2017年1月30日

キネシクスの天才・ダンス捜査官が挑む犯罪、今回はネットがテーマだ! 『ロードサイド・クロス』


キネシクスとは、相手の体の動きからいろいろな感情を読み取ったり、嘘をついているかどうかを探ったりする技術である。主人公のキャサリン・ダンスは、このキネシクスの天才である。

今回のテーマはネット。ブログやMMORPGの話がふんだんに出てくるし、ブログコメントを訳すのに「バカかw」と「w」を使っているのが、翻訳者は大胆かつ優秀だなと思った。ただ、時どき出てくるダジャレのようなものが、どうしても上手く訳せず、元の英単語のルビがふってあったのは少々残念。外国語のダジャレやジョークを「もとの言語に頼らない翻訳文」にするのは超のつく高等技術なので仕方ないか……。

翻訳の話はともかくとして、本作のミステリ要素部分は充分に面白かったし、主人公をとりまく人間関係や恋模様も気にはなるのだが、全体的に著者が息切れしてきている感があり、このシリーズを読むのはここで打ち止めにしようと思う。

2017年1月26日

死刑や少年法に、賛成にしろ反対にしろ、なにか語りたいなら必読 『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』


光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんに密着し、犯行時18歳だった加害者Fへの死刑判決を「勝ち取る」までのルポ。「勝ち取る」とカギ括弧をつけたのは、「死刑判決を勝ち取る」という表現が、はたして適切なのかどうか悩ましかったからだ。しかし、本書を読めば、本村さんはやはり「勝ち取った」としか言いようがない。そして、被害者の遺族が死刑を「勝ち取らなければならない」ような司法制度ではいけないのではないかと思った。

死刑判決を受けた後のFにも、著者は面会している。Fは、死刑判決を受ける前後で大きく変わり、公判中には微塵も感じられなかった反省の態度がありありと見えるようになっていた。
「死刑判決のおかげで、あのどうしようもなかったFがここまで変われた」
このエピソードは、死刑を強く支持する人たちにとって追い風である。ただし、少し気をつけなければいけない。というのも、著者は本村さんと長い年月の親交があるだけに、「Fの死刑」に賛成の立場から、死刑判決を受けた「おかげで」変わることができたFをことさらに強調して描いている可能性があるからだ。だから、この部分は真に受けすぎず、少しさっ引いて捉えるほうが良いはずなのだが、それでもやはり、このFの変化には、読者の心を動かすなにかがあることは確かだ。

俺はもともと死刑には“消極的”存置賛成派である。「殺人犯は全員死刑!」という気持ちにはなれないが、かといって「死刑は野蛮、廃止すべきである」とは絶対に思えない。「死刑にするしかない、本当にどうしようもない(としか俺には思えない)ヤツら」がいることは確かなので、そういう連中を裁くためにも、また彼らに家族を奪われた遺族を慰撫するためにも、死刑は廃止せずに残しておいて欲しい。そういう意味での「消極的」である。

死刑反対派からは、
「諸外国、特に先進国では死刑は廃止されているところが多い」
という意見が出ることもあるが、これには説得力が一切ない。仮に日本が死刑を廃止したとして、その後に「諸外国、特に先進国で死刑が再開」された場合、今度は諸外国にならって死刑を再開すべきと主張するのか? そうでないなら、死刑廃止を訴えるために諸外国がどうだという話は持ち出すべきではないだろう。

非常に良い本だったので、死刑の賛成派にも反対派にも読んでみて欲しい、というか、ぜひとも読むべきである。

2017年1月25日

新撰組を軸として、時代に泣かされた女たちの悲哀を描いた長編小説 『輪違屋糸里』


物語の序盤、芹沢鴨というトンデモない酒乱の侍がえげつないことをやらかす。読んでいて、決して気持ちの良いものではない。ところが、この芹沢も決してただのトンデモ酒乱なわけではなく……、ということろが、いかにも浅田次郎らしい。

前作『壬生義士伝』と同じく、極めつけの悪者という人物はいない。みんながみんな、それぞれに事情を抱えている。それを独白という形で上手く語らせる手腕はさすが。人物描写、話運びのどちらにおいても秀逸で、思う存分に楽しませてもらった。

2017年1月24日

津波と原発に向き合った記者たちの姿は、涙なくして読めない! 『記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』

平成23年3月11日、午後3時ころ。

東北で大規模な地震があったというニュースを、診察室前にある待合室のテレビで眺めていた。その後、医局に上がると津波の映像が少しずつ入ってきていた。広がっていく津波にビニルハウスが飲みこまれた。その横の農道を走るトラックは、津波に気づいていないのか、のんびりとした速度で進んでいるように見えた。そして、津波に追いつかれた……。

そんな光景を見ながら、これはとんでもないことになる、そう思った。妹夫婦のいる東京にも津波がくるかもしれない。妹の携帯電話にかけたが、回線がパンク状態だったのだろう、何度かけてもつながらなかった。結局、メールを送るしかできなかった。

「なるべく高いところにいろ。海や川には絶対に近づくな」

実は地震の発生時、妹は子どもを連れて埼玉の友人宅に遊びに行っていたらしい。そこでもかなり揺れたそうで、後に「裸足で家から逃げ出した」と語っていた。

病院から帰宅しても、ニュースは津波被害の映像ばかりだった。津波に流されつつ、さらに火事で燃え盛る炎に包まれた町が、暗闇の中で赤々と映し出されていた。まるで地獄だと思った。胴震いしながら、俺は妻に、

「日本中が、もしかしたら大変なことになるのかもしれない」

そう言った。しばらくすると、原発の問題も飛び出してきた。

遠い地のことであり、自分に関わることは少ないかと思っていたが、その年の4月末には医療支援として南三陸町へ派遣された。地震・津波から1ヶ月半後の南三陸町、それから志津川は、瓦礫や流された車の山だった。

遠くからだと瓦礫の山だが、近づいて見ると、たくさんのものが落ちていた。ランドセル、ぬいぐるみ、ピアノ、飛行機のオモチャ、「マリンパル夕涼み会」(※)と書かれたビデオテープ、卒塔婆、映画をコピーしたと思われる「ボーン・スプレマシー」と手書きされたDVD。

1週間の派遣が終わって帰宅して、しばらくすると「がれき処分」の問題がニュースになった。放射能汚染が怖くて受け入れたくないという自治体などが話題となっていた。そんな話を聞きながら、現地で見た様々な遺留品を思いだした。オモチャやピアノだけでなく、家の柱、壁、天井にだって、人の思い入れ、家族の思い出は宿る。子どもたちの成長を残した「柱の傷」のついた木材だって、きっとあっただろう。「がれきはただのゴミじゃないんだよ……」と哀しくなった。


本書の舞台は福島で、取材対象は主に福島民友新聞の記者たちである。記者の一人は、津波の取材に行き、そこで人を助け、自らは命を落としている。また別の記者は、迫りくる津波から必死に逃げる高齢男性と彼に抱かれた子どもを目撃するが、助けられなかったことを悔やみ続ける。

記者たちは、震災翌日の新聞が欠行になること(「紙齢が絶える」という)を避けるべく奮闘する。そんな彼らの姿は、涙なくして読めなかった。

平成29年2月25日には文庫も出版される。
『記者たちは海に向かった 津波と放射能と福島民友新聞』



※マリンパル夕涼み会は復活しているようで、南三陸観洋ホテルのブログで紹介されていた。
マリンパル福興だより パート3 8月その1
あの被災地が、復興への確かに道を歩んでいるのだなと思うと、思わず目頭が熱くなってしまった。


被災地での写真を改めて載せておきたい。
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2017年1月23日

内容はちょっと古いが、それぞれのエピソードは面白い 『脳の欲望 死なない身体 医学は神を超えるか』


タイトルはいかにも脳の話という感じだが、文庫化される前の単行本タイトルは『死なない身体 いま医学で起きていること』である。アルツハイマー病を中心とした脳や認知症の話もあるが、それ以外にも、救命救急センター、性同一性障害、摂食障害、美容外科、不妊治療といった分野の現場取材をまとめてある。

もともと1993年に刊行された本で、それを2001年に文庫化している。2017年現在からすれば15年以上前の話で、ちょっと古い部分も多々ある。だから、各分野の最新知見を得るためというより、取材対象となった人や分野に関するエピソードを楽しむような読書になる。

2017年1月22日

「金銭授受はいじめから逃れるためだった」「おごりおごられる関係」、だからイジメじゃない。そんなバカな話あるか!!

福島県から横浜市に自主避難した中学1年生がいじめを受けた問題。

横浜市の第三者委員会は、報告書で「金銭授受はいじめから逃れるためだった」と指摘し、「おごりおごられる関係」として「いじめ」とは認定しなかった。

イジメと認定すべきかどうか、俺は詳細を知っているわけではないので判断保留。気持ちとしては、絶対に認定すべきだと思う。だだし、ここでの本旨はイジメ認定ではなく、言葉の使い方だ。

第三者委員会が用いた「おごりおごられる関係」、これが非常に腹が立つ。

「おごりおごられる」という場合、互いに「おごる時もあるし、おごられる時もある」という意味だ。

たとえば結婚式の友人スピーチで、新郎とは「助け、助けられ」「励まし、励まされ」「抜きつ、抜かれつ」など言った場合、こちらが助けたり励ましたり抜いたりすることもあったが、相手から助けられ励まされ抜かれることもあった、ということだ。

イジメで一方的に殴られる子どもを表現するのに、「殴り殴られる関係」とは言わない。その表現だと、普通は「互いに殴り合った」と解釈する。AがBを殴ったら、BがAから殴られたのは言うまでもない。もしそこで「殴り、殴られる関係」なんて言うなら、それは「馬から落馬する」「頭痛が痛い」と同じ二重表現である。

ただし、一方的におごらされている場合に「おごりおごられる関係」というのは、二重表現ではあるけれど、日本語として破綻しているわけではない。嘘を言っているわけでもないし、矛盾しているわけでもない。こういう表現を聞いたら「おごるだけでなく、おごられることもあった」と解釈するのが一般的というだけだ。だから、第三者委員会としては、
「わたしたちは嘘は言っていません。そちらが、互いにおごり合ったと解釈したのでしょう」
ということだ。非常にずる賢い。

次に、百歩譲って、加害者が被害者におごることもあったとする。150万円も巻き上げていれば、その中から1万円分くらいは「おごった」ことがあったかもしれない。それなら「おごり、おごられる関係」で間違いないだろうか。いいや、そんなことはない。

「おごりおごられる関係」という報告書を書いた人物に問いたい。

あなたが上司から、断れない食事に誘われることが多いとしよう。あなたが支払う時は5万円の料亭で、上司が支払う時は5千円の焼き肉。これが何年も続いて、あなたの負担は数百万円にもなるのに、上司のほうは数万円。これを「おごりおごられる関係」と言うだろうか? 絶対に言わないはずだ。世間一般では、パワー・ハラスメント、パワハラ、大人のイジメという。

こんな誤魔化しの報告書を出すような、そんなずる賢い人間にはならないように!!


原発避難の小学生が「150万円払わされた」→横浜市教委「いじめ認定できない」Twitterでは疑問続出

2017年1月20日

ゆる系な研修医なら必読! モーレツ研修医も読んでおこう!! 『極論で語る総合診療』


すごい本である。裏表紙にはこうある。
すべての疾患について高い専門領域を維持し、入念に習得することは残念ながら時間的に「不可能」です。
そこで、著者はまえがきでこう語りかける。
「最も頻繁に遭遇する病気だけを、各専門領域から厳選して勉強するだけで充分である」ことをメッセージとして伝えたいのです。
内容は多岐にわたる。
  • 消化器
  • 整形
  • 神経
  • 循環器
  • 内分泌・代謝
  • 皮膚
  • 呼吸器
  • 感染症
  • 泌尿器
  • 血液
  • 耳&鼻
なお、監修者と著者の話し合いの結果、各章タイトルから「科」という文字を意図的に外したそうだ。この内容で4200円なら、充分に釣り合っているように思える。

自分は精神科医だが、精神科は患者から「よろず相談」的なプライマリ初期診療を求められることが多い。本書ですべてが事足りるとは思わないが、ここを足掛かりにして次の学習への一歩が踏み出せそうである。

これで極論シリーズは『睡眠医学』『神経内科』につづき3冊目になる。いずれも面白かったので、さらに手を広げてみたくなる……。

2017年1月19日

リンカーン・ライムシリーズとは違ったタイプの面白さ 『スリーピング・ドール』


脊髄損傷で首から下が麻痺した天才犯罪学者リンカーン・ライムを主人公にしたシリーズで、脇役として出てきたキャサリン・ダンスが主人公になった小説。

ダンスはキネシクスを駆使する天才尋問官である。キネシクスというのは、コミュニケーションにおいて身体の動きがどのようなことを表現するかを体系的に研究するもので、ダンスはこのキネシクスを駆使して相手の嘘を見抜いていく、それも天才的に、という設定。

ライムシリーズと同じような興奮を期待して読むと、ちょっと肩すかしをくらうかもしれない。ライムシリーズに比べると、ダンス以外の登場人物の描き方もちょっと膨らみが足りない気がするが、それは単にこれがダンスシリーズ一作目だからかもしれない。

分量は多いので、読み始めるのにはちょっと思いきりが必要な本。

2017年1月18日

子どもらのためにのこしたい! 『風の谷のナウシカ』


とても素晴らしい内容だった。映画版では描ききれない部分を、広く深く追及している感じ。7冊で3000円は安いのだが、そのぶん紙質もビックリするくらい悪い。「タウンページ」なんて揶揄もあるが、それどころではない。タウンページが良質に思えるくらいだ。

子どもたちのためにのこしておきたい本だが、この紙質だと劣化が早そうである。豪華版も出てはいるが、上下巻あわせると1万2千円という極端な値上がり。豪華でなくても良いので、合わせて6千円くらいの普及版を出してくれないものか。

というか、Amazonレビューからずるに百科事典なみに贅を尽くした「豪華版」は、『風の谷のナウシカ』のテーマとは大きくズレるのではなかろうか。「豪華版」の出版を宮崎駿がよく認めたものだが、それはそれ、これはこれ、というところなのかもしれない。


こちらが豪華版。

2017年1月17日

子どもが中学3年生になったら読ませたい 『数学物語』


最近、数学に興味がある。といっても、受験数学を勉強したいわけではなく、数学というものを創り上げた人たちについてと、彼らが「どういう目的や経緯で、そんなことを考えついたのか」といったことに強く関心を抱いている。その流れで、受験勉強を思い出して、
「つまるところ、微分や積分って本当は何だったの? 行列っていったい何だったの?」
といったことも知りたくなっている。

そもそものきっかけは、サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』を読んだことだった。そこから、Amazonのオススメにしたがって数学者・藤原正彦の『天才の栄光と挫折』へと手を伸ばした。数学については、これで3冊目になる。

本書は内容がシンプルで難解な計算もなく面白いのだが、受験数学をガッツリ勉強した身としては、いささか物足りなかった。これを中学3年生か高校1年生のときに読んでいたら、もしかすると数学に対してひと味違った面白さを感じられたかもしれない。そういうわけで、これは我が子が中学3年生くらいになったら、そっとオススメしてみたい1冊として、さりげなく蔵書しておくことにした。

2017年1月16日

新選組アレルギーを治療してくれた小説 『壬生義士伝』


新選組に対して、これまであまり良いイメージを持っていなかった。はっきりした理由は思い当たらないのだが、もしかしたら昔なにかで読んだ「坂本竜馬を殺したのは新選組だ」という話のせいかもしれない。だからといって、特別に坂本竜馬を敬愛しているというわけでもないのだが……。

そんなわけで、これまで新選組関係の小説も映画も避けてきた。大して新選組のことを知りもしないのに、食わず嫌い状態だ。それなのにどうして本書を読んだのかというと、新選組がらみの話とは知らなかったである。

本書は、主人公である吉村貫一郎について、身近にいた人たちによる思い出話という形式で進んでいく。読み始めた時には、口語体、それも東北のキツい方言なので、なんだかモサモサして読みにくいなと思ったのだが、いつのまにかグイグイ引き込まれてしまい、東北の方言も耳に心地よくなり、ついには妻に対して謝るときに、うっかり「おもさげながんす」と言いそうになるくらいだった。

すごく良い小説で、何度となく涙ぐまされたのだが、一つだけ難癖をつけるなら、「みんないい人ばかり」ということだろうか。はっきりした敵役、憎まれ役がいないので、勧善懲悪的なカタルシスは得られない。敢えて言えば、時代が敵で、貧困が憎まれ役、というところか。妻子ある男性、特に単身赴任して頑張っている人は、涙なしで読めないのではなかろうか!

2017年1月11日

質と量にくらべて値段が安い! 『脳からみたこころ』


言語、視覚、記憶、こころの構造という切り口で、「脳とこころ」というものに分け入っていく「一般教養書」。決して難解な専門書ではないが、かといって平易な入門書でもない。日本語はきれいで分かりやすいが、専門用語をすべて細かく説明してくれるわけではない。少なくとも高校生物程度の基礎知識は必要だ。

脳の研究というのは、事故や病気(あるいはその治療)で、脳機能に障害をきたした人たちを観察することで進んできた。本書では、そういう症例をふんだんに紹介しつつ、興味深い考察を重ねてある。

「少しだけ読み応えのある脳の本を読んでみたい」という人には、質と量がともに揃っていて、しかもこの値段で買える本書を強く推薦する。

2017年1月10日

小学校のブランコ

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鎖のネジネジを見て、「ああ、こんなことやってたなぁ」なんて思い出した。

数学者の妻による軽いエッセイ集 『我が家の流儀』


数学者・藤原正彦の妻・美子によるエッセイ集。雑誌に連載されたものをまとめてあり、内容は子育て話がメイン。雑誌や新聞に連載されるエッセイは、短時間で一つを読み切ることが念頭に置かれているので、これ一冊だけを集中して読むと疲れてしまう。だから、書籍化されても一気読みせず、他の本をメインに読みながら、たまの息抜きでエッセイを読むというスタイルのほうが良い。

星3.5といったところ。いろいろな人に敢えて勧めるほどでもない。

2017年1月5日

敢えて「改悪する」ことで良さに気づかせる 『はじめての短歌』


サラリーマンを辞めた直後の24歳のころ、俵万智に読みハマっていた。その影響を受けて、まだブログのない時代にホームページを作り、そこで自作の短歌を発表していた。閲覧読者は少なかったが、読んでメールをくださる人もいた。その人とやり取りをして知ったのは、相手が同世代の若い女性であり、ときどき入院が必要になる難しい病気と闘っているということだった。

ネットで見かけた俺の短歌を印刷し、入院するときに持っていく。そして、それを同室に入院している同じ年ごろの友人に読んで聞かせるのだと書いてあった。彼女の語った詳しい内容は覚えていないが、「病院の外の世界が楽しく感じられて勇気が出る」といった、こちらが気恥ずかしいやら恐縮するやらの褒め言葉であった。

彼女とは医学部1年生のころにメールでやりとりしたのが最後である。あれから16年以上がたったいま、彼女がどうしているのか知らない。元気にされていることを願うばかりである。

最近、テレビで俳句が流行っている。それで俳句に関する面白そうな本を探していたら、たまたま見つけたのが本書、短歌の本だった。読むうちに16年前のことを思い出し、また短歌(らしきもの)をつくってみたいなと思うようになった。

本書では、素人の投稿作品をプロが敢えて改悪することで、逆説的にその人の良さを指摘するという形式となっている。すごく斬新であり、また褒め言葉も巧みなので、短歌をつくるということへの気後れを取り払ってくれる良い本である。