2014年2月28日

マヴァール年代記

マヴァール年代記
架空の国マヴァール(作者の田中芳樹は中世のハンガリーくらいをイメージしているらしい)を舞台にした歴史小説(?)。俺の苦手な群像劇なのだが、まったく読みにくさがなくて文句なしの面白さ。分厚いけれど、良い本に出会えて良かったと思った。蔵書決定。

2014年2月27日

医学生・研修医にぜひとも読んでみて欲しい本 『医師は最善を尽くしているか― 医療現場の常識を変えた11のエピソード』


アメリカの外科医が書いた本。医学生・研修医にぜひとも読んでみて欲しい。分量のわりに3200円というのが痛いが、間違いなくモチベーションは高まる。

筆者があとがきで述べている「医学生・研修医に勧める5つのこと」が、本文にもまして印象に残った。

1.筋書きにない質問をしなさい。
患者を診察する時、医学的な質問以外に、例えば「好きなスポーツは何か」(映画でも音楽でもテレビでも何でも良い)といったことを聞く。するといろいろな反応がかえってくる。そして話を聞き、カルテに書く。著者は言う。
「患者は右ソケイ部ヘルニアの46歳男性ではない。患者は46歳の元葬儀屋で、葬儀ビジネスを嫌っており、ソケイ部にヘルニアがあるのだ」
こういう質問は、患者だけでなく看護師、看護助手、医療事務といった人たちにもどんどんする。会話がどこまで続けられるかやってみる。それがいつも役に立つというわけではないけれど、人とのつながりは大切だ。

2.不平を漏らすな。
不平だらけの俺には痛いアドバイスである。著者はこう言う。
「医療現場において、医師が不平を漏らすのを聞くことほど、周りのやる気を奪うものはない」
医療は野球と同じチーム・スポーツだが、野球と違って、困難な局面で駆け寄ってきてくれるコーチはいない。医師は自分で自分を励まさなければならない。

3.何か数えろ。
とことん単純化して言えば、科学とは「数える」ことである。対象は何でもいい。決まった時間に何人の患者を診たか、何人が外で待っていたかでも良い。研究費も要らない。
「ただ一つの要件は、それがあなたにとって興味を惹く対象だということだけだ」

4.何か書け。
論文でなくても良い。ブログでも良いし、完璧を目指す必要もない。
「あなた自身の世界を観察してくれる他人を加えることだけが必要である」
「書くという行為は、仕事から一歩身を引き、問題を見通す機会を与えてくれる」

5.変われ。
新しいアイデアに対する反応には3つある。初期採用者(アーリーアダプター)か、後期採用者か、変化に抵抗し続けるかだ。著者は「医師は常にアーリーアダプターになる」よう助言する。
「今やっていることの不十分さを努めて認めるようにし、そして解決法を探すようにしなさい」

そして最後に、こうまとめる。
何か新しいことを試し、何か変えてみなさい。何回成功し、何回失敗したかを数えなさい。それについて書きなさい。どう思うか人に聞きなさい。そして、会話がどこまで続けられるか試してみなさい。

2014年2月26日

ごめんで済むなら

「ごめ……」

そこから先が出なかった。残りは、ん、だけ。文字にしてみれば、たった一文字。正確には、「め」も薄くしか出せなかったから、謝るのに必要な心のハードルが、「め」と「ん」の中間にあって、どうやら私の舌がそこでつまづいているようだった。私は、ため息をつきながら玄関を出た。こんなに足取りの重い出社は久しぶりだ。

昨夜、帰宅した私をいつものように笑顔で出迎えてくれた妻。いや、いつもより浮き立った笑顔だったかもしれない。どうしたの、今日はやけにご機嫌だね。そう声をかけた途端、妻の笑顔はみるみる冷めていった。用意されていた豪華な料理は、妻の冷めた笑顔とは反対に温かく、その差が、なんだか怖かった。妻がこんなに手の込んだ料理を作るからには、何か理由があるはずだった。それを思い出しさえすれば良いはずだ。いや、良いかどうかは分からないが、この空気が多少は改善するはずだ。考え事をしながら食べる料理は、どれも味が分からなかった。仕事で疲れて帰宅して、どうしてこんなに気を遣わなければいけないのか。だんだんと腹が立ってきた。無言のまま食事を終えて風呂に入り、ビールを飲もうと冷蔵庫を開けた。ビールは切らしていたが、小ぶりのシャンパンがあった。妻は先に寝室に行っていた。私はキッチンに立ったまま、シャンパンをラッパ飲みした。

朝の会話は気まずくてぎこちなく、テーブルに置かれた弁当を無言でカバンに詰めて玄関に向かった。行ってきますと言った後、機嫌をなおしてもらうべく一応謝っておこうかと思ったが、うまく言葉が出なかった。少し急ぎ足で駅までの下り坂を歩いた。おそろいのマフラーを巻いて登校する高校生カップルが、笑いながらじゃれ合っている。その明るさが羨ましい。かつては私たちにもこういう時代があった。結婚して十年、高校生や大学生の恋みたいな情熱はないにしても、夫婦としてはうまくいっているほうだと思う。その証拠になるかどうか、妻と私は滅多にケンカをしない。だいたい年に一回くらいだ。そして、ケンカをした後は、こうやって重い足取りで出社することになる。最後にケンカしたのも、ちょうど今くらいの季節だったろうか。その時のケンカの理由は……。そこで、はたと思い出した。昨日は、結婚記念日……、だった。去年のケンカの理由も、同じだったのだ。

結婚記念日を忘れるなんてこと、男なら誰にだってある、はずだ。仕事をしながら、私は昨夜の妻の不機嫌さに対して苛立っていた。こちらは働いている身で、あちらは主婦。私のスケジュール帳には、黒ペンや赤ペンで書かれた仕事の予定がぎっしりだ。それに比べて、妻のカレンダーには浮ついたピンクで記念日が記されているのだろう。忘れた私も悪いことは重々分かっているが、少しはこちらの身になってくれても良いじゃないか。そんな考えが浮かんでは消えて、午前中の仕事は手につかなかった。

昼休み。弁当を抱えて屋上に行った。こんな時でも弁当を作ってくれるところには感謝しなければいけないな。そんな気持ちも、弁当箱を開ける瞬間までだった。弁当箱の中には、真っ白いご飯だけ。梅干し一つ入っていない。妻の不機嫌な顔が脳裡に浮かぶ。ご飯で真っ白な弁当が恥ずかしくて、周りにいる新人の女の子たちに見られないよう体をかがめながら箸を運んだ。口に入れたご飯は、美味しくもない。くそったれ。白い米を噛みながら、口の中で呟いた。そして、もう一口。さらに、一口。そこで、ふと気がついた。海苔が混じっている。よく観察すると、白いご飯だけかと思った弁当は、二層仕立てになっていた。底に白いご飯が敷いてあり、海苔が見え隠れして、さらにご飯がかぶせてある。私は、遺跡を発掘するような慎重さで、上段のご飯をすくって食べた。何かを隠すように盛られたご飯を取り除いてみると、弁当箱の中に、海苔で書かれた「ゴメン」の文字。昨夜、帰宅した私を迎えてくれた妻の笑顔が目に浮かんだ。ラッパ飲みしたシャンパンの泡が、今ごろになって胸の中で弾ける。小さく深いため息を一つついて、それから大きく息を吸い込んだ。
「ごめん!!」
弁当箱に頭を下げる私を、周りの新人たちが驚いて見ていた。

帰り道、酒屋によって大き目のシャンパンを買った。よくよく考えると、妻が謝る理由などない気がした。悪いのは、結婚記念日を忘れた私なのだ。去年も、一昨年も、その前も、毎年。ほとんど空白のカレンダーに、ピンク色で結婚記念日だけが書き込まれていて、その日を楽しみにしてくれて、その日を盛り上げようとしてくれる。そんな妻に、非なんてない。それなのに、妻は彼女らしい茶目っ気で弁当に「ゴメン」と書いてくれた。それを見て、私も「ごめん」と素直に叫べた。ゴメンで済むなら警察は要らない、なんて子どもの頃に言っていたけれど、こんな私とゴメンで済む関係でいてくれる妻は、大切な人だ。

ごめん、ゴメン、ごめん、ゴメン、ごめん、ゴメン、ごめん、ゴメン。

歩きながら口の中で繰り返していると、なんだか不思議な呪文のような気がしてきた。家に帰って妻の顔を見たら、この呪文を真っ先に唱えよう。まずは、絶対に、私から。続けて、ゴメン、と言いそうになる妻の唇をキスで塞いで、そして目を見てもう一回、私から、ごめん。

これからも一緒に。

そう願いを込めて。

困ります、ファインマンさん

困ります、ファインマンさん
Amazonで絶賛されているので買って読んでみたのだが……、うーん、俺なら星3つをつけるかな。決して面白くないことはないのだが、かといって寝る間も惜しんで読むというほどでもなかった(実際には寝る時間なんて勿体ないから4時起きでこの本を読んだのだが)。

図書館寄贈、にしようかと思ったけれど、いつか誰かが読むかもしれないので蔵書しておく。

2014年2月18日

レーズスフェント興亡記

レーズスフェント興亡記(上)
中世ヨーロッパを舞台にした、なんとSF小説。小川一水はSF小説家だと思っていて、この本を買う時には小川にしては珍しい歴史小説かなと思っていた。読んでみたら、歴史とSFをうまく織り交ぜてあり、文句なく面白かったけれど、中身に文句がないわけじゃない。こんなに魅力的な話をあっさりと展開させすぎじゃないのか!? できればもう少し厚めの本で、かつ上中下巻に分かれるくらいにしても良かった気がする。それくらいに、様々な人物に味わいがあって好感が持てて、彼らの活躍をもっと見たかったと思ったのだ。

さすが小川一水。蔵書決定。

2014年2月12日

ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?

ファスト&スロー (上) あなたの意思はどのように決まるか?
上下巻いずれもレビューの高さから分かるように、非常に面白い本だった。確かにちょっと分かりにくい部分もあったけれど、全体を通してみれば有用なことがたくさん書いてあった。また本書は精神科医という仕事にとっても、また医長という立場にとっても、妻子をもつ身としても、診療やコーチングや日常生活のヒントになりそうなことが満載であった。

この本は人気があるうえに、まだ文庫化もされていないし一冊が2200円と高いので、ある図書館では50人待ちらしい。

精神科関連の棚に蔵書決定。

<関連>
「終わり良ければすべて良し」が証明された心理実験

2014年2月3日

「マクドナルドのコーヒーで火傷した」訴訟の真相 『手ごわい頭脳 アメリカン弁護士の思考法』

アメリカで、マクドナルド(以下、マック)のコーヒーが熱くて火傷した女性がマックを訴えて、約300万ドルの損害賠償金を受け取ったという話は、多くの人が聞いたことあるのではなかろうか。そして失笑、なんてバカげた国なんだと思わなかっただろうか。

俺もずっとこの話をそのまま信じきって、アメリカというのは訴えたもの勝ちのトンデモない国だと思っていたのだが、真相は少し違うようだ。

アメリカ人弁護士のコリン・ジョーンズによると、裁判に至るポイントは3つあった。

1.マックは意図的にコーヒーを買ってすぐには飲めないような高温にしていた。高温で保存するほうが香りが良く、客に「上質のコーヒーだ」と印象付けるためである。

2.この訴訟が起きるまでの10年間に、マックはすでに火傷を含むクレームを数百件うけており、それまでに数十万ドルの和解金を支払っていたが、それでもコーヒーの温度を変えようとしなかった。

3.原告女性の火傷は、1週間の入院と3週間の休職を要するほど重かった。当初は裁判などするつもりはなく、マックに実質の損害賠償を要求しただけだったが、マックから一蹴された。

さらに裁判で陪審員に不評だったのがマック側の証人の主張である。曰く、

「年間で数億杯のコーヒーを販売しているマックにとって、10年間で数百件ていどの火傷事件は、統計学上まったく意味のない数である」

確かにそれはそうかもしれないけれど、そういう言いかたが反感を買うのは当然だ。こうしてマックのコーヒーで火傷をした女性が300万ドルという賠償金を勝ち取ったというニュースが日本に伝わってきたのだが、実はまだ続きがあって、火傷した女性にも過失があることが認められて最終的には日本円で5000万円程度にまで減額されたそうだ(それでも充分すごいけれど)。


上記は本書にあったもの。なかなかに面白い本だった。

最後に、アメリカ法曹界の格言。

依頼された案件の事実関係が不利なら、法を主張せよ。
法において立場が不利なら、事実を主張せよ。
法も事実も負けそうな場合は、相手の弁護士をひたすら罵倒せよ。