2017年12月28日

人と交わるのが苦手な高校生は、なるべく大きな大学を選ぶほうが良い

人と交わるのが苦手という高校生。進学先について担任からは、
「小さい大学のほうが向いているのでは」
と勧められているとのこと。

俺の考えはむしろ逆。

そういう人こそ大人数のところに行くべき。ひっそりと埋もれられて気楽に生きられるのは、少人数よりも大人数の集団だ。

少人数のところだと、ちょっとしたことで目立ったり浮いたりして、それが孤立につながりかねない。いっぽう、大人数のところでは、多少のことでは目立たないし、ちょっと浮くくらいでも似たような仲間を見つけられる可能性がある。

「人と交わるのが苦手みたいだから、少人数のところが良いんじゃないかな」と勧めた先生の考えは分からなくはない。ただ、きっとこの先生は人と交わるのが苦手ではないのだ。だから、交流の苦手な人が「居心地良い」と感じる空間をうまくイメージできないのだろう。

2017年12月27日

タイトルが長いな…… 『カリスマ 人を動かす12の方法 コールドリーディング なぜ、あの人は圧倒的に人を引きつけるのか?』


非常に読みやすく面白かった。全部を実行できるとは思えなかったけれど、それでもかなりこれからの参考になるようなことが書いてあった。

精神科医は、占い師のように相手を見透かしたような言動をとらないほうが良い。何でもお見通しという雰囲気は、患者を心理的に圧迫するからだ。言われないことは分かりません、くらいでちょうど良い。だから診察室ではあまり使えなさそうだが、病棟スタッフをチームとしてまとめるのに少しでも役立てていけたら良いなと思う。

ちなみに、本書に書いてある方法のうち「ゆっくり歩く」「頷きを減らす」の二つは実践しやすいと思ったが、いざやってみようとすると身に沁みついた習慣はそう変わらない。

2017年12月26日

男泣きの連続 『炎立つ』


高橋克彦の文章はちょっと癖がある。視点の入れ替わりが多く、時どき、
「ん? これは誰の視点で、誰の言葉で、誰の気持ちなんだ?」
と戸惑うのだ。そこを堪えることができれば、中身はとにかく面白い。そして熱い。何度となく涙ぐんでしまった。

陸奥三部作と言われるもので、歴史の順序的には2番目に当たるのが本作。前作『火怨』と合わせて「人の上に立つ将たる者、どうあるべきか」ということを考えさせられた。医師は治療状況をみながら多くの看護師へ指示を出す、ある種の「将」という立場にある。いざという局面で医師が進んで矢面に立ってこそ、看護師も安心して仕事ができるものだ。これは指導医の教えでもある。
「患者が暴れたら、俺たちが一番前に出ないと、みんなついてこないよ」
精神科医療の現場での医師や看護師のあり方については、きっとそれぞれいろいろな意見があると思うが、俺はこの指導医の考え方が好きで、今後もそういう医師であり続けたいと思っている。

話が本から逸れたけれど、とにかく面白い本なので、「歴史はちょっと……」という人でも試しに読んでみて欲しい。ちなみに、俺は中学から高校まで、通知表の社会・歴史は5段階で「2」しか取ったことがないほど歴史を苦手としている。そんな俺がお勧めする歴史小説。

2017年12月22日

優れた古典として後世に残したい 『アルコーリズム』


日本におけるアルコール依存症治療の草分け的存在である「なだいなだ」による本。著者が書いているように、もともとは手探りでの「患者向け教科書」だったものだが、治療者にも「役に立つ」と評価されたもの。

原著初版は1966年。そして改訂、追記などされた1999年版で絶版となっている。初版から50年以上が経過し、開放病棟での依存症治療が常識となったいまでは、「新鮮な驚きに満ちた煌めくような名著」とまでは言えないが、日本のアルコール依存症と治療における非常に優れた古典として、後世に伝えていくべき本ではなかろうか。

2017年12月21日

古くならない精神科治療論 『精神医学の思想 医療の方法を求めて』

統合失調症の症状が悪化する最大の原因は薬を飲まないことだが、それ以外に三つの要素があるという。色、金、名誉だ。この「色」とは、異性関係、恋愛問題のことである。そして、この「悪化要素」は人によって一定しているのだとか。これは、臺弘(ウテナ ヒロシ)という精神科医の説だとなにかで読んだ。確かに、入退院を繰り返す人や、入院中に調子を崩す人を見ていると、この説はわりと当てはまっていると感じる。


臺先生の本から一部引用する。まずは精神科医の私生活について。
私の妻は私に対して「あなたのようにひとの心の分からない人によく精神科の医者がつとまりますね」といって笑う。私は「患者さんは君よりも正直だからさ」と応酬する。
これはあるある(笑)

続いて、患者にとっての家族の話題から。
家族は病気をつくるのに一役演じたとしても、病気を癒すためにも大きく働いてくれた。医者が家族の病理性だけを指摘するのは間違いで、家族こそ治療のための最も強力な協力者になりうる。
最後に、生活療法の話題より。
患者をフォークダンスの環の中に加えようとして、外から入れ入れといくら励ましても無駄な場合にも、皆が手をつないだ環の一つを開けておいて、さあいらっしゃいと内から呼び込むと、わりに抵抗なく環に加わることができるものである。
これは集団の場の力が人に与える力の最も簡単な例であろう。
1972年発刊の本だが、現在にも通じる治療論だ。精神科医が一読する価値は大いにある。

2017年12月20日

見つめる鍋は煮えない 『思考の整理学』

「先生、うつの薬はいつごろ効いてきますか?」

「だいたい忘れたころに」

「ははぁ」

「水を沸かすとき、じっと見ててもなかなか沸かないでしょ? でも放っとけば、いつのまにか煮たってますね。あんな感じです」

「今日か明日かと思っているうちは、まだまだなんですね(笑)」

20歳のころ読んだ『思考の整理学』という本に「見つめる鍋は煮えない」というフレーズがあった。ある日の診療中にふと思い出して説明すると、その人にはよく通じた。

2017年12月19日

相手の表情を読むのが苦手な人について

放射線画像を「読む」には大まかな作法がある。その作法に則れば見落としがない、というわけではなく、知識や経験が大切で、何より「最低限のセンス」が必要である。このセンスは、一部の医師だけが持つものでなく、「一部の医師だけが持たない」ものである。

この「最低限のセンス」を持たない人は、おそらく絵も苦手だ。医学部の組織学や病理学でのスケッチも下手。病理スライドを見ても、どれも同じに見えてしまう。こういう人は、皮疹の鑑別も上手くできないだろう。

これは実は俺のことだ。俺も「最低限のセンスを持たない」うちの一人で、理論がしっかりしているはずの心電図も不得手。脳波はかろうじて「極端な異常」なら拾えるレベル。こうした視覚系の検査に比べて、血液生化学検査は数値がはっきり出てくるので、地道に追えば確実に読める。だから、好きだ。

ところで、相手の表情を読めない人というのは、きっと俺が放射線画像や病理スライドを前にした時のような感覚になるのだろう。体系的に読む作法を身につけ、知識や経験を積み、多少は読みとれるようになったとしても、「最低限のセンス」の欠如のせいで、他の多くの人のようにきちんと読みとれているとは言い難い。

すべてを完璧にできる医師はいない。だからこそ、医療は各科・各医師がカバーしあうことで成り立っている。同様に、すべてを完璧にできる人はいない。互いにカバーしあうのが大切なのは、社会でも家庭でも、どこに行っても同じである。

画像が苦手な俺でもきちんと追える数字で見える血液検査を、もっと勉強したいと思って購入。すごく良い本だった。

2017年12月18日

医師には物足りず、素人には少し難しい。これは誰が読むべき? 『脳と神経内科』


面白くはあったけれど、医学の勉強を叩き込まれた医師が読むぶんには少し物足りない。とはいえ、まったくの医学素人にはちょっと難しいかもしれない。

では、どういう人に向いているのか。

ずばり、医療系学生。

今まさに基礎医学や臨床医学を勉強している人にとっては、学んでいることが病気や治療とどう結びつくのかが見えてきて、本も楽しく読めるし、勉強そのものも楽しくなるはずだ。ただし、発行年が1996年とやや古く、当然ながらこの20年間で分かったことは記載されていないし、名称が変わった病気(痴呆)などが古いままなので、そのあたりはきちんと分かったうえで読むべし。

2017年12月15日

ヤンデル先生の白熱臨床(?)哲学教室 『症状を知り、病気を探る 病理医ヤンデル先生が「わかりやすく」語る』


自分や家族の病名をググったことはないだろうか。医学部でやる「病気の勉強」はこれに近い。A病にはaという症状があり、B病にはbという症状がある、といったことを覚えるのだ。

病名ではなく、「腹痛、発疹」「頭痛、目まい、右に傾く」など、気になる症状を並べてググり、出てきた病気から当てはまりそうなものに目を通す。これも経験ある人は多いだろう。臨床医が診察しながらやっていることはもう少し複雑だが、おおむねこれに近い。

本書では前者と後者をつなぐ「症状」に着目し、その症状が「なぜ起こるか」を解説し、そこから病気を「探る」ことを目指している。より正確に言えば、「探る姿勢」を身につけることを目標にしている。決して病気を「教える」「知る」を目的とはしていない。

本書のメインテーマである症状の説明は非常に「わかりやすい」。ただ、医学部で基礎から学んだ臨床医の端くれとしては、特に目新しいことはなかった。もともと看護「学生」を対象としたものなので、当然と言えば当然である。

素晴らしいのは、ヤンデル先生の臨床(?)哲学だ。ヤンデル先生は病理医だが、
「あれ? ヤンデル先生って臨床医でもあるんだっけ?」
そんな錯覚すら抱くほどに「臨床で大切な感性」が繰り返し語られている。常日ごろから「言葉にすることが大切」と思っているだけに、ヤンデル先生の「わかりやすい」言語化には頭が下がる。

たとえばこんな感じ。
患者さんは、虫垂炎という病気ですよと「診断される」ために病院に来ているわけではない、ということです。患者さんは、自分の痛みを取ってほしい、苦しさから解放してほしいと思って、病院に来ているのですから。
痛みに苦しむ患者さんが一番最初に受けるべき治療は、医療者が患者の苦しみおしっかり受け止めるぞ、という姿勢を見せることです。
患者さん自身の診断を、素人考えだといって却下してしまってよいのか。そうではありませんよね。
患者さん自身がどう思っているのか、どいうのは、多くのヒントを含んでいる、とても大切な情報なのでしたね。
患者さんが最初に口にする、「気になること、自分の痛みを自分で解釈してしゃべること」にはある程度の真実が必ず含まれています。ですから、まずは傾聴することです。(中略)
傾聴してから、聞き出す。非常に大切です。繰り返しになりますが、最初から質問攻めにしてはいけません。
症状や徴候について。
これらはいずれも診断の一助となります。ただ、診断を決めるためだけでなく、患者さんをくまなく、優しく支える目線の一環としてアセスメントを進めることが大切です。
症状というのはそのまま「患者さんのつらさ」である。
多忙な診療や看護でついつい置き去りにされてしまう大切なことを、こうやって改めて確認することは、自らの診療・看護の鮮度を保つうえでとても意義のあることだろう。そういう意味で、すでに症状の病態について充分に理解しているベテラン医療者でも、一読の価値がある本だと言える。

ちなみに、ヤンデル先生はツイッターでの情報発信もされている(情報以外のことが多いが)。

ヤンデル先生のツイッターアカウントはこちら @Dr_yandel

2017年12月14日

精神科医が「みている」もの

診察室では、患者の言葉以外も観察する。外見や仕草はもちろんのこと、ニオイも観察材料である。

ある女性を診察していて、どこかで嗅いだことのある臭い(正直、強い悪臭)だと思ったら、実は別の男性患者と姉弟で、一緒に住んでいるとのことだった。なるほど、同じ臭いになるはずだ。

別のある日、診察室でガムを噛んでいる人がいた。数回の離婚歴あり。仕事は長続きせず転々としており、いずれも「職場の人間関係」が理由で辞めている。この人のカルテには、
「診察中、ガムを噛んでいる」
と記載した。この一文と生活歴を合わせて、読む人ば読めば、多くのことが伝わるだろう。

また、当院の診察室のドアはスライド式になっており、そのドアを閉めないままに着席して喋り出す人がいる。これだと待合室から丸見え、丸聞こえなのだが、それを気にする素振りもない。こういう様子もまた大切な所見であり、
「ドアを閉めず、いきなり話し始める」
といったことをカルテに記載する。

精神科医は、耳だけでなく目も鼻も用いて「みている」。

2017年12月13日

正常な反応としての不安や不眠 神田橋先生の『精神科講義』より

統合失調症の人に限らず、薬はなるべく少ないに越したことはない。ただ、薬で治療して良くなったから、それでは少しずつ薬を減らしましょうとなると、ちょっとしたことで不安になったり動揺したりする。
「だから薬は減らさないで欲しい」
という患者は多い。むしろ薬を追加するよう求められることもある。

あるとき、
「親と大ゲンカして、イライラしたり眠れなくなったりする」
という人がいて、その不眠やイライラを鎮めるための薬が欲しいと言われた。はいそうですか、と薬を追加するようなことはあまりしたくない。それよりは、
「親とケンカして、イライラするのは当然だし、それで眠れなくなるのも不思議ではない」
ということを伝え、どうしてケンカになるのか、どうやったらケンカせずに済みそうか、そういったことを話し合いたい。

こうして今までやってきたことを後押ししてくれるような文章に出会った。
ひとりで生活できるようになると、どういうことが起こるかというと、周りのいろんな出来事に対して不安になってきます。動揺したり、迷ったりするわね。それをよく見て、周りの起こっている出来事とその人の不安がちゃんとつながっていたら、これは正常です。生きているということだね。
「そんなときはこうしたらいいかもね、ああしたらいいかもね」
と、コーピングを教えてあげれば、どんどん生活のレベルが上がります。
薬がたくさん入っていると、そういう周りの出来事に対して起こってくる些細な心の揺れとか、ご飯が食べられなくなったり、眠れなくなったりすることが一切起こらない。もう死んだように平穏だ。そして毎日「変わりません。よく眠れています」。そりゃ平穏でいいけどね。
不安になったからこそ嬉しいこともある、生きているわけだから。統合失調症の人がただ静かに日が暮らせるようにすればいい、ということじゃないんだ。

2017年12月12日

「中国」と中華人民共和国は別もの!? 『和僑 農民、やくざ、風俗嬢。中国の夕闇に住む日本人』


中国で活躍・暗躍する日本人たちを追いかけたルポ。

取り上げられるのは、いずれも一癖か二癖ある人たちで、そのパワー、エネルギー、バイタリティいったものに気圧される。こうして注目を集める「成功した日本人」がいるいっぽうで、その陰に、彼らの何百倍以上にのぼる「沈澱した日本人」がいることにも本書では触れてある。

こうした日本人を通じて、著者は「中国」というものに迫っていく。そして、混沌とした土地「中国」と、国としての「中華人民共和国」とは別ものであると指摘する。さらに、共産党による独裁政権で運営される「中華人民共和国」が、「混沌の地・中国」の統治には有効どころか、むしろ必要不可欠なのではないかという結論に至る。

とても面白くてあっという間に読み終えてしまった。

2017年12月8日

痛みが妄想を引き起こすとき

「痛み」というのは客観的な評価ができず、本人にしか分からない悩ましいものである。その痛みが、妄想を引き起こすことがある。たえばこんな感じ。

「頭が痛い、治らない、なぜだ……、なぜだなぜだなぜだなぜだ……。!!そうか!! 宇宙人が頭に機械を埋め込んだんだ! なに? 宇宙人じゃない? だったら誰だ? CIAか。さもなければ……、あっ! この前うちに来た宅配屋か! そういえば手に何か機械を持っていたが、あれがスイッチか……」

こういう「身体的な痛みと、それにまつわる妄想」を抱く人に出会ったときには、まず「痛みそのものは本物だ」と考え、痛みへの配慮を示すことだ。
「とても痛そうだけど、大丈夫?」
これくらいシンプルで良い。妄想についての話は、ずっとずっと後まわしでかまわない。

診察室で患者に、
「痛そうだけど、大丈夫ですか?」
と声かけすると、付き添いの家族などが、
「いやいや先生、これは妄想ですから」
などと口を挟むことがある。患者に向かって
「あんたも変なことばかり言わず、ちゃんと先生に治してもらいなさい!」
みたいなことを言う人もいる……。

こういうケースをみると、もしかすると、本当にある原因不明の「痛み」について周囲の理解や同情が得られず、その辛さが妄想を引き起こしたのではなかろうか、なんて考えることがある。



痛みにまつわる良質な臨床ノンフィクション 『この痛みから解放されたい ペインクリニックの現場から』

2017年12月7日

格式高い教科書には盛り込みにくいが、現場ではとっても気になっていることについて、現場の人たちへやさしく語りかけるような名著 『精神科看護のための50か条』


精神科の入院治療においては、治療と看護は密接につながっている。いや、「つながっている」というより「一体化している」というほうが正確だろう。いかに名医が素晴らしい薬を処方しても、良い看護なくして充分な治療効果は発揮し得ない。その逆に、凡医による平凡な処方でも、看護次第で目覚ましい結果を得ることも可能である。

つまり、精神科医が精神科看護について勉強すれば、それは「治療を学ぶ」のに等しいということだ。そういうわけで、看護師向けの精神科書籍も過去に数冊読んでいる。中でも中井久夫先生の『看護のための精神医学』は非常に優れている。また、師長に紹介された精神科看護の雑誌連載も面白そうだったが、今のところ手がまわりそうにない。

他職種の業務を勉強するという点では、看護師が医師の仕事を学ぶより、医師が看護師の仕事を学ぶほうが得るものが大きいのではなかろうか。そういう意味で、医師のほうが、勉強することにお得感がある。

本書では、精神科看護のためのポイントを50ヶ条に分けて、読みやすく、分かりやすく、そして頭と心に響くように語ってある。すべてを引用はできないが、各タイトルをいくつか引用。

・ 申し送りについて
・ 何はなくともケース・カンファレンス
・ 違いのわかる看護師と同じのわかる看護師
・ 記録について
・ 夜勤について
・ 家族面会について
・ 病棟規則について
・ 事故について
・ コトバにするコミュニケーションを過信しないこと
・ 沈黙について
・ 常識の大切さ
・ お小遣いなど
・ 外泊について

このような、「格式高い教科書には盛り込みにくいが、現場ではとっても気になっていること」について、やさしく語りかけるように記述されているので、読み手のこころに届きやすい。

『精神保健と福祉のための50か条』とともに、素晴らしい本である。

2017年12月5日

淡々とした描写とは裏腹に、感情がグッと引き寄せられる短編集 『罪悪』


前著『犯罪』でファンになったドイツの小説家シーラッハによる短編集。彼は弁護士でもあり、本書も『犯罪』と同じく、すべて刑事事件がらみの話である。

第一話は17歳の女性が親父たちから集団強姦された事件についてだが、被害の様子や供述などが淡々と記述される。感傷を廃した描写とは対照的に、読み手の感情はグッと引き寄せられていく。まるで精神科のケースレポートを読んでいるようだ。

本棚に飾るのにも見映えが良いので、手もとに残しておく。

2017年12月1日

痛みにまつわる良質な臨床ノンフィクション 『この痛みから解放されたい ペインクリニックの現場から』


痛みを伴う疾患や疼痛メカニズム、疼痛管理や治療の歴史など多岐にわたって、患者エピソードを交えながら語られる良質の臨床ノンフィクションである。

実臨床で即戦力となる薬の使いかたや疼痛コントロールについて書かれているわけではないので、そういうものを期待している人には不向きだろう。オリヴァー・サックスの著書や『病の皇帝ガン』といった医療系ノンフィクションを読むのが好きな人なら、本書も楽しみながら読めるはず。

原因不明な痛みの治療を求められることもある精神科医としては、ここに書かれていることが今後なんらかの参考になる日が来るかもしれない。ゆっくりと脳内発酵を待とう。

参考までに各章で扱われている疾患やテーマを挙げておく。

片頭痛
幻肢痛
三叉神経痛
椎間板ヘルニア
出産
慢性関節リウマチ
手根管症候群
心臓発作
感覚欠如
麻酔
詐病
末期がん
疼痛管理