2013年12月26日

今年最後の更新

これが平成25年最後の更新。次回は平成26年1月6日予定。

2013年12月18日

吾輩は犬である

吾輩は犬である。

名前は付いているのだが、人間語の発ウォンは難しい。昔、カメの中で溺れ死んだ猫がいたらしいが、なんとも間抜けな話だ。そもそも、猫は気にくワン。人間語も分かりづらいが、猫語など全く分からん。たまに吾輩の近くに来て、なんだか訳の分からぬ事を言っているのだが、脅かしても一向に逃げようとせん。吾輩が鎖につながれているのを知っておるのだ。ええい、いまいましい。だいたい、猫のあの人間を馬鹿にした態度が気にくワン。確かに人間は馬鹿だ。それは認める。しかし、吾輩のご主人に限って言えば、それはもう立派な方だ。

ご主人を想うとき、吾輩はあの寒いダンボールの中を思い出す。あの時、吾輩は震えていた。一緒に居た兄弟姉妹たちは、一匹、また一匹と人間たちに連れて行かれ、吾輩は一匹ぼっちだった。時々、カラスがのぞきに来て、吾輩の弱り具合を確認していた。ある程度弱ったら、きっとあのくちばしで……。寒さと恐怖でどうしようもなく、吾輩はひたすらに鳴いた。鳴いて、啼いて、泣いた。そして、ご主人が現れたのだ。まさに救世主。我が敬愛するご主人……。

そのご主人が、あの馬鹿猫に笑顔で餌をあげようとしておるのに、奴ときたら自分で取りに行こうともしない。ご主人に持って来させるのだ。気にくワン。吾輩など、取りに行ってもすぐには食べられんというのに。ご主人が何を言っているのかは分からんが、目つきや声の調子や手つきで、まだ食べてはならぬ、そう言っているらしいことが分かる。仕方がないので、ご主人の顔を見て、許可されるのを待つ。なるべくヨダレは我慢しておるのだが、どうしても垂れてしまうのが恥ずかしい。なるべく早く許可されるように、一生懸命に尻尾を振る。振って振って振りすぎて、しりの筋肉がしびれ出す。うーむ、あれは苦しいもんだ。

苦しいといえば、今でこそ歳をとってしまって、あっちのほうはそれほど不満もないが、若い頃はそれはもう大変だった。家の前を若くて可愛いメス犬が通ったりすると、鎖を引きちぎってでもやりた……、いや、交尾をしたいと思ったものだ。欲求不満がたまって、夜吠えもしたことがあるが、ご主人にこっぴどく叱られたのでやめた。今となってはあれも若気の至り。

さて、ご主人には、奥様と子どもが一人ずついる。子どもはオスだ。吾輩がこの家に拾われたばかりの頃に生まれた。まあ、幼馴染と言っても良いだろう。よく散歩にも連れていってあげたものだ。吾輩がついていないと、危なっかしくて見ておれない。彼はもう十年も生きているのに、いまだにパートナーがおらず、子どももできない。欲求不満もないようで夜吠えもしない。

ああ、それにしても午後の日なたぼっこは気持ちが良い。何でお日様はこんなに気持ちが良いのだろう。もうちょっと日当たりがよければありがたいのだが。あと少しでお日様がサンサンと当たる場所に届くのだが、そうすると首が苦しい。そうこうするうちにだんだん眠くなってきた。ご主人も奥様も子どもも今日は出かけていて、なんだか寂しいものだ。いつもは奥様がなでてくれるのに。せめていい夢でも……。

ん?
何だか怪しい奴。誰だお前。何を怖がっておる。いつも見かける奴と同じ服だな。しかし、臭いが違う。お前、何をしておる。ああ、なんだ。ユービンとかいう奴か。それならそういう臭いを出せ。ややこしい。おどおどしているから、悪者かと思ったじゃないか。歳はとっても番犬の端くれぞ。この家は吾輩が守る。そう、この吾輩が守らずに誰が守ると言うのか。

なんだ、猫。またお前か。
吾輩は忙しいのだ。あっちへ行け。お前の相手をしている暇はないぞ。しっ、しっ。うー。馬鹿にしておるな。ええい、この鎖がいまいましい。これさえなければ、あいつのところまで走ってヒゲをむしり取ってやるのだが。うぬ。ふざけたことに、そんなところで寝るのか、お前は。そんな所で。そんな日当たりの良い所で眠るのか、貴様は。眠れるのか……。悔しいなぁ。この鎖がなければなぁ。えぇい、いまいましい、あいつの相手をするよりも寝たほうがましだ。無視無視。

ん。この臭いは何だ。怪しい臭いだ。
お。えっ。おぅ!? 家の裏で音がしたぞ。誰か居るな。見に行かなければ、って、この鎖が邪魔だ。ええい、くそ。裏で何か事件が、この鎖が、ご主人の家が、この首輪が、くそ、う、ぐぇっ。ぐぇほ、くっ、苦しい。しかし、事件が。この家に拾われて十年。ご主人には何のご恩返しもできぬまま、この歳まで生きてきた。今こそ、今こそ、ご恩返しの時ぞ。ええい、この首よ、ちぎれろ、ちぎれてしまえ。そして体だけで悪者を倒してみせようぞ。さあ、ちぎれろ。さあ。さ、あ、痛ててて。ああああっ、ちょちょ、ちょっと、今、ガラスが割れる音がしたよ。事件だよ。これ、絶対に事件だよ。絶対に悪者がいるよ。

おい、猫。
猫くん。
猫さま。
すまんが見てきてくれないか。いや、見てきてください。あ、無視したな。お前だって、餌もらったことあるだろ。全く、恩知らずめ。ちくしょう。おお、鎖がゆるくなった気がする。鎖の付け根が腐ってるんだな。もう一踏ん張りだ。さあ、さあ。よいしょお、よいしょお。うぉ、はずれた。猫め、ビビルな。お前のヒゲむしりなど後回しだ。顔を洗って待っていろ、ただし雨は降らすなよ。

裏庭はこっちか。あぁっ、誰だお前。この野郎。ここは吾輩のご主人の家だぞ。何をしておる。何で靴のままで家に入ろうとする。何で窓を割って、そこから入るのだ。逃げるな、噛み付いてやる。とりゃ、ぐむ、マッズーイ。何だ、お前は。クッセー。おえっ。吐き気がした。こうなりゃ吠えてやる。お、びびったな。さあ、行け。行ってしまえ。もう戻ってくるな。今度来たら、ただじゃすまさねえぞ。今度は臭くても噛み続けてやる。とっとと失せやがれ。あ、この野郎。植木鉢倒しやがって。

ふうっ。一仕事終えた後ってのは気持ちが良いな。さて、次は猫野郎だ。積年の恨み、今こそ、晴らしてくれ……、あ、居ない。お、そこか。くそ、届かん。吾輩にも塀に登る技術があれば……。ちくしょう。無念。次は逃がさんぞ。いや、いいや。猫なんかのことは忘れよう。今日は吾輩の初出陣、初勝利の日。早くご主人たちに帰ってきて欲しいものだ。楽しみ、楽しみ。褒められる。きっと褒められる。吾輩は悪者を見事に撃退したのだ。ご褒美なんかくれたりして。いやいや、いけない、いけない。ご褒美欲しさにやったことではない。これは、言わば犬としての責務。当然のことをやっただけ。大義、恩義に報いたのだ。けっして、ご褒美欲しさでは……、あ、ヨダレが出てきた。

お、帰ってきた。三人一緒だ。やっほーい。


「お母さーん。裏の窓が割れてるよー。あ、植木も倒れてる。あ、ゴン太。何やってんだ。あ、鎖引きずってる。お母さーん、犯人ゴン太だよ」
母に向かって叫ぶ子どもの周りを、老犬が嬉しそうに走りまわっていた。塀の上で、面白そうに猫が鳴いた。

2013年12月17日

院内忘年会に5000円!?

院内忘年会が近いが、参加費がなんと5000円である。

別に高いとは思わないが、看護助手もこの金額だと知って唖然とした。だって、助手の月給は手取りで10万円近くだというし、だとしたら給料の20分の1だ。そんな忘年会に行こうとは、なかなか思わないだろう。今年一年お疲れさまでしたと互いに労う場であり多少の無礼講が許される院内忘年会なのに、病院の雑事を支えてくれている看護助手さんが来にくいのはおかしい。

ふと、研修医のころお世話になった放射線科医長・M先生のことを思いだす。研修医の合宿(強制)のために研修医から一万円(給料の20分の1だ)が徴収されるという話をM先生にしたところ、先生はその場で病院上層部に電話をかけて、
「金のない研修医から一万円をとるなんておかしいでしょ。それくらい僕ら上の医者が面倒みたって懐は痛まないんだし」
と交渉してくださった。

そういうわけで、精神科で勤務する5名の看護助手さんの参加費は精神科医長である俺が支払うことにした。が、それでも家庭の事情その他で来れない人たちが多く、2名分だけを俺が出すことになった。

民間病院では、職員全員が無料招待のところもあるようだし、以前の勤務先もそれに近かった(そのかわり正装)ので、いつか当院もそうなることを祈っている。

金門島流離譚

金門島流離譚
台湾を舞台にした船戸与一の小説。今回は冒険という感じではなく、偽造品を扱う日本人が主人公の表題作と、台湾大学に通う大学生を主人公にした『瑞芳霧雨情話』の2話が収録されている。両作品につながりはない。

どちらも最初は退屈になるのかなぁと思わせておいて、途中からぐいぐい喉をしめあげてくるような、背中がびりりと震えるのを感じるような、心の中を冷たい風が吹き抜けるような、そんな展開になっていく(喉・背中・心の表現は船戸ファンにしか分からないかも)。

充分に面白かったけれど、手元に置いておきたいというほどでもなく、図書館寄贈。

2013年12月12日

ゴサインタン―神の座

ゴサインタン―神の座
俺と同年代、地方名士の息子である39歳の独身・結木輝和(ユギ・テルカズ)が、ネパールから迎えた妻・淑子によって破滅させられ、そして淑子を求めて再生していく物語。

書き出しと中間地点、そしてそこからラストがまったくもって予想外。どんな話になるのか、どこに落ち着くのか、着地点が分からないまま、文章力にひかれて読み進めると、「そう来たかぁ」というところに辿りつく。

名作である『仮想儀礼』に比べると、いささか見劣りするようなところもあるが、これはこれで良い本だった。

蔵書決定。

2013年12月11日

無名

無名
23歳の俺が『深夜特急』で大いに影響を受けた沢木耕太郎が、父の死の間際から死の直後にわたって感じたことを綴ったもの。可もなく、不可もなく、でもいろいろと考えてしまう本だった。

図書館寄贈。

2013年12月10日

晴れ男、晴れ女は本当にいる

晴れ男、晴れ女という言葉を聞いて思い出すおもしろい実験がある。

被験者に新聞を渡して、「この中の写真を数えるように」と指示する。実は新聞の中には半ページ大で「これを見たと報告した人には1万円あげます」と書いてあるのだが、普段から「自分はツイていない」と思っている人は見つける確率が低く、「ツイている」と考えている人は高かった。(これは他の実験・テストとあわせて以前の日記に書いている

この実験と晴れ男や晴れ女、雨男や雨女はなんとなく似ている。晴れ男・女とは、天気を(自分の都合の)良いほうに解釈する人たちで、自分の行く先々が晴れなら「自分がいたからだ」と思うし、もし雨だったとしても「自分を超える雨男・女がいるんだ」などと考える、あるいはその日のことを忘れる、もしくは無意識にカウントしないで済ます。雨男・女はその逆だ。

上記実験で、自分はツイていると考えているにもかかわらず一万円あげるという文字を見落とした人は、「今回はたまたま運が悪かった」と考えるか、くよくよせずに早々に忘れてしまうか、この実験の結果を「ツイている・いない」というカテゴリに含めないで済ませるかといった心の動きをするんじゃないだろうか。自分はツイていないと考えている人は、やはりその逆だ。

このように、晴れ男も晴れ女も、雨男も雨女も、ツイている人もツイていない人も、身の周りで起きていることはそれぞれ大差がなくて、ただ普段の心のあり方、スタンスが違うだけなのではないかな。

2013年12月9日

64(ロクヨン)

64(ロクヨン)
面白かったけれど、ちょっと長かったし、登場人物が多すぎたかなあぁ。でもさすがの横山秀夫、警察ものを描かせたらピカ一だ。

もともと文藝春秋に連載されていたものが単行本化にあたって改稿されているそうだが、この本は恐らく文庫化される時にさらに大幅に改稿されるのではないかと考えている。ストーリーへの集中を妨げるノイズのような部分がところどころ感じられた。もう少しスッキリ読めたら、もっと面白かったと思う。

図書館寄贈、ではなく、図書館で借りた本。

2013年12月5日

運のいい人、悪い人―運を鍛える四つの法則

運のいい人、悪い人―運を鍛える四つの法則
息抜き読書。俺自身は運が良いと思っているので、まぁどれも当てはまるなぁと思いながら流し読みして終了。嫌なことがあっても、ブログでネタにしようと考える。要はそういう姿勢でいることが良い結果につながりますよ、といった感じの本。

図書館寄贈。

2013年12月3日

スナーク狩り

スナーク狩り
これは面白かった。宮部みゆきの本は、もの凄く面白いものが多いが、時どきアッと驚くような駄作があるので本の選択に困る。宮部の著作の中では、この本はかなり面白い部類に入ると思う。

蔵書決定、というか、もともと妹の本(笑)

2013年12月2日

グランドジョラス北壁

グランドジョラス北壁
山岳ものは寒い季節に読むに限る。

本書はいわゆる「玉ひゅん」(男にしか分からない感覚)と、凍えるような寒さ(というか実際に凍えているのだが)の合わせ技。山の道具など分からないことは多々あるけれど、その高度感、寒さが伝わってきて、やっぱり山は怖いなぁ、でも凄いなぁと畏怖の念を抱かせる一冊だった。

娘をこんな危険な山屋には絶対にしたくないし、山屋の恋人・夫なども連れて来られたくないし、家に不用意にこんな本を置いておいて興味を抱かれては困るので図書館寄贈。

2013年11月29日

鷲の驕り

鷲の驕り
特許を題材にした国際経済小説。舞台は1990年後半で経済小説として読むにはやや古い気もするが、全体を通してみるとそこまで古臭さを感じないのは、さすが評判が高いだけのことはある。前半やや退屈なのかと思わせつつ、少し読み進めればどんどん面白くなり、終盤ではそれぞれの思惑が1ヶ所に集まってちょっとしたスパイ小説という感じになる。苦手な群像劇ではあったが違和感なく楽しめた。
こういうのが好きな人にはお勧めだが、経済小説なんか読む気もしないという人には退屈かもしれない。
とはいえ図書館寄贈。

2013年11月27日

輸血は怖いものなのです(宗教は関係なく)

HIVに感染した献血者の血液が、検査をすり抜けて患者2人に輸血され、そのうち一人に感染が認められたことが明らかになった。これに対する世間の反応は大きいが、いずれも「輸血のリスク」を日頃いかに過小評価しているかということがあらわれている。

医師であれば、輸血のリスクは医学部で徹底的に教わる。もしもHIVや肝炎ウイルスなどの検査方法が、科学の奇跡で偽陰性(今回のように、本当は陽性なのに結果が陰性になる)が完全に0%になったとしても、それはあくまでもすでに知られている病原体がないというだけであって、未知のウイルスがいないとも限らないのだ。それに、偽陰性が0%になるなんてことは今後もありえないので、どんなに検査精度を高めてもHIVや肝炎ウイルス感染のリスクはゼロにはならない。

また、HIV、肝炎ウイルスに関しては確実に感染していないと分かっている血液を用意して、輸血を受ける側と輸血用血液の血液型が完全に一致していたとしても、輸血後にアレルギーやアナフィラキシーが起こる可能性はある。中にはそれが致命的な結果につながることもある。

輸血というのはこれほどに怖い医療介入であり、だからこそ手術ではなるべく輸血をしないで済ますよう必死なのだ。決して輸血用血液が高い(例えば赤血球濃厚液であれば、400mlで約1万6000円)から節約しているというだけの話ではない。

このように輸血は怖いと主張すると、エホバなどの宗教に関係していると誤解されそうだが、俺は無宗教であり、自分も家族も必要とあらば輸血は受ける。ただ、今回のニュースに関して、多くの人の反応の根底に「輸血は安全」だという誤解が見受けられたので、こうして輸血について書くことにした。

「検査が杜撰」という意見については、最初に書いたように偽陰性がゼロになることは絶対にない。また20人分の血液をまとめて検査して、陽性が出たら各人を調べ直すという方法は決して手抜きではなく、むしろ統計的に理にかなった方法である(このあたりを詳しく簡単に知りたければ、『リスク・リテラシーが身につく統計的思考法』という本がお勧めである)。確かに1人分ずつ個別に検査するほうが精度は高い、が、しかし、費用も高い。20人まとめて検査する今と比べて20倍の費用がかかるとまでは言えないが、それなりのコストになるだろう。現在、輸血パックの値段は、例えば赤血球濃厚液なら400mlで約1万6000円、今回問題となっている新鮮凍結血漿だと240mlで約1万7千円する。これが高すぎると思うなら、今以上に手間のかかる検査は望むべくもない。

「感染しているのに献血するな」とか「検査目的の献血は最悪」とかの怒りはよく分かるが、いずれも今回の事故についての本質からはズレてしまい、今後の改善にはつながりそうにない。献血時に感染を知らない場合もあるし、そもそもこの献血者が感染を自覚していたかどうか不明だ。感染を自覚したうえで献血する「バイオテロ」的なことをやる人がいないとも限らないが、そこまで恐れだしたらキリがない。

また、検査目的の献血は確かによくない。検査目的ということは、すなわち「身に覚えがある」ということだ。偽陰性が絶対にゼロにはならないことを知っていれば、「身に覚えのある人」の献血が増えることで、今回のような重大事故が起こりうるということが分かる。ただ、今回の男性の献血は検査目的だったかどうか今のところ明らかではないので、検査目的での献血と決めつけて責めるのは間違っている。

「検査目的の献血を減らすために、献血者に検査結果を知らせなければ良い」
ある医療サイトで見かけた意見で、これは一瞬だけ納得しかけたが、果たしてそれは全体としての事態をいい方向に導くのだろうか。もし今回の献血者にHIV感染の結果を伝えなければ、彼は自分が感染していることを知らないままで、他者と無防備なセックスをするかもしれない。また再び献血に行くかもしれないし、それが運悪くまた「偽陰性」にならないとも限らない。

検査目的の献血や、結果の本人への通知に関しては、
「検査目的かもしれないが、かなり低い偽陰性のリスクに対して、ある人がHIVに感染しているということを自覚することが公衆全体としての利益にはなる」
と考えるか、それとも、
「検査目的による献血での偽陰性の結果は重大だから、たとえ公衆全体としては不利益になるかもしれなくとも、検査結果は献血者に知らせないことにして検査目的の献血を減らすほうが良い」
と捉えるかだ。これについて俺は前者を支持するが、感情的には後者も充分に理解できる。

最後に、厚労省は「検査目的で献血した可能性が高いとみている」(毎日新聞)ようだが、献血者に直接に問いただしたわけでもない段階でこういうことをコメントするのもおかしいし、上記した献血・輸血にまつわるいろいろな問題から国民の目をそらして、献血者個人が悪いかのように印象操作しているように見えて胸くそ悪い。

【追記】
日本赤十字社によると、
「現在、日本赤十字社では、HIV陽性献血者に対しHBV、HCVのような陽性者への通知は行っていない」ということだが、「感染拡大の防止、感染者の早期治療を促すために必要な措置を講じている」ようで、これは通知・非通知の一体どっちなんだ……。

<参照>
献血におけるHIV検査の現状と安全対策への取り組み
1人がHIV感染=献血血液で60代男性-輸血後、検査で陽性・日赤

エイズウイルス(HIV)に感染した献血者の血液が、日本赤十字社の検査をすり抜けて患者2人に輸血されていた問題で、輸血を受けた60代男性がHIVに感染していたことが26日、明らかになった。輸血後の抗体検査で陽性の結果が出た。厚生労働省の委員会で日本赤十字社が報告した。もう1人の感染の有無は不明。
検査をすり抜けた血液の輸血によるHIV感染が判明するのは2003年以来で、04年に日赤が検査精度を高めてからは初めて。
日赤によると、輸血された2人のうち、慢性消化器疾患を患う60代男性は、10月に持病の手術を行った際、新鮮凍結血漿(けっしょう)製剤を輸血された。輸血前の検査では陰性だったが、今月に行った抗体検査で陽性反応が出た。
もう1人は2月に赤血球製剤を投与された。本人と連絡が取れており、詳しい検査を行う。
献血をしたのは40代の日本人男性。今年2月に献血した際、6カ月以内に同性との性交渉があったが、申告していなかった。
その後11月に献血した際に、採取した血液の検査で感染が判明。日赤が過去の献血歴を調査し、2月の献血の保管検体についてより精度の高い検査をした結果、HIV感染が判明した。
HIVの感染から約1カ月半は、血中のウイルスが少なく、検査で検出されない期間(ウインドー期間)とされる。2月の献血は同期間中だったため、検査をすり抜けたとみられる。この男性は2月より前にも3回献血していたが、日赤は、いずれも感染前で問題はないとみている。(2013/11/26-19:22)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013112600551

2013年11月26日

こうして世界は誤解する――ジャーナリズムの現場で私が考えたこと

高校生から20歳くらいまでにかけて、落合信彦に傾倒していたことがある。今の若い人からすると、「え? 誰それ?」といった感じかもしれないが、20年前、1995年頃には若者に対してわりと影響力のある作家だった。結局は、だんだんと胡散臭さを感じてしまい離れてしまったが、高校時代のまだ右も左も分からない時期に、彼の本に触れられたことは幸せだったと断言できる。

落合に影響され、「これからの時代は中東だ!」なんて熱くなっていた俺は、九州大学で第二外国語としてアラビア語を学ぼうとした。でも、現在は分からないが、当時はアラビア語の講座は九大になかった。あっという間に諦めてスペイン語にしたが、ほとんどなんの身になることもないまま終わってしまった。

それでも中東に対しては薄らとした興味と関心が持続していた。そして、医学部一年生の時、2001年9月11日、あの同時多発テロが起きた。家に帰ってテレビを観ていたら、飛行機がビルに突っ込んだというニュースがあっていた。それも2機だ。そのニュースを見た途端、かつて読み耽った落合信彦の本の内容が一気に甦ってきた。
「テロだ……、そして多分……、今から中東が騒がしくなるぞ……」
まだなんの情報もない状況だったが、そう直感した。あのテロの真実が何だったのかはさておいて、確かにそれからの中東は荒れた(もともと荒れてはいたが)。


本書は、オーストラリアから中東へ派遣された特派員が見て体験して感じたこと。翻訳がこなれてないので、正直読みにくかったが、筆者が伝えたいことは分かった。世論は操作されているのだ。それはわざわざ指摘されるまでもなく自明のことなのだが、中東問題に関しては「どう操作されているのか」というところに意識が向くようになった。そしてまた、あとがきに書かれた、
「私もまた読者を操作しているということを、どうか心に留めておいていただきたい」
という一言に、彼の真摯さを感じた。

非常にタメになる本ではあったが、身内に読みそうな人もおらず、読み返すこともないだろうから図書館寄贈。

2013年11月25日

虹の谷の五月

虹の谷の五月(上) 
面白い! 面白いよ!!

上下巻あわせて900ページを超えるが、とにかく面白かった。出だしのあたりが少しだけ退屈になりそうだtったけれど、全然そんなことはなくグイグイ引っ張って行ってくれた。一人の少年が13歳から15歳になるまでを、少年の視点で描かれているので、複雑な政治情勢や民族紛争に深入りすることもなく、とはいえさすが船戸与一で、フィリピンの中の問題を邪魔にならない程度にちょいちょい織り交ぜてくる。

映画化して欲しいが、如何せん舞台がフィリピンで登場人物もフィリピン人ばかりなので、到底映画化など無理だろう。

蔵書決定。

2013年11月21日

アルゴ

アルゴ [Blu-ray]
面白かった。

ベン・アフレック演ずるトニー・メンデスがカッコ良い。観終わって驚いたのが、なんとベン・アフレックが監督だったということ。そしてネットで検索してさらに驚いたのが、ベンが身長192センチの巨漢だということ(笑) 観ながら体格良いなぁと思っていたんだよね。

実際の脱出作戦とはかなり違うところもあるみたい(参考:映画「アルゴ」が実話とは笑止千万)だけれど、娯楽作品としては非常に出来の良い映画。緊張感で手に汗かいてしまった。

2013年11月20日

生活保護のここが変

現在、この地域の生活保護の支給額は1人6万円ほどであるが、生保受給者の話によると「1人で約6万円の受給額が、結婚したら2人で10万円になる」らしい。つまり、1人1万円ずつ減額されるのだ。

「水道光熱費の基本料が一世帯分で良いわけだし、2人で生活すればその他の効率も上がり、必要なお金も減るはずだ」
という自治体側の言い分は確かにもっともだが、このシステムのせいで生活保護を受けている夫婦が偽装離婚することが多い。離婚の手続きをして、1人6万円の給付を受けつつ、どちらか一方の家で2人暮しを続けるのだ。

実はこの制度は夫婦だけでなく親子にも適用され、年老いた母と中年の息子の場合は「一緒に住むと10万円、別々の家に住めば1人6万円」ということになるので、敢えて息子が家を出て一人立ち(?)したことにする。あるいは親が持ち家で年金暮らし、同居の子が無職という場合には、子が生保申請しても「親と住んでいるから」という理由で拒否されるので、敢えて「世帯分離」を行ない、一人暮らしという形を作って生保申請をする。生活は今と変わらない「偽装親離れ」も横行している。

これだと、彼らはそれぞれに住居を持つことになり、自治体は誰も住まない部屋の家賃負担をすることになる(家賃は決められた上限までは自治体の負担である)。結局自治体は、2万円をケチったせいで、払う必要のない家賃を負担することになっているのだ。

この問題の解決方法は簡単で、「結婚したら(同居したら)給付金の合計金額を減らす」という制度を廃止すれば良い。そうすれば偽装離婚や偽装親離れが減るのは当然だし、中には「より効率的に生活するために」という理由で結婚する生保カップルや同居開始をする親子が出てくるかもしれない。このほうが自治体にとっては支出が少ないのではないかと思う。

この件で責められるべきは、偽装してまでより多くの金を得ようとする(というより、より損をしないように努力する)生保受給者より、偽装したほうがお得な制度を作ってそのままにしている行政のほうだろう。


2013年11月18日

夢に出てきたヨーヨー・マ

先日ヨーヨー・マを話題に出したからか、夢の中にヨーヨー・マが出てきて、
「学食でバイトしたら、職員割引で食べ過ぎて2キロ太りました」
と苦笑していた。これだけで、なんだかシュールすぎて笑えてしまうが、夢にはさらに続きがあった。

なぜか俺もヨーヨー・マも医学生で、でもヨーヨー・マはすでに世界的なチェロ奏者だった。

俺が同級生として、
「今度から君のことなんて呼んだら良いの?」
と聞いたら、ヨーヨー・マは、
「マー君でお願いします」
とはにかんでいた。世界のチェロ奏者に向かって、マー君なんて呼べるか!!

なんちゅう夢じゃ(笑)

スターバト・マーテル

スターバト・マーテル
俺が男だからかもしれないが、女性が主人公の小説や映画にはなかなか感情移入しにくい。本書は中編が二つ収められているが、どちらも女性が主人公である。心理描写は篠田節(←「子」を忘れたわけではなく、篠田ブシと言いたい)といった感じの小気味いいものがあるが、やはりどうしても入り込めない。
表題作よりは、もう一編の『エメラルドアイランド』のほうが面白かった。この本は本来であれば図書館寄贈レベルだが、母や妹が読むと面白いのかもしれないので実家に持って帰ってみる。

2013年11月17日

人の注意力を操る妙技 【TED】


この動画は凄かった。人の認知力がどういうものかを確認できる。エンターテイメントとしても素晴らしい。字幕は右下の「字幕」タブをクリックで見れるようになる。

TEDではいろいろと興味深い講演が観られる。このブログでもいくつか紹介しているので、それらもぜひ一度試してもらいたい。

<参照>
当ブログ内のTED紹介記事

似たようなことを心理実験した動画もある。
<参考>
となりの車線はなぜスイスイ進むのか?

2013年11月16日

東京駅構内のなんとかというカフェみたいなところ

IMG_6864
「あ、写真撮影はご遠慮ください!」
と怒られてしまった……。

2013年11月15日

最近聞いた、最新の島の怪談 ~誰かがいる家~

この島では、時どき気持ち悪い話を耳にする。

ある廃屋は、もう何年も人が住んでいなかった。その家の近くに畑を持つある老婆が、こんなことを言っていたそうだ。
「草むしりをしていたら、あの家の内側からドンドンと誰かが壁やら窓やらを叩いている」
それを聞いて、ばぁちゃんボケただろうと笑う人もいれば、オバケだ怖いと言って怯える人もいた。割合としては後者が多かったのだろう、その家は近所で「オバケ屋敷」として有名になった。

「オバケ屋敷」というのは田舎に行けばわりとどこにでもある。過疎が進んで誰も住まなくなった家というのはそう珍しいものではない。そんな家は、なんとも言えない哀愁と、そこはかとない不気味さを兼ね備えるのが常である。老婆が異変を感じた家も、そんなどこにでもある廃屋の一つだったのだが……。

最近のことである。その家の床下から遺体が見つかった。詳しい情報はなく、それが白骨だったのか、それとも真新しいものだったのか、そういったことはまったく分からない。ただ、「誰もいない家のはずなのに、内側からドンドンと叩く音を聞いた」という怪異と、「廃屋から遺体が見つかった」という事件、まったくの偶然かもしれないが、そこについ関連性を持たせて考えてしまうのだ。

最近聞いた、最新の島の怪談である。

ダークナイト ライジング

ダークナイト ライジング
期待しすぎた!! 

酒飲みながらだったので途中で寝落ちして、数日後に続きを観たんだけど、『ダークナイト』と比べると圧倒的にレベルが低い。というか、『ダークナイト』が異常に高い。というか、亡くなってしまったヒース・レジャーが凄すぎたね、あれは。悪役なのに、精神がイカれている役なのに、見た目が魅力的なんてこともないのに、なぜかジョーカーがカッコいい。そんな前作を超えるのは、やっぱり無理だったか。

ヒース・レジャーの役作りについての話があったので紹介。
『ダークナイト』で「ジョーカー」を演じたヒース・レジャーの日記

それから、的を射ていて面白い酷評があったので、これも紹介。
【ネタバレだらけ】ダークナイトライジングのだめなところ

2013年11月14日

チェロを愛する人たちに 『ハルモニア』

「チェロはね、人間の声にもっとも近い楽器なんだよ」
俺にオーディオの初歩の初歩を教えてくださったM先生の言葉である。俺はチェロの音色が好きで、ヨーヨー・マやジャクリーヌ・デュ・プレをはじめ色々なチェロ奏者のCDを持っている。でもなんだかんだで一番聞きやすいのはヨーヨー・マで、
「音楽好きだと言いつつも所詮お前の耳はそのレベルなのだ」
と言われそうでもある。ヨーヨー・マに関して、同じくM先生は、
「彼はね、悪魔に魂を売った男と言われているんだよ」
と仰っていた。これには二つの意味があるそうだ。一つはクラシックを大衆音楽にしてしまった異端児・裏切り者という意味で、もう一つは「悪魔と取り引きしたかのような卓越した技術」という意味だ。

悪魔に魂を売った演奏家として有名(?)なのは、18世紀のヴァイオリニストであるパガニーニだ。あまりに凄い演奏技術のため、悪魔と契約したと噂されたのだ。一説では、彼はマルファン症候群であり、その病気ゆえに指が人より長くバイオリンの演奏に利したそうだ。ちなみに、このパガニーニの演奏を聴いて、まるでワンピースのルフィのごとく、「俺はピアノでパガニーニになる!」と燃え上がったのがラ・カンパネラで有名なフランツ・リストである。

ハルモニア
本書は、最初から最後までチェロだ。ただし、非現実的なので一生懸命にチェロに取り組んでいる人からすると、「そんなバカな……」という部分があちこちにあると思う。それでも俺は、この本を読んで改めてチェロが好きになった。子どもに習わせたいくらいなのだが、その道は狭く険しい荊の道で、しかもその先には決して華やかな舞台だけがあるわけではないということもたくさん見聞きしたので、ヨーヨー・マを聴いて浸るくらいでやめておこうと思っている。

自宅でこの本を読みながら流れていたのが、ヨーヨー・マの『無伴奏チェロ組曲』であったことは言うまでもない。

無伴奏チェロ組曲

残念ながら蔵書にするほどではないため、図書館寄贈。

2013年11月13日

数で考えるアタマになる!―数字オンチの治しかた

自分の乗る飛行機に爆弾が仕掛けられることを心配している男がいた。その確率を計算してみたところ、非常に低い数字だったが彼の不安は消えなかった。そこで彼は、スーツケースの中に常に爆弾を入れて飛行機に乗るようになった。彼はこう説明した。
「一機の飛行機に爆弾が二個ある確率は無限に小さいからね」

これが面白いジョークであることはほとんどの人が分かると思うが、さて、彼の何がどういう風に間違っているのか、きちんと説明できるかというと……、結構むずかしい。

数で考えるアタマになる!―数字オンチの治しかた

似たような本を何冊か読んだ後だとちょっと退屈な本。図書館寄贈。

2013年11月12日

LOOPER

LOOPER
タイム・トラベルもので、ブルース・ウィリスと言えば俺の中での超名作『12モンキーズ』である。九州大学に通っていた頃に映画館で観て、あまりの面白さに感動した。映画のストーリーとは別に、ブラッド・ピットを見たのはこの映画が初めてで、あの狂気じみた様子が演技ではないと勘違いし、
「アメリカってすげぇな……、ホンモノの精神障害者を使ってるよ……」
と慄いた。その後、ビデオレンタル店でアルバイトをするようになって、ブラッド・ピットという俳優の存在を知り、あれが演技だったということに驚いて以来、俺は心底ブラピファンである。

ちなみに、ブラピ出演の映画でお気に入りナンバーワンは『ファイト・クラブ』で、DVDを買って何度となく観なおした。あのブラピ演じるタイラー・ダーデンの悪(ワル)の魅力は凄い。その他『インタビュー・ウィズ・バンパイア』で苦悩を抱えて生き続けるバンパイア、『セブン』では血気盛んな刑事(ラストシーンの演技が鳥肌)、『ザ・メキシカン』での体全体から発するバカ男の空気感など、それぞれ何度も観ては感心する映画である。

話が大きくそれたが、今回は『LOOPER』。こういうタイム・トラベルものは、何げなく観ていると終わった後に意味をつかみかねて消化不良気味になる。俺も「ん?」となってしまい、あとでネットで検索して「ナルホド!」と納得した。それはともかくとして、主演のジョゼフ・ゴードン=レヴィットが特殊メイクをしていたとはいえ、笑い方や喋り方なんかがブルース・ウィリスに似すぎていて、思わずそこで笑ってしまった。

話そのものも充分に面白かったが、ガッカリしたのは……、以下ネタバレ。



バカで無能な敵役キッド・ブルーがただのバカで終わってしまった。なんだよ、実はこいつがレインメーカーになるのかなんて思っていたのに……。

華竜の宮

華竜の宮(上)
物凄く長大な物語だったが、飽きることなく読める良作だった。ジャンルとしてはSFだが、SFの中でもホラーとかアクションとかで細かく分類するなら、SF行政小説(?)といった趣きのある作品。田中芳樹の名作『銀河英雄伝説』の世界設定を変えた感じで、行政的な駆け引きがわりと緻密に描かれている。また、ところどころにSFらしい(?)少々残酷だったりグロテスクだったりなシーンもあり、全体としてのバランスも良かった。

上下巻あわせて856ページという厚さで、見た感じ、持った感じがどっかりくるので、長いのを読むのが苦手な人には壁が高いか。

蔵書決定。

2013年11月11日

青空と雲と電線

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2013年11月8日

バトルシップ

バトルシップ
甘めの採点で60点。映像が面白いのも最初のほうだけで、後半はありきたり。

2013年11月7日

寝るのは好きじゃない、けれど……太郎のせいで寝不足だ

寝不足だ。

というのも、我が家のビーグル犬・太郎が夜鳴きするからだ。それも激しく鳴くので、いくら田舎で隣の家まで距離があるとはいえ、夜中2時とか朝4時とかに延々とワンワン鳴かれては、いつ怒鳴り込まれるかと気が気でない。その夜鳴きの原因だが、散歩が足りないということではない。どうも体調不良のようである。子犬の頃からごく稀に両目が斜視ぎみ(この時すごくブサイク)になることがあったのだが、それは数時間もすれば元に戻っていた。この夜鳴きが始まった1週間前くらいから、その状態が長く続くようになっていた。いろいろ調べてみて、もしかすると緑内障かもしれないという結論に達した。

そこで、昨日は病院を早退して動物病院に連れて行った。しかし、ちゃんとした診断はつかなかった。瞳孔の対光反射が鈍くなっていて、緑内障と言えなくもないが、そのわりには網膜からの光の反射の仕方がちょっと典型的ではないらしい。念のためビタミン剤と抗生剤を注射し、緑内障用の目薬をもらって帰ってきた。昨夜は21時から静かになったので、これ幸いと俺も早々に床に就いた。

ところで冒頭に書いたように、俺自身は寝不足なのだが、もともと寝るのが好きじゃない。寝るなんて時間の無駄としか思えないからだ。時々、「寝ている時間が一番幸せ」とか「寝るのが趣味」とか言う人がいるが、俺にはその感覚が理解できない。寝る以外で、ボーっとするのも時間の無駄だと思う。だから「ボーっとするのが好き」という人の感覚もやはり分からない。ちなみに個人的には、寝たりボーっとしたりするのが好きいうのを聞いたのはすべて女性からだ。

一人の時は、寝つぶれるギリギリまで本を読むか、映画を観るか、酒を飲むかしている。いわゆる「寝落ち」で、起きてすぐに本を読むかパソコンをするか、いずれにしても布団の上でボーっとできない。20歳の頃、テレビでタモリが、
「明石家さんまは寝る直前まで喋り、起きた途端に喋り出す」
と言っているのを聞き、そういう人になりたいなぁと思って18年過ごした結果が今である。

そういうわけで、今朝は4時に夜鳴き(朝鳴き?)し始めた太郎。様子を見に行くとやはり目がおかしい。目薬をさして、そんなに鳴くなと叱って、しばらく黙って観察していたが、あまり見えていないのかもしれない。目を開けようとせず、俺が側にいることも分かっていないようで、不安げにあたりをうかがっているような素振りをしている。

あまり悲観的に考えても仕方がない。太郎は生後3ヶ月くらいの時に生死の境を彷徨ったことがある。当時の日記を引っ張り出してみる。
良くない。今日、動物病院に連れて行った。採血しようとしたが、極度の脱水であまり採取できず。それでもなんとか採った数滴で、極度の貧血が判明。犬のヘモグロビンの正常は8-12、太郎は5弱。ヘマトクリットの正常は、37-55、太郎は13くらい。極度の脱水で血液が濃縮されていることを考えると、実際の数字はもっと低いのだと思う。

貧血の原因はいくつか考えられるらしい。ただ「数日間ご飯食べなかったから」というレベルの貧血ではない。バベシアというダニが介してうつる病気がある。非常に怖い病気で、この可能性がある。ただ、明らかなダニの寄生は確認できでいない。血液標本で調べてもらっているところ。それから、先天的な理由、例えば再生不良性貧血などの可能性。獣医さんも、決して明るい展望は仰らなかった。人間の病院で、家族が告知を受ける時は、こういう気持ちなのかと感じた。病状説明する獣医さんの苦心が、同業者なだけによく分かった。

結論としては、五分五分より悪いのかもしれない。太郎は、甘噛みすることなく、俺の腕を舐めてくる。表情も暗い。動物にどれくらいの感情があるのか分からないし、彼らの気持ちを擬人化して考えるのは好きじゃないので、飼い主としてはなるべく冷静に日々を送ろうと思う。素っ気ないかもしれないけれど、そういう飼い主に出会ったのも太郎の運命。病気になったのか、もともと病気を持っていたのか。それは分からないけれど、今こうなっているのも太郎の運命。今こうして、暗澹たる気持ちで日記書くのが、俺の運命。

願わくば、この先も一人と一匹の生活が続き、老犬の介護の大変さをブログに綴る運命であって欲しい。
あの時にも感じたが、斜視でブサイク顔になったとしても、失明したとしても、それは太郎の人生(犬生?)、運命のようなものであり、太郎には受け容れてもらうしかない。

何はともあれ、夜鳴きはほどほどにしてくれよ……。

肉食屋敷

肉食屋敷
う……うーん……、図書館寄贈。

あまり感想を書く気になれない本だった。

2013年11月6日

残暑きびしい九月の川で、誰が積んだか石の塔

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残暑きびしい九月の川で、誰が積んだか石の塔。

2013年11月5日

稲刈り

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ツッコミどころはあるが、全体としては及第点 『ジャックと天空の巨人』

ジャックと天空の巨人
面白くなくはない、という感じ。
映像はまぁまぁ、ストーリーもまぁまぁ……、他は……? 何もない。

ツッコミどころは多くて、俺が一番気になったのは、「こんなに高いところまでそんな薄着で大丈夫なの?」というのと、「雲の上まで来たのに雨が降るんだね(笑)」というもの。もう少し設定とかストーリーとか練っても良かったのでは?

ただ、この映画を観て思ったのは、これゲーム化したら良い感じなんじゃないかなということ。『ワンダと虚像』のような雰囲気で、巨人たちと戦うようなゲームなら、売れるかどうかはともかく俺は買うと思う。

2013年11月1日

ダウン症の出生前検査を受ける前にするべき一番大切なこと

ダウン症の出生前診断に関して、
『子供のダウン症が発覚したのに中絶させてくれない』
こういう日記を見つけた。内容もさることながら、コメント欄も不愉快なことが書いてあるので、見る人はある程度の覚悟をしておいて欲しい。日記の内容は、概ね以下のような感じだ。

日記主は女性で、夫婦ともに20代後半の会社員。妊娠して喜んでいたら、子どもがダウン症だと発覚した。夫は、「それでも俺たちの子どもだから育てたい」と言うが、彼女は、「ダウン症は無理、健常者を生みたい」と考えている。

これを読んで、真っ先に思ったのが、

「え? 検査を受ける前に、ちゃんと話し合いしてないの?」

彼らがどういう検査を受けたのかまでは分からないが、「ダウン症だと発覚した」というからには何らかの出生前検査を受けたのだろう。

出生前検査による診断がほぼ100%確実だとして、どうして彼らはダウン症だと分かった場合に生むかどうかの話し合いをしなかったのだろう? 最近は侵襲性の低い新型出生前検査もあるが、検査が簡単だからといって、その結果も簡単に処理できると思ったら大間違いだ。

流産など深刻な副作用の恐れがある従来の出生前検査を受ける場合には、お互いにそれなりに覚悟して受けるだろうし話し合いもするだろう。だが検査が簡単になると、侵襲性の高い検査に比べて気軽に受ける人が出てくる。検査が簡単であればあるほど、事前にきちんとした話し合いを心がけるべきだし、それは検査を実施する医療機関がしつこいくらいに促すべきことでもある。

ただ、この日記は読めば読むほど釣りくさい。まず20代後半でダウン症検査を受けるのが珍しい。それから、「発覚」というほど確実に分かるためには羊水穿刺まで受けたということだろうが、これは侵襲性が高い検査で、受ける前には当然病院での事前カウンセリングがある。その痕跡が一切なく、夫婦で生むかどうかの意見が一致していない。出生前検査についてあまりよく知らない人が書いたという雰囲気がにじみ出ている。十中八九、悪質な、というかダウン症に対して悪意があり、かつどういうコメントがつくかもある程度想定した上での釣りだろうと思うが、新型出生前検査について考える良いきっかけにはなった。

ちなみに、新型出生前検査に関して凄く良い日記を見つけたので紹介。
妊婦のダウン症検査の話、陽性的中率
この記事中にもあるように、32歳の女性が検査で陽性と言われた場合、実際にダウン症である確率は30%程度である。35歳、40歳と女性の年齢が上がるにつれて、陽性結果が的中する確率は上がっていく。このあたりは、このブログで以前に書いた記事も参考にして欲しい。要はもともとダウン症の子を妊娠する率が低い年齢(事前確率が低い)での検査は、偽陽性(ダウン症ではないが陽性となる)が増えるということ。

また、これはしっかり覚えておいて欲しいのだが、検査結果の伝え方で受け手はかなり違った印象をもつ。例えば出生前検査を受けて、「10人中8人がダウン症です」と言われるのと、「1万人中2000人はダウン症ではありません」と言われるのでは印象が全然違うはずだ。説明する側が中絶を勧めたいなら前者で、生ませたいなら後者で説明するだろう。こういう風に伝え方一つで、印象や今後の選択を操作される可能性があることは知っておいたほうが良い。

<関連>
リスク・リテラシーが身につく統計的思考法
ダウン症児は親を選んで生まれてくる


2013年10月31日

学資保険の元本割れはリスクではない

学資保険の元本割れが話題になっているが、あれは契約期間中に契約者(親)が死亡した場合、それ以降の保険料は免除されたうえ満期には満額(多少の元本割れはあるにしろ)をもらえるというものだ。だから、
「親が死なずに満期がきたら多少は損をするかもしれないが、もし親が死んでも心配しなくても大丈夫」
というシステムで、保険というのは元来がそういうものだ。

生命保険とは、「命をネタにして賭けをしている」ということである。この場合の賭けの勝敗は、契約者側からすれば、誰がどういう気持ちで誰に対する掛け金(賭け金)を払うかによる。例えば、子どものために保険に入る親と、保険金殺人を企む人とでは勝利条件が違うだろう。ただ、保険会社にしてみれば、「誰も病気にならず事故もしない」というのが大勝ちだ。

だから保険会社は健康な人を優先的に賭けに参加させたがるし、契約者が健康を維持しようという気になるよう仕向ける。ほら、健康不安を煽るような番組や本の裏側には、保険会社の影がチラチラと見え隠れしているではないか。(←かなりの独断だが、CMをチェックしたらきっとかなり当たっていると思う)

最後に学資保険に話を戻すと、元本割れはリスクではなく、上記したような保険に入るコストと考えておいたほうが良い。つまり元本割れしなかったら、コストゼロで保険に入れたということだし、多少の元本割れがあっても、かなりローコストで保険に入れたということである。決して損をしたわけではないし、ましてリスクなんかではないのだ。

ただし、保険会社が加入前に事前説明をしっかりするというのは当然の義務である。

まっとうな経済学

まっとうな経済学
俺がこの手の翻訳本を読んで挫折するのには3つの原因が考えられる。

1.著者の文章が悪い。
2.訳者の翻訳が悪い。
3.俺の頭が悪い。

3は心情的に認めたくない。でもAmazonのレビューを見る限り、1でも2でもなさそうだ……。古本で入手して、およそ3分の1までは頑張って読み進めて、そこから数ページにわたって鉛筆で線を引いてあったので、一気に気分が萎えてしまった。

九州大学経済学部卒業の同門生らの名誉のために書いておくが、恐らく俺は卒業生の中でも最底辺の落ちこぼれだったはずだ。優秀な友人は多かったし、彼らなら絶対に読みこなせるだろう。どうやら俺は、経済学を学ぶセンスに欠けているようだ。

鉛筆で書かれた線を消して図書館へ寄贈。

2013年10月30日

モーラスと光線過敏症

モーラスはわりと頻繁に処方されている貼付薬であるが、「貼っている場所は日光に当てないように」という注意を受けていない人が多い。添付文書では以下のように書いてある。
光線過敏症を発現することがあるので、使用中は天候にかかわらず、戸外の活動を避けるとともに、日常の外出時も、本剤貼付部を衣服、サポーター等で遮光すること。なお、白い生地や薄手の服は紫外線を透過させるおそれがあるので、紫外線を透過させにくい色物の衣服などを着用すること。また、使用後数日から数カ月を経過して発現することもあるので、使用後も当分の間、同様に注意すること。異常が認められた場合には直ちに本剤の使用を中止し、患部を遮光し、適切な処置を行うこと。
また、副作用の欄には、
光線過敏症(頻度不明)
本剤の貼付部を紫外線に曝露することにより、強い痒を伴う紅斑、発疹、刺激感、腫脹、浮腫、水疱・びらん等の重度の皮膚炎症状や色素沈着、色素脱失が発現し、さらに全身に皮膚炎症状が拡大し重篤化することがあるので、異常が認められた場合には直ちに使用を中止し、患部を遮光し、適切な処置を行うこと。なお、使用後数日から数カ月を経過してから発現することもある。
という記載がある。頻度不明ながら、そこそこ怖い副作用であり、俺は初めて処方する人には説明するようにしている。きっとこのブログを読んで、「え!? そうなの!?」と驚いている人も多いのではないだろうか。

ある患者は、モーラスを肩に貼って屋外で遊んだら、貼った場所が四角形に日焼けしていた。体に何かを貼って日にあたれば、普通はその部分だけ「日焼けしない」ものだ。どういう機序か分からないが、実際にこういうことがあるということは知っておいた方が良いし、処方する医師も知らせるように努めるべきだろう。

2013年10月29日

かばん屋の相続

妻の実家で酒を飲んでいる時、池井戸潤の小説に関してメガバンクでエリート行員として勤務している妻の従兄と、同じく元銀行員である義従兄の奥さんに話を聞いたところ、
「銀行員の心理をうまく表現している」
ということだった。また、話の中身もそれぞれ「あるある」というようなものらしい。それを聞きながら俺は思った。

俺に銀行員は無理だ……。

俺が卒業した九州大学経済学部といえば、九州地方ではそれなりに格のあるところである。友人の多くは商社や証券会社、そして銀行に就職していった。就職活動を熱心に行なう彼らを横目に、俺はろくな就職活動もせずに、というか4年生後期にもなって足りない単位を集めるのに必死だったのだが、結局ブックオフに就職してしまった。

人生万事塞翁が馬という言葉があるように、それから紆余曲折を経て、なんとか医師というポジションにたどり着けたわけだが、池井戸潤の小説を読んでいてつくづく感じるのが「締め切りとノルマのない幸せ」だ。

もちろん、まったく締め切りがないというわけではなく、様々な診断書や届けを出す期限というのは決まっているし、毎日の患者をすべて診てしまわなければ1日が終わらないという意味ではそれもノルマと言えるかもしれない。しかし、そんなもの、銀行員の抱えている締め切り・ノルマと比べたら楽なものだ。

決して、精神科医の仕事のほうが気楽だ、というわけでない。ただ気苦労の種類が違っていて、とてもではないけれど、俺には銀行員にかかるプレッシャーに耐える自信がない。

義従兄は毎日23時過ぎの帰宅らしい。池井戸潤の小説に出てくるようなハードで神経をすり減らす仕事もやっているそうで、しかもそれを、
「わりと自分には合っていると思うなぁ」
と言って微笑むのだから、つくづくその強心臓ぶりに戦慄するのであった。

かばん屋の相続
面白かったので蔵書決定。

2013年10月28日

リスク・リテラシーが身につく統計的思考法

さて、問題。日頃から患者に検査を受けさせ結果を説明をしている医師には簡単すぎる?
ある地域で、40歳から50歳までの自覚症状のない女性を調べると、乳癌である確率が0.8%であることが分かっている。また乳癌であれば、検査Aで陽性になる確率は90%である。そして、乳癌でなくても陽性と出る確率は7%である。さて、ある女性の検査結果が陽性と出たとして、この女性が実際に乳癌である確率はどれくらいか?
ここから先を読む前に、大雑把でも当てずっぽうでも良いので、自分なりの答えを用意してみて欲しい。これを数式を用いてサラサラと解ける人もいるだろうが、そんなことをしなくても、考え方をこう変えてみると良い。
ある地域では、1000人の女性のうち8人が乳癌である。この8人が検査Aを受ければ7人が陽性になる。そして、乳癌ではない992人のうち、約70人で検査結果は陽性と出る。では、ある女性の結果が陽性であった場合、この女性が実際に乳癌である確率はどれくらいか?
どうだろう。一気に視界が拡がったんじゃないだろうか。答えは、陽性者77人のうち本当に乳癌である人が7人であるから、約9%となる。

こうやってパーセンテージではなく実際の数で表すのを自然頻度という。これは、検査結果を説明する側である医師に限らず、検査を受ける患者も知っておいて損はないどころか、かなり有意義なものであるはずだ。いや、むしろ知らないで損をしていることが多いかもしれない。

では次の練習問題。
HIV感染に対してリスクの高い行動をとっていない男性(ロー・リスク)において、0.01%がHIVに感染しているとする。このグループの男性が実際にHIVに感染していれば、検査結果が陽性になる確率(感度)は99.9%。感染していなければ、陰性になる確率(特異度)は99.99%。では、ロー・リスクの人が検査を受けて結果が陽性であった場合、ウイルスに感染している確率は何パーセントか?
さぁ、頭を悩ませて無駄な時間を使わずに、さっき学んだ自然頻度を使ってみるんだ。
1万人に1人いる感染者は、ほぼ確実に検査結果が陽性になる。残り9999人の非感染者のうち、1人は陽性になってしまう。ということは、検査結果が陽性になるのは2人、本当に感染しているのは1人。したがって、結果が陽性であっても、本当に感染している確率は50%である。
この検査、100万人が受けたとしたら、感染していないのに陽性となる人(偽陽性)が100人近く出ることになる。かつてアメリカではHIV検査で陽性と告げられて自殺した人たちが何人もいるらしいが、彼らの多くに偽陽性の人が含まれていたのではないだろうか……。そう考えると、検査結果の性質、意味を知らないことは、患者にとって大損であるし、医師にとっては罪作りである。

これを読んで危機感を抱いた医師や患者、その他大勢の人たちは、この本を読むべき。

リスク・リテラシーが身につく統計的思考法―初歩からベイズ推定まで

この知識が1000円以下で手に入るのだから、買わない手はない。

<関連>
乳がん検診、若い女性が受けた場合に不利益も

2013年10月26日

太郎

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家の中からコッソリ。

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車の中からコッソリ。

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2013年10月22日

ピアニスト・中村弥生の生演奏

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亀山亭ホテルにて。

リクエストに応えて、それをジャズ風にアレンジしていく中で、アンパンマンの希望があったので慌てて録画!!


パッヘルベルのカノンをリクエストしてみた。


中村弥生のブログ。

2013年10月21日

マリアビートル

マリアビートル
久しぶりに読む伊坂幸太郎。徹夜小説だった『グラスホッパー』の続編のようなものだが、前著ほどの興奮はなかった。そのかわり、今回はアクションシーンに独特の面白みを感じられた。読み終えた感想は、それなりに面白かった。映画化されたら、この格闘シーンなどをどう演出するか観てみたい。というか、俺が演出を手掛けてみたい。

蔵書決定。

2013年10月18日

審判の日

審判の日
山本弘は短編に限る、と最近つくづくそう思う。山本は長編を書こうとすると、自分自身の知識を披露することに誘惑されるようで、長編小説の少なくとも5分の1は読み飛ばしてもさほど影響のない知識・事実である(参考 『神は沈黙せず ~山本弘の欺瞞~』)。それに比べて、短編、連作短編に関しては良い仕事をしている。とにかくもう、山本の長編には手を出さないに限るのだ(笑)

蔵書決定。

ひた夏の思い出

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ひた夏の思い出(誤字じゃないよ)。

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場所が日田だけに……。

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魚舟・獣舟

魚舟・獣舟
粒ぞろいの短編と、書き下ろされた中編が一つ。面白かったので、この作者の他の本も読んでみようと思う。

蔵書決定。

2013年10月17日

「新聞広告クリエーティブコンテスト」の作品が凄い

ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。
なかなかに衝撃的なキャッチコピーと小鬼の絵。実に良い。

でも、一番良いなと思うのは、
「いつも通り」

こういうクリエイターが、今後どんどん活躍することを期待。
その他の作品は、以下から。

2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」結果発表

2013年10月16日

あなたがいる場所

あなたがいる場所
沢木耕太郎の小説。沢木耕太郎といえば『深夜特急』で、23歳で読んだ時には、異国の風が活字として入り込んでくるのを目で感じながら、いつかはそういうところへ行ってみたいと恋い焦がれたものだ。その後、シンガポールに1回、タイに2回、バリ島に1回行ったのは、やはりこの本の影響で東南アジアに憧れたことが影響していたと思う。

そんな沢木の小説は、いずれもそうドラマチックではないのに飽きさせない。実に良い短編集だった。ただ『天使のおやつ』という短編は、娘を持つ父としては辛くて怖い内容だった。

蔵書決定。

2013年10月15日

桶川ストーカー殺人事件―遺言

桶川ストーカー殺人事件―遺言
まず被害者の元交際相手の異常さが凄い。情緒的に不安定すぎる。いわゆるパラノイアとは、こういう人のことを言うのだろうか? それからグループのいやがらせ行為が極めて悪質で寒気がする。結局は、刺殺以外のいやがらせに参加した連中のほとんどが微罪で済んでいる。こんなゴミみたいな人間たちに、社会で暮らす権利などあるのだろか? そして何より、埼玉県警と上尾署の腐り方がひどい。こんな警察に市民と治安を守ることはできないだろう、というより、そもそもその気すらなかった上尾署の署員らには、本書を読んで何か感じて欲しい。

とにかくおぞましい一冊であると同時に、被害者や被害者家族の苦しさ、哀しさが、悔しさが伝わってくる。また、警察の怠慢さ・非情さなど語り継ぐべきことも多い本書は蔵書することに決定。

2013年10月11日

人から本を借りる時の作法

俺にとって、読み終えて面白かった本は大切なコレクションである。それはCDやフィギュアや時計などを収集する人の情熱と変わらない。改めて読むことはなくとも、背表紙を眺め、中身を思い出し、時には実際に手に取ってパラパラとめくる。この楽しみは本が好きでない人には分からないだろう。

読書は好きでも、本をコレクションする感覚はないという人も多いだろう。そもそも、本好きとただの読書好きでオーバーラップする部分はあるが、決定的な部分で違いがある。それは、ただの読書好きには、本や活字、あるいは本の持ち主や筆者に対する敬意がない、あるいは少ないということだ。
「筆者に敬意を払うのは分かるけれど、本や活字、ましてやその本の持ち主に敬意を払うなんてどういうこと?」
という疑問はよく分かるが、それに答えるのは難しい。なぜならそれは、本好きが持つ感性の問題だからだ。俺がフィギュアについて熱く語られてもいまいち分からないように、本好きでない人が本について熱く語られてもピンとこないだろう。

それでも敢えて、本好きとはこんな感じだということを書いていこう。

中学時代、大切にしていた6巻シリーズの文庫本がある。何度も繰り返し読んだ。普段は表紙をつけて蔵書しておき、読む時には表紙をはずした。その本を友人が貸して欲しいと言ってきたときには正直イヤだったが、貸さないわけにもいかなかった。表紙をはずして貸すのも悪いと思い、渋々表紙をつけて貸した。返ってきた本を見て愕然とした。表紙の一部が破れていた。その時には文句は言わなかったが、続編を貸すときには表紙を外して渡した。戻ってきた本は、本のとびらが折れていた。ごく小さなもので、角を頂点とした1辺1.5センチの直角二等辺三角形くらいだったが、もう抗議をしないわけにはいかなかった。彼のところへ行き、ここが折れているではないかと指摘した。彼は謝りもせず、薄ら笑いを浮かべ、はいはい、と言って俺から本を取ると、手で雑にアイロンをかけるような仕草をして本を手渡してきた。当然のことながら、そんなことで紙の皺が直るわけがない。同級生男子が10人しかいない田舎の学校だったが、卒業後は彼と一度も会話していない。する気が起きないからだ。

この話には、多少なりとも共感してもらえる部分があるかもしれない。何であれ大切なものを人に貸して、それがそのままの状態で返ってこないというのは哀しいものだ。ではこれはどうだろう。

20歳の頃、大学の友人の家に遊びに行った。部屋には彼が勉強している資格試験の本が散乱していた。俺はそれらを踏まないように歩くのだが、彼は一向に気にせず、時に踏みつけ、また蹴り飛ばしたりもしていた。「本を踏むな、蹴るな」と言ったが、あまり伝わらなかったようだ。自分の本でもないのに、大切にされていないのを見ると辛くなる。こういう感覚は、集めるものは違ってもコレクター同士なら相通ずるだろう。

そんなコレクターの感覚など分からないかもしれないが、せてめ本を借りる時の作法くらいは知っておくべきだ。それは何も難しいことではなく、ただ常識として、人から借りたものは、なるべく借りた時と同じ状態で返すということを心がけるだけだ。ただ、やはり感性の違いがあるだろうから、具体的に書かないと分からない人も多いだろう。俺が人に本を貸す時には、口には出さないが、最低限、以下のことに気をつけて欲しい。

1.本にしおりを挟むことを面倒くさがって、開いたまま伏せることは絶対にするな。本に開きグセのようなものがついてしまう。

2.たばこの煙を本に吹きかけるな。意外に臭いがしみつく。それに焦がしたらどうするんだ?

3.その本の持ち主が、本の内容だけでなく、本のとびらやページを含めた本全体を大切にしていることを忘れるな。

4.借りた本は返せ。

あなたにとってはただの本でも、持ち主にとっては身銭を切って買って、読み終えた後もコレクションとして持ち続けている大切な本であるということを、絶対に忘れないで欲しい。

以上、本好きからのお願い。


龍宮

龍宮
8つの短編のうち半分読んだところで読むのをやめた。読みたい本、読むべき本がたくさんあって、それらを読むためにはこういう「合わない本」(特に小説)はスパスパと見切りをつけるに限る。

図書館寄贈。

2013年10月10日

コロロギ岳から木星トロヤへ

コロロギ岳から木星トロヤへ
小川一水のSF小説。この作者で今のところ大ハズレはない。本書も雑事の合間をぬいながら二日で読める分量のわりに、中身はそれなりにしっかりしていて面白く読み終えることができた。

蔵書決定。

2013年10月9日

ショットガンと女

ショットガンと女
カメラマン・藤原新也のエッセイ集。雑誌に掲載されたものをまとめてある。雑誌に連載されたものを一冊にまとめた本は、一気に読むと疲れる。そこで診察室に置いて空き時間にちょこちょこ読むようにした。読み終えるのに2週間くらいかかったが、おかげで面白く読み終えることができた。

とはいえ再読はしないだろうし、図書館寄贈。

2013年10月8日

「悪ふざけ」投稿非難に便乗したイチャモンがひどい、と思ったら……

また不謹慎な! 集中治療室…酸素マスク姿で意識失ったしぐさの写真をネットに掲載 京都府立医大病院研修医

投稿を見た患者「不安な気持ちに…」

京都府立医大付属病院の研修医が、集中治療室(ICU)で酸素マスクを装着し意識を失っているようなしぐさをした自分の写真を、インターネットの交流サイト、フェイスブック(FB)に無断で掲載していたことが4日、病院関係者への取材でわかった。同病院は「不適切な行為だった」としており、医師はサイトを閉鎖。写真を見た同病院の患者は「そんな写真を公開する医師が患者を診て、この病院は大丈夫なのかと不安な気持ちになった」と話す。

同病院によると、写真を掲載したのは20代の男性研修医。6月下旬、ICUで、酸素マスクを装着するなどして使い方を学ぶ研修を受けた後、酸素マスクを付け、目を閉じ意識を失っているようなしぐさをして別の医師に撮影してもらった。マスクは医薬品メーカーから無料で提供された試供品で、患者に使用する予定はなかったという。

医師はその後、自分で開設したフェイスブックのトップページに写真を掲載。写真は誰でも閲覧できる状態になっており、産経新聞の指摘を受けた同病院は「こうした写真を自身のサイトに無断で掲載したのは不謹慎」として医師に注意。医師も「軽率な行為だった」と認め、その日のうちにサイトを閉鎖した。

同病院は「撮影のためにマスクをつけたわけではないが、誤解を招く写真だった」としており、今後こうしたことがないよう、病院関係者に徹底するとしている。
産経ニュース 2013.10.4
クレーマーもここまできたか……。最近流行りの、いわゆる「悪ふざけ写真」とは全く違うものであり、どこにも不適切と思えるところがないのにも関わらず、それを見た患者が「不安な気持ちになった」という、ただそれだけの理由で病院側と研修医が頭を下げる。異常すぎる……。

だいたい、酸素マスクをつけて目を閉じている姿を公開する医師を見て、病院の診療が大丈夫なのか不安になるほうがどうかしている。このクレーマーの攻撃ポイントが、「写真を公開したこと」なのか、それとも「こういう行為をしていること」なのか、それがいまいち分からない。

このクレーマーに逆に聞きたい。そんな写真のいったい何があなたをそこまで不安にさせたのか。「酸素マスクの使い方を学ぶ研修は受けたものの、自らが付けることは一度もなかった」と書かれていたほうが安心したのか。それとも、「実際に自分では装着したけれど、写真は撮っていません」とでも書かれていたら一番良かったのか。難くせつけるのもたいがいにして欲しい。

と、ここまで書いて、いや待てよ、これはいったいどんな写真なんだ? と気になった。削除されたと書いてあるので検索していなかったが、もしかしたら残っているかもしれない。そう考えて調べてみた結果……、うーん、微妙……。これは確かに指摘されても反論しにくい。写真を見ると、隣のベッドではモニターが作動しているし、点滴バッグは釣り下がっているし、シリンジポンプが何個も並んでいることから比較的重症の患者が寝ていると想像されるし……。

記事を読む限りでは、見た側の過剰反応と、指摘された側の過剰適応だと思っていたが、実際に写真を見てみると違う印象になる。新聞記事だけでなく、その他の情報源からの事実確認は大事だな、としみじみ感じた一件。産経の記事はこうした誤解をなくすためにも写真を載せるべきだろうな。

結論として、これは不謹慎な写真であり、不安に思った人はクレーマーではなく至極真っ当な反応だった。

2013年10月7日

神は沈黙せず ~山本弘の欺瞞~


話のメインストーリーは面白かった。ただ、知識をひたすら羅列するだけの場面が多すぎる。これは山本弘の他の数冊の本でも言えることで、彼のクセなのかもしれない。

それは良いとして、どうしても気になった部分がある。著者の山本は、
「根拠がない噂を信じる人たち」
について本の中で繰り返し批難し、自身のブログでも何度となく批判的に論じている(参照 韓国系デマ「日本の強姦犯のほとんどは朝鮮人」?)。その主張はすごく筋が通っていて分かりやすい。それなのに、ああ、それなのに、である。主人公と親友の葉月(根拠のない噂など信じない、かなり聡明で若い医師として描かれている)が語り合う場面に、

『病院では表に出ない医療事故が頻発しているが、カルテ改ざんは当たり前。それに医師も看護師も罪悪感を感じていない』

といったような文章が出てくる。おいおい……、それこそまさに根拠のない噂じゃないのかよ……。どうしても我慢できず、山本弘にメールした。
現在、山本さんの『神は沈黙せず』を読み進めているところです。非常に面白く、楽しませてもらっています。
が、しかし、どうしても突っ込んでおかなければいけないところがありましたので、メッセージいたします。
主人公と葉月が「自分たちは不器用でも良いよね」と会話するシーンで、『頻発しているのに表に出ない医療事故』やカルテ改竄が日常的だとの記述があります。
どうして山本さんともあろう人が、こういう記述をしてしまったのかが疑問です。なぜなら、この本でも何度となく取り上げられている「根拠のない陰謀論」「イメージ先行の情報」と同じで、病院は事故を頻繁に起こしながら隠している、カルテ改竄が日常的だというのは、何ら証拠もデータもないものだからです。
私は医師です。三つの病院で勤務してきましたし、学生の頃から実習で病院内部は見てきています。断言できますが、カルテ改竄が日常的だという事実はありません。ただ、これも、
「お前の勤務した3つの病院で不正がなかったからといって、それが少数派でないとどうして言いきれる?」
と問われると答えに窮します。
それでも、「病院ではミスが多発しカルテ改竄は日常的で、医師も看護師も罪の意識は抱いていない」というのは、「外国人犯罪が増加している」「在日韓国人のレイプが多発している」というのと同じレベルではないかと感じるのです。確かにそういう病院もあるのかもしれません。そういう医師や看護師もいるでしょう、きっと。ただ全国すべての病院・医師・看護師からしたら、ごく一部、それこそすべての犯罪者数の中の韓国人の数と同じくらいに一部だと思います。
医療従事者は、高レベルの医療を維持するために日夜努力しています。表に出てくる噂やマスコミが取り上げる情報からはそうは見えなくても……。
読んでいて、少し残念な気持ちになりましたので、こうして指摘することにしました。
確かに、文脈の捉え方によっては、
「この葉月が勤務する病院がそういう体質なのだ」
という意味だと言うこともできる。しかし、このあとに続けて葉月は、
「どこに行っても多かれ少なかれ似たようなものだから、そういう裏を内部告発でもしようものなら、医師として働く場所がなくなる」
と言っている。いや、著者の山本が言わせているのだ。

断言するが、そんな事実はない。
医師の世界はそんなに狭くない。ある病院で内部告発をしたからといって、働き口がなくなるなんてこともない。だから、山本はこれを山本自身が抱く病院に関するイメージだけで書いているということだ。これは山本のブログや本を読んだことがある人なら、いかに普段の本人の主張と矛盾しているかがよく分かると思う。

このメールを出したのが平成25年8月25日。返事は意外に早く、翌々日の27日に届いた。個人的なやり取りなので、丸写しの引用は控えたいが、概ね以下のような内容であった。
それは誤解で、すべての病院でカルテ改竄や医療ミスが頻発しているとは思っていません。葉月が勤める病院は、不祥事が頻発している悪徳病院だという前提です。実際、過去には医療ミスを隠蔽あるいは医療費を不当請求するため、病院がカルテ改竄をやっていた例はいくつもあります。グーグルで「カルテ改竄」検索すると、以下の事例がありました。

http://jlop5bjlop5b.blog.so-net.ne.jp/2010-04-20
http://plaza.rakuten.co.jp/genkoku/diary/200611130000/
http://homepage3.nifty.com/ynb/docs/ehr.html

仮に小説中に悪徳警官を出したとしても、すべての警官が腐敗していることにはなりません。だから悪徳病院を作中に出すことは、小説の設定としては間違っていません。
納得しかける答えではあったが、これはただの詭弁ではないか。
葉月は告発できます。できるはずなのです。葉月のセリフを引用しつつ訂正するなら、
「そんなことしたら、将来、閉ざされちゃ」いません。
「他の病院だって似たようなことやって」ません。
「あたしみたいな厄介者をほいほい採用」してくれます。
これも、あくまでも葉月の考えとして言ったことではありますが、本当の医師の発言として、こんなことを言うことはほぼありえません。というのも、医療界はそんなに狭い世界ではないからです。内部告発程度で将来が閉ざされることはありませんし、腐敗した病院に勤務しているからといって、
「他も似たようなことやっている」
と思うなんてことは考えにくいし、この人手不足の日本の医療界では、例え人格に問題があるような医師でも引く手数多というのが現実です。ただ、葉月が、
「東京都内で働くことができなくなること」
を「将来閉ざされる」と考えているとしたら、それはあり得ます。都内であれば、都内の大学病院から各病院に通達みたいなものが言い渡されるかもしれません。そういう意味では、医療界は「狭い世界」でもあります。
ただ、そうなると、へき地で勤務している私としては、葉月(小説中では噂に流されない、かなり聡明な人物として描かれている)の医師としてのあり方・考え方に疑問符を付けざるをえませんが……。
このメールを出してから1ヶ月以上がたったが、返事はない。

小説の中の人物が言うセリフにどこまで作者が責任を持つべきか、ちょっと難しいところではある。ただ、これを小説の中の葉月という人物だけの責任にしてしまって、言わせた張本人である山本弘が知らん顔というのでは、彼のブログなどでのこれまでの発言からすればまったくもってフェアではない。

韓国系デマ「日本の強姦犯のほとんどは朝鮮人」?に書かれたようなデマを、小説中で偏見のない聡明な人物として設定したキャラに言わせておいて、作者が「それはあくまでも登場人物の考えですから」という言い逃れをした時、山本弘は何も突っ込まずにおれるだろうか。すごく真っ当なことを言う人なだけに、言い訳めいた答えで終わってしまったのは残念である。

版を重ねる時に、書き直すくらいの真摯さを持っていてくれたら嬉しいのだが……。

祭り

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今年は、島のあちこちの祭りに足を運んだ。

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