰宏の本が教えてくれることがらの手軽さゆえかもしれない。しかし、読んでも実行されない自己啓発の価値は少なかろう。

本書の内容は精神科診療にも応用できそうで、とてもためになった。

2019年10月15日

マニアではない動物好きに! 『LIFE<ライフ> 人間が知らない生き方』


5ページのマンガと、約5ページの簡潔で面白い解説で構成されている。マンガは絵が親しみやすくて面白く、解説も生き物雑学として非常に興味深かった。

出てくる動物は最初から順に、ペンギン、ライオン、パンダ、ネコ、キリン、ミツバチ、ハダカデバネズミ、ラッコ、カピバラ、ゾウ、リス、イルカ、ウシ、タコ、ラーテル、ナマケモノ、ゴリラ、ダンゴムシ、イヌ、カンガルーと多岐にわたっている。

良書として推薦。

ただし、すごく動物が好きで知識がある人からすると、「記述が大雑把すぎて不正確」と感じる部分があるかもしれない。

2019年10月11日

怪談の本2冊 『稲川淳二のこの世で一番怖い話』『風怪 あなたの隣に潜む街の怪談』


稲川淳二の喋りのままを文章にしてある。これを情感こめて音読して妻に聞かせたが……、あの独特の怖さが出ない。なんでかなぁ、なんでかなぁ、って、考えたんだ。稲川淳二って、実はそんなに滑舌は良くない、なにを言っているか聞き取れないこともあるくらいだ。だから聴くほうは自然と、そう、自然と耳を澄ます、身を乗り出す、集中しなきゃなんないでしょ。それが怖さを引き立てるんだ。良い具合に。で、この本、リビングで読んでたんだけど、ふ、と背中から視線感じて、やだなぁ、いるなぁ、やだなぁって。


怪談集で、まったくの予想外な結末というのは少なく、いわゆる定番という感じだが、いずれもそれなりに「怪」を愉しむことができた。こういう本を読むと、自分の体験したいくつかの怪異を思い出して背筋が寒くなるが、同時に最愛の祖父との思い出がたくさん甦ってきて暖かい気持ちにもなる。この矛盾した反応が我ながら面白いからこそ、年に何冊かは怪談を読むのかもしれない。

2019年10月8日

ネットワーク・サイエンスに関する本としても自己啓発本としても良書 『ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」』


ネットワーク研究の第一人者が、「成功」について科学的に研究したことをさまざまなエピソードを交えて分かりやすく解説する文系サイエンス本。

「成功で重要なのはあなたではない。社会なのだ」
「パフォーマンスが成功を促す。パフォーマンスが測定できない時には、ネットワークが成功を促す」
「パフォーマンスには上限があるが、成功には上限がない」

こうした言葉を用いながら、成功とは何か、そして、人が「成功」するのに大切な要素、知っておくと有用なことが語られる。

ネットワーク・サイエンスに関する本として充分に面白いが、成功したい人には自己啓発本としても良書だろう。

2019年10月7日

「恨みの中毒症状」の治療なしに、被害者は減らせない 『ストーカー病 歪んだ妄想の暴走は止まらない』


ストーカー、特に異性関係をベースにしたストーカーについてがメイン。実際には、同性による恋愛感情ではなく恨みによるストーカー行為もある(俺も被害を受けた)ので、ちょっと物足りなさは感じた。

全体を通じては興味深い部分が半分。著者の生い立ちや経歴、若手時代のエピソードは、「閑話休題」にしてはちょっと多すぎるかな。

ストーカーの特徴として記述されていた以下の文章には、個人的体験からは非常に同意できるものである。
心に痛みを抱えた人は、その心の痛みを軽減するために、他人の不幸を喜んだり、不幸そのものを引き起こそうとする非道徳・非建設的な行動をとる場合があり、時には犯罪につながるケースもある
(ストーカーは)相手の心情の読み取りができない。と同時に、自分の感情の整理が非常に苦手

2019年10月3日

良い本だが、分量が多く、読み手を選ぶだろう 『あなたの飲酒をコントロールする 効果が実証された「100か0」ではないアプローチ』


アルコール使用障害(従来の依存と乱用をまとめたもの)の治療は、これまでの断酒一辺倒から「減酒」を選択肢に加えつつある。「つつある」と書いたのは、まだ決して一般的ではないからで、むしろ「減酒なんかで治療ができるか」と思っている医療者のほうが大多数ではなかろうか。

本書は減酒のためのガイド本。
「どんな行動を選ぼうが、それを一つの実験だと考えよう」
「記録をとること自体が、多くの人たちを減酒へ向かわせる」
「もう一杯欲しいときは20分待ってみる」
など、減酒Tipsが散りばめられていた。

分量が多いので、決して誰もが気軽に読めるタイプの本ではない。

2019年9月30日

育児の本だが、あらゆることに応用できる 『世界最高の子育てツール SMARTゴール 「全米最優秀女子高生」と母親が実践した目標達成の方法』


育児についての本ではあるが、あらゆることに応用できそうな考えかたが書かれている。というより、あらゆることの根本は育児なのかもしれない。

SMARTは、specific、measurable、actionable、realistic、time limitedの頭文字。具体的で、計測可能で、自力で達成可能で、現実的で、時間制限付き。こう書くと簡単だが、やろうとするとそれなりに大変だろう。

特に印象に残った以下の二つ。

「毎日の小さな成功の積み重ねが大切。成功の大きさにとらわれない」
「怒りは最初の6秒をやり過ごす」

これは、毎日の育児に取り入れたい。

2019年9月27日

魔使いシリーズ第4弾はスケールアップ! 『魔使いの戦い』


魔使いシリーズの第4作目。魔法ではなく知識で闇と戦う「魔使い」の弟子トム14歳による一人称で語り進められるので、臨場感があって面白い。

現時点では、本作以降まだ文庫化されていない。単行本で読んでみると、挿し絵がいくつか入っていて、ルビのふってある漢字も多く、改めて「児童文学なのだ」ということを実感する。

巻を追うごとにスケールアップしていく闇との戦い。ダークファンタジーとはいえ、児童文学なので極端な残酷描写はなく、それなりに安心して読めるし、読ませられる。シンプルなのでテンポ良く、サクサクと読み進められる。ちょっとあっけないくらいのストーリー展開だ。

次巻ではどうなるのか。さらに強大な敵を持ってきて盛り上げるのか、それとも少し趣きを変えてくるのか。非常に楽しみである。

2019年9月26日

小野不由美による99話の怪談 『鬼談百景』


小さいころから「怖い話」が好きで、大人になってからも怪談は大好物だ。
たくさん見聞きしてきたので人に語るのも得意で、人からはよく「あなたが怖い話をすると、すぐそばにだれかいるような気がしてくる」と怖がられる。実際、語りながらなにかを引き寄せているような感覚がある。

本書は『十二国記』『屍鬼』の小野不由美による怪談99話。鳥肌の立つものも多く、そんなときは、だれかが後ろから覗きこんでいるような気配すらする。分かりやすい怪談話が好きな人よりは、「説明のつかない怪異」を受け入れられる人向け。

そんな99話の中から、分かりやすくて鳥肌の立つ話を二つ引用して紹介する。
踏切地蔵
Kさんの父親は霊感があると自称する。よく「肩が重くなった」と言うことがある。そんなときは数珠を肩に載せる。すると必ず治るのだと、父親は言っている。
その父親が、絶対に通ろうとしない踏切があった。そこを通ると肩どころか頭まで痛くなる、だから嫌だと言って、どんなに遠回りになっても避けて通っていた。事実、その踏切は、事故の絶えない踏切だった。決して見通しが悪いわけではないのに、次々と事故が起こる。だからだろう、踏切の脇には古いお地蔵さまが立っており、常に花や線香が供えられていた。お地蔵さまの周囲には、新旧の卒塔婆が何本も立っている。Kさん自身は、特に気にせずその踏切を利用していたが、新しい卒塔婆が立つたび、ひどく嫌な気分になったものだった。
その踏切でまた事故があった。Kさんが中学校に入った年だ。事故に遭ったのは父親の友人で、スクーターに乗ってその踏切を通っていて転倒してしまったのだ。
警報機が鳴り、遮断機が降りてきたので、おじさんは急いで踏切を渡ろうとした。
すると、思いがけず速いスピードで遮断機が降りてきて、それに頭が当たってしまった。スクーターは横転し、おじさんは軌道上に投げ出された。ふらふらしながら立ち上がり、スクーターを起こしたものの、おじさんはすでに踏切の中に閉じ込められている。スクーターを捨てて逃げようか、しかしスクーターを残していって、そのせいで列車が脱線でもしたら――等々と考えて、おじさんはパニックに陥ってしまった。
列車が来ても、根が生えたように足が動かなかった。足どころか身体も動かず、――そう証言できるのは、おじさんが奇跡的に怪我をするだけで済んだからだ。列車はスクーターに接触し、一緒に撥ね飛ばされたおじさんは踏切脇のお地蔵さんに突っ込んだが、それだけだった。お地蔵さんは壊れ、おじさんもあちこちを痛打したものの、打ち身と擦り傷、軽い骨折があった程度で、ほとんど入院もせずに済んだのだ。
「お地蔵さんが身代わりになってくれたのかねえ」とおじさんは言い、「お詫びに新しいお地蔵さんを寄付しないといけないなあ」と笑っていた。
現場にはしばらくの間、お地蔵さまの台座だけが残されていた。
半年ほどが経った。相変わらずお地蔵さまが立つ気配はなく、残された台座は片隅に移動され、代わりに卒塔婆だけが整然と並べ直された。いつの間にか、ぴたりと踏切での事故がやんでいた。べつに踏切の何が変わったわけでもないのに、父親の友人の事放以来、その踏切で事故があったという話を聞かない。
お地蔵さまはなくなったのにね、とKさんが言うと、お父さんは渋い顔で頷いた。
「だから妙な気がしてたんだ」と、踏切を執拗に避けていた父親は言った。
「あのお地蔵さんの前を通るのだけは、絶対に嫌だと思ってたんだよな」
Kさんは、ぽかんとした。父親が避けていたのは、踏切ではなくお地蔵さまのほうだったのか。
いまも踏切に地蔵が再建される様子はなく、そして同時に、事故があったという話も絶えて聞かない、という。
守ってくれるはずだと先入観を抱いていたものが、実は……、というパターンの怪談。こういう話はオチでゾッとするものが多く、喋って聴かせる場合、語り手の手腕が問われる。

次に紹介するのは、その情景が怖いというものだ。
密閉
Kさんは秋以来、自分が住んでいるマンションの部屋に気味の悪いものを感じている。元凶はクローゼットだ。Kさんの部屋には押入サイズのクローゼットがある。二つ折りになって開く折り戸が二枚付いていて、左右から中央で合わさって閉じるようになっている。その折り戸が、気がつくと少しだけ開いている。
隙間があると、そこから覗く薄闇が気味悪く思える。だから必ず閉めるのだが、やはり気がつくと、いつの間にかほんの少し開いている。建付が緩いとは思えない。自分の手で試してみても、勝手に開くとは思えない。なぜ開くのかが分からない。
最初は、別れた彼が留守中に部屋に入っているのかな、と思った。少しの間、転がり込んできて生活をしていた。別れるときに合鍵は返してもらったが、どうやらほかにもスペアを作っていたようで、何度か留守中に荷物を取りにきた様子があった。勝手にスペアを作っていたのも腹立たしいし、それを黙っていたことも許せない。勝手に入ってくるのも我慢できない。おまけに扉をきっちり閉めておかない。そういうルーズなところが耐えられなくて別れたのに。
あまりに腹が立ったので、管理会社に「鍵を矢くした」と言って、錠を取り替えてもらった。これで勝手に出入りできない。扉が開くこともないはずだ。
なのに、やはり開いている。
鍵は替えたから、誰かが忍び込んでいるはずはなかった。だったらなぜ、閉めても閉めても扉が開くのだろう。クローゼットの中は、押入のように上下二段に分かれている。そのせいで、扉が細く開いているとき、上段はまだしも、下段は本当に暗い。
そこに何かが潜んでいそうな気がする。我優できずに、お菓子の箱に繋っていたリボンで取っ手同士を括り合わせた。これでもう、開くことはないはずだ。
実際にそれで開かない日が続いた。そんなある夜、Kさんは風呂から上がって姿見でドライヤーを使いながら、何気なく目を上げた。すると、自分の背後にクローゼットが映り込んでいた。扉は閉まっている。二つの取っ手はリポンで括り合わせてある。だが、そのリボンが解けかけていた。
サテンのリボンは滑る。それでかな、と思っていたら、解けた片方の先が扉の間に挟まっているのが見えた。いや、片方の先が扉の間から中に引き込まれているのだ。誰かが中からリボンを引っ張っている。ゆっくりと音もなく、リボンが解けていった。
驚いて振り返った。とっさに膝の上に乗せていたタオルを投げつけていた。さっきまで髪を拭いていたせいで湿気を含んだタオルは、音を立てて扉に当たった。
はらり、とリボンの先がクローゼットの中から出てきた。
まさかとは思うが、誰かが中にいるのだろうか。確認せずにはいられなくて、飛びつくようにクローゼットに這い寄り、リボンを引っ張りながら扉を開いた。Kさんは膝を突いていたから、ちょうど下段を覗き込む恰好になった。
下段にはいろんなものが入れてある。衣装ケースや季節外れの家電。空き箱やスーツケース。そのスーツケースが、いましも閉まるところだった。立てて置いてあるスーツケースの蓋がわずかに開いて、その隙間に長い黒髪と白い手が吸い込まれていった。唖然としている目の前で、ぱたんと蓋が閉じた。
あいつ、と思った。
そのスーツケースは、彼氏がどこからか拾ってきたものだ。怒りにまかせて引っ張り出した。スーツケースは軽かった。――当然だ。何も入っていない。
引っ張り出したスーツケースをガムテープでぐるぐる巻きにした。何重にも留め付けて、その夜のうちにドアの外に放り出した。
翌日、彼に送りつけてやりましたと、Kさんは言う。
「彼が拾ってきたんだから、当然です」
小野不由美の巧みな描写で、リボンがクローゼットに引き込まれていく様子がまざまざと目に浮かぶ。なんとも怖い。

怪談好きにはぜひとも読んでみて欲しい一冊。

2019年9月25日

育児書は書くほうも、読むほうも、売り手も、レベル選びが難しい……。 『児童精神科医ママの子どもの心を育てるコツBOOK 子どもも親も笑顔が増える!』 『小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK 間違った助言や迷信に悩まされないために』


Amazonレビューで星5つが多いので、我が子の子育てと、自分の仕事で役立てられないかと思って読んでみたが、星5つはちょっと過剰評価ではなかろうか。同じような内容で、もっと安い本はけっこうある。ちなみに本書は定価1400円。

専門が異なるとはいえ同じ精神科医だから、評価がちょっと厳しくなるのかなぁ……。


いっぽう、こちらは星4つくらい。専門家にとっては当たり前で気にすることがないのに、親は気になってしまうというポイントをよく押さえてある。「薄毛ってなおるの?」「おへそがきれいになりません」「頭の形がいびつです」といった体の話、「母乳に食べたものの味が出る?」「授乳中の嗜好品はダメ?」といった食事の話、「新生児は、いつから外出OK?」「おしゃぶりはよくない?」「ベビーバスっていつまで?」「かぜのときの入浴はダメ?」といった生活の話、おむつかぶれや乳児湿疹、汗疹と言ったトラブルの話など。

新米パパ・ママが読むには分量もほどほどで良い本だと思った。


久しぶりに育児書を読んだが、こういう本はターゲットをどういう人にするかで中身も大きく変わる。上の2冊はおそらく普段あまり本を読まない人向けであり、文字は少なく、挿し絵が多い。また情報過多にならないよう、かなり抑えてあるように感じた。本を読み慣れた人にとっては物足りないだろう。しかし、情報満載の育児書が良いかというとそうでもない。本を読み慣れてはいるといっても、それが普段は小説メインという人の場合、膨大な情報を処理するのに一苦労するだろうし、情報の洪水に呑みこまれる恐れもある。

育児書というのは、書き手も読み手も、そして売り手も、選別というのが難しいものだと感じた。

2019年9月20日

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。 『打撃投手 天才バッターの恋人と呼ばれた男たち』


打撃投手と精神科医は似ている。
一流の打撃投手は、いかに打者にとって打ちやすい球を多く投げられるか、打者の要求するコースに確実に投げられるか、とこれまで私は考えていた。(中略)
だが、これは土台と言うべきであって、それだけでは条件を満たさない。これにプラスアルファして、打者といかに意思の疎通をはかることができるか、という能力が必要だとわかった。(中略)
投げながら打者を育ててゆく、同時に打者に助言もする。ここに打撃投手の技術の神髄がある。
精神科医も、患者や家族が理解できる言葉を探りつつ、答えやすい質問を選んで投げかけ、その様子から言葉を選びなおし、質問の内容を変え、助言するときにも同じように配慮する。そして、打者である患者が病院外でヒットを打ってくれれば嬉しい。

また著者はこんなことも書いている。
打撃投手が一流になれるか、なれないか、その要諦は組んだ打者にもよる。打者によって打撃投手も育てられるのだ。
これを医師と患者に置き換えても、まったく違和感ないものになる。

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。

精神科医としてストンと納得のいく話を、落合博満の打撃投手だった渡部司がこう語っている。
打者が打ってくれた球がストライクなんです。打者が打ってくれるところに投げればいいんです。たとえボールでも、ワンバウンドしても、打者が打てばこれはストライク。
精神科でも、患者さんや家族の心に届いた言葉がストライクである。そして、届くような態度と言葉を選べば良い。たとえ不器用でも、下手くそでも、患者さんや家族に届けばこれはストライク。そういうことだ。

さて、前著『この腕がつきるまで 打撃投手、もう一人のエースたちの物語』では長嶋、王など往年の名選手たちがメインであったが、今回は松井秀喜、イチロー、清原和博といった自分と同世代の野球選手の名前がたくさん出てきた。その中でも印象に残ったのが、先日、覚醒剤で逮捕・起訴された清原和博のエピソード。巨人軍で清原の打撃投手をつとめた田子譲治の父親が、平成18年に他界した時のことだ。この当時、すでに清原は巨人軍を去っていた。
巨人軍から大きな花束が届けられたが、選手からは「選手会一同」という形で届けられた。その中に交じって一つだけ花束が別に届けられた。そこには「清原和博」と書かれてあった。清原とはそんな心遣いをする人間だった。
覚醒剤に手を出したのはバカだと思うけれど、清原の人物伝を読むと、この人のことを嫌いにはなれない。むしろ、叱りつつ応援し続けたくなる。

精神科医は専門書以外からでも学べること、学ぶべきことがたくさんあるので、「精神科専門書」だけでなく「小説」「ノンフィクション」「サラリーマン向けの本」などにも手を出すほうが良い。本書はその点でも素晴らしい一冊だった。

2019年9月19日

おもしろくて切ない介護の記録 『認知の母にキッスされ』


ねじめ正一と認知症の母の記録で、おかしかったり、切なかったり。読みながら、どうしても精神科医としての視点が入るので、「これは、いったいどのタイプの認知症なのだろう?」と疑問に思った。レビー小体型のような気もするし、前頭側頭型のようにも感じられるし……。作家が作品として書いたものだから、多少の脚色もあるだろうし……、などと、あれこれ考えてしまう。

俺の母はまだまだ元気だが、ねじめ正一と同じ長男として、なんだか他人事とは思えない内容だった。

2019年9月17日

「うつ病患者に家族はどう接したら良いのか?」への答えがナルホドだった! 『誤解だらけのうつ治療』


うつ病を経験した精神科医と、同じくうつ病を患っているライターの対話。

タイトルだけだと、精神医療を攻撃する本かもしれないと身構えたが、決して一方的に精神科医や精神医療を批難するものではなかった。それどころか、精神科医、患者、社会にとって、それぞれ耳に痛いところのある内容でありながらも建設的で、偏ったところのないものであった。トンデモ臭さがなく、過激なタイトルに比べて内容はわりとバランスがとれていた。

本書の中で、特にナルホドと膝を打ったのは、うつ病患者の家族から「どう接したら良いのか」と尋ねられた時の蟻塚医師の答え。

「居心地の良い旅館の仲居さんをイメージしてください」

仲居さんが気を遣いすぎて、こちらがゆっくりしたい時に頻繁に話しかけられたり、あたりをウロチョロされたりするのはウザい。しかし、こちらが必要としている時にいないのも困る。デキる仲居さんになったつもりで対応してあげてください、というものだ。

偏りの少ない本なので、いろいろな人にお勧めできる良書である。

2019年9月13日

医療系学生は必携! 『病気がみえる 〈vol.7〉 脳・神経』


医療系の学生向けのテキストではあるが、卒後10年目の精神科医が読んで充分に勉強になる本だった(それだけ知識がなくなっている証拠でもある……)。

最初から最後まで分かりやすさに重点を置いてあり、イラストもカラフルで視覚的に理解しやすい。

このボリュームと内容で4000円であれば、充分にもとがとれる。最初から最後までザッと読み終えて、学生時代に出会っていれば神経系の勉強がもう少しスムーズだったかもしれないなぁ、なんて思った一冊。

2019年9月12日

精神科医は、プロ野球の打撃投手に似ている 『この腕がつきるまで 打撃投手、もう一人のエースたちの物語』


打撃投手は、バッターの調整のために存在している。プロのピッチャーが打たれないことを目的にするのに対して、打撃投手はバッターに「気持ちよく打たせる」ことが目標になる。自らが試合に出ることはなく、自分が調整役になったバッターが試合でヒットを打つと気持ちが良いし、打てないと落ち込む。

精神科医も、患者と症状、患者と家族、患者と社会などの間にたつ調整役のようなものだし、打撃投手の生き方から学べることも多いかもしれない。そう思って本書を読んでみたら、「学ぶ」なんて硬いものではなく、ひたすら楽しい読書になった。

多くの打撃投手の生き様だけでなく、王・長嶋といった往年のスター選手の逸話もたくさん出てくる。それを読んで、彼らが野球のプレーだけでなく、人間的にも素晴らしい人だったのだと知った。王や長嶋が引退して何十年たった今でも、熱いファンがいるのも頷ける。

野球ファンでなくても楽しんで読めるお勧めの本。

2019年9月10日

一般医師向けで、深すぎず浅すぎず、神経疾患のスクリーニングを求められる人たちにはぜひ勧めたい! 『みるトレ 神経疾患』


精神科と神経内科では、患者さんの訴えが重なることが多々ある。そして、神経内科疾患の人がいきなり精神科に来ることもありえる。そういうときに、精神科医が神経疾患をまったく念頭におかず、精神科的なみかただけで対応してしまったら、その患者さんは大いに不利益を被ることになる(だから通常は先に内科を受診してもらう)。そんなイヤな事態にはなりたくないので、神経内科についても勉強が必要だ。

本書は、神経内科の専門分野についてかなり忘れてしまっている精神科医でも、充分に理解しながら通読できる優れた教科書であった。

タイトルに「みるトレ」とあるように、症例写真が豊富で非常に参考になった。ただし、各疾患の症状の根拠となる神経解剖を概説する図は一切ないので、神経解剖の簡単な本が手もとにあると理解がよりスムーズで、記憶に定着しやすいだろう。改訂版では付録に簡単な図があると良い気もするが、そもそもこういう本を読もうとする人なら、すでに手もとに1冊くらいは神経解剖の本を持っているかな……。

専門医ではなく、一般医師向けに書かれていて、深すぎず、かといって浅すぎることもない。精神科医を含め、神経疾患のスクリーニングを求められる人たちにはぜひ勧めたい本。

2019年9月9日

通訳者のエッセイなのに、対人援助職の教科書としても一流! 『魔女の1ダース』


著者の米原万里はもともとロシア語通訳者である。通訳者の仕事は、異なる言語と文化を持った人たちを仲介することだが、それは単に言葉を置き換えるだけで成り立つものではない。Aという国の言葉・文化・歴史にも通じていて、さらにはBという国の言葉・文化・歴史にも造詣が深くて、それでようやくAとBの仲介者になれる。

米原女史の本を読むと、患者と家族、患者とスタッフ、患者と他科の医師、患者と社会などの間に立って、通訳者のような仕事をする精神科医としてどうあるべきかを教えられる。同じ日本語を話す人同士であっても、土地柄や出自、育った環境、現在の境遇、その他もろもろの違いが影響しあって、常にスムーズに通じ合えるというわけではない。それどころか、精神科臨床では、「通じ合わない」ことの苦労を抱えている人のほうが多いくらいだ。そしてそこに、精神科医としての自分の役割、「通訳者」としての存在意義があるような気がする。

『不実な美女か、貞淑な醜女か』での切れ味鋭い舌鋒は今回も変わらず。この2冊は単なるエッセイではなく、多くの対人援助職が読んでおくべき一流の教科書である。

2019年9月6日

患者説明やプレゼンテーションと「冗語性」について

同時通訳では、原稿を読む人の通訳はほぼ不可能らしい(事前に原稿を渡されている場合を除く)。

話し言葉には、同じことを言い換えたり繰り返したりと「冗語性」があり、そのおかげで「会話の主旨」をつかんだ同時通訳が可能になるそうだ。原稿を読む人のプレゼンが頭に残りにくいのも、きっと同じ理屈だ。

病気や治療について患者さんに説明する時、以前はいかにスムーズにすらすらとできるかを目指していた。そのほうが「デキる医者」に見えそうだと思ったから。しかし、耳から入る情報はなるべく冗語性のあるほうが頭に残りやすいようだと気づき、流暢さを捨てた。文章に書き起こせばクドクドと長ったらしいはずだが、相手の頭には残る。

逆に、読んでもらうための文章からは、冗語性をなるべく排除する。

会話は肥らせ、文章はスマートに。

これが理想である。



通訳の話は本書から学んだ。

2019年8月30日

リーダー職にある人には、ぜひ読んでみて欲しい! 『野村ノート』


転勤のある医師は、野球の監督に似ている。

転勤先の病棟で働いているのはプロのスタッフたちである。野球と同じで、それぞれの技術やモチベーションには差があるし、全体としての雰囲気や風土がある。「治療」という勝負で「改善」という勝利をつかむため、医師はチームを自分の理想の形に創り変えていかなければならない。

そう考えると、野球監督の組織論からは得ることが多い。中でも野村克也は、野球そのものやチームを多角的に研究しているので、読んでいてナルホドと思うことが多い。

本書で印象に残ったのが、リーダーとして大切な3つの能力として挙げられた、問題分析能力、人間関係能力、未来創造能力である。特に最後の未来創造能力について語られており、これには非常に共感することが多かった。

ただし、創造の前には想像が必要。つまり、どういう病棟にしたいか、ということ。このビジョンがなければ、なにも創造なんてできないのだから。

リーダー職にある人には、ぜひ読んでみて欲しい。野球の細かい話も出てくるが、そのあたりは俺もすっ飛ばした。野球に興味がなくても得るものは多いはずだ。

2019年8月29日

こういう指導者に出会いたかった……、いや、こういう指導者になろう! 『コーチ』


映画化もされたベストセラー『マネー・ボール』の著者が、少年時代に師事した野球コーチ・フィッツについて語ったエッセイ。

短編小説一つ分くらいの分量ながら、そのまま映画化できるんじゃないかというくらい内容が濃く、読みながら映像が目に浮かぶようだった。

フィッツは、体罰こそしないものの、とにかく熱いコーチである。厳しすぎる、といっても過言ではないくらいだが、それでも子どもたちからは非常に信頼されている。ところが、今のアメリカでは、こんな熱い指導者は流行らないようだ。指導を受ける子どもたちはコーチに心酔していても、親のほうが黙っちゃいない。
「子どもがコーチからこんなことを言われた!!」
「なんでうちの子が試合に出られないんだ!?」
そんなことを学校の校長に直談判に来る親たちのせいで、フィッツは指導の軌道修正を余儀なくされる。

日本にはこういう熱血な指導者がまだいると思うが、それも稀少種となりつつあるのではないだろうか。

俺の場合、スポーツではないけれど、高校時代の英語と数学の教師がスーパー・スパルタだった。

その当時、その先生たちに俺は心酔したか?
しなかった。

現役で経済学部に合格して感謝したか?
しなかった。

では、今は?
やはり心酔はしていないが、感謝はしている。

あのスパルタがあったからこそ、経済学部・社会人でのまったく勉強しなかった5年間があっても医学部に入れたのだと思う。

医師になり10年目、いつの間にか指導する立場になった。俺は、熱い指導者になれるだろうか……? いや、なれるよう心がけよう!!

2019年8月27日

精神科とプロ野球の意外な共通点!? 『マネー・ボール』

数年前に、なにげなくプロ野球のリーグ成績を見ていると、得失点差、防御率、盗塁数など見比べて、1位で良いはずなのに2位になっている日ハム、1位を走る西武という不思議さが面白かった。

プロ野球パ・リーグの順位表が面白い

プロ野球の優勝は、チームの勝率で決まる。だから、たとえ1点しかとれなくても勝てば良いし、負ける時にはいくら点をとられても1敗にしかならない。ということは、例えば、『勝つ時は「1対0」と地味だが、負ける時には10点以上とられてボロ負け』という見栄えのしないチームでも、優勝する可能性があるということだ。

ボロ勝ちと惜敗を繰り返し、一見すると強そうなのに優勝できないチームがあるかと思えば、辛勝かボロ負けばかりで弱そうに見えても優勝するチームがある。これはすごく刺激的なことだ。

実は、精神科診療でも似たようなところがある。一人の患者を相手にした毎回の診察を試合と考えた時、「ボロ勝ち惜敗型」で診療が上手くいっているように見えても治療できないことがあるし、「辛勝ボロ負け型」で見栄えのしない診療でも最終結果は良好ということもある。

例え話に過ぎないので、現実にはもっといろいろな要素が関係するが、こういう視点を持てるようになるし、プロ野球のデータというのは見ていて面白いものだ。


本書は上記のような貧相な考察ではなく、もっと膨大なデータを元にしたチーム補強のルポである。メジャーリーグの貧乏チームであるアスレチックスが、いかにしてチームを安く補強して勝ち続けるのかを、ゼネラルマネジャーの人物像や考え方を中心にして、時に選手にもスポットライトを当てながら描いてある。

メジャーリーグという華やかな舞台には、光もあれば影もある。いやむしろ、どちらかというと影のほうが多いのかもしれない。そんな世界を見事に切り取って見せた本書は、多くの人に推薦したくなる本だった。

2019年8月26日

現時点で安心できる主治医がいて、精神科にまつわる笑い話を読んでみたいという人にだけお勧めできる…… 『いとしの精神科 患者も医者もみんなヘン!』


一時間もかからずに、さらさらっと読んだ。

この作者の記述からのみ判断すれば、作者の「うつ病」という診断は間違っている。ということは、処方された薬では改善しないどころか、不安定さを増悪させる恐れが高いし、読んだ限りでは実際にそうなっているようだ。

誤診に基づく精神科治療を受けた患者が漫画家だったので、「精神科領域に確かに存在する負の部分」が面白おかしく表に出たという感じ。とはいえ、この作者個人の体験を全国の精神科すべてに当てはめ考えてしまうのは危険だ。これを読んで精神科にかかるのをためらう人がいたら、それはもったいない。

現時点で安心できる主治医がいて、精神科にまつわる笑い話を読んでみたいという人にはお勧めかな。きっと、「ああ、こんな医者じゃなくて良かった!」と、自分の主治医への信頼感も増すことだろう。

2019年8月19日

脳卒中や外傷後の高次脳機能障害でも、脳機能は少しずつ学習する 『壊れた脳 生存する知』


脳出血によって高次脳機能障害になってしまった著者が、自らの体験を表現豊かに、そしてユーモラスに語った本。

著者は整形外科医で、3度の脳出血の後も試行錯誤しながら自己リハビリに取り組み、ついにIQは100以上になったとのこと。おそらく発症前のIQは相当に高かったのだろうが、人間の能力はIQだけでは語れない。著者の山田先生の場合、IQ以上に人間性、ユーモア精神、根気や根性に恵まれているように見える。また、生まれ持った運というものもあるのだろう。3回も脳出血を起こして医師を続けるというのは、並大抵のことではないはずだ。

脳卒中(脳出血や脳梗塞)後の脳機能は、非常にゆっくりではあるが確実に回復する。実際には「回復」というより「学習」というほうが適切かもしれない。例えるなら、高速道路が寸断された後に下道でたどり着く方法を見つけるようなものだ。遠回りで時間もかかるけれど、目的地にはたどり着く。

これまで精神科医として実際に高次脳機能障害の患者を数名みたが、全員が1年後、2年後には多かれ少なかれ機能改善していた。このことは、新規の患者さんや家族には必ず伝え、常に希望を処方するようにしている。

以前、こんなことがあった。くも膜下出血を発症した若い人が、発症からまだ4ヶ月しか経っていないのに、身体科の主治医の指示で知能検査を受けた。当然、結果はひどく悪い。それが挫折感、屈辱感、敗北感といったものを与えてしまったのか、その人は引きこもって生活し、数ヶ月後ついに重篤な自殺未遂をしてしまった。

こういうケースでの知能検査は、早くても発症から6ヶ月後、もし本人が急いでいないなら1年後でも良いと思う。身体の検査に痛みや被曝という侵襲性があるように、心の検査にも時に大きな侵襲性があるということは知っておいてもらいたい。

当時、心理士2名とも話し合い、身体科の医師から知能検査の指示があっても、状況によっては心理士から「もうしばらく待ったほうが良いです」と意見して良いし、場合によっては「精神科医から、脳卒中や頭部外傷後6ヶ月以内の知能検査は禁じられている」と答えても良いことにした。

ところで、本書の話に戻ると、ツイッターで時々お見かけする産婦人科の網野先生のお名前も出てきた。文面からするに、医学生時代からの友人、それも親友という仲なのだろう。はて、自分が同じ境遇になった時に物心両面で支えてくれそうな友人は……、あ、何人かいそうだな(笑)

2019年8月16日

多くのリーダーに読んで欲しい!! 『リーダーシップ』


臨床医が生涯にわたって学習すべき分野は三つある。一つ目は病気についてで、これは医師なら当然のことだ。二つ目は患者さんやスタッフとのコミュニケーションについて。そして三つ目が、リーダーシップである。

世の中には、生まれついてリーダーの素質を持つネイティブ・リーダーがいるが、そういう人は決して多くはない。まったくの憶測だが、おそらく20人から50人に1人くらいではないだろうか。これは人類が小集団で生活していた頃の名残りみたいなもので、これくらいの頻度でネイティブ・リーダーが生まれれば、50人から100人の小集団において長期にわたる「リーダー不在」がないはずだという、まったくの推測に過ぎない。

そんなネイティブ・リーダーであっても、現代の多様化した社会構造においては、素質を活かせるとは限らない。むしろその逆に、リーダーの素質を持って生まれたわけではない大多数の人たちが、リーダーとしての立場に立たざるを得ないことのほうが多いだろう。医師も例外ではなく、恐らく、というより間違いなく、ほとんどの医師に生来のリーダーシップなど備わっていない。しかし、医師になった以上、本人が好むと好まざるとに関わらず、リーダーとして活動したり振る舞ったりしなければならない。だから、医師はリーダーシップを自ら積極的に学び、身につけなければいけない。自分のためでもあるが、それ以上にスタッフのため、チームのためであり、それは結局のところ、すべて患者さんのためである。

年に数冊は、こうしたリーダーシップ関連の本を読む。今回はニューヨークの元市長、ルドルフ・ジュリアーニの著書だ。多くの人がジュリアーニ市長の名前を聞いたことがあるのではなかろうか。それは、彼が9・11テロの時にニューヨーク市長だったからだろう。

本書ではジュリアーニのリーダーシップ論が、検事時代や市長在職中の逸話とともに語られる。アフガニスタンに対する考えや態度には一部賛成できない部分もあったが、リーダー論として非常にためになった。また、良質な翻訳で最初から最後までストレスなく読めた。

ジュリアーニ市長のエピソードを一つだけ紹介しておく。テロ後、世界各国の指導者たちがグラウンド・ゼロを訪れ、市長は彼らを案内した。多くの指導者が涙を浮かべたり、打ちひしがれたりしたが、豪華な金色のローブでやってきたサウジアラビアのアルワイード・ビン・タラル王子の態度にジュリアーニは違和感をおぼえた。
王子が薄笑いを浮かべていて、それが側近にまでおよんでいるように思えたのだ。現場を見て、心動かされたようすがないのは彼だけだった。不愉快ではあったが、「こっちが神経過敏になっているせいだろう」と思った。
王子は被災者のための基金に1000万ドル(10億円前後)の寄付をしたが、その時に配布したプレスリリースに、
「アメリカ合衆国政府は中東政策を見直し、パレスチナの主張に対し、もっとバランスの取れたスタンスを取るべきである」
といった声明も記されていた。テロの被災者に対する寄付金であるにも関わらず、こんな政治的なメッセージ、しかもアメリカにも責任の一端があるような書き方をされて……、そんな寄付金なんて受け取れるか!! ジュリアーニは熟慮の結果、この寄付をキッパリと断った。こんな大胆な決断を下せる政治家が日本にいるだろうか?

2019年8月14日

魔法ではなく知識で闇のものと対峙する「魔使い」の弟子トムの冒険 第3弾 『魔使いの秘密』


主人公トムは魔使いの弟子。
「魔法」使いではなく「魔」使い、である。魔法ではなく知識を武器に、闇のものたちと対峙する。
舞台は異世界ではなく、おそらく中世ヨーロッパ。
物語はトムの一人称で語られ、読者はトムと一緒に、あるいはトム自身となって冒険の旅に出ているような錯覚を楽しめる。
1巻で魔女と対決してから、トムと魔使いが立ち向かう敵はどんどんとスケールアップしている。次巻では、いったいどんな冒険が待っているのか、ワクワクするようなラストであった。
『ダレン・シャン』系のダークファンタジーが好きな人にはお勧め。

2019年8月9日

双極性障害の教科書 『双極性障害 第3版 病態の理解から治療戦略まで』


加藤先生の講演を聞いて、その分かりやすさや親しみやすさ、ユーモアに惹かれ、著書も読んでみようと購入。
本のほうも分かりやすく、エビデンスに則っており、さらに実践的であるという点で臨床家は一冊持っておいて損はない本だろう。一般向けではないので、まったく素地のない人が読むには難しいかもしれない。

2019年6月24日には第3版が出版されているので、興味を持った人は第3版の発売を買うべし。うっかり第2版を買わないように!!

2019年8月8日

魔法ではなく知識で闇と戦う「魔使い」の物語 第2弾 『魔使いの呪い』


魔使いシリーズの2作目。

「魔」使いであって、「魔法」使いではない。主人公たちは「魔法」ではなく「知識」で魔物たちと戦うのだ。小学校高学年から中学生くらいなら楽しめる内容だが、ほんの少しだけ残酷描写があり、ダークファンタジーの部類に入るだろう。

物語は一人称「ぼく」で進められ、少しずつ少しずつ「魔使い」の周辺が明かされていく。読者は主人公と一緒にそれらを体験することになる。『ダレン・シャン』が好きと言う人にはお勧め。

2019年8月6日

コミュニケーション必須の職業の人にぜひとも読んで欲しい! 『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』


著者の米原万里はロシア語の通訳者である。本書は、彼女が通訳業として体験したエピソードや、そこから得られた言語にまつわる見解が、面白く読みやすく記されている。そして、意外なことに、精神科医にとって非常に参考になることが多かった。

考えてみると、精神科医は通訳者のような役割を求められることが多い。患者と家族の間に入り、患者の言い分を家族に、家族の気持ちを患者に、双方の立場や想いを汲み取りながら仲介して伝える。患者と看護師、看護師と医師、患者と他科の医師の間に入る場合もある。

通訳者とは単に「外国語が堪能な人」ではない。日本語も堪能でなければ勤まらない。著者の「母国語よりも巧みに第二言語を使いこなせる人はおらず、第二言語の技術は母国語を超えない」という主張は、まさにその通りだと思う。また、日本語と外国語が上手く話せるだけでなく、その外国語を使用する国の文化や考え方といったものにも通じていなければならない。

このように、双方の背景を把握しつつ、臨機応変で柔軟な対応を求められるのは、通訳も精神科医も同じである。それから、語彙力が求められるところも似ている。精神科医が患者について描写しようとするときには、自分の語彙力以上のことは表現できない。極端な話、統合失調症と診断した患者の様子を記載した場合、どの患者のカルテを見ても同じような文言が並んでいて見分けがつかないということもある。

ここまでで、精神科医と通訳が似ていると書いてきたが、おそらく看護師や作業療法士だって、主治医と患者の間で、あるいは患者と患者の間で、通訳業のようなことをしているはずだ。同じように、それが仕事かどうかに関わりなく、二者関係の間に立つ全ての人に、通訳業と同じような技術や能力が求められるだろう。

だから、本書はただの「通訳おもしろエピソード集」ではなく、二者の間を取り持つ際の技術や心構えに関する教本と言える。そして、これほど優れた教本はそう多くない。得るところが非常に多く、たくさんの人に読んで欲しい本である。

2019年8月5日

自閉症の当事者にも、家族にも、援助者にも読んでみて欲しいお勧めの本 『自閉症スペクトラムのある人が才能を活かすための人間関係10のルール』


著者のテンプル・グランディンは自閉症で、コロラド州立大学で教鞭をとっている。彼女は家畜施設の設計をする動物学者としても有名で、アメリカの家畜施設のかなりの部分に彼女の設計が取り入れられているそうだ。

もともと彼女のことはテレビのドキュメンタリーで観たことがあり、以前から興味があった。自分の全身を締めつける道具を開発して、そこに挟まっていると落ち着くのだと言っている姿が印象的だった。

もう一人のショーン・バロンも自閉症である。本書では、まずテンプルとショーンがそれぞれの生い立ちを語るところから始まる。そして、その冒頭だけで「自閉症は多様である」ということがよく分かる。それから各ルールについて、互いの考え方・感じ方を述べてある。

2800円とやや高価だが、ページ数は430ページにもおよぶ厚めの重い本で、分量からすると割高感はない。また、使われている言葉は平易で、翻訳も読みやすく、苦労なく読み終えることができ、充分に参考になることを考えると、質的にも相応の値段と言える。

参考までに「10のルール」を引用しておく。ただし、実際に中身を読まないと、きちんと理解することは難しいだろう。
  1. ルールは絶対ではない。状況と人によりけりである。
  2. 大きな目でみれば、すべてのことが等しく重要なわけではない。
  3. 人は誰でも間違いを犯す。一度の失敗ですべてが台無しになるわけではない。
  4. 正直と社交辞令とを使い分ける。
  5. 礼儀正しさはどんな場面にも通用する。
  6. やさしくしてくれる人がみな友人とはかぎらない。
  7. 人は、公の場と私的な場とでは違う行動をとる。
  8. 何が人の気分を害するかをわきまえる。
  9. 「とけ込む」とは、おおよそとけ込んでいるように見えること。
  10. 自分の行動には責任をとらなければならない。
自閉症の当事者にも、家族にも、援助者にも読んでみて欲しいお勧めの一冊。

2019年8月2日

痴漢、逃がすまじ、許すまじ、滅びるべし! 『男が痴漢になる理由』


ツイッターで「痴漢を安全ピンで撃退」が話題になり、俺もあれこれ意見や注意喚起やアイデアの提案をするうち、もっと痴漢について知るべきだと感じたので読んだ。

痴漢する連中の頭のなかがいかにズレているかがよく分かったし、そういう連中への「治療」がどうあるべきかも理解できた。

しかし、である。

精神科医として痴漢の治療に携われと命じられたとき、冷静に対応できるかには自信がない。いやむしろ、冷淡になってしまう気がする。未来の被害を減らすことを最優先に考えるなら、冷静な治療こそ「被害者のため」になるはずなのに、感情が邪魔をしてしまう……。

痴漢、滅びるべし。


ところで、本書は「依存症」についての勉強にもなるので、依存症関連で仕事している人は一読して損はないだろう。

2019年7月30日

一般向けとしても良書であるだけに3200円という値段が残念。 『誤診のおこるとき』


味も素っ気もない、ちょっと古臭ささえ感じるカバーである。改訂版前の初版が1980年であるから中身も……、と思いきや、ぐんぐん読み進められる簡潔明瞭な文章と、読み進みたくなる内容の面白さで、あっという間に読み終えてしまった。

初版時の副題は「早まった了解を中心に」であったそうだが、これは今現在も充分に通用するテーゼであるし、敢えて「精神科診断の宿命と使命」に換える必要はなかったのではないかと思われる。

改訂版では大幅に加筆修正をしてあるようだ。改訂執筆当時に70代後半であっただろう著者の山下先生のバイタリティには、ひたすら感服するばかりだ。若手から中堅の精神科医が読むのに適している本で、山下先生も初版の前書きで、
若い精神科医、あるいは精神医学に興味を持つ学生諸君が、休日のつれづれに寝転んだまま一日で読み終えて、翌日からの診療にすぐ参考になる本という難しい課題を念頭に置きながら、この小冊子を書いた。
と述べられているそうだ。医師以外が読んでも充分に楽しめる本であるが、難点を一つ挙げるなら3200円という値段である。これが半額くらいまで安ければ、一般の人たちにまで読者層を広げられたと思うだけに残念。

2019年7月29日

達人が語る短い診察時間 神田橋先生の『精神科講義』より

精神科医になりたてのころに先輩のS先生から、
「精神科の診察室に長居したい患者さんなんて、そう多くない。お前が患者だったらどう? 医者から長々あれこれ聞かれたらイヤだろ」
と言われた。

神田橋先生は、このことについて達人らしく語っている。
外来に来ている、維持投薬だけをしているような患者さんがいますよね。ある程度の社会生活はできている。そういう患者さんに、一番サポーティブな接し方は、
「今日は質問することが何も思いつかないけれど」
と言うのが、一番サポーティブです。
「あなたのほうで何か質問があったらどうぞ。特に変わりがなければ、いつもの通り、薬をあげるのでいい?」
と言ってあげるのがサポーティブ。
無理やり、「近ごろどうしてるね?」とか「仕事は順調ね?」とかそういうようなことを思いついて、必要があって聞くならいいけど、何か聞かにゃいくまいと思って聞くと、有害この上もないし、順調かどうかなんて聞かないでもパッと見たら分かるんだから。(中略)
何も聞き出されないし、聞きたいことにはきちんと答えてもらえるというのが、統合失調症に限らずね、患者さんにいいです。(中略)
「あそこに行くとなんか話をさせられる」というのはいかんでしょ。
こうやって書いてみると、S先生の言っていたこととかなり似ている。なんだかS先生が凄い人のように思えてきた。