2014年12月29日

ややこしい「%」 『統計という名のウソ ― 数字の正体、データのたくらみ』

「%」は生活の中で馴染み深いものだが、その扱いや解釈にはちょっとした落とし穴がある。

「ある株価が1990年から2000年の間に50%下がったが、2000年から2010年の間には95%上昇した」
と聞いたとしよう。さて、1990年と2010年の株価は、どちらが高値なのだろう。

1990年の株価を1000円とする。それが2000年までに50%下がれば500円である。そこから2010年までに95%上がれば、「500+500x0.95」で975円となる。1990年の1000円のほうが高いのだ。

いや、そんなこと言われなくても分かっている、という人は良いとして、ちょっとでもアッと思うところがあった人には本書を勧める。

統計という名のウソ ― 数字の正体、データのたくらみ

決して難しい専門書ではなく、統計や数字というものを見る時の心構えのようなものがたくさん示されている。本書を読めば、データを見るのが少し面白くなること請け合いである。

2014年12月26日

薔薇盗人


浅田次郎の短編集。可もなく不可もなく、さらっと読んでそれなりに面白いという感じ。

2014年12月22日

DQNネーム、キラキラネームとは何ぞや!?

DQNネーム(読み方はドキュンネーム。バカがつける名前という揶揄を込めてある。最近はキラキラネームというらしい)があれこれ責められているが、ほぼ全ての書類で名前は「よみがな」を書かないといけないし、苗字ですら読めない人も結構いるわけだし、歴史上の人物をみても読み方がさっぱり分からない人が多数いて、今さらDQNだキラキラだと目くじら立てて言うほどのものかなぁと常々疑問なわけである。

だいたいDQNネームならぬ、キラキラ苗字の人はどうすりゃ良いのよ!? 四月一日、小鳥遊という苗字の人もいるわけで。
「いや、それは珍しいから覚えられる」
というのなら、DQNネームも珍しいから覚えろよ。

だいたい、今や全てがスマホかPC管理。名前がDQNで困るのは登録の時くらいだが、それも名乗るほうが生活するうちに「コハクのコに……」とかなんとか、自分の名前の簡単な登録方法は編み出しているだろう。

もっと言うなら、音読みマンセー、訓読みマンセー、みたいなのってどうなんだろう? 音読みはもらいもの、訓読みは日本の独自製法で、ある意味、訓読みこそDQNネームのはしりみたいなものである。例えば子どもから、普通の日常漢字を指さして、「なんでこの漢字をこう読むの?(訓読み)」と聞かれて答えられる人、ほとんどいないでしょ。

では、どういうのがDQNネームかというと、それは「無理な読ませ方」ではなく、「名前の響き」に対して言うべきじゃないかな。たとえば「運子」とか「悪魔」とかね。

読めないからDQNネームというのは、ちょっと時代が古いかな。

「ひらがな」文化を持ちつつ、名前にあえて漢字を使うのは日本人の「粋」であるし、その流れに逆らって平仮名や片仮名の名前をつけるのも「粋」である。そして、そこからさらに一歩踏み出したのがいわゆるDQNネームだ。「イチロー」が「逆に新しい」なんて言われるのと同じで、DQNネームもいずれ「逆に古臭い」ということになるのだろう。

話は少し変わるが、学生時代に小児科をまわった最終日に出したレポートは「名前について」である。大学病院だから数ヶ月後に亡くなる子がたくさんいて、どんな子も、読みにくかろうと、読めなかろうと、ご両親が一生懸命に考えてつけたはずの名前があった。それぞれ一文字ずつ漢字の意味を調べて、ご両親の願いや祈りに想いを馳せた。家族に寄り添うということの第一歩は、そういうことなんじゃないかな。

<関連>
「陽翔」「莉琉」「惺梛」「心愛凜」 「赤ちゃん名づけ」年間ランキング

統計はこうしてウソをつく-だまされないための統計学入門


同じ人が書いた続編にあたる『統計という名のウソ』のほうが読みやすくて面白かったが、本書も充分すぎるくらいの良書だと思う。

もっともっと読みやすくして、たとえば小学校高学年や中学生くらいでも読み通せるような本ができれば、ぜひとも我が子らに読ませたい。今のところ、そういう本を知らないので自分で教えていくしかないかなぁ、なんてだいぶ先のことを想像している俺であった。

2014年12月19日

色のない島へ-脳神経科医のミクロネシア探訪記


神経内科医のオリヴァー・サックスによる旅行記だが、その旅行はただの観光ではなく病気の調査を兼ねている。

最初は先天性の全盲が人口の5%にも達する島のあるマルケサス諸島へ行き、次は筋萎縮性側索硬化症(ALS。つい最近、アイス・バケツ・チャレンジで有名になった)やパーキンソンと似た症状を示すリティコ-ボディグと呼ばれる病気に関して意見を求められてグアムへ。

旅行記が6割、3割が病気の話、1割がソテツの話(リティコ-ボディグの原因という仮説がある)といった感じ。

2014年12月18日

働かないんじゃない! 出番がないだけなんだ!! 『働かないアリに意義がある』

アリの群れの中には仕事をしない個体が必ず2割いて、その2割だけを取り出してみると、やっぱりその中の2割が仕事をしない。

そんな話を聞いたことがないだろうか。その逆もある。つまり、働き者の8割だけを取り出しても、全員が働き者になるわけではなく、その中の8割だけが仕事をする集団になる、といったものだ。

2割、8割といった数字は正確ではないにせよ、確かにアリの世界では働き者と怠け者が必ずいるようだ。ではなぜそういうことが起こるのか。どういう仕組みになっているのか。それを本書が教えてくれる。


働き者の代名詞にもなることがあるアリだが、なんと驚いたことに、実は7割のアリは巣の中にいて何もしていないそうだ(働かないアリは2割どころではない!)。また生まれてから死ぬまで働かないアリもいるのだとか。なぜそんな働かないアリがいるのかということの説明として、『反応閾値モデル』というのがある。

アリには刺激に対する反応閾値(これ以上の刺激があったら反応する)があり、その閾値が個体ごとに少しずつ違う。これを筆者は人間集団と部屋の散らかり方で説明している。きれい好きな人を10人集めれば、ちょっとでもゴミがあったら拾わないと気が済まない人と、少しくらいのホコリなら平気という人がいる。その結果、超キレイ好きな人がサッと部屋を片づけるので、多少のホコリには目をつぶる人たちの出番がない。そんな出番のない人たちを10人集めたら、やっぱりその中でキレイ好きのレベルが違うので、出番のない人たちが出てくる。

アリの世界も同様に、「働かないアリ」というよりは「出番がないアリ」が一定数いるということである。

この話以外にも、アリの群れがエサ場までたどり着く最短経路を見つけ出す方法の話も面白かった。発見者の出したフェロモンを正確に辿るより、道を間違う個体がいるほうが、何往復もするうちに徐々に最短経路に近づいていくのだ。間違える者がいるから正解に近づけるというのは、精神科診療でも活かせる場面がありそうな気がする。

とまぁ、そういうことが書いてある前半は読みやすかったが、遺伝の話なども出てくる後半はちょっと取っつきにくかった。

それでも金を払う価値はある本だと思う。

2014年12月3日

コットの意味は?

ある日、看護師からの指示伺いで「コットが3日ありません、下剤の処方をお願いします」というのがあった。文脈でコットは大便のことだろうと分かったのだが、大便のことをコットというのを初めて聞いたので驚いた。

他の看護師を何人かつかまえて、
「コットって何のことか知ってます?」
と尋ねたら、みんな当たり前のような顔をして、
「便でしょ」
と言う。

医学部の学生時代に、
「何の略か知らずに略語を使うな。元の言葉を知らずに外来語を使うな」
という指導があったので、こういう時はまず調べる。すると、ドイツ語「kot」のことだった。

医師の使う言葉も英語・ドイツ語・日本語のチャンポンだが、看護師も似たようなものらしい。

雨あがりの朝に

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蜘蛛と雲によって織りなされたコラボレーション作品。

早朝、その見事な作品を見て、すぐに家からカメラを取り出して撮影。

2014年12月2日

慢性疾患では、維持期にこそ医師の力量が問われる

慢性疾患をあつかう医師の力量の差は、穏やかな維持期をどれだけ良好に長く保たせるかにこそあらわれる。たいがいの慢性疾患において、急に悪くなった時の治療というのはある程度パターン化されていて、一定レベル以上の医師であれば誰がやっても治療成績にそう大差はない。

例えば、精神科での慢性疾患の代表である統合失調症の場合、ある程度の経験さえあれば急性期の治療はそう難しくはない。精神科医の腕の見せ所は、急性期から回復し退院した後に、どれだけ長く穏やかな日々を保たせるかにある。通常、新人がいきなり外来を任されることがないのは、「維持期の維持」が一見漫然としているようで、実は高度な診療であることの証左であろう。

テレビやマンガで扱われるのは、どちらかというと救命救急のような急性期を見事に切り抜ける医師たちの姿である。しかし、多くの医療現場ではむしろ、「維持期をいかに長く保つことができるか」が大切になる。医師と患者の信頼関係を基底にして、生活指導、処方の調整、短期入院などの適切な介入を絶え間なく行ない続けるのだ。

ただ、こういう日々のコツコツした積み重ねというのはドラマチックではないので、あまり表に出ることはない。医療というのは、患者や家族には見えない水面下で驚くほど足をバタバタさせているものなのである。

シャボン玉、空へ

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子どもの時、大人になってから、そして親になってからとで、自らのシャボン玉を見つめる眼差しというか、想いというか、そういうものが少し変化していることに気づく。

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シャボン玉は、ため息も祈りも、脆く優しく包み込んで、空へとのぼる。
日常に少し疲れたら、シャボン玉を買って飛ばしてみると良いかもしれない。

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シャボン玉の行く末を見届けたなら、さぁ、とりあえず一歩。

降霊会の夜


浅田次郎の長編小説、というより主人公がふとしたことから参加することになった降霊会を中心にした中編を二つ組み合わせたような感じ。

降霊会ということでオバケものかと思わせ、確かにオバケが出てくるのだが、中身はホラーでもなければオカルトでもなく、人間による人間くさい話。

読み耽ってしまい、あっという間に読み終えた。

単行本のレビューも参考に。