2015年11月25日

『クマのパディントン』の作者によるミステリ小説? 『パンプルムース氏のおすすめ料理』


サラッと読み終えるミステリ、なのかな? というのも、大きな謎もトリックもなく終わってしまうからだ。

舞台はフランスの田舎町。主人公のパンプルムース氏は警視庁の凄腕警部だったが退職して、現在はグルメ本の会社でレストランの覆面評価を行なっている。相棒は元警察犬のポムフリットで、この犬もグルメである。

推理小説というよりはユーモア小説という感じで、下ネタもたくさんある。これがフランス流のユーモアかぁ、うん確かに映画『アメリ』のような雰囲気があるぞ、うむうむ納得だ、と思ったら著者はイギリス人だった。あぁ、イギリス流のジョークなのか。

ちなみに、著者のマイケル・ボンドは『クマのパディントン』の作者でもある。

2015年11月20日

「眼球とは、剥き出しになった脳である」という言葉を思い出す一冊 『心の視力‏』

森の中で生活し、森から出たことがないという人は、遠近感覚が凄く乏しいらしい。自分から一番遠いものが2メートル先という生活を続けると、脳がそのような環境に適応してしまうのだ。

あるピグミー族の男性を森から連れ出した人の手記によると、そのピグミーの男性は遠くにある山を手でつかもうとした。さらに車で移動中に、
「あの虫は何だ?」
と言うので、彼が指さすところを見るとバッファローであった。森の中で生活している限り、「小さく見えるもの」は小さいのだ。ところが広い世界には遠近がある。結局、この男性は車がバッファローのいる場所を通り過ぎるまで、決して窓を開けようとしなかったそうだ。彼にとって「徐々に大きくなっていくように見える虫」が、どれほどの恐怖と衝撃を与えたのか、想像すると面白い。

これと似たような体験を中学3年生の時にしたことを思いだした。日本の山田舎で育ったので、ピグミーの男性ほどではないにしても、遠くにあるものはせいぜい数キロ先の山であった。夏休みに祖父とアメリカに10日ほど滞在し、グランドキャニオンに行った。あの雄大な景色を見た瞬間、遠近感がずれたような感じがした。遠くにあるのか近いのか、大きいのか小さいのか。知識ではちゃんと分かっているのに、知覚のほうが追いつかない。目まいがするようなその感覚に、胴震いしたほどである。


本書の原題は『The Mind’s Eye』。オリヴァー・サックスは様々な本を書いているが、今回は知覚の中でも特に眼と脳の関係について、自らが出会った症例と自分自身の体験から深い考察をしている。仕事で眼に関わる人、脳に関わる人、好奇心旺盛な人に勧めたい一冊。

ところで、邦題は『心の視力』であるが、日本で視力と言った場合、一般的には「1.0」とか「0.3」とか乱視とか遠視とか、そういうものを思い浮かべる。このように「視力」という日本語は、眼という器官に集中しすぎるところがあるが、本書のテーマはあくまでも「眼と脳」であり、「Eye」を敢えて「視力」と訳さずとも、『心の目』あるいは『心眼』としたほうが内容的にもしっくりくるのではなかろうか。

2015年11月19日

罪の償いとは何だろう? 模範囚とはどういう意味だろう? 刑務所で大人しく過ごすことが罪を償うということなのか? 『白昼凶刃』

通り魔によって、1歳男児、3歳女児、27歳の母が殺害された現場を目撃した主婦はこう語る。
「倒れた奥さんは『ロアール』の前に仰向けになり、痛い痛いと苦しんでいたいので、“すぐ助けが来るからね”と声をかけてあげました。幼稚園の子は仰向けに倒れて苦しがり、お腹から腸が飛び出して、それを両手でつかんで身をよじっていました。お母さんはその横に倒れて、何かを訴えているようなので、“お子さんはだいじょうぶよ”と声をかけてあげたら、そのとたんに動かなくなりました。診療所の先生はバギーに乗ったまま倒れている赤ちゃんを介抱していましたが、“まもなく死ぬ”といわれ、赤ちゃんはボクシングをするような恰好で両手を前に突き出し、目を開いて口惜しそうな顔をしていました」

白昼凶刃―隣りの殺人者

昭和56年6月17日、歩行者6人を次々と刺し、4人を殺害した川俣軍司(本書内では川本軍平と記載されている)の生い立ちから犯行、裁判の結審までを追いかけたルポである。自分の子どもがちょうど3歳と1歳、妻が29歳で、被害者とまさに同じような家族構成であるために他人事とは思えず、胸が痛む話であった。妻子3人を失った会社員は、若くして父母を亡くし、兄弟姉妹もいなかったため、幸せな家庭に憧れていたそうだ。ようやく手に入れた幸せな家庭生活を踏みにじられ、その後しばらくは酒浸りで体調を崩し、
「この家に居れば妻や子が居る気がして、部屋で子どもとフザけっこする夢を見る」
と洩らし、行き先を明かさずに引っ越しをしたようだ。

逮捕後、犯行方法を確かめるため、警察署で婦人警官を被害者に見立てて再現させたところ、川俣は冷静に再現してみせた。たいていの被疑者は罪の意識にとらわれて手足がすくむそうだが、川俣は平然とやる。それがあまりにも真に迫っているもので、襲われる役の婦人警官が逃げ腰になるほどだったという。

こんなことをしておきながら、警察には、
「殺す意志はなかった、俺が刺したらたまたま死んでしまった」
というようなことを言ってのける。遺族でなくても腹立たしい言い分だが、遺族であれば気も狂わんばかりになるだろう。

死刑を免れて無期懲役で結審した後、川俣は弁護士らに控訴したいと言い出した。二名の弁護士は必死になってそれを止めた。すると川俣は数日考えた後に控訴を取り下げることにする。そして弁護士に、
「今度こそ家庭をもって幸せになりたい。でもお勤めは無理でしょう。誰も雇ってくれないだろうから。……、いや、世の中には物好きがいるから、俺のことを使ってくれるかもしれない」
そんなことを饒舌に語った。
「先のことはともかく、今は罪の償いをしなさいよ」
弁護士にそうたしなめられて、川俣はこう言った。
「だから、模範囚になれば、早く出所できます。十年も経てば出れるから」
罪の償いとは何だろう?
模範囚とはどういう意味だろう?
刑務所で大人しく過ごすことが罪を償うということなのか?

ふと、神戸連続児童殺傷事件の加害者である「元少年A」を思い出した。彼が事件をネタに本を出版したりホームページを作成したりして、遺族の心情を逆なでし続けているにもかかわらず、「元少年A」という匿名で守られていることに違和感と腹立たしさを抱く人は多いだろう。これに対し「法に則った処罰を受けて、罪は償ったのだから」という意見もある。

人を殺した罪を償うということは、そういうことなのだろうか?
俺は違うと思う。
そして、法的に処罰しても罪の償いができない人間には、それ相応の社会的処罰が必要だとも思う。「元少年A」に関して言えば、それは実名と顔写真の公開だろう。

本書の話とは無関係なところへ話が飛んだが、そんなことを考えさせられた。


<関連>
人を殺すとはどういうことか

2015年11月18日

抑制のきいた文章に目頭が熱くなる 『たった一人の生還』


海での漂流記である。

タイトル通り、生き残ったのは著者一人。救命イカダに乗った仲間たちは、一人また一人と命を落としていく。著者は決して自賛することなく、かといって卑屈になったり卑下したりすることもない。逝ってしまった仲間のことを真摯に語り尽くしたいというひたすらな想いがひしひしと伝わってくるような、そんな抑制のきいた文章に思わずこちらの目頭が熱くなる。

素晴らしい本だった。

2015年11月12日

『黄泉がえり』『エマノン・シリーズ』を書いた梶尾真治の想像力とユーモアが光る 『ゑゐり庵綺譚』


惑星ズヴゥフルⅤにあるソバ屋「ゑゐり庵」(エイリアン)の主人であるアピ・北川を主人公としたSF短編が16本と、わりとシリアスな内容の短編2本、それから『包茎牧場の決闘』というもの凄く卑猥なのに、読み終わってみるとなんだか壮大な話だったという短編からなる。

本の最初で、「これは、アイデア・ストーリーを作るという作業に、ひたすらのめり込んでいた時期の作品です」とあるとおり、いずれもキラリと光るアイデアを小説に紡いだという感じで、どれもこれもが面白かった。タイトルからは、もっとフザけた感じのドタバタSFかなと思っていたが、内容はシリアスなものも多かった(ただし登場人物や惑星や宇宙船の名前などはかなりユーモラス)。

SFというだけで毛嫌いする人がいるが、SFは舞台を近未来・未来に設定してあるだけで、中身は普通の小説同様に人間模様や心の機微を描いてあることが多いし、またそうでなければ読んでいて面白くない。本書もSFではあるが、通常の短編集と考えて読んでも充分に楽しめるし、SF初心者にはよくまとまった短編ばかりなので読みやすいはずだ。

2015年11月10日

「バカがボーッと観ていても理解できる」といった酷評にも頷ける 『ゼロ・グラビティ』


子どもたちを早く寝かしつけて、妻とワインを飲みながらの映画ナイト。そこで選んだのが本作。

感想は「面白かったぁ」だが、その後にネットで評価が分かれていることを知り、確かに否定的意見にも納得できるところがあった。シンプルすぎるストーリーについて「バカがボーッと観ていても理解できる」といった酷評もあり、これには思わず吹き出してしまった。確かに単純な映画だった。

壊れた宇宙船から別の宇宙施設まで、ガスをプシュプシュやりながら移動するというのはさすがに無理がある。いくら宇宙には空気がなくて光が弱まりにくいといっても、何十キロも離れている施設を目視できるとは思えない。あの描き方だと、何百メートルしか離れていないような設定だと思うが、実際には施設同士がそんなに接近していることなんてほとんどないんじゃなかろうか。

俺が気に入ったのは、サンドラ・ブロック演じる女性博士が地球に帰り着いて、よろけながら見せた嬉しそうな表情。重力を感じることへの喜びと、その画面に重なる「gravity」の文字。良い組み合わせだと思う。ところで、この映画の原題は『GRAVITY』。どうして邦題でゼロを付け足したのだろう?

宇宙船とか潜水艦とか、そういう密閉空間ものの映画が好きな俺からしたら充分に楽しめたのだが、これでアカデミー受賞というのはやりすぎかな。

2015年11月6日

波乱がないのに退屈しない船乗りたちの無人島生活 『無人島に生きる十六人』


船が難破して、十六人の日本人船乗りが無人島で生活することになった。この時の話が、当時の船長の目を通して語られる。

無人島生活は規律のとれたもので、ケンカやもめ事などの派手な話はない。もちろんラブストーリーもない。いや、あった。島に棲息していたアザラシたちとの、人と動物の親愛という意味でのラブではあるが。

そんな無人島での暮らしぶりが、テンポ良く、活き活きと描かれて、退屈せずにぐいぐい読まされていくうちに、あっという間にラストを迎える。すごく素敵な終わり方だったが、具体的にどういう結末だったかはここには書くまい。

2015年11月5日

果てしない切なさの中に、一筋だけ希望が光る 『夜のふくらみ』


ドロドロに見えるのに、なぜか爽やか、だけどチクリと胸に切ない、そんな小説。これはもう窪美澄(くぼ・みすみ)の十八番といって良いストーリーだろう。

小さい頃から憧れていた2歳年上の圭祐に高校1年生で告白されて付き合いだした「みひろ」は20代後半。圭介の弟の裕太はみひろの幼なじみで、みひろにずっと恋している。全部で6章から成るこの小説は、各章の主人公がみひろ、裕太、圭介の順で繰り返す。

これはジャンルとしては恋愛小説というのだろうか? なんだか恋愛ものとは違う気がする。恋愛事情を軸にしつつも各人が背負う人生を描いてあり、もし映画化されてレンタルビデオ屋に並ぶなら「ドラマ」のジャンルに置いて欲しい、そんな一冊。

2015年11月2日

形を味わう人、色を聴く人、そんな共感覚者について深く考察していく硬派な一冊 『共感覚者の驚くべき日常』


音を聞くと色が見えたり、食べ物を味わうと手触りを感じたりといったぐあいに、ある感覚刺激があった時に、別の感覚が生じる人たちがいる。こういうケースを「共感覚」と言い、最近はわりと知っている人も多いかもしれない。

本書は、10万人に1人とも、2万5千人に1人とも言われている共感覚者をテーマにした本。面白そうなタイトルだが、中身はかなり硬派なのでだまされてはいけない。神経内科医が、専門用語・医学用語をふんだんに使いながら共感覚の謎に迫っていくので、脳神経系の解剖学に疎い人が読むと、きっと眠くなる。下手したら投げ出すだろう。

精神科医としては、臨床のヒントになることや医療者としての教訓がちりばめられていて、同じ医療者にはお勧めしたい一冊だが、上記したようにあまり解剖に詳しくない人はチンプンカンプンになりかねない。脳神経の解剖なんて忘れちゃったという人は、避けておくが吉かもしれない。