2011年12月31日

プラセボ薬の凄さ

プラセボ薬というのは、「本物の薬のような外見をしているが、薬としての成分はまったく入っていないもの」である。精神科患者の中には、とにかく薬が欲しくてたまらない、という人が時どきいる。

看護観察では非常によく寝ているような人が、眠れないから薬を増やして欲しいと言う。心電図では何の異常もない人が、胸が苦しくてたまらないからなにか薬をくれと訴える。頭が痛いからと何度も頭部CTを撮りたがり、頭痛がおさまる薬がないと生活できないと嘆く。腹部診察でもCTでもまったく異常がないのに、腹が痛くて眠れないから薬を出してとうめく。多量の安定剤を飲みながらも、イライラが止まらないからもっと薬を飲みたいと要求する。そんな感じで、何でもかんでも薬で治そうとやっきになっている人たちがいる。

こういうときに、言われたとおりに薬を出していたら、その人が薬漬けになってしまう。実際に、胃薬を3種類、鎮痛薬を2種類といった具合に、重複して多量の薬を飲んでいる人もいる。その結果、薬の副作用が現れて、それに対して、また薬を欲しがるという悪循環に陥っている。

そして、そういう場合に、プラセボ薬を処方しながら、他の薬を減らしていくと、薬は減っているのに症状は変わらないし、むしろ副作用がなくなる。飲む薬も減るし、症状も良くなる。

プラセボ薬は、処方するときの言葉かけが大切だ。患者さんには、よく効く薬だと言い含めてから処方する(※)。人によっては「良い薬だけれど、飲み過ぎには注意してください」とまで言う。こういう患者さんは放っておくと薬をがぶ飲みし続けてしまうからだ。プラセボ薬には乳糖を使うことが多く、これは人体にほぼ影響しない(血糖値も上がりにくい)が、プラセボ効果の反対のノセボ効果というものがあり、「飲み過ぎ注意」は決して嘘ではない。

ずいぶん前に、プラセボ薬の凄さを思い知らされたことがある。昼も夜もイライラ感が強い患者で、転院元の病院で処方された多量の安定剤と抗精神病薬を内服していた。その人に、プラセボ薬を処方して、
「非常によく効く薬なので、飲むのは一日6回までにしてくださいね」
と念押ししておいたところ、その日から患者は必ず毎日6回、プラセボ薬を欠かさず飲むようになった。そして、日中のイライラ感はかなり減った。ところが、ある日、こんなことを言われた。
「新しい薬はもの凄く効きすぎて、逆に体がきつくなってしまう。ほかに何か、よく効く薬はありませんか?」
患者のこの矛盾した希望にも驚いたが、いろいろと考えさせられた。

これは私見だが、おそらく患者はプラセボ薬を飲んで「効く」と思い込んだことによって、これまで飲んでいた大量の安定剤や抗精神病薬の効果を感じ始めたのではないだろうか。
「効くと思えば効く、効かないと思えば効かない」
薬とは、薬理作用以外にも、インチキみたいな部分がある。つまり、患者が感じた「体のきつさ」という副作用は、プラセボ薬によるノセボ効果ではなく、大量の安定剤と抗精神病薬によるものだったのではなかろうか。また、彼が感じた効果は、思い込みが2-3割くらいで、残りは、やはりもともと飲んでいた薬の作用を実感し始めたことによるのではなかろうか。

あらゆる症状をプラセボ薬で治療できたら、それこそ名医だ。実際には本当に本物の薬が必要な人たちが大多数なので、ここぞという時、伝家の宝刀のごとくプラセボ薬を処方する、というのが良いのかもしれない。


※実はプラセボであることを伝えても効果があり、むしろ伝えておくほうが有効だという話が『モーズレイ処方ガイドライン』に載っていた記憶がある。

2011年12月29日

「知っていたら、もっと面会に来たのに!」

高齢者の入院では、せん妄が非常にやっかいな問題となる。点滴を引っこ抜いて血まみれになるくらいは可愛いもので、夜中に興奮する、叫ぶ、歩きまわる、挙げ句にコケて骨折する人までいる。

高齢者を入院させる場合、家族には、
「病院は決して100%安全という場所ではないし、常に見守りできるわけでもない。だから、転倒して骨折するということは、なるべく防止したいが完全には防げない。また、この年齢だと、そういう事故以外にも心臓や脳になにが起こるか分からない。その時にあたふたと電話しても間に合わない。突然のことで考えきれないことは多いと思うが、とりあえず現時点で、急変時にどういう対応を希望されるかを確認しておきたい」
というところまで説明する。このあたりで手抜きすると、いろいろなトラブルが発生する。

どこでも起こる可能性のある患者の転倒・骨折だが、これに対して家族が苦情を言うケースも多い。骨折があった後、主治医から、
「認知症もあって、夜間のせん妄状態で起きた転倒です。昼間に起きておいてもらうのが一番だけど、病院もなかなか人手が足りないので」
といった説明を受けた家族が、
「そうと知っていたら、もっと病院に来ていたのに!」
と怒りだすこともあるらしい。

経験上、身体科入院中のせん妄が問題となって精神科に紹介された患者で、家族に対して、
「せん妄予防は昼間に起きておくのが第一です。そのためにスタッフが常時付き添えれば良いのですが、とても手が足りません。ご家族に面会を増やしてもらうか、付き添ってもらうか、それが一番良いとは思います」
と説明して、実際に面会を増やしたり付き添ったりする家族はごくわずかである。

入院・入所をさせるとき、100%の安全保証を求められると苦しい。

砂の彫刻師@ハワイ

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2011年12月28日

点滴バーの夜

「あちらのお客さまからです」
ナース服を着たバーテンが、透明の袋に入った液体をカウンターに差し出した。最上級を示す金色のラベルが貼ってある。滅多に手に入らない、点滴黄金期の70年代物だ。どんな酔狂なやつがこれを……?
横を見やると、高そうな服を着た女が微笑んでいる。見覚えのある顔。

リサ。

20年前、中校生の時に強姦されて妊娠して、14歳で母になって、19歳で乳がんが見つかって、余命半年と言われて、もう死んだとばかり思っていたのに……。生きていたんだ。一滴また一滴と落ちる点滴を眺めるわたしの目からも、ぽたりぽたりと涙がこぼれた。



その夜。
わたしは、死んだ。
点滴が腐っていたのだ。
40年前の点滴なんて打つもんじゃない……。

スイーツ(笑)



※スイーツ(笑)に関して、ウィキペディアより。
スイーツ(笑)(スイーツかっこわらい)とは、菓子やデザートなどの甘味を(イギリス)英語で「スイーツ (sweets)」と呼称するような日本人女性のことを意味する日本のインターネットスラング。通常は揶揄や皮肉の意味を込めて使われる。スィーツ(笑)、あるいは単にスイーツと称する場合もある。また、そのような人物の思考形態を指してスイーツ脳と称することもある。

点滴バーとは?
東京・池袋の「さくらクリニック」には「点滴BAR」なるサービスがある。疲労回復、アンチエイジング、風邪対策など目的別のメニューから自分に合ったものを選べる仕組みだ。今秋には「甘酒点滴」という限定メニューも登場した。年の瀬が押し迫り、疲れがたまりがちなこの季節。女子力が枯れ、少々息切れ気味の記者がリポートしよう。年末はこれで乗り切るっ!
点滴BARは、ビタミンなど体に有効な成分を安全に体内に補給できるというもの。病気ではないけれど「疲労感がある」「肌荒れがひどい」といったときに、サプリメントを飲むような感覚で利用できる。同様のサービスは、都内の点滴専門スペース「TENTEKI 10」などいくつかあるが、さくらクリニックの売りはメニューの多さだ。その数、約40種類!
人気は、ビタミンCやビタミンBを配合し疲労回復に効果的という「スーパースタミナアップ」(1回7500円)や、ビタミンCやアルファリポ酸を配合した「アンチエイジングセット」(同7500円)など。花粉症対策に肩こり腰痛改善セット、薄毛に悩む人のための発毛対策メニューまである。時間がない人のために注射のメニューも用意している。ちなみに健康保険は適用されない。
2007年にスタートし、1日に平均20人ほどの利用者が訪れている。年齢層は20~50代と幅広く、4割は男性。「肌をきれいにしたい」と言って訪れる営業マンや会社経営者が多いそうだ。点滴は20~30分ほどで済むため、昼休みに訪れる人もいるという。記者の感覚からすると、価格はそれほど安くないという印象だが、マッサージ店に通うような感覚でたまには点滴というのもアリかもしれない。

気になる「甘酒点滴」だが、これは甘酒の成分を解析し、点滴液として再現したもの。アミノ酸やミネラルなどを含み、疲労や冷え対策に効くそうだ。倉田大輔院長が、自分の講演を聞きにきていた70代の男性から「昔はすぐに病院に行けないときに甘酒を薬代わりにしていた」と聞き、開発した。もちろんアルコール分は含まれていないのでご安心を。
早速体験してみよう。点滴BARは完全予約制。利用者は個室でリクライニングチェアに腰掛けて、点滴を受ける。看護師さんが持ってきた甘酒点滴の液色はうすい黄色だった。「さすがに甘酒のような匂いはしないんだなあ」などと観察していた記者の腕に針がブスッ。一滴、また一滴と体に流れ込んでいく。
リラックスできるよう明かりを落とした部屋で待つこと40分。最後の一滴がぽとり。点滴液が入っていた袋が空になったのを見届け、甘酒成分補充完了! しばしの休息タイムに癒され、それだけで元気になった気分の単純な記者だが、さすがにまだ効果は感じられない。院長によると、点滴BARの利用者のリピート率は8割とのことなので、記者も気長に通ってみるべきか。美は1日にしてならずと言うし、来年は体の内側からキレイを目指すと誓いを立てたいと思う。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1112/28/news011.html
口から食べられるなら、それが一番いい。
こんなくだらないところへ行く人は、正直ちょっと思考回路弱い。

さばく

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砂の彫刻師@ハワイ

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おっぱいの話

若い女性の産婦人科医に、離乳とか卒乳とかの話をしながら、いったいどういう具合にやったほうが一番いいんだろうと雑談していたら、

「そういうのは、産婦人科医よりオッパイを何百本もみている助産師さんのほうが分かるかも」

それを聞いて、俺は思わず叫んでしまった。

「オッパイの単位って、1本、2本なの!?」

たそがれ

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ホルモン

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Willway_ER

すすきと夕日

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2011年12月27日

内柴容疑者を起訴 柔道部員への準強姦罪で

当然の結果なのだが、ニュースになったので取り上げる。一応書いておくが、準強姦とは「強姦未遂」のことではない。実は、俺もこの事件に関して調べるまで知らなかったので、きっと誤解している人も多いだろう。デヴィ夫人もブログで誤解したまま大暴走していたし。

準強姦について、Wikipediaにはこうある。
暴行・脅迫によらない場合も、女性の心神喪失・抗拒不能に乗じ、又は女性を心神喪失・抗拒不能にさせて姦淫した場合は、
準強姦罪が成立する(刑法178条2項)。
心神喪失とは、精神的な障害によって正常な判断力を失った状態をいい、抗拒不能とは、心理的・物理的に抵抗ができない状態をいう。睡眠・飲酒酩酊のほか、著しい精神障害や、知的障害にある女性に対して姦淫を行うことも準強姦罪に該当する(福岡高判昭和41年8月31日高集19・5・575)。医師が、性的知識のない少女に対し、薬を入れるのだと誤信させて姦淫に及ぶのも準強姦罪となる(大審院大正15年6月25日判決刑集5巻285頁)。
なお、犯人が暴行や脅迫を用いて被害女性を気絶(心神喪失)させ、姦淫に及んだ場合は、準強姦罪ではなく強姦罪となる。ただし、「準強姦罪」と「強姦罪」は共に同一の法定刑となっているため、区分にあまり大きな意味はない。
最後の一行、下線部にあるように、強姦と区別することにあまり意味はない。要は、女性の「有効な同意」なくしてセックスすることは、強姦であるということだ。擁護者には何をどう説明しても伝わらないことは、mixiの日記で実感済み。だから、もはや議論する気はない。ほらやっぱり起訴されたでしょ、それだけ。
内柴容疑者を起訴 柔道部員への準強姦罪で
酒に酔った教え子の女性に性的暴行をしたとして、東京地検は27日、アテネ、北京五輪の柔道金メダリストで元九州看護福祉大学女子柔道部コーチの内柴正人容疑者(33)を準強姦(ごうかん)の罪で起訴した。

内柴容疑者は、9月中旬に東京都内のホテルの部屋で、酒に酔って寝込んでいた未成年の同大女子柔道部員に性的暴行をした疑いがあるとして、警視庁に今月6日に逮捕されていた。同大は11月29日付で、「セクハラ行為があった」として内柴容疑者を懲戒解雇にしている。
http://www.asahi.com/national/update/1227/TKY201112270342.html

<関連>
内柴正人の準強姦問題について
実は、内柴は女子学生に陥れられたのだ
内柴問題は、擁護派も糾弾派も、もっと落ち着け、冷静になれ
日本人と飲酒 内柴問題を題材として
「一種の人権侵害 東京・石原慎太郎知事」 価値観の相違……なのか?

こううんき

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病院のベッドは本当に足りないか

入院を断るときに「ベッドに空きがない」というのに嘘はない。だが、本当にベッドは足りていないのだろうか。
実は、無駄に埋まっているベッドが多すぎる。いわゆる社会的入院の話ではない。

学生時代に大学病院で実習していて感じたのだが、病室から喫煙所まで、広い建物の中を歩いて、あるいは松葉づえをついて、時には車イスで、真夏でも真冬でもタバコを吸いに出かける人のなんと多いことか。それほど元気であれば、退院して外来通院だってできるはずなのだ。そしてそういう人たちを退院させれば、ベッドは少なくともいくらかは空くのだ。

当院でも、この寒さの中、屋外でタバコを吸っている患者が多い。点滴を引きずっている人までいる。それで「ベッドが足りない」というのは、ちょっと違うんじゃないかな。

丸山ワクチン 『臨床瑣談』から


臨床瑣談

中井久夫先生のエッセイ。
精神科的な話ではない部分が多い。

この本で、久しぶりに丸山ワクチンに関する文章を目にした。最初に丸山ワクチンを知ったのがいつだったか忘れてしまったが、そのころは眉唾ものの民間療法の類いだと思っていた。しかし、大学教授が癌になると、助教授がワクチンを買いに行くというから、ただのインチキだと決めつけてしまうのはもったいない気がする。中井先生によると、少なくとも害はないだろうということだ。確かに、害があるならもっと厳しい批判が出回っているだろう。

自分も、家族や自分が癌になったら、丸山ワクチンを試してみようかな、なんて、そんな気持ちになってしまうのは、俺が影響されやすいからか、中井先生の文字による精神療法(?)が高度なのか。このワクチンは、注射してくれる医師さえいればわりと簡単に受けられる。ワクチン自体の値段も、思っていたより高くない。
1クール分(通常はA=10本、B=10本、隔日注射により40日分)につき9,000円+消費税=9,450円です。この外に医療機関に支払う注射料(技術料)、文書料(経過書作成)等が必要ですが、自費診療になりますので、いくらという規定はありません。
もっと入手困難で、高価で、煩雑な手続きがいるのかと思っていた。この点、自分は医師で良かったなぁと思う。身近な人から頼まれたら自分が担当医として注射しても良いが、患者から依頼されたら、さて、どうだろうか……。まずは内科主治医に相談をするように勧めるだろうな。

本の話からはそれたが、身近に癌患者がいる人は、この本の丸山ワクチンに関する部分を読んでみて欲しい。

丸山ワクチン・オフィシャルサイト

砂の彫刻師@ハワイ

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ウクレレ

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2011年12月26日

不眠症を改善するための4つの原則

不眠を訴える患者に指導するポイントは、多すぎると覚えきれない。だから、たいていは以下の4つだけに絞って徹底するように伝える。
  1. 起きる時間を、土日も関係なく一定にして、寝坊・寝だめをしない。
  2. 昼寝をしない。
  3. ベッドの中で何もしない。
  4. 30分以上しても寝付けなかったら、それ以上ベッドに留まらない。
この4つでも多すぎるので、たいていは「昼寝をやめてみましょう」とか「朝寝坊をやめてみましょう」とか、一つだけ提案してみる。それでも実行はなかなか難しいという人が多いけれど……。

一般的には、例えば寝る数時間前から照明を暗くしておくと良いとか、ハーブティーやホットミルクが良いとか、そういう方法もあるが、これらはわりと面倒だし、毎日やるとなると難しい。

「○○しない」に特化した4項目も厳格に守るのは大変だが、本気で不眠で悩んでいるのならやるしかない。手軽に薬で治療するのが医師も患者も楽だけれど、睡眠習慣を改善することなしに薬を飲むのは、暴飲暴食して下剤でダイエットするようなもので、いつかしっぺ返しを食うだろう。

砂の彫刻師@ハワイ

Willway_ER

仲よし雪だるま

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2011年12月25日

手作リース

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チタロウ氏が裏山から蔦や松ぼっくりを拾ってきて作ったリース。



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クリスマスイブにはお菓子の家を作ろう!!

いきなりの企画。
計画性はゼロ。
なんとかなるさ、というチタロウ氏と一緒にまずは買い出し。
ウエハースを骨格に、だいたいで良いから家作りにチャレンジ。

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土台に敷き詰めたサブレ。



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ウエハースをチョコでのりづけして壁にする。



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ドア。



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壁。



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組み立て。



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煙突がないとさびしいよね。



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雪だるまとダンボーで記念撮影。

息を吹き返す

全身、脱力してみて欲しい。

筋肉が弛緩して、肺の空気はほとんど吐いてしまう。だから、溺れた人や気絶した人の肺には空気が残り少ない。そういう人が幸運にも目が覚めたとき、まずは息を吸うんじゃないかと思う(実際にはそんな現場は見たことがないから分からないが)。もし映画やドラマなどで、蘇生した瞬間に息を吐いていたら、それは気絶した演技を、息を吸った状態で止めてやっているということで、役作りとしてはイマイチ不足していたということになる。

ところで、そこで考えてみると、「息を吹き返す」という言葉は逆だよなぁ。
でもまぁ、「吸い返す」というのも変だけれど。

患者が医師・看護師に意図的に暴力をふるう、それは犯罪だ

ちょっと前に、デパートの経営コンサルタントという人が書いた文章で、
「万引きされるお客様」
という言葉が出てきて驚いたことがある。万引きしても「お客様」扱いなら、強盗する連中だって「お客様」扱いだろう。食い逃げする者に向かって「ありがとうございました」と言う店があるだろうか。丁寧な言葉を使わなければ、という強迫観念が、こういう頓珍漢な言葉を使わせるのだろう。

患者から医師・看護師への暴力・性的暴行はずいぶん前から問題になっている。あくまでも、病院関係者の間で、ではあるが。個室に入院している男性患者が女性看護師に抱きついたが、報告を受けた師長は当たらず触らずで、患者も入院したままだった。路上で同じことをやったら絶対に逮捕される。仮に入院患者が重病で、抱き付かれたのが看護師だから許されるという言い分が許されるとしても、シチュエーションを病院外に移せば、誰もが認める性犯罪だ。

一方で、医療従事者は患者から、
「セクハラを受けた」
と訴えられる危険性にもさらされている。これは、あまりにも不公平ではないか。入院患者が看護師に抱き付いて許されるなら、医師・看護師が入院患者に抱き付いても許されるべきだ。というのは暴論としても、現状は医療従事者に対して非常に冷たい。

ルーズ脳なバカ女に妙な肩入れをする精神科医の物語 『彼女は、なぜ人を殺したのか 精神鑑定医の証言』


ノンフィクションだと思っていたら、小説だったのかよ!!

堅いノリの本を想定していただけに肩すかしをくらった感じ。うーん、しまったなぁ。と思いつつ、読み進める。

実際の精神鑑定を知らない読者には面白いかもしれない。精神科医として読んでも、なかなか参考になるような部分もあった。

しかし、だよ。

どうせだれも読まないだろうからネタバレで書いちゃうけど、人を2人も殺しておいて、最終的なオチが無期懲役ってどうなのよ。

メインの登場人物は、主人公である精神科の教授、助手の女学生、被告の女と男。26歳のこの女は、それまで真面目に生きてきた。男は悪さばかりして少年院に入ったこともあり、20歳になったばかり。女はそんな年下男に恋をして、二人で愛の逃避行。まずは親の金を盗み、それが尽きると友人宅に忍び込んで盗み、女は、
「あとで返せば良いので、悪いこととは思いませんでした」
なんて言ってしまう、ルーズ脳にもほどがある呆れ女。

挙げ句、とうとうお金がなくなったものだから、古い知人の家に行って、同級生の女性と母親を殺してしまう。まずは金槌で友人の頭をかち割って、なかなか死なないので包丁で刺して、帰宅した母親を絞殺。男から殴られたからとか、怖かったからとか言っているけれど、本当の理由はもっと男と一緒にいたかったからでしょう、どう考えても。

そんな利己的ルーズ脳な女に、なぜか肩入れしていく主人公の精神科医。文中にも書いてあるが、明らかに陽性の逆転移が起こっている。地裁では死刑判決だったが控訴し、高裁で精神科医の鑑定によって無期懲役となる。

そして、最終章のタイトルが「この人生はなんて素晴らしいんだろう」。

この章は被告の女視点での回想で、
「ようやく自分のことを分かってくれた」
とかなんとか言うのだが、ちょっと待て。お前にとっては素晴らしい人生かもしれないが、殺された2人のことは考えているのか? その2人の家族や恋人や友人のことは? 
誰かを殺すということは、誰かの家族や恋人、友人のこころを殺すということだ。そのあたり、なにも考えてないね、このバカ女。こんなもので情状が認められていたら、日本はまさに犯罪者天国。

読み終えて、なんとも後味が悪い。だいたい、Amazonの宣伝文句が非常に悪い。
26歳、平凡なOL。女性死刑囚の「深層心理」と「からだ」の秘密とは
愛人にそそのかされて、彼女は強盗殺人を犯した。その恋愛心理、幼児記憶、そして胎児期の問題……。精神鑑定の第一人者が犯行の具体的な心理と鑑定の実際を明らかにする。
これ読んだら、たいていの人が実際の精神鑑定の本だと思うって。まさか小説なんて思わないよ、トホホ……。ちなみに、筆者は高名な犯罪精神医学の専門家のようだが、2009年にえん罪となった足利事件でも精神鑑定を行なっている。
当時の被告の弁護人は、「たった3回の面会のみで、当時の被告を代償性小児性愛者と断定した福島の鑑定結果には、大いに疑問の余地がある」とし、福島に対して面会時の録音テープの提出を要求した。福島は再三の提出要求にも、一切応じなかった。
仕方なく当時の被告は、福島に対して民事訴訟を提訴した。当初、自分の名前は「福嶋章」なのに「福島章」と記載されている(やまへん欠落)という理由で訴状の受け取りを拒否した。一方で精神鑑定書も法廷での宣誓書も自ら「福島章」と署名している。民事訴訟になると、福島は「テープは破棄した」と、提訴前の回答とは矛盾する答弁を行った。
Wikipediaより

小説の主人公である精神科医は、足しげく被告のもとへ行って話を聴いている。そして、最初に精神鑑定を行なった医師が先入観で鑑定をしていると批難している。あらら、これでは主人公と筆者の鑑定姿勢が大違いではないか……。

東京島

無人島で5年間生活しなければならないとする。そこで、なにか一つだけ持って行って良いとしたら、なにを持っていくだろう。
島は亜熱帯にあり、野生のバナナやマンゴーはある(ただし野生なのであまり美味しくはない)。危険な動物はいないが、そのかわり一般的な食物となりそうな動物は魚くらい。あとはネズミやヘビ、カメなどを獲って食べるしかない。温情措置として、今身につけている服と靴、それからライターを1個プレゼント。

いろいろ条件をつけていたらややこしくなってきた。シンプルに、一つだけ、なにを持っていくか。ただし、5分以内に手が届く範囲にあるもの。

となると、やっぱり、人だろうなぁ。

たった独りでやっていける自信はない。誰か頼りになる人を、と考えたいところだが、二人きりで息が詰まるような人はやっぱりイヤだ。多少トボけていても、5年間二人きりで大丈夫な人が良い。あぁ、でも、それだとこちらの負担が大きすぎるのかな……? いや、そもそも、向こうだって気づまりなのは嫌だろう。

なんだかどうでも良い話がループ状態になってきた。

無人島なんて行きたくないし、そんな条件付きで行けと命じられることもないから、考えるだけ時間の無駄というもので、ここまで読んだ人にもごめんなさい。


東京島

評価がバラけている小説だが、俺は面白いと感じた。ちょっと設定が都合よすぎるかなと思う部分もあったが、全体としては、飽きずに読みとおせたし、読後感も悪くはなかった。深みはあまりなかったけれど、かといって浅薄というわけでもない。

ゾンビファン必読! 『死霊列車』


死霊列車

センスのないタイトルと海外ホラーのような表紙。これで面白いわけがない、と思ったら大間違い!!
震えあがるくらいにワクワクしながら読んでしまった。

というのも。

この小説、いわゆる「ゾンビ」をあつかった小説なのだ。映画も小説もゾンビ好きな俺としては、見逃す手はないということで買って、みごとに成功、大当たり、心しびれるスマッシュヒット、という感じ。

ストーリーとしてもよくできている。登場人物のキャラもわりとしっかりしている。そして、ゾンビの設定もキッチリ押さえてある。

ゾンビがまん延した日本列島を、島根から汚染の少ない北海道まで列車で移動する。しかし、電気はすべてダメになっているから、乗るのはイベント用のディーゼル車。それを運転するのが、高校一年生の優秀な鉄道オタク、翔太。

なんだか陳腐な感じだなって思うなかれ。次から次へと襲いかかるトラブルがテンポよく、かつ無理なく描かれる。読み終える頃には、うわー続編が読みたいなぁ、と思うほど。

ゾンビ好きにはお勧め。


※本作のゾンビは『28日後』の設定とほぼ同じ。

精神鑑定に携わる若手精神科医には特にお勧め! 一般の人からしても面白いはず!! 『ドキュメント 精神鑑定』


文句なく名著!!
であるにも関わらず、中古しか売ってないとはどういうことだ。

この本は、精神科医にとっては得るところ多く、一般人からしても面白い読み物であろう。自分自身、簡易精神鑑定書を3回作成したが、供述調書自体が非常に興味深い書物なのだ。だから、被疑者の家庭環境、学業・職業歴、犯行前後の行動や心理が記される精神鑑定書は、それだけで一冊の伝記の様相を呈することになる。なかなか精神鑑定書を目にする機会のない一般人や、精神鑑定を誤解している人に、ぜひとも一度読んでもらいたい本である。

新人の精神科医が精神鑑定に携わるとしたら、まずは簡易鑑定からだと思うが、それだって先輩の鑑定書を下敷きにして、指導を受けながらも手さぐりで書き上げることになる。この時、模範となる鑑定書をたくさん読みたくなるし、鑑定に関する考え方を教えて欲しくなる。だが、そういったことを系統的に教えてくれる先輩はあまりいないし、本も非常に少なく、あっても難解すぎることがほとんどだ。

そんな状況にあって、この本は読みやすく、かつ含蓄多いものであった。裁判所での受け答えの仕方、なんてものまでチラリと書いてあって面白い。

ちなみに、著者の林幸司先生は『精神鑑定実践マニュアル―臨床から法廷まで』という本も書かれている。こちらの方が、本書よりは少しだけ難解で、より専門家向けではある。そして、この本、アマゾンで(当時は)中古で1万2800円、なんと定価の3倍である!! 出版元に問い合わせたところ、編集者が俺のメールを林先生に伝えてくださって、喜ばれた林先生が、うちの病院まで本を送ってくださった(送料不要で本の定価のみ振込)。しかも裏表紙にはサインが(笑) ダメもとでもメールしてみて良かった。

2011年12月24日

夜の公衆電話

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やきとり

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さかな屋

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2011年12月23日

こころにまつわる名言が散りばめられている 『こころの処方箋』

理想は人生航路を照らす灯台だが到達点ではない。灯台により航路が照らされ、自分の位置がわかる。しかし、灯台に近寄りすぎると船は難破する。灯台から遠く離れている時は灯台が一時的な目標として役立つ。近くに行くと、遠くに他の灯台が見えてきて、その先の航路を示してくれる。
自己啓発本にハマっていた時期がある。17歳から21歳くらいか。20歳のころ、『こころの処方箋』という本を読んだ。河合隼雄という臨床心理士の書いた本だ。そして、ちょっとガッカリした。当時のガツガツしていた俺にとっては、拍子抜けというか、もっと魂を熱く揺さぶられるようなものが欲しかったのだ。


あれから15年以上が過ぎた今。精神科医となって読みなおしてみた。20歳の俺が見ていた灯台と、いま目指している灯台とは違うのだから、この本の受け取り方も違ってくるだろうと期待して。そしてその通り、今度は、少しちがった視点というか、読み方ができた。

自分の中のなにかが、この本を受け容れる状態になったのだろう。

「人生なんて、100点をとらなくても良い」
そんなことを甘く考えているだけの人に一言。
人生には時に「100点以外はダメな時がある」。常に80点の努力を続けてきている人の「平均点」は人並み以上どころか、大変に高い。ところが100点以外はダメ、という時も80点をとっていてはダメなのである。ここぞという時100点をとっておけば、それ以外は60点で良いのだ。
心の中の勝負は51対49。これは僅かの差である。しかし、多くの場合、底の方の対立は無意識の中に沈んでしまい、意識されるところでは2対0の勝負のように感じている。
サッカーの勝負だと、2対0なら完勝である。従って、意識的には片方が非常に強く主張されるのだが、その実はそれほど一方的ではないのである。
これの言わんとするところは、説明すると長いので本書を読んで欲しい。なるほどなぁと思わせられる。そして、診察室での余裕にもつながる。逆に、緊張感にもつながる。
「努力によってものごとは解決する」と単純に考える人は、「解決」の方に早く目がゆきすぎて、努力に腰がはいらない。野球の守備で併殺をしようと、ちらりと走者を見たばかりにエラーをしてしまうのとよく似ている。大事なのは、まず球を受けとめることなのだ。
人生では、このようなミスに気づかず、努力しても報われないと嘆くことになる。
努力しなければ良いのかというとそうでもない。じゃどうすれば良いんだよ、と思う人もいるだろう。そんな人への処方箋が、本書の中にある。

ハートノカタチ

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ワキガな彼女

僕の部屋全体に薄く敷き詰めたようなワキガのニオイを長時間嗅ぎ続けたせいか、少し頭が痛くなっていた。部屋には彼女と僕しかおらず、自分が普段住み慣れた部屋で異臭を感じている以上、このニオイの元は彼女、いや彼女のワキであると結論付けても良いはずだ。まだ手もつないだことのない彼女に「ワキガだね」なんて言えるはずもなく、僕は彼女が部屋に入って来てからの一時間半、ただひたすらに我慢してきたのだった。

思えば付き合い始めて一か月、高校の中でも、帰り道でも彼女のワキガには全く気付かなかった。それは、空気のよどんだこの部屋と比べて、外界は空気が流動しているからなのだろうか。いや、この仮説は恐らく間違いだ。彼女の隣で授業を受けていても臭いは感じないのだから。いや、それどころか、むしろ良いニオイ、“臭い”じゃなくて、“匂い”さえ漂っていたような気がする。つまり彼女は外に出る時は、制汗剤か何かをワキにつけているのではないだろうか。ということは、彼女は自分がワキガだって気付いてるのか?

いや、そんなはずはない。彼女を見る限り、コンプレックスを持っているようには見えないし、はつらつとしていて、僕が好きになるのも当然だと感じてしまう。ならば、この臭いはこの部屋だけで発していることになる。消臭剤の呪縛を振り切って放散されるほどのニオイ物質が分泌されているのだ。
なぜ?

そこまで考えて、僕はアルバムを探していた手が止まった。ほんの数秒、本棚の前に立ち尽くしてしまった。窓の隙間から僕の部屋に迷い混んで来た風に、何とも言えない違和感を感じたからだ。アルバムに伸ばした僕の腕を爽やかに通り過ぎる春風。その春風に混じる異臭。彼女のそばにいた頃よりも、若干、ほんの少しだけ、いや、正直に言うと結構強く、ニオイが濃くなっていた。
彼女が窓際に移動したのか。
そう思って彼女を振り返ると、ベッドに座ったままの彼女と目が合った。窓のそばに移動なんてしていない。いや、それどころか、むしろ、僕の方が風上なんだ。煙が風上から風下へ流れることくらい、小学生だって知っている。水だって川上から川下へ流れるはずだ。臭いだけが風下から風上に流れるなんて道理がありえるだろうか?
そんなわけがない。そんなこと、あるはずがない。

だとしたら、この臭いは一体……、いや、つまり僕の……。
アルバムに手を伸ばしかけてからの六秒半。
全てを悟ってなお余りある時間だった。
彼女から目をそらし、アルバムを探すふりをした。
そして考えた。
例えば僕が肥溜めに生活していたとしよう。いつのまにか肥溜めのニオイには慣れてしまってクサく感じなくなる。ところが、ある日から、肥溜めに凄く良い香りのする消臭芳香剤が置かれるようになって、その香りに慣れてしまったとしたら、きっとちょっとしたニオイでさえクサく感じてしまうんじゃないだろうか。そう、僕の脇、僕の部屋、これらは肥溜めなんだ。
彼女は最高級の芳香剤。
この部屋に満たされたその香りに包まれてしまったが故に、僕は自分の臭いが強烈に感じられるようになってしまったのだ。なんという皮肉。なんという茶番劇。

今なら分かる。中学校の修学旅行のバスの中で、僕の隣の子が風邪ひいていたにも関わらず窓を開けていたことの理由が。
今だったら分かる。プールの時間、外から丸見えになるのに、更衣室の窓を全開にしていたクラスメートの気持ちが。
今だからこそ分かる。僕がプロレスごっこに混ぜてもらえなかったのは、決してイジメなんかじゃなかったってことが。
自分が、彼女でも他の誰でもない、この僕が、正真正銘のワキガだったということに、このとき初めて気がついた。もう、彼女の方を振り返ることができない。

恐ろしい。恐ろしいんだ。今、彼女がどんな目で僕の背中、僕のワキのあたりを見ているのかが、気になって、そして恐ろしい。恐怖がアドレナリンを分泌させて、ますますワキ汗が出ている気がする。ニオイが風上から風下へ、僕のワキから彼女の鼻へ流れていく。風を止めたい。窓を閉めたい。
そうすれば……、

いや、ダメだ、ニオイが充満してしまう。いかな高級芳香剤とて、このメガトンパンチ級のワキガに敵うものか。
もうだめ。
正直、消えてしまいたい。
ニオイが消えるか、僕が消えるかのどっちかだ。
さぁ、僕よ、消えてしまえ。
そんなことを祈ったところで、僕もニオイも、両方とも存在し続けている。当たり前だ。僕のニオイなんだから。そして、時間だけが虚しく過ぎていく。

その時、背後でベッドのきしむ音がして、それから畳の上を歩く音が聞こえてきた。彼女が、僕の近くに来ている。来ないで欲しい。来ないでくれ。来るな。来ちゃだめなんだ。ここには、全てのニオイの源泉があるんだよ。
そんな僕の気持ちも知らず、彼女が僕の後ろに座る気配がした。もう、逃げられないんだ。正直に言おう。正直に話して、いや、正直に話すまでもなく、すでに彼女は僕がワキガなんてこと分かりきっているんだろうけど、ちゃんと告白して許してもらおう。今度からは制汗剤と、銀入りの消臭剤と、それからギャッツビーの香水もつけるから。
だから、お願い。
嫌いに、ならないで。

「あ、あのさ」
僕は彼女に背中を向けたまま声をかけた。
彼女は、
「ん」
と間の抜けたような返事をしただけで、何も言わなかった。
「あの……、わ、わ……、卒業アルバムがさ……」
言いたいことが言い出せない。
「見つからない?」
彼女がそう言って僕の肩の上から本棚を覗き込んできた。
「ちょちょちょっと」
僕は思わず体をひねって横に逃げた。
そんな間近で嗅いじゃダメじゃないか。そこはカオスなんだよ。そんな僕を見て、彼女が笑った。
「あぁ、照れてる照れてる」
違うよ、照れてるんじゃないよ、君を守ったんだよ、僕の生体兵器から。
「照れるなよぉ」
そう言って、彼女は人差し指で僕のワキをくすぐってきた。彼女の指が、自爆スイッチを押すマッドサイエンティストの指に見えた。
「ぐぁ」
と声にならない声を出して、僕は思わず立ち上がった。そして、このチャンスを利用して風下へまわった。彼女は笑い転げている。

少しホッとすると、汗が引いていき、その分だけ春風が少し肌寒く感じられた。
「少し寒い」
笑いの余韻を残しながら、立ち上がった彼女が言った。タンクトップ姿ですっと立つ姿がめちゃくちゃ可愛い。
「うん、ちょっとね。まだ四月だし」
そう僕が言うと、彼女は窓に向かって歩きだし、そして窓を閉めようとした。
「だだだ、だめだよ」
思わず強い口調で言ってしまった。ダメだよ。閉めちゃ。パンドラの箱は開けたら悪いものが飛び出しちゃったけど、その窓は閉めたら悪いものが溜まっちゃうんだよ。だから、お願い、閉めないで欲しい。
僕の心の叫びが彼女に届くはずがない。
「なんで」
彼女は僕の言葉の強さに少し驚いたような顔で、だけど躊躇せずに窓を閉めた。
「風邪ひくじゃん」
そう言って彼女は笑った。
もう、だめだ。逃げ切れない。

「ワキ……」
「え」
彼女が自分のワキを見た。
「ワキ毛……、ある? もしかして」
わざとか、この人は。このリアクションは嘘だろう。
「いやいや、そうじゃなくて、僕のワキ」
彼女の天然な反応に、思わずスラッと言葉が出てしまった。
「僕のね、僕のワキがね、くさいの、におうの、分かる? 分かってるでしょ?
くさいでしょ? におうでしょ? ぶっちゃけ我慢してるでしょ?」
一度出始めた言葉は、ドンドン溢れてきて止まらなかった。
あぁ、まるで、あの時みたいだ……。

「正直に言っていいよ。僕、覚悟できてるし。僕自身、今日初めて自分がクサいってことに気づいたんだからお笑いだよね。いや、ほんと、笑って良いよ。ていうか、むしろ笑って欲しい。笑い飛ばして欲しいよ、まじで。笑いでニオイを吹き飛ばしてくれ、なんてね、ははは……、クサいってつらいね。
僕のせいじゃないのにね。多分ワキガの遺伝子があるんだよ。多分オヤジもワキガなんだよ、多分ていうか、絶対」
言葉を切るのが怖い。僕が言葉を切った時、彼女の口から出てくる言葉を受け止めるのが怖い。だから、言葉が切れない。あぁ、まるで、あの時と同じだ……。

彼女が何か言おうとしたけれど、そんなことさせられない。
「ぶっちゃけね、今日君がうちに来てからさ、なんとなくニオイに気づいてて、多分それは君のせいだなんて思っちゃってたんだよね。ひどいよね、最低だよね、僕って最悪。自分がクサいのを君のせいにしてたんだからさ。もう本当、自分が情けないよ。情けなくて、なんていうか笑いさえさ、ははは、込み上げてくるっていうか、マジ、ほんと、なんていうか、ゴメン、ごめんね」
そこまで言い切って、僕は大きく息を吸った。
そう、あの時もそうだったんだ……。

「クサくて、ごめんなさい」
そう言うと、虚しさがへその辺りから心臓の辺りに上ってくるみたいだった。
もう、彼女の顔が見られなかった。
「くっ」
彼女の声、息を止めていたのを解放しているかのような声が聞こえた。
それから、また、
「くっ」
そして、それがだんだんと速く連続していって、僕は彼女が笑いをこらえているってことが分かった。
やっぱり、おかしいんだ。彼女は耐え切れなくなったのか、「くっ」の連続はもう完全な笑い声になってしまって、おそるおそる彼女を見てみると、彼女は右手を口に、左手はお腹に当てて、いかにも笑ってますっていう姿勢で笑いまくっていた。笑いすぎて腹筋が痛くなってきたのか、口に当てた右手もお腹に持っていって、顔がやや引きつりながら、それでもなお笑い続けた。
ようやく一息ついたかと思うと、また思い出しておかしくなるようで、再び笑い始めた。そんな彼女の姿を見ていると、もうなんだか僕にまで笑いがうつってしまって、僕もだんだんとおかしくなってしょうがなくなってきた。だけど、僕が笑うのは変だ。だから笑うのをこらえようとしたら、変な声が出た。
「ふひひ」
僕のその声がさらに彼女の笑いに火をつけてしまった。もう、彼女の笑い声はとてもかわいらしい女の子の声とは言えない、なんというか獣の咆哮のような凄まじい笑い声だった。この笑い声を聞くのは、二回目だ。この雰囲気、なんていうか、まるであの時とそっくりだ。あの時、僕が彼女に……。

「なんかさ、ガハッ、私がさ、グホッ」
彼女はライオンのような笑い声をなんとか落ち着けて、やっとまっすぐ立ち直した。
「なんか、告白された時みたい」
「そうだ……、っけ。そう、なん、だよね。そんな感じ、ていうか、こんな感じ、だったね」
「草野君さぁ、あの時もだだだぁって喋りまくって、私が何か言おうとしても何も言わせない感じで、
最後に一言だけ、“告白してゴメンナサイ”って、グフッ」
そう言って、また、彼女は笑い始めた。

帰り道。
自転車に二人乗りして彼女を送った。彼女が背中から遠慮深げに僕のベルトをつかんでいる。自転車がちょっときつめの坂道にさしかかって、僕はちょっと身構えた。汗が、出ちゃう。
「押して上ろうか」
坂の手前でそう言うと、彼女が、
「だめ!! 気合い!! のぼっちゃえ!!」
彼女はそう言って僕のベルトから手を離して、それから、僕の腰に手を回してきた。僕の背中に彼女の顔が思い切り当たっているのが分かる。抱きしめられている、って感じ、なのかな。
「汗、出るけど、良いの?」
僕は少し大きな声で聞いてみた。
「あたしさぁ」
彼女も大きな声で言った。彼女のほっぺたの動きが僕の背中に伝わってきた。彼女の声の振動が僕の心臓に響く。
「草野君のニオイ、嫌いじゃないよ。なんていうか、夏のニオイ、って感じ」
「夏の? 夏のニオイって?」
「夏の草むらのニオイ」
「それってさ……。くさいじゃん!!」
「ううん、あたしは好きなの!!」
そう言って、彼女はまた僕の背中に、さっきよりも強く顔を押し付けてきた。これから、僕と彼女は坂をのぼる。僕は自転車を精一杯こいで、背中に汗をにじませながら、彼女は汗のにじんだ僕の背中に顔をうずめて、二人して坂をのぼる。一緒に、坂をのぼるんだ。春の風が吹いて、汗が少しスッとひいた。

まだ四月なのに、夏の草むらのニオイがした。

2011年12月22日

人生、生きてるだけで丸儲け

本日は病棟のクリスマス会。

フロアより30センチほど高くなっているタタミコーナーをステージに見たてて、まずスタートは、患者と作業療法士によるハンドベル演奏。これがなかなかイカしていて、ベルの配り間違いのせいなのか、音程がハンパなく狂いまくっているんだけど、リズムはバッチリ。それで、できあがった音楽は、どことなくエキゾチックなガムランの香り。



非常に不思議な音楽鑑賞だった。

次に、俺の弾き語り。躁うつ病の躁状態で入院中の女性から、
「センセー、カッコイイー!!」
といった応援を受けたりしながら、無事に『笑顔のまんま』を熱唱しきった。お礼を言って引き上げようとしたら、アンコールがかかったので、用意しておいたブルーハーツの『青空』をまた熱唱。

みんなが真剣に聴いてくれるのが嬉しかった。ギター始めて16年。こんなに大勢の人が真剣に耳を傾けてくれたのは初めて。やってて良かったアコースティックギター、なって良かった精神科医。

そのあとは、副師長による日本舞踊。クリスマス会に日舞というミスマッチも、キャラで押し切るところがグッド。

続いて、看護師によるハンドベル演奏。こちらは、非常に完成度が高く、思わず感動してしまった。ハンドベルって、テレビの隠し芸の定番で興味なかったけれど、生演奏を聴くと非常にキレイな音色で、良いもんだなぁ。

ガムランで始まり、サンタさんからのプレゼントで終わる素敵なクリスマス会だった。

殺人は意外に身近で起きている

毎年、日本でどれくらいの人が殺されるのだろう。ちょっと調べてみたら、2007年で509人。ただし、これですべてではなく、殺されたものの行方不明扱いのままで、いまだ見つかっていない被害者は含まれない。

殺害方法はさまざまだろう。理由も、衝動的なものから快楽欲求によるものまで。ただ、殺された人に家族や友人がいた、という点では、どの殺人も変わりはない。

そう、どんな人にも、家族や友人がいるのだ。そしてそれは、加害者についても同じことが言える。知り合いの知り合いの知り合いくらいまで手を伸ばせば、誰だって殺人事件の加害者、あるいは被害者にたどり着くんじゃないだろうか。現に俺は、精神科医という職業柄というのを抜きにして、知り合いの知り合いで殺された人がいる。同時に、こちらは職業柄ではあるが、人を殺したという人を知っている。みんなが思っている以上に、殺人は身近で起きているのだろう。

自然災害が猛威をふるいすぎた今年、一過性かもしれないが防災意識は非常に高まった。また、詐欺に関してもテレビでたくさん特集が組まれ、警戒心が強まっている。
では、防犯意識はどうだろう。催涙スプレーやスタンガンを持ち歩いている女性がどれくらいいるだろう。本気で殺意をもった者に襲いかかられて、撃退する自信のある男性なんて果たしているだろうか。

改めて書くが、殺人は想像以上に身近で起きている。まさか自分や家族や友人が、などと思うことなかれ。それは被害者としてだけでなく、加害者としても、だ。

2011年12月21日

笑顔のまんま

精神科病棟でやるクリスマスパーティで、ギターの弾き語りをすることになった。
大勢の人前でギター一本持って歌うなんて、もう何年ぶりになるだろう。選曲に迷ったが、企画者の作業療法士さんから、クリスマス関係なくて良いと言われたので、BEGINの『笑顔のまんま』を一番だけ歌うことにした。

この歌詞は、入院している患者の顔がなんとなく浮かぶから良い。こういう言い方もどうかとは思うが、ほんと、アホでもなんでも、人生は生きているだけで丸儲け。

ちなみに、まさかのアンコールに備えて、ブルーハーツの『青空』も用意している。
(せっかくギターを病院まで持っていくのだから、押し売りするかもしれないが……)
サビの部分、
「生まれた所や皮膚や目の色で、いったいこの僕の何が分かるというのだろう」
というところを、
「入院している病棟や病名で、いったいこの僕の何が分かるというのだろう」
に変えようかどうしようか、迷っている。
さすがに、それはちょっとあざといか。


正解はない、あらゆるものがヒントだ

極端な話だが、精神科の治療に絶対的な正解はない。あえて正解があるとすれば、それは結果論として「正解だった」と分かるくらいか。

それに対して、ヒントは多い。これは極端な話ではなく、ありとあらゆるものがヒントになる。読む本、観る映画、聴く音楽、出会う人、歩きながら考えたことなどなど、日常で触れるすべてのものが診療のヒントになる可能性を持っている。

ただし、可能性があるというだけで、アンテナを張っていなければ素通りする。名医の定義はともかくとして、評判の良い本を書いている精神科医は、皆おしなべてこのアンテナが敏感で、かつ広範囲をカバーしている。その代表格が中井久夫先生だろう。

生き方を考える、考え直す 『定年ゴジラ』

医師は、定年をあまり意識しない職業だ。
少なくとも、俺はいつリタイアするかをあまり考えたことがない。勤務医としての定年はあっても、そのあと、嘱託医や開業医の道もある。小さな精神科クリニックを細々とやっていくのも良いかなと考えている。だから、「定年」というものの仕組みも実はよく分かっていない。

60歳、職業によっては65歳、自衛隊なら55歳、など定年の年齢が決まっていることは知っていたが、その年齢の誕生日に定年退職になるということは、つい最近まで知らなかった。スタートは学校卒業後の4月にヨーイドンでも、リタイアするのは誕生日ごとだなんて……。4月生まれが早く辞められてラッキーなのか、3月生まれが長く働けて得なのか。個々人の生き方の問題だろうが、俺はできれば長く働きたい。


老後、なんてあまり考えたことがなかったけれど、思えば俺ももう36歳、折り返し地点といっても良いだろう。家族を持つ身としては、自分の死も、心の片隅、頭のどこかに置いておくべきかもしれない。子どもらが働くまでに充分足るような財産を残してあげられるか、俺の死後、妻が人並み以上の苦労を背負うようなことがないだろうか、パソコンの中にある見られて恥ずかしいものはどう処分すべきか、などなど。

生き方を考えるというのは、精神科診察室でのメインテーマと言ってもいいかもしれない。みんなの悩みの多くは、つまるところ、生き方の悩みだ。生真面目な人にふりかかる冗談みたいな出来事、
フラフラ生きる人にのしかかる深刻なトラブルなど、要はそれぞれの生き方にそぐわないものが悩みの種になる。そこで悩みそのものを消失させられたら良いけれど、なかなかそうはいかない。だったら、生き方のほうを少し考え直してみませんか、せっかく病気になったんだし。



定年ゴジラ

思いがけず精神科の話になったが、メインは本書。定年した山崎さんと、同じ町内の人たちの悲喜こもごもの話。あいかわらず、重松さんの筆が冴えている。

30代以上から定年前後の人たちにお勧め。

黒の情熱

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2011年12月20日

薬局で渡されるデパケンの説明書について

薬局でもらう薬の説明書。あれを読んだせいで、薬を飲まないと決める人もいる。躁うつ病の人にデパケンという薬を処方したところ、説明書に「けいれんを抑える薬です」と書いてある。確かに、デパケンは代表的な抗てんかん薬ではあるが、躁うつ病の治療薬としても主力選手だ。

先輩医師によると、この説明を読んで、
「わたしは、けいれんが起こっているわけではない!」
と言って、デパケンを一切飲まなくなった人がいるそうだ。家族も、医師の処方の間違いではないのかと思ったらしい。診察・処方時にもう少し説明をしておけば良いのかもしれないが……。

デパケンは片頭痛の治療薬としても承認された。これで、デパケンの説明書に「頭痛の薬です」と書かれるようになったら、はて、すすんで飲むようになる人が増えるのか、それとも、
「頭が痛いわけじゃないんだ!」
と薬を拒否する人が増えるのか、どっちなのだろう。

連合弛緩と観念奔逸、それから、妄想を語る人を現実に引き戻す大切さ

統合失調症で妄想が活発で、連合弛緩もあって、支離滅裂な会話を延々と続ける患者さんがいる。「連合弛緩」とは、会話内容にまとまりのないことだが、これは実際に見てみないと分かりにくい。具体的には、

「東京が北朝鮮から攻められていることは明らかに分かっているけれど、そもそも連続殺人犯が喫茶店のママをしていて、それが実の姉だと最近分かって、だから自分もどうにかしないといけないと思って戦っている。実際のところ、私はFBIだから、走り回って皆を守っているんだ」

といった感じで、ひたすら話しまくるけれど、聞いている方には何がなんだか分からない。ストーリーにまとまりがなさ過ぎて、こちらの頭にも残りづらく、したがってカルテにも記載しにくい。

躁病の人が多弁になる時の「観念奔逸」は、統合失調症と違って、連想ゲームのようなまとまりのなさになるが、一応ストーリーはしっかりしている。具体的には、

「北朝鮮がミサイルを発射したみたいだけど、ミサイルは何でできているのかしら? 鉄かしら? 鉄工所で作っているなら、うちの父が鉄工所で働いていたから少しは分かる。父はすごく厳格な人だったけれど、母は優しかった。母は地元が東北の人で、だから漬物が大好きで、そのせいで高血圧になって、私も高血圧で、この前病院で診てもらったら薬を飲みなさいって言われました。ミサイル? あぁ、そうそう、北朝鮮がね」

といった具合に、一応それぞれのストーリーは筋が通っている。話が逸れたことを、それとなく知らせると、気を悪くした様子もなく、パッと本筋に戻る。

両者とも思いつきで書いたので、例えが下手で伝わりにくいかもしれない。

さて、精神科医になりたてのころ、指導医K先生に教わったこと。

妄想活発な人に体調や食事や睡眠などの現実的な話をして、一回の面接で数秒でも現実に引き戻してあげることが大事。現実に引き戻す時間が数秒から数十秒、数分、さらに数時間と伸びていけば、それがその人の回復の証。

砂の彫刻師@ハワイ

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砂で造った彫刻である。

ギリシア神話を知っていますか?


二十歳の頃に一度読んだ。今回、改めて読み直したのには訳がある。それは、精神科の先輩医師が、
「現代の精神疾患や精神分析のエッセンスはギリシア神話に全部ある」
と言っていたからだ。さすがに、その先輩の言葉は大げさだとは思うが、教養としてのギリシア神話に改めて触れておくのも悪くない。そういう思いで読み始めることとなった。

ギリシア神話といって思いつくのは、「ナルシスト」の語源にもなったナルキッソスに関するものだが、今回この本を読んで『アリアドネの糸』も印象に残った。

アリアドネと聞いてもピンとこない人は多いと思う。この人に関連するミノタウロスというと「あぁ」と思う人は多いかもしれない。ミノタウロスとは頭が牛、体が人という怪物で、クレタ島のはずれにある迷宮に棲み、毎年、生け贄として捧げられる少年少女7人ずつを食べていた。

このミノタウロス退治にやってきたのがテセウスである。テセウスはアテネの王子であり、アテネとクレタは政治的に争っていた国であった。では、どうしてアテネの王子がクレタ島の怪物退治に乗り出したかというと、過去にアテネとクレタが戦い、アテネが負けてしまったせいで、毎年、アテネからクレタ島に少年少女の生け贄が捧げられることになったからだ。アテネの王子としては、立ち上がらないわけにはいかなかった。一方、アリアドネはクレタの王女であった。生け贄の中に混じってクレタへやってきたテセウスに、アリアドネは恋をした。敵国の王子に恋をするなどもってのほかであるが、そんな障害があればあるほど恋心は燃えるものかもしれない。

いよいよテセウスたち生け贄が迷宮へ送られる前日。いてもたってもいられなくなったアリアドネは、迷宮の設計者ダイダロスのもとへ行った。しかし、ダイダロスも年老いていて迷宮の構造は憶えていないし、設計図は王の命令で処分されていた。そこで、ダイダロスはアリアドネにこうアドバイスをした。
「迷宮へ入るテセウスに糸玉を持たせなさい」
なんてことのない助言だが、この糸玉のおかげで、ミノタウロスを退治したテセウスは迷うことなく迷宮から脱出できた。クレタの王としては、ミノタウロスを倒したことは良いとしても、アテネの王子に娘が恋をして手助けをしたことは不愉快である。気持ちの問題だけでなく、娘を見逃すことは王としての威厳にも関わる。アリアドネは国にとどまればどうなるか分かっていたので、テセウスとともにクレタから逃げ出した。

これで一件落着すれば良いのだが、クレタの王としては何らかのケジメをつけなければいけない。そこで、アリアドネに糸玉のアドバイスをしたダイダロスが標的となってしまった。ダイダロスはミノタウロスのいた迷宮に閉じ込められることになったのだが、その時にとばっちりを喰らったのがダイダロスの息子で、あの有名なイカロスである。ダイダロスは翼を作り、イカロスとともに飛んで迷宮を脱出するのだが、父親の制止も聞かずに上へ上へと飛びすぎたイカロスの翼は、太陽の熱で接続部の蝋が溶けてしまい、まっさかさま地面に落ちることになった。

逃げ出したアリアドネがどういう人生を歩んだかは、この本を読んでもらうとして、こういう話が好きな人にはお勧めの、読みやすいギリシア神話入門書(?)である。

2011年12月19日

サンタさんのプレゼント

小さいころ、お父さんが死んだ。車にはねられたのだ。お父さんは二十七歳だった。わたしは五歳だった。泣かなかったと思う。泣いた記憶がない。中学校に入るまで、お母さんが泣いているのも見たことがない。小学校のころを思い出すと、家でお母さんの帰りを待つ自分と、くたくたになって帰ってくるお母さんの「ただいま」という笑顔が真っ先に浮かぶ。小学校に入る前の記憶には、ちらりちらりと、お父さんが出てくる。記憶の中のお父さんは、大学生のわたしにとってはもはや「お父さん」と呼ぶには若すぎる。少し上の先輩という感じだが、そのうち後輩、それから子ども、いずれ孫みたいに感じるのかもしれない。

お父さんが、わたしへのクリスマスのプレゼントを買った帰りにはねられたことは、だいぶ後になって、わたしが中学に入ってから知らされた。そのときはショックで涙もたくさん出た。お母さんが泣いているのを初めて見たのもあの時だ。倒れたお父さんのすぐ近くに、リボンをつけた大きな白い熊のぬいぐるみが転がっていたらしい。ところどころに少し赤茶けたシミの残ったぬいぐるみを、十三歳のクリスマスにお母さんからもらった。

ところで、お父さんの命日はクリスマスイブじゃない。十二月十日、クリスマスイブ二週間前の土曜日だった。お父さんはわたしに、サンタさんにお願いするプレゼントを尋ねてきた。
「きっとサンタさんは忙しいからね、早めにお願いしとかなきゃなんだ」
お父さんは、そう言って笑った。これも後になって知ったのだが、その年のクリスマス前後、お父さんは仕事が目いっぱい入っていたらしい。だから早目にプレゼントを、ということだったのだろう。

そういうわけで、わたしはクリスマスには複雑な思いがある。決して嫌いではない。でも、手放しではしゃぐ気持ちにもなれない。我が家のサンタさんは、プレゼントのために車にはねられちゃったんだから。

高校を卒業したわたしは、お母さんのおかげで、隣の県の大学に進学できたうえに、一人暮らしまでさせてもらえた。最初の年、つまり去年のクリスマス、友だちから「シングル」ベルパーティというものに誘われた。なんのことはない、彼氏彼女のいない人たちが誰かの家に集まって飲み会するというだけだ。毎年クリスマスイブは、お母さんと熊のぬいぐるみと過ごすのが恒例だった。二人と一匹でお父さんの話をするのだ。だから、ちょっとためらった。お母さんに相談したら、
「年ごろの娘なんだから、参加してお父さんを心配させてあげなさい」
と言って笑っていた。

参加者に一人、サンタについて熱く語っている人がいた。ケイちゃん、とみんなから呼ばれていた彼は、煙突とかサンタとか熱く語りすぎて笑われていた。でもわたしは、そんなケイちゃん、ケイイチ君に好感を持った。クリスマスに、煙突があればサンタがプレゼントを持ってきてくれるかもしれない。なんというか、子どもっぽいような、でも、その考えには優しい感じがある。わたしのお父さんは、わたしに黙ってこっそりプレゼントを買いに行ってくれた。サンタさんはいるんだよって信じさせるために。ケイちゃんを見ていて、うまく言えないけれど、こう思ったのだ。
こういう人だったんじゃないかな、お父さんって。

帰り道は雪が降りそうなくらい寒かった。途中まで方向が同じだったので、ケイちゃんと一緒に帰った。二人きりになると、なんだか急に恥ずかしくなった。飲み会で、お父さんと重ねるなんて変な想像をしたからかもしれない。意識し始めたら、顔が赤くなってきたのが分かった。たぶん、耳まで真っ赤だ。ショートカットだから、赤い耳が丸見えかもしれない。
「煙突があれば、きっとサンタも来てくれるさ」
照れ隠しのつもりでそう言うと、ケイちゃんは空を見て黙り込んだ。しばらく歩いても、返事がない。なにを考えているんだろうか。この人は、ちょっと不思議くんなのかもしれない。妙に気まずくなった。
「じゃ、またね。来年もクリスマスしようね」
帰り道はまだしばらく同じ方向だったけれど、私は逃げるように別の道に入った。うしろから、ケイちゃんのクシャミが聞こえた。

今年のクリスマスイブは、そんなケイちゃんと二人で居酒屋にいる。三月から始まった交際は、もう十ヶ月目になるのに、まだ手しかつないだことがない。この十ヶ月で、ケイちゃんがかなり天然で、それ以上に奥手だということが分かった。ロマンチックな雰囲気作りも、どうも苦手っぽい。いま、居酒屋にいるのがその証拠だ。それでも、シャンパンで乾杯するところまでは気が回っていたのだ、ケイちゃんも。それなのに、
「音が安っぽいな」
なんて、そんなこと言わなくてもいいのに。
「そう? 良い音」
わたしは、そんなケイちゃんが、大好きだ。
「わたしは好きよ」
耳が熱くなった。

今日こそは、ちょっとだけ勇気を出して欲しかった。いや、勇気を出したかった。片方だけ借りた手袋を左手にはめて、右手でケイちゃんと手をつないだ。ケイちゃんの華奢なわりに意外に厚い手のひらが、わたしは好きだ。指をからめるんじゃなく、包み込むようにつないでくれるところも。

ケイちゃんを部屋に入れるのは初めてだった。そのために、朝からけっこう気合いを入れて片づけた。ケイちゃんが喜びそうなプレゼントも用意して飾っておいた。さらにビールも用意しとこうかと思った。でも、天然のケイちゃんから、わたしが一人で晩酌しているなんて思われかねないからやめた。帰り道のコンビニに二人で立ち寄ってビールやお菓子を買った。

テレビを見ているふりをしながら、わたしは自分の手を少しずつケイちゃんの手に近づけた。一分で一ミリくらいの、慎重な動き。ようやく手をつないで、しばらくするとケイちゃんが、
「キスして良い?」
まさか奥手のケイちゃんがそう来るとは思っていなかったので、驚いてビールを吹きだしそうになった。小さく咳きこんだら、ケイちゃんの顔がすぐ近くに来ていた。歯と歯がぶつかった。
キスってこんな感じなの!?
びっくりしていたら、ケイちゃんが電気を消した。それから、もう一回、今度はゆっくりな、キス。唇が唇に触れるって、こんなに柔らかいんだ。ケイちゃんの舌が、わたしの唇に触れる。わたしの舌が、ケイちゃんの舌をさぐる。ケイちゃんの唇が、わたしの舌を求める。わたしの唇が、ケイちゃんのすべてを欲しがる。ああ、なんていうか、溶けそう、と思ったその時、ケイちゃんは唇を離して、
「煙突さえあれば、サンタが来てくれるんだけどな」
どこまでもロマンチックに程遠いのだ、ケイちゃんは。
そして、そんなケイちゃんを、どこまでも好きなのだ、わたしは。
「大丈夫、サンタさん、今年は来てくれるよ」
わたしは、そう言って指差した。

ケイちゃんに喜んでもらえると思って、飾っておいたプレゼント。ミニチュアのかわいい家。洋風のレンガ造り。もちろん、煙突つき。

ケイちゃんは、何を勘違いしたのか、あそこを押さえてあたふたし始めた。たぶん、またトンチンカンなことを考えているに違いない。
「いや、これは、いや、そうじゃなくて、いや、これはね」
わたしは、わたしの唇でケイちゃんの口をふさいだ。

クリスマスに対して複雑な思いがなければ、きっとケイちゃんとつき合うことはなかっただろう。我が家からいなくなったサンタさんは、十五年後に素敵なプレゼントを運んでくれたのだ。


ありがとう、サンタさん。

実家のリビングのイスに置かれた熊のぬいぐるみを思い浮かべる。

ありがとう、お父さん。

クリスマスツリーのイルミネーションが、にじんでいく。


(終)

書店

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