2016年12月28日

神経内科の医療書籍を読んで、胸が熱くなり魂が揺さぶられるなんて、想像だにしなかった!! 『極論で語る神経内科』


全11章からなり、それぞれのタイトルは以下のとおりである。

脳血管障害
認知症
てんかん
多発性硬化症
パーキンソン病
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
ギラン・バレー症候群
重症筋無力症
睡眠
脊髄疾患
「器質的疾患でない」疾患について

診断基準や治療ガイドラインについては割愛と大胆な省略がなされているので、まったくの初学者は読んでも分からないことが多いかもしれない。ただし、著者である河合先生の臨床哲学はビシビシと伝わってくる。特に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の章では、胸が熱くなり、魂が揺さぶられるような感覚を味わった。

「ALSには治療法がなく、徐々に衰弱していくのを見守ることしかできないものだ」という誤解がある。実際、俺自身もそれに近い印象を持っていた。これに対して、河合先生はこう語る。
「有効な治療法が見つかっていません」というのは誤りです。治療法は選択肢としてはあるのです。ですから正確には“治癒をさせられない疾患”というべきなのです。
では、その「治療法」とは何かというと、PEG(経皮的内視鏡下胃瘻造設術)とNIV(非侵襲的換気療法)である。
何だ、対症療法、延命療法じゃないか?という人もいるかと思いますが、
はい、正直、そう思いました。そして、これに続く文章が、頭をガツンと殴られるような指導的文章であった。
そうではありません。PEGもNIVも生存期間を有意に延長する明らかなデータが出ています。栄養状態を改善すること、呼吸筋に休息を与えることで予後が改善すると考えられています。意識障害が生じない疾患ですので、PEGやNIVで生命予後が延長することは非常に大きな意味があります。
「こんなの当たり前じゃないか。この文章に衝撃を受けるお前が不勉強だし、医の倫理が身についていないのだ」とお怒りになる先生もいるだろう。でも、この「当たり前の感覚」って、ときどき見失いません? 特にALSという「治療できない」(という誤解のある)難病を実際に診療していると、そんな「感覚迷子」みたいな状態になりません? 俺は精神科医として、過去に1例だけALSの人の不眠を診療したきりで、その後はALSについては各媒体を通じて知るだけだったけれど、どうやらこの感覚迷子に陥っていたようだ。

そして、河合先生はこう断じる。
PEGとNIVの適応は慎重に? 冗談じゃない
熱いっ!!
終末期の疾患で意識を失い自ら生命の選択ができなくなった患者さんにPEGを施し延命させることと、ALSの患者さんに早めにPEGを施し生命予後を改善させることは意味合いが異なります。
また、河合先生も書いていらっしゃるように、PEGをしたら食べられなくなるわけではないし、PEGをしても後に要らないと思えば抜去だってできる。
これらの治療法は生命予後を改善するので、対症療法と考えるのは不適切で、れっきとした治療として分類されるべきです。
ALSについて、自分の中でパラダイムシフトのようなものが起こった瞬間であった。

さて、さらに河合先生の名言が続出する。特に最終章『「器質的疾患でない」疾患について』は、精神科医として「よくぞ言ってくださいました!!」と拍手喝采したくなるような内容であった。河合語録を引用していく。
“心因性”疾患を知らずして、「器質的でない」というなかれ
「器質的疾患でない」というならば、ほかの医師に理路整然と説明できるか?
「器質的疾患でない」患者さんの説明には、むしろ時間をとる!
身体表現性障害の正しい対処を知らずに、一人前などと片腹痛い
そして、究極の名言がこれ。
精神科が「器質的疾患が疑われる」といってきたときは襟をただせ
河合先生には、今後とも胸熱書籍を出版していただきたい。心からそう思った。

2016年12月27日

「クロノスジョウンター」がらみの小説 『この胸いっぱいの愛を』


同名映画の脚本を、原作者がノベライズ化したという小説。映画は観ていないが、ストーリーは『クロノスジョウンター』がらみである、というネタバレくらいはして良いだろう。というのも、『クロノスジョウンター』が何かを知っている人なら、その程度のネタバレで梶尾真治の小説の面白さが損なわれることがないことくらい分かるはずだから。そして、『クロノスジョウンター』が何かを知らない人にとっては、ネタバレにすらならないから。

しかし、それ以上のストーリーとなるとバラせない。面白いことは保証できる。

2016年12月26日

いろいろなことを考えさせられる名著 『日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条 』

福祉業界が金と人の不足に喘いでいるのは常識だと思っていたが、そんな福祉業界の重鎮といわれるような人が、
「人手不足は妄想である。人手が足りると気が緩み、それが事故につながる」
という発言をしていたと知って驚いた。


本書は『虜人日記』を縦軸に、著者である山本七平の経験や考察を横軸にして、戦前・戦中・戦後の日本や日本軍について語られる。『虜人日記』では「日本の敗因21ヵ条」が示されており、そのうちの第一が、
精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
である。

ここで、上述した福祉の状況が思い出された。偉い人の唱える、
「人手不足であるからこそ、士気が高まり、各人の能力も鍛えられる。自ずと福祉向上につながる」
という発想は、戦時の日本軍とまったく同じではなかろうか。

福祉業界が人手不足ということは、新人も含めた各スタッフの負担は大きいということだ。そこで人を集めるべく、各地で「介護士講習会」が開かれている。しかし、ベテランでもこなすのがやっとの状況なので、付け焼き刃的な講習を受けた人が期待や志しを胸に就職しても、現場での心身の負荷に耐えられず、早々に立ち去ることも多い。そして、それを補うべく、また講習会……。

第二次大戦において、動員した民間人を次々と東南アジアに送り出しては使い捨てにした日本軍的な思考から、日本はなかなか抜け出せないでいるようだ。

こうしたことを様々に考えさせられる、評判に違わぬ良書であった。

2016年12月21日

上昇志向な意識高い系女子

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次女ユウが上に行くには、まだまだ手足の長さが足りない(笑)

可もなく不可もなし。あとは好みの問題か。 『あやかし草紙』 『おとぎのかけら  新釈西洋童話集』


この作家の本を読むのは初めて。両方とも短編集で、『あやかし草紙』の舞台は昔の日本、『おとぎのかけら』のほうが現代日本である。グロテスクな残酷描写があるわけではないが、作中人物の置かれた境遇が残酷であったり切なかったりする。嫌いなタイプの話ではないが、かといってこの作家にハマるというほどでもない。可もなく不可もないといったところ。

2016年12月20日

オヤツ遠足

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ある土曜日、長女サクラと次女ユウと三人で、近所の小学校までオヤツ遠足。次女は途中でちょっとだけ抱っこしたけれど、二人ともしっかり歩いた。特にサクラの成長ぶりには感動。「つかれた」と一言も漏らすことなく、往復の道中を楽しんでいた。

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サクラ「ぶたのまるやきー!」
本物を見たら、たまげるだろうなぁ(笑)

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2016年12月19日

ダーウィン医学を知っていますか? 『病気からみた進化 「ダーウィン医学」のすすめ』


ダーウィン医学というキャッチーな名前を持つ研究分野がある。たとえばこんな感じだ。

うつ病、特に冬にうつ状態になることの多い季節性うつ病は、日照時間が短く食べ物も少ない時期に活動量を落とす役割があったのではないか。

妊娠初期のつわりは、胎児奇形が発生しやすい時期に、奇形の原因となる毒物を避けるためのものではないのか。

こうした仮説は、非常に興味深いし、一定の説得力もあるのだが、きちんと実証するとなると難しい。遺伝子を調べて結論が出るようなものでもないわけだから。ただし、たとえば「つわり」に関しては、つわりのひどかった妊婦は流産リスクが低かったという調査結果があるようだ。ダーウィン医学とは、こういう「間接証拠」を積み重ねて推理する楽しい分野である(と思う)。

本書は、このダーウィン医学を一般向けに紹介したもの。一般向けなので、レベルの高いものを期待している人には物足りないかもしれない。かといって、生物の知識がまったくないという人にはちょっと難しく感じるだろう。まぁ、そういう人はそもそも本書を読もうとはしないだろうけれど。高校レベルの生物の知識があるくらいの人が、一番面白く読めるのではなかろうか。

2016年12月8日

千葉大学の強姦加害者たちは決して特別なわけではないが、極特殊ではある

千葉大学の強姦事件に関わった連中は、決して特別なわけではないが、かといって当たり前の人たちでもない。

特別ではない、というのは、アルコール(に限らず酩酊する物質、不眠など)で判断力が鈍り、特に「抑制がとれる」のは万人に共通しているから。

日ごろは穏やかなのに、酒を飲むと粗暴になる人がいる。こういう人は、粗暴な内面を理性で押さえつけているのだろうし、酒がその抑制をとるので、粗暴な面が噴出する。こういう人を見ると「本当は危ない人」と考えがちだが、「粗暴な内面を抑制する理性の強い人」とも考えられる。

酒は理性による抑制をとる。これは万人に共通で、千葉大学の強姦事件に関わった連中も特別ではない。しかし、抑制がとれた男はみんな強姦するか、まして集団強姦に及ぶかというと、絶対にそんなことはない。だから、その点で彼らは極特殊と言える。

抑制がとれたのが原因で集団強姦に及ぶということは、普段理性で押さえつけている内面は強姦魔ということだ。
少し厳しいが、そう思えてならない。

倫理、心性とは別に、判断力低下という点でも残念な連中である。

その強姦がバレないと判断したのか、バレても問題視されないと判断したのか、問題視されても退学にまではならないと判断したのか、退学になってでも被害者のことを集団で強姦したいと判断したのか。どの段階をとっても残念な連中である。

さて、加害者は、今は拘置所にいるのだろうか? 俺はそのほうが彼らにとって幸せだろうと思う。国立医学部に合格し、もうすぐ医師になるという自慢の息子が、集団強姦で全国に名前が出て一転。実家は針のむしろだ。友人も慰める言葉は持たないだろう。そんな現実を見ないで済む拘置所のほうが良いに決まっている。

2016年12月6日

すごくお勧めだが、読者に予備知識を与えたくない! 『ウォッチャーズ』

ウォッチャーズ(上)
ウォッチャーズ(下)

クーンツの小説を読むのは初めて。あまりに面白かったので、クーンツの他の本を検索したら、20歳のころによんだ『ベストセラー小説の書き方』が実はクーンツによるものだということを知った。ははぁ、縁、ですなぁ。

退屈させることのない緩急のバランスとれたストーリー運び、悪役も含めて魅力的な登場人物たち、きちんとおさまったラスト。どれをとっても俺好み。

そもそも、なぜ購入したのか忘れてしまったが、これは予備知識なしで読んで良かった! だから、これから読もうとする人の楽しみも奪いたくない。ストーリー知らずに小説を読み始めるなんて、ちょっとした冒険ではあるが……。

この勢いで、クーンツの小説を何冊か積ん読リスト入りさせてしまった。


20歳のころに読んで、ナルホドなぁと思うことは多かった。

2016年12月2日

災害急性期において、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援である。 阪神・淡路大震災の渦中にいた若き精神科医による記録と考察 『心の傷を癒すということ 大災害精神医療の臨床報告』


大災害時には、さかんに「こころのケア」という言葉が使われる。PTSDという病名も、マンガやドラマ、ワイドショーなんかによく出てくる。では、大災害時に現地にいた精神科医は、そのときどのように動き、なにを考えたのだろうか、というのが本書の中心である。

PTSDを治療する側の目標は、患者が、
「外傷体験について考えることも考えないことも自由にできるよう助力すること」
であるという。決して「頭から消し去る」ことを目的とした「臭いものに蓋」治療ではない。「考えるか、考えないか」を自由に選択できるというのは、自分自身への自信につながる。その自信はこころの余裕を生み、余裕がまた自由度を伸ばしてくれる。こういう良い循環ができあがれば、援助者の役割はほぼ終わりと言える。

本書は精神科医によるPTSD論であると同時に、阪神・淡路大震災の被災者による被災記録でもある。当時の混乱した様子、悩みや憤りなでも赤裸々に綴られている。例えば当時の「ボランティア・ブーム」について、「乗り遅れてはいけない症候群」という指摘もある。現地で活動するある医師はこんな愚痴を漏らしたという。
「なに考えてるんやろ。“どうやってそちらに行くんですか”“地図がほしい”、ひどいのになると“迎えに来てほしい”“宿泊所を世話してほしい”という問い合わせがあるんや」
住むところがなくて大勢の人が避難所にいるのに、どうやって宿泊所を用意しろというのだろう!
地元のスタッフは、このような質問にひとつひとつ対処しなくてはならない。聞くほうは一回でも、答えるほうは同じ説明を何回もすることになる。
災害を病気に例えるなら、急性期、亜急性期、慢性期において援助者の役割は少しずつ異なる。急性期にはとにかく命を救い、亜急性期には後遺症を減らすことに努め、慢性期では安定した生活を目指す。急性期は、いわばICUでの治療のようなもので、専門外の人は邪魔になるだけのことが多い。災害の急性期も同じで、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援になるということを知っておいて欲しい。

著者の安先生は、中井久夫先生が教授をつとめる神戸大学精神科での医局長時代に被災し、精神科ボランティアをコーディネートされた。その後、本書を執筆してサントリー学芸賞を受賞。このとき、まだ35歳過ぎである。ところが40歳になる年の5月、肝細胞癌が発覚し、同年12月2日、39歳という若さで他界された。次女が生まれて、まだ3日目であった。

本書には増補改訂版と文庫版がある。増補改訂版は、初版刊行後に本人が執筆した阪神・淡路大震災および災害精神医学に関する文章、中井久夫先生の追悼文などが追加収録されているが、精神医療に携わる人でなければ文庫版のほうで充分だろう。

精神科援助者として得ることの多い一冊で、東日本大震災での医療支援として南三陸町へ派遣される前に、この本に出会えていればと悔やまれる。

2016年12月1日

ヒヤリ・ハットを大切に!! (研修医時代の実話を紹介) 『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』

NICU(新生児集中治療室)での研修中、クベース(新生児を収容しておく機器)のフタを閉め忘れて席を外したことがあった。1分か2分で戻ったのでトラブルは起きなかったが、これはヒヤリ・ハットである。そこで、電子カルテのヒヤリ・ハット報告を自主的に記載していたところ、それを見つけた指導医から、

「病棟のヒヤリ・ハット担当の看護師に、一言断りを入れてから書くように」

と言われた。学生時代から医療過誤、ヒヤリ・ハットといったものに興味があって勉強していたので、指導医の言葉に「え!?」と固まってしまった。また、報告テンプレートでは、職種、勤続年数、所属病棟といったものを細かく記入しなければならず、名前こそ書かないものの、簡単に特定可能で、匿名性は皆無だった。さらに驚いたことに、月に2件以上のヒヤリ・ハット報告をした看護師は、「研修」と称して反省文のようなものを書かされていた。

こんなシステムでヒヤリ・ハット報告が集まるわけがない!

そこで、当時ヒヤリ・ハットを総括していた看護部長に改善を求めて院内メールを送ったところ、しばらくしてようやく返事が来た。内容は当たり障りのないもので、「改善に努めます」というものであった。その後、研修医を終えるまでの2年間で、ヒヤリ・ハット報告のテンプレートは一行たりとも変更されなかった。俺も、病院のそういう体質に嫌気がさしていたし面倒くさくなったので、それ以上は追求しなかった。

今回読んだのは、これ。

最悪の事故は小さなミスが積み重なって起こる、というのは一般論。本書ではもっと突っ込んである。「“後から見直す”と、たいていの大惨事は小さなミスが偶然に積み重なったものである」ことは確かだが、「小さなミスが積み重なっても、大惨事には至らないこともある」と指摘する。実際には後者のほうが大多数だが、起こらなかった事故はニュースにならない。だから、人知れずひっそりと忘れ去られる。俺がクベースのフタを閉め忘れたヒヤリ・ハットのように。そして、「事故を未然に防げたケース」をもっと尊重し、発生したミスを過小評価することなく、他職種・他業種であっても共有すべきだ、というのが著者の大切な主張である。

原発や洋上石油掘削基地、スペースシャトル、飛行機などの専門用語が出てくる。それぞれ簡単な図を用いて説明はしてあるが、いずれも門外漢には少々分かりにくかった。ただし、事故そのものを専門的に解説するのではなく、そこに潜むエラーやミスといったものを中心に語られているので充分に面白かった。

2016年11月30日

いま必要ないからこそ用意しておくべきなのだ! 『おかあさんと子どものための防災&非常時ごはんブック』


今年は熊本でわりと大きな地震があり、つい先日も福島のあたりで地震と小さな津波があり、少し毛色は違うが博多駅前が大規模陥没し……、「被災する」ということを改めて考えさせられた。

本書によると、日本人の3人に1人がなんらかの天災に被災するらしい。けっして他人事ではないのだ。

前半では、子どもと一緒に被災した場合、あるいは別行動中に被災した場合など、パターンを分けて、しかも4コママンガつきで解説してある。普段マンガは読まないが、こういう本ではイラストのあるほうが場面想像しやすくて良い。

また、非常食について、よく見聞きする「5年くらい保存できる非常食を買っておく」というスタイルを勧めていないのも斬新だった。食べ慣れていない、美味しくない、それだと被災したときに元気が出ない、というのが理由だ。そのかわり、日常的に食べるものを非常食にできるよう、日持ちする缶詰めやカップ麺、調味料などを上手にローテーションさせましょう、と提案している。実行しやすく、余計なお金もかからず、良い方法だ。

ただし、水だけは難しい。浄水器を通していない水道水(塩素が入っている)をペットボトルに入れておけば、冷蔵庫だと4-5日はもつそうだが、家族全員分と考えると、とても冷蔵庫にはおさまらない。未開封の水を1週間分くらい家に確保しようと思ったら、かなり場所をとってしまう。簡易かつ安価な非常時用浄水器(キャンプや登山でも使っている人が多そう)を用意しておくのが一番良いと思う。そういう浄水器に関しては書いていなかった。

妻と子ども3人をもつ身として、家族で被災した場合のことは考えておかないといけない。いままで何度も買うか迷ったマルチプライヤーも、これを機会に購入した。家に置いておくと子どもが何するか分からないので、車の中で特に子どもが手を出さないところにしまっておこう(車中からの非常脱出にも使えるかもしれない)。


この2つを買いました。

2016年11月29日

ポケットに入れて空き時間に読める本 『野村の監督ミーティング』


プロ野球の元監督・野村克也から選手として指導を受け、またコーチになってからは参謀として仕えた橋上秀樹による野村監督論(?)。

落合監督について書かれた『参謀』という本を読んだ時にも感じたが、監督本人ではない人が監督について語る本では、もっと突っ込んで書かないとダメだ。仕えた監督の良いところを徹底的に褒めて、逆に選手をボロクソに書くくらいでないと、読んでいて面白くない。本書でも、監督の良いところが書かれているし、選手の実名をあげて批判的なことも書いてあるが、まだまだ足りず中途半端だ。

現場では監督がトップで、コーチは中間管理職なので、間に入ってとりなすことも多々あるのだろうが、自分の書く本では自分が利益も受け責任も負う。だからもっと奔放で良いはずだ。バリバリ突っ込まないとインパクトが弱くなる。野村監督自身の本には書いていないようなことが、ビシーッと書かれていてこその野村監督論(?)なのだから。

星は3つといったところ。ポケットに入れて空き時間に読める本。

2016年11月28日

乙武さんへ。暗黙の了解と「見て見ぬふり」は違うし、立場の弱い人が「何も言えない」のは決して了解ではないですよ!

乙武洋匡さん、離婚理由を語る 「不倫は暗黙の了解あったが…」「乙武の妻に耐えられなくなったのでは」 フジテレビ系ワイドナショーに出演 

「暗黙の了解」というのは、たいてい片方だけがそうだと思い込んでいるだけのことが多い。

通常、「見て見ぬふり」を「暗黙の了解」とは言わない。たとえば、歩きタバコを注意しないのも、同級生のイジメを止められないのも、それは決して「了解」しているわけではない。もしも、歩きタバコしている人やイジメっ子が「何も言わなかったのは、暗黙の了解があったからだろう」というのは、ただの開き直りである。

だから、ここで乙武氏が用いる言葉は、「妻は、見て見ぬふりをしてくれていたんだと思います」くらいが妥当だったはずだ。それを「妻とは暗黙の了解があった」と言ってしまう、というか、そういうふうに考えてしまうところに、彼の人格が色濃くにじみ出ている気がする。

これは、イジメっ子が、
「イジメじゃないです! 遊んでるんです! アイツだって嫌とは言わなかったし!! 他人にはわからない暗黙の了解があったんですよ!!」
なんて言っているのと、まったく同じ感覚なわけである。

乙武氏は、基本的にはイジメっ子体質なのだろう。

つい最近も、原発避難いじめで大金を奪われていた子どもについて「率先して金を渡していた」と判断した教育者らがいた。ああ、そういえば、乙武氏も教育者であった……。

子どもを観察して考えること 「かくれんぼ」

帰宅すると、4歳の長女サクラは風呂に入っていた。そして、あがってきて俺を見ると、
「サクラが何している間にかえってきたの?」
と聞いてくる。こんな質問が最近増えた。

これはつまり、
「自分の目の前だけでなく、自分の見えないところでも人が動いている」
ということを認識し始めたということなのだろう。

「自分の目の前だけが舞台であり、そこに登場人物が現れる」という感覚から、「舞台も登場人物もあちこちにあって、同時進行している」という感覚への移行期なのだろう。

この段階は、「相手には相手の事情や考えがある」という次の段階への準備なのかもしれない。そして、これがなかなかできないタイプの人もいて、極端な場合、それは「障害」というくくりになるのだろう。

「かくれんぼ」という遊びは、「自分の見えないところでも世界が動いている」という感覚を育むのかもしれないし、あるいは、そういう感覚が芽生えたからこそ楽しめるものなのかもしれない。

そういえば、サクラの最近のお気に入りの遊びは、かくれんぼである。


※幼児期と学童期とでは、かくれんぼに感じる楽しみというのは違うはずで、上記は4歳長女、つまり幼児期のかくれんぼについての話。

2016年11月24日

小学5年生の子どもたちがバトル・ロワイアル! 『よいこの君主論』


覇道を目指してバトル・ロワイアルする小学5年生たちを通じて、マキャベリの『君主論』に触れてみよう、という企画の面白さで押し切った感のある本。

冒頭で、挿し絵とともに人物紹介がなされているのだが、この時点でちょいちょい吹き出す。特に主要キャラたちの邪悪そうな表情やポーズはたまらない。また「その他のうぞうむぞう」で10人近くまとめられていて、そういう雑なところも面白い。全体を通じて、思わす笑ってしまいつつ、『君主論』についても理解が深まっ……、いや、さすがにそれはない。単純に、娯楽のための読み物として面白かった。

読み終えて、病棟に寄贈するか迷ったがやめた。手もとに残しておきたかったから、ではない。変な影響を受ける人が出るのを危惧したからである。

2016年11月22日

カメラ好きにはたまらない小説 『ストロボ』


カメラマンが主人公で、第1章が50代、第2章が40代といった具合に、徐々に若い時代の話になっていく連作短編集。カメラ好きにとっては胸が熱くなるような場面が多く、おもわずカメラを持って出かけたくなるような、あるいは家族の写真を撮りまくりたくなるような、そんな小説だった。

著者が後書きで述べているように、ちょっとしたミステリ要素もあり、カメラにあまり興味がなくても充分に楽しめる内容でもある。

2016年11月17日

警察官になれる年齢の人は読んじゃダメ! 『警官の血』


警察小説を読むようになったのは、30代も半ばを過ぎてからだった。キッカケは横山秀夫の小説だった。そして、警察小説を何冊も読んだ結果、
「10代や20歳前後で読まなくて良かった……」
という思いに至っている。もし若くして警察小説に出会っていたら、影響されて警察官を目指したかもしれない。それほどに、これまで読んできた警察小説はどれも面白く、カッコ良かった。実際の警察官の仕事は、きっともっと大変だろうし、小説のようなことは滅多に、いや、現実には皆無と言って良いのかもしれないけれど。

本書を読みながら、ある患者さんの話を思い出した。その患者さんの息子さんが警視庁に採用されたのだが、警察学校の規則がとにかく厳しいらしいのだ。入学時には、寸法と個数の決まった段ボールに、中身もきっちり決められた物だけを過不足なく詰めて学校に送らなければならない。到着日も厳密に定められている。盆の帰省では、きちんと帰省した証拠として写メを撮って教官に送信しなければならない。もちろん、学校から実家に「帰省確認」の電話もある。同期生は団体行動が原則で、休日には床屋も昼食も一緒の場所に行って並ぶ。その他の細かいことまで決められており、徹底的に個人の自由を剥奪し、それと同時に集団への帰属意識を高めるようなシステムになっているのだ。警視庁の警察学校は全国的にも厳しいので、入学者の3分の1位くらいが辞めるようだが、それは訓練の厳しさだけでなく、こうした束縛を嫌ってということもあるらしい。

こういう訓練と振り落としがあってこその団結心であろうし、「あの厳しい訓練に耐えて、ようやく手に入れた立場だ」という感覚は、配属後の不祥事予防にも貢献している気がする。

本書は、昭和23年に警察官になった安城(あんじょう)清二、その子どもである民雄、そして孫にあたる和也という3代続く警察官一家を描いたミステリ・ドラマである。これまでの警察小説の例に漏れず、やはり面白かった。そして思う。警察小説は、まだ警察官になれる年齢の人たちには勧められない。俺みたいに影響されやすい人が、うっかり警察官になってしまわないように。


<参考>
これが「教場」だ!警察学校に“潜入”…「3歩以上は走れ」「携帯は休日のみ」壮絶な規律と訓練の日々

2016年11月16日

約束の散歩を朝イチで

ママの出産入院で、寂しくて眠れないという長女サクラ。次女ユウが寝たら、抱っこ紐で夜道散歩に連れていくと約束した。しかし、それが嬉しくて安心したのか、昨夜はサクラがあっさり寝落ち。

めでたしめでたし、とはならい。

早朝読書をしていたら、長女サクラが起きてきて散歩に行きたいと言う。約束内容は少し違うが、まだそこまでは分からないか。約束を守らないパパ、信頼できないパパと思ってしまうのも可哀そうだ。

というわけで、朝5時前から早朝散歩。スーパームーンではないけれど、大きな月を眺めながら。
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これは家に続く道。

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米原万里のエッセイ集 『心臓に毛が生えている理由』

 
それぞれの初出は新聞、文芸誌、広報紙など多岐にわたり、それはつまり全体のまとまりとしては散漫ということである。だから、これ一冊だけと腰を据えて向き合うと、ちょっと疲れてしまう。こういうエッセイ集は、文庫で買って、バッグや上着のポケットに入れて、出先やトイレなどの空き時間でパラッと読むのが良い。

可もなく不可もないといった内容で、米原万里というブランドに期待しすぎたぶん、ちょっと肩すかしだった。

2016年11月15日

ママがいない夜の寝物語、そして散歩

娘らの寝る前のお楽しみは、オリジナルの寝物語である。たいてい二つか三つはせがまれる。毎回の話の前に、娘らが登場人物を決める。

「でっかいオバケと、でっかいキョウリュウと、でっかいオニオンナが出てくるのが良い!」
と長女サクラが言えば、次女ユウも負けじと、
「でっかいトットロと、でっかいパパと、でっかいママが良い!」
なんて付け加えてくる。

主人公は常に長女サクラと次女ユウだ。物語は、いつも、こんなふうにして始まる。

「むかしむかし、あるところに、サクラちゃんとユウちゃんと、パパとママが住んでいました。サクラちゃんとユウちゃんは、とっても可愛くて、とっても仲良しなきょうだいでした」

二人はオバケにさらわれてオバケの国に行ったり、地下帝国にもぐって恐竜に出会ったり、突然現れた鬼女と対決したりする。でっかいトトロやでっかいパパとママがやってきて手助けをしてくれるが、最終的には、二人で力を合わせて困難を克服する。ラストは、たいていこうだ。

「おうちにかえって、パパとママとお風呂に入って、ごはんを食べて、歯磨きをして、そして、みんなで一緒に寝んねしました」


さて、三女が生まれた翌日の夜。次女ユウはあっさり寝たが、4歳9ヶ月になろうとする長女はなかなか寝ない。腕枕のなかで、あっちを向き、こっちを向きしている。ふと見ると、両目からポロポロと涙を流しながら、声を殺して泣いている。
「寂しいの?」
そう聞くと、コクリと頷いてしゃくり上げるサクラ。
「じゃ、昔話をしようか。今回は、赤ちゃんも出てくるのにしてみる?」
また、小さく頷くサクラ。


むかしむかし、あるところにサクラちゃんとユウちゃんと、パパとママが住んでいました。
ある日、ママのお腹の中に、赤ちゃんがやって来ました。赤ちゃんはグングン大きくなってー、そして、ある日、ポンッ、と生まれてきました。サクラちゃんもユウちゃんも大喜び。
でも、ママと赤ちゃんは病院に泊まらないといけないんだって。さびしいね。


「あとなんかい寝たら、ママ帰ってくる?」
「今日も入れたら四つだよ。あと四つ寝たら、ママも赤ちゃんも帰ってくるよ。やさしくしてあげられるかな?」
「うん。赤ちゃん、かわいかったもんね!」
ちょっとだけ笑顔が戻った。
「じゃ、ママと赤ちゃんが帰ってきたら、どうやって寝るか考えてみようか?」
「うん、こっちが赤ちゃんで、次にママで……、サクラが寝て、パパ」
「あれれ? ユウちゃんは?」
「えっとー、一番あっちがユウちゃんでー、ママで、赤ちゃんで、サクラで、パパ、ってのはどう?」
「サクラは赤ちゃんの隣なの?」
「うん」
「赤ちゃんが泣いて、うるさいかもよ」
「えー(笑)」

こうして笑顔を取り戻したのも一瞬だけ。その後はまた涙がポロポロ。


「久しぶりに、抱っこひもしてあげようか?」
嬉し恥ずかしといった様子で頷くサクラ。抱っこして、しばらく家の中を歩いたが、寝つく様子はない。するとサクラが小声で、
「パパ、お外に行きたい」
次女ユウだけ残していくのは心配だったけれど、サクラは妻が切迫早産で入院した時からずっと頑張っていたし、特別にご褒美だ!


夜の田舎道をテクテク。
「寒くない?」
「うん」
テクテク、テクテク。


はじめのうちは、歩くリズムに合わせておどけたように頭を振っていたサクラだが、徐々にそれもなくなり静かになった。スーパームーンが近いらしく、厚めの曇天を透かして月明かりが見えた。

家に一人で寝ている次女ユウのことが心配だったが、サクラには、ママがいないぶん「せめてパパだけでも独り占め」という時間をあげたくて、ただ黙々と、テクテク、テクテク。

どうにか眠れたサクラ。でも夜には、ちょっとだけうなされていた。それから次女ユウは、夜中2時ころに起きて「手が痒い」「足が痒い」「お尻が痒い」と、俺にかいてとせがむ。かいていてウトウトすると、やめるなといってグズる。

そんなこんなで、パパはもう寝不足で疲れたよ……。あと数日だけ、みんなでガンバロー!

2016年11月14日

たとえ勝てなくても、決して負けない、そんな戦うオヤジに振り回される子どもたちの悲喜劇 『サウスバウンド』


ものすごく評判が良かったので、内容は知らないままに期待して読み始めた。第一部(文庫ではおそらく上巻)は非常に面白かった。第二部も決してつまらなくはないのだが、最後の最後で大墜落。

トンデモないオヤジに振り回される子どもたちが可哀そうではあるが、このオヤジの言うことには、時どきナルホド一理あるとは思わせられる。まぁ、あくまでも時どきではあるが。

前半が面白く、後半も損切りするほどのものではなかっただけに、ラストで大いに裏切られたのが非常に残念。

あまり、お勧めしない。

2016年11月13日

三女誕生!

平成28年11月12日、無事に三女が誕生。
9月の終わりには切迫早産で入院したので、どうなることかと心配したが、結局は予定日である11月9日を過ぎての出産となった。実は長女の出産も同じパターン。
今回お世話になった産科医(大学の後輩)が言うには、
「経験だけで言えば、だいたい同じパターンの出産が多いですよ」
とのこと。


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生まれたばかりの妹を見つめる二人は、まるで、地球にやってきた知的生命体を遠巻きに眺める先住者たち。

次女ユウは、長女サクラとのママゴト遊びでは常に「赤ちゃん役」で、たまに冗談で「ユウ姉ちゃん」と呼びかけると、

「もうもうもうもうもう! ちーがーう! ユウあかちゃん!」

と怒っていた。それが、いざ妹ができると、

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お姉ちゃん風が吹き荒れる。

「ユウ赤ちゃん」と呼びかけても、

「もうもうもうもうもう! ちーがーう! ユウおねえちゃん!」

と怒る(笑)


妻と三女が退院してきたら、いったいどんな雰囲気になるのだろう。とっても楽しみである。


ツイッターでお祝いのメッセージをくださった皆さん、ありがとうございます!



次女のときは、こんなんでした。
出産立ち会い記





2016年11月10日

一流の神経内科医は、患者のどこを見て、何を学ぶのか 『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか 神経内科医が語る病と「生」のドラマ』


『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか』という邦題は、本書がニュートンの伝記なのかと思わせるものである。洋書では、原題と大幅に異なる邦題をつけられることがあり、そのせいで読者が大いに迷惑をこうむる場合もある。本書もそうなのかと思ったが、原題は『Newton’s Madness』。うむ、あまりに直球すぎである。副題の『神経内科医が語る病と「生」のドラマ』のほうが、まだ内容に即しているか。

神経内科疾患の臨床エピソードを語りながら、各疾患についての学習にもつなげようという内容で、医療系の学生であれば楽しく読みながら勉強になるだろう。また、医療の専門知識がなくても、基本事項から書いてあるので6-8割くらいは分かるだろう。それに、クローアンズ先生はアメリカで一定の評価を得ている小説家でもあるので、知的好奇心を満たす読書の楽しみを味わえると思う。

全部で22章あり、それぞれで取り上げられている疾患・症状は以下の通り(本書の記載順)。

脳梗塞による半側空間無視
ウィルソン病
水銀中毒
てんかん(複雑部分発作)
パーキンソン病
てんかん(若年ミオクロニーてんかん)
てんかん(自動症)
クロイツフェルト・ヤコブ病
群発性頭痛
書痙
進行麻痺(梅毒)
多発性硬化症
脳の老化
住血吸虫症
ハンチントン舞踏病
アカシジア
せん妄
神経芽腫
コカイン依存症(特にシャーロック・ホームズを症例として病跡学的アプローチで)
ウェルニッケ・コルサコフ症候群
片頭痛
失語・失認
進行性核上性麻痺

神経系に興味のある人にとっては、どれもワクワクするようなものばかりではなかろうか。お勧めの一冊である。

2016年11月8日

二軍はプロ野球選手ではない! 一軍に養われているに過ぎないのだ!! 『二軍』


本書の中に、『二軍は決して「プロ野球選手」ではない。一軍選手の扶養家族のようなものである』という厳しい言葉がある。一軍選手が活躍することで観客からの収入が増え、二軍選手はその金で「食わせてもらっている」ということだ。一軍が華やかであればあるほど、二軍という影の部分は濃くなる。そこから這い上がらない限り、いつまでも扶養家族のままである。

実力さえあれば一軍に上がれるのかというと、現実はそう単純でもないようだ。というのも「実力」というのはあくまでも相対的なもので、人材に乏しいA球団では一軍レベルでも、人材豊富なB球団なら一軍半という人もいるからだ。運良くA球団にトレードしてもらえれば一軍として活躍できるのかもしれないが、B球団としては二軍選手がケガで休場したときのために、一軍半くらいの選手は確保しておきたい。そういうチーム事情から、二軍でくすぶり続ける人もいるようだ。

また、監督やコーチへの自己アピールも大切だ。監督やコーチも人間である以上、起用する選手に対する好き嫌い、合う合わないといったことは少なからず影響する。私的感情を一切まじえずに「チームを一つにまとめる」というのは、おそらく不可能である。それに、こうした好みを徹底的に排除できるのが「名将」かというと、きっとそういうわけでもない。たとえ実力主義に徹しているように見えていても、実際のところはそうではないはずだ。そう考えると、「実力主義に徹しているように見せるのが上手い」というのは、「名将」の条件なのかもしれない。

二軍は、一軍で活躍するための選手を鍛えて用意する場であるが、それと同時にイースタン・リーグとウエスタン・リーグに分かれて試合をしているチームでもある。通常、実力のある選手は二軍監督が一軍に推薦するのだが、二軍チームとしてもリーグ戦で好成績をおさめたい。だから、「良い選手を二軍チームに留めておきたい」という心理から、つい推薦を遅らせてしまう二軍監督もいるらしい。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは言うものの、一軍で並みの選手として生きるより、二軍の大黒柱として重宝されるほうが良いなんてことは絶対にない。なぜなら、「二軍は一軍に養われているにすぎないから」である。

そんな二軍について、選手らを取材したルポ。選手の置かれたシビアな現実が、著者の温かい視線でもって描かれている一冊であった。

2016年11月2日

数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にもお勧め 『天才の栄光と挫折』


数学といっても高校数学までしか知らないし、それ以上を知ってみよう学んでみようという気持ちはまったくない。ただ、数学者と呼ばれる人たちの生き方には興味がある。特に世間から天才といわれる人たちは、いったいどういう育ち方、生き方をしたのだろう。そういうところにこそ面白さを感じる俺は、やはり文系なのだろう。

9人の天才数学者の光と影について描かれた本書の著者は、日本の数学者でありエッセイストでもある藤原正彦だ。

本書は数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にはお勧めである。ちなみに、本書で取り上げられた偉人は最初から順に、アイザック・ニュートン、関孝和、エヴァリスト・ガロワ、ウィリアム・ハミルトン、ソーニャ・コワレフスカヤ、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、アラン・チューリング、ヘルマン・ワイル、アンドリュー・ワイルズである。サイモン・シンの『暗号解読』『フェルマーの最終定理』に登場した人たちも含まれていて、この2冊に面白さを感じた人なら本書もきっと気に入るはずだ。

2016年11月1日

落合監督に仕えたコーチが伝えるリーダー論 『参謀 落合監督を支えた右腕の「見守る力」』


落合監督のもと、中日でコーチをつとめた森繁和の本。これまで野村克也、落合博満による監督としてのリーダー論は読んできた。今回は「参謀」という位置づけの人の本である。森自身のリーダー論、参謀論もあるが、落合監督の動きをそばで見てきた人による「落合リーダー論」でもあった。

野球コーチの本なので、当然、野球選手の名前が出てくるが、ほとんどが知らない人であった。野球そのものには大して興味がないので問題なし。全体としては、ナルホドと思えることも多かったが、ときどき文章が散漫になることがあった。

マスコミに対してもキャッチーな言葉を駆使するなどして選手をうまく乗せる野村克也に対して、落合博満はマスコミに対してポーカーフェイスで口数も少ない。リーダーとしてどちらが名将ということではなく、タイプの違いだろう。自分はどちらかというと野村克也の本に波長が合うが、だからこそ落合タイプのリーダー論も勉強になった。

2016年10月31日

「数学者のイギリス滞在記」というより、数学者がイギリスでの生活で考えたあれこれのこと 『遥かなるケンブリッジ』


数学者・藤原正彦が、イギリスのケンブリッジ大学に1年間留学した時の滞在記。今回は妻と3人の子どもを連れての留学である。

アメリカ留学は単身だったのに対し、家族を伴っての留学では、自分のことだけでなく、妻や子どものことも悩みの種になる。特に次男がイジメを受けたエピソードでは、思わずこちらの胸が締めつけられるようだった。そんな次男が日本の幼稚園の同級生からもらった手紙の引用に、次男の哀れさと切なさとで目頭が熱くなってしまった。

藤原正彦による滞在記なので、単なる日記ではなく、日本やイギリスの文化について、それから自らの家族観についてなど、読みやすくて味わい深い文章で綴ってある。非常に魅力的な一冊で、同氏の本だけでなく心理学者である奥さまの書かれた本も追加購入してしまった。

<関連>
これは数学者による『深夜特急』だ! 『若き数学者のアメリカ』

2016年10月27日

死にたい女と死神が、短い言葉で語り合う 『わたしの優しい死神』


百聞は一見にしかず、というタイプの絵本。あれこれ説明するよりは写真を見てもらうほうが良いだろう。見開きで60枚くらい。特別に深くもなく、かといってありきたりでもなく、読む人の気分で受けとりかたが変わる絵本だと思う。

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2016年10月26日

落合博満によるコーチング指南 『コーチング 言葉と信念の魔術』


精神科医が、スポーツの監督やコーチから学ぶことは多い。これまで野村克也の本を数冊読んできたが、今度は落合博満によるコーチングの本を読んでみることにした。

文章量は多くなく、サラサラと読めたし、参考になることも多かった。ただ、サラッとしすぎていて、もう少し奥深くまで突っ込んで書いてあるほうが面白かったかもしれない。

読み終えるのに時間をとらないので、あまり読書時間のとれない人にはオススメ。時間が充分にとれる人であれば、他にも良い本がたくさんあるような気がする。

タイトルより著者名のほうが目立つ表紙というのも珍しいな……。

2016年10月25日

チベットを舞台に、よみがえったミイラが大活躍! 『転生』


チベットに安置してあるパンチェンラマのミイラがよみがえった!
少年ロプサンを主人公・狂言廻しとして、パンチェンラマのミイラが中国政府を相手に大立ち回りを演じるというドタバタ劇。

特にひねったストーリーではないが、中国とチベットの関係がうっすらと分かるような作品。チベットの人たちが漢民族を見下しているような発言をするシーンも多々あるし、中国人がチベットの人たちを徹底的に管理したり痛めつけたりする話も出てくる。決して一方的にチベットを支持する反中物語ではない。もちろん、誇張もあるだろうし、他国の人間には分からない事情もあるだろう。

ドタバタ劇なので、肩の力を抜きながら、中国とチベットの緊張関係に触れるという読み方で良いのだろうと思う。

2016年10月19日

Evidenceに疲れた頭に、Narrativeを 『医者が心をひらくとき A Piece of My Mind』


1980年からJAMA(アメリカ医師会雑誌)での掲載が始められたコラムのうち100編を選りすぐったもの。医師の視線だけでなく、看護師、ソーシャルワーカー、そして患者といった人たちの立場からのエッセイもある。

それぞれは短いので、読み始めるのにそんなに気合いは要らない。また、選りすぐりの100編とはいえ、いろいろなエッセイがあり、それぞれに好みがあるだろうから、全部をきっちり読まなくても良いだろう。実際、いくつかは読み流した。

良い医療のために、Evidenceだけでなく、たまにはNarrativeもどうぞ。

2016年10月18日

先入観を持たれたり、誤解を受けたりする人の辛さを、子どもたちにそっと優しく語りかける良い絵本 『ちいさなプリンセス ソフィア ひみつのとしょしつ』


雪に覆われている国フリーゼンバーグで、国王が庭係に「雪国でも育つ花」を探しに行かせる。庭係は「雪のしずく」という花を持ち帰り、国王は喜んで国中に植える。そして、毎年「冬の花祭り」を開くようになった。ところが、「悪い妖精のネトル」が雪のしずくをすべて盗んでしまう。

ようやくネトルを見つけた主人公ソフィアは、こう説得する。
「お花を盗らないで。この国の人にとって凄く大切なものなの」
それに対するネトルの言葉が深い。
「あら、私にとっても大切なものよ。そうは思わなかったの?」
実は、「雪のしずく」は妖精ネトルがフリーゼンバーグの人たちや国王を喜ばせたくて、長い年月をかけてつくった花だったのだ。そうとは知らない庭係がたまたま見つけて、すべて持ち帰っていたのだった。

つまり、関わった人の誰にも悪意はなかったのに、「悪い妖精」という先入観によって誤解を受けたネトル一人だけが悪者にされていたという話。
「あら、私にとっても大切なものよ。そうは思わなかったの?」
娘に初めて読み聞かせしたとき、この一言の重さに打ちのめされた。

先入観を持たれたり、誤解を受けたりする人の辛さを、子どもたちにそっと優しく語りかける、すごく良い絵本だと思う。

2016年10月17日

超一流の神経内科医であり、一流の作家でもあるクローアンズ先生が実際に携わった医療裁判記録 『医者が裁かれるとき 神経内科医が語る医と法のドラマ』


『失語の国のオペラ歌手』で一読惚れした神経内科医ハロルド・クローアンズ先生。

今回も臨床医学エッセイだが、現場は主に診察室ではなく法廷である。超一流の神経内科医であるクローアンズ先生が、神経内科領域の「専門鑑定人」として携わったケースについて、独特のユーモアを交えつつ、分かりやすく教育的に、さらには先の展開を読ませず最後に謎解きしてみせるミステリの要素も含みながら描いてある。

クローアンズ先生はミステリ小説も書いており、その本はアメリカでは新聞でも「今月の一冊」として紹介されたらしい。そういうストーリー・テリングの手腕をもった医師による医療法廷ドラマであるから、面白くないわけがない。

本書で改めてクローアンズ先生に惚れ込んだので小説も購入した。
『インフォームド・コンセント―消えた同意書』

<関連>
超一流の神経内科医が、患者の病気というミステリを解き明かす 『失語の国のオペラ指揮者 神経科医が明かす脳の不思議な働き』

神経内科に関する啓蒙的かつ刺激的な内容の良書! 『なぜ記憶が消えるのか』

2016年10月13日

「命はすべて平等」なんて大嘘です! 『医師の一分』


「命はすべて平等」なんて大嘘です。

本書の帯に、ズバリこう書いてある。

同じ著者の『偽善の医療』も面白かったが、今回も歯に衣着せぬ書きっぷりで非常に痛快だった。中でも、ちょっと考えさせられたところを引用。『命に上下は存在する』という章の、『「命の値段」を決めるもの』という項の話である。

著者が研修医として勤務していた救命センターは、時々満床近くになり、受け入れを制限するしかない状況があった。
そういう時、指導医は、電話番として消防庁からの救急要請を受ける私ら研修医どもに、「いいかお前ら」と指示をした。もちろん、「俺たちが引き受けた患者は助かる可能性が高くなる」ことを前提としたものである。
「労災は、受ける。自殺(未遂)は、断る。交通事故は、その時考える」
「その時考える」とは、暴走族が自分でどこかに突っ込んだ、というようなのは断る、という意味である。そしてこの先生は、いつも最後にこう付け加えた。「子供は、何があっても、受ける」
このようにして、「最大限の努力をして、助ける価値のある命」と「そうでない命」を分けることを、若き著者は当然と考える。これだけを抜き出すと、極論のように感じられるかもしれないが、全体を通して読めば……、やっぱり極論である。ただし、極論ではあるけれど、頷かされることの多い極論でもある。

読む人の立場によっては、
「おいおいそれはないだろう」
と言いたくなるところもあるかもしれない。そういうことも、きっと著者は了解済みである。そのうえで、敢えて極論を放つことで今の医療のあり方を問うているところに、潔さや矜恃、すなわち「医師の一分」を感じてしまった。