2013年10月31日

学資保険の元本割れはリスクではない

学資保険の元本割れが話題になっているが、あれは契約期間中に契約者(親)が死亡した場合、それ以降の保険料は免除されたうえ満期には満額(多少の元本割れはあるにしろ)をもらえるというものだ。だから、
「親が死なずに満期がきたら多少は損をするかもしれないが、もし親が死んでも心配しなくても大丈夫」
というシステムで、保険というのは元来がそういうものだ。

生命保険とは、「命をネタにして賭けをしている」ということである。この場合の賭けの勝敗は、契約者側からすれば、誰がどういう気持ちで誰に対する掛け金(賭け金)を払うかによる。例えば、子どものために保険に入る親と、保険金殺人を企む人とでは勝利条件が違うだろう。ただ、保険会社にしてみれば、「誰も病気にならず事故もしない」というのが大勝ちだ。

だから保険会社は健康な人を優先的に賭けに参加させたがるし、契約者が健康を維持しようという気になるよう仕向ける。ほら、健康不安を煽るような番組や本の裏側には、保険会社の影がチラチラと見え隠れしているではないか。(←かなりの独断だが、CMをチェックしたらきっとかなり当たっていると思う)

最後に学資保険に話を戻すと、元本割れはリスクではなく、上記したような保険に入るコストと考えておいたほうが良い。つまり元本割れしなかったら、コストゼロで保険に入れたということだし、多少の元本割れがあっても、かなりローコストで保険に入れたということである。決して損をしたわけではないし、ましてリスクなんかではないのだ。

ただし、保険会社が加入前に事前説明をしっかりするというのは当然の義務である。

まっとうな経済学

まっとうな経済学
俺がこの手の翻訳本を読んで挫折するのには3つの原因が考えられる。

1.著者の文章が悪い。
2.訳者の翻訳が悪い。
3.俺の頭が悪い。

3は心情的に認めたくない。でもAmazonのレビューを見る限り、1でも2でもなさそうだ……。古本で入手して、およそ3分の1までは頑張って読み進めて、そこから数ページにわたって鉛筆で線を引いてあったので、一気に気分が萎えてしまった。

九州大学経済学部卒業の同門生らの名誉のために書いておくが、恐らく俺は卒業生の中でも最底辺の落ちこぼれだったはずだ。優秀な友人は多かったし、彼らなら絶対に読みこなせるだろう。どうやら俺は、経済学を学ぶセンスに欠けているようだ。

鉛筆で書かれた線を消して図書館へ寄贈。

2013年10月30日

モーラスと光線過敏症

モーラスはわりと頻繁に処方されている貼付薬であるが、「貼っている場所は日光に当てないように」という注意を受けていない人が多い。添付文書では以下のように書いてある。
光線過敏症を発現することがあるので、使用中は天候にかかわらず、戸外の活動を避けるとともに、日常の外出時も、本剤貼付部を衣服、サポーター等で遮光すること。なお、白い生地や薄手の服は紫外線を透過させるおそれがあるので、紫外線を透過させにくい色物の衣服などを着用すること。また、使用後数日から数カ月を経過して発現することもあるので、使用後も当分の間、同様に注意すること。異常が認められた場合には直ちに本剤の使用を中止し、患部を遮光し、適切な処置を行うこと。
また、副作用の欄には、
光線過敏症(頻度不明)
本剤の貼付部を紫外線に曝露することにより、強い痒を伴う紅斑、発疹、刺激感、腫脹、浮腫、水疱・びらん等の重度の皮膚炎症状や色素沈着、色素脱失が発現し、さらに全身に皮膚炎症状が拡大し重篤化することがあるので、異常が認められた場合には直ちに使用を中止し、患部を遮光し、適切な処置を行うこと。なお、使用後数日から数カ月を経過してから発現することもある。
という記載がある。頻度不明ながら、そこそこ怖い副作用であり、俺は初めて処方する人には説明するようにしている。きっとこのブログを読んで、「え!? そうなの!?」と驚いている人も多いのではないだろうか。

ある患者は、モーラスを肩に貼って屋外で遊んだら、貼った場所が四角形に日焼けしていた。体に何かを貼って日にあたれば、普通はその部分だけ「日焼けしない」ものだ。どういう機序か分からないが、実際にこういうことがあるということは知っておいた方が良いし、処方する医師も知らせるように努めるべきだろう。

2013年10月29日

かばん屋の相続

妻の実家で酒を飲んでいる時、池井戸潤の小説に関してメガバンクでエリート行員として勤務している妻の従兄と、同じく元銀行員である義従兄の奥さんに話を聞いたところ、
「銀行員の心理をうまく表現している」
ということだった。また、話の中身もそれぞれ「あるある」というようなものらしい。それを聞きながら俺は思った。

俺に銀行員は無理だ……。

俺が卒業した九州大学経済学部といえば、九州地方ではそれなりに格のあるところである。友人の多くは商社や証券会社、そして銀行に就職していった。就職活動を熱心に行なう彼らを横目に、俺はろくな就職活動もせずに、というか4年生後期にもなって足りない単位を集めるのに必死だったのだが、結局ブックオフに就職してしまった。

人生万事塞翁が馬という言葉があるように、それから紆余曲折を経て、なんとか医師というポジションにたどり着けたわけだが、池井戸潤の小説を読んでいてつくづく感じるのが「締め切りとノルマのない幸せ」だ。

もちろん、まったく締め切りがないというわけではなく、様々な診断書や届けを出す期限というのは決まっているし、毎日の患者をすべて診てしまわなければ1日が終わらないという意味ではそれもノルマと言えるかもしれない。しかし、そんなもの、銀行員の抱えている締め切り・ノルマと比べたら楽なものだ。

決して、精神科医の仕事のほうが気楽だ、というわけでない。ただ気苦労の種類が違っていて、とてもではないけれど、俺には銀行員にかかるプレッシャーに耐える自信がない。

義従兄は毎日23時過ぎの帰宅らしい。池井戸潤の小説に出てくるようなハードで神経をすり減らす仕事もやっているそうで、しかもそれを、
「わりと自分には合っていると思うなぁ」
と言って微笑むのだから、つくづくその強心臓ぶりに戦慄するのであった。

かばん屋の相続
面白かったので蔵書決定。

2013年10月28日

リスク・リテラシーが身につく統計的思考法

さて、問題。日頃から患者に検査を受けさせ結果を説明をしている医師には簡単すぎる?
ある地域で、40歳から50歳までの自覚症状のない女性を調べると、乳癌である確率が0.8%であることが分かっている。また乳癌であれば、検査Aで陽性になる確率は90%である。そして、乳癌でなくても陽性と出る確率は7%である。さて、ある女性の検査結果が陽性と出たとして、この女性が実際に乳癌である確率はどれくらいか?
ここから先を読む前に、大雑把でも当てずっぽうでも良いので、自分なりの答えを用意してみて欲しい。これを数式を用いてサラサラと解ける人もいるだろうが、そんなことをしなくても、考え方をこう変えてみると良い。
ある地域では、1000人の女性のうち8人が乳癌である。この8人が検査Aを受ければ7人が陽性になる。そして、乳癌ではない992人のうち、約70人で検査結果は陽性と出る。では、ある女性の結果が陽性であった場合、この女性が実際に乳癌である確率はどれくらいか?
どうだろう。一気に視界が拡がったんじゃないだろうか。答えは、陽性者77人のうち本当に乳癌である人が7人であるから、約9%となる。

こうやってパーセンテージではなく実際の数で表すのを自然頻度という。これは、検査結果を説明する側である医師に限らず、検査を受ける患者も知っておいて損はないどころか、かなり有意義なものであるはずだ。いや、むしろ知らないで損をしていることが多いかもしれない。

では次の練習問題。
HIV感染に対してリスクの高い行動をとっていない男性(ロー・リスク)において、0.01%がHIVに感染しているとする。このグループの男性が実際にHIVに感染していれば、検査結果が陽性になる確率(感度)は99.9%。感染していなければ、陰性になる確率(特異度)は99.99%。では、ロー・リスクの人が検査を受けて結果が陽性であった場合、ウイルスに感染している確率は何パーセントか?
さぁ、頭を悩ませて無駄な時間を使わずに、さっき学んだ自然頻度を使ってみるんだ。
1万人に1人いる感染者は、ほぼ確実に検査結果が陽性になる。残り9999人の非感染者のうち、1人は陽性になってしまう。ということは、検査結果が陽性になるのは2人、本当に感染しているのは1人。したがって、結果が陽性であっても、本当に感染している確率は50%である。
この検査、100万人が受けたとしたら、感染していないのに陽性となる人(偽陽性)が100人近く出ることになる。かつてアメリカではHIV検査で陽性と告げられて自殺した人たちが何人もいるらしいが、彼らの多くに偽陽性の人が含まれていたのではないだろうか……。そう考えると、検査結果の性質、意味を知らないことは、患者にとって大損であるし、医師にとっては罪作りである。

これを読んで危機感を抱いた医師や患者、その他大勢の人たちは、この本を読むべき。

リスク・リテラシーが身につく統計的思考法―初歩からベイズ推定まで

この知識が1000円以下で手に入るのだから、買わない手はない。

<関連>
乳がん検診、若い女性が受けた場合に不利益も

2013年10月26日

太郎

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家の中からコッソリ。

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車の中からコッソリ。

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2013年10月22日

ピアニスト・中村弥生の生演奏

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亀山亭ホテルにて。

リクエストに応えて、それをジャズ風にアレンジしていく中で、アンパンマンの希望があったので慌てて録画!!


パッヘルベルのカノンをリクエストしてみた。


中村弥生のブログ。

2013年10月21日

マリアビートル

マリアビートル
久しぶりに読む伊坂幸太郎。徹夜小説だった『グラスホッパー』の続編のようなものだが、前著ほどの興奮はなかった。そのかわり、今回はアクションシーンに独特の面白みを感じられた。読み終えた感想は、それなりに面白かった。映画化されたら、この格闘シーンなどをどう演出するか観てみたい。というか、俺が演出を手掛けてみたい。

蔵書決定。

2013年10月18日

審判の日

審判の日
山本弘は短編に限る、と最近つくづくそう思う。山本は長編を書こうとすると、自分自身の知識を披露することに誘惑されるようで、長編小説の少なくとも5分の1は読み飛ばしてもさほど影響のない知識・事実である(参考 『神は沈黙せず ~山本弘の欺瞞~』)。それに比べて、短編、連作短編に関しては良い仕事をしている。とにかくもう、山本の長編には手を出さないに限るのだ(笑)

蔵書決定。

ひた夏の思い出

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ひた夏の思い出(誤字じゃないよ)。

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場所が日田だけに……。

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魚舟・獣舟

魚舟・獣舟
粒ぞろいの短編と、書き下ろされた中編が一つ。面白かったので、この作者の他の本も読んでみようと思う。

蔵書決定。

2013年10月17日

「新聞広告クリエーティブコンテスト」の作品が凄い

ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。
なかなかに衝撃的なキャッチコピーと小鬼の絵。実に良い。

でも、一番良いなと思うのは、
「いつも通り」

こういうクリエイターが、今後どんどん活躍することを期待。
その他の作品は、以下から。

2013年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」結果発表

2013年10月16日

あなたがいる場所

あなたがいる場所
沢木耕太郎の小説。沢木耕太郎といえば『深夜特急』で、23歳で読んだ時には、異国の風が活字として入り込んでくるのを目で感じながら、いつかはそういうところへ行ってみたいと恋い焦がれたものだ。その後、シンガポールに1回、タイに2回、バリ島に1回行ったのは、やはりこの本の影響で東南アジアに憧れたことが影響していたと思う。

そんな沢木の小説は、いずれもそうドラマチックではないのに飽きさせない。実に良い短編集だった。ただ『天使のおやつ』という短編は、娘を持つ父としては辛くて怖い内容だった。

蔵書決定。

2013年10月15日

桶川ストーカー殺人事件―遺言

桶川ストーカー殺人事件―遺言
まず被害者の元交際相手の異常さが凄い。情緒的に不安定すぎる。いわゆるパラノイアとは、こういう人のことを言うのだろうか? それからグループのいやがらせ行為が極めて悪質で寒気がする。結局は、刺殺以外のいやがらせに参加した連中のほとんどが微罪で済んでいる。こんなゴミみたいな人間たちに、社会で暮らす権利などあるのだろか? そして何より、埼玉県警と上尾署の腐り方がひどい。こんな警察に市民と治安を守ることはできないだろう、というより、そもそもその気すらなかった上尾署の署員らには、本書を読んで何か感じて欲しい。

とにかくおぞましい一冊であると同時に、被害者や被害者家族の苦しさ、哀しさが、悔しさが伝わってくる。また、警察の怠慢さ・非情さなど語り継ぐべきことも多い本書は蔵書することに決定。

2013年10月11日

人から本を借りる時の作法

俺にとって、読み終えて面白かった本は大切なコレクションである。それはCDやフィギュアや時計などを収集する人の情熱と変わらない。改めて読むことはなくとも、背表紙を眺め、中身を思い出し、時には実際に手に取ってパラパラとめくる。この楽しみは本が好きでない人には分からないだろう。

読書は好きでも、本をコレクションする感覚はないという人も多いだろう。そもそも、本好きとただの読書好きでオーバーラップする部分はあるが、決定的な部分で違いがある。それは、ただの読書好きには、本や活字、あるいは本の持ち主や筆者に対する敬意がない、あるいは少ないということだ。
「筆者に敬意を払うのは分かるけれど、本や活字、ましてやその本の持ち主に敬意を払うなんてどういうこと?」
という疑問はよく分かるが、それに答えるのは難しい。なぜならそれは、本好きが持つ感性の問題だからだ。俺がフィギュアについて熱く語られてもいまいち分からないように、本好きでない人が本について熱く語られてもピンとこないだろう。

それでも敢えて、本好きとはこんな感じだということを書いていこう。

中学時代、大切にしていた6巻シリーズの文庫本がある。何度も繰り返し読んだ。普段は表紙をつけて蔵書しておき、読む時には表紙をはずした。その本を友人が貸して欲しいと言ってきたときには正直イヤだったが、貸さないわけにもいかなかった。表紙をはずして貸すのも悪いと思い、渋々表紙をつけて貸した。返ってきた本を見て愕然とした。表紙の一部が破れていた。その時には文句は言わなかったが、続編を貸すときには表紙を外して渡した。戻ってきた本は、本のとびらが折れていた。ごく小さなもので、角を頂点とした1辺1.5センチの直角二等辺三角形くらいだったが、もう抗議をしないわけにはいかなかった。彼のところへ行き、ここが折れているではないかと指摘した。彼は謝りもせず、薄ら笑いを浮かべ、はいはい、と言って俺から本を取ると、手で雑にアイロンをかけるような仕草をして本を手渡してきた。当然のことながら、そんなことで紙の皺が直るわけがない。同級生男子が10人しかいない田舎の学校だったが、卒業後は彼と一度も会話していない。する気が起きないからだ。

この話には、多少なりとも共感してもらえる部分があるかもしれない。何であれ大切なものを人に貸して、それがそのままの状態で返ってこないというのは哀しいものだ。ではこれはどうだろう。

20歳の頃、大学の友人の家に遊びに行った。部屋には彼が勉強している資格試験の本が散乱していた。俺はそれらを踏まないように歩くのだが、彼は一向に気にせず、時に踏みつけ、また蹴り飛ばしたりもしていた。「本を踏むな、蹴るな」と言ったが、あまり伝わらなかったようだ。自分の本でもないのに、大切にされていないのを見ると辛くなる。こういう感覚は、集めるものは違ってもコレクター同士なら相通ずるだろう。

そんなコレクターの感覚など分からないかもしれないが、せてめ本を借りる時の作法くらいは知っておくべきだ。それは何も難しいことではなく、ただ常識として、人から借りたものは、なるべく借りた時と同じ状態で返すということを心がけるだけだ。ただ、やはり感性の違いがあるだろうから、具体的に書かないと分からない人も多いだろう。俺が人に本を貸す時には、口には出さないが、最低限、以下のことに気をつけて欲しい。

1.本にしおりを挟むことを面倒くさがって、開いたまま伏せることは絶対にするな。本に開きグセのようなものがついてしまう。

2.たばこの煙を本に吹きかけるな。意外に臭いがしみつく。それに焦がしたらどうするんだ?

3.その本の持ち主が、本の内容だけでなく、本のとびらやページを含めた本全体を大切にしていることを忘れるな。

4.借りた本は返せ。

あなたにとってはただの本でも、持ち主にとっては身銭を切って買って、読み終えた後もコレクションとして持ち続けている大切な本であるということを、絶対に忘れないで欲しい。

以上、本好きからのお願い。


龍宮

龍宮
8つの短編のうち半分読んだところで読むのをやめた。読みたい本、読むべき本がたくさんあって、それらを読むためにはこういう「合わない本」(特に小説)はスパスパと見切りをつけるに限る。

図書館寄贈。

2013年10月10日

コロロギ岳から木星トロヤへ

コロロギ岳から木星トロヤへ
小川一水のSF小説。この作者で今のところ大ハズレはない。本書も雑事の合間をぬいながら二日で読める分量のわりに、中身はそれなりにしっかりしていて面白く読み終えることができた。

蔵書決定。

2013年10月9日

ショットガンと女

ショットガンと女
カメラマン・藤原新也のエッセイ集。雑誌に掲載されたものをまとめてある。雑誌に連載されたものを一冊にまとめた本は、一気に読むと疲れる。そこで診察室に置いて空き時間にちょこちょこ読むようにした。読み終えるのに2週間くらいかかったが、おかげで面白く読み終えることができた。

とはいえ再読はしないだろうし、図書館寄贈。

2013年10月8日

「悪ふざけ」投稿非難に便乗したイチャモンがひどい、と思ったら……

また不謹慎な! 集中治療室…酸素マスク姿で意識失ったしぐさの写真をネットに掲載 京都府立医大病院研修医

投稿を見た患者「不安な気持ちに…」

京都府立医大付属病院の研修医が、集中治療室(ICU)で酸素マスクを装着し意識を失っているようなしぐさをした自分の写真を、インターネットの交流サイト、フェイスブック(FB)に無断で掲載していたことが4日、病院関係者への取材でわかった。同病院は「不適切な行為だった」としており、医師はサイトを閉鎖。写真を見た同病院の患者は「そんな写真を公開する医師が患者を診て、この病院は大丈夫なのかと不安な気持ちになった」と話す。

同病院によると、写真を掲載したのは20代の男性研修医。6月下旬、ICUで、酸素マスクを装着するなどして使い方を学ぶ研修を受けた後、酸素マスクを付け、目を閉じ意識を失っているようなしぐさをして別の医師に撮影してもらった。マスクは医薬品メーカーから無料で提供された試供品で、患者に使用する予定はなかったという。

医師はその後、自分で開設したフェイスブックのトップページに写真を掲載。写真は誰でも閲覧できる状態になっており、産経新聞の指摘を受けた同病院は「こうした写真を自身のサイトに無断で掲載したのは不謹慎」として医師に注意。医師も「軽率な行為だった」と認め、その日のうちにサイトを閉鎖した。

同病院は「撮影のためにマスクをつけたわけではないが、誤解を招く写真だった」としており、今後こうしたことがないよう、病院関係者に徹底するとしている。
産経ニュース 2013.10.4
クレーマーもここまできたか……。最近流行りの、いわゆる「悪ふざけ写真」とは全く違うものであり、どこにも不適切と思えるところがないのにも関わらず、それを見た患者が「不安な気持ちになった」という、ただそれだけの理由で病院側と研修医が頭を下げる。異常すぎる……。

だいたい、酸素マスクをつけて目を閉じている姿を公開する医師を見て、病院の診療が大丈夫なのか不安になるほうがどうかしている。このクレーマーの攻撃ポイントが、「写真を公開したこと」なのか、それとも「こういう行為をしていること」なのか、それがいまいち分からない。

このクレーマーに逆に聞きたい。そんな写真のいったい何があなたをそこまで不安にさせたのか。「酸素マスクの使い方を学ぶ研修は受けたものの、自らが付けることは一度もなかった」と書かれていたほうが安心したのか。それとも、「実際に自分では装着したけれど、写真は撮っていません」とでも書かれていたら一番良かったのか。難くせつけるのもたいがいにして欲しい。

と、ここまで書いて、いや待てよ、これはいったいどんな写真なんだ? と気になった。削除されたと書いてあるので検索していなかったが、もしかしたら残っているかもしれない。そう考えて調べてみた結果……、うーん、微妙……。これは確かに指摘されても反論しにくい。写真を見ると、隣のベッドではモニターが作動しているし、点滴バッグは釣り下がっているし、シリンジポンプが何個も並んでいることから比較的重症の患者が寝ていると想像されるし……。

記事を読む限りでは、見た側の過剰反応と、指摘された側の過剰適応だと思っていたが、実際に写真を見てみると違う印象になる。新聞記事だけでなく、その他の情報源からの事実確認は大事だな、としみじみ感じた一件。産経の記事はこうした誤解をなくすためにも写真を載せるべきだろうな。

結論として、これは不謹慎な写真であり、不安に思った人はクレーマーではなく至極真っ当な反応だった。

2013年10月7日

神は沈黙せず ~山本弘の欺瞞~


話のメインストーリーは面白かった。ただ、知識をひたすら羅列するだけの場面が多すぎる。これは山本弘の他の数冊の本でも言えることで、彼のクセなのかもしれない。

それは良いとして、どうしても気になった部分がある。著者の山本は、
「根拠がない噂を信じる人たち」
について本の中で繰り返し批難し、自身のブログでも何度となく批判的に論じている(参照 韓国系デマ「日本の強姦犯のほとんどは朝鮮人」?)。その主張はすごく筋が通っていて分かりやすい。それなのに、ああ、それなのに、である。主人公と親友の葉月(根拠のない噂など信じない、かなり聡明で若い医師として描かれている)が語り合う場面に、

『病院では表に出ない医療事故が頻発しているが、カルテ改ざんは当たり前。それに医師も看護師も罪悪感を感じていない』

といったような文章が出てくる。おいおい……、それこそまさに根拠のない噂じゃないのかよ……。どうしても我慢できず、山本弘にメールした。
現在、山本さんの『神は沈黙せず』を読み進めているところです。非常に面白く、楽しませてもらっています。
が、しかし、どうしても突っ込んでおかなければいけないところがありましたので、メッセージいたします。
主人公と葉月が「自分たちは不器用でも良いよね」と会話するシーンで、『頻発しているのに表に出ない医療事故』やカルテ改竄が日常的だとの記述があります。
どうして山本さんともあろう人が、こういう記述をしてしまったのかが疑問です。なぜなら、この本でも何度となく取り上げられている「根拠のない陰謀論」「イメージ先行の情報」と同じで、病院は事故を頻繁に起こしながら隠している、カルテ改竄が日常的だというのは、何ら証拠もデータもないものだからです。
私は医師です。三つの病院で勤務してきましたし、学生の頃から実習で病院内部は見てきています。断言できますが、カルテ改竄が日常的だという事実はありません。ただ、これも、
「お前の勤務した3つの病院で不正がなかったからといって、それが少数派でないとどうして言いきれる?」
と問われると答えに窮します。
それでも、「病院ではミスが多発しカルテ改竄は日常的で、医師も看護師も罪の意識は抱いていない」というのは、「外国人犯罪が増加している」「在日韓国人のレイプが多発している」というのと同じレベルではないかと感じるのです。確かにそういう病院もあるのかもしれません。そういう医師や看護師もいるでしょう、きっと。ただ全国すべての病院・医師・看護師からしたら、ごく一部、それこそすべての犯罪者数の中の韓国人の数と同じくらいに一部だと思います。
医療従事者は、高レベルの医療を維持するために日夜努力しています。表に出てくる噂やマスコミが取り上げる情報からはそうは見えなくても……。
読んでいて、少し残念な気持ちになりましたので、こうして指摘することにしました。
確かに、文脈の捉え方によっては、
「この葉月が勤務する病院がそういう体質なのだ」
という意味だと言うこともできる。しかし、このあとに続けて葉月は、
「どこに行っても多かれ少なかれ似たようなものだから、そういう裏を内部告発でもしようものなら、医師として働く場所がなくなる」
と言っている。いや、著者の山本が言わせているのだ。

断言するが、そんな事実はない。
医師の世界はそんなに狭くない。ある病院で内部告発をしたからといって、働き口がなくなるなんてこともない。だから、山本はこれを山本自身が抱く病院に関するイメージだけで書いているということだ。これは山本のブログや本を読んだことがある人なら、いかに普段の本人の主張と矛盾しているかがよく分かると思う。

このメールを出したのが平成25年8月25日。返事は意外に早く、翌々日の27日に届いた。個人的なやり取りなので、丸写しの引用は控えたいが、概ね以下のような内容であった。
それは誤解で、すべての病院でカルテ改竄や医療ミスが頻発しているとは思っていません。葉月が勤める病院は、不祥事が頻発している悪徳病院だという前提です。実際、過去には医療ミスを隠蔽あるいは医療費を不当請求するため、病院がカルテ改竄をやっていた例はいくつもあります。グーグルで「カルテ改竄」検索すると、以下の事例がありました。

http://jlop5bjlop5b.blog.so-net.ne.jp/2010-04-20
http://plaza.rakuten.co.jp/genkoku/diary/200611130000/
http://homepage3.nifty.com/ynb/docs/ehr.html

仮に小説中に悪徳警官を出したとしても、すべての警官が腐敗していることにはなりません。だから悪徳病院を作中に出すことは、小説の設定としては間違っていません。
納得しかける答えではあったが、これはただの詭弁ではないか。
葉月は告発できます。できるはずなのです。葉月のセリフを引用しつつ訂正するなら、
「そんなことしたら、将来、閉ざされちゃ」いません。
「他の病院だって似たようなことやって」ません。
「あたしみたいな厄介者をほいほい採用」してくれます。
これも、あくまでも葉月の考えとして言ったことではありますが、本当の医師の発言として、こんなことを言うことはほぼありえません。というのも、医療界はそんなに狭い世界ではないからです。内部告発程度で将来が閉ざされることはありませんし、腐敗した病院に勤務しているからといって、
「他も似たようなことやっている」
と思うなんてことは考えにくいし、この人手不足の日本の医療界では、例え人格に問題があるような医師でも引く手数多というのが現実です。ただ、葉月が、
「東京都内で働くことができなくなること」
を「将来閉ざされる」と考えているとしたら、それはあり得ます。都内であれば、都内の大学病院から各病院に通達みたいなものが言い渡されるかもしれません。そういう意味では、医療界は「狭い世界」でもあります。
ただ、そうなると、へき地で勤務している私としては、葉月(小説中では噂に流されない、かなり聡明な人物として描かれている)の医師としてのあり方・考え方に疑問符を付けざるをえませんが……。
このメールを出してから1ヶ月以上がたったが、返事はない。

小説の中の人物が言うセリフにどこまで作者が責任を持つべきか、ちょっと難しいところではある。ただ、これを小説の中の葉月という人物だけの責任にしてしまって、言わせた張本人である山本弘が知らん顔というのでは、彼のブログなどでのこれまでの発言からすればまったくもってフェアではない。

韓国系デマ「日本の強姦犯のほとんどは朝鮮人」?に書かれたようなデマを、小説中で偏見のない聡明な人物として設定したキャラに言わせておいて、作者が「それはあくまでも登場人物の考えですから」という言い逃れをした時、山本弘は何も突っ込まずにおれるだろうか。すごく真っ当なことを言う人なだけに、言い訳めいた答えで終わってしまったのは残念である。

版を重ねる時に、書き直すくらいの真摯さを持っていてくれたら嬉しいのだが……。

祭り

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今年は、島のあちこちの祭りに足を運んだ。

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2013年10月6日

ありがとう、EF50mmF1.8

そんなに荒い使い方をしていたわけではないが、それなりにコツンコツンとぶつけていたダメージが蓄積していたのか、使い始めて2年弱で大破。

思えば、悩みに悩んで買ってみた単焦点。Kissに付けて娘を撮ってみて、ズームレンズとの違いに驚愕、写真を撮ることの面白さにハマってしまった。ずいぶん昔に「写真の基本は50mmレンズ」というのを読んでいたので、しばらくはそう信じて使っていたが、APS-Cサイズだと80mmレンズと同等になると知り……、いわゆるレンズ沼に入り込んでしまい、最後はCanonのフルサイズ機6Dを買うまでに至った。

そしてこの50mmを付けっぱなしで撮りまくり、散々に楽しませてもらったうえでの大破。前玉と後玉が分離してしまっている。中を見るとプラスチックが折れているようで、修復は不可能だろうと判断。これを機会に、ずっと悩んでいたF1.4を購入した。ありがとう、EF50mmF1.8 。

合焦。

じゃなかった、合掌。


Canon 単焦点レンズ EF50mm F1.8 II

2013年10月5日

彼岸花

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祖父の墓にて。

2013年10月4日

実家近くにて

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2013年10月3日

太郎

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サクラが一人で歩くので、太郎を撮る機会がまた増えてきた。

2013年10月2日

私はフーイー

私はフーイー
恒川光太郎の最新作。これまでの全作を読んでいる俺としては、正直パワーダウンを感じる一冊だった。確かに恒川にしか描けないワールドは健在だったが、本書を一言で表せば「雑」。いや、これまでの本だって決して描写は緻密ではなかったけれど、その描かれない空白の部分に面白味みたいなものがあったのだが、今回はそのわくわく感が得られなかった。ただ単にこういう世界・展開に飽きたのかな? 次回作に期待したい。

恒川光太郎の本は、とりあえずすべて蔵書することにしている。

2013年10月1日

暖簾

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