2018年2月28日

とても残酷な動物実験の話をしよう 『選択の科学』

とても残酷な動物実験の話をしよう。

数十匹のラットを一匹ずつガラス瓶に入れ、それを水で満たす。瓶の内側はなめらかで登れず、ラットは泳がなければならない。泳がず浮かんでいるだけのラットがいたら、上から水を噴射して水面下に沈める。こうしてエサも休息も逃げるチャンスもない中で、ラットが溺れ死ぬまでどれくらいの時間がかかるかを測った。その結果、平均60時間も泳いでから溺れるラットと、15分程度であっさり諦めるラットにハッキリと分かれた。

むごい実験はさらに続く。

次は、ラットをすぐに瓶に投げ入れることはせず、つかまえては逃がすことを繰り返した。また、瓶の中で水噴射を浴びせた後で救出するということも数回にわたって行なった。そして最後は、最初の実験と同じように瓶で水責めにされた。すると、今度はすぐにあきらめるラットは一匹もおらず、全ラットが力尽きるまでの平均は60時間を超えたのだ。

二番目の実験でのラットは、実際には人間から仕組まれていたとはいえ、「自分自身の力で苦境から脱する」ということを繰り返し体験した。この「成功体験」の積み重ねが、ラットに粘り強さを与えたのだ。

この実験は1957年、ジョンズ・ホプキンス大学医学部の精神生物学者カート・リクターによって行なわれた。今ならとうてい許可されないであろう非倫理的な実験であるが、強いインパクトで我々に何かを語りかける。


精神科臨床をやるうえでも、非常に示唆に富んだ、ヒント満載の一冊だった。

2018年2月26日

双極Ⅱ型障害のオーバートリアージが増えるほうが、人格障害の誤ったレッテル貼りよりはマシ 『双極II型障害という病』


双極Ⅱ型障害とは、いわゆる「躁うつ病」の亜型である。うつ状態と、躁状態にまでは至らない「軽躁状態」を繰り返す。

何かの勉強会で、双極Ⅱ型障害の病像が取り上げられ、「人格障害の人にも当てはまる部分があるだろうし、オーバートリアージが増えそうだ」といった危惧が挙がっていた。オーバートリアージとは、「重症判断の基準を甘くする」、つまり実際より重症であると予想して対応・治療することを言う。この懸念に対して、「オーバートリアージが増えるほうが、見逃されたり、誤って人格障害というレッテルを貼られたりするよりは良い」という意見があり、全体としてはそれに賛同する雰囲気であった。本題から少し逸れるが、このやり取りで、「人格障害」という言葉や概念の持つ「負のエネルギー」を感じてしまった。

双極Ⅱ型障害をより多く拾いあげるべきか、そうでないか。どちらの立場をとるにせよ、この本は非常に参考になると思う。通読できる精神科の本。

2018年2月23日

「カウンセリング」を追いかける珍しいノンフィクション 『セラピスト』


『絶対音感』という優れたノンフィクションを著した最相葉月が、今度は心理治療を追いかける。

精神科医療に携わるものとして、あちこちに興味深い話があった。そのうち一つを紹介。

著者は取材のため、自ら心理学を学ぶ大学院に入学した(これは本当にスゴいと思う)。そこで社会人学生たちが冗談交じりに語る「心理3分の1説」。これは、
大学院で臨床心理学を専攻する学生とはどんな人種なのかを観察した結果、大きく三種類に分かれることを発見したという。三分の一はこれまで普通の生活を送ってきた平均的な人、三分の一は過去にうつ病などを克服した経験がある共感性の高い人、残りの三分の一は今病んでいる人。
というものだ。精神科を選ぶ医師にも似たようなところはあるかもしれない。ある大学院生は言う。
「うちのクラスにもいますよ。朝イチで長~いメールが届くんです。そういう場合は深入りせず、できるだけ距離を置くようにしています。なぜ心理の道へ、なんて聞きません。巻き込まれたら大変ですからね」
さて、専門書ではないものの診療のヒントになるような話は随所にあった。それもいくつか引用しながら紹介。
カウンセリングでの話の内容や筋は、実際は、治療や治癒にはあまり関係がないんです。それよりも、無関係な言葉と言葉の“間”とか、沈黙にどう応えるかとか、イントネーションやスピードが大事なんです。
沈黙に耐えられない医者は、心理療法家としてダメだとぼくは思います。
以上は京都大学名誉教授・山中康裕。

本書では、著者が中井久夫先生と行なった絵画療法と対話を「逐語録」として3つに分けて記述してある。その中で、中井先生がこんなことを仰っている。
「絵を描いていると、ソーシャル・ポエトリーといって、たとえば、この鳥は羽をあたためてますねえ、といったメタファーが現れます」(中略)「普通の会話ではメタファーはないでしょう」
俺自身は、診療で例え話を用いる頻度が多いほうかもしれない。
「見つめる鍋は煮えませんから」
「転ばなくなるのを待って自転車に乗る、ということはありえません」
「プロ野球は勝率6割で優勝ですよ」
こういうメタファーや例え話は、直接的な言葉に比べて相手のこころへの「圧力」が弱く、侵襲性が低いのかもしれない。中井先生の言葉を読みながら、そんなことを考えた。

故人である河合隼雄についても取材してあり、中でも『ユング心理学と仏教』という本からの引用に共感した。

この引用前に、一つのエピソードが紹介されている。河合がどんなに分析しても改善しなかった女性に、箱庭療法を勧めたところ、彼女は予想以上に熱中した。河合は「よかった、これで治せる」と予感した。ところが、次回のカウンセリングで箱庭療法に誘うと女性は拒否して、こう言ったのだ。

「この前、箱庭を作ったとき、先生はこれで治せると思ったでしょう。私は別に治して欲しくないのです。私はここに治してもらうために来ているのではありません」

では、なんのために来ているのかと尋ねる河合に、
「ここに来ているのは、ここに来るために来ているのです」
そう答えたというのだ。
クライアントが症状に悩むとき、それを解消することも意味があるし、解消せずにいるのも意味があると思っています。そして、おそらくそのどちらを選ぶかは、クライアントの個性化の過程に従うということになると思います。(中略)私は今はクライアントの症状がなくなったり、問題が解消したりしたとき、やはり喜びますが、根本的には、解消するもよく、解消せぬもよし、という態度を崩さずにおれるようになりました。
こういう悟りの境地にも似た「割りきり」というのはなかなかできるものではないが、心理治療家の一つの到達点と言えるだろう。

参考文献もたくさん紹介してあり、精神科やカウンセリングに興味があるという人は、一読して損はない本。

2018年2月22日

散らかりそうなネタを上手くまとめあげた感染症パニック小説 『黒い春』


ある日突然に黒い粉を吐いて死ぬという謎の奇病。のちに「黒手病」と名づけられるこの病気は、どこから来たのか。人から人へうつる感染症なのか。なにも分からないまま、解剖医や感染症の専門家たちが手探りで奮闘していく。

Amazonの紹介には、こうある。
監察医務院の遺体から未知の黒色胞子が発見された。そして一年後、口から黒い粉を撒き散らしながら絶命する黒手病の犠牲者が全国各地で続出。ついに人類の命運を賭けた闘いが始まった。
「人類の命運を賭けた」という表現はちょっと大げさで、舞台が日本から出ることはない。

これ以上はネタバレになるので書けないが、「登場人物の使いかた」がとても贅沢であった。植物学や歴史学も絡めながら伝奇的な様相も呈して、下手にやると散らかった感じのストーリーになりそうなところを巧みにまとめあげている。

ラノベほどではないがセリフが多め。厚めの文庫だが、読み終えるのに時間はかからない。パニック小説系が好きな人には「面白かった」と率直にお勧めできる。

2018年2月21日

ことばで世界の模型を作る 『辞書を編む』


三浦しをんの小説『舟を編む』が辞書作りを題材にして、映画化もされるなど大ヒットした。本書も辞書編纂がテーマだが、こちらは小説ではなく、三省堂国語辞典の編纂者によるノンフィクション・エッセイ。

さて、辞書の編纂とはどんなことをするかというと、大まかに「用例採集」「取捨選択」「語釈」「手入れ」に分けられる。

まず、用例採集。小説、日常会話、テレビ、看板、広告など、ありとあらゆるものから言葉を拾い集める。このとき、採集日時、文脈なども記録しておく。著者の場合、年間で5000語近くを採集するらしい。

次に取捨選択。これは編纂委員が集まって、「この言葉は載せよう」「これは不要」など話し合う。この話し合いについて、面白いエピソードが紹介してあった。4人いる委員の一人が「スイスロール」を提案。著者以外の3人が採用に賛成したが、著者は反対。以下に引用する会話を、中年過ぎた男性4人が真剣に交わしている場面を想像しながら読んでみて欲しい。
「やや細かすぎると思います」と、私は発言しました。「今回、『ロールケーキ』も新規項目の候補に挙がっています。こちらは現代語として必要ですね。『スイスロール』はその一種ですが、これを載せると、『チョコロール』『いちごロール』など、すべて載せなければならないでしょう」
「いや、『スイスロール』は、『チョコロール』といったような種類を指すものではありません」と塩田さん。「いわばロールケーキの変種なんですよ。ロールケーキは、一般にクリームをたっぷり巻き込んでいます。ところが、スイスロールは、クリームやジャムの層がごく薄いんですね。ケーキというより、カステラに近い感じです」
「なるほど。そういうものですか」
なんと微笑ましく、そしてなんと真摯なのだろう。ますます辞書が好きになる。

さて、辞書作りは次に「語釈」を行なう。これは、新規採用する言葉の説明を考えることである。そして、最後に「手入れ」だが、これがけっこうすごい。なんと全体の8分の1の言葉について、マイナーチェンジからフルモデルチェンジまで、それぞれ書き換えを行なうらしい。約8万語を収録する小型辞書でも、およそ1万語について検討することになる。

こうやって辞書を生まれ変わらせるのだが、改訂スパンは今のところ6年から7年くらいとのこと。ネット普及も影響しているのか、新しい言葉が生まれたり、古い言葉が新しい使われかたをされたりで、改訂スパンはだんだん短くなる傾向にあるらしい。

全体を通して、さすが辞書の編纂者、きれいな日本語で読みやすい文章だった。辞書作りの舞台裏を知ることもできた。本書の最後に、著者の辞書作りにかける熱い思いが淡々と語られており、中でも「ことばで世界の模型を作る」というフレーズがすごく素敵で印象的だった。

2018年2月20日

ジブリ映画の舞台裏が面白い! 『ジブリの仲間たち』


スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫が、『風の谷のナウシカ』から『思い出のマーニー』まで、主に宣伝にまつわる裏話を紹介している。

ジブリのデビュー作であり、名作かつ代表作と言っても良いであろう『風の谷のナウシカ』は、実はタイトルが『風の戦士ナウシカ』になるかもしれなかったという話。いまとなっては『風の谷のナウシカ』以外に考えられない素晴らしいタイトルと思えるが、当時は大まじめに議論されたらしい。

ファンが多く、妻も大好きな『魔女の宅急便』は、ヤマト運輸の出資ありきで始まった企画だった。「なるほど、だから『宅急便』なのか」と思いかけたが、そもそも角野栄子による児童文学『魔女の宅急便』が原作である。

この映画に関して、さすが宮崎駿だなと思うエピソードがあった。ヤマト運輸の幹部らとの初顔合わせで、宮崎は、
「タイトルに宅急便とはついていますが、ヤマト運輸の社員教育のための映画を作るつもりはありません」
と宣言したそうだ。今でこそアニメ映画界の大御所・宮崎駿という感じだが、『魔女の宅急便』はまだジブリ5作目で、ジブリも現在のような絶対不動の王者ではなかったはずだ。その時点でここまで言い切るところがスゴい。というより、そういう気概があるからこそ、現在の高みにまでのぼれたのだろう。

俺自身が大好きな映画『千と千尋の神隠し』の裏話も面白い。鈴木敏夫が宮崎駿から最初に聞かされたストーリーは、「名前を奪われた千尋が湯婆婆を倒す。しかし、その背後にはもっと強い銭婆婆がいた。千尋はハクと二人で銭婆婆をやっつける」というものだった。うわー、まったくもって面白くなさそうだ。聞かされた鈴木もピンとこない。そんな鈴木の様子を見た宮崎駿は、その場ですぐに新しい案を考える。
「あ、そうだ! 鈴木さん、こいつ覚えてる? 橋のところに立ってたやつ」
そう、カオナシである。ここから一気に映画の雰囲気が変わって、あの名作が誕生! と思いきや、話はもう少し続く。

映画の内容が決まったので、宣伝もカオナシを最大限に使っていく方針とした。そのことを宣伝関係者に伝えると、みんな怪訝そうである。
「え? なんで? 千尋とハクのラブストーリーじゃないの?」
という感じ。挙げ句、普段は宣伝に興味を示さない宮崎駿までが、わざわざプロデューサー室までやってきた。
「鈴木さん、なんでカオナシで宣伝してるの?」
「いや、だって、これ千尋とカオナシの話じゃないですか」
「えっ!? 千尋とハクの話じゃないの……?」
宮さんはショックを受けた様子でした。
これには思わず吹き出した。

こんな感じで映画の制作順にジブリ裏話が描いてある。ちゃんとジブリ映画を観たのは『ハウルの動く城』が最後だったので、後半にいくにしたがって面白さは減退していった。映画を観た人なら、きっとすべてを楽しく読めるのではなかろうか。

2018年2月19日

とても素晴らしい認知症小説 『アリスのままで』


ハーバード大学教授のアリスが若年性アルツハイマー病を発症するところから物語は始まる。とても素晴らしい認知症小説で、映画化もされ、大ベストセラーになるのも頷ける内容だった。

診断を受け、症状が進みつつあるアリスの気持ちが読んでいてとてもつらい。
癌にかかればよかった。いますぐにアルツハイマーと癌とを交換したい。こんなことを願うのは恥ずべきことだし、不毛な取引だとは思うけれど、空想くらいしてもいいはずだ。癌なら闘うことができる。手術をしたり、放射線治療や化学治療ができる。勝つ見込みがある。家族とハーバードの研究者たちも彼女の闘いを支持し、立派だと思ってくれるだろう。そして結局病に負けてしまっても、何もかも悟ったという目で彼らを見て、さよならと言ってから死んでいける。
翻訳者である古屋美登里の訳文もこなれていて読みやすく、専門用語が変に訳されていることもなかった。この人のエッセイもあるようなので、いつか読んでみようと思う。

認知症に興味がある人、身内に認知症の患者がいる人、単純に良い小説を読みたい人。いずれの人にもお勧めできる名著!!

活字が苦手という人には、映画のほうをぜひ。


それから、認知症小説というジャンル(?)でパッと思いつくお勧めを二つ。
ボケることは哀しく、苦しく、ときに滑稽。若年性アルツハイマーの男性を描いた小説 『明日の記憶』

2018年2月16日

パターナリズムが求められるとき

うつ状態などで弱りきっている人に治療の選択肢を提示しても、
「どうして良いか分からない……」
と言われることがある。そういう場合、
「では、こちらで判断します。任せてもらえますね」
と伝え、一時的にパターナリズムを発動させる。

もちろん必要最小限には留める。

パターナリズムをWikpediaから引用すると、「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている」ものである。

医療におけるパターナリズムは悪いほうにばかり言われがちだが、現実には必要な人や場合も少なくない。

心身ともにヘトヘトな人に対して、「患者の選択権と自己決定権」を盾にひたすら決断を迫るのは、溺れている人に「浮き輪? ロープ? 手? 希望の救助方法を選びなさい」と求めるようなものだ。「なんでも良いから、とにかく引き上げてくれ」という状況で、ひたすら救助方法を選択するよう迫るのは残酷である。

とはいえ、溺れている人をやっとこ引き揚げたと思ったら、
「浮き輪じゃなくて、手で助けて欲しかった」
なんて言われて、下手したら訴訟さえ起こされかねず、しかも和解という名の敗北すらあり得るのが、医療者としては辛いところか。

2018年2月15日

あらゆることに応用できそうな「スタートダッシュ」の効用 『スイッチ! 「変われない」を変える方法』

スタンプカードにまつわる興味深い心理実験がある。

ある洗車場がスタンプカードを導入した。そして、客を2つのグループに分け、片方は「8個のスタンプがたまると洗車1回無料」にした。もう片方のグループでは、「10個のスタンプがたまると洗車1回無料。ただし、そのカードには最初からサービスとして2回分のスタンプが押されている」というものにした。

どちらのグループも実質的には「8回洗車で1回無料」ということに変わりはないが、後者のほうには「最初から2個のスタンプが押されている」という「スタートダッシュ」がある。

さて、実験の結果はどうだったか。

数ヶ月後、無料洗車までこぎつけたのは、前者が19%であったのに対し、後者のスタートダッシュ組では34%がスタンプをためきった。しかも、ためきるまでの時間も短かった。

自分で何かを始めようとするとき、あるいは誰かに何かを始めさせようと思うとき、この「スタートダッシュ」の考えかたは非常に有効だ。

「自分(あるいはあなた)は、現時点でゼロではなく、小さな一歩を踏み出している」

と感じさせるのが、その先の行動に結びつくということだ。


これは、本書で紹介してあった実験である。

病院の診察室での応用を考えてみよう。

肥満、高血圧、高血糖、高脂血症といったものを改善するために生活習慣を変えさせたい場合、
「あなたには食事制限の必要がある」
と指導するより、食生活や運動習慣をもう少し細かく聞きだして、小さな行動を大きく取りあげ評価する。

「1日5分でも散歩し始めているんですね。それはもう、ダイエットが始まっているのと同じですよ」
「ジュースをカロリーオフにしているんですね。それはもう以下略」
「塩分控えるための調理本を買ってみたんですか? なるほど、それは以下略」

といった具合に、診察室で「あなたはすでに、改善のための一歩を踏み出しています」という「スタートダッシュ」のついた生活指導をプレゼントするのだ。

とても面白い本なので、ぜひご一読を。

2018年2月14日

原因探しではなく、成功例に目を向けよ! 『スイッチ! 「変われない」を変える方法』

1990年、ベトナム政府は子どもたちの栄養不足と戦うため、セーブ・ザ・チルドレンという国際組織に事務所の開設を依頼した。ベトナムの外務大臣は、セーブ・ザ・チルドレンのスタッフであるジェリー・スターニンに対し、
「半年以内に成果を出して欲しい」
と告げた。ただし、人手は最低限、予算もわずかである。

スターニンは、ベトナムの子どもたちをとりまく栄養問題に関する多くの文献に目を通していた。衛生状態が悪く、貧困が蔓延し、清浄水は普及しておらず、地方の人々は栄養に無知。こうしたすべての知識を、彼は「True, but Useless」(真実だが、役に立たない)と考えた。期限は半年、予算もわずかしかないのだから、貧困の撲滅や水の浄化、公衆衛生システムの構築など不可能なのは明らかだ。

彼には、もっと良い考えがあった。

スターニンは地方の村々を訪れ、現地の母親グループと会った。そして、手分けして村中の子どもたちの体重を測ってもらい、その結果をみんなで検討した。彼は、
「家庭が非常に貧乏なのに、普通の子どもより体格が良くて健康な子どもはいましたか?」
と尋ねた。女性たちはデータを見て、頷いた。
「います」

これが「お手本となる成功例」、すなわちブライト・スポット(輝く点)である。

さて、スターニンと母親グループは、ブライト・スポットである家庭の食生活を調査した。貧乏なのに健康な子どもがいるということは、貧困での栄養不足は必然ではないということだ。そしてそれは、実用的ですばやい解決方法が可能だという希望をもたらす。厄介な根本原因を解決することに集中するのではなく、ごくわずかに存在する成功例、ブライト・スポットを見つけ出すことから解決方法を探ったのだ。

これで出てきた結論は、一般の家庭が子どもたちに1日2食を与えていたのに対し、健康な子どもたちは1日4食をとっている、というものだった。ただし、食事の一日総量は同じ。子どもたちの弱った胃では、少量ずつのほうがよく消化できるということのようだ。また、健康な子どもの母親は、田んぼで獲れる小さなエビやカニを子どもの米に混ぜていた。一般的にこれらは大人の食べ物だと考えられていた。さらに、低級な食べ物と思われていたサツマイモの葉も混ぜていた。どんなに異様で低級に見えても、こうした工夫でたんぱく質やビタミンが子どもの食事に加わっていたのだ。


本書では、人間の感情を「象」、理性を「象使い」として説明してある。象使いはリーダーで、象を従わせることに成功することも多いが、もし象と争う事態になれば負けるのは象使いである。だから、いかにして「象」と「象使い」のそれぞれの目的地を一致させるかということが大切になる。

ベトナムのエピソードでは、「どんなに貧乏でもできる健康食」を全国の村々に広めるため、知識(理性すなわち「象使い」である)を普及させるだけでなく、
「あなたの子どもをもっと健康にしませんか」
という、母親の感情(これが「象」である)に訴えかけるキャッチフレーズを用いたのだ。

非常にためになる一冊であり、かなりお勧め。

2018年2月13日

疲れきった精神科医に小さく活を入れた本 『激励禁忌神話の終焉』


独り医長時代に読んだ本で、非常に面白かった。勉強になる、というか、独り医長としてやや疲弊した精神科医がよれてきた襟を正せるように、精神科の神様が出会わせてくれた本のような気がする。

本書を中ほどまで読み進めた日の深夜1時半、病院から急患の連絡が入り、押っ取り刀で駆けつけて入院させた。22時からの3時間は睡眠が取れていたので、始業まで病院に残ることにして、また本書を読みふけった。その日の外来は、それぞれの患者との面接が濃密で、ある摂食障害の人からは、
「先生と話して、すごく気持ちが楽になりました」
という感想をもらった。

いつもわりと淡々と話して終わることの多かった人だったが、今回は何かが違っていた。それはきっと、俺自身からではなく、俺という媒介を通して、本書が、というより井原先生が、彼女に何らかの影響を及ぼしたということだろう。この本が凄いのか、本一冊で診療が良いものになっちゃう俺が単純なのか……。

各章のタイトルが興味深く、それらを眺め渡しただけでも若手精神科医は興味を魅かれるんじゃないだろうか。

「激励禁忌神話の崩壊」
「仕事こそ諸悪の根源か」
「超短時間精神療法の経済倫理」
「精神科医は薬のソムリエにあらず」
「薬に依存しない治療」
「リストカットの臨床」
「接遇に慎重な配慮を要する人々」
「危機管理と精神科医」
(上記二つはクレーマーや医療事故時の対策の話)
「旅立つ人に何を語るか」(これはターミナルケアにおける精神科医の役割)

2018年2月9日

転勤のご挨拶をしながら思うこと

3月の退職に向け、最終診察になる人たちに挨拶をしている。今回が最後の診察であることを伝えると、涙を流して惜しんでくださる人たちがいて、とても嬉しく、ありがたい。

「残念です」と言われることもあり、それに対して思わず「こちらも残念です」と答えそうになったが、思い止まった。こちらは希望して退職するのであって、決して「残念」ではないのだ。嘘の気持ちを言葉にすることはできない。正しい表現を見つけ、こう伝えている。

「ぼくも、こころ残りです」

始まりは「医師と患者」という関係でも、数年間にわたって月に1-2回も顔を合せていれば、そこに「個人と個人」という要素が少なからず入ってくる。良かれ悪しかれ、「人と人」というのはそういうものだろう。

これからも治療を続けていかねばならない患者さんたちに「こころ残り」を感じる。それが、彼らを治療してきた主治医としての正直な気持ちである。

ある高齢女性は、付き添いのご主人さんと娘さんも含め、三人そろって泣いて惜しんでくださった。彼女を引き継いだときには、ご家族が心労で倒れるほど派手な症状だったが、診断を見直し、薬を変更し、本人やご家族への精神療法をやっているうち、ある時を境にして劇的に改善し、以後はずっと落ち着いている。当院で診療したなかでも、胸を張れる治療の一つだ。

重度認知症の初老男性は、出会ったころには会話できていたが、いまはもう意味のある言葉を話されない。退職のお話しをすると、付き添いの奥さんが涙を流しながら、
「この人が喋っていた姿を知っているのは、先生だけだから……」
そう惜しんでくださった。そういえば、本人と二人で話しながら院内を散歩したこともあった。そんな数年前を振り返って、こちらも胸が詰まる想いだった。

認知症をはじめとした精神科の「慢性疾患」は進行が遅いものだが、出会って8年間も経つと、知り合ったときとは状態が大きく違う人たちが多い。亡くなった人も少なくない。だからこそ、「主治医が患者の元気なころを知っている」ことが、ご家族の慰めになることもある。転勤前の最終診察で、また一つ大切なことを教わった。

ある若年女性も、唇を震わせながら涙ながらに残念がってくださった。精神科の患者が偏見から受ける社会的な困難や壁を、二人三脚に近い形で乗り越えてきた。この2-3年で、ようやく安定した生活となった。やはり「こころ残り」な人である。彼女には、こんなことを伝えた。

わたしと創りあげてきた診療には、きっと良い点も悪い点もあったでしょう。次の主治医には、良かったところを同じように求めてみて良いと思います。逆に、わたしには言い出しにくかった悪いところもきちんと伝えて、そうならないようにお願いしてみましょう。
絶対に忘れないで欲しいのは、一番大切なのが、あなた自身、あなたの人生ということです。
もしかすると、この先、まったく合わない主治医が現れる可能性もあります。でも、それも一つの「出会い」という糧だととらえて、今後のより良い人生につなげて欲しいと願います。あなたなら、きっとできるはずです。


多くの「こころ残り」な患者さんたちやご家族に教えられ、与えてもらったことを、これから出会う患者さんたちに受け渡していきたい。それもまた一つのご恩返しであろうと信じている。

2018年2月8日

あなたの中の差別意識を克服するには…… 『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』

差別や偏見といった話題が出て、
「自分には正しい知識があるから、差別や偏見はない」
と考えた時には、どうかこの絵を思い出してほしい。



この絵の縦線は同じ長さである。実際に測ってみると確かに同じだ。しかし、どんなに頭では同じ長さだと分かっていても、どうしても右が長く見えてしまう。

差別意識や偏見も同じである。正確な知識で理解していても、いざ実際に目にするとどうしても脳が騙されてしまう。自らの中にある差別意識や偏見を克服するには、正しい知識を持つだけでは足りない。

騙されようとする脳に、常に鞭を入れ続けないといけないのだ。

2018年2月7日

自傷行為をする若者にとって、もっとも自分を大事にしない行動は、リスカでもODでも過食嘔吐でも、無防備なセックスでもなく、「悩みを誰にも相談しないこと、助けを求めないこと」である。 『中高生のためのメンタル系サバイバルガイド』

自傷行為をする若者にとって、もっとも自分を大事にしない行動は、リスカでもODでも過食嘔吐でも、無防備なセックスでもなく、「悩みを誰にも相談しないこと、助けを求めないこと」である。
中高生のうち、自傷行為をする生徒の割合がどれくらいかご存じだろうか。ある調査によると、約0.35%前後である。1000人中3人か4人くらいということだが、実はこれ、「教師が把握している自傷する生徒の割合」である。

では匿名アンケートではどうかというと、なんと10人に1人くらいはリストカットのような自傷行為をやっているようだ。またそのうち半分は「10回以上したことがある」と答えている。

つまり、学校の先生は生徒の自傷にほとんど気づいていないということであるが、これは恐らく教師だけでなく親も友人も似たようなもので、自分の子どもや友だちが自傷行為をしているなんて知らなかったという人も多いだろう。

上記はいずれも本書で述べられていたことである。「中高生のための」と書いてあるように、専門書ではないので一般の人でも読みやすいだろう。逆に専門家にとっては物足りない部分が多いかもしれない。内容はリスカやOD以外にもデートDVや援助交際(ウリ)、その他いわゆる「メンタル系」に入りそうなものをあれこれ網羅しているので、興味のある人はご一読を。

2018年2月6日

子どもの支援者(つまり親も含めて)必読の本 『子どもの心の処方箋 精神科児童思春期外来の現場から』

1000人のうち、

1.11歳の時点で精神病様の症状体験をしたものは141人。
2.精神病様の症状を強く体験していた子ども16人のうち、4人が26歳時点で統合失調症様障害を発症。
3.精神病様の症状体験が軽度だった125人の子どもの統合失調症様障害の発症率は通常の5倍。

これは2000年にニュージーランドで報告された研究結果である。構造化面接を用いたコホート研究で、信頼性が高く、日本を含む世界各国で同様の追試がなされ、やはり同様の結果が得られた。

日本での調査は、精神病様の症状体験の有無を以下の4つの質問から判断された。

1.超能力や読心術で心の中を読み取られたことがないか。
2.テレビやラジオからメッセージや暗号が送られてきたことはないか。
3.追跡される、話を聞かれていると感じたことはないか。
4.他人には聞こえない「声」を聞いたことはないか。

約5000人の中学生を対象に調べた結果、15%が「体験したことがある」と回答した。


のっけから驚くような話で始まる本書は、専門的になりすぎることなく、専門家が読んでも一般の人が読んでも理解しやすく、そして役に立つように書かれていた。これまでにも「メンタルヘルス講習会」といった名目で校長先生の集まりや海上保安部職員、裁判調停員らを相手に講演をしたことがあるが、今後は本書の内容をかなり参考にすると思う。

著者によると、保険診療下でもすべての患者に長時間のカウンセリングを施し続けられる精神科医がいるとしたら、その理由は以下の3つ。

1.あまりに人口の少ない地域で診療を続けている。
2.評判が悪すぎて、長時間の診察を行なっているにもかかわらず、患者がいつまでも増えない。
3.社会的なニーズに応えようという使命感が欠落していて、患者を選んで趣味的な治療に没頭している。

この言いっぷりが読んでいて心地いい。1時間に10人、時にはそれ以上の予約患者が殺到する外来では、長時間のカウンセリングを求められても応じられない。

さて、本書から参考になる話を抜粋。

まず子どもの非行について、向かい合う際の原則は、「表沙汰にして多くの人の助けを借りる」こと。
家族が腹をくくり、触法行為に対しては、きちんと警察を呼ぶという姿勢を見せたとき、子どもは家族の覚悟に気付く。そして子ども自身が自分の問題に向かい合うきっかけを得る。
これは『社会的ひきこもり―終わらない思春期』でも同様のことが述べられていた。

次は自傷行為について。
自傷は彼女らをある時期に支え、落ち着きをもたらしていたのも事実だ。暗い海で溺れそうな彼女らを救い出した、波間に漂う一枚の板切れなのだ。彼女らはその板切れがなければとっくに溺れ死んでいたかもしれない。そういう意味ではその板切れは、彼女たちにとっては生きるために必要な宝物とまで言えるのかもしれない。
リストカットやODに対する友人や家族、治療者のあり方で、俺も自傷行為についての例え話に荒海を用いている。これは先輩医師との雑談から身につけたものだが、もしかしたら先輩もこういう本から情報収集されていたのかもしれない。

自傷行為は、ある研究によると、15年後には3分の2以上が社会適応しており、また27年後では92%の人がすっかり良くなっているそうだ。12歳から15歳くらいで始める人が多いので、「30歳で激減し、40歳以上ではほとんどしなくなる」という臨床実感とも大体一致する。ただし、これはあくまでも、それまでに「自殺しなかったら」という条件付きである。医師も家族も、そこまで生き延びさせることが大目標になる。

この他、「子どもに関わる大人たちへ」というテーマで10のヒントが提示されていたり、診察室で子どもたちにかける10のアドバイスというものが示されたりしている。

いささか長くなってしまったのでこれ以上は書かないが、非常にためになる本だったので、ぜひ一読してみて欲しい。

2018年2月5日

1番の問題を取り除くと、2番目が昇進する 『コンサルタントの秘密』

「1番の問題を取り除くと、2番目が昇進する」

これは、精神科の診察室で何度となく経験する法則である。こうして次々と昇進してくる問題を、精神科医がモグラ叩きのように解決していくと、いずれ患者は精神科医を「モグラを叩いてくれる人」と思うようになるだろう。それは、患者にとって良いことなのだろうか?

個々人の問題はそれぞれ自分で解決しなければならない。そう考えて診療している。だから、精神科医としては、モグラを「叩く人」ではなく「叩き方を教えてくれる人」でありたい。もっと進んで、「何かしてくれるわけではないが、叩くときに側にいて、叩き損ねたら照れ笑いにつき合ってくれて、手首を痛めたときには労わってくれる人」あたりが理想像だ。

カウンセリングや精神療法といったものは、いわば患者の人生に関するコンサルタントみたいなものだ。企業のコンサルタントは、自ら解決法を提案することはしない。その企業で働く人以上にその企業のことを分かっている、そんなコンサルタントはほとんどいない。そして、これはもの凄く重要なことだが、コンサルタントが経営者以上に損失を受けることは絶対にない。精神科も同じだ。患者以上に患者に詳しい精神科医はいないし、患者以上に医師が損害をこうむることはない。


そういうわけで、日常診療の役に立つかもしれないと思ってコンサルタントの本を読んでみた。予想通り、非常に示唆に富む本で、若干の読みにくさはあるものの、それを補うに充分な内容だった。その中で印象的だった話を一つだけ。

盲人たちが集まって象を触り、それぞれが、
「木のようだ」
「蛇のようだ」
「縄のようだ」
「家のようだ」
「鎗のようだ」
「毛布のようだ」
「家のようだ」
と感想を述べた。

この逸話を会社に置き換えると、盲人とは各部署で働く人ということになる。彼らは会社全体のことを自分の部署だけで判断してしまう。彼らに象(会社)をより詳しく把握させるためにはどうしたら良いだろう。

盲人(従業員)になるべくたくさんの場所(部署)を触らせるのも一つの方法だし、象(会社)のミニチュア(概要など)を用意するのも良い。これらはいずれも優れたやりかたであるが、最良の方法には遠く及ばない。

では、最良の方法とは何か。

それは、実際に盲目を癒すこと。


まぁ、そうは言っても、そんな簡単な話ではないけれど、一つの考えかたとしてとても面白い。

さて、これを読んでどう活かすか。

2018年2月2日

ストレス回避の上手・下手について、ちょっとした例え話を思いついた

食事中、飲みものや熱いものの入った容器など、倒すと大変なものは自然と奥に置いているはずだ。こういう「安全策」を子どもは上手くできないので、しょっちゅうコップをひっくり返す。そして、いつの間にか安全策が身につき、無意識に行えるようになっている。

同じように、「日常生活のストレスを安全な場所まで遠ざけておく」ことは、人それぞれが自然と身につけているものだが、中にはこれが極端に下手で、ことあるごとに「引っくり返してしまう」人がいる。

コップを倒してしまった子どもに、
「こうやってテーブルの奥に置けば倒しにくいよ」
と教えれば、その時点ではそれなりに理解するだろう。ところが、教えてすぐに上手くやれるようになるかというと、そうはいかない。ストレス回避も同じで、「ほら、こうすれば良さそうですよ」とアドバイスをされて理解できても、簡単に身につくようなものではない。

こんな例え話がなんの役に立つのかというと……。

たとえば、ストレス回避が下手で「たびたびコップをひっくり返してしまう」ような人がいるとして、その人にとっての「倒れにくいコップ」とはどんなものだろう、あるいは、そもそもその人に飲みものや熱いものは必要なのか、といった発想が出てくる。こうやって頭を少しだけ柔らかくできるのが、例え話の効用だろう。

2018年2月1日

発達障害や自閉症スペクトラム障害といったものに興味はあるが、知識はほとんどないといった人たちが読むのにお勧め! 『自閉症スペクトラム 10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体』


以前、ある先輩精神科医が、
「発達障害も診断基準の裾野を広げれば10人に1人はいるそうだ」
と仰っていた。なるほど、言われてみれば確かにそうかもしれない。本書にも同様のことが書いてあった。

本書は、「発達障害や自閉症スペクトラム障害といったものに興味はあるが、知識はほとんどない」という人が読むのには非常に向いている。分量も多くないし、読みやすい。精神科医としては、もう一歩踏み込んだ内容まで読みたかったが、参考文献も記してあるので、そちらを読めということだろう。