2016年12月28日

神経内科の医療書籍を読んで、胸が熱くなり魂が揺さぶられるなんて、想像だにしなかった!! 『極論で語る神経内科』


全11章からなり、それぞれのタイトルは以下のとおりである。

脳血管障害
認知症
てんかん
多発性硬化症
パーキンソン病
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
ギラン・バレー症候群
重症筋無力症
睡眠
脊髄疾患
「器質的疾患でない」疾患について

診断基準や治療ガイドラインについては割愛と大胆な省略がなされているので、まったくの初学者は読んでも分からないことが多いかもしれない。ただし、著者である河合先生の臨床哲学はビシビシと伝わってくる。特に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の章では、胸が熱くなり、魂が揺さぶられるような感覚を味わった。

「ALSには治療法がなく、徐々に衰弱していくのを見守ることしかできないものだ」という誤解がある。実際、俺自身もそれに近い印象を持っていた。これに対して、河合先生はこう語る。
「有効な治療法が見つかっていません」というのは誤りです。治療法は選択肢としてはあるのです。ですから正確には“治癒をさせられない疾患”というべきなのです。
では、その「治療法」とは何かというと、PEG(経皮的内視鏡下胃瘻造設術)とNIV(非侵襲的換気療法)である。
何だ、対症療法、延命療法じゃないか?という人もいるかと思いますが、
はい、正直、そう思いました。そして、これに続く文章が、頭をガツンと殴られるような指導的文章であった。
そうではありません。PEGもNIVも生存期間を有意に延長する明らかなデータが出ています。栄養状態を改善すること、呼吸筋に休息を与えることで予後が改善すると考えられています。意識障害が生じない疾患ですので、PEGやNIVで生命予後が延長することは非常に大きな意味があります。
「こんなの当たり前じゃないか。この文章に衝撃を受けるお前が不勉強だし、医の倫理が身についていないのだ」とお怒りになる先生もいるだろう。でも、この「当たり前の感覚」って、ときどき見失いません? 特にALSという「治療できない」(という誤解のある)難病を実際に診療していると、そんな「感覚迷子」みたいな状態になりません? 俺は精神科医として、過去に1例だけALSの人の不眠を診療したきりで、その後はALSについては各媒体を通じて知るだけだったけれど、どうやらこの感覚迷子に陥っていたようだ。

そして、河合先生はこう断じる。
PEGとNIVの適応は慎重に? 冗談じゃない
熱いっ!!
終末期の疾患で意識を失い自ら生命の選択ができなくなった患者さんにPEGを施し延命させることと、ALSの患者さんに早めにPEGを施し生命予後を改善させることは意味合いが異なります。
また、河合先生も書いていらっしゃるように、PEGをしたら食べられなくなるわけではないし、PEGをしても後に要らないと思えば抜去だってできる。
これらの治療法は生命予後を改善するので、対症療法と考えるのは不適切で、れっきとした治療として分類されるべきです。
ALSについて、自分の中でパラダイムシフトのようなものが起こった瞬間であった。

さて、さらに河合先生の名言が続出する。特に最終章『「器質的疾患でない」疾患について』は、精神科医として「よくぞ言ってくださいました!!」と拍手喝采したくなるような内容であった。河合語録を引用していく。
“心因性”疾患を知らずして、「器質的でない」というなかれ
「器質的疾患でない」というならば、ほかの医師に理路整然と説明できるか?
「器質的疾患でない」患者さんの説明には、むしろ時間をとる!
身体表現性障害の正しい対処を知らずに、一人前などと片腹痛い
そして、究極の名言がこれ。
精神科が「器質的疾患が疑われる」といってきたときは襟をただせ
河合先生には、今後とも胸熱書籍を出版していただきたい。心からそう思った。

2016年12月27日

「クロノスジョウンター」がらみの小説 『この胸いっぱいの愛を』


同名映画の脚本を、原作者がノベライズ化したという小説。映画は観ていないが、ストーリーは『クロノスジョウンター』がらみである、というネタバレくらいはして良いだろう。というのも、『クロノスジョウンター』が何かを知っている人なら、その程度のネタバレで梶尾真治の小説の面白さが損なわれることがないことくらい分かるはずだから。そして、『クロノスジョウンター』が何かを知らない人にとっては、ネタバレにすらならないから。

しかし、それ以上のストーリーとなるとバラせない。面白いことは保証できる。

2016年12月26日

いろいろなことを考えさせられる名著 『日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条 』

福祉業界が金と人の不足に喘いでいるのは常識だと思っていたが、そんな福祉業界の重鎮といわれるような人が、
「人手不足は妄想である。人手が足りると気が緩み、それが事故につながる」
という発言をしていたと知って驚いた。


本書は『虜人日記』を縦軸に、著者である山本七平の経験や考察を横軸にして、戦前・戦中・戦後の日本や日本軍について語られる。『虜人日記』では「日本の敗因21ヵ条」が示されており、そのうちの第一が、
精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
である。

ここで、上述した福祉の状況が思い出された。偉い人の唱える、
「人手不足であるからこそ、士気が高まり、各人の能力も鍛えられる。自ずと福祉向上につながる」
という発想は、戦時の日本軍とまったく同じではなかろうか。

福祉業界が人手不足ということは、新人も含めた各スタッフの負担は大きいということだ。そこで人を集めるべく、各地で「介護士講習会」が開かれている。しかし、ベテランでもこなすのがやっとの状況なので、付け焼き刃的な講習を受けた人が期待や志しを胸に就職しても、現場での心身の負荷に耐えられず、早々に立ち去ることも多い。そして、それを補うべく、また講習会……。

第二次大戦において、動員した民間人を次々と東南アジアに送り出しては使い捨てにした日本軍的な思考から、日本はなかなか抜け出せないでいるようだ。

こうしたことを様々に考えさせられる、評判に違わぬ良書であった。

2016年12月21日

可もなく不可もなし。あとは好みの問題か。 『あやかし草紙』 『おとぎのかけら  新釈西洋童話集』


この作家の本を読むのは初めて。両方とも短編集で、『あやかし草紙』の舞台は昔の日本、『おとぎのかけら』のほうが現代日本である。グロテスクな残酷描写があるわけではないが、作中人物の置かれた境遇が残酷であったり切なかったりする。嫌いなタイプの話ではないが、かといってこの作家にハマるというほどでもない。可もなく不可もないといったところ。

2016年12月19日

ダーウィン医学を知っていますか? 『病気からみた進化 「ダーウィン医学」のすすめ』


ダーウィン医学というキャッチーな名前を持つ研究分野がある。たとえばこんな感じだ。

うつ病、特に冬にうつ状態になることの多い季節性うつ病は、日照時間が短く食べ物も少ない時期に活動量を落とす役割があったのではないか。

妊娠初期のつわりは、胎児奇形が発生しやすい時期に、奇形の原因となる毒物を避けるためのものではないのか。

こうした仮説は、非常に興味深いし、一定の説得力もあるのだが、きちんと実証するとなると難しい。遺伝子を調べて結論が出るようなものでもないわけだから。ただし、たとえば「つわり」に関しては、つわりのひどかった妊婦は流産リスクが低かったという調査結果があるようだ。ダーウィン医学とは、こういう「間接証拠」を積み重ねて推理する楽しい分野である(と思う)。

本書は、このダーウィン医学を一般向けに紹介したもの。一般向けなので、レベルの高いものを期待している人には物足りないかもしれない。かといって、生物の知識がまったくないという人にはちょっと難しく感じるだろう。まぁ、そういう人はそもそも本書を読もうとはしないだろうけれど。高校レベルの生物の知識があるくらいの人が、一番面白く読めるのではなかろうか。

2016年12月12日

脳も鍛えるアスリートたちから、多くの知恵を学べるオススメ本! 『頭脳のスタジアム 一球一球に意思が宿る』


野球の一流選手が鍛錬によって身につけた感覚を、素人に伝わるように言語化するのは難しい。かろうじて言語化したとしても、川上哲治が「ボールが止まって見えた」と語り、長嶋茂雄が「スーッと来たボールをバーンと打つ」と表現したように、天才同士にしか分からないものになってしまう。それでも、我々凡人は、天才の感覚をもっと分かりやすい言葉で伝えて欲しいと願う。

本書は「誰にでも普遍であるはずの森羅万象を、一般人には理解不能なところまでキャッチでき、しかもそれを誰にでも分かるように表現できる人」というテーマで、松坂大輔、和田毅、豊田清、五十嵐亮太、和田一浩、松中信彦、宮本慎也、城島健司の8人にインタビューしてまとめてある。いずれも読み応えのあるもので、精神科医としても非常に勉強になった。

ピッチャーの松坂大輔は、自分のフォームにこだわる選手、良かったときのフォームに戻そうともがいている投手がいることを取り上げて、こう指摘する。
そういう投手って、良い球を投げることだけに意識が行っているから、フォームを盛んに気にしているんですよ。でも、僕らの原点というのは、バッターに向かって投げることじゃないですか。その大事な部分を忘れちゃっているんです。
もちろんフォームも大事だけど、フォームを求めすぎてマウンドに上がっても、そればかり考えて、相手がいることを忘れちゃってる。自分がボールを投げる本来の意味を置き去りにしているんですよね。フォームなんて、結局何を言われようが、バッターを抑えれば文句は言われないんだから。要は、相手を抑えればいいんですよ。
ああ、これ、医療と同じだ。自分たちの仕事の原点は何か、それを忘れてはいけない。

城島健司は、若菜コーチから受けた「日常生活の中でキャッチャーとしての視線を養う」ための訓練を紹介している。
(若菜コーチと)2人で町を歩いていると、「この人は右に曲がるか、左に曲がるか。注意して見ると、どっちに曲がるかに癖が出るはずだ」とか「県外ナンバーでゆっくり走っている車は、どっかで曲がる道を探しているはず。どこの道で曲がるか」とか、普段の生活の中から早めに状況を察知し、予測するトレーニングをさせられました。そういう意識で周りを見渡せば、勉強になることはたくさんある、動きには必ず癖が出るものだって。
同じようなことを、ショートの宮本慎也も語っている。
人を観察するのも好きですね。テレビや新聞のニュースにだって野球のヒントになるようなことがいっぱいあるんですよ。
プロ野球選手という仕事のために、こういうところにまで気を配っているのかと感心すると同時に、自分もそうでなければいけないと身が引き締まる。

名バッターの和田一浩は、こう言う。
プロでいる限りは、身体だけではなく脳も鍛えないと、前には進めないと思っています。
職業アスリートである彼らがここまで脳を鍛えているのだから、仕事のほとんどで身体より脳を使う自分は、逆に身体をしっかり鍛えなければ、良い仕事はできないと感じた。精神科医にとって、患者が興奮するといった緊急事態で「当たり負け」しない身体をつくっておくことは、自分にとってもスタッフにとっても精神衛生的に良いものだ。

とてもためになる本だったので、多くの人に勧めたい。

2016年12月8日

千葉大学の強姦加害者たちは決して特別なわけではないが、極特殊ではある

千葉大学の強姦事件に関わった連中は、決して特別なわけではないが、かといって当たり前の人たちでもない。

特別ではない、というのは、アルコール(に限らず酩酊する物質、不眠など)で判断力が鈍り、特に「抑制がとれる」のは万人に共通しているから。

日ごろは穏やかなのに、酒を飲むと粗暴になる人がいる。こういう人は、粗暴な内面を理性で押さえつけているのだろうし、酒がその抑制をとるので、粗暴な面が噴出する。こういう人を見ると「本当は危ない人」と考えがちだが、「粗暴な内面を抑制する理性の強い人」とも考えられる。

酒は理性による抑制をとる。これは万人に共通で、千葉大学の強姦事件に関わった連中も特別ではない。しかし、抑制がとれた男はみんな強姦するか、まして集団強姦に及ぶかというと、絶対にそんなことはない。だから、その点で彼らは極特殊と言える。

抑制がとれたのが原因で集団強姦に及ぶということは、普段理性で押さえつけている内面は強姦魔ということだ。
少し厳しいが、そう思えてならない。

倫理、心性とは別に、判断力低下という点でも残念な連中である。

その強姦がバレないと判断したのか、バレても問題視されないと判断したのか、問題視されても退学にまではならないと判断したのか、退学になってでも被害者のことを集団で強姦したいと判断したのか。どの段階をとっても残念な連中である。

さて、加害者は、今は拘置所にいるのだろうか? 俺はそのほうが彼らにとって幸せだろうと思う。国立医学部に合格し、もうすぐ医師になるという自慢の息子が、集団強姦で全国に名前が出て一転。実家は針のむしろだ。友人も慰める言葉は持たないだろう。そんな現実を見ないで済む拘置所のほうが良いに決まっている。

2016年12月6日

すごくお勧めだが、読者に予備知識を与えたくない! 『ウォッチャーズ』

ウォッチャーズ(上)
ウォッチャーズ(下)

クーンツの小説を読むのは初めて。あまりに面白かったので、クーンツの他の本を検索したら、20歳のころによんだ『ベストセラー小説の書き方』が実はクーンツによるものだということを知った。ははぁ、縁、ですなぁ。

退屈させることのない緩急のバランスとれたストーリー運び、悪役も含めて魅力的な登場人物たち、きちんとおさまったラスト。どれをとっても俺好み。

そもそも、なぜ購入したのか忘れてしまったが、これは予備知識なしで読んで良かった! だから、これから読もうとする人の楽しみも奪いたくない。ストーリー知らずに小説を読み始めるなんて、ちょっとした冒険ではあるが……。

この勢いで、クーンツの小説を何冊か積ん読リスト入りさせてしまった。


20歳のころに読んで、ナルホドなぁと思うことは多かった。

2016年12月2日

災害急性期において、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援である。 阪神・淡路大震災の渦中にいた若き精神科医による記録と考察 『心の傷を癒すということ 大災害精神医療の臨床報告』


大災害時には、さかんに「こころのケア」という言葉が使われる。PTSDという病名も、マンガやドラマ、ワイドショーなんかによく出てくる。では、大災害時に現地にいた精神科医は、そのときどのように動き、なにを考えたのだろうか、というのが本書の中心である。

PTSDを治療する側の目標は、患者が、
「外傷体験について考えることも考えないことも自由にできるよう助力すること」
であるという。決して「頭から消し去る」ことを目的とした「臭いものに蓋」治療ではない。「考えるか、考えないか」を自由に選択できるというのは、自分自身への自信につながる。その自信はこころの余裕を生み、余裕がまた自由度を伸ばしてくれる。こういう良い循環ができあがれば、援助者の役割はほぼ終わりと言える。

本書は精神科医によるPTSD論であると同時に、阪神・淡路大震災の被災者による被災記録でもある。当時の混乱した様子、悩みや憤りなでも赤裸々に綴られている。例えば当時の「ボランティア・ブーム」について、「乗り遅れてはいけない症候群」という指摘もある。現地で活動するある医師はこんな愚痴を漏らしたという。
「なに考えてるんやろ。“どうやってそちらに行くんですか”“地図がほしい”、ひどいのになると“迎えに来てほしい”“宿泊所を世話してほしい”という問い合わせがあるんや」
住むところがなくて大勢の人が避難所にいるのに、どうやって宿泊所を用意しろというのだろう!
地元のスタッフは、このような質問にひとつひとつ対処しなくてはならない。聞くほうは一回でも、答えるほうは同じ説明を何回もすることになる。
災害を病気に例えるなら、急性期、亜急性期、慢性期において援助者の役割は少しずつ異なる。急性期にはとにかく命を救い、亜急性期には後遺症を減らすことに努め、慢性期では安定した生活を目指す。急性期は、いわばICUでの治療のようなもので、専門外の人は邪魔になるだけのことが多い。災害の急性期も同じで、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援になるということを知っておいて欲しい。

著者の安先生は、中井久夫先生が教授をつとめる神戸大学精神科での医局長時代に被災し、精神科ボランティアをコーディネートされた。その後、本書を執筆してサントリー学芸賞を受賞。このとき、まだ35歳過ぎである。ところが40歳になる年の5月、肝細胞癌が発覚し、同年12月2日、39歳という若さで他界された。次女が生まれて、まだ3日目であった。

本書には増補改訂版と文庫版がある。増補改訂版は、初版刊行後に本人が執筆した阪神・淡路大震災および災害精神医学に関する文章、中井久夫先生の追悼文などが追加収録されているが、精神医療に携わる人でなければ文庫版のほうで充分だろう。

精神科援助者として得ることの多い一冊で、東日本大震災での医療支援として南三陸町へ派遣される前に、この本に出会えていればと悔やまれる。

2016年12月1日

ヒヤリ・ハットを大切に!! (研修医時代の実話を紹介) 『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』

NICU(新生児集中治療室)での研修中、クベース(新生児を収容しておく機器)のフタを閉め忘れて席を外したことがあった。1分か2分で戻ったのでトラブルは起きなかったが、これはヒヤリ・ハットである。そこで、電子カルテのヒヤリ・ハット報告を自主的に記載していたところ、それを見つけた指導医から、

「病棟のヒヤリ・ハット担当の看護師に、一言断りを入れてから書くように」

と言われた。学生時代から医療過誤、ヒヤリ・ハットといったものに興味があって勉強していたので、指導医の言葉に「え!?」と固まってしまった。また、報告テンプレートでは、職種、勤続年数、所属病棟といったものを細かく記入しなければならず、名前こそ書かないものの、簡単に特定可能で、匿名性は皆無だった。さらに驚いたことに、月に2件以上のヒヤリ・ハット報告をした看護師は、「研修」と称して反省文のようなものを書かされていた。

こんなシステムでヒヤリ・ハット報告が集まるわけがない!

そこで、当時ヒヤリ・ハットを総括していた看護部長に改善を求めて院内メールを送ったところ、しばらくしてようやく返事が来た。内容は当たり障りのないもので、「改善に努めます」というものであった。その後、研修医を終えるまでの2年間で、ヒヤリ・ハット報告のテンプレートは一行たりとも変更されなかった。俺も、病院のそういう体質に嫌気がさしていたし面倒くさくなったので、それ以上は追求しなかった。

今回読んだのは、これ。

最悪の事故は小さなミスが積み重なって起こる、というのは一般論。本書ではもっと突っ込んである。「“後から見直す”と、たいていの大惨事は小さなミスが偶然に積み重なったものである」ことは確かだが、「小さなミスが積み重なっても、大惨事には至らないこともある」と指摘する。実際には後者のほうが大多数だが、起こらなかった事故はニュースにならない。だから、人知れずひっそりと忘れ去られる。俺がクベースのフタを閉め忘れたヒヤリ・ハットのように。そして、「事故を未然に防げたケース」をもっと尊重し、発生したミスを過小評価することなく、他職種・他業種であっても共有すべきだ、というのが著者の大切な主張である。

原発や洋上石油掘削基地、スペースシャトル、飛行機などの専門用語が出てくる。それぞれ簡単な図を用いて説明はしてあるが、いずれも門外漢には少々分かりにくかった。ただし、事故そのものを専門的に解説するのではなく、そこに潜むエラーやミスといったものを中心に語られているので充分に面白かった。

2016年11月29日

ポケットに入れて空き時間に読める本 『野村の監督ミーティング』


プロ野球の元監督・野村克也から選手として指導を受け、またコーチになってからは参謀として仕えた橋上秀樹による野村監督論(?)。

落合監督について書かれた『参謀』という本を読んだ時にも感じたが、監督本人ではない人が監督について語る本では、もっと突っ込んで書かないとダメだ。仕えた監督の良いところを徹底的に褒めて、逆に選手をボロクソに書くくらいでないと、読んでいて面白くない。本書でも、監督の良いところが書かれているし、選手の実名をあげて批判的なことも書いてあるが、まだまだ足りず中途半端だ。

現場では監督がトップで、コーチは中間管理職なので、間に入ってとりなすことも多々あるのだろうが、自分の書く本では自分が利益も受け責任も負う。だからもっと奔放で良いはずだ。バリバリ突っ込まないとインパクトが弱くなる。野村監督自身の本には書いていないようなことが、ビシーッと書かれていてこその野村監督論(?)なのだから。

星は3つといったところ。ポケットに入れて空き時間に読める本。

2016年11月28日

乙武さんへ。暗黙の了解と「見て見ぬふり」は違うし、立場の弱い人が「何も言えない」のは決して了解ではないですよ!

乙武洋匡さん、離婚理由を語る 「不倫は暗黙の了解あったが…」「乙武の妻に耐えられなくなったのでは」 フジテレビ系ワイドナショーに出演 

「暗黙の了解」というのは、たいてい片方だけがそうだと思い込んでいるだけのことが多い。

通常、「見て見ぬふり」を「暗黙の了解」とは言わない。たとえば、歩きタバコを注意しないのも、同級生のイジメを止められないのも、それは決して「了解」しているわけではない。もしも、歩きタバコしている人やイジメっ子が「何も言わなかったのは、暗黙の了解があったからだろう」というのは、ただの開き直りである。

だから、ここで乙武氏が用いる言葉は、「妻は、見て見ぬふりをしてくれていたんだと思います」くらいが妥当だったはずだ。それを「妻とは暗黙の了解があった」と言ってしまう、というか、そういうふうに考えてしまうところに、彼の人格が色濃くにじみ出ている気がする。

これは、イジメっ子が、
「イジメじゃないです! 遊んでるんです! アイツだって嫌とは言わなかったし!! 他人にはわからない暗黙の了解があったんですよ!!」
なんて言っているのと、まったく同じ感覚なわけである。

乙武氏は、基本的にはイジメっ子体質なのだろう。

つい最近も、原発避難いじめで大金を奪われていた子どもについて「率先して金を渡していた」と判断した教育者らがいた。ああ、そういえば、乙武氏も教育者であった……。

2016年11月24日

小学5年生の子どもたちがバトル・ロワイアル! 『よいこの君主論』


覇道を目指してバトル・ロワイアルする小学5年生たちを通じて、マキャベリの『君主論』に触れてみよう、という企画の面白さで押し切った感のある本。

冒頭で、挿し絵とともに人物紹介がなされているのだが、この時点でちょいちょい吹き出す。特に主要キャラたちの邪悪そうな表情やポーズはたまらない。また「その他のうぞうむぞう」で10人近くまとめられていて、そういう雑なところも面白い。全体を通じて、思わす笑ってしまいつつ、『君主論』についても理解が深まっ……、いや、さすがにそれはない。単純に、娯楽のための読み物として面白かった。

読み終えて、病棟に寄贈するか迷ったがやめた。手もとに残しておきたかったから、ではない。変な影響を受ける人が出るのを危惧したからである。

2016年11月22日

カメラ好きにはたまらない小説 『ストロボ』


カメラマンが主人公で、第1章が50代、第2章が40代といった具合に、徐々に若い時代の話になっていく連作短編集。カメラ好きにとっては胸が熱くなるような場面が多く、おもわずカメラを持って出かけたくなるような、あるいは家族の写真を撮りまくりたくなるような、そんな小説だった。

著者が後書きで述べているように、ちょっとしたミステリ要素もあり、カメラにあまり興味がなくても充分に楽しめる内容でもある。

2016年11月18日

本そのものが統合失調症のメタファー! 発症前の功績で、発症から数十年後にノーベル賞をとった数学者ナッシュを描いたノンフィクション 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』


前半は数学の専門用語が頻出して、少々難解に感じられることがある。数学の本ではないので、それらの用語が詳しく解説されることはほとんどなく、ナッシュがそういう「専門外にはチンプンカンプン」という高度な数学にのめりこんで研究していたことが強く印象に残る。ところが、発症してからは、ナッシュの日常生活を中心に描写され、前半とは一転して専門用語がほとんど出なくなり、圧倒的に読みやすくなる。ナッシュ自身の人生としては、超高度を飛んでいたジャンボ機が、緊急着陸して地面をノタノタと進んでいるような、そんなイメージである。

本書は、まるで本そのものが統合失調症のメタファーになっているかのようだ。これはおそらく作者が意図したものではなく、統合失調症を発症した人の一代記を丁寧に書けば、どれも統合失調症のメタファーのようになるのだろう。

例えば、ナッシュほどの天才ではないにしても、精神科医をしていると、統合失調症を発症した秀才たちと出会うことがある。たとえば、国立大学の医学部に現役で入学したものの、在学中に発症して国試には受からず、障害者年金で生活している初老男性。現在の彼はあまり外出しないのだが、家では英語の医学テキストを読みながら生活している。また、元プロのピアニストという人もいた。彼の演奏力はほぼ無に帰していたが、病棟のピアノの前に座ると、人差し指一本で鍵盤一つだけを楽しそうに押している姿が印象的であった。それから、旧帝国大学の一つに現役合格したが1年で退学し、さらにまた同じ大学の別の学部を受けて合格・卒業したという人もいる。彼は障害年金をもらいながら、タバコ代のために塩ごはんや砂糖水で生活している。

本書は、数学の知識がなくても充分に興味深く読めるが、統合失調症の知識があるほうがより深い感動を受けると思う。また、躁うつ病や発達障害についても知っていれば、ナッシュの診断が正しいのかどうかも考えながら読める。さらに、統合失調症治療の歴史という点でも、インシュリン療法や発熱療法、電気ショック療法という話も出てくる。

ラッセル・クロウ主演の映画も素晴らしかったが、本はさらに濃密で面白かった。非常に良い、心に残る一冊だった。

2016年11月17日

警察官になれる年齢の人は読んじゃダメ! 『警官の血』


警察小説を読むようになったのは、30代も半ばを過ぎてからだった。キッカケは横山秀夫の小説だった。そして、警察小説を何冊も読んだ結果、
「10代や20歳前後で読まなくて良かった……」
という思いに至っている。もし若くして警察小説に出会っていたら、影響されて警察官を目指したかもしれない。それほどに、これまで読んできた警察小説はどれも面白く、カッコ良かった。実際の警察官の仕事は、きっともっと大変だろうし、小説のようなことは滅多に、いや、現実には皆無と言って良いのかもしれないけれど。

本書を読みながら、ある患者さんの話を思い出した。その患者さんの息子さんが警視庁に採用されたのだが、警察学校の規則がとにかく厳しいらしいのだ。入学時には、寸法と個数の決まった段ボールに、中身もきっちり決められた物だけを過不足なく詰めて学校に送らなければならない。到着日も厳密に定められている。盆の帰省では、きちんと帰省した証拠として写メを撮って教官に送信しなければならない。もちろん、学校から実家に「帰省確認」の電話もある。同期生は団体行動が原則で、休日には床屋も昼食も一緒の場所に行って並ぶ。その他の細かいことまで決められており、徹底的に個人の自由を剥奪し、それと同時に集団への帰属意識を高めるようなシステムになっているのだ。警視庁の警察学校は全国的にも厳しいので、入学者の3分の1位くらいが辞めるようだが、それは訓練の厳しさだけでなく、こうした束縛を嫌ってということもあるらしい。

こういう訓練と振り落としがあってこその団結心であろうし、「あの厳しい訓練に耐えて、ようやく手に入れた立場だ」という感覚は、配属後の不祥事予防にも貢献している気がする。

本書は、昭和23年に警察官になった安城(あんじょう)清二、その子どもである民雄、そして孫にあたる和也という3代続く警察官一家を描いたミステリ・ドラマである。これまでの警察小説の例に漏れず、やはり面白かった。そして思う。警察小説は、まだ警察官になれる年齢の人たちには勧められない。俺みたいに影響されやすい人が、うっかり警察官になってしまわないように。


<参考>
これが「教場」だ!警察学校に“潜入”…「3歩以上は走れ」「携帯は休日のみ」壮絶な規律と訓練の日々

2016年11月16日

米原万里のエッセイ集 『心臓に毛が生えている理由』

 
それぞれの初出は新聞、文芸誌、広報紙など多岐にわたり、それはつまり全体のまとまりとしては散漫ということである。だから、これ一冊だけと腰を据えて向き合うと、ちょっと疲れてしまう。こういうエッセイ集は、文庫で買って、バッグや上着のポケットに入れて、出先やトイレなどの空き時間でパラッと読むのが良い。

可もなく不可もないといった内容で、米原万里というブランドに期待しすぎたぶん、ちょっと肩すかしだった。

2016年11月14日

たとえ勝てなくても、決して負けない、そんな戦うオヤジに振り回される子どもたちの悲喜劇 『サウスバウンド』


ものすごく評判が良かったので、内容は知らないままに期待して読み始めた。第一部(文庫ではおそらく上巻)は非常に面白かった。第二部も決してつまらなくはないのだが、最後の最後で大墜落。

トンデモないオヤジに振り回される子どもたちが可哀そうではあるが、このオヤジの言うことには、時どきナルホド一理あるとは思わせられる。まぁ、あくまでも時どきではあるが。

前半が面白く、後半も損切りするほどのものではなかっただけに、ラストで大いに裏切られたのが非常に残念。

あまり、お勧めしない。

2016年11月10日

一流の神経内科医は、患者のどこを見て、何を学ぶのか 『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか 神経内科医が語る病と「生」のドラマ』


『ニュートンはなぜ人間嫌いになったのか』という邦題は、本書がニュートンの伝記なのかと思わせるものである。洋書では、原題と大幅に異なる邦題をつけられることがあり、そのせいで読者が大いに迷惑をこうむる場合もある。本書もそうなのかと思ったが、原題は『Newton’s Madness』。うむ、あまりに直球すぎである。副題の『神経内科医が語る病と「生」のドラマ』のほうが、まだ内容に即しているか。

神経内科疾患の臨床エピソードを語りながら、各疾患についての学習にもつなげようという内容で、医療系の学生であれば楽しく読みながら勉強になるだろう。また、医療の専門知識がなくても、基本事項から書いてあるので6-8割くらいは分かるだろう。それに、クローアンズ先生はアメリカで一定の評価を得ている小説家でもあるので、知的好奇心を満たす読書の楽しみを味わえると思う。

全部で22章あり、それぞれで取り上げられている疾患・症状は以下の通り(本書の記載順)。

脳梗塞による半側空間無視
ウィルソン病
水銀中毒
てんかん(複雑部分発作)
パーキンソン病
てんかん(若年ミオクロニーてんかん)
てんかん(自動症)
クロイツフェルト・ヤコブ病
群発性頭痛
書痙
進行麻痺(梅毒)
多発性硬化症
脳の老化
住血吸虫症
ハンチントン舞踏病
アカシジア
せん妄
神経芽腫
コカイン依存症(特にシャーロック・ホームズを症例として病跡学的アプローチで)
ウェルニッケ・コルサコフ症候群
片頭痛
失語・失認
進行性核上性麻痺

神経系に興味のある人にとっては、どれもワクワクするようなものばかりではなかろうか。お勧めの一冊である。

2016年11月8日

二軍はプロ野球選手ではない! 一軍に養われているに過ぎないのだ!! 『二軍』


本書の中に、『二軍は決して「プロ野球選手」ではない。一軍選手の扶養家族のようなものである』という厳しい言葉がある。一軍選手が活躍することで観客からの収入が増え、二軍選手はその金で「食わせてもらっている」ということだ。一軍が華やかであればあるほど、二軍という影の部分は濃くなる。そこから這い上がらない限り、いつまでも扶養家族のままである。

実力さえあれば一軍に上がれるのかというと、現実はそう単純でもないようだ。というのも「実力」というのはあくまでも相対的なもので、人材に乏しいA球団では一軍レベルでも、人材豊富なB球団なら一軍半という人もいるからだ。運良くA球団にトレードしてもらえれば一軍として活躍できるのかもしれないが、B球団としては二軍選手がケガで休場したときのために、一軍半くらいの選手は確保しておきたい。そういうチーム事情から、二軍でくすぶり続ける人もいるようだ。

また、監督やコーチへの自己アピールも大切だ。監督やコーチも人間である以上、起用する選手に対する好き嫌い、合う合わないといったことは少なからず影響する。私的感情を一切まじえずに「チームを一つにまとめる」というのは、おそらく不可能である。それに、こうした好みを徹底的に排除できるのが「名将」かというと、きっとそういうわけでもない。たとえ実力主義に徹しているように見えていても、実際のところはそうではないはずだ。そう考えると、「実力主義に徹しているように見せるのが上手い」というのは、「名将」の条件なのかもしれない。

二軍は、一軍で活躍するための選手を鍛えて用意する場であるが、それと同時にイースタン・リーグとウエスタン・リーグに分かれて試合をしているチームでもある。通常、実力のある選手は二軍監督が一軍に推薦するのだが、二軍チームとしてもリーグ戦で好成績をおさめたい。だから、「良い選手を二軍チームに留めておきたい」という心理から、つい推薦を遅らせてしまう二軍監督もいるらしい。「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは言うものの、一軍で並みの選手として生きるより、二軍の大黒柱として重宝されるほうが良いなんてことは絶対にない。なぜなら、「二軍は一軍に養われているにすぎないから」である。

そんな二軍について、選手らを取材したルポ。選手の置かれたシビアな現実が、著者の温かい視線でもって描かれている一冊であった。

2016年11月2日

数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にもお勧め 『天才の栄光と挫折』


数学といっても高校数学までしか知らないし、それ以上を知ってみよう学んでみようという気持ちはまったくない。ただ、数学者と呼ばれる人たちの生き方には興味がある。特に世間から天才といわれる人たちは、いったいどういう育ち方、生き方をしたのだろう。そういうところにこそ面白さを感じる俺は、やはり文系なのだろう。

9人の天才数学者の光と影について描かれた本書の著者は、日本の数学者でありエッセイストでもある藤原正彦だ。

本書は数学をまったく知らなくても楽しく読めるし、天才たちの生き方に興味がある人にはお勧めである。ちなみに、本書で取り上げられた偉人は最初から順に、アイザック・ニュートン、関孝和、エヴァリスト・ガロワ、ウィリアム・ハミルトン、ソーニャ・コワレフスカヤ、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、アラン・チューリング、ヘルマン・ワイル、アンドリュー・ワイルズである。サイモン・シンの『暗号解読』『フェルマーの最終定理』に登場した人たちも含まれていて、この2冊に面白さを感じた人なら本書もきっと気に入るはずだ。

2016年11月1日

落合監督に仕えたコーチが伝えるリーダー論 『参謀 落合監督を支えた右腕の「見守る力」』


落合監督のもと、中日でコーチをつとめた森繁和の本。これまで野村克也、落合博満による監督としてのリーダー論は読んできた。今回は「参謀」という位置づけの人の本である。森自身のリーダー論、参謀論もあるが、落合監督の動きをそばで見てきた人による「落合リーダー論」でもあった。

野球コーチの本なので、当然、野球選手の名前が出てくるが、ほとんどが知らない人であった。野球そのものには大して興味がないので問題なし。全体としては、ナルホドと思えることも多かったが、ときどき文章が散漫になることがあった。

マスコミに対してもキャッチーな言葉を駆使するなどして選手をうまく乗せる野村克也に対して、落合博満はマスコミに対してポーカーフェイスで口数も少ない。リーダーとしてどちらが名将ということではなく、タイプの違いだろう。自分はどちらかというと野村克也の本に波長が合うが、だからこそ落合タイプのリーダー論も勉強になった。

2016年10月31日

「数学者のイギリス滞在記」というより、数学者がイギリスでの生活で考えたあれこれのこと 『遥かなるケンブリッジ』


数学者・藤原正彦が、イギリスのケンブリッジ大学に1年間留学した時の滞在記。今回は妻と3人の子どもを連れての留学である。

アメリカ留学は単身だったのに対し、家族を伴っての留学では、自分のことだけでなく、妻や子どものことも悩みの種になる。特に次男がイジメを受けたエピソードでは、思わずこちらの胸が締めつけられるようだった。そんな次男が日本の幼稚園の同級生からもらった手紙の引用に、次男の哀れさと切なさとで目頭が熱くなってしまった。

藤原正彦による滞在記なので、単なる日記ではなく、日本やイギリスの文化について、それから自らの家族観についてなど、読みやすくて味わい深い文章で綴ってある。非常に魅力的な一冊で、同氏の本だけでなく心理学者である奥さまの書かれた本も追加購入してしまった。

<関連>
これは数学者による『深夜特急』だ! 『若き数学者のアメリカ』

2016年10月27日

死にたい女と死神が、短い言葉で語り合う 『わたしの優しい死神』


百聞は一見にしかず、というタイプの絵本。言葉であれこれ説明するより、写真を何枚か見てもらうほうが良いだろう。
見開きで60枚くらい。
特別に深いわけでもなく、かといってありきたりではなく、読む人の気分で受けとりかたが変わる不思議な絵本。

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2016年10月26日

落合博満によるコーチング指南 『コーチング 言葉と信念の魔術』


精神科医が、スポーツの監督やコーチから学ぶことは多い。これまで野村克也の本を数冊読んできたが、今度は落合博満によるコーチングの本を読んでみることにした。

文章量は多くなく、サラサラと読めたし、参考になることも多かった。ただ、サラッとしすぎていて、もう少し奥深くまで突っ込んで書いてあるほうが面白かったかもしれない。

読み終えるのに時間をとらないので、あまり読書時間のとれない人にはオススメ。時間が充分にとれる人であれば、他にも良い本がたくさんあるような気がする。

タイトルより著者名のほうが目立つ表紙というのも珍しいな……。

2016年10月25日

チベットを舞台に、よみがえったミイラが大活躍! 『転生』


チベットに安置してあるパンチェンラマのミイラがよみがえった!
少年ロプサンを主人公・狂言廻しとして、パンチェンラマのミイラが中国政府を相手に大立ち回りを演じるというドタバタ劇。

特にひねったストーリーではないが、中国とチベットの関係がうっすらと分かるような作品。チベットの人たちが漢民族を見下しているような発言をするシーンも多々あるし、中国人がチベットの人たちを徹底的に管理したり痛めつけたりする話も出てくる。決して一方的にチベットを支持する反中物語ではない。もちろん、誇張もあるだろうし、他国の人間には分からない事情もあるだろう。

ドタバタ劇なので、肩の力を抜きながら、中国とチベットの緊張関係に触れるという読み方で良いのだろうと思う。

2016年10月19日

Evidenceに疲れた頭に、Narrativeを 『医者が心をひらくとき A Piece of My Mind』


1980年からJAMA(アメリカ医師会雑誌)での掲載が始められたコラムのうち100編を選りすぐったもの。医師の視線だけでなく、看護師、ソーシャルワーカー、そして患者といった人たちの立場からのエッセイもある。

それぞれは短いので、読み始めるのにそんなに気合いは要らない。また、選りすぐりの100編とはいえ、いろいろなエッセイがあり、それぞれに好みがあるだろうから、全部をきっちり読まなくても良いだろう。実際、いくつかは読み流した。

良い医療のために、Evidenceだけでなく、たまにはNarrativeもどうぞ。

2016年10月17日

超一流の神経内科医であり、一流の作家でもあるクローアンズ先生が実際に携わった医療裁判記録 『医者が裁かれるとき 神経内科医が語る医と法のドラマ』


『失語の国のオペラ歌手』で一読惚れした神経内科医ハロルド・クローアンズ先生。

今回も臨床医学エッセイだが、現場は主に診察室ではなく法廷である。超一流の神経内科医であるクローアンズ先生が、神経内科領域の「専門鑑定人」として携わったケースについて、独特のユーモアを交えつつ、分かりやすく教育的に、さらには先の展開を読ませず最後に謎解きしてみせるミステリの要素も含みながら描いてある。

クローアンズ先生はミステリ小説も書いており、その本はアメリカでは新聞でも「今月の一冊」として紹介されたらしい。そういうストーリー・テリングの手腕をもった医師による医療法廷ドラマであるから、面白くないわけがない。

本書で改めてクローアンズ先生に惚れ込んだので小説も購入した。
『インフォームド・コンセント―消えた同意書』

<関連>
超一流の神経内科医が、患者の病気というミステリを解き明かす 『失語の国のオペラ指揮者 神経科医が明かす脳の不思議な働き』

神経内科に関する啓蒙的かつ刺激的な内容の良書! 『なぜ記憶が消えるのか』

2016年10月13日

「命はすべて平等」なんて大嘘です! 『医師の一分』


「命はすべて平等」なんて大嘘です。

本書の帯に、ズバリこう書いてある。

同じ著者の『偽善の医療』も面白かったが、今回も歯に衣着せぬ書きっぷりで非常に痛快だった。中でも、ちょっと考えさせられたところを引用。『命に上下は存在する』という章の、『「命の値段」を決めるもの』という項の話である。

著者が研修医として勤務していた救命センターは、時々満床近くになり、受け入れを制限するしかない状況があった。
そういう時、指導医は、電話番として消防庁からの救急要請を受ける私ら研修医どもに、「いいかお前ら」と指示をした。もちろん、「俺たちが引き受けた患者は助かる可能性が高くなる」ことを前提としたものである。
「労災は、受ける。自殺(未遂)は、断る。交通事故は、その時考える」
「その時考える」とは、暴走族が自分でどこかに突っ込んだ、というようなのは断る、という意味である。そしてこの先生は、いつも最後にこう付け加えた。「子供は、何があっても、受ける」
このようにして、「最大限の努力をして、助ける価値のある命」と「そうでない命」を分けることを、若き著者は当然と考える。これだけを抜き出すと、極論のように感じられるかもしれないが、全体を通して読めば……、やっぱり極論である。ただし、極論ではあるけれど、頷かされることの多い極論でもある。

読む人の立場によっては、
「おいおいそれはないだろう」
と言いたくなるところもあるかもしれない。そういうことも、きっと著者は了解済みである。そのうえで、敢えて極論を放つことで今の医療のあり方を問うているところに、潔さや矜恃、すなわち「医師の一分」を感じてしまった。

2016年10月11日

涙ぐみつつ勉強にもなった! 『救命 東日本大震災、医師たちの奮闘』


震災直後に駆けつけた医師の談話もあり、震災1ヶ月半後に派遣された俺とほぼ同じ感想なのが印象的だった。それはつまり、医療という視点だけから言えば、「意外に落ち着いている」ということである。

東日本大震災では津波被害がメインで、無傷で逃げ切るか、流されて亡くなるか。ほとんどこの二者択一で、阪神大震災のように外傷が多くて大混乱という状況とは異なっていたようだ。だから、救急を専門とする医師やDMATが駆けつけても、活躍の場がそう多かったわけではない。臨床能力よりも、薬や診療所の不足、医師の配置といった問題を解決するコーディネート能力が求められたようだ。

それからナルホドと思ったのは、病院の屋上に酸素や最低限の医療機器を用意しておくほうが良いという提言。ある病院では、災害時に患者であふれることを想定して、待合室や廊下にも酸素供給用のパイプを用意してあるそうだ。

こうした記述を読みながら、当院の「携帯電波が入らない」というのは大問題だと感じた。電波問題はだいぶ改善されたが、Wi-Fiもあったほうが良いのではないだろうか。災害時、電波はダメでもネットは生きているという状況もあるだろう。ついでに言えば、これからの世代では「外来の長い待ち時間もYouTube見ていたら大丈夫」という人たちが出てくるだろうし、苦情を減らすのにも一役買いそうな気がする。

読みながら、涙ぐんだり、勉強になったり……、良い本だった。ちなみに、海堂尊は監修のみで、最後に少しあとがきを書いているくらいである。他は署名ライターによるもので、それぞれの文章の質は高い。一つだけ質の低い文章があり、それは「新潮社取材班」によるインタビュー・構成であった。しっかりしろ!!



※米タイム誌が発表した2011年の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた医師・菅野武さんは、同僚先生の同級生だったそうだ。そこで、どんな人かを尋ねたところ、

「大っ嫌いな奴です。自己顕示欲が強くて」

とのこと。人の相性ってさまざまなんだなぁと感じた次第である。

2016年10月6日

レビューは真っ二つに割れているが、これは星3つが妥当だろう! 『各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと』


発売当初からAmazonレビューでは4.5以上と高評価だった本書。執筆者の中には、日ごろからネットで良質な情報発信をしている人たちの名前もあるし、良い本だろうと思っていたら……、ある日を境にガックリと低迷し平成28年10月5日時点で3.8。レビューは賛否両論となっていたので、どんな本なのか興味がわいた。

結論からいくと、星3つ。あら、俺も平均点を下げちゃった……。

一応書いておくと、決して内容が劣悪だったわけではない。むしろ良い内容だった。では、どうして星3つにしたのかを記しておきたい。

子育てに限らず、世の中には大きく分けて科学派と神話派がいる。ここでいう「神話派」とは、ギリシア神話とか古代神話とかの「神話」ではなく、根拠のない口伝や都市伝説のようなものを真に受ける人のことで、言葉の響きでそう呼ぶだけである。また、もちろん、科学派の中にもオカルトを少し信じる人もいるし、神話派にも科学的であることを大切にする人はいる。だから、あくまでも、大きく分けて、ということだ。

本書は、子育てに関して、まだそうした「属性」の定まっていない中立派の新米パパ・ママがターゲットになっている。決して、神話派の人たちを科学的に説得して鞍替えさせようとするものではない(もしそういう意図があるのなら、あまりの弱さに星1つである)。

すでに、ある程度「科学派」である自分にとって、内容に目新しいことはなかった。それどころか、
「神話派の主張のおかしなところを取り上げて、新米パパ・ママの助けになろうとしている本なのに、そんなに曖昧で、むしろ神話派が持ち出すような論理展開で良いのか!?」
とツッコミたくなるような部分もあった。

一例をあげよう。「玄米菜食が一番いいって本当?」というパート。
お米は健康に悪影響を与える「無機ヒ素」の多い食品でもあります。無機ヒ素は、国際がん研究機構の発がん物質についての研究で、明確に発がん性が確認された物質です。無機ヒ素は、特に糠の部分に蓄積されるので、玄米食ばかりだと過剰摂取になる恐れがあります。
間違ったことは書いていないが、別の物質について神話派がこのような話を持ち出すとき、科学派は必ず「量の概念が大切だ」と反論する。「塩も砂糖も、水さえも、とりすぎれば有毒なのだ」と。だったら、玄米食についても、「玄米食ばかりだと過剰摂取になる恐れがあり」なんて曖昧な表現は許されないはずだ。1日何合の玄米食をとることで、無機ヒ素の摂取がこれくらいになり、発がんリスクがこれくらい上がるということを示さないと、とかく不安を煽りたがる神話派の主張と大差ないではないか。

これが星を下げた理由の一つ。

科学的なものを好むか、神話的なものに親しむか。それは知能の問題ではなく、「好み」である。親の好みが子に影響するのは仕方ない部分もあり、悪影響が強すぎると子どもは可哀想だが、多少の「科学からの逸脱」くらい放置でかまわないだろう。本書でも取り上げられている「江戸しぐさ」「水の記憶」などは、バカみたいだと思うが、やり玉にあげるほどのことでもない。

このように、本書は科学派には物足りず、神話派の考えを変えるにはパンチ力に欠ける。全体的に、帯に短し襷に長しなのだ。だから、すでに科学派である人は敢えて買う必要はないし、神話派の人が買っても考えは何も変わらないだろう。それから、正直なところ、テーマによって内容が玉石混淆でもある。同じ著者でも、あるテーマは切り口鋭く、別のテーマではちょっと弱い、ということもある。だから、星3つにした。

だいたい、こんなにシンプルな内容にしてはタイトルが大げさなんだよな……。こういう手法も神話派が好むやり方じゃないか……。

とはいえ、初めての子どもが生まれる、あるいは初孫が生まれる人にはお勧めしたい本ではある。

2016年10月4日

安さの裏にある犠牲に気づけ! 『ウォルマートに呑みこまれる世界』


日本ではあまり有名ではない(?)ウォルマート。アメリカでは系列店を4000店舗以上も展開し、あらゆる業種を含めてアメリカ一の売上高を誇る企業である。ちなみに日本では431店舗(平成28年10月3日時点)もあるが、田舎暮らしの俺は一店舗も知らない。

さて、そのウォルマート、とにかく安さ重視。本書冒頭の逸話が面白かった。かつてアメリカでは、制汗剤が箱に入れて売られていたが、ウォルマートが製造業者に「箱なし」で作るよう注文をつけた。どうせ箱はすぐに捨てられるし、そもそも購入者は必要としないだろうと考えたからだ。箱を作らないぶん、製造コストは下がる。その浮いた利益の半分は製造業者がもらい、残り半分をウォルマートがとる、のではなく顧客が受ける。つまり安くなる、ということ。

これはすごく納得のいく話であり、かつウォルマートが「顧客のための値下げ」に真摯であることの証明のように見える。しかし、それから時代は進み、ウォルマートはアメリカ一の大企業になった今でも値下げを追求している。それは製造業への締めつけにつながり、悪影響はそこで働く人たちの生活に及んでいる。特に海外、発展途上国の工場は職場環境が悪いことが多く、低賃金で、国によっては児童労働さえも行なわれていることがある。

こういうことを知ると、日本はどうなのだろうかと考える。100円均一、子ども服の西松屋やバースデイ、その他の安い商品は、どこの国のどんな環境のもとで、どういう人たちが働いて作ったものなのだろう。誰かが搾取されているのだろうか。それとも、そんなことは心配のしすぎで、みんながハッピーなWIN-WINの関係なのだろうか(とてもそうとは思えないが)。

誰かが泣きながら作った食材を、我が子に食べさせたいとは思えない。誰かが悔しさを噛みしめながら縫った洋服を、我が子に着せたいとは思えない。先進国に生きる我々は、自分たちが購入する安い商品が、どこでどう作られているのかに少しだけでも注意を向けるべきなのだろう。

翻訳は非常に読みやすかったし、ウォルマートの野心的な活動・発展ぶりにも興味がもてたし、また安さの裏に何があるのかを改めて考えるキッカケにもなった。以前に読んだ『ファストフードが世界を食いつくす』もテーマは同じだ。両方ともすごく良い本でオススメ。

2016年10月3日

プロ野球「ドラフト1位」という人生の“その後” 『第一回選択希望選手 選ばれし男たちの軌跡』


いわゆる「ドラフト1位」の人たちが、その後どのような人生を送ったのかを追いかけたルポ。全部で6人の生き様を描いてあるが、そのうち一人も知らなかった。それもそのはず、そもそもプロ野球チームの名前をすべて把握していないくらいのプロ野球音痴なのだ。それでも面白いと思えるのは、「実在する人の生きかた」を知るのが好きだから。

一応、今回のルポに登場してきた選手の名前を羅列しておく。松岡功祐、荒川堯(アラカワタカシ。この人は別の本でも扱われていて、あまりに衝撃的だったので覚えていた)、木田勇、森山良二、富岡久貴、田中一徳。

野球そのものの話は添え物程度で、メインは生き様や考え方なので、野球ファンでなくても楽しめると思う。

2016年9月29日

ヒーローとはなにか? スーパーマンを演じたクリストファー・リーヴによる自伝的エッセイ 『あなたは生きているだけで意味がある』


映画『スーパーマン』で主役を演じたクリストファー・リーヴは、1995年の落馬事故で脊髄を損傷してしまう。この時、リーヴは43歳前後。今の俺とほとんど変わらない年齢だ。

本書はリーブによる自伝的エッセイである。障害を負ってからの悩み、葛藤、怒り、失望、喜び、希望といった話が綴られている。

本文中には書かれていないが、リーヴは『スーパーマン』の撮影中に「ヒーローとはなにか?」というインタビューを受け、「先のことを考えずに勇気ある行動をとる人のこと」と答えていた。そんな彼が、事故後に同じ質問を受けた際に導き出した回答が胸を打つ。

ヒーローとはなにか?

「どんな障害にあっても努力を惜しまず、耐え抜く強さを身につけていったごく普通の人」

2016年9月27日

麻疹、デング、エボラなど、感染症アウトブレイクや、その予防・監視についてよく分かる! 『パンデミック新時代 人類の進化とウイルスの謎に迫る』

トキソプラズマという寄生性の原虫がいる。これは一部では「ゾンビ虫」と言われているらしい。トキソプラズマをテーマにしたドキュメンタリを観たことがあるが、フランスではこの原虫に感染している人が多いそうだ。そして、この原虫に感染すると性格が変わり、特に「危険なことを好むようになる」のだとか。

このトキソプラズマはネコを終宿主とする。つまり、トキソプラズマにとってネコこそが、目指すべき理想郷なわけである。ところが、トキソプラズマは人間にも家畜にも、そしてネズミにも感染する。そして、ネズミに感染した場合、ネズミはネコを怖がらなくなる。それどころか、ネコの尿のにおいに引き寄せられるようになるそうだ。これは、トキソプラズマがネズミの行動を変えていると考えられている。

そこでふと思う。そういえば、ネコを何十匹も飼うような人が時々いるが、ああいう人たちも、もしかすると……。そう、実際に「クレイジー・キャット症候群」なんて別名もあるほどネコ好きな人たちは、トキソプラズマに感染しているのではないかという説があるそうだ。感染すると、ネコの尿のにおいに鈍感になるどころか、ネズミと同じで引き寄せられるようになるらしい。


本書では、このような微生物、特にウイルスの話をメインに、感染症、アウトブレイク、パンデミックについて解説してある。

興味深かったのは、著者が関わっている感染症監視システムで、「デジタル疫学」とも呼ばれる分野の話。ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用して、感染症アウトブレイクを監視するのもその一つだ。「咳」「発熱」「痒み」などのキーワードを対象にチェックし、そういう語句がたくさん出ている場所、グループを重点的に観察することで、アウトブレイクを未然に察知しようという試みらしい。実際、グーグルの検索語句と検索者の地域などを解析したところ、かなり高い精度でインフルエンザの流行地域と一致したようだ。

記述は全体的に平易で、特に専門的で難しいという部分はなかった。これを書いている平成28年9月7日時点の日本では麻疹の流行危機が話題になっている。この機会に、一流の学者による一般向けの本書を読んでみるのはどうだろうか。

2016年9月26日

ちょっとした空き時間にもらい泣きしよう! 『もらい泣き』


冲方丁が「泣き」をテーマに連載したエッセイをまとめたもの。どれも良い話ばかりなのだが、最初の一話目があまりに良い話でインパクトがあり過ぎて、個人的にはそれを超えるようなものがなかったのが少し残念。

短いエッセイが33編もあるので、空き時間の読書に最適。

2016年9月21日

終末世界ものが“大”好きな人向け! 『ザ・ウォーカー』


デンゼル・ワシントン主演で映画化もされている小説。

核戦争後の荒廃した世界で、舞台はアメリカ。主人公イーライは「本」を持って西を目指す。この「本」というのは実は聖書で、「聖書であること」には大したネタバレ要素もないのに、ずっと「本」として記述されている。思わず、もったいぶりやがって、という気持ちになる。

全体的には大したひねりもないストーリーであるが、街の支配者であるカーネギーの言葉には痺れた。

このカーネギーは、核戦争が起こった時にはまだ少年で、今は必死こいて聖書を手に入れようとしている。実は聖書は、戦争後にすべて禁書として焼き尽くさてしまっていたのだ。その聖書について、カーネギーがこう力説する。
「あれは“ただの本”じゃない! “兵器”なんだ! (中略)まだガキのころ、親父もおふくろも、毎日、あれを読んでいた」
「あの“本”は、絶望している者、弱っている者の心を、掌握できる兵器だ。人々に活気や希望を抱かせることもできれば、恐怖で威圧することもできる。人民の心を意のままにあやつれるんだよ、あれさえあれば。その用途や効果は無限だ」
「支配の手をひろげていくには、あれがどうしても必要だ。あの“本”の言葉を説くだけで、誰もが言いなりになる。審判の日以前の指導者たちは、みんなそうしてきた。今度は、わたしの番だ」
実に鋭い指摘であり、この言葉こそ本書の核心であり、このセリフのためだけに本書があると言っても過言ではなかろう。

終末世界ものが大好きな人向け。

2016年9月20日

のどかな田舎で、主人公と木訥な人たちとが織り成す人間模様が良い! 『壱里島奇譚』


熊本の天草地方にある架空の島「壱里島」を舞台にした村おこしファンタジー。

ファンタジーの部分を妙に引っ張らず、サラッと描ききったところはさすが。こんなに早くネタばらしして大丈夫なの!? と思ったが、そのまま飽きることもなくラストまで読めた。のどかな田舎で、主人公と木訥な人たちとが織り成す人間模様が気持ちよく、また最後は少しジンときた。やはり梶尾真治にハズレなし。

2016年9月15日

爆笑の連続! 『弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー』


開成高校は超進学校で、なんと毎年200人近くが東大に進学するという。そんな開成高校の硬式野球部が、平成17年の東東京予選でベスト16まで勝ち進んだ、という話を聞いた著者の好奇心が高まり、取材することになったようだ。

読んでみると、爆笑と感心の連続で、とてもではないが電車の中などで読めるような本ではなかった。例えばこんな感じ。
--野球って危ないですね?
外野を守る3年生にさりげなく声をかけると、彼がうなずいた。
「危ないですよ」
--やっぱりそう?
「特に内野。内野は打者に近い。近いとこわいです。外野なら遠くて安心なんです」
だから彼は外野を守っているのだという。なんでも彼は球だけでなく硬い地面もこわいらしく、そのためにヘッドスライディングができないらしい。打者も地面もこわいので隅のほうの外野にたたずんでいたのである。
また、あるピッチャーへのインタビュー。
--ピッチャーに向いていたんですね。
「向いてはいないと思います。僕には向いているポジションがないんです。向き不向きで考えたら、僕には居場所がありません」
監督がポジションを決める基準はシンプルだ。
・ピッチャー 投げ方が安定している。
・内野手 そこそこ投げ方が安定している。
・外野手 それ以外。

「これだけですか?」と私が驚くと「それだけです」と青木監督。
ある練習試合で、塁に出たランナーが牽制球でアウトになりまくる。どうやらピッチャーがモーションに入るとすぐに2塁に向かって走り始めるので、すぐに牽制で刺されてしまうのだ。
「ゆっくりスタートすればいいんだ!」と青木監督が叫んでも、彼らは動きがゆっくりするだけで、スタートを切るタイミングは早いのでアウトになった。「バカ」「バカ集団」「これをバカと言わずして何と言う、バカ」と青木監督。
こうして試合が進み、ついには、
監督も誰を叱ればよいのかわからなくなっている様子で、「そう、こうやって振るんだ! イチかバチか!」と相手校の選手のスイングをほめたり、「俺だけが気合いが入っているのか!」「さあやるぞ! 俺がなんでやるぞ! って言うんだ。そのこと自体がおかしい!」と自らを責めていた。そしてピッチャーがキャッチャーからの返球をジャンプして捕ろうとし、ジャンプから着地したところで捕球したりすると、「人間としての本能がぶっ壊れている!」「普通の人間生活を送れ!」と叫んだ。
青木監督の指導がいちいち面白い。
「必要なこと、思っていることを声に出す。声をかけられたヤツはそれに反応する。野球の監督がなんでそんなことを教えなきゃいけないんだ!」
ちなみに、この青木監督自身は、開成高校出身ではないものの東京大学卒業である。

もともとは「弱くても勝てます」というタイトルが、精神科医療の「下手でも治せます」に置き換えられそうで惹かれて買ったのだが、純粋に読書として非常に楽しい時間を過ごせた。とにかく面白くてお勧めの本。

期待しすぎて肩すかし…… 『運命のボタン』


『アイ・アム・レジェンド』が衝撃的に面白かったので手を伸ばした短編集、だったのだが、うーん……。

表題作の『運命のボタン』は面白かったが、それ以外はどうだろう……。これといって目立って面白い作品はなかったかな。

2016年9月12日

ミステリではなくユーモア小説 『ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻』


優しいが頭の悪い主人公バーティはイギリスの金持ち。バーティに仕えるのが、優秀で頭のきれる執事のジーヴズ。語りはすべてバーティ視点で、ジーヴズが難問珍問をサラッと解決していくという構図は、名探偵ホームズと同じような感じ。

「事件簿」とは言うものの、ミステリのようなトリックがあるわけではなく、基本的にはユーモア小説。イギリスらしい皮肉のきいた言い回しがあるかと思えば、ドタバタコメディのような展開もあり、ちょいちょい吹き出しながら読んだ。

面白かったけれど、続編までは読まなくても良いかな。