2018年1月31日

エラー防止策を人任せにせず自らも関わる意識を持つために一読して欲しい一冊 『ヒューマンエラーを防ぐ知恵』

ある男が静かな田舎に引っ越した。ところが、早朝に近所のニワトリの鳴き声がうるさくて熟睡できない。そこで、男は睡眠薬を買いに行った。そして、その睡眠薬をニワトリのエサに混ぜた。


この笑い話を、事故分析と事故予防を考えるうえでの重要な教訓であると本書は指摘する。

うちの病棟で、Aさんの薬をBさんに飲ませてしまう誤投薬が発生した。この誤投薬は、これが初めてというわけではなく、何ヶ月かに1回は報告があがってくる。こうしたエラーを、個人の注意力不足のせい、あるいは資質のせいにしてしまうと、「今後はもっと注意しましょう」「あの人には負担のかかる仕事は任せないようにしよう」という結論で止まってしまい、本質的な解決には結びつかない。もっと建設的に、どうやったら防げるかを考えたり、そのための本を読んだりするのもチームリーダーである医師の仕事であり、また病棟医長としても大切なことだと考えている。

さて、この本がどうだったかというと……、医療におけるヒューマンエラーに関して医学生時代から興味を持ってあれこれ読んでいたので、目新しいものはそうなかった。ただ、そういう類の本を読んだことがない医師や看護師には、一度は読んでみて欲しい。特に医師には、病棟でのエラー防止策を看護師任せにせず自らも関わる意識を持つために一読して欲しい本。

2018年1月30日

水道のリチウム濃度が高いと、犯罪率・自殺率が下がる!?

1990年、米国テキサス州で「水道水のリチウム濃度が高い地域では自殺率や犯罪率が低い」という発見があった。そこで、大分県でも調査されたところ、確かに水道水リチウム濃度が高いと自殺率が低いことが分かった。さらに、オーストラリアの全99州においても同じ結果であった。これらについて、社会経済的要因や医療要因などを補正しても、やはり「水道水のリチウム濃度の高さと自殺率の低さは関係がある」ということが確認された。ただし、イギリス東部の調査では相関関係は認められなかった。

炭酸リチウムは躁うつ病の治療に使われる薬で、商品名はリーマスという。リチウムは最も軽い金属元素で、長時間のうちに海水中などを循環しつづけている。その海水中には、およそ2300億トンのリチウムが溶けていると言われている。

テキサスや大分、オーストラリアで調査対象となった地域の水道水のリチウム濃度は、いくら高いといってもそう極端に高いわけではない。普通の治療に必要な量を水道水のリチウムで摂ろうとするなら、毎日60トンの水を飲む必要がある。言い換えるなら、それほどに薄い水道水リチウムでも、犯罪率や自殺率を少し下げる程度の効果はあるということだろう。

上記は『臨床精神医学』を読んでいて、一般の人にもなかなか面白い話題だと思ったので紹介することにした。



2018年1月29日

軽めの心理学をどうぞ! 『Qのしっぽはどっち向き? 3秒で人を見抜く心理学』

おもしろい実験がある。

被験者に新聞を渡し、「この中の写真を数えるように」と指示する。実は新聞の中には半ページ大で「これを見たと報告した人には1万円あげます」と書いてあるのだが、普段から「自分はツイていない」と思っている人は見つける確率が低く、「ツイている」と考えている人は高かった。


この実験から、筆者は、
「日頃の思考・行動の習慣が運・不運に影響するのだ」
と言う。なるほど一理あるかもしれないが、それよりは、『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?』で紹介した実験と同じ人間の認知力の面白さを示しているように感じる。

ちょっと飲み会で使えそうな心理テストもあった。それが本書のタイトルである。
まず、何も考えずに、アルファベットの「Q」をおでこに書いてみよう。さて、Qのしっぼはどちら向きになっただろうか。これはあなたの嘘つき能力をチェックするものだ(あくまでも能力であって、嘘つきかどうかを調べるものではない)。

しっぽが顔の左側にある人、つまり相手から見て読めるように書いた人は、セルフモニタリング能力が高く、他人の目を気にする傾向がある。他人に注目されるのが好きで、自分が置かれた状況に適した行動をし、他人に自分をどう見せるか操作することができる。つまり、嘘をつくのが上手いということらしい。

逆に、しっぽが顔の右側、つまり自分が読めるように書いた人は、セルフモニタリング能力が低く、どんな状況であっても常に「同じ自分」でいて、自分の内的感情や価値観に従って行動し、自分の行動が周りの人に与える影響をあまり意識しない。つまり人をだますのが下手。

本書の中に面白いジョークが出ていた。
ホームズとワトソンがキャンプをしていた。星空の下にテントを張って眠ったが、夜中に眼を覚ましたホームズがワトソンを呼び起こした。
「ワトソン、天を見上げてごらん。何が見える?」
「無数の星が見える」
「そこから、何が分かるかい?」
「えへん、無数の星があるということは、なかには惑星があるかもしれないということで、地球のような惑星があることももちろん考えられる。だとしたら、生物がいるかもしれない」
すると、ホームズが言った。
「ワトソン、どうかしてないか? 誰かにテントを盗まれたってことじゃないか」
軽めの心理学の本。そこそこ面白い。

2018年1月26日

治療のパラメータについて。それから、長期で勤務することについて。

薬を、始める、増やす、減らす、やめる。こういうときは、なるべく一種類に留めるべきだ。複数の薬を同時に変動させると、効果にしろ副作用にしろ、得られた結果がどの薬によるものなのか分からなくなるからだ。

これを「動かすパラメータは、なるべく少なくする」と言い換えてみる。そして、薬だけでなく、治療全体にあてはめて考えてみよう。

入院患者を例にする。

患者は一人で入院生活をしているわけではない。集団で療養生活を送っており、医療者も知らないような人間関係がある。この個々人をパラメータと考える。複数の患者で同時に治療方針を変更した場合、それぞれの症状の変化が互いに影響しあうことが予想される。最終的には病棟全体の雰囲気にも影響を与えるだろうが、ふり返ってみても、誰のどの変化が原因なのか分かりにくい。

さらに拡げて考える。

スタッフや医師も治療のパラメータだ。そして、異動や定年退職は、パラメータの大きな変化である。異動時期に治療方針の大きな変更をかぶせると、患者の変化が「主治医の変更によるもの」なのか「薬の変更によるもの」なのか、そういう結果のフィードバックが困難になってしまう。

こういうわけで、異動時期の前には治療の大きな変更をしにくい。となると、医師が1、2年で異動してしまうような病院では、全体的として治療の変更に手を出しにくい状況が続くことになる。へき地病院で、月1、2回の出張診療を医師が入れ代わり立ち代わりでやっている精神科だとなおさらで、ずいぶん昔の初診医師のトンデモ治療が延々と変更されずに踏襲されていることがある。これが、決まった医師が行く場合には、たとえ月1回でも若干の修正が可能となる。

これとは逆に、赴任した医師が長く留まると分かっている場合は、診断見直しも含めた治療方針の変更に、じっくり腰を据えて取り組むチャンスである。一ヶ所に長く勤める医師が「名医っぽく見える」のは、このチャンスのおかげだろう。

多くの場合、医師も患者も、任期がどれくらいになるかは知りようがない。幸いにして、自分は赴任時点で長居することが分かっていたので、チャンスをたくさん与えてもらった。そして、退職が間近となり、治療方針の変更には臆病になってしまった。もはや「長くみる」という魔法の杖は使えなくなったわけで、この杖を次の医師らにうまく引き継ぐのが最後の仕事になる。

2018年1月25日

もう一歩だけ踏み込みが欲しい 『ツナグ』


「ツナグ」と呼ばれる使者を介して、一生に一度だけ死者に会うことができる。

この設定に目新しさはまったくない。こういう話は溢れかえっていて、「あぁまたか」という気持ちにさえなる。ただし、同時に非常に魅力的な空想設定でもある。それは、俺にも「会いたい人」がいるからだ。きっと、誰にでもそういう人がいるのではなかろうか。

この陳腐で魅力的な設定を、著者がどう料理するかを楽しみに読んだのだが……。うーん、踏み込みがあと一歩足りなかった。痒いところに手が届きそうで届かない……。残念。

2018年1月24日

アメリカTVドラマ『ライ・トゥ・ミー』のモデルとなったエクマン博士による徹底的な表情の研究 『顔は口ほどに嘘をつく』


この本は決してエセ科学やトンデモ本ではない。著者のポール・エクマン教授は、アメリカドラマ『ライ・トゥ・ミー』の主人公カル・ライトマン博士のモデルとなっており、「世紀の傑出した心理学者100人」にも選ばれているのだ。

エクマン教授は顔の表情を研究するために、40種類以上とも言われる表情筋を一つ一つ動かせるようトレーニングをし、また自分では動かせない筋肉には電極針を刺して強制的に動かして記録するという荒業までもやった。そうして筋肉の組み合わせによって作られる1万以上もの表情を記録し、FACS(表情記述法)というものを考案・出版した。これは現在でも世界中で、表情に関連する精神医学や犯罪捜査の分野で幅広く利用されている。

本書は読心術のようなものではなく、顔のパーツそれぞれの微妙な動かし方から、悲しみや「怒り、嫌悪や軽蔑といったものを感じ取り、見抜き、そこからさらにそういう表情を見た時にどう対応するか」といったところにまで踏み込んでいる。

冒頭に14枚の写真が提示され、それぞれ1秒以内、ほんの一瞬だけ見て、その写真の表情が示す感情を、怒り、恐れ、悲しみ、嫌悪、軽蔑、驚き、喜びに分類するテストがある。5枚以上が正解ということはほとんどないらしい。俺は7枚正解だったが、それが精神科医という職業柄なのか、それとも生活の中で培われたものなのか、あるいは単なるマグレ当たりなのかは分からない。

2018年1月23日

ストーリーだけなら星4つか5つだったが、設定その他で減点されて星3つ…… 『終戦のローレライ』



なんとも評価しにくい小説。

本書の最大のマイナス点は、登場人物に内面を語らせすぎること。分量の多い大作ではあるが、登場人物たちの語りはもう少しコンパクトにするほうが良いのではなかろうか。

SF的なものが織り込まれているが、SF小説というよりは歴史伝奇小説の部類に入りそうだ。脳波の実物をみる機械もあり、脳についての勉強を少しはしている身としては、中核となる設定が「いくらなんでも、ありえないな……」というもので、いまひとつ入り込めなかった。

それから、終章はかなり余計で、蛇足とさえ言えた。全体的なストーリーはまずまず。潜水艦同士の戦闘は非常に面白かったので、これだけなら星4つか5つといったところ。

差し引きで、星3つ。

大作をようやく読み終えて、自分の感想が星3つのときには、ちょっと落胆してしまう。

2018年1月19日

妄想を、否定しないで修正できるか

「薬を飲みたくないんです」
「どうしてですか?」
「自分の霊感は本物なのに、薬を飲むと霊感が弱められるから」
「なるほど。ところで、霊感で得したことはありますか?」
「いいえ」
「困ったことは?」
「あります」
「それなら、霊感が弱まるほうが良いのでは?」
「そうですね(笑)」

妄想を否定せず、内服継続に結びつけた会話の一例である。

たとえば「家族が死んだ」という妄想のある入院患者に、何度「生きていますよ」と訂正してもなかなか納得してくれないとする。この訂正は、相手からすると「否定」であり、どうにも具合が悪い。

そこで、
「もし亡くなったと連絡があれば、あなたには真っ先にお知らせしますね」
という返しかたをしてみる。こうすれば、相手を否定する言葉の「圧力」は弱まる。それに、もしこれに対する相手の返事が「お願いします」であれば、「家族が死んだ」という妄想は少し緩和・修正されたようなものである。

こんなふうにして、特に精神科医は、診療ツールとしての言葉をひたすら工夫してみなくてはならない。

2018年1月18日

ダマされないために! 『あなたもこうしてダマされる』


表紙の絵から「詐欺に騙されないための本」くらいに思っていたが、もっと骨太で、社会心理学とか広告技法とか、そういう分野について様々な研究結果をもとに書かれている名著だった。敢えてマイナス点をあげるなら、「はじめに」の部分が退屈で、そこは読み飛ばして良かろう。

いくつか非常に面白く感じた部分があったので、少し紹介したい。

まず、以下の質問について考えて欲しい(できれば、回答を紙に書いたほうが面白い)。

1.トルコの人口は3000万人より多いか否か?
2.トルコの人口をできるだけ正確に見積もるとどれくらいか?

さて、答えは用意できただろうか。

ここでタネを明かすと、質問1の「3000万人」というのは適当に選んだ数字である。そして、多くの人は2の回答で、この3000万という数字に影響されてしまう。なお、実際のトルコの人口は8000万人弱である。

この他にも様々な心理的誘導とも言うべき手口が紹介されている。たとえば商品の値段について。日本のスーパーだと「1000円」より「980円」と、キリのいい数字より端数のほうが多い。そして、「1000円を600円」より「980円を580円」のほうが値引き幅が大きいと感じる人が多い、といった話もある。

最後に、ダマされないために別の視点から問題を見直すというテーマで書かれていたジョークを紹介。

若い司祭が司教にたずねる。
「祈りながらタバコを吸ってもよろしいでしょうか?」
司教はきっぱりだめだと答える。そのあと、若い司祭は、祈りながらタバコを吸っている先輩司祭を見つける。若い司祭は先輩に注意する。
「祈りながらタバコを吸っちゃいけません! 司教にたずねたら、ダメだと言われました」
それを聞いた先輩司祭、
「そりゃ変だな」
続けてこう言う。
「タバコを吸っているときに祈っても良いですか、とたずねたら、どんなときでも祈っていいと言われたよ」

2018年1月17日

いつか加害者家族になるかもしれない人、つまり、すべての人に読んでみて欲しい 『加害者家族』


事件・事故を起こした人に対して、ネットでは「死刑にしろ」なんて極端な意見が飛び交う。また「家族も同じ目に遭わせてやれ」といった危険で扇情的な叫びもある。

でも、こう問われたら、どうだろう。
「あなたや、あたなの恋人、配偶者、親兄弟、親戚、親友が、いつ加害者になるとも分からないんですよ。それでもあなたは同じことを言い続けますか?」

つい先日、友人の母が交通死亡事故を起こしたらしい。そう、我々は、被害者になるのと同じくらいの確率で、加害者になる確率もあるのだ。そして、被害者や被害者家族と同じだけの数、加害者家族がいるということだ。

被害者に同情するのは当然だし、被害者家族を守るべきなのも当たり前のことだ。加害者を憎む気持ちも自然だ。だがしかし、加害者の家族を責めてどうなる? 育て方の問題? 確かにそうかもしれない。もっと早くに兆候に気づくべきだった? それもそうだろう。加害者家族が苦悩する姿を加害者が見て苦しむのも、罰の一つ? そういう面もあるかもしれない。それでも確実に言えることは、

「事件・事故を起こしたのは、加害者家族ではなく、加害者本人である」

ということだ。

それでも加害者家族を責める感情は自由だし、口に出して悪態をつくのも良いだろう。だがしかし、加害者家族の名前や住所、勤務先、顔写真などを見つけ出して曝してまわるような権利など誰にもないはずだ。現実には、「我こそは正義なり」といった人たちによって、加害者家族が自殺に追い込まれるケースもあるようだ。

「それもこれも、加害者が事件・事故さえ起こさなけれ良かった話だ」

そう簡単に言えるだろうか。

加害者家族を攻撃する人は「正義の鉄槌を下した」と満足するのかもしれないが、その独善的な考えは、犯罪加害者の思考と紙一重ではなかろうか。いや、怖さで言えば、すでに捕まった加害者よりも、「独善的な仕置き人」のほうがはるかに怖い。

本書は、事件・事故の加害者家族を何人か取材し、さらに国内のデータや海外のケースや対策などを通して、加害者家族とはどういうものかを描いている。薄い新書なので、とことんまで突き詰めるといった感じではないが、考えさせられることの多い本だった。

いつか加害者家族になるかもしれない人、つまり、すべての人に読んでみて欲しい。また、加害者には絶対に読んで欲しい。あなたの起こしたことが、あなたの家族をこんなにも苦しめているのだということを知って欲しい。

2018年1月15日

疫学をテーマにした感染症パニック小説 『エピデミック』


疫学をテーマにした小説である。登場人物の中に疫学について知らない人がいて「やくがく?」と尋ねていたのが面白かった。もしかすると同じような間違いをする人がいるかもしれないので一応書いておく。これは「えきがく」と読む。

関東のある県で発生した致死率の高い非定型肺炎をめぐって、疫学チームが感染の「元栓」を締めるための調査に奔走する。ミステリ、サスペンスのような要素も入っており、ストーリーは飽きさせない。極端すぎるキャラづけをされた登場人物はおらず、多少のエキセントリックさはあっても、どこにでもいそうな人たちばかりだ。そして、そんな彼らが感染症パニックに対して右往左往する姿は非常にリアルである。

アタリ小説だったが、平成29年12月時点で書籍は絶版、kindle化もされていないようでもったいない。

2018年1月12日

「すごく簡単で、でも実はけっこう難しい」 悩める父母らにお勧め 『不登校は1日3分の働きかけで99%解決する』


仕事柄、不登校の相談を受けることが多いので読んでみた。非常に平易に書かれており、また勧めてある方法も難しいものではない。「すごく簡単で、でも実はけっこう難しい」というものだが、悩める父母らにはぜひ一読してもらいたい。

ポイントは、父母から子どもへ「褒める言葉のシャワー」をかけ続けてあげること。実際の臨床場面では、その逆の「ネガティブ・ワードのシャワー」を浴びせ続けている父母も多い。そういう人たちに「ポジティブな言葉で褒めましょう」とアドバイスするだけでは、きっと何も解決しない。もちろん、もっと具体的な方法が本書には記されているので、非常に参考になる。

ただきっと本質的には、この先生の人柄から影響を受けた父母らの視点・視線が変わることが、子どもも含めた家族を良い方向に導くのだろう。対人援助職は、こういうマニュアルにプラスして、日々の人間性の研鑚が欠かせないなぁ、とそんなことを思った。

2018年1月11日

とても面白かった、でも星4つ! 『6ステイン』


『亡国のイージス』が強烈に面白かった福井晴敏による短編集。すべて「市ヶ谷」が絡んでくる、と言えば、『イージス』を読んだ人にはピンとくるだろう。

どれも面白く、Amazonレビューでの評価も高いのだが、一つだけ「ん?」というものがある。レビュワーも褒めているものが多い最終話『920を待ちながら』が、どうにもしっくりこない。筋立ては面白いのだが、伏線の張りかたがどうにも腑に落ちない、というか、率直に言えば、これ破綻してない?

ネタバレになるので詳しくは書かないが、「どうしてあそこでこんな描写が……?」と首を傾げてしまった。思わずその部分を読み直したほどだ。「終盤まで書いた時点で、よりドラマチックなトリックを思いついて結末変更したが、途中の文章をそのままにしてしまった」という感じ。

とても面白かっただけに、なんだか惜しまれる。

2018年1月10日

内容は悪くなかったが、登場人物の多さに振り回されてしまった…… 『深度0』


阪神淡路大震災の発生時点から物語は始まる。しかし、舞台は遠く離れたN県の県警内部で、信望の厚かった警務課長の失踪がメインとなった群像劇。同じ日本国内で、震度7とも言われる地震災害が起きているにもかかわらず、N県警ナンバー2のキャリアは警務課長失踪をマスコミに嗅ぎつけられないように必死になったり、刑事課長は天下り先の心配をしたり、警察官の妻たちは互いの見栄の張り合いに躍起になったり……。タイトルの『震度ゼロ』は、そういう彼らの姿を的確に表現していると思う。

内容は悪くなかったのだが、分量のわりに登場人物が多かった。ミステリのトリックにこれだけの人物が必要だった、と言われればそうなのかもしれないが、もう少しスッキリしているほうが読みやすかったのではなかろうか。

2018年1月9日

キャラが丸くなってきたな…… 『零能者ミナト7』


ストーリーは相変わらず面白いのだが、キャラ立ちという点では、それぞれの登場人物からちょっと角がとれてきたなと感じながら読んだ。良く言えば「登場人物の人格が成長した」、悪く言えば「登場人物による刺激が減った」。

著者あとがきでも、「シリーズものだとキャラが成長する」といったことを書いていた。今後、角のとれた登場人物たちで運用していくとなると、ストーリーのほうをこれまで以上に盛り上げないといけなくなる。あるいは、刺激的な新キャラを導入するか。

このシリーズ、どうなる!?

2018年1月5日

短歌の思い出 『淋しいのはお前だけじゃな』


ブックオフを辞めてからの数ヶ月、なんの目標もないまま過ごしていた。朝5時から8時までコンビニで働き、9時から17時までブックオフの二番煎じのような中古本屋でバイトをした。仕事が終わると、朝働いているコンビニに寄ってビールを2本買い、廃棄する弁当をもらって帰宅した。

そういう生活を送る自分への嫌悪感が芽生え始めたころ、俵万智の『サラダ記念日』に出会った。俳句よりは字数制限が緩やかで、季語にこだわる必要もない。そんな短歌に魅せられて、自己嫌悪を解消するため、そして自分を励ますため、思いつくままに短歌を作り始めた。パソコンがあったので、どうせならとホームページを作り、そこに短歌を手当たり次第にアップした。

ある日、ホームページに載せていたアドレス宛に一通のメールが来た。差出人は俺と同じ歳くらいの若い女性。慢性疾患があって入退院を繰り返しているとのこと。そんな療養生活の中、ネットでたまたま見つけた短歌を読み、元気が出たり慰められたりした、と書いてあった。そして、辛いときにはお気に入りの短歌を読み返したり、入院中の夜には同室の子に読んで聞かせたりしている、素敵な短歌に救われています、ありがとう、と記されていた。

その後の1年足らずで何回かやり取りしたが、転居に伴うプロバイダ解約で音信は途絶えてしまった。その1年後、医学部に合格したことをメールで報告したが、返事は来なかった。いまも元気にされているのなら、お礼を言いたい。

彼女からメールをもらったとき、実は俺のほうこそ大いに救われていたのだ。
「元気です」そう書いてみて無理してる自分がいやでつけくわえた「か?」
本書で一番好きな短歌。

短歌とごく短いエッセイで構成され、あっという間に読み終える。短歌アレルギーの人でも、面白く読めるのではなかろうか。

2018年1月4日

モッキンポット師の優しさに胸温まりつつ、ところどころのユーモアで吹き出す 『モッキンポット師の後始末』


井上ひさしの自伝的小説。当時の貧しい大学生活がユーモラスに描かれ、ところどころで思わず吹き出した。

モッキンポット師は主人公の後見人で、大学教授でもある。主人公たちの度の過ぎた悪ふざけを、モッキンポット師は文句タラタラこぼしながらも後始末してくれる。悪ふざけといっても決して悪意からではなく、実は当人らにとって衣食住のための切実な行動であり、それが一般的尺度から外れすぎてトラブルに至ってしまうのだ。そんな事情も分かっているからこそ、モッキンポット師は彼らを決して見放さず、温かく見守る。

ユーモア小説というのだろうか。いわゆる「泣ける話」ではないが、ほんのりと心温まるような話だった。