2016年12月28日

神経内科の医療書籍を読んで、胸が熱くなり魂が揺さぶられるなんて、想像だにしなかった!! 『極論で語る神経内科』


全11章からなり、それぞれのタイトルは以下のとおりである。

脳血管障害
認知症
てんかん
多発性硬化症
パーキンソン病
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
ギラン・バレー症候群
重症筋無力症
睡眠
脊髄疾患
「器質的疾患でない」疾患について

診断基準や治療ガイドラインについては割愛と大胆な省略がなされているので、まったくの初学者は読んでも分からないことが多いかもしれない。ただし、著者である河合先生の臨床哲学はビシビシと伝わってくる。特に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の章では、胸が熱くなり、魂が揺さぶられるような感覚を味わった。

「ALSには治療法がなく、徐々に衰弱していくのを見守ることしかできないものだ」という誤解がある。実際、俺自身もそれに近い印象を持っていた。これに対して、河合先生はこう語る。
「有効な治療法が見つかっていません」というのは誤りです。治療法は選択肢としてはあるのです。ですから正確には“治癒をさせられない疾患”というべきなのです。
では、その「治療法」とは何かというと、PEG(経皮的内視鏡下胃瘻造設術)とNIV(非侵襲的換気療法)である。
何だ、対症療法、延命療法じゃないか?という人もいるかと思いますが、
はい、正直、そう思いました。そして、これに続く文章が、頭をガツンと殴られるような指導的文章であった。
そうではありません。PEGもNIVも生存期間を有意に延長する明らかなデータが出ています。栄養状態を改善すること、呼吸筋に休息を与えることで予後が改善すると考えられています。意識障害が生じない疾患ですので、PEGやNIVで生命予後が延長することは非常に大きな意味があります。
「こんなの当たり前じゃないか。この文章に衝撃を受けるお前が不勉強だし、医の倫理が身についていないのだ」とお怒りになる先生もいるだろう。でも、この「当たり前の感覚」って、ときどき見失いません? 特にALSという「治療できない」(という誤解のある)難病を実際に診療していると、そんな「感覚迷子」みたいな状態になりません? 俺は精神科医として、過去に1例だけALSの人の不眠を診療したきりで、その後はALSについては各媒体を通じて知るだけだったけれど、どうやらこの感覚迷子に陥っていたようだ。

そして、河合先生はこう断じる。
PEGとNIVの適応は慎重に? 冗談じゃない
熱いっ!!
終末期の疾患で意識を失い自ら生命の選択ができなくなった患者さんにPEGを施し延命させることと、ALSの患者さんに早めにPEGを施し生命予後を改善させることは意味合いが異なります。
また、河合先生も書いていらっしゃるように、PEGをしたら食べられなくなるわけではないし、PEGをしても後に要らないと思えば抜去だってできる。
これらの治療法は生命予後を改善するので、対症療法と考えるのは不適切で、れっきとした治療として分類されるべきです。
ALSについて、自分の中でパラダイムシフトのようなものが起こった瞬間であった。

さて、さらに河合先生の名言が続出する。特に最終章『「器質的疾患でない」疾患について』は、精神科医として「よくぞ言ってくださいました!!」と拍手喝采したくなるような内容であった。河合語録を引用していく。
“心因性”疾患を知らずして、「器質的でない」というなかれ
「器質的疾患でない」というならば、ほかの医師に理路整然と説明できるか?
「器質的疾患でない」患者さんの説明には、むしろ時間をとる!
身体表現性障害の正しい対処を知らずに、一人前などと片腹痛い
そして、究極の名言がこれ。
精神科が「器質的疾患が疑われる」といってきたときは襟をただせ
河合先生には、今後とも胸熱書籍を出版していただきたい。心からそう思った。

2016年12月27日

「クロノスジョウンター」がらみの小説 『この胸いっぱいの愛を』


同名映画の脚本を、原作者がノベライズ化したという小説。映画は観ていないが、ストーリーは『クロノスジョウンター』がらみである、というネタバレくらいはして良いだろう。というのも、『クロノスジョウンター』が何かを知っている人なら、その程度のネタバレで梶尾真治の小説の面白さが損なわれることがないことくらい分かるはずだから。そして、『クロノスジョウンター』が何かを知らない人にとっては、ネタバレにすらならないから。

しかし、それ以上のストーリーとなるとバラせない。面白いことは保証できる。

2016年12月26日

いろいろなことを考えさせられる名著 『日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条 』

福祉業界が金と人の不足に喘いでいるのは常識だと思っていたが、そんな福祉業界の重鎮といわれるような人が、
「人手不足は妄想である。人手が足りると気が緩み、それが事故につながる」
という発言をしていたと知って驚いた。


本書は『虜人日記』を縦軸に、著者である山本七平の経験や考察を横軸にして、戦前・戦中・戦後の日本や日本軍について語られる。『虜人日記』では「日本の敗因21ヵ条」が示されており、そのうちの第一が、
精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
である。

ここで、上述した福祉の状況が思い出された。偉い人の唱える、
「人手不足であるからこそ、士気が高まり、各人の能力も鍛えられる。自ずと福祉向上につながる」
という発想は、戦時の日本軍とまったく同じではなかろうか。

福祉業界が人手不足ということは、新人も含めた各スタッフの負担は大きいということだ。そこで人を集めるべく、各地で「介護士講習会」が開かれている。しかし、ベテランでもこなすのがやっとの状況なので、付け焼き刃的な講習を受けた人が期待や志しを胸に就職しても、現場での心身の負荷に耐えられず、早々に立ち去ることも多い。そして、それを補うべく、また講習会……。

第二次大戦において、動員した民間人を次々と東南アジアに送り出しては使い捨てにした日本軍的な思考から、日本はなかなか抜け出せないでいるようだ。

こうしたことを様々に考えさせられる、評判に違わぬ良書であった。

2016年12月22日

より深い頭痛診療への良質な案内書 『迷わない! 見逃さない! 頭痛診療の極意』


精神科にかかりつけの患者には、慢性的な頭痛を訴える人が多い。そこで、彼らの頭痛を少しでも改善するべく、まずは読みやすそうな本書を手に入れた。

実は、妻にも時どき頭痛が起こる。本書の中身にそって、いくつか質問したところ、やはり妻の頭痛は片頭痛で間違いなさそうだが、緊張型頭痛も混じっているようである。この「混じっている」というのが本書のミソでもある。数多くの頭痛患者を診療した著者はこう書いている。
ほとんどすべての慢性頭痛の患者は片頭痛と筋収縮性頭痛(緊張型頭痛)をもっており、片頭痛の割合が多い患者が片頭痛で、半々くらいであればcombined headache、筋収縮性頭痛が主であれば筋収縮性頭痛の患者としているだけで、厳密にいえばほぼすべての患者はcombined headacheであると考えていた。そして、片頭痛と筋収縮性頭痛の特徴が混在した頭痛は多く存在し、厳密に分けることは不可能であると考えていた。
これは今でも間違いではないと考えているとのこと。「目からウロコ」だった。確かに臨床の現場でも、妻の頭痛でも、混在頭痛と考えればしっくりくることが多い。

これは買って正解だったと思う。より深い頭痛診療への案内書として良質である。本書を読んで、頭痛診療にますます興味が持てるようになったおかげで、『慢性頭痛の診療ガイドライン』まで買ってしまった。これはAmazonで購入できるが、中身を見るだけなら日本頭痛学会のホームページにPDFが置いてある。

最後に、著者が箇条書きで教示してくれている「Clinical pearls」を引用しておく。

・人生最悪の頭痛は危険な頭痛。
・「この患者さん、診たくない」と思ったら、二次性頭痛は絶対除外。
・高齢者の頭痛をみたら、側頭動脈炎を疑う。
・この患者は片頭痛か緊張型頭痛かと考えるのはやめて、片頭痛があるかどうか考えよ。
・入浴、運動、飲酒で、悪化すれば片頭痛、改善すれば緊張型。
・「これまでにも同じような頭痛がありましたか?」 緊急性の高い二次性頭痛の有無を見抜く。
・生理痛で頭が痛いのは、きっと月経関連片頭痛です。

これらの「Clinical pearls」それぞれに文章による解説があるので、興味をもった人はぜひ本書を読んでみて欲しい。


<関連書籍>
慢性頭痛の診療ガイドライン〈2013〉

2016年12月21日

上昇志向な意識高い系女子

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次女ユウが上に行くには、まだまだ手足の長さが足りない(笑)

可もなく不可もなし。あとは好みの問題か。 『あやかし草紙』 『おとぎのかけら  新釈西洋童話集』


この作家の本を読むのは初めて。両方とも短編集で、『あやかし草紙』の舞台は昔の日本、『おとぎのかけら』のほうが現代日本である。グロテスクな残酷描写があるわけではないが、作中人物の置かれた境遇が残酷であったり切なかったりする。嫌いなタイプの話ではないが、かといってこの作家にハマるというほどでもない。可もなく不可もないといったところ。

2016年12月20日

オヤツ遠足

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ある土曜日、長女サクラと次女ユウと三人で、近所の小学校までオヤツ遠足。次女は途中でちょっとだけ抱っこしたけれど、二人ともしっかり歩いた。特にサクラの成長ぶりには感動。「つかれた」と一言も漏らすことなく、往復の道中を楽しんでいた。

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サクラ「ぶたのまるやきー!」
本物を見たら、たまげるだろうなぁ(笑)

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2016年12月19日

ダーウィン医学を知っていますか? 『病気からみた進化 「ダーウィン医学」のすすめ』


ダーウィン医学というキャッチーな名前を持つ研究分野がある。たとえばこんな感じだ。

うつ病、特に冬にうつ状態になることの多い季節性うつ病は、日照時間が短く食べ物も少ない時期に活動量を落とす役割があったのではないか。

妊娠初期のつわりは、胎児奇形が発生しやすい時期に、奇形の原因となる毒物を避けるためのものではないのか。

こうした仮説は、非常に興味深いし、一定の説得力もあるのだが、きちんと実証するとなると難しい。遺伝子を調べて結論が出るようなものでもないわけだから。ただし、たとえば「つわり」に関しては、つわりのひどかった妊婦は流産リスクが低かったという調査結果があるようだ。ダーウィン医学とは、こういう「間接証拠」を積み重ねて推理する楽しい分野である(と思う)。

本書は、このダーウィン医学を一般向けに紹介したもの。一般向けなので、レベルの高いものを期待している人には物足りないかもしれない。かといって、生物の知識がまったくないという人にはちょっと難しく感じるだろう。まぁ、そういう人はそもそも本書を読もうとはしないだろうけれど。高校レベルの生物の知識があるくらいの人が、一番面白く読めるのではなかろうか。

2016年12月12日

脳も鍛えるアスリートたちから、多くの知恵を学べるオススメ本! 『頭脳のスタジアム 一球一球に意思が宿る』


野球の一流選手が鍛錬によって身につけた感覚を、素人に伝わるように言語化するのは難しい。かろうじて言語化したとしても、川上哲治が「ボールが止まって見えた」と語り、長嶋茂雄が「スーッと来たボールをバーンと打つ」と表現したように、天才同士にしか分からないものになってしまう。それでも、我々凡人は、天才の感覚をもっと分かりやすい言葉で伝えて欲しいと願う。

本書は「誰にでも普遍であるはずの森羅万象を、一般人には理解不能なところまでキャッチでき、しかもそれを誰にでも分かるように表現できる人」というテーマで、松坂大輔、和田毅、豊田清、五十嵐亮太、和田一浩、松中信彦、宮本慎也、城島健司の8人にインタビューしてまとめてある。いずれも読み応えのあるもので、精神科医としても非常に勉強になった。

ピッチャーの松坂大輔は、自分のフォームにこだわる選手、良かったときのフォームに戻そうともがいている投手がいることを取り上げて、こう指摘する。
そういう投手って、良い球を投げることだけに意識が行っているから、フォームを盛んに気にしているんですよ。でも、僕らの原点というのは、バッターに向かって投げることじゃないですか。その大事な部分を忘れちゃっているんです。
もちろんフォームも大事だけど、フォームを求めすぎてマウンドに上がっても、そればかり考えて、相手がいることを忘れちゃってる。自分がボールを投げる本来の意味を置き去りにしているんですよね。フォームなんて、結局何を言われようが、バッターを抑えれば文句は言われないんだから。要は、相手を抑えればいいんですよ。
ああ、これ、医療と同じだ。自分たちの仕事の原点は何か、それを忘れてはいけない。

城島健司は、若菜コーチから受けた「日常生活の中でキャッチャーとしての視線を養う」ための訓練を紹介している。
(若菜コーチと)2人で町を歩いていると、「この人は右に曲がるか、左に曲がるか。注意して見ると、どっちに曲がるかに癖が出るはずだ」とか「県外ナンバーでゆっくり走っている車は、どっかで曲がる道を探しているはず。どこの道で曲がるか」とか、普段の生活の中から早めに状況を察知し、予測するトレーニングをさせられました。そういう意識で周りを見渡せば、勉強になることはたくさんある、動きには必ず癖が出るものだって。
同じようなことを、ショートの宮本慎也も語っている。
人を観察するのも好きですね。テレビや新聞のニュースにだって野球のヒントになるようなことがいっぱいあるんですよ。
プロ野球選手という仕事のために、こういうところにまで気を配っているのかと感心すると同時に、自分もそうでなければいけないと身が引き締まる。

名バッターの和田一浩は、こう言う。
プロでいる限りは、身体だけではなく脳も鍛えないと、前には進めないと思っています。
職業アスリートである彼らがここまで脳を鍛えているのだから、仕事のほとんどで身体より脳を使う自分は、逆に身体をしっかり鍛えなければ、良い仕事はできないと感じた。精神科医にとって、患者が興奮するといった緊急事態で「当たり負け」しない身体をつくっておくことは、自分にとってもスタッフにとっても精神衛生的に良いものだ。

とてもためになる本だったので、多くの人に勧めたい。

2016年12月9日

病棟での「対応の統一」は、徹底すべき目標か

精神科の病棟スタッフのミーティングでは、「対応を統一しよう」という話がよく出る。俺はこれには全面賛成ではない。というのも、病棟から外に出た「社会」は、決して「統一された対応」をしてくれる所ではないからだ。いずれ退院する患者は、そういう社会の中で生きていかなければいけないわけで、「対応の統一された病棟」は、一見すると厳しいようであり、実はちょっとぬるま湯的でもある。

それから、長期入院患者にとってみれば、周りにいる人たちが没個性的で画一的な世界というのは、色あせていて面白味がないだろう。

優しい人もいれば厳しい人もいて、融通の利かない人もいれば多少のことは大目にみてくれる人がいる。こころの治療を掲げる精神科病棟には、そんな「社会のミニチュア」のような部分があっても良いと思う。もちろん、それが仕事のルーズさにつながってはいけないので、各人のバランス感覚が非常に大切になる。また、患者によっては「画一的な対応」が必要な人、あるいは時期がある。「いついかなる時にも統一した対応をする」と決めてしまうのは、そういう要素について考えることを放棄するということでもある。

統合失調症を患うお笑い芸人のハウス加賀谷。彼が入院した時の体験談で、感銘を受けたものがある。彼が保護室(外から鍵のかかる個室)に入院中、薬の副作用で腹が減って仕方がない時があった。彼の苦しむ姿を見て、ある看護師がミカンだったかオニギリだったかを、「みんなには内緒だよ」と言って差し入れてくれたらしい。そして、それが彼にとって病院・医療を信じるキッカケになったそうだ。

病む人も援助する人も機械ではなく人間なのだから、許容される範囲内でのハプニングや逸脱・脱線のあるほうが、彩り豊かな関係・環境になるのではなかろうか。

2016年12月8日

レビー小体型認知症の介護のための本2冊を読み比べてみた 『レビー小体型認知症がよくわかる本』 『レビー小体型認知症の介護がわかる本』

  
レビー小体型認知症の患者家族から、「どう対応したら良いでしょうか?」と質問されることがある。これにうまく答えるのがなかなか難しい。というのも、「何についての対応か」が曖昧なことが多いからだ。幻視や妄想に対してなのか、パーキンソン症状についてなのか、あるいはその他の何かなのか。

多くの場合、家族がもっとも驚いている、あるいは理解に苦しんでいるのは幻視や妄想といった症状である。だから、きっと幻覚妄想への対応についての質問だろうと考え、「こうしてみたらどうでしょう」というのをいくつか提案する。ところが、この提案がすんなり受け容れられるわけではない。

これはレビー小体型認知症の患者家族に限った話ではないが、医師の提案というのは、切羽詰まっていたり時間的に余裕がなかったりする家族にしてみれば、呑気すぎるか非現実的かに感じられるのだろう。残念ながら、幻覚や妄想のある患者への特効薬的な対応はないし、家族が介護の中心とならざるをえない日本の現状もすぐには変えようがない。

それでもなにか良い知恵はないものか、ということで、この2冊を読んでみた。医療者向けではないので、治療の詳しいことは書いていないが、介護する人たちが知りたいと思うことは網羅されているのではなかろうか。

どちらもレビー小体型認知症を発見した小阪憲司先生が関わった本なので、内容的には大差ない。大きな違いは、イラストと文字である。『よくわかる本』のほうは「イラスト図解」と銘打ってあるだけあってイラストが多い。また文章は縦書きと横書きが混在している。文字の大きさは普通の文庫と同じか、少し大きいくらい。『介護がわかるガイドブック』のほうは、すべて横書きで、文字が太く大きく、イラストは挿し絵程度にしかない。

認知症全般に言えることだが、介護するほうも高齢者か中年以降ということが多い。だから、文字の大きさや文章量は大事だ。小さな文字で書かれた大量の文章を読む時間も体力も気力も視力ないのだから。両者とも文章量は抑えぎみであるが、老老介護という人にはちょっと大変かもしれない。そういう人にどちらか一冊を勧めるとしたら、『介護がわかるガイドブック』かなぁ。

千葉大学の強姦加害者たちは決して特別なわけではないが、極特殊ではある

千葉大学の強姦事件に関わった連中は、決して特別なわけではないが、かといって当たり前の人たちでもない。

特別ではない、というのは、アルコール(に限らず酩酊する物質、不眠など)で判断力が鈍り、特に「抑制がとれる」のは万人に共通しているから。

日ごろは穏やかなのに、酒を飲むと粗暴になる人がいる。こういう人は、粗暴な内面を理性で押さえつけているのだろうし、酒がその抑制をとるので、粗暴な面が噴出する。こういう人を見ると「本当は危ない人」と考えがちだが、「粗暴な内面を抑制する理性の強い人」とも考えられる。

酒は理性による抑制をとる。これは万人に共通で、千葉大学の強姦事件に関わった連中も特別ではない。しかし、抑制がとれた男はみんな強姦するか、まして集団強姦に及ぶかというと、絶対にそんなことはない。だから、その点で彼らは極特殊と言える。

抑制がとれたのが原因で集団強姦に及ぶということは、普段理性で押さえつけている内面は強姦魔ということだ。
少し厳しいが、そう思えてならない。

倫理、心性とは別に、判断力低下という点でも残念な連中である。

その強姦がバレないと判断したのか、バレても問題視されないと判断したのか、問題視されても退学にまではならないと判断したのか、退学になってでも被害者のことを集団で強姦したいと判断したのか。どの段階をとっても残念な連中である。

さて、加害者は、今は拘置所にいるのだろうか? 俺はそのほうが彼らにとって幸せだろうと思う。国立医学部に合格し、もうすぐ医師になるという自慢の息子が、集団強姦で全国に名前が出て一転。実家は針のむしろだ。友人も慰める言葉は持たないだろう。そんな現実を見ないで済む拘置所のほうが良いに決まっている。

2016年12月7日

身近にあった医療事故 『組織行動の「まずい!!」学 どうして失敗が繰り返されるのか 』

パーキンソン病を患う60代女性が、自宅で転倒して大腿骨を骨折したので、整形外科に入院して手術を受けた。それから2-3ヶ月の入院予定であったが、手術1ヶ月後から幻覚や妄想がひどくなり、その影響で夜中に動きまわって転倒してしまった。これでは安全に看護できないということで、精神科病棟に移ることになった。ここで、この日をX日とする。

Xの翌日、術後ルーチンで予定されていた大腿骨のレントゲンを撮ったところ、前回手術したのと同じところの骨折が見つかった。しかし、実はXの3日前にも同部位のレントゲンを撮っており、しかも明らかな骨折が写っていたことが判明した。

患者側からすれば、精神科病棟に移される3日も前にレントゲン検査して骨折が分かっていたはずなのに、それが放置されたままだったということになる。どうしてこういうことになったのか。

友人の整形外科医長、放射線科技師長と話し合って分かったのは、以下のことだった。
  1. Xの3日前、患者から「足が痛い」という訴えがあったので、整形外科の主治医がレントゲンをオーダーした。しかし、その日、主治医は予定があってバタバタしており、検査結果を確認することを忘れて病院を出てしまった。
  2.  整形外科では医師同士でダブルチェックを行なうようにしているが、Xの3日前のレントゲンは撮ったことを知らなかった。
  3. レントゲン撮影時にいた放射線技師は、全員がその骨折に気づいていたが、あまりに明らかな結果だったので、敢えて主治医に連絡しようとまで思う人はいなかった。
1と2を改善するための方法として、「検査をオーダーして結果が出たら、オーダーした医師の電子カルテ画面にアラートが出る機能」と「主治医と同時に、医長にも検査結果アラートを出す」というものがある。実は、1年半前の電子カルテ導入の際、業者に対してアラート機能がつけられないかと要望を出したのだが、そういう機能はないとのことだった。だから、この改善案は実行できない。

そこで、整形外科医長と技師長との間で、
  • 技師が見つけた異常像については、全例を指示医に連絡する。
  • 医師は連絡されることを厄介がらない。
  • 技師は連絡することを臆さない。
という取り決めとなった。ハード面での改善策が実現不可能なので、医師だけでなく各職種をまじえてのダブルチェック、トリプルチェックを導入するしかない。結局は人頼みなので、エラーを防ぐ機能は強くはないだろうが、少なくとも今までよりはマシはなずだ。

さて、その後であるが、この女性がどう処置・対応されるのか気になっていたので、時どきカルテをチェックしていた。すると、看護記録に、
「もともと統合失調症があり、幻覚妄想あるとの引き継ぎ」
という記載を見つけた。この女性はパーキンソン病である。決して統合失調症ではない。早くも、将来の医療事故の芽が見え隠れしている。これを放置すると危ない。今後、この女性に起こるあらゆる事象について、「統合失調症だから」で済まされる恐れがあるからだ(残念ながら、現実にそういうケースは多い)。

このように、ミスや事故の種はあちらこちらに散らばっていて、芽が出るまで気づかれないことが多い。芽に気づいたら放置せず、なるべく早くに摘みとる習慣をつけておくことも、事故予防のために大切である。今回の誤った引き継ぎに関しては、精神科主治医のルーキー先生に指摘しているが、ルーキー先生が動かないようなら指導が必要である。


今回読んだ本は、主に日本での失敗事例とその原因、改善のための考え方などが紹介してある。文章量はそう多くないので、ミスを防ぐことに興味はあるが分厚い本を読む気力も時間もないという人が「手始め」に読むのに勧めやすい。

2016年12月6日

すごくお勧めだが、読者に予備知識を与えたくない! 『ウォッチャーズ』

ウォッチャーズ(上)
ウォッチャーズ(下)

クーンツの小説を読むのは初めて。あまりに面白かったので、クーンツの他の本を検索したら、20歳のころによんだ『ベストセラー小説の書き方』が実はクーンツによるものだということを知った。ははぁ、縁、ですなぁ。

退屈させることのない緩急のバランスとれたストーリー運び、悪役も含めて魅力的な登場人物たち、きちんとおさまったラスト。どれをとっても俺好み。

そもそも、なぜ購入したのか忘れてしまったが、これは予備知識なしで読んで良かった! だから、これから読もうとする人の楽しみも奪いたくない。ストーリー知らずに小説を読み始めるなんて、ちょっとした冒険ではあるが……。

この勢いで、クーンツの小説を何冊か積ん読リスト入りさせてしまった。


20歳のころに読んで、ナルホドなぁと思うことは多かった。

2016年12月5日

非専門医にやさしい糖尿病の本 『ここが知りたい! 糖尿病診療ハンドブック Ver.2』


精神科に通う患者の中には、糖尿病を患っている人がけっこういる。統合失調症ではもともとの耐糖能に問題があるという説もあるし、抗精神病薬が影響していることもある。また、うつ病や躁うつ病での過食、一部の抗うつ薬による食欲増進も、糖尿病や耐糖能異常に関係する。

定期的な採血で糖尿病が見つかった人たちに内科受診を勧めても、「時間がない」「面倒くさい」「ここで(薬を)出して欲しい」と言われることも多い。このように、「精神科だけを受診している人」に対して、精神科医は身体面でも「かかりつけ医」のような役割を担わなければいけないときがある。そこで、糖尿病に関して良い本を探したところ本書を発見。

第1章で真っ先に、
実践的な糖尿病診療ハンドブックを目指したため、糖尿病の診断・分類・各種コントロールの指標・問診など通常の教科書に記載されている総論的な内容はあえて省略した。
と書いてある。この思いきりが素晴らしい。

登場する糖尿病治療薬については一般名だけでなく商品名も記載されている。これは非専門医にとっては非常にありがたい。日ごろ縁のない薬の一般名しか書いていないテキストは、高尚には見えるけれど、とっつきにくいものである。

内科一般医にとって有用なのはもちろんだが、外科系の医師にとっても『手術前後での血糖コントロール』と題して「周術期コントロールのエビデンス」「術前に把握すべきこと」「周術期血糖コントロールの実際」に分けて解説してあり、一読の価値があるのではなかろうか。

「オレンジ本」として、広く普及して欲しい一冊である。

2016年12月2日

災害急性期において、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援である。 阪神・淡路大震災の渦中にいた若き精神科医による記録と考察 『心の傷を癒すということ 大災害精神医療の臨床報告』


大災害時には、さかんに「こころのケア」という言葉が使われる。PTSDという病名も、マンガやドラマ、ワイドショーなんかによく出てくる。では、大災害時に現地にいた精神科医は、そのときどのように動き、なにを考えたのだろうか、というのが本書の中心である。

PTSDを治療する側の目標は、患者が、
「外傷体験について考えることも考えないことも自由にできるよう助力すること」
であるという。決して「頭から消し去る」ことを目的とした「臭いものに蓋」治療ではない。「考えるか、考えないか」を自由に選択できるというのは、自分自身への自信につながる。その自信はこころの余裕を生み、余裕がまた自由度を伸ばしてくれる。こういう良い循環ができあがれば、援助者の役割はほぼ終わりと言える。

本書は精神科医によるPTSD論であると同時に、阪神・淡路大震災の被災者による被災記録でもある。当時の混乱した様子、悩みや憤りなでも赤裸々に綴られている。例えば当時の「ボランティア・ブーム」について、「乗り遅れてはいけない症候群」という指摘もある。現地で活動するある医師はこんな愚痴を漏らしたという。
「なに考えてるんやろ。“どうやってそちらに行くんですか”“地図がほしい”、ひどいのになると“迎えに来てほしい”“宿泊所を世話してほしい”という問い合わせがあるんや」
住むところがなくて大勢の人が避難所にいるのに、どうやって宿泊所を用意しろというのだろう!
地元のスタッフは、このような質問にひとつひとつ対処しなくてはならない。聞くほうは一回でも、答えるほうは同じ説明を何回もすることになる。
災害を病気に例えるなら、急性期、亜急性期、慢性期において援助者の役割は少しずつ異なる。急性期にはとにかく命を救い、亜急性期には後遺症を減らすことに努め、慢性期では安定した生活を目指す。急性期は、いわばICUでの治療のようなもので、専門外の人は邪魔になるだけのことが多い。災害の急性期も同じで、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援になるということを知っておいて欲しい。

著者の安先生は、中井久夫先生が教授をつとめる神戸大学精神科での医局長時代に被災し、精神科ボランティアをコーディネートされた。その後、本書を執筆してサントリー学芸賞を受賞。このとき、まだ35歳過ぎである。ところが40歳になる年の5月、肝細胞癌が発覚し、同年12月2日、39歳という若さで他界された。次女が生まれて、まだ3日目であった。

本書には増補改訂版と文庫版がある。増補改訂版は、初版刊行後に本人が執筆した阪神・淡路大震災および災害精神医学に関する文章、中井久夫先生の追悼文などが追加収録されているが、精神医療に携わる人でなければ文庫版のほうで充分だろう。

精神科援助者として得ることの多い一冊で、東日本大震災での医療支援として南三陸町へ派遣される前に、この本に出会えていればと悔やまれる。

2016年12月1日

ヒヤリ・ハットを大切に!! (研修医時代の実話を紹介) 『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』

NICU(新生児集中治療室)での研修中、クベース(新生児を収容しておく機器)のフタを閉め忘れて席を外したことがあった。1分か2分で戻ったのでトラブルは起きなかったが、これはヒヤリ・ハットである。そこで、電子カルテのヒヤリ・ハット報告を自主的に記載していたところ、それを見つけた指導医から、

「病棟のヒヤリ・ハット担当の看護師に、一言断りを入れてから書くように」

と言われた。学生時代から医療過誤、ヒヤリ・ハットといったものに興味があって勉強していたので、指導医の言葉に「え!?」と固まってしまった。また、報告テンプレートでは、職種、勤続年数、所属病棟といったものを細かく記入しなければならず、名前こそ書かないものの、簡単に特定可能で、匿名性は皆無だった。さらに驚いたことに、月に2件以上のヒヤリ・ハット報告をした看護師は、「研修」と称して反省文のようなものを書かされていた。

こんなシステムでヒヤリ・ハット報告が集まるわけがない!

そこで、当時ヒヤリ・ハットを総括していた看護部長に改善を求めて院内メールを送ったところ、しばらくしてようやく返事が来た。内容は当たり障りのないもので、「改善に努めます」というものであった。その後、研修医を終えるまでの2年間で、ヒヤリ・ハット報告のテンプレートは一行たりとも変更されなかった。俺も、病院のそういう体質に嫌気がさしていたし面倒くさくなったので、それ以上は追求しなかった。

今回読んだのは、これ。

最悪の事故は小さなミスが積み重なって起こる、というのは一般論。本書ではもっと突っ込んである。「“後から見直す”と、たいていの大惨事は小さなミスが偶然に積み重なったものである」ことは確かだが、「小さなミスが積み重なっても、大惨事には至らないこともある」と指摘する。実際には後者のほうが大多数だが、起こらなかった事故はニュースにならない。だから、人知れずひっそりと忘れ去られる。俺がクベースのフタを閉め忘れたヒヤリ・ハットのように。そして、「事故を未然に防げたケース」をもっと尊重し、発生したミスを過小評価することなく、他職種・他業種であっても共有すべきだ、というのが著者の大切な主張である。

原発や洋上石油掘削基地、スペースシャトル、飛行機などの専門用語が出てくる。それぞれ簡単な図を用いて説明はしてあるが、いずれも門外漢には少々分かりにくかった。ただし、事故そのものを専門的に解説するのではなく、そこに潜むエラーやミスといったものを中心に語られているので充分に面白かった。

2016年11月30日

いま必要ないからこそ用意しておくべきなのだ! 『おかあさんと子どものための防災&非常時ごはんブック』


今年は熊本でわりと大きな地震があり、つい先日も福島のあたりで地震と小さな津波があり、少し毛色は違うが博多駅前が大規模陥没し……、「被災する」ということを改めて考えさせられた。

本書によると、日本人の3人に1人がなんらかの天災に被災するらしい。けっして他人事ではないのだ。

前半では、子どもと一緒に被災した場合、あるいは別行動中に被災した場合など、パターンを分けて、しかも4コママンガつきで解説してある。普段マンガは読まないが、こういう本ではイラストのあるほうが場面想像しやすくて良い。

また、非常食について、よく見聞きする「5年くらい保存できる非常食を買っておく」というスタイルを勧めていないのも斬新だった。食べ慣れていない、美味しくない、それだと被災したときに元気が出ない、というのが理由だ。そのかわり、日常的に食べるものを非常食にできるよう、日持ちする缶詰めやカップ麺、調味料などを上手にローテーションさせましょう、と提案している。実行しやすく、余計なお金もかからず、良い方法だ。

ただし、水だけは難しい。浄水器を通していない水道水(塩素が入っている)をペットボトルに入れておけば、冷蔵庫だと4-5日はもつそうだが、家族全員分と考えると、とても冷蔵庫にはおさまらない。未開封の水を1週間分くらい家に確保しようと思ったら、かなり場所をとってしまう。簡易かつ安価な非常時用浄水器(キャンプや登山でも使っている人が多そう)を用意しておくのが一番良いと思う。そういう浄水器に関しては書いていなかった。

妻と子ども3人をもつ身として、家族で被災した場合のことは考えておかないといけない。いままで何度も買うか迷ったマルチプライヤーも、これを機会に購入した。家に置いておくと子どもが何するか分からないので、車の中で特に子どもが手を出さないところにしまっておこう(車中からの非常脱出にも使えるかもしれない)。


この2つを買いました。

2016年11月29日

ポケットに入れて空き時間に読める本 『野村の監督ミーティング』


プロ野球の元監督・野村克也から選手として指導を受け、またコーチになってからは参謀として仕えた橋上秀樹による野村監督論(?)。

落合監督について書かれた『参謀』という本を読んだ時にも感じたが、監督本人ではない人が監督について語る本では、もっと突っ込んで書かないとダメだ。仕えた監督の良いところを徹底的に褒めて、逆に選手をボロクソに書くくらいでないと、読んでいて面白くない。本書でも、監督の良いところが書かれているし、選手の実名をあげて批判的なことも書いてあるが、まだまだ足りず中途半端だ。

現場では監督がトップで、コーチは中間管理職なので、間に入ってとりなすことも多々あるのだろうが、自分の書く本では自分が利益も受け責任も負う。だからもっと奔放で良いはずだ。バリバリ突っ込まないとインパクトが弱くなる。野村監督自身の本には書いていないようなことが、ビシーッと書かれていてこその野村監督論(?)なのだから。

星は3つといったところ。ポケットに入れて空き時間に読める本。

2016年11月28日

乙武さんへ。暗黙の了解と「見て見ぬふり」は違うし、立場の弱い人が「何も言えない」のは決して了解ではないですよ!

乙武洋匡さん、離婚理由を語る 「不倫は暗黙の了解あったが…」「乙武の妻に耐えられなくなったのでは」 フジテレビ系ワイドナショーに出演 

「暗黙の了解」というのは、たいてい片方だけがそうだと思い込んでいるだけのことが多い。

通常、「見て見ぬふり」を「暗黙の了解」とは言わない。たとえば、歩きタバコを注意しないのも、同級生のイジメを止められないのも、それは決して「了解」しているわけではない。もしも、歩きタバコしている人やイジメっ子が「何も言わなかったのは、暗黙の了解があったからだろう」というのは、ただの開き直りである。

だから、ここで乙武氏が用いる言葉は、「妻は、見て見ぬふりをしてくれていたんだと思います」くらいが妥当だったはずだ。それを「妻とは暗黙の了解があった」と言ってしまう、というか、そういうふうに考えてしまうところに、彼の人格が色濃くにじみ出ている気がする。

これは、イジメっ子が、
「イジメじゃないです! 遊んでるんです! アイツだって嫌とは言わなかったし!! 他人にはわからない暗黙の了解があったんですよ!!」
なんて言っているのと、まったく同じ感覚なわけである。

乙武氏は、基本的にはイジメっ子体質なのだろう。

つい最近も、原発避難いじめで大金を奪われていた子どもについて「率先して金を渡していた」と判断した教育者らがいた。ああ、そういえば、乙武氏も教育者であった……。

子どもを観察して考えること 「かくれんぼ」

帰宅すると、4歳の長女サクラは風呂に入っていた。そして、あがってきて俺を見ると、
「サクラが何している間にかえってきたの?」
と聞いてくる。こんな質問が最近増えた。

これはつまり、
「自分の目の前だけでなく、自分の見えないところでも人が動いている」
ということを認識し始めたということなのだろう。

「自分の目の前だけが舞台であり、そこに登場人物が現れる」という感覚から、「舞台も登場人物もあちこちにあって、同時進行している」という感覚への移行期なのだろう。

この段階は、「相手には相手の事情や考えがある」という次の段階への準備なのかもしれない。そして、これがなかなかできないタイプの人もいて、極端な場合、それは「障害」というくくりになるのだろう。

「かくれんぼ」という遊びは、「自分の見えないところでも世界が動いている」という感覚を育むのかもしれないし、あるいは、そういう感覚が芽生えたからこそ楽しめるものなのかもしれない。

そういえば、サクラの最近のお気に入りの遊びは、かくれんぼである。


※幼児期と学童期とでは、かくれんぼに感じる楽しみというのは違うはずで、上記は4歳長女、つまり幼児期のかくれんぼについての話。

2016年11月25日

まとまりの良いカルテ、悪いカルテ。それぞれの長所と短所について

心理士、作業療法士と話していて、
「先生のカルテはめちゃくちゃまとまっていて、読むとよく分かります」
と言われた。これは嬉しい反面、危機感も抱いた。

「まとまりすぎているカルテ」というのは、特に精神科においては悪い面もある。常々そういう風に考えている。

診察に限らず、人の会話というものは、決して理路整然と進むものではない。それをそのままタイピングするのは実はけっこう大変である。また、後日に他の人がそれを読むのも同じく大変である。そこで俺の場合、方言を標準語にするなど若干の手直しをしながら、ある程度まとまりのある記載にしている。これに対して、統合失調症の連合弛緩や支離滅裂、躁状態の観念奔逸を感じた場合には、まとまりの良さを捨てて、ひたすらカルテを入力する。ただし、そういう場合でも、アセスメントやプランに関しては、読んだ人に「自分の頭の中」がなるべくきちんと伝わるように書いている。

それがうまくいけば良いのだが、アセスメントやプランの中身ではなく、文章自体に説得力があり過ぎると、読んだ人は中身に関する疑義を挟みにくくなる。そうなると、全体としては患者の不利益になるかもしれない、という危惧がある。

だから、多少スキのある、脇の甘いカルテのほうが、かえってスタッフの目を光らせ、全体として良いチーム医療につながるのかもしれない。

これとは逆に、
「スタッフは自分の指示に従え」
といったワンマンスタイルでやりたい医師なら、カルテの文章には絶対的な説得力を持たせるようにしないといけない。スタッフが、
「この先生の考え方、やり方、本当に大丈夫なの?」
と疑問を抱きながら行う医療は、決して良いものになるはずがないのだから。

2016年11月24日

小学5年生の子どもたちがバトル・ロワイアル! 『よいこの君主論』


覇道を目指してバトル・ロワイアルする小学5年生たちを通じて、マキャベリの『君主論』に触れてみよう、という企画の面白さで押し切った感のある本。

冒頭で、挿し絵とともに人物紹介がなされているのだが、この時点でちょいちょい吹き出す。特に主要キャラたちの邪悪そうな表情やポーズはたまらない。また「その他のうぞうむぞう」で10人近くまとめられていて、そういう雑なところも面白い。全体を通じて、思わす笑ってしまいつつ、『君主論』についても理解が深まっ……、いや、さすがにそれはない。単純に、娯楽のための読み物として面白かった。

読み終えて、病棟に寄贈するか迷ったがやめた。手もとに残しておきたかったから、ではない。変な影響を受ける人が出るのを危惧したからである。

2016年11月22日

カメラ好きにはたまらない小説 『ストロボ』


カメラマンが主人公で、第1章が50代、第2章が40代といった具合に、徐々に若い時代の話になっていく連作短編集。カメラ好きにとっては胸が熱くなるような場面が多く、おもわずカメラを持って出かけたくなるような、あるいは家族の写真を撮りまくりたくなるような、そんな小説だった。

著者が後書きで述べているように、ちょっとしたミステリ要素もあり、カメラにあまり興味がなくても充分に楽しめる内容でもある。

2016年11月21日

脳科学の進展はめざましい!? 素人でも読みやすい脳の話 『脳を知りたい!』


「脳科学の進展はめざましい」と聞いた時、どんなことを考えるだろうか。研究者と一般人とでは、イメージするものが異なっている。「狭く深い」と「広く浅い」の違いである。研究者の「めざましい」は範囲が限定的であるのに対し、一般人はそれが「身の回りにすぐに応用できるもの」と考えがちである。

そこで本書は、「狭く深い」と「広く浅い」の間を橋渡ししようという意図で書かれている。そのため著者は「専門用語をなるべく、いや、できるだけ使わないで書く」ことを自らに課している。そして、
断言してもよいが、ここまで専門用語を使わずに書かれた脳研究の最先端レポートは、いままでになかった。本音を言うと、私にはこれ以上、脳研究についてやさしく書く自信がない。
とまで言い切る。初版は2001年。現時点からすれば15年前なので、本書の内容が脳研究の最先端というわけにはいかないだろうが、脳研究の全体像をつかむには充分だと感じた。

各章のタイトルを記しておく。

第1章 脳と早期教育 早期教育で賢い脳は造れるのか
第2章 脳とうつ病 脳が故障するとき
第3章 脳と環境ホルモン 現代人の脳が環境ホルモンに壊される
第4章 脳と睡眠 なぜ眠いのか、眠れないのか
第5章 脳と視覚 ヒトはなぜ人の顔を識別できるのか
第6章 脳と言葉 失語症……脳はいかに言葉を認識するか
第7章 脳とアルツハイマー病 人はいかにしてアルツハイマー病になるのか
第8章 脳と意識 こころはどこにあるか

早期教育に関する第1章では、平易な文章で鋭い指摘がなされており素晴らしかった。これに対して、環境ホルモンの章では数字のトリック(実数を示さず、リスク何倍という表現)で不安を煽るようなものになっており、やや残念に感じた。それでも全体的には充分に面白い本だった。

余談ではあるが、文庫版の解説は茂木健一郎。うーん、脳科学に関して「広く浅く」応用できるような錯覚を一般人に植えつけてきた代表格ではないのか? そこはちょっといただけない。

2016年11月18日

本そのものが統合失調症のメタファー! 発症前の功績で、発症から数十年後にノーベル賞をとった数学者ナッシュを描いたノンフィクション 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』


前半は数学の専門用語が頻出して、少々難解に感じられることがある。数学の本ではないので、それらの用語が詳しく解説されることはほとんどなく、ナッシュがそういう「専門外にはチンプンカンプン」という高度な数学にのめりこんで研究していたことが強く印象に残る。ところが、発症してからは、ナッシュの日常生活を中心に描写され、前半とは一転して専門用語がほとんど出なくなり、圧倒的に読みやすくなる。ナッシュ自身の人生としては、超高度を飛んでいたジャンボ機が、緊急着陸して地面をノタノタと進んでいるような、そんなイメージである。

本書は、まるで本そのものが統合失調症のメタファーになっているかのようだ。これはおそらく作者が意図したものではなく、統合失調症を発症した人の一代記を丁寧に書けば、どれも統合失調症のメタファーのようになるのだろう。

例えば、ナッシュほどの天才ではないにしても、精神科医をしていると、統合失調症を発症した秀才たちと出会うことがある。たとえば、国立大学の医学部に現役で入学したものの、在学中に発症して国試には受からず、障害者年金で生活している初老男性。現在の彼はあまり外出しないのだが、家では英語の医学テキストを読みながら生活している。また、元プロのピアニストという人もいた。彼の演奏力はほぼ無に帰していたが、それでも病棟のピアノの前に座ると、人差し指一本で鍵盤一つだけを楽しそうに押していて、その姿が印象的であった。それから、旧帝国大学の一つに現役合格したが1年で退学し、さらにまた同じ大学の別の学部を受けて合格・卒業したという人もいる。彼は障害年金をもらいながら、タバコ代のために塩ごはんや砂糖水で生活している。

本書は、数学の知識がなくても充分に興味深く読めるが、統合失調症の知識があるほうがより深い感動を受けると思う。また、躁うつ病や発達障害についても知っていれば、ナッシュの診断が正しいのかどうかも考えながら読める。さらに、統合失調症治療の歴史という点でも、インシュリン療法や発熱療法、電気ショック療法という話も出てくる。

ラッセル・クロウ主演の映画も素晴らしかったが、本はさらに濃密で面白かった。非常に良い、心に残る一冊だった。

2016年11月17日

警察官になれる年齢の人は読んじゃダメ! 『警官の血』


警察小説を読むようになったのは、30代も半ばを過ぎてからだった。キッカケは横山秀夫の小説だった。そして、警察小説を何冊も読んだ結果、
「10代や20歳前後で読まなくて良かった……」
という思いに至っている。もし若くして警察小説に出会っていたら、影響されて警察官を目指したかもしれない。それほどに、これまで読んできた警察小説はどれも面白く、カッコ良かった。実際の警察官の仕事は、きっともっと大変だろうし、小説のようなことは滅多に、いや、現実には皆無と言って良いのかもしれないけれど。

本書を読みながら、ある患者さんの話を思い出した。その患者さんの息子さんが警視庁に採用されたのだが、警察学校の規則がとにかく厳しいらしいのだ。入学時には、寸法と個数の決まった段ボールに、中身もきっちり決められた物だけを過不足なく詰めて学校に送らなければならない。到着日も厳密に定められている。盆の帰省では、きちんと帰省した証拠として写メを撮って教官に送信しなければならない。もちろん、学校から実家に「帰省確認」の電話もある。同期生は団体行動が原則で、休日には床屋も昼食も一緒の場所に行って並ぶ。その他の細かいことまで決められており、徹底的に個人の自由を剥奪し、それと同時に集団への帰属意識を高めるようなシステムになっているのだ。警視庁の警察学校は全国的にも厳しいので、入学者の3分の1位くらいが辞めるようだが、それは訓練の厳しさだけでなく、こうした束縛を嫌ってということもあるらしい。

こういう訓練と振り落としがあってこその団結心であろうし、「あの厳しい訓練に耐えて、ようやく手に入れた立場だ」という感覚は、配属後の不祥事予防にも貢献している気がする。

本書は、昭和23年に警察官になった安城(あんじょう)清二、その子どもである民雄、そして孫にあたる和也という3代続く警察官一家を描いたミステリ・ドラマである。これまでの警察小説の例に漏れず、やはり面白かった。そして思う。警察小説は、まだ警察官になれる年齢の人たちには勧められない。俺みたいに影響されやすい人が、うっかり警察官になってしまわないように。


<参考>
これが「教場」だ!警察学校に“潜入”…「3歩以上は走れ」「携帯は休日のみ」壮絶な規律と訓練の日々

2016年11月16日

約束の散歩を朝イチで

ママの出産入院で、寂しくて眠れないという長女サクラ。次女ユウが寝たら、抱っこ紐で夜道散歩に連れていくと約束した。しかし、それが嬉しくて安心したのか、昨夜はサクラがあっさり寝落ち。

めでたしめでたし、とはならい。

早朝読書をしていたら、長女サクラが起きてきて散歩に行きたいと言う。約束内容は少し違うが、まだそこまでは分からないか。約束を守らないパパ、信頼できないパパと思ってしまうのも可哀そうだ。

というわけで、朝5時前から早朝散歩。スーパームーンではないけれど、大きな月を眺めながら。
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これは家に続く道。

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米原万里のエッセイ集 『心臓に毛が生えている理由』

 
それぞれの初出は新聞、文芸誌、広報紙など多岐にわたり、それはつまり全体のまとまりとしては散漫ということである。だから、これ一冊だけと腰を据えて向き合うと、ちょっと疲れてしまう。こういうエッセイ集は、文庫で買って、バッグや上着のポケットに入れて、出先やトイレなどの空き時間でパラッと読むのが良い。

可もなく不可もないといった内容で、米原万里というブランドに期待しすぎたぶん、ちょっと肩すかしだった。

2016年11月15日

ママがいない夜の寝物語、そして散歩

娘らの寝る前のお楽しみは、オリジナルの寝物語である。たいてい二つか三つはせがまれる。毎回の話の前に、娘らが登場人物を決める。

「でっかいオバケと、でっかいキョウリュウと、でっかいオニオンナが出てくるのが良い!」
と長女サクラが言えば、次女ユウも負けじと、
「でっかいトットロと、でっかいパパと、でっかいママが良い!」
なんて付け加えてくる。

主人公は常に長女サクラと次女ユウだ。物語は、いつも、こんなふうにして始まる。

「むかしむかし、あるところに、サクラちゃんとユウちゃんと、パパとママが住んでいました。サクラちゃんとユウちゃんは、とっても可愛くて、とっても仲良しなきょうだいでした」

二人はオバケにさらわれてオバケの国に行ったり、地下帝国にもぐって恐竜に出会ったり、突然現れた鬼女と対決したりする。でっかいトトロやでっかいパパとママがやってきて手助けをしてくれるが、最終的には、二人で力を合わせて困難を克服する。ラストは、たいていこうだ。

「おうちにかえって、パパとママとお風呂に入って、ごはんを食べて、歯磨きをして、そして、みんなで一緒に寝んねしました」


さて、三女が生まれた翌日の夜。次女ユウはあっさり寝たが、4歳9ヶ月になろうとする長女はなかなか寝ない。腕枕のなかで、あっちを向き、こっちを向きしている。ふと見ると、両目からポロポロと涙を流しながら、声を殺して泣いている。
「寂しいの?」
そう聞くと、コクリと頷いてしゃくり上げるサクラ。
「じゃ、昔話をしようか。今回は、赤ちゃんも出てくるのにしてみる?」
また、小さく頷くサクラ。


むかしむかし、あるところにサクラちゃんとユウちゃんと、パパとママが住んでいました。
ある日、ママのお腹の中に、赤ちゃんがやって来ました。赤ちゃんはグングン大きくなってー、そして、ある日、ポンッ、と生まれてきました。サクラちゃんもユウちゃんも大喜び。
でも、ママと赤ちゃんは病院に泊まらないといけないんだって。さびしいね。


「あとなんかい寝たら、ママ帰ってくる?」
「今日も入れたら四つだよ。あと四つ寝たら、ママも赤ちゃんも帰ってくるよ。やさしくしてあげられるかな?」
「うん。赤ちゃん、かわいかったもんね!」
ちょっとだけ笑顔が戻った。
「じゃ、ママと赤ちゃんが帰ってきたら、どうやって寝るか考えてみようか?」
「うん、こっちが赤ちゃんで、次にママで……、サクラが寝て、パパ」
「あれれ? ユウちゃんは?」
「えっとー、一番あっちがユウちゃんでー、ママで、赤ちゃんで、サクラで、パパ、ってのはどう?」
「サクラは赤ちゃんの隣なの?」
「うん」
「赤ちゃんが泣いて、うるさいかもよ」
「えー(笑)」

こうして笑顔を取り戻したのも一瞬だけ。その後はまた涙がポロポロ。


「久しぶりに、抱っこひもしてあげようか?」
嬉し恥ずかしといった様子で頷くサクラ。抱っこして、しばらく家の中を歩いたが、寝つく様子はない。するとサクラが小声で、
「パパ、お外に行きたい」
次女ユウだけ残していくのは心配だったけれど、サクラは妻が切迫早産で入院した時からずっと頑張っていたし、特別にご褒美だ!


夜の田舎道をテクテク。
「寒くない?」
「うん」
テクテク、テクテク。


はじめのうちは、歩くリズムに合わせておどけたように頭を振っていたサクラだが、徐々にそれもなくなり静かになった。スーパームーンが近いらしく、厚めの曇天を透かして月明かりが見えた。

家に一人で寝ている次女ユウのことが心配だったが、サクラには、ママがいないぶん「せめてパパだけでも独り占め」という時間をあげたくて、ただ黙々と、テクテク、テクテク。

どうにか眠れたサクラ。でも夜には、ちょっとだけうなされていた。それから次女ユウは、夜中2時ころに起きて「手が痒い」「足が痒い」「お尻が痒い」と、俺にかいてとせがむ。かいていてウトウトすると、やめるなといってグズる。

そんなこんなで、パパはもう寝不足で疲れたよ……。あと数日だけ、みんなでガンバロー!

2016年11月14日

たとえ勝てなくても、決して負けない、そんな戦うオヤジに振り回される子どもたちの悲喜劇 『サウスバウンド』


ものすごく評判が良かったので、内容は知らないままに期待して読み始めた。第一部(文庫ではおそらく上巻)は非常に面白かった。第二部も決してつまらなくはないのだが、最後の最後で大墜落。

トンデモないオヤジに振り回される子どもたちが可哀そうではあるが、このオヤジの言うことには、時どきナルホド一理あるとは思わせられる。まぁ、あくまでも時どきではあるが。

前半が面白く、後半も損切りするほどのものではなかっただけに、ラストで大いに裏切られたのが非常に残念。

あまり、お勧めしない。

2016年11月13日

三女誕生!

平成28年11月12日、無事に三女が誕生。
9月の終わりには切迫早産で入院したので、どうなることかと心配したが、結局は予定日である11月9日を過ぎての出産となった。実は長女の出産も同じパターン。
今回お世話になった産科医(大学の後輩)が言うには、
「経験だけで言えば、だいたい同じパターンの出産が多いですよ」
とのこと。


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生まれたばかりの妹を見つめる二人は、まるで、地球にやってきた知的生命体を遠巻きに眺める先住者たち。

次女ユウは、長女サクラとのママゴト遊びでは常に「赤ちゃん役」で、たまに冗談で「ユウ姉ちゃん」と呼びかけると、

「もうもうもうもうもう! ちーがーう! ユウあかちゃん!」

と怒っていた。それが、いざ妹ができると、

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お姉ちゃん風が吹き荒れる。

「ユウ赤ちゃん」と呼びかけても、

「もうもうもうもうもう! ちーがーう! ユウおねえちゃん!」

と怒る(笑)


妻と三女が退院してきたら、いったいどんな雰囲気になるのだろう。とっても楽しみである。


ツイッターでお祝いのメッセージをくださった皆さん、ありがとうございます!



次女のときは、こんなんでした。
出産立ち会い記





2016年11月11日

血液検査をオーダーすることのある医師なら必読! 『ぶらなび 血液疾患診療ナビ あなたが診ても、ここまでわかる!』


画像を読むのにはセンスがいる。そのセンスは一部の医師だけが持っているものではなく、一部の医師にそなわっていないセンスである。そして俺には、そのセンスがない。(※)

そんな画像検査に比べて、血液検査の結果はかなり客観的である。あとはそれを正しく「読む」ことができるかどうかにかかっている。そして、数値を読むためにはセンスや経験以上に、知識と心がけが求められる。その知識を得るために、今回読んだのがこれ。

本書は、
疾患頻度を意識して、フツーの開業医が毎日のように遭遇している、ありふれた血液疾患や血液学的プロブレムの、まっとうな扱い方を指南する
ことをコンセプトにしてある。したがって、「試験によく出るが、実際の疾患頻度はかなり低い」病気ではなく、プライマリで出会う確率の高い病気をメインに扱ってある。

例えば、検査で赤血球が増加している場合。喫煙者の赤血球増加症の98%は喫煙そのものが原因であり、真性赤血球増加症の頻度は1%以下である」という知識を重視し、まずは「smokers’ polycythemia」の可能性から考えるべきだ、と指南する。

また各項目に『Clinical Bottom Line 最低限これだけは』というのがあり、例えば貧血では、
貧血患者を診たら、まずMCVと網赤血球を「読む」
と強調してある。また、それぞれの病気については「患者さんのマネジメント」「こんなとき専門医へ」「患者さんへの説明ポイント」といった項目もあり参考になる。

身体的な病気がなくて精神科だけに通っている患者にとって、精神科医はプライマリケア医の役目も少し担わなければならない。血液検査は薬物血中濃度や副作用チェックのために定期的に行なっているので、こういう本で分かりやすく勉強できたのは幸いだった。

ちなみに、血液検査を読むときの「心がけ」は何かというと、常に「過去の結果」もチェックする習慣を保つことである。本書にもたびたび「過去の結果と比べよ」と出てくる。


※頭部CT・MRIのうち、萎縮に関してだけは、連日のようにみるうちに多少は読めるようになったと思う……、思いたい。

2016年11月10日

一流の神経内科医は、患者のどこを見て、何を学ぶのか 『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか 神経内科医が語る病と「生」のドラマ』

ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか 神経内科医が語る病と「生」のドラマ

『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか』という邦題は、本書がニュートンの伝記なのかと思わせるものである。洋書では、原題と大幅に異なる邦題をつけられることがあり、そのせいで読者が大いに迷惑をこうむる場合もある。本書もそうなのかと思ったが、原題は『Newton’s Madness』。うむ、あまりに直球すぎである。副題の『神経内科医が語る病と「生」のドラマ』のほうが、まだ内容に即しているか。

神経内科疾患の臨床エピソードを語りながら、各疾患についての学習にもつなげようという内容で、医療系の学生であれば楽しく読みながら勉強になるだろう。また、医療の専門知識がなくても、基本事項から書いてあるので6-8割くらいは分かるだろう。それに、クローアンズ先生はアメリカで一定の評価を得ている小説家でもあるので、知的好奇心を満たす読書の楽しみを味わえると思う。

全部で22章あり、それぞれで取り上げられている疾患・症状は以下の通り(本書の記載順)。

脳梗塞による半側空間無視
ウィルソン病
水銀中毒
てんかん(複雑部分発作)
パーキンソン病
てんかん(若年ミオクロニーてんかん)
てんかん(自動症)
クロイツフェルト・ヤコブ病
群発性頭痛
書痙
進行麻痺(梅毒)
多発性硬化症
脳の老化
住血吸虫症
ハンチントン舞踏病
アカシジア
せん妄
神経芽腫
コカイン依存症(特にシャーロック・ホームズを症例として病跡学的アプローチで)
ウェルニッケ・コルサコフ症候群
片頭痛
失語・失認
進行性核上性麻痺

神経系に興味のある人にとっては、どれもワクワクするようなものばかりではなかろうか。お勧めの一冊である。

2016年11月9日

超一流の神経内科医による医療ミステリ小説 『インフォームド・コンセント 消えた同意書』


主人公は優秀な神経内科医であるポール・リチャードソン。彼が立案・計画した「統合失調症患者への実験的手術」を受けた患者が、術後は逆に状態が悪化したという訴訟を起こした。しかし、リチャードソン医師は術前にインフォームド・コンセントをしっかりとっており、起こりうる有害事象も完璧に説明していた。そのはずだった。ところが、カルテにはその同意書がない! でも大丈夫。インフォームド・コンセントを得たときに、看護師も同席していたから、きっと彼女が証言してくれるだろう……、と思ったら、その看護師が何者かに殺害されてしまった! しかも、その看護師とリチャードソン医師には性的関係があって……。

ミステリとしては1.5流から2流くらいの気もするが、そこに神経内科の知識がからむので面白かった。それから、クライマックスに出てくる救急救命室の場面描写では、
「放射線科が呼んでます!」
「待たせとけ! いつもはこっちが待たされてんだ! バイタルは!?」
のように、ほぼセリフだけで進むのだが、それがやけに臨場感があって興奮した。

加えて、リチャードソン医師による回診場面は、神経内科の勉強にもなる。神経内科系の知識があって興味もある人には非常に面白い小説だと思う。

2016年11月8日

二軍はプロ野球選手ではない! 一軍に養われているに過ぎないのだ!! 『二軍』


本書の中に、『二軍は決して「プロ野球選手」ではない。一軍選手の扶養家族のようなものである』という厳しい言葉がある。一軍選手が活躍することで観客からの収入が増え、二軍選手はその金で「食わせてもらっている」ということだ。一軍が華やかであればあるほど、二軍という影の部分は濃くなる。そこから這い上がらない限り、いつまでも扶養家族のままである。

実力さえあれば一軍に上がれるのかというと、現実はそう単純でもないようだ。というのも「実力」というのはあくまでも相対的なもので、人材に乏しいA球団では一軍レベルでも、人材豊富なB球団なら一軍半という人もいるからだ。運良くA球団にトレードしてもらえれば一軍として活躍できるのかもしれないが、B球団としては二軍選手がケガで休場したときのために、一軍半くらいの選手は確保しておきたい。そういうチーム事情から、二軍でくすぶり続ける人もいるようだ。

また、監督やコーチへの自己アピールも大切だ。監督やコーチも人間である以上、起用する選手に対する好き嫌い、合う合わないといったことは少なからず影響する。私的感情を一切まじえずに「チームを一つにまとめる」というのは、おそらく不可能である。それに、こうした好みを徹底的に排除できるのが「名将」かというと、きっとそういうわけでもない。たとえ実力主義に徹しているように見えていても、実際のところはそうではないはずだ。そう考えると、「実力主義に徹しているように見せるのが上手い」というのは、「名将」の条件なのかもしれない。

二軍は、一軍で活躍するための選手を鍛えて用意する場であるが、それと同時にイースタン・リーグとウエスタン・リーグに分かれて試合をしているチームでもある。通常、実力のある選手は二軍監督が一軍に推薦するのだが、二軍チームとしてもリーグ戦で好成績をおさめたい。だから、「良い選手を二軍チームに留めておきたい」という心理から、つい推薦を遅らせてしまう二軍監督もいるらしい。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは言うものの、一軍で並みの選手として生きるより、二軍の大黒柱として重宝されるほうが良いなんてことは絶対にない。なぜなら、「二軍は一軍に養われているにすぎないから」である。

そんな二軍について、選手らを取材したルポ。選手の置かれたシビアな現実が、著者の温かい視線でもって描かれている一冊であった。

2016年11月7日

3分で読めるわけではなく、3分で身につくものでもないが、シンプルに確認するには優れた本 『3分間 神経診察法』


精神科を初めて受診する患者の場合、いくら患者が、
「体はどこも悪くない。これは心の問題だ」
と言い張ったとしても、必ず「患者の訴えが身体疾患によるものではない」ということを医学的に確認しなくてはいけない。これを、医師の間では「除外する」という。

初診の患者ではなく、精神科かかりつけの患者からも「最近ちょっと手が震える」という相談はよく受ける。患者も医師も真っ先に薬の副作用を考えるが、きちんと診察をすれば、それが薬剤性か、その他のものか、ある程度までは判断できる(ある病院の大御所の神経科医は、患者が精神科にかかっていると知ると、痺れや震えをすべて「精神科の薬のせい」にしてしまうので困る)。

体の疾患を除外するためには、それなりに診察ができないといけないので、時どきこういう本を読んで診察法の復習をする。索引も含めて88ページの薄い本で3600円はちょっと高価に感じるが、神経診察法に特化して非常にシンプルにまとめられているので、診察法を確認するのには向いている。そのかわり、神経内科分野のさまざまな疾患についての説明はほとんどない。

余談ではあるが、残念なことに、当院精神科の診察室には診察用ベッドがない。滅多に使わないとはいえ、ないと不便なものであり、どうしたものかと思案している。

2016年11月4日

おもしろくて切ない介護の記録 『認知の母にキッスされ』

出張先の病院に通う認知症の高齢女性の診察には、いつも次男さんがついてきていた。彼女の認知症はかなり進んでいて、次男さんのことを「トシちゃん」と呼ぶが、トシちゃんは実は長男の名前である。彼女と古い付き合いの看護師が、
「トシぼうじゃないよ! ケンちゃんよ!!」
と教えてあげても、彼女はヘラヘラとして、
「ケンちゃーん? それ誰だっけー?」
そう言ってケンさんの顔を見る。そして、ケンさんに向かって、
「いつもお世話になっています」
と頭を下げるのだった。そんな彼女を見ても、ケンさんは怒ることも落胆することもなく、ただただニコニコしていた。

彼女とケンさんは二人暮らしで、家での世話はすべてケンさんがやっていた。ケンさんのことが誰か分からないほど認知症が進んでいるのに、ケンさんと一緒に住んでいて不安感はなさそうだし、ケンさんの世話に対してもまったく抵抗しないのは不思議だった。本当に見知らぬ人であれば、家を追い出したり、介護に抵抗したりするのではなかろうか。きっと、「その人が誰か」という知識・知能の面では分からなくなっていても、感情の部分での「安心感」が残っているのだろう。


本書を読んで、そんな二人のことを思い出した。

ねじめ正一と認知症の母の記録で、おかしかったり、切なかったり。読みながら、どうしても精神科医としての視点が入るので、「これは、いったいどのタイプの認知症なのだろう?」と疑問に思った。レビー小体型のような気もするし、前頭側頭型のようにも感じられるし……。作家が作品として書いたものだから、多少の脚色もあるだろうし……、などと、あれこれ考えてしまう。

今年で65歳になった母はまだまだ元気だが、ねじめ正一と同じ長男として、なんだか他人事とは思えない内容だった。

2016年11月2日

数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にもお勧め 『天才の栄光と挫折』


数学といっても高校数学までしか知らないし、それ以上を知ってみよう学んでみようという気持ちはまったくない。ただ、数学者と呼ばれる人たちの生き方には興味がある。特に世間から天才といわれる人たちは、いったいどういう育ち方、生き方をしたのだろう。そういうところにこそ面白さを感じる俺は、やはり文系なのだろう。

9人の天才数学者の光と影について描かれた本書の著者は、日本の数学者でありエッセイストでもある藤原正彦だ。

本書は数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にはお勧めである。ちなみに、本書で取り上げられた偉人は最初から順に、アイザック・ニュートン、関孝和、エヴァリスト・ガロワ、ウィリアム・ハミルトン、ソーニャ・コワレフスカヤ、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、アラン・チューリング、ヘルマン・ワイル、アンドリュー・ワイルズである。サイモン・シンの『暗号解読』『フェルマーの最終定理』に登場した人たちも含まれていて、この2冊に面白さを感じた人なら本書もきっと気に入るはずだ。

2016年11月1日

落合監督に仕えたコーチが伝えるリーダー論 『参謀 落合監督を支えた右腕の「見守る力」』


落合監督のもと、中日でコーチをつとめた森繁和の本。これまで野村克也、落合博満による監督としてのリーダー論は読んできた。今回は「参謀」という位置づけの人の本である。森自身のリーダー論、参謀論もあるが、落合監督の動きをそばで見てきた人による「落合リーダー論」でもあった。

野球コーチの本なので、当然、野球選手の名前が出てくるが、ほとんどが知らない人であった。野球そのものには大して興味がないので問題なし。全体としては、ナルホドと思えることも多かったが、ときどき文章が散漫になることがあった。

マスコミに対してもキャッチーな言葉を駆使するなどして選手をうまく乗せる野村克也に対して、落合博満はマスコミに対してポーカーフェイスで口数も少ない。リーダーとしてどちらが名将ということではなく、タイプの違いだろう。自分はどちらかというと野村克也の本に波長が合うが、だからこそ落合タイプのリーダー論も勉強になった。

2016年10月31日

「数学者のイギリス滞在記」というより、数学者がイギリスでの生活で考えたあれこれのこと 『遥かなるケンブリッジ』


数学者・藤原正彦が、イギリスのケンブリッジ大学に1年間留学した時の滞在記。今回は妻と3人の子どもを連れての留学である。

アメリカ留学は単身だったのに対し、家族を伴っての留学では、自分のことだけでなく、妻や子どものことも悩みの種になる。特に次男がイジメを受けたエピソードでは、思わずこちらの胸が締めつけられるようだった。そんな次男が日本の幼稚園の同級生からもらった手紙の引用に、次男の哀れさと切なさとで目頭が熱くなってしまった。

藤原正彦による滞在記なので、単なる日記ではなく、日本やイギリスの文化について、それから自らの家族観についてなど、読みやすくて味わい深い文章で綴ってある。非常に魅力的な一冊で、同氏の本だけでなく心理学者である奥さまの書かれた本も追加購入してしまった。

<関連>
これは数学者による『深夜特急』だ! 『若き数学者のアメリカ』

2016年10月28日

アルコール依存症のAさんに、机を叩いて怒ってみせた話

バン!

と診察室の机を叩いて、アルコール依存症のAさんに怒ってみせた。もうずいぶん前のことだ。

断酒目的で入院したAさんだったが、退院した日の帰り道で酒を買って飲み、挙げ句、そのままスナックに行き、そこでトラブルを起こして警察の厄介にまでなってしまった。狭い田舎のことなので、そういう素行はすぐ主治医の耳に入るのだ。

次回の外来で飲酒の話を持ち出したところ、Aさんが、
「先生が何もしてくれないから……」
と言い始めた。そこで、それを遮って、
「いい加減にしなさい! 僕とAさんと、6年以上の付き合いですよ! 今までで、僕くらいAさんのことを考えてくれた主治医がいましたか!?」
怒気をこめてそう尋ねると、
「いえ……、いません……」

実際、精神遅滞もあるAさんは、これまでの数十年で、突き放されたり見放されたりしてきていた。そんなAさんとの6年という付き合いの末、アメとムチを使うのは今だと感じた。

「僕はね……、Aさんが飲まなきゃ良い人だというのはよーく知っています。それは僕だけじゃない、ここのスタッフもみーんな知っています」
「みんな、ですか……?」
「みんなですよ」
「……」

酒さえ飲まなければ良い人だと認められたのが嬉しかったのか、Aさんは涙目で言葉を詰まらせた。

「Aさんは何も悪くない。悪いのは酒です。酒が悪い。だけどね、だけどですよ、そんな悪い酒にAさんから近づいちゃダメでしょう」
「はい……、そうですね」
「僕はAさんを見捨てない。Aさんは酒を飲まない。これは僕とAさんとの約束」
「はい」
「そのかわり……」

一人暮らしのAさんは寂しさからか、頻繁に入院希望する人なので、

「年に4回、病棟に2週間入院できるよう、僕がAさんのためベッドを空けますから。年末年始、ゴールデンウィーク、お盆、それから人恋しくなる秋。その4回の入院を目標に、3ヶ月から4ヶ月は酒に近づかずに頑張りましょう」
「はい、お願いします」

診察のあと、Aさんは会計で人目もはばからず、
「先生に怒られたーっ!」
といって大泣きしていたらしい。

ところで、「怒ってみせた」と書いたように、決して感情的になったわけではない。先に書いたように、Aさんがまた酒を飲んでトラブルを起こしたという情報は事前に入っていた。そこで、その診察では机を叩くことまで含めて、怒っている姿を見せようと決めていた。そう、これは半ば演技である。

ただし、気持ちは本物。

それが通じたのか、Aさんはデイケアに真面目に通うようになり、今のところ酒を飲まずに安定している。

これを読んで勘違いしないで欲しいのは、ただ怒れば良いというものではないということ。6年という付き合いで、酔ったAさんから、
「いちは先生をぶん殴る、ぶっ殺す」
と直接・間接に言われながら、少しずつ築き上げてきた関係があってこそのものである。

2016年10月27日

死にたい女と死神が、短い言葉で語り合う 『わたしの優しい死神』


百聞は一見にしかず、というタイプの絵本。あれこれ説明するよりは写真を見てもらうほうが良いだろう。見開きで60枚くらい。特別に深くもなく、かといってありきたりでもなく、読む人の気分で受けとりかたが変わる絵本だと思う。

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