2017年6月30日

原因や病名を教えたからといって、それで患者が安心するわけではない

「夜中にドーンともの凄い大きな音がしたんです。 驚いて飛び起きたら、コタツはひっくり返され、障子は外されてそこかしこに倒れていて、花瓶もひっくり返って水がこぼれていました。もう怖くて恐くて……、布団に潜り込んで寝ました。朝、目が覚めたら、全部が元通りに戻っていたんですよ」

もし、高齢者からこんな話を聞いたら、あなたはどう答えるだろう? 

幻覚の原因はいろいろ考えられる。統合失調症、夜間せん妄、レビー小体病、その他たくさん。

仮にこの人にレビー小体病という診断をつけるとする。診断はそれでまぁ良い。しかし、病名が分かったとして、それをこの人に説明して何になる? 
「レビー小体病というのがあってね、幻視……、えっと、ないものが見えるのね。それで、その病気の人は元気な時には認知症もないんだけど、悪い時には……」
なんてことを説明されて、この人は自分の恐ろしい体験に納得するだろうか。

こういう訴えをする高齢者の多くは、病気の原因を知りたいわけではない。そもそも、病名にあまり興味がないことさえある。ただただ、安心して眠りたい、それだけ。そういう人に、それは幻覚ですよ、現実じゃないんですよ、と言って効果があるか疑問だが、確かにそれは一つの方法ではある。俺は精神科医だから薬は処方するし、これも一つの方法。病気による幻覚だと教えたり、薬を処方したりする他にも、いろいろ安心させる方法はある。例えば家族だったら、一緒に寝てあげるとか。

こういうものは答えがあるわけではないので、お互いのキャラ、相性などを考えてやってみるしかない。正解も不正解もないかわりに、見渡せばヒントは無限大にある。

最後に、俺がある高齢者にかけた言葉で締めくくる。

「それって、狐か狸に化かされてるのかもしれませんね……、大変ですね」

ただの冗談ではなく、診察室でやり取りするうちに、この人にはこういう言葉も有効だろうと感じたうえでの言葉かけだ。患者はなんだか嬉しそうにウンウンと頷いて笑った。付き添った家族も「そうそう」とほほ笑んだ。「狐狸に化かされているのかも」と答えることで、「その体験の原因は分からないけれど、あなたの言うことは事実として受け取っています」というメッセージを送り、さらに「大変ですね」という声かけで彼女の不安な気持ちに寄り添う。

日ごろやる小精神療法は、だいたいこんなものである。

2017年6月29日

プロ野球2番打者の技巧や心意気に感銘を受ける 『2番打者論』


プロ野球ファンではない人のうち、野球関係の本を読んだ数はきっと俺が日本一だろう。甲子園もプロ野球も観ないし、自ら野球をやるわけでもないのに、どうしてこうも野球の本に魅かれてしまうのか。それはきっと、野球にまつわるあれこれが「人生」や「精神科治療」に通じる部分が多いからだろう。ペナントレース、それぞれの試合、打順やポジションでの役割、個々の選手の生きかたや考えかた等々、野球の本を読むと人生についても治療についても多くのヒントが手に入る。

今回は「2番打者」にポイントを絞ったノンフィクション。プロ野球についてはほぼ無知なので、出てくる選手は知らない人ばかりだ。井端弘和、川相昌弘、新井宏昌、栗山巧、上田利治、箕田浩二、小笠原道大、豊田泰光、田中浩泰、本多雄一、田口壮。改めてこうして並べてみても、知っている名前は皆無である。かろうじて川相の名前を聞いたことがあるくらいか。そんな俺でも楽しく読めるのだから、野球関係のノンフィクションは不思議なものである。

2017年6月28日

市川海老蔵さんが「ブログ更新しすぎ」と批判されるのはおかしい。現代の服喪として「喪ログ」「喪イッター」はもっと認知・受容されるべきである!

市川海老蔵、ブログ“更新しすぎ”批判の声に「許してください」

ブログやツイッターによる「喪ログ」「喪イッター」(俺造語)は、現代における服喪の一つとして認められるべき、実に意義のあるものだ。

最愛の祖父や敬愛する放射線科医長が他界した際には、あれこれと文章を書いた。書くことで気持ちが整理され、思い出が文章として刻まれ、数年たって読み返したときにも「書いて良かった」と思える。

辛いときだからこそ、書いて送信して、書いて送信して、コメントもらって慰められて、癒されて、安心して、でも、ふと気を抜くとやっぱり寂しくなって、切なくなって、つらくなって、また書いて送信して、書いて送信して……。

この行為の、どこに責められるべき部分があるというのか。

2017年6月26日

名人・米長邦雄による人生の勝負指南 『人間における勝負の研究』


名人棋士・米長邦雄による勝負をテーマとしたエッセイ。エッセイにありがちな「何かの雑誌の連載をまとめた」というものではなく、おそらく書き下ろしで、だから一気に読んでも疲れなかった。短文をまとめたエッセイは、まとめて読むと疲れるものである。

読んでいて、ナルホドと思うことも多々あった。精神科医療にも通じると感じる部分もあった。

たとえばプロ棋士は、決して全部の手を読んでいるわけではなく、読まない手、つまり捨てる手の判断が迅速かつ適切なので、読むべき手に時間と集中力をかけられる、という話。あるいは、「カンは、努力・知識・体験のエキス」であるという話。こうしたことは、将棋でも精神科の診察室でも、それから日常生活でも同じことが言えるのではないだろうか。

米長棋士の語る「女性のありかた」については、きっと多々批難されそうではあったが、それもまぁご愛嬌というところ。著者の兄は三人とも東大卒業ということで、きっと地頭が良いのだろう。文章は読みやすく、感心させられるものだった。

2017年6月23日

てんかん、気分障害で用いるバルプロ酸(デパケン、セレニカ等)を内服中の女性にとって大切なこと

てんかんや躁うつ病の治療のためバルプロ酸(デパケン、セレニカ等)を内服している妊娠可能な女性は、児の神経管欠損を防ぐため「少なくとも受胎1ヶ月前」から葉酸を「1日5mg」摂取する必要がある。5mgとは、つまり5000μgであるが、市販のサプリは1日量で400μg。必要量の10分の1もとれないのだ。内服している女性や家族は「必ず」主治医に確認して処方してもらおう。

また、医師においては、バルプロ酸を自分が処方しているわけでなくても、妊娠可能な女性で内服している人を見つけたら、葉酸が処方されているかを確認すべきである。そして万が一にも葉酸の未処方例を見つけたら、処方医に指摘するか、自ら葉酸を処方するかしよう。これは、非常に簡便かつ効率的な「予防医療」である。決して「市販の葉酸サプリを飲んでおきましょう」なんて指導をしないように。

これはあくまでも「バルプロ酸内服中」の女性の場合であって、バルプロ酸を飲んでいない人が葉酸を1日5mgも飲むのは過剰摂取になるので注意。

2017年6月22日

ERの原作にもなったマイケル・クライトンの医療ノンフィクション 『五人のカルテ』


医学生時代、なけなしの金でアメリカのテレビドラマ『ER』のDVDを購入し、何度も繰り返し観た。最初は日本語の吹き替えで、2回目からは英語音声、日本語字幕。何回か繰り返して、今度は英語音声だけにした。そうこうするうちに、医療現場での定番英語ならなんとか聞き取れるようになった(いまはもうダメ)。

当時、原作があると知って本書を読んだ記憶があるが、あまり面白さが分からず投げ出した。今回、15年ぶりくらいに読んでみると、学生時代にはピンとこなかった話でも、現場を多少は知っているからか身近に感じられて、最後まで飽きずに読むことができた。

1970年に書かれたものなので、医療行為の中身はちょっと古い。また、いまのアメリカとでは社会背景もだいぶ違っている。ただ、医療には時代を問わず通底するものがあるので、古文書を読んでいるような気分にはならない。

改めて、『ER』を観たくなった。

2017年6月21日

感動なんてない。ただひたすらの悲哀、憤り、虚無 『津波の墓標』


『遺体 震災、津波の果てに』では、東日本大震災後における遺体安置所でのエピソードを中心に描いてあった。本書では、筆者が当時取材したが文章化していなかったものを記録してある。

中身は、暗澹とした気持ちになるような話ばかりだ。

木の枝にぶら下がっている母親の遺体を見上げる男の子。魚に食べられた遺体を見て以来、魚を食べられなくなった小学生。派遣された自衛隊隊員をアイドルのように感じる若い女性被災者たちと、もてはやされる隊員たちに苛立ちを感じる若い男性被災者たち。どこそこに幽霊が出たと聞くと、自分の家族の霊かもしれないと思って一斉に駆けつける人たち。ピースサインで写真を撮るボランティア、彼らに憤然とする被災者。若い女性ボランティアの体を触るなど理不尽な行為におよぶ被災者。被災地に残る夫、去っていく妻。

マスコミで取り上げられる感動的な復興エピソードの裏には何十万もの悲哀があり、同じだけの憤り、虚無があり、そしてギスギスドロドロとした人間模様がある。そうしたことが赤裸々に語られる。涙よりも、ため息を呼ぶ、そんな本である。

2017年6月20日

「子どもを殺してください」 精神科医ならたいてい一度は言われたことがある…… 『「子供を殺してください」という親たち』


ショッキングなタイトルではある。しかし、実際にこれと似たようなことを言われたことのある精神科医は多いのではなかろうか。

「副作用で死んでも良いから、落ち着くよう大量の薬を出して欲しい」
「楽に死なせるような薬はないですか」
「いっそ死んでくれたら良いのに」

発言者は両親であったり、兄弟姉妹であったりする。本人の前で吐き捨てるように言うこともあれば、主治医と二人きりになった時にボソッと呟くこともある。いずれにしても、たいてい半分は冗談である。しかし、つまり、半分は本気だ。

本書は民間の「精神障害者移送サービス」を経営する押川剛によるノンフィクションだ。およそ半分を割いて7つのケースについて紹介・描写してある。いずれも精神科従事者にとっては珍しくない光景だが、一般の人からすればショッキングな部分もあるだろう。あるいは身近に同様の患者がいる家族なら、「分かる……」と頷いたり、場合によってはこの会社の連絡先を調べたりするかもしれない。

それぞれ極端な例であるため、「精神科患者は危険だというレッテル貼りにつながる」といった批判も浴びているようだ。しかし、「精神科の病気は真面目で良い人がなる」というのも、逆の意味での間違ったレッテルではなかろうか。「真面目な人がなる」というのは耳に心地良いが、実際には誰もがなりうるもので、不真面目な人も、人格に大問題のある人でも、精神科の病気になる可能性はある。だから、本書で紹介されるケースは極端ではあっても、現実の一部であると認めなければならない。

本書の後半では、著者が精神保健福祉に対する思いを語っている。賛否両論とまではいかなくとも、読む人の立場によって賛同したり納得できなかったりする部分があるだろう。

批判も受けている本だが、精神保健医療・行政に少しでも関心を持ってもらえるなら、それなりの存在意義はあるはずだ。また、こういう人たちが家族を支えないといけない状況には、精神保健医療・行政に少なからぬ責任があるはずだ。互いに批難しあっていても進歩はない。患者も家族も救われない。うまく利用しあえる日が来ると良いのだが……。


※本を読むのが苦手という人にはマンガもあるので、試しにどうぞ。こちらもやはり批判は多いけれど。
「子供を殺してください」という親たち

2017年6月9日

もっと早くに読んでおくべきだったと反省 『モーズレイ処方ガイドライン 第12版』


存在自体はずっと前から知っていたが、大塚製薬のMRさんが薬の説明会でやたらと引用するので、逆にちょっと引いてしまいスルーしてきた。しかし、ツイッター上で精神科医の諸先輩がたが本書を推されていたので、やはり一読しておくべきかと思い直した。

購入して読み進めるうちに、これまで手を出さなかったことを後悔および反省。やはり推薦されるだけの内容だった。抗精神病薬エビリファイが随所でとりあげられており、大塚製薬MRさんのモーズレイ引用が多いのも、大塚製薬がガイドラインの翻訳版権を取得してホームページで無料公開するのも、ともに納得だった。エビリファイは大塚製薬が開発したのだ。

ただ、パートによって翻訳レベルの変動が激しく、認知症の治療薬のところは、英語が苦手とか、日本語が下手とかいう問題ではなく、そもそもその薬を使ったことのない人が何も知らずに翻訳しただろうと思われるようなヒドイ部分があった。学生が翻訳したのかもしれないが、それが言い訳になるはずがない。すべて監訳者の責任である。

上巻では統合失調症、双極性障害(躁うつ病)、うつと不安が収載され、翻訳もわりと安定していた(誤字が多いのには辟易したが)。これら主疾患を担当することが多い一年目の精神科医が通読しておいて絶対に損はないと感じた。また5年目、10年目の医師が通読すれば、それまでの経験と照らし合わせて、安心したり反省したりするだろうし、それが将来の治療向上につながるはずだ。

一部のヒドイ翻訳のせいで絶賛はできないが、良いガイドラインではある。


※上記したように、大塚製薬のホームページで登録すれば、無料でPDFを閲覧できる。ただし、誰でも登録できるわけではない。細かい手続きは忘れたが、本当に医師であることが確認できる人しか登録できないようなシステムだった。

2017年6月8日

引退した選手たちの第二の人生が、野球を軸にして再び交錯する 『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』


本書に登場する選手たちのうち、知っている名前は前田幸長だけ。しかも、選手としてではなく、ラジオ実況の解説者としてだ。それ以外は知らない人たちばかりだが、それでも充分に面白かった。ちなみに、前田を除いて、主として取り上げられる選手は、入来祐作、福井敬治、小野剛。

「ジャイアンツにいた入来と福井はそこそこ有名じゃないの!?」
と思う人がいるかもしれないが、それくらい俺がプロ野球選手に無知ということ。そして、そんな俺でも面白いと感じられるのだから良書である。

2017年6月7日

こんな看護師は100%嫌われる チーム医療を円滑にするための医師とのコミュニケーション術


タイトルに興味をひかれて買ってみた。

著者は医師なので「あるあるw」という感じで読めた。薄い本で文字もそう多くないので、あっという間に読み終える。

内容は主に電話のやりとりについてだったかな。院内PHS、あるいはオンコールでスマホに電話がかかってくる場合、医師はどんなトラブル報告かと身構える。ダラダラーっと状況報告をされて、緊張感を保って聴き続けた挙げ句、「患者さんは、いまはニコニコされていてバイタル安定しています。経過観察で良いですか?」なんて質問された日には「オイッ!」と突っ込みたくもなる。だから、真っ先に緊急度や重症度を伝えるなど、少しだけ工夫してもらえたら医師としても嬉しいなぁ、という話。

「こんな医師は嫌われる」というパートもあり、ここは他職種の人が読むと「いるいる、こういうダメ医師」と感じるだろう。同じ医師としても「いるよなぁ、たとえばアイツ……」なんて頭に思い浮かぶ。他山の石としなければいけない。

中身に比べて「100%嫌われる」というタイトルは、いささか釣り針が大きすぎる気がした。なんて書きつつ、自分自身そんな釣り針に引っかかったのだから、売り上げを伸ばす良いタイトルでもある。

2017年6月6日

アメリカの精神科病棟を舞台に繰り広げられる人間ドラマ 『精神病棟』


救急を専門として9年間勤務した38歳のシーガー医師は、燃え尽き症候群のようになって精神科医へ転科する。その直後の1年間を描いたノンフィクションである、たぶん。

「たぶん」というのは、いくらアメリカだからってちょっと信じられないな……、というようなエピソードもいくつかあるからだ。しかし、1988年(いまから30年近くも前だ)のアメリカということを考えれば、これくらいのことはあり得るのかもしれない。

いくらかの脚色は混じっているだろうが、それでも充分に面白い本だった。短いエピソードが少しずつ重なり合いながら、シーガー医師が精神科医として一年ぶん成長していく様子を描いた長編小説のような趣きもある。

思わず鳥肌の立つ感動的なエピソードもあったが、それはネタバレになるので書きにくい(とはいえ本書は絶版だし、読む人も少ないだろうけれど……)。

指導医マーカム先生の言葉が印象に残ったので記しておく。
「精神病患者はみな、正気の核とでもいうべきものを持っている。どんなに小さくても、いかに深く埋もれていても、必ずそれはある。自分の中にそれがあることに気づかない患者もいる。その核を見つけ出し、それを育てていくのが私たち精神科医の仕事だ。つぼみをつけた草花に水をやるようにして、それを大きくしていく。それが患者に対して私たちができる、一番大切なことだ」
アシュウィン医師が急に不安そうな顔をした。そして、私と同じ疑問を口にした。
「では薬物療法はどんな役に立つのでしょう? これまで私たちが学んできたことには、意味があるのですか?」
(中略)
「もちろん薬物療法は大切だ。(中略)だが同じように大事なのは、精神病にとって薬が全てではないと知ることだ。糖尿病にとってインシュリンが全てではないのと同じにね」
(中略)
「薬は精神療法をする上での障害を取り除く」と、マーカム医師は続けた。「同時に精神療法は、薬物療法に対する障害を除く。この二つは互いに補完しあっているもので、片方だけではなりたたないのだ」彼は笑い声をあげた。「自分の経験からも言えることだが、薬について学ぶほうが、精神療法のやり方を学ぶよりずっとやさしいね」
こんな良い本が絶版になっているのはもったいないし、この先生の本が他に見当たらないのも残念だ。

2017年6月5日

まるで小説のような医療ノンフィクション 『外科医』


著者が外科医として独り立ちしたあと、最初の一年間を描いたノンフィクションである。原著は1986年ころに出版されているようで、本書の前書きからすると、おそらく1970年前後の話だろう。

本書の舞台は、シカゴのスラムのど真ん中にある総合病院。登場する外科医の仕事はまだ現在ほど細分化されておらず、かなりオールラウンドに活躍している。いまなら整形外科や泌尿器科が扱うような手術でも、外科が担当して行なっていたようだ。

非常に読みやすく、また医療専門用語はほとんど出ないか、出ても分かりやすく説明してあるので、一般の人が読んでも面白いだろうと思う。絶版なのはもったいない。

「障害は不便だが、決して不幸ではない」 それって本当!? 『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』


一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる。
文中で二度出てきた、印象的な言葉である。

本書は、単身生活をする重度の筋ジストロフィー患者・鹿野靖明と、彼を支え続けるボランティアたちとを追いかけたノンフィクション。「支え続けるボランティア」とは書いたが、実際には多くのボランティアが入れ替わり立ち替わりしている。卒業や就職でボランティアを続けられなくなった人、鹿野から「もう来るな!」と拒絶された人、自ら立ち去った人。そんな彼らの悲喜こもごもを、これがデビュー作とは思えないような筆力で描いている。ついでに言えば、ノンフィクション作家・森達也を彷彿とさせるようなウジウジ感も良い。

タイトルは、鹿野が夜中にバナナが食べたいと言いだし、買ってきて食べさせたボランティアの呆れと感心が混じり合ったような言葉である。そのボランティア、最初は頭にくるのだが、鹿野から「もう一本食べさせてくれ」と言われたときに、なぜかモヤモヤした気分が吹っ飛んだらしい。「しょうがねぇなぁ」と。

多くのボランティアたちが、始めたばかりのときは「自分は鹿野を支える立場である」と感じるが、徐々に「自らも鹿野に支えられている」という感覚を抱くようになるようだ。うまい言葉が見つからないが、敢えて言うなら「良性の共依存」というところか。家族、友人、学校、職場といったところ以外に加えて、自らの存在意義・価値のある場を見出せるのはきっと幸せなことなのだろう。

生きるということ、他者と関わっていくこと。日常生活ではあまり考えないようなことを、少しだけ立ち止まって振り返るキッカケになった。

本書の主役である鹿野が亡くなったのが42歳、そして、いまの俺が42歳。

良いタイミングで、良い本に出会えた。

2017年6月2日

てんかん診療は苦手なのに、やむなく携わらなければいけない医師のために 『専門外の医師のための大人のてんかん入門』


なんとも魅力的なタイトルである。

「専門外の医師のための」と銘打ってあるだけに、内容は最低限に絞られている。

第1章  「てんかん」との出会いに応じた初診時の対応
第2章  治療を始める前に
第3章  大人のてんかんを診察するためのミニマム脳波
第4章  代表的な大人のてんかんの診断と治療
第5章  フォローアップはどうするか
第6章  主要抗てんかん薬の薬剤プロファイル

これらがB5サイズの本で、わずか120ページ強に網羅されているのだから、その絞りっぷりが分かるというものだ。子どものてんかんはばっさりカット、小児科から引き継ぐ大人のてんかんに関してもカットという大胆さである。

ちょっと長くなるが序文を抜粋引用する。
諸外国と比べると本邦においては、多くの非専門医がてんかんをもつ成人の人達を診療していることがわかっている。わが国のてんかん診療の裾野が広いともそれは表現できるが、膨大な手間ヒマのかかるてんかん専門医に求められる知識ではなく、8割の人達を診療できる必要最小限の知識を提示することがこうした状況においては重要であろうと思われる。圧倒的多数の成人のてんかんの患者は、手術の対象にはならないし、多くの成人には発作回数やコストパフォーマンスから、発作時脳波を記録することは現実的ではない。(中略)
可能な限り成人てんかんの一般的な治療に不要な項目は省き、現実に診察室に成人の抗てんかん薬ユーザーおよびその家族が現れる場面を想像しながら組み立てた。またてんかん診療を行う上で、1つの関門となると思われる脳波については、脳波の予備知識がなくても必要最小限のアプローチができるよう1つの章にまとめて提示した。脳波はてんかん診断において必須の道具であるが、脳波の読み落としよりも、脳波の読み過ぎが成人の診療においてはしばしば誤診の原因となること、成人の診療においては多くの場合、問診力がまず第1にあってそれから脳波の判読がくることを付け加えておきたい。
「脳波の読み過ぎは、患者に無用の負担や苦痛を強いることにつながる」というのは、東北大てんかん科教授の中里先生も再三指摘されていることである。また、この言葉によって「問診は得意だが脳波が苦手」という医師は気持ちが楽になる。それから、「てんかん除外目的」で脳波をオーダーする医師への歯止めにもなる。

他の病院を簡単には紹介できないような田舎に赴任した新人勤務医は、得手不得手に関係なく「てんかん診療」に携わらなければいけない。そういう医師が最初に目を通しておくべきは『ねころんで読めるてんかん診療』で、てんかん診療への興味と少しの自信が持てたら、次のステップとして本書が良いのではなかろうか。

<関連>
「てんかん診療には自信がありません!」と、自信を持って言えるようになる不思議な本 『ねころんで読めるてんかん診療::発作ゼロ・副作用ゼロ・不安ゼロ!』

2017年6月1日

平時には「アフター・ユー」、有事には「フォロー・ミー!」。指揮官の心得や行動指針を明瞭簡潔に示す良書


平時には「アフター・ユー」、有事には「フォロー・ミー!」。

本書でもっとも印象に残ったフレーズである。

佐々淳行はテレビによく出ていたし、その言動から「あさま山荘事件の時に指揮をとった人だろう」くらいの想像はしていた。また、映画『突入せよ! あさま山荘事件』で役所広司が演じているのを見てカッコ良いなとも思っていたが、まさか東大卒で、警察組織の中でもトップとして活躍した人とは知らなかった。

さて、「指揮官は、平時と有事とで態度や行動を変えなければならない」というのが「アフター・ユー」と「フォロー・ミー!」の違いである。平時には「お先にどうぞ」の謙虚な姿勢が大切だが、有事に際しては「フォロー・ミー!」と先頭にたって決断・行動しなければいけないのだ。

仕事で座右にする本には上部に印鑑を捺している。本書は医療関係以外で捺印した数少ないうちの一冊である。