2013年3月31日

コレクション

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「普通の酒好きにはね、酒のコレクションなんてできないんだよ」
「そうなの?」
「そりゃそうさ、だって飲んでしまうからね」
「ふふふ、じゃあ、飲まないお酒をこんなに集めているあなたは?」
「本当の酒好きさ」
「ふぅん、あっ……、もう、ちょっと気が早くなくて?」
「ああ、ごめん、気が急いちゃってね」
「もう、困った女好きさんね」
「いや……、僕は……、本当の女好きさ」

男は女の首筋にそっと、注射器の針を近づけた。

2013年3月26日

松山千春の『恋』を、親心な替え歌にしてみた

育てることに疲れたみたい 嫌いになったわけじゃない
部屋の掃除はやっておくわ ご飯はいつもの冷蔵庫の中
きっとあなたはいつものことと 笑いとばすにちがいない
だけど今度は本気みたい あなたの顔はちらつくけれど
子どもはいつも 待たせるだけで 親はいつも 待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめていた それでも親は親

多分あなたはいつもの店で 酒を飲んで記憶なくして
洗濯物は机の上に 短い手紙そえておくわ
今度生まれてくるとしたなら やっぱりあなたの親でいたい
だけど同じヘマを許して あなたと一緒につまずきたいわ
子どもはいつも 待たせるだけで 親はいつも 待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめていた それでも親は親

子どもはいつも 待たせるだけで 親はいつも 待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめている それでも親は親

やっぱり親は親
こんな与太を思いついたのには訳がある。

サクラがけいれんを起こした一昨夜、母にメールをしておいた。翌朝、母から電話があり、真っ先にサクラのけいれんが大丈夫なのかという心配をしてくれた。検査の結果は心配ないことなどを伝えると、いくぶん安心したようだった。それで話は終わりかと思っていたが、ちょっと不安げな声で、
「あんたは大丈夫ね?」
と聞かれた。実は俺も体調を崩しており、昨夜のメールの最後に、俺も風邪でダウンしているということを書いておいたのだ。その母の声を聞いた時に、ふと、そして、ハッと、思い出して胸にしみた。この人は、サクラの大切なおばあちゃんだけれど、それよりもっと長年月を経た俺の大事な母なのだ。というより、俺は彼女にとってかけがえのない大切な息子なのだ。

母はこう言った。
「何歳になっても、親って卒業できないんだねぇ。孫は孫で、増えれば増えるほど嬉しいけれど心配事も増えていく。子どもはもう増えないけれど、心配事が尽きないよ」
その母の言葉に、俺はサクラに対する自分自身の想いを重ねた。

きっとサクラが何歳になっても、サクラに子どもが何人できても、俺が「おじいちゃん」と呼ばれるようになっても、俺はサクラを心配し続けるだろう。見守り続けるだろう。愛し続けるだろう。そしてやっぱり、母と同じことを言うのだろう。
「俺はじじいで君はオバサンだけど、やっぱり君のことが心配だよ」

親バカと言われても良い、マザコンと笑われても良い、親離れできていないと揶揄されても良い、子離れできていないと批難されても良い。誰が何と言おうとも、俺にとって母は一人しかいないし、母にとっても俺は大切な子どもなのだ。虐待やネグレクトが問題となる世の中で、
「俺は親にとって大切な子どもだ!」
と胸を張って言えることの、なんと素晴らしいことか。

だから、こんな与太歌を思いついたのだ。

「それでも親は親、やっぱり親は親」

自分が親になってみて、子どもを心配して夜も眠れない日を過ごし、こんな歳になっても風邪を心配されることのありがたさを感じて、素直に、そして自然にこう思った。

お母さん、ありがとう。


このエッセイを、世の中の、我が子を愛するあらゆる世代の全ての母親・父親に捧げます。

2013年3月24日

トリガーポイント注射

先日、トリガーポイント注射というのを初めて知った。

腰痛などにかなり有効みたいだ。最近開業した整形外科で注射を行なっているらしく、近所の老健施設では、腰痛で動けなかった高齢者たちが次々と歩けるようになっているらしい。施設職員はこう語る。

「あの先生のことは、開業する前から人間的に大嫌いでした。でも、開業したら多少は人当たりが良くなりましたね。まぁ商売だからそんなもんでしょう。勤務医の時にはほとんど注射を打たなかったけれど、開業してからは注射をどんどん打つようになって、それもまぁ商売で、儲かるんでしょうよ。ただね、それがまたよく効くもんで、次から次へと入所者さんを連れて行っているんですよ。昨日まで寝たきりだった人が、ひょっこひょっこ歩くようになっているんですよ。先生の患者さんでも、腰痛い人がいたら紹介したら良いですよ」

俺は思わず尋ねてしまった。

「宣伝料、いくらもらってるんです!?(笑)」


もらっていないらしい(当たり前か)。


<参考>
トリガーポイント注射

2013年3月23日

菜の花の季節

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昔から黄色い花が好きで、それを写真に撮るのも大好き。

2013年3月20日

Cold & Hot

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「冷たい人ね」
彼女は呆れたような顔でそう言って、そそくさと出ていった。

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そんな彼女の背中を見送りながら、正直俺はホッとした。


※自分で撮った写真に小話をつけるシリーズ。

スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術

スピンドクター “モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術
タイトルと評判に偽りあり!! といった感じの本で、あまり面白くなかった。図書館で借りた本だが、これ買っていたとしたら怒っていたレベル。なんでこんなに評判が良いのやら……。

ドキュメント 戦争広告代理店
タイトルはダサいが、断然こちらのほうが読みごたえもあるし中身も濃くてお勧め。

2013年3月19日

都会のトンネル

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田舎のトンネルと違ってキレイ。

2013年3月16日

図書館で乱読しよう

図書館が近くにある人には、とにかく利用しまくることを勧める。というのも、「乱読」に非常に適しているからだ。

「乱読」というのは、もちろん「熟読」とは違う。似たようなものに「多読」があるが、それとも違う。「多読」がそれなりに目を通しながらたくさん読むのに対して、「乱読」は自分にとって興味のない部分、不要な部分をバッサバッサと切り倒すように読み進める。自腹で買った本だと、こういう読み方はなかなかできない(実際には、買った本でもこういう読み方をするほうが良いし、俺は時どきそうしている)。

乱読することを前提として図書館に行くと、とりあえずタイトルが気になるという本を手当たり次第に気楽に借りるということができる。
「乱読を前提にしなくても、好きなように借りれば良いじゃん」
という意見もあるだろうが、実際には「これ借りても読むかなぁ……」という気持ちが出てしまい、思ったほど気軽には借りきれないものだ(俺だけかもしれないが……)。

図書館で乱読前提で借りてみて、読んで面白ければ熟読すれば良いし、そうじゃなければササッと読み切るか、バサッと読み抜くか。この島の図書館は意外に良いので、1-2週ごとに行き、5冊借りては熟読・乱読を使い分けている。中には凄く良い本があって、そこからさらに刺激を受けて世界が広がったり、本の中で参考文献として紹介してある本を買ったりする(そんなことをするから、200冊ある積ん読本がなかなか減らない……)。

それから、ちょっとセコい話になるが、気分的に税金を取り戻したかったら、図書館を使いまくれば良い。1冊1000円の本を10冊読み漁れば、1万円バックしてきたようなものだ。

データはウソをつく-科学的な社会調査の方法

データはウソをつく-科学的な社会調査の方法

飛ばし読みで充分かなぁ。わりと硬い内容を書いているところと、ノリと勢いで書いているんじゃないかという部分とが混在していて、この本の立ち位置、すなわち読者ターゲットがよく分からなかった。評判はまずまずみたいだが、このブログを読んでいる人(要するに、すでに賢明な人と言いたい)にはあまりお勧めしない。

2013年3月15日

レインボー・ブリッジから

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海辺の材木

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2013年3月14日

金持ち父さん 貧乏父さん

金持ち父さん 貧乏父さん
賛否両論あるようだが、俺は読んで良かったと思う。凄く興味深い内容で、考えさせられることも多かったし、資産や負債という考え方を学べたのも良かった(一応、九州大学の『経済学部』卒業なんだけどね……)。ただ、Amazonレビュアーで批判的な人たちが言っていることにも目を通しておいた方が良いだろう。

2013年3月13日

ペコロスの母に会いに行く


Amazon評価の高さからも、本の良さが分かる。認知症の母との触れ合いを不謹慎にならない程度にユーモラスに、そして哀しくなりすぎない程度に切なく描き出したマンガ。笑って、考えて、泣ける。そんな本。

2013年3月12日

バイク

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夕焼けと飛行機

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2013年3月11日

DVに理由なし、あるのは言い訳のみ

被災地でのDVや児童虐待が増加しているそうだ。しかし、被災や生活環境の大変さは、DVの「理由」ではなく「言い訳」にすぎない。もし震災がなかったとしても、DV加害者はこれからの長い人生の間に他のことを理由にして殴るのだ。

震災後に殴られるようになった人は、「今は大変な時期だから。悪いのは震災。本当のこの人は優しい」とは思わないほうが良い。大変な時期だからこそ本性が表れたに過ぎない。もし「震災が悪い」が正しいのであれば、どうして震災後にもパートナーや子どもを殴ることなく生活している人がいるのだ?

震災を言い訳にして殴る人は、いずれ犬が吠えても雨が降っても殴るようになる。それでもあなたは、
「悪いのは犬」
「雨さえ降らなければ」
と加害者をかばい続けるのだろうか?

<関連>
DVに耐え続ける人の末路
配偶者間暴力、被災地で深刻=福島で6割超-児童虐待も過去最高を記録【震災2年】
東日本大震災の被災地で、配偶者間暴力(DV)が深刻化している。狭い仮設住宅に妻たちの逃げ場はなく暴力は激化。先が見えない避難生活が続く中、夫婦関係が悪化するなどし、福島県では2012年、警察へのDV相談件数が過去最多になった。DVは子どもの成育にも悪影響を及ぼし、児童虐待を誘発する懸念もある。国は震災後、相談窓口を設置したが、支援者は「DV被害はこれからさらに増える」と警戒する。
福島県警には12年、前年比64%増の840件、宮城県警にも同33%増の1856件のDV相談があり、いずれも過去最高を更新した。一方で、岩手県警への相談は同2%減の298件。全国の警察が把握した件数(12年1~8月)の伸び率は25%だった。
支援団体「ハーティ仙台」(仙台市)は「震災による失業などで加害男性が自宅にいる時間が長くなり、DVの機会が増えた」とみる。これまでの広い家から狭い仮設住宅に移ったことで、被害女性らが隠れにくくなり、より粗暴な事例が増えているという。
福島県では東京電力福島第1原発事故の影響で、夫と妻子が離れて住むケースが増え、すれ違いから夫が暴力に訴えることも。「ウィメンズスペースふくしま」(同県郡山市)によると、失業した夫が東電の賠償金を浪費してしまう経済的な暴力も目立つ。
岩手県では相談件数は減ったが、支援者は「被害者が孤立しているだけ」と分析。震災後、相談の半数以上は内陸の盛岡市内の窓口に寄せられており、「参画プランニング・いわて」(同市)は「被災した沿岸部は支援体制が不十分」と指摘する。
一方、12年の児童虐待取扱数は、福島県警で前年比76%増の109件、宮城県警も同34%増の254件と過去最高を記録。岩手県警は同11%増の144件となった。親のDVなどを見て心が傷つく心理的な虐待は、宮城県警で同42%増の155件に上った。
1995年1月に起きた阪神大震災の後もDVの相談件数は急増。兵庫県では、94年度の39件から95年度は74件、97年度には138件と3年で3.5倍になった。当時、支援に当たった「ウィメンズネット・こうべ」(神戸市)は「災害後の大変な時期は、家庭の問題だからと遠慮する人もいるが、我慢せずに相談して」と呼び掛ける。
内閣府は11年5月以降、岩手、宮城、福島3県で、女性の悩みに答える専門相談を開始。現在も月400件以上の相談があり、うち約4割がDV関係という。ハーティ仙台の八幡悦子代表は「被災3県でも支援員を養成し、相談体制の底上げを図りたい」と話している。(2013/03/10-11:36)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201303/2013031000071&g=soc

真珠の殻

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真珠を取り除いたあとの殻。

近所の寺

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神社のような趣きなのだが、寺である。入るのに数百円をとられるのがちょっと……。

2013年3月10日

廃屋を発見

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妻とサクラとドライブしていて廃屋を発見したので入ってみた。といっても、サクラは寝ていたので、見守り係の妻を残して一人での潜入。

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港の近くだったのだが、昔は何に使われていたのだろうか? 休憩所?

2013年3月9日

私がしたことは殺人ですか?

私がしたことは殺人ですか?
怖い……、やっぱり医療職は地雷だらけの野原を歩くようなものなのか……? 説明と同意を得ていて、それをカルテに記載していたとしても、「信用できない」と判断されてしまうなんて……。家族にしつこいくらいに説明するのは当然としても、さらに同意書をもらうくらいはしておかないと危険だな。こんな殺伐とした医療に誰がした?

個人的に医療訴訟保険に入っている。更新のための振込み期限が近い。年間数万円という出費だが、この医療を取り巻く現状をみると、いつ訴えられてもおかしくないし、昨今の医療訴訟では医療者から見たら理不尽な訴えでも、医療者側がいくらか支払うことになるケースが多い。例えば1000万円の損害賠償を要求した裁判で、「被告(医療者側)に50万円の支払い命令」という判決もあり、これなんかは見る人が見れば明らかに「被告側の勝利」ではあるのだが、では現実の被告の気持ちはどうかというと、
「なんでこんなことで時間を取られたうえ、一生懸命に働いて得たうちから50万円も払わなきゃならないんだよ」
という憤りがあると思う。訴えられて、裁判では勝ったものの、その怒りからうつ状態に入ってしまった医師を知っている。だからせめてもの安心を買うという意味で、医療訴訟保険に入っているのだ。

2013年3月8日

被災直後の南三陸町で見てきたもの

東日本大震災から1ヶ月半後の4月末、俺は病院スタッフ4名とともに南三陸町へ派遣された。まだ余震も多かった頃だ。本当は怖くて行きたくなかった。でも、どうせ行くのなら実際の被害の様子をしっかり見よう、そして伝えよう、それもテレビとは違う自分なりの視点で。そう思って移動中や空いた時間に写真を撮りまくった。それらはほぼすべて、以前のブログに掲載した。多くが被災「地」を撮ったものになってしまったが、被災「者」を思わせる写真が何枚かある。震災から2年が経った今、そうした写真をピックアップして当時を振り返ってみたい。

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派遣初日に見たのがこの光景。

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ランドセルもバッグも翌々日にはなくなっていた。持ち主が元気だと嬉しい。

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『マリンパル夕涼み会』と書いてある。ここは、海と暮らしてきた町なのだ。これは回収して、然るべき所に届けるべきだったかもしれない。だが当時は、誰かが探しに来るかもしれないと考えたのと、医療派遣されていながら何をやっているんだと言われそうなのとで、臆してそのままにしてしまった。誰かが拾って、うまく復元できていたらと思えてならない。

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『海といっしょに。浜といっしょに。元気に暮らそう』
その海が、たくさんの人の命を奪ってしまった。

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誰かが拾って置いたのだろう。その眼は、なんだか寂しげだ。

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オモチャ。この子は、元気だろうか。自分に娘ができた今、改めて見ると当時とはまったく違った胸の痛みを感じる。

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派遣された村の近くで。この村に家は多くはなかったが、それでも母子数名が流されたそうだ。

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誰が弾き、誰が聴いていたのか。

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飛べない飛行機。

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持ち主の趣味を想像させる。

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生活が根こそぎ持っていかれる。それが津波だ。

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拾い集められたアルバム。

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家族や生活を奪われた人にとって、思い出の持つ力は大きい。俺が写真を今までに増して多く撮るようになったのは、南三陸町への派遣がきっかけだ。

<関連>
被災地への医療派遣を振り返る(1)
被災地への医療派遣を振り返る(2) ~ センスを問う ~
三陸海岸大津波 記憶を風化させないために
遺体 震災、津波の果てに

毒になる親

毒になる親
非常に良い本で、多くの人に読んでもらいたいと思う。しかし、実際に診察室に来る患者で、この本が凄く助けになってくれるだろうと確実に予想されたとしても、どうにもタイトルが過激すぎて勧められそうにない。もし精神科医からこの本を勧められたことを患者の親が知ったら、親を含めての治療関係は壊滅的だ。

これは、患者自らが自然なかたちで見つけて読み始める方が良い本だろう。

養育環境に問題があった人、あるいは彼らの友人やパートナーは、ぜひ一度はこの本を読んだり勧めたりしてみて欲しい。

2013年3月7日

買ってはいけない!! 『日本人が知らない「怖いビジネス」 』

日本人が知らない「怖いビジネス」 

図書館で借りたのだが、なんとも退屈な本だった。Amazon評価も低い。書店で見かけても、うっかり手を出さないように。

2013年3月6日

ベッドがなくても受け容れろ!!

ちょっと前に救急車が18病院から受け入れを拒否され、患者が亡くなったというニュースがあった。ご遺族は、
「ベッドがなくても受け容れて欲しかった」
そんな風に仰っていた。

その時には、朝から小倉さんが吠えていた。

「ベッドがなくても、受け容れることくらいできるだろう」

まさに、ここに、一般人と医療従事者の間にある『言葉の壁』を感じた。この言葉の壁に関して、一般人と医療従事者のどちらが悪いのか、それは圧倒的に医療従事者が悪い。

「ベッドに空きがない」
「満床だ」

これは「物理的にベッドが空いていない」というだけの意味ではない。物としてのベッドがないから受け容れきれないと言われたら、家族としては高価なベッドを買ってでも入院させてあげたいと思うのが当然だし、病院側だってベッドを買うなり借りるなりして済むのならそうしている。

しかし、足りないのは、物としてのベッドではなく、人手である。

病院でベッドが一床増えると、そのベッドに充てるべき人員も必要になる。物としてのベッドを臨時で増やしたからといって、人員が臨時で増えるわけではない。無理してベッドを増やすと、他のベッドに充てられるべき人員は削られる。簡単な算数だ。

「ベッドはなんとかするから」
「ストレッチャーでも良いから」
「床で寝てもいいから」

そういう問題ではない。
問題は人員が足りていないということなのだ。

もしも、入院患者で手一杯にも関わらず、ストレッチャーで患者を受け容れたとする。当然、その患者の救急治療には医師や何人もの看護師が必要になる。その時、病棟で入院患者の急変があったら、いったい誰が駆けつけるのだろう? 無理して受け容れたせいで人手不足になった結果、入院患者のほうが亡くなってしまったら、ご遺族は誰を責める? マスコミは誰をやり玉に挙げる? 

それでも医療従事者は、使い慣れた「ベッドが足りない」「空床なし」「満床」という言葉を使ってしまう。そしてこのせいで、一般人と医療従事者との間に齟齬が生じるのだ。
「ベッドくらい、どうにでもなるだろう!」

これをサラリーマンに例えるなら、無理な仕事を押しつけられて、
「スケジュール“帳”が埋まっている」
と断っているようなものだ。
「だったら、スケジュール帳に付箋を貼れば良いじゃないか!」
そんなバカげたことを言わせないためには、「時間がない」と表現しないといけない。

「ベッドに空きがない」
と言われたら、医療従事者なら、
「あの病院は人手が足りないか。仕方がない、他を探そう」
と言外の意味を汲み取ることができる。しかし、それをそのまま患者や家族、マスコミに使ってはいけない。
「○○病院はベッドが一杯のようです」
と言われても、納得できるはずがないのだ。ハッキリと、
「○○病院では人手が足りないようです」
と伝えなければならない。

受け容れきれなかった病院の対応もまずく、マスコミに対して、
「ベッドに空きがなかった」
を連発してはいけない。ねじ曲げた解釈や無知による敵意から、病院を悪者に仕立て上げられて報道されるのがオチなのだ。

この件で病院や医療者を責めている人たちに悪意があるわけではない。むしろ多くが、善意、純真無垢な良心を持つ人たちだろう。そして、それが厄介なのだ。医療従事者は、悪意には毅然として立ち向かえるが、無知からくる残酷な善意や良心には敵わない。そして、そういう善人たちによる「正義の鉄槌」ほど、現場を落胆させ疲弊させるものはないのだ。


救急搬送36回断られる 埼玉の男性死亡
(日本経済新聞 2013/3/5)
埼玉県久喜市で1月、呼吸困難を訴え119番した男性(75)が25病院から計36回救急搬送の受け入れを断られていたことが5日、久喜地区消防組合消防本部への取材で分かった。男性は通報の2時間半後に搬送先が決まったが、到着した病院で間もなく死亡が確認された。

消防本部によると、男性は一人暮らしで、1月6日午後11時25分ごろ、「呼吸が苦しい」と自ら通報。自宅に到着した救急隊員が、各病院に受け入れが可能か照会すると「処置困難」や「ベッドが満床」などの理由で断られた。

翌7日午前1時50分ごろ、37回目の連絡で、茨城県内の病院への搬送が決まり約20分後に到着した際、男性は心肺停止状態で、その後死亡が確認された。男性は当初、受け答えが可能だったが、次第に容体が悪化、救急隊員が心臓マッサージなどをしていた。

消防本部は「正月明けの日曜日で当直医が不足していたのかもしれない。現場の隊員だけでなく、本部の指令課とも連携し、早期に病院が確保できるようにしたい」としている。

総務省消防庁によると、重症患者の救急搬送で医療機関から20回以上受け入れを拒否されたケースは2011年に47件あった。調査を始めた08年以降では、最高で08年に東京都の48回があるという。

久喜市は、今回のケース後に市内の病院に救急患者の受け入れに努めてもらうよう要請した。

2013年3月5日

テレビの大罪

テレビの大罪 (新潮新書)
精神科医である和田秀樹の本。本人が後書きで述べているように、ところどころすごく乱暴な論理展開がある。特に「この書き方は、まるで医療系番組の怖がらせ方と同じじゃないか」という部分があったので触れておく。

BMIと平均余命との関係について書かれた部分で、
BMI25-25.9がいちばん長生きで、やせ型の死亡危険率はその2.5倍もありました。
この記述は良くない。素人からすれば、やせ形が2倍以上も死にやすいように見える。しかし、危険率が「10%と25%」も「1%と2.5%」も「0.1%と0.25%」も、それぞれ2.5倍であることに変わりはない。これをもっと具体的な人数で示すと、1万人の中で「1千人と2千500人」「100人と250人」「10人と25人」が、それぞれ2.5倍である。危険性を訴える時に、パーセント同士の比を出すと結果が派手で、そのぶん凄く目を引き付けることができるが、実態はほとんど分からないままだ。これがテレビをはじめとするマスコミの手法。本来であれば、後者のように人数で示すだけにして、「1万人中で10人発症する病気が25人に増える」というのは些細なことか重大なことか、その判断は視聴者や読者それぞれの価値観に任せるほうが良い。

とまぁこんな具合に、本書では、
「テレビの手法を攻撃するのに、テレビ的手法を使うのってどうなの?」
と思ってしまうことがちょくちょくあった。

<関連>
上記したようなことが、もっとたくさん分かりやすく書いてある本。
デタラメ健康科学---代替療法・製薬産業・メディアのウソ