2016年12月28日

神経内科の医療書籍を読んで、胸が熱くなり魂が揺さぶられるなんて、想像だにしなかった!! 『極論で語る神経内科』


全11章からなり、それぞれのタイトルは以下のとおりである。

脳血管障害
認知症
てんかん
多発性硬化症
パーキンソン病
筋萎縮性側索硬化症(ALS)
ギラン・バレー症候群
重症筋無力症
睡眠
脊髄疾患
「器質的疾患でない」疾患について

診断基準や治療ガイドラインについては割愛と大胆な省略がなされているので、まったくの初学者は読んでも分からないことが多いかもしれない。ただし、著者である河合先生の臨床哲学はビシビシと伝わってくる。特に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の章では、胸が熱くなり、魂が揺さぶられるような感覚を味わった。

「ALSには治療法がなく、徐々に衰弱していくのを見守ることしかできないものだ」という誤解がある。実際、俺自身もそれに近い印象を持っていた。これに対して、河合先生はこう語る。
「有効な治療法が見つかっていません」というのは誤りです。治療法は選択肢としてはあるのです。ですから正確には“治癒をさせられない疾患”というべきなのです。
では、その「治療法」とは何かというと、PEG(経皮的内視鏡下胃瘻造設術)とNIV(非侵襲的換気療法)である。
何だ、対症療法、延命療法じゃないか?という人もいるかと思いますが、
はい、正直、そう思いました。そして、これに続く文章が、頭をガツンと殴られるような指導的文章であった。
そうではありません。PEGもNIVも生存期間を有意に延長する明らかなデータが出ています。栄養状態を改善すること、呼吸筋に休息を与えることで予後が改善すると考えられています。意識障害が生じない疾患ですので、PEGやNIVで生命予後が延長することは非常に大きな意味があります。
「こんなの当たり前じゃないか。この文章に衝撃を受けるお前が不勉強だし、医の倫理が身についていないのだ」とお怒りになる先生もいるだろう。でも、この「当たり前の感覚」って、ときどき見失いません? 特にALSという「治療できない」(という誤解のある)難病を実際に診療していると、そんな「感覚迷子」みたいな状態になりません? 俺は精神科医として、過去に1例だけALSの人の不眠を診療したきりで、その後はALSについては各媒体を通じて知るだけだったけれど、どうやらこの感覚迷子に陥っていたようだ。

そして、河合先生はこう断じる。
PEGとNIVの適応は慎重に? 冗談じゃない
熱いっ!!
終末期の疾患で意識を失い自ら生命の選択ができなくなった患者さんにPEGを施し延命させることと、ALSの患者さんに早めにPEGを施し生命予後を改善させることは意味合いが異なります。
また、河合先生も書いていらっしゃるように、PEGをしたら食べられなくなるわけではないし、PEGをしても後に要らないと思えば抜去だってできる。
これらの治療法は生命予後を改善するので、対症療法と考えるのは不適切で、れっきとした治療として分類されるべきです。
ALSについて、自分の中でパラダイムシフトのようなものが起こった瞬間であった。

さて、さらに河合先生の名言が続出する。特に最終章『「器質的疾患でない」疾患について』は、精神科医として「よくぞ言ってくださいました!!」と拍手喝采したくなるような内容であった。河合語録を引用していく。
“心因性”疾患を知らずして、「器質的でない」というなかれ
「器質的疾患でない」というならば、ほかの医師に理路整然と説明できるか?
「器質的疾患でない」患者さんの説明には、むしろ時間をとる!
身体表現性障害の正しい対処を知らずに、一人前などと片腹痛い
そして、究極の名言がこれ。
精神科が「器質的疾患が疑われる」といってきたときは襟をただせ
河合先生には、今後とも胸熱書籍を出版していただきたい。心からそう思った。

2016年12月27日

「クロノスジョウンター」がらみの小説 『この胸いっぱいの愛を』


同名映画の脚本を、原作者がノベライズ化したという小説。映画は観ていないが、ストーリーは『クロノスジョウンター』がらみである、というネタバレくらいはして良いだろう。というのも、『クロノスジョウンター』が何かを知っている人なら、その程度のネタバレで梶尾真治の小説の面白さが損なわれることがないことくらい分かるはずだから。そして、『クロノスジョウンター』が何かを知らない人にとっては、ネタバレにすらならないから。

しかし、それ以上のストーリーとなるとバラせない。面白いことは保証できる。

2016年12月26日

いろいろなことを考えさせられる名著 『日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条 』

福祉業界が金と人の不足に喘いでいるのは常識だと思っていたが、そんな福祉業界の重鎮といわれるような人が、
「人手不足は妄想である。人手が足りると気が緩み、それが事故につながる」
という発言をしていたと知って驚いた。


本書は『虜人日記』を縦軸に、著者である山本七平の経験や考察を横軸にして、戦前・戦中・戦後の日本や日本軍について語られる。『虜人日記』では「日本の敗因21ヵ条」が示されており、そのうちの第一が、
精兵主義の軍隊に精兵がいなかった事。然るに作戦その他で兵に要求される事は、総て精兵でなければできない仕事ばかりだった。武器も与えずに。米国は物量に物言わせ、未訓練兵でもできる作戦をやってきた。
である。

ここで、上述した福祉の状況が思い出された。偉い人の唱える、
「人手不足であるからこそ、士気が高まり、各人の能力も鍛えられる。自ずと福祉向上につながる」
という発想は、戦時の日本軍とまったく同じではなかろうか。

福祉業界が人手不足ということは、新人も含めた各スタッフの負担は大きいということだ。そこで人を集めるべく、各地で「介護士講習会」が開かれている。しかし、ベテランでもこなすのがやっとの状況なので、付け焼き刃的な講習を受けた人が期待や志しを胸に就職しても、現場での心身の負荷に耐えられず、早々に立ち去ることも多い。そして、それを補うべく、また講習会……。

第二次大戦において、動員した民間人を次々と東南アジアに送り出しては使い捨てにした日本軍的な思考から、日本はなかなか抜け出せないでいるようだ。

こうしたことを様々に考えさせられる、評判に違わぬ良書であった。

2016年12月21日

可もなく不可もなし。あとは好みの問題か。 『あやかし草紙』 『おとぎのかけら  新釈西洋童話集』


この作家の本を読むのは初めて。両方とも短編集で、『あやかし草紙』の舞台は昔の日本、『おとぎのかけら』のほうが現代日本である。グロテスクな残酷描写があるわけではないが、作中人物の置かれた境遇が残酷であったり切なかったりする。嫌いなタイプの話ではないが、かといってこの作家にハマるというほどでもない。可もなく不可もないといったところ。

2016年12月19日

ダーウィン医学を知っていますか? 『病気からみた進化 「ダーウィン医学」のすすめ』


ダーウィン医学というキャッチーな名前を持つ研究分野がある。たとえばこんな感じだ。

うつ病、特に冬にうつ状態になることの多い季節性うつ病は、日照時間が短く食べ物も少ない時期に活動量を落とす役割があったのではないか。

妊娠初期のつわりは、胎児奇形が発生しやすい時期に、奇形の原因となる毒物を避けるためのものではないのか。

こうした仮説は、非常に興味深いし、一定の説得力もあるのだが、きちんと実証するとなると難しい。遺伝子を調べて結論が出るようなものでもないわけだから。ただし、たとえば「つわり」に関しては、つわりのひどかった妊婦は流産リスクが低かったという調査結果があるようだ。ダーウィン医学とは、こういう「間接証拠」を積み重ねて推理する楽しい分野である(と思う)。

本書は、このダーウィン医学を一般向けに紹介したもの。一般向けなので、レベルの高いものを期待している人には物足りないかもしれない。かといって、生物の知識がまったくないという人にはちょっと難しく感じるだろう。まぁ、そういう人はそもそも本書を読もうとはしないだろうけれど。高校レベルの生物の知識があるくらいの人が、一番面白く読めるのではなかろうか。

2016年12月12日

脳も鍛えるアスリートたちから、多くの知恵を学べるオススメ本! 『頭脳のスタジアム 一球一球に意思が宿る』


野球の一流選手が鍛錬によって身につけた感覚を、素人に伝わるように言語化するのは難しい。かろうじて言語化したとしても、川上哲治が「ボールが止まって見えた」と語り、長嶋茂雄が「スーッと来たボールをバーンと打つ」と表現したように、天才同士にしか分からないものになってしまう。それでも、我々凡人は、天才の感覚をもっと分かりやすい言葉で伝えて欲しいと願う。

本書は「誰にでも普遍であるはずの森羅万象を、一般人には理解不能なところまでキャッチでき、しかもそれを誰にでも分かるように表現できる人」というテーマで、松坂大輔、和田毅、豊田清、五十嵐亮太、和田一浩、松中信彦、宮本慎也、城島健司の8人にインタビューしてまとめてある。いずれも読み応えのあるもので、精神科医としても非常に勉強になった。

ピッチャーの松坂大輔は、自分のフォームにこだわる選手、良かったときのフォームに戻そうともがいている投手がいることを取り上げて、こう指摘する。
そういう投手って、良い球を投げることだけに意識が行っているから、フォームを盛んに気にしているんですよ。でも、僕らの原点というのは、バッターに向かって投げることじゃないですか。その大事な部分を忘れちゃっているんです。
もちろんフォームも大事だけど、フォームを求めすぎてマウンドに上がっても、そればかり考えて、相手がいることを忘れちゃってる。自分がボールを投げる本来の意味を置き去りにしているんですよね。フォームなんて、結局何を言われようが、バッターを抑えれば文句は言われないんだから。要は、相手を抑えればいいんですよ。
ああ、これ、医療と同じだ。自分たちの仕事の原点は何か、それを忘れてはいけない。

城島健司は、若菜コーチから受けた「日常生活の中でキャッチャーとしての視線を養う」ための訓練を紹介している。
(若菜コーチと)2人で町を歩いていると、「この人は右に曲がるか、左に曲がるか。注意して見ると、どっちに曲がるかに癖が出るはずだ」とか「県外ナンバーでゆっくり走っている車は、どっかで曲がる道を探しているはず。どこの道で曲がるか」とか、普段の生活の中から早めに状況を察知し、予測するトレーニングをさせられました。そういう意識で周りを見渡せば、勉強になることはたくさんある、動きには必ず癖が出るものだって。
同じようなことを、ショートの宮本慎也も語っている。
人を観察するのも好きですね。テレビや新聞のニュースにだって野球のヒントになるようなことがいっぱいあるんですよ。
プロ野球選手という仕事のために、こういうところにまで気を配っているのかと感心すると同時に、自分もそうでなければいけないと身が引き締まる。

名バッターの和田一浩は、こう言う。
プロでいる限りは、身体だけではなく脳も鍛えないと、前には進めないと思っています。
職業アスリートである彼らがここまで脳を鍛えているのだから、仕事のほとんどで身体より脳を使う自分は、逆に身体をしっかり鍛えなければ、良い仕事はできないと感じた。精神科医にとって、患者が興奮するといった緊急事態で「当たり負け」しない身体をつくっておくことは、自分にとってもスタッフにとっても精神衛生的に良いものだ。

とてもためになる本だったので、多くの人に勧めたい。

2016年12月8日

千葉大学の強姦加害者たちは決して特別なわけではないが、極特殊ではある

千葉大学の強姦事件に関わった連中は、決して特別なわけではないが、かといって当たり前の人たちでもない。

特別ではない、というのは、アルコール(に限らず酩酊する物質、不眠など)で判断力が鈍り、特に「抑制がとれる」のは万人に共通しているから。

日ごろは穏やかなのに、酒を飲むと粗暴になる人がいる。こういう人は、粗暴な内面を理性で押さえつけているのだろうし、酒がその抑制をとるので、粗暴な面が噴出する。こういう人を見ると「本当は危ない人」と考えがちだが、「粗暴な内面を抑制する理性の強い人」とも考えられる。

酒は理性による抑制をとる。これは万人に共通で、千葉大学の強姦事件に関わった連中も特別ではない。しかし、抑制がとれた男はみんな強姦するか、まして集団強姦に及ぶかというと、絶対にそんなことはない。だから、その点で彼らは極特殊と言える。

抑制がとれたのが原因で集団強姦に及ぶということは、普段理性で押さえつけている内面は強姦魔ということだ。
少し厳しいが、そう思えてならない。

倫理、心性とは別に、判断力低下という点でも残念な連中である。

その強姦がバレないと判断したのか、バレても問題視されないと判断したのか、問題視されても退学にまではならないと判断したのか、退学になってでも被害者のことを集団で強姦したいと判断したのか。どの段階をとっても残念な連中である。

さて、加害者は、今は拘置所にいるのだろうか? 俺はそのほうが彼らにとって幸せだろうと思う。国立医学部に合格し、もうすぐ医師になるという自慢の息子が、集団強姦で全国に名前が出て一転。実家は針のむしろだ。友人も慰める言葉は持たないだろう。そんな現実を見ないで済む拘置所のほうが良いに決まっている。

2016年12月6日

すごくお勧めだが、読者に予備知識を与えたくない! 『ウォッチャーズ』

ウォッチャーズ(上)
ウォッチャーズ(下)

クーンツの小説を読むのは初めて。あまりに面白かったので、クーンツの他の本を検索したら、20歳のころによんだ『ベストセラー小説の書き方』が実はクーンツによるものだということを知った。ははぁ、縁、ですなぁ。

退屈させることのない緩急のバランスとれたストーリー運び、悪役も含めて魅力的な登場人物たち、きちんとおさまったラスト。どれをとっても俺好み。

そもそも、なぜ購入したのか忘れてしまったが、これは予備知識なしで読んで良かった! だから、これから読もうとする人の楽しみも奪いたくない。ストーリー知らずに小説を読み始めるなんて、ちょっとした冒険ではあるが……。

この勢いで、クーンツの小説を何冊か積ん読リスト入りさせてしまった。


20歳のころに読んで、ナルホドなぁと思うことは多かった。

2016年12月2日

災害急性期において、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援である。 阪神・淡路大震災の渦中にいた若き精神科医による記録と考察 『心の傷を癒すということ 大災害精神医療の臨床報告』


大災害時には、さかんに「こころのケア」という言葉が使われる。PTSDという病名も、マンガやドラマ、ワイドショーなんかによく出てくる。では、大災害時に現地にいた精神科医は、そのときどのように動き、なにを考えたのだろうか、というのが本書の中心である。

PTSDを治療する側の目標は、患者が、
「外傷体験について考えることも考えないことも自由にできるよう助力すること」
であるという。決して「頭から消し去る」ことを目的とした「臭いものに蓋」治療ではない。「考えるか、考えないか」を自由に選択できるというのは、自分自身への自信につながる。その自信はこころの余裕を生み、余裕がまた自由度を伸ばしてくれる。こういう良い循環ができあがれば、援助者の役割はほぼ終わりと言える。

本書は精神科医によるPTSD論であると同時に、阪神・淡路大震災の被災者による被災記録でもある。当時の混乱した様子、悩みや憤りなでも赤裸々に綴られている。例えば当時の「ボランティア・ブーム」について、「乗り遅れてはいけない症候群」という指摘もある。現地で活動するある医師はこんな愚痴を漏らしたという。
「なに考えてるんやろ。“どうやってそちらに行くんですか”“地図がほしい”、ひどいのになると“迎えに来てほしい”“宿泊所を世話してほしい”という問い合わせがあるんや」
住むところがなくて大勢の人が避難所にいるのに、どうやって宿泊所を用意しろというのだろう!
地元のスタッフは、このような質問にひとつひとつ対処しなくてはならない。聞くほうは一回でも、答えるほうは同じ説明を何回もすることになる。
災害を病気に例えるなら、急性期、亜急性期、慢性期において援助者の役割は少しずつ異なる。急性期にはとにかく命を救い、亜急性期には後遺症を減らすことに努め、慢性期では安定した生活を目指す。急性期は、いわばICUでの治療のようなもので、専門外の人は邪魔になるだけのことが多い。災害の急性期も同じで、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援になるということを知っておいて欲しい。

著者の安先生は、中井久夫先生が教授をつとめる神戸大学精神科での医局長時代に被災し、精神科ボランティアをコーディネートされた。その後、本書を執筆してサントリー学芸賞を受賞。このとき、まだ35歳過ぎである。ところが40歳になる年の5月、肝細胞癌が発覚し、同年12月2日、39歳という若さで他界された。次女が生まれて、まだ3日目であった。

本書には増補改訂版と文庫版がある。増補改訂版は、初版刊行後に本人が執筆した阪神・淡路大震災および災害精神医学に関する文章、中井久夫先生の追悼文などが追加収録されているが、精神医療に携わる人でなければ文庫版のほうで充分だろう。

精神科援助者として得ることの多い一冊で、東日本大震災での医療支援として南三陸町へ派遣される前に、この本に出会えていればと悔やまれる。

2016年12月1日

ヒヤリ・ハットを大切に!! (研修医時代の実話を紹介) 『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』

NICU(新生児集中治療室)での研修中、クベース(新生児を収容しておく機器)のフタを閉め忘れて席を外したことがあった。1分か2分で戻ったのでトラブルは起きなかったが、これはヒヤリ・ハットである。そこで、電子カルテのヒヤリ・ハット報告を自主的に記載していたところ、それを見つけた指導医から、

「病棟のヒヤリ・ハット担当の看護師に、一言断りを入れてから書くように」

と言われた。学生時代から医療過誤、ヒヤリ・ハットといったものに興味があって勉強していたので、指導医の言葉に「え!?」と固まってしまった。また、報告テンプレートでは、職種、勤続年数、所属病棟といったものを細かく記入しなければならず、名前こそ書かないものの、簡単に特定可能で、匿名性は皆無だった。さらに驚いたことに、月に2件以上のヒヤリ・ハット報告をした看護師は、「研修」と称して反省文のようなものを書かされていた。

こんなシステムでヒヤリ・ハット報告が集まるわけがない!

そこで、当時ヒヤリ・ハットを総括していた看護部長に改善を求めて院内メールを送ったところ、しばらくしてようやく返事が来た。内容は当たり障りのないもので、「改善に努めます」というものであった。その後、研修医を終えるまでの2年間で、ヒヤリ・ハット報告のテンプレートは一行たりとも変更されなかった。俺も、病院のそういう体質に嫌気がさしていたし面倒くさくなったので、それ以上は追求しなかった。

今回読んだのは、これ。

最悪の事故は小さなミスが積み重なって起こる、というのは一般論。本書ではもっと突っ込んである。「“後から見直す”と、たいていの大惨事は小さなミスが偶然に積み重なったものである」ことは確かだが、「小さなミスが積み重なっても、大惨事には至らないこともある」と指摘する。実際には後者のほうが大多数だが、起こらなかった事故はニュースにならない。だから、人知れずひっそりと忘れ去られる。俺がクベースのフタを閉め忘れたヒヤリ・ハットのように。そして、「事故を未然に防げたケース」をもっと尊重し、発生したミスを過小評価することなく、他職種・他業種であっても共有すべきだ、というのが著者の大切な主張である。

原発や洋上石油掘削基地、スペースシャトル、飛行機などの専門用語が出てくる。それぞれ簡単な図を用いて説明はしてあるが、いずれも門外漢には少々分かりにくかった。ただし、事故そのものを専門的に解説するのではなく、そこに潜むエラーやミスといったものを中心に語られているので充分に面白かった。