2012年3月31日

「老人ホームで孤独死」はあり得ないか

『老人ホームで孤独死』という見出しのニュースがあった。見た瞬間、いったいどんな施設だよと批判しそうになったが、まぁ待て待てと自分を諌めて、まずはどのような施設かを調べることにした。そうしたら、なるほど、これは施設側を一方的に責めるのも難しい。

サンシャイン・ヴィラつくば倶楽夢
ホームページにはこうある。
当有料老人ホームは一般居室と介護居室が混在する有料老人ホーム
施設の外観も併せて考えると、一般居室は要するに普通のアパートかマンションみたいなものだ。ただ、そこらへんのマンションと違うのは、同じくホームページから引用すると、
「同一敷地内にクリニックが設置されており(内科・消化器科・整形外科)、医師との連携が取りやすく、予約がなくてもスムーズに診察が受けられることも安心の大きな一つの要素だと思います。それに加えて、トラブルが起こりやすい歯科に関しては、「すこやか歯科」より週1回、訪問診療に来て下さっております。
ということで、医療を受けることに関しては普通のマンションより安心だが、それ以上ではない。

ニュースには、
女性は要介護者ではなく、専用居室で一人暮らしをしており
と書いてあるので、上記のちょっと安心なマンションに住んでいたということ。職員が随時訪問する介護居室ではない。一戸一戸を毎日訪問するにしても、どの時間帯が良いのか、生活リズムは人によって違うので難しいところがあるかもしれない。実際に患者や家族に聞くと、18時には床に入る人から深夜1時過ぎまで起きている人、朝の4時から活動開始する人や正午過ぎても寝ている人など様々。うるさい、と言って怒る高齢者もいるだろうし、建物だってかなり大きいので時間もかかる。ある施設では、部屋でお湯を使ったかどうかが分かるようにして、丸一日お湯の使用がなかったので安否確認をしたところ、「プライバシーの侵害だ!」といって入所者を怒らせてしまったそうだ。だから、「老人ホームなのに発見が遅れた」と施設側を一方的に責めるのは酷だろう。ただ、今回の件を受けて、この施設は毎日の戸別訪問を開始するんじゃないかな。それはそれで、別のトラブル発生や、それに伴う職員の負担増の可能性があるのだけれど、例えば入所時にどの時間帯に声かけして欲しいかとか、安否確認システムの有無や利用希望などを確認しておけば良いかもしれない。

「老人ホームで孤独死」というフレーズがセンセーショナルだから、思わず飛びついて非難したくなる気持ちは分かる。俺もそうなりそうだったから。でもほんの少し立ち止まって調べるだけで、ちょっと違った見方ができるという一例か。
茨城県つくば市の有料老人ホーム「サンシャイン・ヴィラつくば倶楽夢(くらぶ)」で、入居者の女性(87)が、死後約1週間たってから発見されたことがわかった。女性は要介護者ではなく、専用居室で一人暮らしをしており、職員らも気付かなかった。

運営する医療法人社団「みなみつくば会」(今川民子理事長)によると、24日午後7時頃、女性の親類から「電話に出ない」と連絡があり、職員が合鍵で入室、浴室に裸で倒れている女性を見つけた。つくば中央署は、急性心不全による病死とみている。

室内には新聞が17日朝刊からたまっていたが、外からは見えない構造になっていた。女性は15日に胸の痛みを訴え、職員に送迎されて市内の総合病院を受診している。16日頃、入浴しようとして容体が急変したとみられる。居室や浴室にナースコールのボタンがあったが、呼び出しはなかった。

(2012年3月31日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120330-OYT1T01224.htm

柔道と過剰体罰の思い出

高校で初めての柔道の授業。友人がTシャツの上から胴着を着ていた。授業が始まって整列したら、体育の先生が静か友人に歩み寄り、無言で股間を蹴りあげた。それから先生は、倒れて悶絶する彼を見下ろして、
「Tシャツを脱げ」
吐き捨てるように言った。

教師の質はピンからキリだが、俺は基本的に自分が教わった先生を恨まないし、嫌いにもならない。高校時代に、やたらビンタしまくる先生がいたし、ゲンコツがやたら痛い、時には教科書の角で殴ってくるような先生もいたが、どちらも好きだ。そんな俺が、友人の金たまを蹴った男だけは許せない。

ちなみに、その教師の名前を下田という。彼が今どこで何をやっているか知らないが、当時サッカー部の顧問をしていた下田は、後に女子生徒に対する性的問題行動で退職となっている。

そういう思い出があるので、柔道が好きじゃない。まして、柔道を必修にするなんて鳥肌が立つ。どんなスポーツにも危険は伴うものだが、投げたり引き倒したりする柔道はリスクとベネフィットがあまりに釣り合っていない。選択制にすると言っても、田舎の学校だと人数が少なくて選択授業なんてできないところもあると思う。俺の卒業した中学校にも剣道用具は置いていなかったし、同じような学校も多いんじゃないだろうか。

ところで、金たま蹴られて悶絶した彼は、現在は警察官になっている。

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体罰は、愛のムチになりうるか
体罰は、愛のムチになりうるか
「大外刈り」禁止 中学柔道指針 試合は座った状態で 静岡
4月から中学で武道が必修化されることに伴い、県教育委員会は重篤な事故が起きている柔道について、「大外刈り」を禁止し、投げ技を使った試合は行わない、などとする安全指導指針をまとめ、各市町の教委に通知した。県内では平成22年、中学の柔道部で大外刈りを受けた部員が死亡する事故が起きたこともあり、技の種類を制限する全国的にも厳格な内容の安全指針となった。

県教委の指針は頭部外傷などの事故が予想される大外刈りは行わない▽投げ技を使う試合は行わない▽体格や技能の異なる生徒同士を組ませない-などとなっている。投げ技を使わなければ、試合は座った状態で行うのみとなり、立った状態での試合はできないことになる。

1、2年生については「投げ技は互いに約束した動きの中で行うだけで、乱取りなどは行わない」と、より厳しい条件を課した。

名古屋大学大学院の内田良准教授のまとめでは、22年度までの28年間に柔道中の事故により、全国で114人(中学39人、高校75人)が死亡。生徒10万人当たりの死者数も柔道は2・376人と、2位のバスケットボールの0・371人に比べ、突出している。

県教委では「中学校では柔道の試合を全く行わないこともあり得る。礼に始まり礼に終わる柔道の精神は十分に学ぶことができる」と強調した。

県教委によると県内の公立中173校(政令市を除く)のうち、柔道を選択したのは約75%。武道の授業は、中学1、2年で計約20時間、選択制となる3年でさらに約10時間行われる。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120330/szk12033002020000-n1.htm

2012年3月30日

涙なくしては読めない 『遺体 震災、津波の果てに』

震災から一年が過ぎた今、買って読むべき本はこれだろう。胸が締めつけられるような話が多かった。診察室で空き時間を利用して読んでいると、思わず涙ぐんでいる自分がいた。多くの人に読んで欲しい、そんな本だ。

遺体安置所で検死にあたった医師は、あまりの数の多さに従来の方法で一体にゆっくり時間をかけることができなかった。そこで医師が苦肉の策でとった方法が現場の凄絶さを物語る。
手で遺体の鼻を強くつまんだり、胸部を押したりするのである。遺体が津波による溺死であれば、肺や気管に海水が大量にたまっているため、かかった圧力によって白い気泡状の水がチッチッチッと音を立ててあふれ出してくる。これが確認できたものについては死因を「津波による災害死」として処理することにした。
その他、ごく一部を引用するが、これはやはり実際に読むべき本だ。とてもじゃないけれど、内容の濃さを引用しきれないのだ。
ヘドロを被った死屍が累々と横たわっていた。民家に頭を突っ込んで死んでいる女性、電信柱にしがみつきながら死後硬直している男性、尖った材が顔に突き刺さったまま仰向けになって転がっている老人。毛布をめくってみた。遺体はどれも硬直して手を握りしめ、押し寄せる水を飲み込むまいとしっかり口を閉じていた。鼻や耳には大量の砂が入り込んでいる。
お腹の膨らんだ若い妊婦と三歳ぐらいの女の子の遺体も横たえられていた。妊婦だった母親が幼い娘を連れて逃げているときに津波に巻き込まれたのだという。まだ二十代だろう。
ある50代の女性は安置所に来てすぐに息子の遺体を見つけ出した。20歳そこそこで、人生これからという年齢だ。母親は息子の遺体を見た途端、かがみこんでこう怒鳴り散らした。
「あんた、なんで死んだんだ! なんでだよ! こんな短い人生でいいと思っているのかァ!」
何度も罵倒するように叫び、声を上げて泣きはじめる。 
あまりに膨れ上がった遺体の数は、関係者から遺体に払うべき敬意というものを少しずつ奪い去っていった。安置所にいる者たちはすべての名前を憶えることができずに遺族の前で品物のように「725番」と番号で呼んだり、遺体を飛び越えるように土足で跨いだりすることもあった。また、休憩のときなど周囲に人がいるのを忘れて笑い話をする人なども増えてきた。最初は誰もが遺体が床に横たえられているだけで慄いていたのに、数が増加するにつれて見慣れた風景となってしまい、モノとしてしか感じられなくなったのだ。
こういう状況にあって、遺体の名前を憶えて声をかけ続けた人もいる。
例えば子供の遺体には次のように言った。
「実君、昨晩はずっとここにいて寒かっただろ。ごめんな。今日こそ、お父さんやお母さんが探しにやってきてくれるといいな。そしたら、実君はどんなお話をするつもりだ? 今から考えておきなよ」
また、隣にいる妊婦の遺体にはこう言った。
「幸子ママは、大槌町に住んでいたんだね。一晩、この寒いところでよく頑張ってくれたね。ママのお蔭で、お腹のなかにいた赤ちゃんは寒くなかったんじゃないかな。この子はとっても感謝しているはずだよ。天国へ逝ったら、今度こそ無事にお腹の赤ちゃんを産んであげるんだよ。暖かいところで、伸び伸びと育ててあげなよ。そしていつか僕がそっちにいったときに赤ちゃんを見せておくれ」
これまで何度も書いてきたが、マスコミは震災直後は津波映像で盛り上がっていたが、すぐに原発問題に飛びついて、津波被害は置き去りにされてしまった感がある。あれから一年以上が過ぎた今、できるだけ多くの人たちに読んで知って欲しい、あの当時の現実がこの本の中にある。

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三陸海岸大津波 記憶を風化させないために

水のみ太郎

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2012年3月29日

まったく心当たりのない謎のメールが来た <解決済み>

見たことあるようなないような、そんなアドレス(******@y​bb.ne.jp)から俺のホットメールあてにメールが来ていた。それが読んでもさっぱり意味が分からない。どこかへのリンクも貼ってないので、決して勧誘メールではない。同時に「******@softbank.ne.jp」にも同じ文面を送信しているようだ。以下、そのメールを公開するので、解読班を募りたい。
関数とはXとYであれば、XとYの関係を表す数を略して関数と理解して下さい。それではなぜ、X軸とY軸は直角に交差しているのか?斜めに交差させない。。。。数字はあくまでも相対で大きい、小さいが理解できますが、どれだけは幅があるかは、書く人によって違います。これにMメートル(長さ)を表すものがつくと、きまりがあります。これも基本的には地球の赤道の長さを何分の1かにした長さです。Kgを表で書くとこれはあくまでも、相対ですね。そう考えると重さは表で絶対的なものは見えないのかな。数学の表は相対を絵、図により目で見て関係を理解しやすくするものです。
なんだろう、このちょっと心を不安にさせる感じ……。俺のアドレスを知っているくらいだから、まったくの他人というわけではないのかもしれないが、唐突にこんなメールをしてくるような人が思い当たらない。

<解決>
なんと叔父からだった……。ということは、softbankは従弟の携帯電話なのだろうか。なんとも謎なメールである。

じいちゃんとばあちゃんのなれ初め

じいちゃんに、ばあちゃんとのなれ初めを聞いたことがある。この話を亡くなったじいちゃんの枕もとで、従弟に聞かせていたら、
「なんでそんなん知っとっと!?」
と驚いていた。子どものころから、じいちゃんやばあちゃんの思い出話を聞くのが好きだったからかな。

じいちゃんは第二次大戦のころに満州へ行った。兵隊としてではなく、満蒙開拓民というものだ。じいちゃん曰く、
「開拓した土地は自分のものになると言われたから」
そこで知り合ったのが、ばあちゃんの兄だった。その人と仲良くなって、
「俺の妹を嫁にもらってくれんか」
と言われて、会ったこともないばあちゃんを嫁にする約束をしたらしい。

日本に引き揚げて、じいちゃんはばあちゃんの家まで歩いて行った。いまの地図で、直線距離で片道だいたい5km。当時の道だと、そうとう曲がりくねっていただろうから、10kmはないにしても、それに近い距離はあったかもしれない。ばあちゃんの実家は山の上にあった。きつい坂道を上りながら、じいちゃんは思った。
「こんなところに住んでいる女性なら、きっといい農業をするだろう」
そして、それで心が決まったらしい。

なんという身も蓋もない話。恋とか愛とか、そういうのはあとからついて来るなんて、そんなことさえ思わなかっただろうな。じいちゃんとばあちゃんが結婚したのは、そういう時代だったのだろう。恋も愛もなく始まっただろう結婚生活で、ばあちゃんはじいちゃんの厳しさに何度も泣いたらしい。じいちゃん、妻であるばあちゃんにだけは厳しかったそうだ。手も上げないし、口汚く罵るわけでもなかったようだが、口調はきつかったんだとか。ばあちゃんにしか本気でぶつかれなかったのかもしれない。だから、ばあちゃんは泣きながら結婚を後悔したことも何度となくあると言っていた。

そんなばあちゃんが、じいちゃんが亡くなってショボくれた。叔母が言っていた。
「ボーっと物思いに沈んどらす時が多いよ」

いま現在、ばあちゃんには100歳を目指せと叱咤激励しているところである。

永遠の放課後

永遠の放課後
高校時代、模擬試験で出される小説に試験中に読み耽ることがあって、「もっと続きが読みたい!」なんてことも時どきあった。三田誠広の『いちご同盟』もそんな中の一つだが、実際に読んだのは大学を卒業してからで、期待通りに面白い小説だった。

ちょっと前に読んだ三田の『地に火を放つ者』(ブログ内レビュー)があまりに面白かったので、今回は本書を選択してみた。

結論として、『いちご同盟』と併せて考えると三田は音楽が相当に好きなんだなぁ、というのはよく分かったが、内容的にはそんなに深いわけでもなく、『いちご同盟』の二番煎じという印象が拭えない。決して飽きさせるような小説ではないが、かといってグイグイと引き込むような感じでもない。

読むなら『いちご同盟』か『地に火を放つ者』(ただし、こちらは絶版)。

セラピスト誕生―面接上手になる方法

精神科医になって、「この本・著者に出会えて良かった」と思える本・先生が何人かいる。代表的なのは中井久夫先生である(というより、中井先生の本が精神科に行くかどうか迷っていた俺の背中を押してくれたのだが)。


本書の著者・東豊先生も出会えて良かった(直接の面識はないけれど)人の一人である。このブログでも何回か紹介した本で、東先生の本を読むのはこれで3冊目かな。1冊目が最もインパクトが強かったが、本書も勉強になった。精神科に携わる多くの医療者に読んで欲しい一冊である。

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もっと広く知らしめたい名著! 『セラピスト入門―システムズアプローチへの招待』

2012年3月28日

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
死刑廃止運動をしている市民団体のメンバーで、運動の事務局的な役割もこなす高田が最初に受けた「洗礼」が抗議電話の対応だった。
おおむね名も名乗らず、「お前の家族が殺されても死刑廃止と言えるのか!」がお決まりのセリフだ。私は今でもこの手の質問に「わからない」と答えている。なぜなら、私は大切な人を殺されたことがなく、その経験を想像して答えるのは、経験した人たちに対して傲慢な気がしてならないからだ。肩肘張って「それでも死刑を望まない」と言いきる自信もないし、かといって「そうなれば死刑を望む」と言いきる確信もないからだ。
近年、犯罪が凶悪化していると言われるが、以下に記す今から30年以上前である1980年の事件を読んで、どう感じるだろうか。
1980年8月19日、新宿駅西口バスターミナルに停車して発車の時刻を待っていた一台のバスの後部ドアから、火のついた新聞紙とガソリンが投げ込まれ、車内は一瞬にして火の海となった。6人が死亡して14人が重軽傷。逮捕されたのは丸山博文(当時38歳)。
こんな事件があったなんて知らなかった。当時俺は5歳。知らなくて当然か。
長男を出産した妻が精神病院に入院してしまい、丸山は現場作業員として日本中を転々としながら、児童養護施設に預けた長男のために仕送りを続けていた。当時の新聞によれば事件の4日前、駅前広場に通じる階段に座って酒を飲んでいた丸山は、通りかかったサラリーマンから「邪魔だ」とか「ここから出て行け」などと言われたという。憂さ晴らしに競艇に出かけるが負け、その後やけ酒をあおって、午後10時頃ガソリンを購入している。犯行当日、駅構内のロッカーに預けていた全財産の入った手提げ袋を取りに行くが、荷物は期限切れで回収されていた。丸山はこれに怒りを覚え、「幸福そうな通行人を脅かすつもりでガソリンに火をつけた」と供述した。
境遇には同情するが、なんとも身勝手な犯行動機である。検察は死刑を求刑するが、弁護側は「アルコールによって酩酊状態にあり、意識障害に陥っていたため、乗客の存在はもとよりバスの存在さえ認識していなかった」として、殺人については無罪を主張。1986年、無期懲役が確定した。1審でも控訴審でも丸山は、傍聴席に向かって「ごめんなさい」と言いながら何度も土下座をした。
千葉刑務所に収監された丸山は、それから11年後に獄中で自殺した。
この時、丸山の弁護をしていたのが、安田好弘弁護士だ。名前を直接には覚えていなくても、光市母子殺害事件で少年の弁護士をつとめ、裁判に置いて「ドラえもん」とか「復活の儀式」とか を主張した弁護士と言えば分かるだろう。安田弁護士については本筋ではないので割愛する。

オウム真理教がらみで、死刑が確定している岡崎一明ぶ著者・森達也が面会した時の会話。
「拘置所の暮らしで自分が変わったと感じる点はありますか?」
「自分の何を? 意識か? 心か? 価値観か? 宗教観や人生観なのか? いずれにせよ死刑制度で良かったと、今は思います」

被害者遺族でありながら、死刑制度の廃止を訴える人がいる。
実の弟である明男を1984年に殺害された原田正治は、当初は主犯格の長谷川敏彦を激しく憎悪して極刑を願う。しかし獄中の長谷川から何度も謝罪の手紙をもらい、死刑確定直前に初めて面会を果たした原田は、その深い反省に触れると同時に、長谷川の姉や子どもが逮捕後に自殺したことなども知り、彼を処刑しても誰も救われないと考えるようになる。
そして、原田は自らの著書 『弟を殺した彼と、僕。』で以下のように記述する。
その頃、僕は、こんなことをイメージしていました。明男と僕ら家族が長谷川君たちの手で崖から突き落とされたイメージです。僕らは全身傷だらけで、明男は死んでいます。崖の上から、司法関係者やマスコミや世間の人々が、僕らを高みの見物です。彼らは、崖の上の平らで広々としたところから、「痛いだろう。かわいそうに」そう言いながら、長谷川君たちとその家族を突き落とそうとしています。僕も最初は長谷川君たちを自分たちと同じ目に遭わせたいと思っていました。しかし、ふと気がつくと、僕が本当に望んでいることは違うことのようなのです。僕も僕たち家族も、大勢の人が平穏に暮らしている崖の上の平らな土地にもう一度のぼりたい、そう思っていることに気がついたのです。ところが、崖の上にいる人たちは、誰一人として「おーい、ひきあげてやるぞー」とは言ってくれません。代わりに「おまえのいる崖の下に、こいつらも落としてやるからなー。それで気がすむだろう」被害者と加害者をともに崖の下に放り出して、崖の上では、何もなかったように、平和な時が流れているのです。
俺は死刑存置派だが、彼の例え話は分かりやすくて考えさせられた。しかし、分かりやすいだけに、そこにはちょっと危険な落とし穴もあるんじゃないかというふうにも思う。分かりやすいことが正しいこと、というわけではないからだ。それに、彼が感じたことを皆が同じように感じるわけではないし、すべての確定死刑囚が彼の弟を殺した犯人と同じように深く反省している確証もない。あくまでも、これは原田正治という人が感じ考えたことであって、それをそのまま全例にあてはめて考えることには無理がある。
こうして原田は死刑執行停止を願い、死刑廃止運動の団体と行動を共にするようになる。
駅前で死刑執行停止を訴えるビラを撒く原田らのグループに、通行人が「被害者遺族の気持ちを考えろ」と声を荒げる。「彼はその被害者遺族です」とグループのメンバーが答えると、通行人は気まずそうに走り去る。
ところで、誤判で死刑執行されて、そのあとで実は冤罪だったことが証明された場合、国家はどれくらい補償するのか。刑事補償法第4条にはこうある。
死刑の執行による補償においては、三千万円以内で裁判所の相当と認める額の補償金を交付する。ただし、本人の死亡によって生じた財産上の損失額が証明された場合には、保証金の額は、その損失額に三千万円を加算した額の範囲内とする。
安い。だが、安さ以上に大事なことを森が指摘している。
この数字を是正せよとの声はあがらない。この社会が適当な金額だと認知しているということではないだろう。ほとんどの人は知らないのだ。間違って死刑執行した場合の補償額が三千万円以内ということだけでなく、そもそも冤罪死刑囚がどのくらいいるのかを。
福岡事件では、西武雄という人が死刑執行されているが、これがどうにも冤罪くさい。彼は刑の執行前に辞世の句を詠んでいる。
叫びたし 寒満月の 割れるほど
冤罪の中には、警察や検察のミスではなく、恣意的なものがある。元検察官の三井環はこう語る。
「裁判官はね、昔から検察依存なんです。検事が勾留請求する、あるいは逮捕状請求するでしょ。これ、いわゆる自動販売機やからね。裁判所は言われるまま。検事が反対したら保釈も認めない。なぜ検察が保釈を嫌がるかというと無理しているからですわ。だから保釈させずに罪を作る。たとえば中小企業の社長が逮捕されたとき、ずっと拘束されていたら会社は倒産しますよ。だから保釈ほしさに、やってなくても認めてしまう。認めれば保釈されますから。こうして実際は無罪なのに有罪になってしまう。検察のほうも無理なことやっている自覚があるから、保釈させることが不安なんです。だから起訴後の接見も禁止する」
日本の司法に冤罪を創り出すこのような体質がある限り、死刑があるのはやっぱり怖い。だから俺は、死刑存置はまずいんじゃないかという気持ちになった。だが、森はもう少し考えを先に進めようとする。
仮に冤罪が絶対にない刑事司法のシステムが構築されたとき(現実にはありえないが)、僕は死刑制度を支持するのだろうか。
この人、妥協しないなぁ。つくづくそう思う。俺は冤罪が絶対にないのだったら、死刑は存置しても良いと思う。現時点での死刑制度存置に対する反対理由は冤罪があることに尽きる。だから、池田小事件の宅間守のように犯行が明らかな場合には、死刑はありだと思う。

森の結論は死刑廃止。ただ、冤罪の有無がどうこうという話ではなく感情のレベルでの結論だ。俺はそれはちょっとどうなのかなと思う。感情的な廃止論は、感情的な賛成論とどう違うのか。森は、自らが何人もの死刑囚と会って、直接に彼らを知ったからこそ彼らを救いたいと訴える。それなら逆に、被害者を直接に知っている家族や友人だからこそ、加害者を死刑にしたいと願うわけで、ちょっと訴えかけとしては弱い。

俺の結論は、今のところ条件付きの死刑賛成。絶対に冤罪があり得ないケースに限ってのみ死刑判決が下されるべきである。たとえ執行される前に冤罪が認定されたとしても、日々自分が刑場に連れて行かれるのを恐れて生活する心理ストレスは計り知れないので、「冤罪が認められてよかったね」というような話ではないからだ。検察官、裁判官はこの点を肝に銘じなくてはならない。それができない人間が司法に関わるべきではない。冤罪に関わった警察、検察官、裁判官が、冤罪被害者に対してどのような反応をしたか。最後に免田事件での冤罪被害者・免田栄の語る一例を引用する。
濡れ衣をはらし、社会に帰った私は、当時の熊本県人吉署捜査係長福崎良夫氏に会って感想を求めると、「俺たちは仕事でやった」と言う。私を起訴した熊本地検の野田英夫検事は「今さら非難するな」と言った。
最初に死刑判決を言い渡した熊本地裁八代支部の木下春雄裁判長は「ご苦労さん」とだけ言った。
こういう人たちに裁かれて無実の罪で死刑になる可能性がある現状は、多くの人が知っておいた方がいい。

本書を通じて死刑を扱ったマンガがあることを知った。監察医を主人公にした『きらきらひかる』の作者による『モリのアサガオ―新人刑務官と或る死刑囚の物語』だ。


主人公は、配属間もない若い刑務官である及川と、確定死刑囚である渡瀬だ。幼い頃に両親を殺された渡瀬は、十年後に刑務所を仮出所した犯人と、その場にいた犯人の娘を切り殺して逮捕され、裁判を経て確定死刑囚となったというもの。興味深いので、気が向いたら買ってみる。


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人を殺すとはどういうことか
元刑務官が明かす死刑のすべて
死刑について考えるキッカケ、にはならないが、わりと面白い 『13階段』
彼女は、なぜ人を殺したのか

サービスショット!!

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憎鬼

憎鬼
ダサいタイトルはともかくとして、その内容に魅かれて買った本。
しがない公務員のダニーは通勤途上、ビジネスマン風の男が老女に襲いかかり容赦なく殴打する場面に遭遇した。その後街では平凡な市民が突然凶暴化し、見ず知らずの他人を、友人を、家族を襲う事件が頻発する。メディアは彼らを<憎鬼>と名付けた。死者は増え続け、ダニーは家族と自宅に閉じ籠るしかなかった。やがて軍隊による<憎鬼>狩りが始まり、ゴーストタウン化した街にも希望が見えたかに思えたが、ある朝ダニーの身近に予想しなかった事態が!
ゾンビファンには人気のある本らしいのだが……、うーん、決して悪い話じゃないんだけれど、なんだろうなぁ、俺の好きなゾンビ系・終末世界系とはちょっと違う。

やはりゾンビ小説でのお勧めは、断然、『死霊列車』『WORLD WAR Z』の二冊!!

2012年3月27日

犯罪対策マメ知識と……プチ実験

防犯教育や対策がしっかりしている企業では、強盗に遭遇した場合の対応として、従業員それぞれに一項目ずつだけ、犯人像を覚える役割が与えられている。たとえば、Aさんは身長、Bさんは服の色、Cさんは逃げた方向といった具合。各自、その他の要素はともかく、割り当てられたことだけを集中して覚える。こうしておかないと、あとで情報を集めた時に、情報がバラバラなこともあれば、逆に、
A「犯人は赤い服を着ていました」
B「確かに、犯人は赤い服を着ていました」
C「二人の言っていることに間違いありません(キリッ」
なんてことにもなりかねないからだ。

自動車の横長ナンバープレート導入が検討されているらしい。ナンバープレートが防犯にどれくらい役立っているのか分からないけれど、スタイリッシュという理由で変更するのはナシだとは思う。認識しやすくなる、という点に関しては、はて……、どうでしょう。横にしたA4用紙に上下2列にわたって書かれた文字と、その紙を横一文字に切って横に並べた文字とをパッと見で認識する場合、どっちが直感的に認識に向いていそうか。パソコンの画面で試してみようかな。


東京682
な 35-29


東京682 な 35-29


うん、人それぞれかもな。
ちなみにナンバーは、長谷川式認知症検査で使われるものを使用。
横長ナンバープレート導入を検討…図柄表示も
国土交通省は26日、自動車のナンバープレートを新たに横長の形状に切り替えることを検討すると発表した。

国交省は4月24日までドライバーや関係者から意見を募り、今夏をメドに有識者でつくる懇談会で結論を出す。

現在は横33センチ、縦16・5センチだが、新たなプレートは横52センチ、縦11センチ程度を想定している。アルファベットを使うことや図柄の表示を認めることも検討する。

全国各地で希望が多い「ご当地ナンバー」などに対応するため、多くの文字を入れても見やすくする狙いがある。ドライバーの間では「海外のような横長の方が格好いい」などの意見もあるという。ただ、切り替えに伴う混乱や、コスト負担などの問題もあり、新たなプレートを導入する場合でも早くても5年程度はかかる見通しだ。

(2012年3月27日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120327-OYT1T00159.htm
上記ニュースサイトでは、写真で見くらべることができるので確認されたし。

もっと広く知らしめたい名著! 『セラピスト入門―システムズアプローチへの招待』

いきなりだが、下記の家族のやり取りを読んで、どう思うだろうか。
「そんなことでどうするんだ!」
田村は箸をテーブルの上に置き、声を荒げて長男の義雄の肩をつかんだ。
「ほっといてくれよ」
義雄は今にも泣き出しそうな声で田村の手を振りほどいた。
(こいつはまだなにもわかっちゃいないんだ)
田村は、中学生にしては幼い義雄の振る舞いと、それに対する父親としての自分のどこかぎこちない態度、その両方に腹を立てている。本来なら楽しいはずの一家団らん夕食どきは、今やすっかり張り詰めた空気に覆われてしまった。テーブルの向かいでは妻の和子が心配そうに田村と義雄のやり取りを見ている。その隣では義雄の妹、愛子がわれ関せずとばかり黙々と箸を動かしている。事態をこれ以上悪くしたくはなかったが、ここで引き下がってしまうと父親の威厳が保てない。田村にはそう思えた。
「とにかくお前の仕事は学校に行くことだ。腹が痛くなるなんて気持ちがたるんでいるからだ」
義雄は下のほうから田村をにらみつけた。
「なんだその目は!」
田村にすれば、ここはひとつありきたりの説教でも垂れることで事態の収拾を図りたかったのだが、期待に反してますます緊張の度は深まってしまった。その時である。
それまで黙々と食事を進めていた愛子がにわかにうつろな眼差しになり、手にしていた茶わんをひっくり返してしまったのだ。
皆の視線が愛子に向けられる中、いち早く和子の手が愛子の頬をとらえた。ピシャ!
「なんですか、だらしない!」
われに返るやいなや、愛子は声をあげて泣きだした。
「和子! なにも殴らなくてもいいじゃないか」
乱暴なことの嫌いな田村は、日ごろから和子の短気な行動を苦々しく思っていた。
それでも精一杯柔らかくいさめたつもりである。
しかしそれは予想以上に和子を刺激してしまったようだ。
「あなたは黙っていてください。だいたいあなたがいつも甘い顔をするから、子どもがだらしなくなるんですよ」
「なんだと……」
田村は明らかに冷静さを欠いていく自分を意識していた。
「俺のどこが甘いんだ。お前の優しさがたりないんじゃないか。もっと子どもの気持ちを理解してやれよ」
「よくおっしゃいますね。仕事仕事で子育ては全部私に押しつけてきたくせに今さら偉そうに」
プッツン。田村は切れた。
「もう一度言ってみろ! それが主人に対して言う言葉か!」
「ええ、何度でも」
その時である。義雄が腹を押さえて苦しみ出したのだ。
「痛たたたっ……」
田村は義雄の顔をのぞきこんだ。
「どうした、また腹痛か」
「そうだよ、しょっちゅうなんだよ。だから学校に行きたくないんだ」
「医者はなんともないと言ったじゃないか。精神力の問題だ」
「しばらく学校を休むよ。痛たたたっ」
「そんなことでどうするんだ!」
田村は声を荒げて義雄の肩をつかんだ。
「ほっといてくれよ」
義雄は田村の手を振りほどいた。
「学校に行くのがお前の仕事だ。わがままは許さん!……、なんだその目は!」
その時である。すでに泣きやんでいた愛子が再びうつろな眼差しで、壁を指さした。
「あそこに死んだおじいちゃんがいる」
田村はギクッとして壁を見たが、もちろんなにもあるはずがない。
「愛子、だれもいな……」
ピシャ!
田村が振り返ったときには、すでに愛子は和子にぶたれて泣いていた。
「変なことを言うんじゃありません!」
「和子! どうしてすぐに手を出すんだ、お前は」
「私の好きなようにやらせてください! あなたの指図は受けません」
「なんだと、俺はお前の主人だぞ」
「立派なご主人様だこと」
プッツン。田村は切れた。
「なんだその口のきき方は! もう一度言ってみろ! ……なんだその目は!」
その時である。
「痛たたたたっ」
「どうしたんだ、いったい!」
田村は怒鳴った。
「やっぱり学校行きたくない……」
「根性のないことを言うなよ、男だろうが」
「うるさい」
「なんだと、それが親に向かって言う言葉か。 ……なんだその目は!」
その時である。愛子はうつろな目で……。

田村家の夜は更けていく……。
これを読んでの皆さんの感想はどんなものだろう。


本書では、だいたい下記のようなものじゃないかと記されている。
・仲の悪い家族だ。
・ばらばらの家族だ。
・夫婦関係に問題がある。
・母親に母性が欠落している。
・父親に問題がありそうだ。
・兄は問題児だ。
・妹が問題児だ。
・夫婦喧嘩が兄の腹痛の原因だ。
・父親と兄の対立が妹の問題の原因だ。
しかし、見方を変えれば下記のようにも解釈できると書いてある。
「特定の二者間に、ある一定以上の緊張状態が生じたとき、常に第三者が緊張緩和の役割を果たす」
田村と義雄の間が緊張状態になると、愛子が行動を起こします。それに和子が引き込まれて騒ぎは大きくなり、結果として田村の注意をひきつけることで、田村と義雄の緊張を緩和します。また一方、田村が参入することは和子と愛子の緊張をも緩和しますが、今度は田村と和子の間が緊張状態になります。すると今度は義雄が行動を起こします。そして田村がそれに引き込まれることで、田村と和子の緊張は緩和されます。
……そして振出しに戻るのです。
見方を変えてみると、いろいろな感想も湧いてくるというのが本書のメインテーマで、上記のような見方をすると、田村家がどう見えてくるかというと……。
・特定の二者関係が壊れないように守りあっている、優しい家族だ。
・チームワークのある家族だ。
・母親はよく妹と協力して、父親と兄の関係を守った。
・兄は腹痛で夫婦関係を守る優しい子だ。
・妹は一見意味不明の行動で父親と兄の関係を守る優しい子だ。
・兄の腹痛こそが、まわり回って、夫婦喧嘩の原因だ。
・妹の問題こそが、まわり回って、父親と兄の対立の原因だ。
ここでたったこれだけ読んだだけでも、物ごとの見方が少し変わった自分を感じないだろうか? 精神科医がセラピスト入門の本を読んで、目からウロコだったなんて言うと、「それでもプロか!!」と怒られそうだが、いやいや、本当に良い本だった。

これさえ読めば万事うまくいく。

そんなわけがないのは百も承知。だけど、いろいろな方法を知っておくことは、少なくとも損にはならない。ケース提示では、ややトリッキーな方法もあって、さすがに診察室では無理かなぁとは思うが、読み物としても非常に面白かったし、治療者として心理療法に興味のある人はぜひ読んでみて欲しい。

最後に、本書にあった面白い宗教エピソード。
あるえらい坊さんが何人かの弟子たちと旅をしていました。
あるとき大きな川を渡らねばならなくなったのですが、そこに一人の女がいます。女は、自分の力ではこの川を渡れそうもないので、どうか向こう岸まで抱いて渡してくれないかと言うのです。弟子たちは、とんでもないことと、女の申し出を断りました。女人に触れることは、宗教の戒律により禁じられていたからです。
ところが、えらい坊さんは、いとも気楽にその申し出を受け入れ、女を抱いて、バシャバシャと川を渡り始めたではありませんか。
弟子たちはあわてて坊さんの後をついていきました。向こう岸で女をおろした後、坊さんは何食わぬ顔で歩き始めます。
弟子たちは、悶々とした不全感を抱きつつ、坊さんの後を歩きます。しかし、とうとう我慢できなくなった弟子のひとりが、坊さんに問いました。
なぜあなたは女人に触れたか。あれは戒律違反ではないのか。堰を切ったように他の弟子たちも、口々に坊さんを問い詰めました。坊さんはびっくりして、弟子たちに言いました。
「なんだ、お前たちはまだあの女を抱いておったのか。ワシはもう抱いていないよ」
このとき、弟子たちは悟りを開いたということです。

秀逸すぎる低予算映画  『フェーズ6』

こんなによくできた映画は久しぶり。

舞台は恐らく今より数年先。人類は何らかの感染症に侵されたようだ。それに感染した者は、どうやら未感染の人間を襲うようだ。どうやって感染するかは分からないが、空気感染の可能性もあるようだ。

と、「~のようだ」が付くのが、この映画の凄いところ。

レンタル屋には1本しか置いていなかったが、グロいのが苦手な人にもお勧めできる非常に良い映画。


以下ネタバレ。

指を組むサクラ

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自然とこんな感じになった。おもしろい。

昨日、1ヶ月検診で初めての外出をしたサクラは、帰宅してから興奮して、夜もなかなか寝てくれなかったらしい。ちょっとオッパイを離すと起きてワーンと泣き出す感じ。考えてみたら無理もないことで、俺たち大人が海外旅行する以上に初めての音やニオイ、それからあまり見えていないにしても普段と違う色や形がたくさんあったのだから、その刺激はかなりのものなはずだ。

サクラと一緒に生活するまであと1ヶ月。楽しみである。

2012年3月26日

1ヶ月検診

今日はサクラの1ヶ月検診。
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妻からの報告いよると、体重が4106g。

出生時の体重が2772gだったから1334g増。出生時からだいたい28日半だとすると、単純計算で1日に46gちょっと増えているということになる。ということは……、なんと1時間で2gくらい増えてる!!

とまぁ、どうでも良いような計算をして悦に浸るのであった。

ちどりあし

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ヤマグチ先生は耳鼻科医だ。一緒に酒を飲んだら、支払いの時、ポケットから裸の紙幣が出てきた。一万円札を無造作に店長に渡すヤマグチ先生を見て、
「その払い方、なんか土方のおっちゃんみたいですね」
と俺が言うと、ヤマグチ先生は、
「だって、ぼく、季節労働者ですから」
と笑った。

季節と気切(気管切開の略)がかかっているのよ、これ実話。

ゾンビ処刑人

邦題があまりにチープなこの映画。パッケージもかなりチープw

だけど中身はしっかりした創りで驚いた。コメディ要素でも笑わしてもらったし(というか、ホラーでもアクションでもなくコメディなのだが)、これは観て良かったなぁ。ちょっとドラマを感じる部分もあったし、エンディングも好きだ。

原題は『Revenant』。帰ってきた人とか亡霊とかの意味がある。絶対に、原題のほうが借りる人が多いと思う。

着ぐるみっ!!

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ウサちゃんがからんでるw

2012年3月23日

先生さようなら

小学校の時、植木イッコウ先生という変わった名前の教頭先生がいた。もう50歳を超えていて、ロマンスグレーでちょっとメタボな先生だった。小学校は全校生徒が130人足らずという田舎の学校で、植木先生はすでに6年以上もその学校に勤務していた。1年生から6年生まで、みんなが植木先生を大好きで、クラスのひねくれ者でさえ植木先生の言うことはよく聞いた。

植木先生は、そんな山の中の小学校にほれ込んで、毎年転勤しないですむように市に頼み込んでいたらしい。僻地小学校で働きたがる人は多くないので、植木先生の願いは特例として聞き届けられていた。きっと先生は定年までいたいと思っていたはずなのだが、俺が6年生に上がるとき、とうとう転勤の辞令があった。

終業式の日。教頭だった植木先生の挨拶は、転勤する先生の中で一番最後だった。それぞれの先生が数分間のお別れの挨拶をして、みんなが涙モードになったところで、いよいよ植木先生の出番となった。校長先生から名前を呼ばれた植木先生は、うつむいて壇の前に立った。マイクを通してスピーカーから、先生の鼻をすする音が聞こえた。
「わたしが……」
そこで先生は言葉を詰め、
「植木……」
そして、また喋れなくなり、
「イッコウです!」
と言うなり嗚咽して、あとはもう体育館中が、
「せんせー!」
「行かんでー!」
と号泣の嵐だった。

あの挨拶だけは忘れられないなぁ。

スピッツ 『Y』

スピッツの『Y』という曲が好きだ。


ところで、このタイトルについてずっと考え続けていた。
「“Y”ってなんだ?」
最初に考えついたのは、「一本の道が二手に分かれる」というもので、その次には反対に「二本の道が一本になる」というものだった。これはネットで『Y』について調べると、同じようなことを考えている人たちがいたのだが、どうもあまりしっくりこなかった。本当にただそれだけなのかなぁと。そこで、長い間あれこれと思考網を拡散させていくうちに気がついた。

鳥の形だ。

カモメなんかの絵を描くときの「m」と「Y」の中間のような、あの形。サビの歌詞も「君は鳥になる」というフレーズだ。そういうわけで、今のところの俺の結論。タイトルの『Y』は道の形と同時に、鳥の形もイメージしている。

幽霊人命救助隊


佐平次さんのブログで紹介されていた本。
自殺したい人、されたくない人は読むべきエンタテインメント 高野和明「幽霊 人命救助隊」

作者の勉強熱心さに頭が下がる。また、精神疾患、特にうつ病を中心にしながら、薬物中毒などにも触れつつ、よくここまで練った話が書けたものだと感心もする。非常にお勧めの一冊。

タイトルや表紙からちょっとライトな印象を受けるが、中身はなかなかしっかりしていた。一般の人がうつ病を学ぶのにも良いし、小説としても面白い。実に良い本を教えてもらったと感謝。

佐平次さんのブログに紹介されている本で、俺が興味を持って読んだ本はこれで2冊目で、両方ともホームラン級であった。
ちなみに1冊目はこちら。
いま、読め。 『A3』

2012年3月22日

教師生命のかけどころが違う

大阪の小学校の女性教師が、国歌斉唱時に起立しなかったそうだが、「橋下徹市長による急激な改革で教育の破壊が進んでおり、反対の意思を示すため教師生命をかけて座る」と述べたそうだ。

君が代・日の丸に反対する人は、思想・信条の自由を主張する。また、国旗や国歌がまず天皇の象徴であって侵略戦争……、といった国旗国家論も出てくる。とりあえず、ここで言いたい本質はそこじゃないので、その意見は全面的に認めることにする。

しかし、である。

卒業式で起立をしない、というのはいわゆる「実力行使」だ。通常、実力行使は最大限に議論を戦わせて、それでも合意が得られなかったときに行なう。例えば禁煙場所でタバコを吸っている人がいて、その人に対して腹が立つなら、
「すいません、ここはタバコは禁止です。吸うのをやめてください」
と言うべきであって、いきなりタバコを奪い取って放り投げたり、殴りかかったりしてはいけない。何度注意しても聞き入れてもらえなかったら、その時にタバコをむしり取れば良い。

この先生が、誰とどれだけ議論したのか、そこが大事だと思う。君が代・日の丸反対フォーラムなんかで、同じ意見の人たちと話し合ってもダメだ。例えば校長と、あるいは市議会や県議会の議員と、できれば市長と、徹底的に討論して、どうしても自分の主張を認めてもらえなかったなら、これはもう「立たない」という実力行使にすがるしかないのは理解できる。

ある若い現役教師にこの話をしたところ、
「教師って、そんな暇じゃないし」
と、ちょっと鼻で笑わ気味に言われた。暇がないから議論はしない、できない、だけど実力行使はする。これだと、ダメな大人の見本にしかならない。

ここに書くのは数回目になるが、日の丸・君が代に反対する教師は、一度でいいから、全校集会で児童・生徒たちを前に校長と議論して欲しい。真剣に、そして真摯に問題と向き合っている姿勢を見せることが真の教育である。だから、校長も、そういう提案があったら受け入れて欲しい。主義主張の違う相手をやっつけるなら、まずは言論によってだ。教師生命をかけるのなら、その公開討論を開催することに生命かけて欲しかった。
大阪市教委は21日、市立小計298校で同日行われた卒業式で、大領小(住吉区)の女性教諭(55)が国歌斉唱時に起立しなかったと発表した。
市教委は、起立斉唱を求める校長の職務命令に違反したとして処分を検討する。市立学校の卒業式で起立しなかった教員は、中学校を含め今春3人目。
発表では、女性教諭は校長から事前に職務命令を受けた際、「橋下徹市長による急激な改革で教育の破壊が進んでおり、反対の意思を示すため教師生命をかけて座る」と述べたという。
大阪府内ではこのほか、高槻、茨木、豊中各市の小中学校の卒業式でも教諭各1人が起立しなかったことも判明した。
(2012年3月22日08時22分 読売新聞)

A2

「どうして、オウム信者と話し合うことを思いついたのですか」
「だってさぁ、オウムがいったい今何を考えているのか、どれほど危険なのかを俺たちは全然知らないんだからさ。そのレベルで、出て行けとか殺してやるとか叫んだって何の解決にもならないだろ? 当たり前のことじゃないか。マスコミもさ、その辺りのことをもう少し考えて報道したほうがいいよ」
「どうしてそんな見解を持つようになったのですか?」
「きっかけは週刊誌だよ。群馬の藤岡で、信者と住民とが交流を進めているという記事を読んでね。それで俺たちも、もっとオウムを知って、本当に危険だと判断してから、行動を起こすべきだと考えたんだ」
筆者である森達也と 右翼メンバーの会話である。
「知らなかっただろう? 藤岡のその状況のことはマスメディアは全然伝えていないらしいじゃないか。あんたたちもさ、会社や局の都合もあるんだろうけど、報道というものをもう少し真剣に考えたほうがいいよ」
また、荒木浩が地域住民から立ち退きを迫られる場面。住民の一人が、
「もう危険はないと言うのなら、麻原に帰依はしていないとあんたは断言できるのか」
と詰め寄り、麻原彰晃の写真を踏めと言う。まるで切支丹弾圧の踏み絵だ。
「じゃあお聞きしますけど、仮にあなたの父親が殺人を犯したとしたら、あなたは父親の写真を踏めますか?」
「踏めるよ。当たり前だろう」
腕章をつけた通信社のカメラマンが、一瞬言葉に詰まった住民にとってかわるように声を上げる。
「あなた、マスコミの方ですよね。名刺をいただけますか」
「必要ねえだろう」
「撮影しているのだから、名前くらいは名乗りなさいよ」
「荒木だよ」
その答えに一瞬戸惑う荒木浩に、カメラマンは声をあげて笑う。住民がもう一度同じ質問を大声でくりかえす。
「どうなんだよ荒木さん? あんたは麻原の写真を踏めるのかよ」
「危険かどうかと関係があるのですか?」
「大ありだよ」
「……私は誰の写真も踏めません」
A2

マスコミが見せようとしなかった部分がこの本にある。なにも知らずに責めることは、なにも知らずにかばうことと本質的には同じだと思っているので、こういう本をより多くの人が読んでみれば良いのにと思う。

「世界はもっと豊かだし人はもっと優しい」
著者・森達也の想いである。

2012年3月21日

『A』-マスコミが報道しなかったオウムの素顔

『A3』で衝撃を受け、そのついでに同じ著者の『職業欄はエスパー』を読んでまた衝撃。森達也の本を何冊かまとめ買いしたのだが、その純粋な姿勢には少々疲れることもあってしばらく放置していた。そろそろ手を出すかと決心し、思いきって腰を上げて読み始めた本書。
「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔

森達也の本は、実際に読んでみないとピンとこないと思う。抜粋したり要約したりすると、そこにある森が伝えたかったはずの何かが欠けてしまって、ねじ曲がって伝わってしまいそうな気がする。決してオウム擁護の本ではないし、かといってオウム批難では決してなく、森が社会とオウムの間に立って煩悶して創りあげた本という感じ。

1ヶ所だけ、ほとんどの人が知らないであろう事実を引用する。
「破防法を適用しなさい。しかしオウム以外の団体には今後ぜったい適用しないで欲しい」
破防法弁明で発言を求められた麻原彰晃が、公安調査庁受命職員に向かって述べた言葉である。


お勧め。

3月19日のサクラ

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キャプテン・アメリカ

アメコミ原作のお気楽な映画。うつらうつらと何度もうたた寝しながら観終えた。可もなく不可もなく、ちょっと長いなこの映画と思うくらい。

一点だけ、オッと思ったのは、スタークという科学者が出ていたところ。これ、『アイアンマン』のトニー・スタークの父親じゃないのか、と思って調べたら、どうやらそういう設定らしい。なるほど、同じマーベル社だから関連させたという感じなのかな。

あと、宇宙人が軍の上層部に潜んでいたよね(コーヒーCMのあの人w)。

『ラビット・ホラー』 『猿の惑星 創世記』

『ラビット・ホラー』
予告編で魅かれて借りたのだが……。

途中で観る価値なしと判断して終了。



『猿の惑星 創世記』
おすぎが絶賛していたので、とりあえずラストまで観たが、おすぎふざけんなコノヤロー。知能が上がる薬を猿に投与したからって、いきなり道具を使えるようになるまで進化するとかあり得ないだろ。SFは、いかに本物らしくするかがミソ。一番肝心な部分で「あり得なさ」を感じさせるSFは、すべてが嘘っぱちに感じてしまってダメ。

2012年3月20日

フクシマのうそ

福島原発について、ドイツのテレビ局が熱心に取材している。内容は呆れていいのか、やっぱりなとため息をつくべきなのか、いい加減にしろと怒るべきなのか、とにかく凄いので削除される前にぜひ一度ご自分の目で確かめられたし。






99.86% 『お父さんはやってない』

99.86%。

これがなんの数字か分かるだろうか。日本で起訴された後の有罪率である。つまり、起訴されたら、ほぼ有罪ということだ。では、起訴する前に徹底的に調べてくれるのか。

否。

電車の中で、
「この人、痴漢です」
そう言われてしまったら、どうすればいいのだろう。身の潔白を示す証拠など、出せるわけがない。トントン拍子に駅員室、交番、警察署へと連れていかれたら、あとはもうなし崩し。疑わしきは罰せず、の原理原則など無視。疑われるようなことをした者が悪いのだ、と言わんばかりの警察の捜査、検察の態度。そして、検察に都合の良いように歪められた供述調書や証拠が裁判に提出される。供述調書が実際の発言通りでないことは、患者が触法行為をしたときに、自分も主治医として数回調書をとられたから分かる。あれは、警察の作文だ。書き方によって、印象はかなり違ってくる。

痴漢冤罪、本当に恐ろしい。
お父さんはやってない

本書は、無実の罪で痴漢裁判にかけられ、一審で執行猶予なしの実刑判決を受けた人の本。やっていないものを「やっていない」と否認し続ける態度が「反省の色なし」と受け取られる怖さ。控訴して、ようやく無罪を勝ち取ったものの、逮捕から二年以上が過ぎて人生は大幅にねじ曲げられた。こんなことがあって良いのだろうか。明らかに一審の裁判官判決はミスだし、そもそも検察や警察のねつ造がひどすぎる。もし仮に、看護師や研修医がねつ造したデータで医師が判断して、その結果、患者の人生が狂ったら? 警察も検察も、徹底的に攻撃してくるはずだ。それなのに自分たちの姿はどうだ、鏡で見てみろ。つい最近も、検察官が証拠偽造して問題になっていた。司法への信頼は、地に堕ちている。すべての司法関係者がそうだとは言わない。しかし、本書に出てくる刑事や検察官らは恥を知るべきだ。

筆者の長男・次男(作文時、それぞれ9才、5才か)が書いた抗議文。
こうぎ文
お父さんは、わるい人ではありません。お父さんはペニスをさわらせてなんかいません。
もしお父さんがペニスをさわらせたなら、その場で女の人が「この人ちかんです」と言うはずです。
だいたいこっちはしょうこがたくさんあるのに、あっちの女の人にはしょうこがぜんぜんないじゃないですか。
女の人はうそつきです。女の人にはちゃんとしょうこがあるのかしらべてください。
お父さんはむじつです。
秋葉さいばんかんはまちがっています。
さいばんかんのうそつきおとうさんはわるくないです
田舎に住んでいるから、まさか電車で痴漢冤罪なんてことはないだろうけれど、東京には妹夫婦がいるし、自分の子どもが将来都会に住むかもしれない。友人が巻き込まれるかもしれない。そう考えると、痴漢冤罪も他人事ではない。


<参考>
彼女は嘘をついている

<お勧めサイト>
もし、貴方が痴漢恐喝女に嫌疑をかけられ、駅員に引き渡されそうになったら・・・

上記お勧めサイトのおかげで難を逃れた話
痴漢冤罪ハメられそうになったけど逆襲して示談金もらえたwwww

2012年3月19日

「気持ちは分かる」って、気持ち悪いよ……

夜間のナースコールが嫌で、入院患者に医師の指示なく看護師が睡眠剤を無断で点滴していたというニュースに対する反応で、

「気持ちは分かる。でもやっちゃダメだよね」

というものがもの凄く多くて、なんか気持ち悪いなぁ不気味だなぁと感じていた。どうしてそう思うのかをつらつらと考えて思い至ったので、気持ち悪い発言をしている人たちに向けて炎上覚悟で書く。覚悟の上だけれど、一応最初に言っておくと、反論する人を俺は見下げるから返答はしない、と思う。では、書こう。

あのね。

ネット上で「自分も医療従事者です」と名乗るのは自由。もしあなたがニセモノの医療者だったとしても、医者ごっこ、看護師ごっこ、介護員ごっこは自由にやって良い。だけど、あなたがホンモノの医療者で、「自分は医療者である」と表明したなら、今回のこの事例を「気持ちは分かる」なんて、屈託なく、軽く言ってはいけない。それはプロとしての自覚に欠ける。あまりにも欠けている。だから気持ち悪い。

医療者なら、今の医療を取り巻く現状、周囲からの視線、そういうの分かるでしょ? そんなの知らない聞いたことない分かるわけない関係ないという人は、お帰りはブラウザの左上あたりに矢印がありますので、どうぞ。

さて、そういう状況で、多くの自称・医療者が、今回の事例に対して、「気持ちは分かる」なんて書いているが、それを非医療者が読んでどう思うだろうか。例えば、飛行機のパイロットが飛行中に居眠りして逮捕されたとか、オペ中に外科医がキレてメスをオペ看護師に投げつけて問題になったとか、そういうニュースがあったとして、それに対する同業者の意見が、「気持ちは分かる~、でもやっちゃダメだよね~」だとしたら、飛行機もオペも怖くて仕方がない。

素人は、素人の目線で、プロの発言に注目している。

「自分も看護師(介護員)だけど」と枕詞をつけた以上、あなたの発言はプロの発言として注目される。そこで、あなたが、「気持ちは分かる」と言ってしまえば、いかに後から言い訳のように、「だけど、やっちゃダメだよね」と付け加えようと、素人からは、「そうか、なんだかんだで気持ちは分かるんだ……」と思われる。

だから俺は、このニュースに対する反応が気持ち悪くて仕方がないのだ。

反論は受け付ける。
ただし、プロとして言え。

<追記>
今回の事件に関して、俺はこの看護師を責めるつもりはあまりない。逆に擁護する気はまったくない。彼の職場環境を知らずに責めることと、知らずに擁護するのは、どちらも似たり寄ったりだと思うからだ。

ではこの日記で何が言いたいかというと、それはニュースに反応した我々の態度についてである。仕事の愚痴は、同業者同士で言い合えば良い、というか、そうあるべきで、今回の事件のような明らかな違法行為に対して「気持ちが分かる」というのを、医療のプロが、mixiやツイッターといった全体公開の場で書くことを批判したいのだ。

mixi日記のほうでは現場の環境が過酷すぎるという反論もあったし、愚痴くらい言わせてくれよといった意見もあった。たしかに日本の医療福祉、特に看護や介護を取り巻く環境はあまりに過酷であり、それは大いに是正していくべきだ。俺はつい先日、看護師の待遇を上げるべきだという話し合いに参加してきたばかりだ。しかし、なかなか難しい。お役所は頭が固くて現場を知ろうともしない。ほんと、腹が立つ。

だけど、この事件とこの日記に関してだけ言うならば、労働環境問題とは切り離すべきである。いや、これを機会に看護師や介護士の労働環境問題を大いに取り上げて訴えていっても良いと思うが、そのときの枕詞に「同じ看護師として気持ちは分かる」というのをつけてしまってはマズイだろうと思うのだ。

だから、俺のスタンスとしては、「気持ちは分かると書きたくなる気持ちは分かるけれど、気持ちは分かるなんて書かないほうが良いよ」という早口言葉みたいな感じになる。
「夜中のナースコール嫌」患者に睡眠剤 無断投与…元看護師
兵庫県三田市の市立三田市民病院で、高齢の入院患者数人に睡眠導入剤を無断で投与したなどとして、県警捜査1課が、同病院の元看護師の男(34)(兵庫県丹波市)を医師法違反(無資格医業)と窃盗の両容疑で書類送検していたことが、捜査関係者への取材でわかった。元看護師は、「夜中にナースコールを鳴らされるのが嫌で患者を眠らせたかった。仕事のストレスがたまっていた」と容疑を認めているという。

書類送検は16日付。捜査関係者によると、元看護師は昨年1~5月頃、ナースステーションから睡眠導入剤を数回にわたって無断で持ち出したうえ、医師の資格がないにもかかわらず、当直勤務中に担当する入院患者のうち、特定の男女数人(70~80歳代)に点滴を使って投与する医療行為を行った疑い。

同病院は、急性期医療を担う総合病院(300床)。同病院の説明によると、患者に処方される医薬品は、ナースステーション内で患者ごとの引き出しに入れて保管していたが、当時は数量のチェックをしていなかった。県警は、元看護師が隙を見て盗み出していたとみている。

元看護師は昨年5月、男性患者の顔を殴ったとして傷害容疑で逮捕されて罰金20万円の略式命令を受け、停職3か月の懲戒処分となった同6月に依願退職。睡眠導入剤の投与は、傷害事件の捜査過程で浮上した。元看護師は、これまでの読売新聞の取材に「何も話すことはない」と答えていた。

(2012年3月19日 読売新聞)

或る男の話

ある後輩の話をする。ここでは、男、と呼ぶ。

男は医学部一年生の頃だったか、交通事故を起こした。それは男が運転していて、男の不注意で起こした人身事故だった。被害者は軽傷ではなかった。それなりに問題にもなった。ただ、男が思っているより周囲の関心は薄かっただろう。逆に、周囲の想像以上に男の苦悩は深かったはずだ。

時は過ぎていく。

男は六年生になった。卒業試験を終えて、男は俺のところへ遊びにきた。一泊の予定が土壇場で二泊になって飲みまくる、そんな旅だった。そこで男は、国家試験に合格したら、あの事故の被害者に挨拶に行きたいと言った。当時を振り返ったのか、あるいは今も苦悩の淵から上がれていないのか、男は時おり瞳を潤ませ、鼻をすすり、涙を拭って、そして複雑な笑顔を浮かべた。

五年も前の交通事故を、いや、事故そのものではなく被害者のことを未だに気に病み、合格したら報告したいと想いを語りながら泣いてしまうような人間に、俺は今まで会ったことがない。俺は、男をバカ正直だと揶揄する気はない。逆に、男を純粋だと褒めるつもりも一切ない。ただ、そんな男の顔を見て、いい顔だと思った。

そして今日。男から合格したという連絡が入った。さらに、事故の相手方にも報告に行ったという。相手の二人のうち、一人は残念ながら今年一月に病気で亡くなったそうだが、もう一人は男の合格を、そして挨拶に来てくれたことを喜んでくれたそうだ。俺は思う。この時点で、「加害者」と「被害者」ではなくなったのだ、と。

相手に傷を負わせた交通事故を、こんな形で乗り越えた人を、俺は身近で知らない。たいていは保険会社に任せ、嵐が過ぎ去るのを身を縮めて待つだけで、五年も経って会いに行ったなどという話は、小説以外で聞いたことがない。寡聞にして、俺が知らないだけかもしれない。それは認める。だが、男の事故に対する姿勢の価値は変わらない。

男が何科の医師になるのか分からないが、俺が患者になったなら、こういう医師に診てもらいたい。そして願わくは、男が多少は興味があると言っていた精神科に来られんことを。


或る不器用な男に宛てて。


合格、おめでとう。

素直すぎる目で読むと痛い目をみる! 『セカンド・オピニオン』


指導医のA子先生が購入されたので借りて読んだが、今いち好きになれない。著者の笠先生のところに行けば、すべて正しく診断治療してもらえるように感じられるからだ。この本は、当たり前だがセカンドオピニオンの成功例だけを集めてあるので、一般の人が素直に読むと、いかにもすべてのケースで前医の診断治療が間違っていて、セカンド医である笠先生が正しかったというような誤解を招くと思う。実際には笠先生だって誤診も誤治療もしているはずだし(誤診がまったくないと言う人は逆に危険だ)、前医の診断・治療と、笠先生の診断・治療が同じだったケースもあるはずだ。ただ、そういうケースは書かれていない。ところが、藁にもすがる思いの読者はそういう目では読まないだろうし、その結果、精神科医療への不信、治療の拒否、病状の悪化などが起きるかもしれない。そうなっても、笠先生が責任を取ってくれるわけでもないのに。

自分も時どきネット上で、セカンド・オピニオンめいたものを求められることがあるが、あくまでも一般論でしか答えないし、答えが間違っていても一切責任を取るつもりはない。もしセカンド・オピニオンを考えている人がいるなら、ネットや電話ではなく、直接に受診すべきだ。みないと分からないからだ(この場合の「みる」は見る、診る、視る、観るのすべて)。

本の後半部分は、わりと内容的に面白かった。主治医への相談の仕方など、実用的なことが書いてあり、いろいろ悩んでいる人は読むと良いかもしれない。ただし、上述したように、素直すぎる目で読まないように。

2012年3月18日

救急救命士が点滴!? お前は医者か!?

救急隊が医師の指示なく点滴をしてしまい、それが違法行為ということで問題になった。法律で禁止されていることをしたのなら、それは違法行為だ。だから、この救命士が罰せられるのは仕方がない。しかし、臨床の現場ということを考えると、そもそもこの法律がおかしい。その理由を書いてみる。

最初に、点滴について基本的なことを知っておいて欲しい。あの無色透明の液体の中に、何やらもの凄い特効薬が入っていると信じている人は非常に多い。ポカリでも飲んでいれば大丈夫な老人たちに、点滴の中には水しか入っていないと説明しても、ただただ点滴をして欲しいと言って譲らないし、彼らを連れてきた家族も、
「先生、点滴さえしたら元気になると思うんですよ」
と、医学的根拠のない医学的判断を突き付けてくる。
「そこらへんで売っているスポーツドリンクを飲んだほうが何倍も良いですよ」
そんなことを言おうものなら、
「あの先生の当直はハズレだ。何もしてくれない」
そんなことを言われてしまう(実話)。しつこいようだが、点滴の中に魔法の薬は入っていない。

では、点滴の一番の役割はなにか。それは、体外から血管の中に通じる細い道を作っておくということだ。このことを「ルート確保」という。このルートを通して、救命や治療に必要な薬剤が体内に点滴される。さっきまで太い血管が見えていた人でも、出血が続くなどして低血圧ショックになれば、血管が虚脱(しぼむ)してしまい、そうなってからではルート確保が非常に困難になる。そんな状態になる前にルートを確保するのが、医療の現場では常識である。そもそも、救急外来での最初の処置は、「ルート確保~!」ということがほとんどだ。

改めて、救命士の話に戻る。
1.点滴の中には、水と電解質と糖分しか入っていない(つまり、有害なものは入っていない)。
2.ルート確保は非常に重要である。
3.タイミングを逃すと、ルートは確保できなくなる。
この三点から、この救命士の行為は医学的にはさして責められるべき部分はない。敢えて非難されるべき部分を探すとしたら、「法律で制限されていることを逸脱して行った」ということだろうか。一部で見られるような「命のためなら法を犯しても良いはずだ」という考えは危険だ。命を救うために違法行為をせずに済むよう法律を改正せよ、という姿勢こそが正しい。


※一応書いておく。
この記事のタイトルは敢えて煽情的に書いたが、俺はこの救命救急士に同情する立場である。

愛知県常滑市は6日、同市消防本部の男性救急救命士(38)が、交通事故負傷者を搬送中に、救急救命士法に違反する点滴を行っていたと発表した。

同本部は当時の状況をさらに詳しく調査をしたうえでこの救急救命士を処分する方針。

同本部によると、救命士は先月7日、常滑市内で起きた交通事故現場に出動。負傷した男性(35)に、救急車内で血流確保のための輸液を静脈に点滴した。救命士は「大量出血で意識がもうろうとしていたため、搬送先の常滑市民病院の医師と連絡を取りながら輸液を行った」と説明したという。負傷した男性は病院で治療を受け、現在は快方に向かっている。

救急救命士法の施行規則では、心肺停止状態の患者に限って医師から具体的な指示を受けながら、点滴や気管にチューブを挿入して酸素を送ることができるが、男性は心肺停止状態ではなかった。

同本部の事情聴取に対し、救命士は「施行規則のことは知っていたが、生命の危険があると思ったので輸液を行った」と話しているという。救命士は2004年に資格を取得した。石川忠彦消防長は「救命のためだったが、違法行為は遺憾。病院とのやりとりを含めて、当時の状況を検証していく」と述べた。

踊るサクラ

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2012年3月17日

精神科臨床のための宝石箱 『世に棲む患者 中井久夫コレクション1巻』


尊敬してやまない精神科医・中井久夫先生の本。文庫本でありながら1300円とやや高価。しかし、含蓄ある言葉は、医師や看護師をはじめとした医療者のみならず、患者家族が読んでも非常に参考になるものばかりだ。論文集で、それぞれの論文は各方面で発表されたものであり、その読みやすさが大きな特徴だろう。

ごく一部ではあるが、心に残った文章を引用したい。
「プライドの高い人」とは、一般に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識される。
無給で働いてくれている人には病人は正当な苦痛を言うことができない。(中略)ヴォランティアなどの「昇華」が潜在的には病的現象である(中略)わずかな金額でも支払う方がよい。
サリヴァンは昇華と妄想とが近縁だと言っている。たとえば慈善事業に打ち込んでいると、他のことをしている人間は皆するべきことをしていない人間に見えて来て、自分の仕事に参加すべきだと考えるようになり、「わずらわしい大義の人」になるという例を挙げているが、これは確かに妄想症の一歩手前である。
「治療者」と名乗ると治療をしていないとあいすまないみたいな気になって、今日も前進しなかったと気落ちして一日が終わることになりがちだ。しかし、人間というものはそう前進するものではない。「健康人」は滅多に進歩しない。だいたい同じようなことをやって日を送り月を送っているのである。(中略)治療者の仕事とは、「患者の人生をできるだけ無理のないゆたかでふっくらしたような軌跡を描いてまっとうできるように援助する」というくらいのところではあるまいか。
「病気はこの程度でしかない」という限界づけがないと、患者は安心できない。医者は「虫垂炎であり、かつ虫垂炎でしかない」ということをいわなければプロではない。
非常に頭のいい、アンテナのするどい精神科医というのは患者さんの話を聞いて、その中から患者さんのすべてを見抜こうというふうにやりますが(中略)あの先生の前にいくと全部見抜かれているような感じがするというのは、これは患者に対して非常に威圧感があるんですね。黙って座ればぴたっと当るというような感じの精神科医というのはいないことはないんですけれども、結局長い目で見ますと、余りよろしくないんですね。
(二宮尊徳が)村を立て直すというときに本当に村が立て直ったというのは、二宮という人が村の立て直しにタッチしたというようなことは忘れてしまって自分たちの力で村を立て直したんだというふうに思うようになったときに初めて再建できたんだということを書いている(中略)まさに精神科医あるいは一般に医者というものと同じだなと(以下略)
治ったらいいことが待っている場合は治りがいい。(中略)治ったらいいことが待っているということでなければなかなか患者は安心して治りにくい。(治ったら怖いお姑さんが待っているというような場合など)
臨床に際して、折に触れて思い出しては参考にしていきたい言葉ばかりだ。引用できなかった部分にも、非常に心打たれる箇所が多い。この本は、非常にお勧めである。

サクラ、新生児ニキビができ始める

一昨日くらいから、サクラに新生児ニキビができ始めたらしい。これは母親のホルモンがまだ体内に残っているせいで起こるらしく、清潔を保っていれば2ヶ月くらいで治るらしい。

え? 2ヶ月!?

治るまでに意外と長くかかることにびっくりした。女の子だし、人に見せるのは可愛い写真だけにしようという父母の方針で、写真は撮るもののネット上にアップはしないことにした。そんなわけで、しばらくは撮りためたサクラの写真を小出しにする。

サクラ、リラックマに見守られる

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2012年3月16日

フリークス

フリークス

精神科病棟が舞台の中編小説が3編おさめられている。自分が精神科医なだけに、設定の中には、うーん、と思う部分もあった。とはいえ、さすがプロは違うぜ、と思った描写を抜粋する。

第一話で、主人公の青年が雨を嫌いだというシーン。
それでも雨は嫌だ。じとじとと小雨が降りつづくような天気が、中でもいちばん嫌だ。白いシーツを汚した小さな黒い染みが少しずつ滲み広がっていく、そんな映像が頭に浮かんで、どうにもやりきれなくなる。じっとしていると、身体のあちこちに黴(かび)が生えて腐りはじめそうだ。
どうってことのない普通の描写なのだが、この5ページ先に、今度は以下の描写がある。
心配そうに僕の顔を覗き込む彼女の姿に、いきなり異様な変化が起こった。白衣のそこかしこに点々と滲みはじめた染み。
毒々しいほどに真っ赤な色の。まるで彼女の肉体に幾本もの見えない針が突き立てられ、そこから血が噴き出してきたかのように見えた。染みは物凄い勢いで広がっていき、あっと云う間に服の色を染めかえてしまう。
なにがさすがかって、まず上段引用の下線部で、白いシーツに黒いシミが広がっていくシーンを読者にイメージさせておくから、その後の、白衣に赤いシミが広がっていく光景がすんなりと思い浮かぶのだ。

ストーリーは推理小説のような感じだが、まぁどれもなんとなく、オチは想像ついたなぁ。

韓国の驚くべき法律

『親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法』

これはトンデモない法律だと思うが、こんなものがまかり通ってしまうあたり、やっぱりちょっと怖い国だ。あまりにもビックリしたのでブログ掲載することにした。

あくびサクラ

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お母さんの上ですやすやサクラ

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ぽかんと開けた口がたまらない!

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なぜ日本人は落合博満が嫌いか?

プロ野球には全く興味がないのだが、ネットで書評を読んだら面白そうだったので買ってみた。ちょっと流行遅れな感は否めないが……。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか?

落合と言えば三冠王、くらいは俺も知っている。中日の監督をやっていたことも知っている。でも、それ以外はほとんど知らない。この本を読んで、へぇそうなんだぁ、と思うことがあった。Wikipediaでも調べてみた。なかなか面白い人生だと思う。
以下、Wikipediaを抜粋引用する。
落合は、高学で野球部に在籍していたが、野球をしている時間よりも映画館にいる時間の方が長かった。その後、先輩による理不尽なしごきに耐えかねて野球部を退部したものの、投打共に落合ほどの実力を持った選手がいなかったため、試合が近づくと部員たちに説得され復帰した。落合はほとんど練習をせずに、4番打者として試合に出場していた。
東洋大学に進学して野球部に所属したが、「先輩がタバコを手にしたら素早く火をつける」といった体育会系の慣習に納得できず、故障もし、わずか半年で野球部を退部し、さらに大学も中退して秋田に帰ってしまった。その後、ボウリングのプロを志すが、プロテスト受験の際にスピード違反で捕まって罰金を支払ったことで受験料が払えなくなり受験できず、これも挫折してしまう。
なんという人生の流れ。このあと、プロ野球入りするまでは以下のとおり。
東京芝浦電気の府中工場に季節工として入社し、同工場の社会人野球チーム・東芝府中に加わった。ここでの在籍5年間の公式戦で約70本塁打を放つなど頭角を現し、昭和53年、アマチュア野球全日本代表に選出された。その後、ドラフト会議でロッテに3位指名されて入団。同年の誕生日で既に25歳という非常に遅いプロ入りとなった。
そんな落合と著者テリー伊藤が対談した時の話。中日ドラゴンズにとって53年ぶりの日本一がかかった2007年の日本シリーズで、完全試合を達成目前の山井をリリーフエースの岩瀬に交代したことについて。
「さすがの落合監督も、あの時は相当、迷ったでしょ?」
「ぜんぜん迷わなかったよ。あれがうちの野球。8回までリードしていたら日本一の抑えにすべて任せる。あそこでもし岩瀬が打たれて負けたらしょうがない。逆に山井が続投して負けたら、あのシリーズは落としていたと思う。うちの連中は、全員、そう思っていたよ」
「でも完全試合ですよ。普通なら、絶対に替えられないんじゃないですか?」
「そりゃあ、テリーさん。俺だってパーフェクトは見たかったよ。でも、53年は長いんだよ。あそこで中日ドラゴンズは絶対に負けるわけには行かなかった」
「それにしても、あのときの岩瀬。顔面蒼白でマウンドに上がって行きましたよね。とんでもないプレッシャーだったでしょうね」
「そこで抑えられるんだから岩瀬はすごいんですよ。あの場面については、他のことはともかく、岩瀬投手のことがもっともっと評価されるべきだと俺は思うよ」
「自分が責められるのも分かるけれど、それよりはあの場面でキッチリ3人で抑えきった岩瀬にもっと注目してよ」というところに、落合の人柄、監督としての姿勢が表われていて非常に好感が持てた。

監督は退任しちゃったけれど、またどこかの監督に呼ばれないとも限らないし、その時には落合の言動にだけは興味を持てそうだなと思える一冊だった。

2012年3月15日

出産のクライマックス

産婦人科研修で、経腟分娩は何度となく見た。正直な話、他人の赤ちゃんが出るところを見ていて感動することはなかった。将来の妻の出産には立会いはしても、腟部は見たくはないと思った。毎月生理のある女性と違い、血を見慣れない男性にとって、あの血がどくどくと流れ出る光景はショッキングだ。

出産は本当に大変なものだ。妊婦の悶絶する姿を見ると、本当に戦慄してしまう。男には、絶対に耐えられない。壮絶で、生々しくて、神秘的なものなど何もない。男にできることは、痛みに苦悶する妊婦を励ますだけだ。

しかし、である。

赤ちゃんが生まれ出て、その赤ちゃんを見た瞬間の母親の笑顔というものは、本当に素晴らしい。あの瞬間の笑顔は、女性が一生の中で見せる中で最高の笑顔だと思う。出産をグロテスクだと思っている俺でさえ、あの笑顔には毎回感動した。産婦人科医になる人は、あの笑顔が見たくてなるんじゃないだろうか。それほどまでに、素晴らしい笑顔だ。出産そのものはまったく神秘的ではないけれど、あの瞬間の女性の笑顔こそは神々しくて神秘的で、究極の美だと思う。

だから、立ち合い分娩を希望する男性は、とにかくその瞬間の妻の表情だけは見逃さないようにして欲しい。赤ちゃんをビデオに撮るのに熱中しすぎて、あの笑顔を逃したら大損だ。出産のクライマックスは、赤ちゃんの誕生ではない。出産直後の女性の顔は、苦悶の緊張から安堵の緩みを経て、赤ちゃんを慈しむ笑顔へと変化していく。あれこそが、出産のクライマックスなのだ。

最後の殉教者

最後の殉教者

10篇から成る短編集で、表題作である『最後の殉教者』がもっとも印象的で面白かった。以下、『最後の殉教者』のネタバレとちょっとした考察。


長崎の浦上に、喜助という図体のでかいくせに小心の若者がいた。彼は切支丹であったが、小心ゆえに他人の拷問の声に恐れをなして、いともあっさりと「ころぶ」と宣言してしまう。ころぶとは、キリストの教えを裏切って転向することである。この喜助、最後は捕まった仲間のもとに戻ってきて自分も牢に入る。牢には、甚三郎という幼馴染が入っていて、彼は喜助と違って拷問に耐え続けてきた。そんな甚三郎は、簡単にころんだ喜助を臆病者と見下していたのだが、喜助がわざわざ切支丹と名乗り出て牢に戻ってきたことで気持ちが変わる。最後の場面、喜助が拷問に引き出されるとき、
甚三郎は、「喜助」とひくい声をかけた。
「苦しければころんで、ええんじゃぞ。ころんで、ええんじゃぞ。お前がここに戻ってきただけでゼズスさまは悦んどられる。悦んどられる」
上記一文で物語が終わる。喜助がこの後ころんだかとうかは分からないが、小説のタイトルは『最後の殉教者』である。甚三郎に関しては小説中に、
後年、生き残った甚三郎はこの時の模様を次のように語っている。
という記述が出てくる。つまり、甚三郎は殉教していない。とすると、結末は明らかには描かれていないものの、臆病者の喜助が殉教したのではないだろうか。イエスの使徒であり臆病だったペテロが、最期は殉教したことを髣髴とさせる。タイトルと結末の関係が非常に良いと思った。

3月14日のサクラ

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今日一番の写り。



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だんだんと便が緑色になってきているらしい。これは決して異常なことではないとのこと。詳しいことはネットで調べればすぐ分かるのでここでは割愛。



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サクラは生まれたてにしては指が長いと言われている。

2012年3月14日

認知症検査で気をつけるべきこと

長谷川式簡易知能評価スケールは簡単な質問を行なう認知症検査で、全問正解だと30点、20点以下が認知症疑いとなる。ただし、この検査の点数だけで認知症かどうかの判断はしない。意識レベルや集中力は、体の状態にも左右されるからだ。体調万全、うつのような集中力の欠如もなさそうだし、せん妄状態でもないのに点数が低い、というときに、初めて認知症を疑ってかかる。

ところで、この検査をきちんと実施できている人がどれくらいいるのか。検査方法が不適切だと、得られる情報の信憑性も低くなる。たとえば、患者に「100から順に7を引いてもらう」という項目がある。このときの質問は、まず、
「100から7を引いたらいくらになりますか?」
と問い、患者が「93」と正答したら、
「では、それから7を引いたらいくらになりますか?」
と聞かなければいけない。精神科志望の研修医でも、この部分で、
「93から7を引いたらいくらになりますか?」
と尋ねてしまうことがある。これだと、この検査の意味がまったく別物になってしまう。この質問のミソは「それから7を」である。これは単に患者さんの算数能力を試しているわけではない。脳で「93という数字を保持」しつつ、さらにそこから「7を引く」という、二つの作業を同時に行なうことができるかどうかが試されているのだ。

また、数字の逆唱という質問項目は、こちらが言う3桁の数字を逆から言ってもらう検査だ。同じく、研修医にやらせてみると、
「今から言う数字を逆から言ってください。ろくはちに」
と、これは文章では表現しにくいところではあるが、「682」の部分は、それぞれの数字をおよそ1秒間隔で言わなければいけない。文章で表現するとしたら、「ろくはちに」ではなく、「ろく。。。はち。。。に」という感じ。これでニュアンスは伝わるだろうか。脳の中に「数字の塊」を投げ入れるのと、一つ一つの数字を区切って入れるのとでは、その数字群を頭で再構成するときの難易度が違ってくるようだ。

学生時代に大学で習うだけでは、こんな細かいところまでは知らないままだ。そして、こういう正式なやり方は、医師になってからもあまり本には載っていない。出身大学の授業では、一応この程度のことは教えていたが、自分は精神科医なので、考案者である長谷川先生のDVDも観て確認した。「長谷川式なんて誰でもできるわい」なんて思わず、検査のちゃんとしたやり方を何かで確認して欲しい(十分くらいでマスターできる)。あるいは、「そんな検査、自分はしないよ。はい、心理士さーん!」というスタンスもあるかもしれない。間違った方法で不正確な情報を得るくらいなら、そんな検査はしない方がマシである。

キース・ジャレットのゴルトベルク変奏曲

昔、不眠症に悩むある貴族が、お抱えの音楽家に、
「そういえば、お前の師匠はバッハであったな。ちょっとバッハに頼んで、ワシが眠れるようになる音楽でも書いてもらえんだろうか」
ということで創られたのがこの変奏曲だという。ちなみに、この弟子の名前が「ゴルトベルク」、ではなくて、この不眠症の貴族の名前が「ゴルトベルク」だそうな。



すごく有名な曲で、上の動画はジャズ・ピアニストであるキース・ジャレットの演奏。最近、寝るときにこれをかけて、起きるときもタイマーでこのCDを聴いていた。キースの弾くバッハは、平均律にしてもそうだが、クセがなくて良いと思う。ジャズのほうではかなり独創的な演奏をするキースなだけに、この淡白さが妙に新鮮だ。

バッハ:ゴルトベルク変奏曲


グレン・グールドという有名なピアニストのゴルトベルク変奏曲は非常にクセがある。一曲目のアリアは「あぁ、まさに眠くなりそうだ」というスローテンポ、優しい響きなのに、2曲目がいきなり目が覚めるような強いタッチなもんで、寝ながら聴くと疲れてしまう。