2017年9月29日

ミスや事故を防ぐことには、最先端の治療と同じ価値がある

アリセプト8mg内服している入院患者について、主治医が「アリセプト中止」と指示を出したところ、アリセプト5mgは外されたが、後発品ドネペジル3mgは続行していた、というミスがあった。

スタッフからは「アリセプトとドネペジル中止」と指示がないと分からないという苦情も出た。

さて、みなさんのご意見はどうだろう?

精神科で働いているのだから、精神科系の薬については商品名だけでなく一般名も把握しておくべきだ、という意見がある。たしかにその通りだが、そう指摘するだけでは今後のミス防止にはつながりにくい。

5mgは先発品、3mgは後発品となっている当院の在庫状況にも問題がありそうだ。おそらく先発品5mgの院内在庫がなくなってから後発品に切り替わるのだろうが……。それがいつになるのかハッキリしないし、アリセプトだけでなく、他の薬剤でも同様の状況である。

電子カルテによる処方歴はどう表示されるかというと、
Rp1
 アリセプト5mg 1錠
 ドネペジル塩酸塩OD錠3mg(アリセプト) 1錠
※半角カタカナは変換ミスではなく、カルテ仕様そのまま。

カッコ内に半角カタカナとはいえアリセプトと書いてあるのだから、それを見落としたのならスタッフの問題だろう、という意見もある。大いに一理あるが、やはりそれも、再発防止という点では益の少ないものである。「塩酸塩OD錠」という部分は俺でもアレルギー反応を起こしそうで、それ以下の部分がカッコ内も含めて無視されそう、という気もする。

同じ薬でも、用量により先発品と後発品が混ざっていることが多いせいで、こういう事故につながるのだろう。表記を商品名に統一できないのなら、いっそすべて一般名表記にするほうが、こういう事故は防げるはずだ。

「スタッフ勉強しろ」「スタッフちゃんと画面見ろ」

こういうのは事故の再発防止策とは言えない。

スタッフにミスをさせないためには、どういう指示の出しかたが良いのか。そして、良い方法が見つかったら、それをどうやって全体のシステムに取り込むか。こうしたことはリーダーとしての医師の仕事でもあると思う。

たとえばうちの精神科では、注射する部位について「右」「左」ではなく、「みぎ」「ひだり」と書くようにしただけで、左右の取り違え報告がゼロになった。

医療は薬や機器や手技がどんどん新しくなり、過去の方法のままやると事故につながったり、過去の方法そのものが「ミス」であったりする。だから、医療におけるミスや事故を防ぐための学問は地味ながら、どんな時代でも「最先端医療」なのである。

元プロ野球選手・監督の落合博満は、

「点数をとる強打者と、点数をやらない守備の名手は、同じくらい評価されるべきだ。守備で1点をとらせないことは、攻撃で1点とるのと同じ価値がある」

というようなこと書いていた。

同じことが医療ミスや事故の防止にも言える。

ミスや事故を防ぐことには、最先端の治療と同じ価値があるのだ。

2017年9月28日

ある未来を選ぶことは、別の未来を捨てること

少し古い2012年のニュースで「妊婦の血液で、胎児がダウン症かどうかがほぼ確実にわかる新型の出生前診断を、国立成育医療研究センター(東京)など5施設が導入することがわかった」というのがある。これはかなり物議を醸した。

ふと思うのだが、「ダウン症の子なら、わたし生みたくない」と考えて中絶した女性は、その後に健康な子を産んで、その子が成長していく過程で、「こんな言うことをきかない子は欲しくなかった」とか、「こんな成績の悪い子だとは思わなかった」とか、「こんな不良になる子だなんて……要らない」とか、そういうふうにならないのだろうか。いや、さすがにそれは考えすぎだと思う。まず、お腹の中の生命に対してそこまで割り切れる人も、生まれてきた子に対してそこまで冷淡になれる人もいないだろうと……、信じたい。

変な例え話になるが、ゲームの中に、最初にキャラがランダムで決まるようなものがあって、ファミコン時代には好みのキャラが出るまで延々とリセットボタンを押すなんてことがあった。出生前診断のニュースを見ると、そういうゲームを思い出す。

もちろん、生まれた子どもがダウン症だと経済的・精神的に苦しいという場合はある。例えば第1子がダウン症だった場合、次の子までダウン症だと養育する経済的・精神的負担はきっと想像以上のものだろう。だからそういう場合に限ってはこういう検査を許可する……、というのも難しい話で、経済的・精神的負担というものは客観評価できないから、負担が大きいか小さいかは親の主観でしか決めようがない。どんなに金持ちで時間的に余裕があっても、ダウン症児を育てるだけの「親力」がない人はたくさんいるだろうし、逆に貧しくて忙しくてもダウン症児と向き合える「親力」を持っている人もたくさんいるだろう。

ここで誤解して欲しくないのは「親力」に高低や優劣があるという話ではないということ。「親力」とは、数値で表すものではなく、きっと「種類」だ。足の速い人と勉強のできる人を比べることができないのと同じように、ダウン症児を育てきれる人とそうでない人の「親力」は、種類が違うのだと思う。そして、これまたややこしい話なのだが、そういう「親力」というのは実際に親になってみないと分からないものなのだ。

この手の話題では、「デリケートで難しい問題だ」と締めくくるのが無難ではあるが、それだと何も主張していないのに等しいと思っているので、自分は賛成か反対か、そしてどう考えるかを書かなければなるまい。

出生前の検査という手段がある以上、それを受ける自由は保障されるべきであるし、その結果として増えるかもしれない中絶に関しても、現在の法律に則って行なわれる限りは認められるべきだと思う。ただ、検査そのものについては嫌悪感とまではいかないまでも、違和感のようなものがある。やはり、俺はこの検査の存在には漠然とではあるけれど反対だ。そうは言っても検査は既に存在しているし、前述したように各妊婦の事情を考慮して検査を認めたほうが良いような場合もある。それなら、今できることは、その事情をなるべく客観評価できる基準を作っていくことだろう。

ただ、やっぱり最後にこう思う。

自分にどんな「親力」が備わっているか分からない段階から、ダウン症児と「その子の親である自分」という2人の未来を見限るというのは、ちょっと早計ではないのかな。

<追記>重要
友人である小児科医から一言あり、重要だと思ったので付言しておく。この検査は、ダウン症(21トリソミー)以外に13トリソミー(Patau症候群)と18トリソミー(Edwards症候群)も見つけることができる。下記記事の『重い障害を伴う別の2種類の染色体の数の異常も同様にわかる』というのがこの二つの染色体異常のことである。そして、この二つは生まれてすぐに死んでしまうことがほとんどで、妊娠初期にこの二つを見つけることにこそ検査の意義がある。だから、ダウン症についてだけ議論するのはちょっと違うんじゃないか、ということであった。


<関連>
ダウン症児は親を選んで生まれてくる
座敷わらしの正体

妊婦血液で胎児のダウン症診断…国内5施設で
妊婦の血液で、胎児がダウン症かどうかがほぼ確実にわかる新型の出生前診断を、国立成育医療研究センター(東京)など5施設が、9月にも導入することがわかった。

妊婦の腹部に針を刺して羊水を採取する従来の検査に比べ格段に安全で簡単にできる一方、異常が見つかれば人工妊娠中絶にもつながることから、新たな論議を呼びそうだ。

導入を予定しているのは、同センターと昭和大(東京)、慈恵医大(同)、東大、横浜市大。染色体異常の確率が高まる35歳以上の妊婦などが対象で、日本人でのデータ収集などを目的とした臨床研究として行う。保険はきかず、費用は約20万円前後の見通しだ。

検査は、米国の検査会社「シーケノム」社が確立したもので、米国では昨年秋から実施。妊婦の血液にわずかに含まれる胎児のDNAを調べる。23対(46本)ある染色体のうち、21番染色体が通常より1本多いダウン症が99%以上の精度でわかるほか、重い障害を伴う別の2種類の染色体の数の異常も同様にわかる。羊水検査に比べ5週以上早い、妊娠初期(10週前後)に行うことができる。

(2012年8月29日10時04分 読売新聞)

2017年9月27日

精神科患者が薬を飲むときに感じる不安

統合失調症の治療薬に、ジプレキサ・ザイディスというのがある。この薬の食感(?)を試すため、製薬会社から配られたプラセボ薬(薬効成分が入っていない)を飲んでみた。口に入れるとラムネのような味がすると同時にシュッと溶ける。お菓子と言われても信じるほどだ。

これを何個かもらって、病棟スタッフに試してもらうことにした。しかし、看護師らは逃げ腰および腰で、なかなか飲もうとしない。「薬の成分は入っていない」と繰り返し説明しても、
「怖い」
「気持ち悪い」
「○○さん、お先にどうぞ」
と言って手に取ろうとしない。

入院している患者の中には、薬を飲みたがらない人が多い。そういう人たちに、看護師はあの手この手で説得し、薬を飲むように勧める。患者が、
「その薬には毒が入っている」
と拒絶すれば、
「あなたの体に必要なものが入っているんですよ」
というようなことを言って、とにかく内服するよう言葉を尽くす。

プラセボ薬を飲むことでさえ、スタッフは不安や怖さ、気持ち悪さを感じたのだから、まして成分の入っている薬を飲むことになる患者の心中は穏やかなものではなかろう。そんな気持ちに少しでも気づいてもらえたら良いな、と感じた。

2017年9月26日

精神療法とは、まず聴くこと

愚痴は「こぼす」から良いのであって、あふれて「こぼれる」ようではいけない。ストレス発散を「ガス抜き」と言うこともあるが、これも意図して「抜く」うちは良いが、ガス「漏れ」になってしまっては良くない。怒りを爆発「させる」のと怒りで爆発「してしまう」のも、やはり前者のほうがたちが良い。

要するに、こころの中にあるなにかをコントロール範囲内におけているかどうか、ということ。

もちろん、ときにはあふれる想いをぶつけることも必要なことがあり、そのほうが伝わることもある。たとえばラブレターとか。

では、精神科診察室ではどうか。

愚痴はこぼさせ、ガスは抜かせ、怒りは爆発させてあげる。こぼれる前に、漏れる前に、爆発してしまう前に。

「ただ聞いているだけなのに精神療法を請求されるのが納得いかない!」

と怒っている患者をネットでよく見かける。しかし、そんな人たちの身のまわりで、些細な愚痴でも、やり場のない怒りでも、どんな突拍子のない妄想的なことでも、遮らず、ただ黙って耳を傾けてくれる人が、いったいどれくらいいるだろうか。もし、そうやって聴いてくれるような友人が一人でもいるのなら、きっとその人は精神科をあまり必要としないだろう。

精神療法とは、まず聴くことなのだ。

2017年9月25日

『ねころんで読めるてんかん診療』の中里先生の講演を聴いてきたよー!!

東北大学てんかん科教授である中里先生(@nkstnbkz)の講演会を拝聴に行ってきた。

もともと御著書やツイッターで熱烈ファンだったので、会場に入る前から胸はドキドキ。講演会というより「憧れのアイドルのコンサート」という心境であった。

会場に入ったのは開演から数分後。一般講演が始まったばかりだったが、俺の目は中里先生をロックオン。

あの後ろ姿は中里先生に違いない。

最前列からオーラが届いて、胸の高まりが増す。

普段は裸眼で、運転の時だけしかメガネをかけないのに、この講演会にはメガネ持参。中里先生の後ろ姿をうっとり眺めた。

講演会の中身はめちゃくちゃスゴかった。
内容はもちろんだが、プレゼン・スタイルがカッコ良い。まるでTEDを見ているようだ。中里先生はポインターを使わない。そのかわり、両手をダイナミックに動かしてアピール。

スライドはシンプル。でも奥が深い。医療者同士なら、あの中のスライド一枚だけで、飲み会の一つ二つやれるレベルだ。

講演そのものも素晴らしかったのだが、それ以上に質疑応答が神がかっていた。

極端な話、講演は用意していたものを話すので準備もできるが、質疑応答はアドリブになる。それをこうも見事にコントロールするか、というくらい、「聴く」と「語る」のバランスが見事。

講演の最後、中里先生がなんと『ねころんで読めるてんかん診療』(通称ネコテン)について書いた俺のAmazonレビューをキャプチャ画像で紹介! 鼻血を出して卒倒するかと思った。また、
「このレビュー、文章うまいでしょう。この先生もねぇ、ツイッターで良いこと書いているんですよねぇ」
といったご感想も!!

この時点でオシッコちびったかも……。


いや、オシッコはちびっていなかった。それは講演後のトイレでちゃんと確認した。中里先生にご挨拶する前に、トイレは済ませておこうと思ったのだ。

用を足してトイレを出ようとすると……、アーッ、いま中里先生とすれ違った!!

完全に、芸能人の追っかけ状態である。

そしてついに、情報交換会でご挨拶のチャンス。例えるなら、

「憧れのアイドルのコンサートを聴いて感動したあと、なんと楽屋でお話できる機会をもらった感じ」

中里先生の空き時間を待つ間に舞い上がってしまい、MRさんからも、
「先生の緊張が伝わってきます」
と言われるほどだ。

中里先生と仙台から同行したMRさんによると、
「中里先生も、レビューを書いた先生とお会いできるのを楽しみにされていて、何度となくその話をされてましたよ」
とのこと。

オシッコちびらそうとしてんのか、このMRさんは!!

さて、ついにご挨拶。
中里先生にご挨拶した瞬間、
ガシーッ
両手握手!!
あっ……。
オシッコちびったかも……。

そしていろいろお話をさせていただき、最後には持参した『ネコテン』にサインをゲットー!!!


少し冷静になって真面目な話を。

てんかんは、陰陽で言えば「陰」の病気である、現時点では。
「高血圧で薬もらってるんだよー!」
「俺なんて尿酸値が高くてさ(笑)」
と語れるような「陽」の要素はない。

しかし、中里先生の講演、その後のご挨拶を通じて思った。

この先生は、陰を陽にするための先駆者だ!

中里先生の明るさとバイタリティ、情報発信力は、てんかんとてんかん診療に対するイメージを大きく変える。特に「明るさ」は、これまで「陰の病気」として過ごしてきた患者や家族にとっての福音であろう。

ちなみにこの日の講演会。質疑応答で脳外科の若い女医さんが、心因性けいれんとの鑑別にかける期間について質問した。中里先生の著書やツイッターで中里イズムを吸収している俺は、
「鑑別にかけられる期間は、患者の状況による!」
と思った。中里先生の返答も同じだったので、答え合わせとしてホッとした。

憧れの先生ではあったが、実はちょっとイジワルな気持ちもあった。中里先生はツイッターではすごく良いことを書いてらっしゃるし、プレゼンのしかたについてもたびたび語られているけれど、実際はどうなのかなぁ? この目で確かめてみよう、という感じ。

講演を拝聴した結論。

ナマ中里に勝る中里ナシ。

ツイッターで伝わるのは中里先生の魅力や教えの一部に過ぎない、そう強く感じた。

中里先生は、今後どんどんテレビに出なければいけない人だ。
「てんかんあるある」を、明るくおかしく教育的かつ分かりやすく語れる稀有な存在なのだから。


<関連>
「てんかん診療には自信がありません!」と、自信を持って言えるようになる不思議な本 『ねころんで読めるてんかん診療::発作ゼロ・副作用ゼロ・不安ゼロ!』

2017年9月22日

善悪の判断基準を自らの良心ではなくランプに任せてしまうのは、映画の中に限った話ではなく、現実世界に生きる俺たちの中にもあるじゃないか!! 『エクスペリメント』


被験者らを看守役と囚人役に分け、数日のあいだ生活させると、だんだんと看守役は支配的に、囚人役は被支配的な言動となる。そんな実験の話を聞いたことがないだろうか。この映画は、実際にあったその実験を映画化したもので、『es[エス]』というドイツ映画のハリウッド・リメイク版である。

本物の実験は1971年にスタンフォード大学で行なわれたが、被験者らが禁止されていた暴力行為に及んだため危険として中止された。

本作のストーリーは、大方の予想どおりに進んでいく。いろいろとツッコミどころは多かったものの、非常に面白いシーンがあった。

実験前に、看守役にはいくつか指示がなされる。その中には暴力禁止という項目がある。そして、
「指示に反した者がいれば、あの赤いランプが点灯して実験中止になる。その場合、報酬(日給1000ドル)は一切支払われない」
と念を押される。物語が進むにつれて、看守役の一人が特に支配的行動をエスカレートさせていく。囚人役になった主人公の顔を便器に突っ込んだり、皆で小便をかけたりする。明らかな暴力行為だが、赤ランプはまったく点灯しない。ここで看守役の男が自信満々の表情で言う。

「ランプが点灯していないから、ルール違反じゃないんだ。判断基準は、あのランプなんだ!!」

深い。
なんとも深い言葉だ。
看守にこれを言わせるために、監督はこの映画を創ったんじゃないかと思えるくらいだ。

彼らは「模擬刑務所」という特殊な環境だから、こういう心理状態になったのだろうか?

いや、そうじゃない。

今まさに俺たちが生活している日常にだって、似たようなことがあるじゃないか。バレなきゃ良い、いや、バレても罰されないこともある。「暗黙の了解」で、ここまでは違反してもオッケーというのが実際にある。たとえばスピード違反。50キロ制限を60キロで走っていても普通は捕まらない。では、65キロは? 70キロは? どの時点で赤ランプが光るのか。

「判断基準は、あのランプなんだ!!」

自らの良心ではなく赤ランプに善悪の判断基準を任せてしまった彼の弱さ、愚かさは、多かれ少なかれ、現実世界に生きる自分たちの中にもあるのだ。

2017年9月21日

味も素っ気もないタイトルに惑わされるなかれ! ダイナミックに描かれる特殊班捜査に引き込まれる名著!! 『警視庁捜査一課特殊班』


タイトルがシンプルすぎて、あまり人目をひかない。面白いのかどうか不安だったが、読み始めると一気に引き込まれて、ページを繰る手が止まらなかった。

特殊班では、身代金目的の誘拐や企業恐喝などを対象に捜査する。殺人事件と異なるのは、殺人が基本的には「過去のこと」を調べていくのに対して、誘拐や恐喝は「現時点で動いている」事件への対応を求められるというところ。特に身代金目的の誘拐では、特殊班が対応を一つ間違えると、金は盗られ、犯人は逃げ、被害者が死亡するという最悪の事態になりかねない。それだけに、緊張感が尋常ではない。読んでいるほうもドキドキ、ピリピリしてしまうほどである。

多くの事件捜査を詳細かつダイナミックに描いてあり、とんでもない名著に出会えたことに感謝。ただし、のっけから子どもの身代金目的誘拐で、かつ被害者死亡という結末だったので暗澹たる気持ちにもなった。来年度から長女が小学生になるだけに、とても他人事とは思えなかった。

素晴らしい本なので、タイトルをもう少し人目を引くものに変えればいいのに……。なんだかもったいない。

2017年9月20日

『亡国のイージス』からすれば、見劣りしてしまう…… 『川の深さは』


マル暴の刑事を辞め、やる気のない警備員となった主人公を狂言廻しにしたスパイもので、本書の後に発表された大作かつ名作『亡国のイージス』(以下、イージス)へと緩やかにつながっている。ただ、『イージス』という弟があまりに優れているせいで、兄である本書が見劣りしてしまう。

『イージス』に比べれば、分量がおそらく半分にも満たないからか、全体に説明くさくなってしまい、情景描写は不十分で、人物もあまり深めきれないまま終わっている。登場人物は、「あれ? これって名前や役職こそ違うけれど、イージスに出てくるアノ人とアノ人だよね」というくらいステレオタイプ。本書を下敷きにして、より完成度の高い『イージス』を創り上げた、といったところか。

『イージス』レベルのものを期待して読むとガッカリするだろう。

2017年9月19日

魅力的な設定、豪快なストーリーだが、ちょっとパワー不足 『悪夢の六号室』


木下半太の「悪夢シリーズ」は、どれも設定が魅力的でストーリーも豪快である。ドンデン返しも面白いものが多い。

本書ではタイトルにある「六号室」と、となりの「五号室」が舞台になる。エレベーター、観覧車、ステーキハウスなど、舞台をかなり狭く限定するのも「悪夢シリーズ」の特徴で、これは著者が演劇に携わっていることも影響しているのかもしれない。この限られた設定・舞台の中で、登場人物たちが活き活きと動き回るところに「悪夢シリーズ」の魅力がある。

ただ、今回はちょっとパワー不足だった。キャラもドンデン返しもイマイチで、一部に描写の破綻もあったので、良くてせいぜい星3つというところ。

2017年9月15日

アルコール依存症の治療だけでなく、酒と依存症の歴史についても簡潔に学べる! 『アルコール問答』


架空の患者夫婦と、精神科医なだいなだのやり取りという形式で書かれている。アルコール依存症(本書では主に「アルコール中毒」という言葉が用いられている)についての著者の考えだけでなく、酒や依存症の歴史についても考察してあった。分量の少ない新書なので、そう深く突っ込んであるわけではない。簡潔にサラッと学べるのは短所もはらむが大いなる長所である。

次年度からアルコール依存症との関わりが増えそうなので、アルコール関連の本を探すうちに本書を見つけた。なだいなだの本は、まだ経済学部生で、医師になるなんてこれっぽっちも思っていなかった時期に何冊か読んだ。あまりピンとこないというか、パッとしない印象だった。あれから22年がたって、精神科医の大先輩であり、日本のアルコール依存症治療における先駆者として、著書から学ぶことが多いのに驚いた。

本との出会いは、人との出会いと同じく、タイミングや縁というものが大きく関係するのだろう。

2017年9月14日

交通事故の偽装を見破れ! 『現場痕』


交通事故と損害保険をテーマにしたミステリ短編小説集である。主人公は元刑事で、損害保険の代理店・志摩平蔵。愛妻を交通事故で喪ったことがきっかけで刑事を辞め、損保代理店として働いている。元刑事としての観察力や執念で、偽装された事故を追究し、無念の被害者を救い、卑劣な偽装犯を炙り出す。

著者がもともと生損保代理店を経営していたこともあって、損保にまつわることが分かりやすく書いてある。六つの短編はどれもそれなりに面白いのだが、ミステリの伏線や謎解き部分がシンプルすぎたり、冗長だったり説明的すぎたりという欠点はある。また別々の時期に発表された短編をまとめたものなので、主人公をはじめとした主要人物に奥行きが感じられず、その点ではちょっと残念だった。とはいえ、魅力的になりそうなキャラが多いので、いずれ長編小説にしてもらいたいと思うような素敵な一冊だった。

2017年9月13日

医師免許がなくてもなれる「こころ医者」とは? 『こころ医者講座』


アルコール依存症を専門とする精神科医なだいなだによる、「こころ医者」になるための心得を語った本。精神科医になるには医師免許が必要だが、こころ医者には免許が必要ない。大切なのは、「こころ構え」「こころがけ」といった「こころのありかた」である。

人との付き合いかた、接しかたに通底するようなことが書いてあるので、対人援助の仕事についているかどうかや、相手に精神疾患があるかどうかに関係なく、誰が読んでも得ることの多い本である。

身近にアルコール問題や精神疾患を抱えている人がいたり、自らが対人援助職についていたりという人なら、なおさら「こころ」にしみて、良い「こころ医者」になれるかもしれない。

2017年9月12日

野球の実況、テレビとラジオの違い

野球実況のやりかたは、テレビとラジオで大きく違う。ある番組で徳光和夫が説明していて、非常に納得する内容だった。

ラジオではリスナー側に映像がないので、それを言葉で補ってやらなければいけない。
「カウント、ノーボール、ツーストライク、追い込んでいます。桑田、一塁ランナーを警戒して、第3球投げました! 打った! ショート正面! あっと、エラー! 拾ったボールを……、あ、もう投げません。ランナー1塁2塁となりました。打った清原ガッツポーズ!」
といった具合に、目の前の光景を逐一言葉にする。

この番組で、素人にテレビ実況をやらせてみたところ、上記のようなものになってしまった。「言われなくても見れば分かる」ことも、一つ一つ実況されると、観ているこちらはくどく感じてしまう。徳光は言う。

「テレビでは、わざわざ言葉で伝えなくても、観ている人は映像で充分に分かる。だから、なるべく無駄な言葉は省いて、それ以外の情報を届けるように心がけている」

これはなにも実況に限った話ではなく、「話し言葉」と「書き言葉」の関係でも同じことが言える。また、実は精神科の診療場面でも、いや診察以外のもっと多くの日常の場面でも同様のことがあるのではなかろうか。つまりどういうことかというと……、いや、敢えて書かないでおこう。

わざわざ言わなくても良いことは、言わないに限るのだから。


ところで、徳光はアナウンサーを目指していた当時、電車に乗ると車窓からの眺めをすべて小声で実況していたそうだ。
「電車が発車いたしました。ホームを出ますとまず右手に見えますのが……」
といった調子で、ひたすら「間を空けない練習」をしていたらしい。

2017年9月8日

日本中の「アル中」たちが読むべきだ! 『今夜、すべてのバーで』


アルコールは怖い。

仕事がら、アルコールで身体や精神の健康を損ね、仕事を失い、家庭を壊した人を何人もみてきたし、中には離婚後に自らの命を断ってしまった人もいた。酒をほんの一口飲むだけで吐き気がするほどボロボロの体になって、それでも酒をやめられない人。医者から、不眠やうつ状態に酒が悪影響を与えていると指導されても飲んでしまう人。子どもたちから嫌われ、妻から愛想を尽かされ、親きょうだいが離れていっても、なお酒を求める人……。

俺自身、酒の味が好きだし、酔った状態を気持ちいいと感じるし、飲み始めると度が過ぎることが多いので、アルコール依存症と自己診断を下している。「まだ」問題が表面化していないだけで、「いつの日か」問題になるのではなかろうか。いや、もしかすると妻に言わせれば、「現時点で」充分に問題ありなのかもしれない。それでも酒はやめられない。だから、依存症なのだ。

本書は自身が重度のアルコール依存症でもあった中島らもによる小説。巻末には参考資料や引用文献が記載されており、著者が自ら抱える「アルコール依存症」についてかなり勉強したことが分かる。ストーリーはシンプルだが、日本語がきれいで読みやすく、アルコール依存症の怖さがよく分かり、かつコミカルな部分や青春小説のような趣きもある。こういう本は稀有である。

余談ではあるが、読んだのが古本で1994年の第1刷で、見る限りで誤字や誤植は一つもなく、おかしな日本語も見当たらなかったことに感銘を受けた。著者、編集者、校閲、組版といった本作りに携わる人たちの意気込みさえも伝わってくるような一冊だった。

日本中の「アル中」たちにぜひ読んで欲しい!!

2017年9月7日

「当たる」占い師が流行るわけではない

どこそこの占い師が当たる、という噂はよく耳にする。飲み会でも、特に女性がそんな話をする。そして、俺は毎回、酔っ払いながらも以下の説明をする。

人が誰かに勧める占い師は、当然ながら当たった占い師だけだ。当たらなかった占い師の話など、ほとんどされない。されても、聞いた方はそれをわざわざ覚えようとはしない。占い師のところに行くときには、多くの人が「当たると教えてもらった」占い師のところへ行く。

占い師に言われたことが、ズバリ当たる人もいれば、ハズれる人もいる。そして当たった人は広めまわり、ハズれた人はこんなものかと思うだけ。こうして、「当たる」という話題はどんどん広まり、「ハズれた」という話はすぐ消える。流行る占い師の所へは多くの人が訪れるから、必然的に当たる人の絶対数が増える。つまり、一度「当たる」という評判さえ作ってしまえば、その占い師は「当たる占い師」として食べていけるのだ。

そういう感じの説明をした後に、

「だから、占い師の言うことなんて信じるな」

そんなことを言う。そうすると、相手は少し感心したような顔をしてこう言う。


「ねぇねぇ、先生ってA型でしょ?」

……。


そうそう。


血液型占いというのはね……。


そしてまた、俺の長説法が始まる。

<関連>
血液型占いなんて信じない、でも……
断言しよう、血液型占いは当たるのだ。

2017年9月4日

読書人生、損するところだった! 『亡国のイージス』


こんなスゴい小説を見逃していたか……。危うく、読書人生で大いに損するところだった。

ストーリーをまったく知らずに読んだのも幸せだった。だから、ここでも内容についてはほとんど触れないでおきたい。タイトルに「イージス」とあるとおり、海上自衛隊のイージス艦が関わってくるというくらいは書いても良いだろう。

どういうジャンルの本か、ということさえネタバレになりそうで書きたくない……。

いやはや、面白すぎる小説というのは、お勧めレビューが書きにくいものだ。



以下、多少のネタバレはOKという人に。

ストーリーは、スパイ小説と軍事・戦争小説、人間ドラマをうまく混ぜ合わせたようなものだった。戦艦やミサイルや銃器の名前が頻出するので、詳しくない人には場面が想像しにくいかもしれない。ただ、俺もあまり詳しくはないが充分以上に楽しめたので、きっと大丈夫。物語の中心はあくまでも「人」だから。SF小説が空想科学を土台にして「人間を描く」ように、本書も舞台はスパイや軍事・戦争ではあるが、描かれるのはそこに生きる人間たちだ。それもとても巧みに、そして熱く。

超絶お勧め。

2017年9月1日

あなた、依存症ですよ。 『人はなぜ酒を飲むのか 精神科医の酒飲み診断』


薬物依存症の一つとして考えられている「アルコール依存症」の診断基準は、ICD-10、DSM-5の「薬物依存症」に詳しく書いてある。

ただ、俺の外来ではもっとシンプルに、以下のどれかに当てはまるようなら「依存症ですよ」と注意を促すことにしている。

1.飲み始める時間を守れない。
  その日に予定があるから、それが終わるまでは飲まない、ということが守れない。

2.飲み終わる時間を守れない。
  明日、大事な用があるので23時に切り上げる、と決めていても、ついつい午前様……、となってしまう。

3.飲む量を守れない。
  深酒しないようにと心に決めているのに、飲み始めるとどうしても深酒してしまう。

これ以外にも、採血異常があることを分かっていてもやめられない、不眠を悪化させると言われてもやめられない、精神科の薬との飲み合わせが悪いと指導されてもやめられない、といったことがあれば、「依存症ですよ」と伝えている。

「わたしは依存症になりかけですかねぇ?」と自嘲気味に、しかし本心では大丈夫と思っている様子で笑って話す人は多い。そういう人に真顔で「依存症ですよ。なりかけなんかじゃありません」と伝えると驚かれるし、中には本気で否定してくる人もいるが、それでもやめられないのだから依存症だろう。

そういえば、過去に読んだ本では「家族や同僚が困っているのに、やめられなければ依存症」というものもあった。

こうして書きながら、あぁ俺も依存症なのだな、と思う。幸い、家族がひどく困っていることはなさそうだし、仕事があるのに朝から飲むなんてことはしないし、いまのところ身体的にも精神的にも支障はないけれど、終わる時間や量に問題が……。

本書は多くの症例が紹介してある。アルコールによる身体への害もさることながら、家庭、社会生活、人間関係、「人としての尊厳」などを壊すアルコールの怖さを痛いくらいに感じた。

節酒! 

そう、俺は節酒します!! 

たぶん……。


ちなみに、著者の中村医師は下戸とのこと。