2012年7月31日

黒祠の島

黒祠の島
本格ミステリであった。もともとミステリは苦手なのだが、さすが小野不由美、そんな俺をも惹きつける。とはいえ、やっぱりちょっと複雑で難しかった。ミステリ大好きな人にはオススメな一冊。

サーファーの出発

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2012年7月30日

精神科の診断

この図を色ごとに区別する。色がはっきりしているところは、ほとんどの人がだいたい同じ命名をするだろう。たとえば、縦じまを左から順に、
「赤、黄色、緑、水色、青、ピンク、赤」
と言っても、そこまで大きな反論はないと思う。しかし、では青とピンクの重なった部分はどうか、あるいは水色の一番上と一番下の違いはどうか、そう細かく分けるとなると、だんだんと難しくなる。人によって、「これは青に含める」「いや、ピンクでしょ」と見解が異なる。

精神科の診断も似たようなところがあって、大ざっぱな部分では見解が一致しても、重なり合った部分では、医師によって意見が異なることがある。上記の図で言えば、黄色と青を間違えるのは大ハズレだが、黄色と緑の重なり部分を「黄色」というか「緑」というかは人によるし、「黄緑」というカテゴリを作ってしまう人もいるかもしれない。だから前医と診断が異なっていても、黄色と青を間違えるくらいのハズレでなければ、それらは一概に誤診とも言えないのである。

2012年7月29日

流星航路

流星航路
銀河英雄伝説で有名な田中芳樹が「李家豊」の名で発表した初期作品集。初期からすでに素晴らしい作品を書いていたということが分かる。銀英伝全10巻は過去に2回読んだが、今回、新たに10巻とも中古ではなく新品を大人買いしてしまった。

銀河英雄伝説 文庫 全10巻 完結セット

2012年7月28日

タイム・リープ―あしたはきのう

タイム・リープ―あしたはきのう
ライトノベルで、上下巻含めて一日で読み終える分量だが、中身は非常に面白く、とても良い読書時間だった。

オススメ。

2012年7月27日

ルイージの逆襲

あぁ嫌だ、もうイヤだ、絶対に嫌だ。僕は道化役に疲れた、いや、もう疲れ果てちまった。主役はいつだってマリオ兄さん。なにがマリオブラザーズだ。僕らの苗字はマリオじゃないってんだ。

このみすぼらしい、マリオ兄さんが履き古した靴。弟の僕は、子どもの時からお下がりしかもらえない。すり減った靴底では、滑って滑ってしょうがない。せっかく鍛えた跳躍力も、こんなボロ靴じゃ危なっかしい。

マリオ兄さんに対する一番の不満は、あのピーチ姫だ。あの小憎たらしい女。兄さんをたらしこんだ女。母さんの葬式にも顔を出さなかったあんな女。あいつなんか、ピーチ姫じゃなくて、ビッチ姫だ。ビッチがクッパにさらわれたからって、どうして僕まで土管に入ったり火の玉から逃げ回ったりしなきゃいけなかったんだ。僕のそんな苛立ちをよそに、兄さんときたらビッチ姫にご執心で、寝ても醒めても彼女のことばかり。あんなビッチのいったいどこが良いってんだ!? ビッチ、ビッチ、ビーッチ!!

だけど僕はもう、兄さんの道化なんかじゃないぞ。少し前から考えていたんだけれど、今日こそ実行に移してやる。あの女、ビッチビッチのビッチ姫を、今度は僕が襲うことに決めたんだ。幸いにも、兄さんは今日は自慢のカートに乗ってゴルフに行っている。夕方からはテニスだと言っていた。その間、ノコノコにエサをあげといてくれだってさ。まったく、どこまで僕を子分扱いするつもりなんだ。僕の決心はますます固くなる。やるなら今日だ、行くなら今日だ。僕はカートに乗り込んだ。いざという時のために、バナナの皮をポケットに入れた。

ビッチの家まではカートで一時間。僕はカートステレオに長渕剛のCDを入れた。お気に入りの『Captain Of The Ship』を聴くと、アクセルを踏み込む足にも力が入る。決めるのは誰だ、やるのは誰だ、行くのは誰だ。そう、僕だ。僕が今日、ビッチをひぃひぃ言わせてやるんだ。できるさ、僕にだって。

ビッチの家に着いたのは、もう日暮れ近くだった。僕の本職は配管工、裏口を外すことくらい造作ない。家に入ると、甘い桃の香りがした。ビッチの奴、お高くとまりやがって。僕は足を忍ばせながら、ビッチのあの高慢ちきな顔が、恐怖と羞恥に染まるところを思い浮かべた。思わず知らず、表情がにやついてしまう。下半身のクリボーが、スーパークリボーになってやがる。

二階から音がする。ビッチはどうやら二階にいるようだ。階段は、得意のジャンプで一気に上った。着地点で若干滑ったけれどノープロブレム。部屋の中からビッチの声が聞こえる。

ん?
二人?
ビッチの他に男の声?
兄さん、ゴルフやテニスなんて嘘ついて、ビッチのところへ……。頭の中がカッと熱くなって、僕はドアを蹴り開けた。裸のビッチが何か叫んで、布団を体に巻きつけた。兄さんはというと……、あれ? 兄さんじゃない……? なんてことだ! マンマ・ミーア!!

僕は逃げた。とにかく逃げた。ビーダッシュで逃げた。カートに乗り込むと、後ろからビッチの叫び声が聞こえる。
「アイツをやっつけて! リンク!!」
ビッチの家の中から、僕と似たような緑色の服を着た男が出てきた。間抜けな帽子をかぶってやがる。そして手に……、剣を持っている!! マジかよ、殺される……。僕はアクセルを思い切り踏み込むと同時に、ポケットに入れたバナナの皮を放り投げた。バックミラーごしに、緑の男が滑って転ぶのが見えた。

カートステレオから、長渕剛のヨーソローが聴こえる。
ヨーソロー、ヨーソロー。
物まねしながら歌っているうちに、僕はなんだかおかしくなって、始めはくすくすと、それから声をあげて笑った。夕暮れの空が、兄さんのテーマカラーに染まっていく。

円谷英二の言葉―ゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言

円谷英二の言葉―ゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言
ウルトラマン、好きだったなぁ。

評価が高かったので買ってみた本だが、中身はそんなに凄く面白いわけでもなく、円谷英二に関して「へぇ」と思うことがいくつかあったくらいだった。

2012年7月26日

人を殺した人を、殺すことについて 『弟を殺した彼と、僕。』


長谷川敏彦君は、僕の弟を殺害した男です。

こんな衝撃的な一文から始まる。実の弟(原田明男)を殺害された原田正治が書いたものだ。このあと、文章はこう続く。
「大切な肉親を殺した相手を、なぜ、君付けで呼ぶのですか」
ときどき質問されます。質問する人に僕は、聞き返したい気持ちです。
「では、あなたはどうして呼び捨てにするのですか」
彼が弟を殺したことを知る前から、僕は、彼を君付けで呼んでいました。弟を殺したと知り、彼をどれほど憎んだでしょう。
「あなたは、僕が彼を憎んだほどに、人を憎んだ経験がありますか」
質問者には、こうも聞いてみたいものです。それともこう聞きましょうか。
「あなたは、僕以上に、長谷川君を憎んでいるのですか」
彼を憎む気持ちと、彼を呼び捨てにすることとは違います。長谷川君のしたことを知って、呼び捨てにしてすむ程度の気持ちを抱く人を、僕は羨ましく思います。
(中略)
被害者遺族が家族を殺した人間を呼び捨てにする、と思い込んでいる人は、世間に多いと思います。被害者遺族は、世間が求める姿でなければならないのでしょうか。(中略)どうか僕たち被害者遺族を型にはめないで、各々が実際には何を感じ、何を求めているのか、本当のところに目を向けてください。耳を傾けてください。
原田が、加害者、加害者家族、被害者遺族、世間の4者の関係を自らの実体験をもとにイメージしたものが非常に分かりやすい。
その頃、僕は、こんなことをイメージしていました。明男と僕ら家族が長谷川君たちの手で崖から突き落とされたイメージです。僕らは全身傷だらけで、明男は死んでいます。崖の上から、司法関係者やマスコミや世間の人々が、僕らを高みの見物です。彼らは、崖の上の平らで広々としたところから、「痛いだろう。かわいそうに」そう言いながら、長谷川君たちとその家族を突き落とそうとしています。僕も最初は長谷川君たちを自分たちと同じ目に遭わせたいと思っていました。しかし、ふと気がつくと、僕が本当に望んでいることは違うことのようなのです。僕も僕たち家族も、大勢の人が平穏に暮らしている崖の上の平らな土地にもう一度のぼりたい、そう思っていることに気がついたのです。ところが、崖の上にいる人たちは、誰一人として「おーい、ひきあげてやるぞー」とは言ってくれません。代わりに「おまえのいる崖の下に、こいつらも落としてやるからな―。それで気がすむだろう」被害者と加害者をともに崖の下に放り出して、崖の上では、何もなかったように、平和な時が流れているのです。
原田は、裁判で証言した時には「極刑以外には考えられません」と発言している。しかし、その後何年も経ってから、長谷川の死刑を中止するよう活動し、かつ死刑そのものを廃止するような運動にも参加した。その心境に至るまでにはかなりの紆余曲折や葛藤があり、それはぜひ本書を読んで感じて欲しい。
死刑は、人を殺すことです。「被害者が望むから」と言われると、「お前は、刑務官が首に縄をかけて人を殺すことを望む人間なのだ」と言われている気がして、打ち消したくなります。自分のことを、他人が殺されることを望んでいる人間だと考えることは耐えられることではありません。僕は、自分に貼られている被害者遺族のレッテルを考えるとゾッとしました。そのレッテルには「心の中が憎しみだらけで、復讐を望んでおり、加害者が殺されることを待っている」と書かれている気がするのです。
そんな死刑廃止運動には、必ずと言って良いほどに反発がある。
死刑廃止の運動をしている人たちは、いつも、
「あなたたちはそのような運動をしていますが、被害者のこと、被害者の家族のことを考えているのですか」
と反発されるそうです。死刑を考え、公に死刑に疑問を投げかけたことのある人は誰でも、「被害者のことはどうなのだ」と言われ、口をつぐんでしまうのです。しかし、僕から見れば、「被害者のことを考えているのか」と抗議する人もまた、僕のことなど一度も考えてくれたことなどない、と言いたい気持ちなのです。
原田の活動の甲斐なく、長谷川敏彦は死刑執行されてしまう。
「被害者遺族のことを考えて死刑はあるべきだ」と思っている人が多くいると聞いていますが、長谷川君の執行が大きく報道され、通夜、告別式が行なわれたとき、誰か一人でも僕に、
「死刑になって良かったですね」
と声を掛けてくれたでしょうか。所詮、国民の大多数の死刑賛成は、他人事だから言える「賛成」なのです。第三者だから、何の痛みもなく、「被害者の気持ちを考えて」などと呑気に言えるのだと思いました。僕は、ひとりぼっちです。
俺はこれを読んだ今でも、やはり死刑廃止には反対だ。できれば存置して欲しい。その理由を説明はできない。ただ、北欧の国で、厳罰化の反対(軟罰化とでもいおうか)を推し進めたところ、犯罪数も凶悪事件数は減少したそうだ。もちろん、その国では死刑もない。というか、死刑存置している先進国は日本とアメリカだけらしい。日本でも、もし同じような制度にして犯罪そのものが減るのなら、死刑廃止にも納得するかもしれない。

ただ、日本で犯罪に手を染める人たちの感覚を想像してみると、軟罰化すれば逆に犯罪が増えそうな気はする。欧米と日本で同じわけがないのだ。

2012年7月25日

長人鬼

長人鬼
高橋克彦の陰陽師シリーズ。他の本と読む順番を間違えたかもしれないが、まぁそれぞれの話が緩くつながっているだけだから問題なし。これも面白かった。

2012年7月24日

空中鬼

空中鬼
高橋克彦の陰陽師シリーズ第4弾。泣いた。

この手の話は読み手を選ぶというか、興味のない人は絶対に手に取らないだろうなぁ。でもわりかし面白いので、食わず嫌いせずにちょっと試してみて欲しい一冊。

あ、でもこの本を読むには、白妖鬼を読んでおく方が分かりやすいと思う。

2012年7月23日

紅蓮鬼

紅蓮鬼
高橋克彦の陰陽師シリーズの第3弾。何はともあれ、エロい!! そして、中身は非常に面白かった。特に、敵キャラの一人である土人形・怨鬼が愛嬌があって良かった。

2012年7月22日

白妖鬼

白妖鬼
陰陽師・弓削是雄が活躍する話。可もなく不可もなく、無難な展開。陰陽師とか物の怪とか、そういうのが好きな人にはオススメ。

2012年7月20日

「何度も名前を訊くな!! 不愉快だ!!」 で、患者とり違え

当院で、外来患者同士を取り違えるという医療ミスが起こった。きちんと名前を確認せずに、わりと侵襲性の高い検査をしてしまったのだ。このミスの原因を追及していくと、以下のことが分かった。

ある男性患者が、外来で何度も名前を確認されることに苛立って、
「何度も名前を訊くな!! 不愉快だ!!」
と看護師を恫喝した。以後、外来看護師が怖さのため委縮してしまい、それを言い訳にしてはいけないが、名前の確認を徹底しなかったことから、今回の医療ミスにつながった。

確かに、何度も名前を訊かれてイラつくのは分かる。しかし、取り違えされるよりはマシだと思う。現在のコンビニ感覚の受診では、患者数は桁外れに多いし、そうでなくとも顔と名前を全員一致させて覚えることなど不可能に近い。

このミスと、ミスの原因調査をきっかけに、当院では、
「何度も名前を確認されて不愉快かもしれませんが、患者取り違えを防ぐためにご協力ください」
といった張り紙を掲示することになった。こういった些細な掲示物を増やしていけば、本当に重要な掲示物が埋もれてしまう。

なんともバカげた話だ。

2012年7月19日

認知症検査の小道具について

長谷川式の認知症検査では、小道具を使う項目がある。互いに関連のない5つの品物を患者さんに見せて覚えてもらう。次に、それを隠して「何がありましたか?」と答えてもらうのだ。アリセプトという認知症の薬を販売しているエーザイは、この検査のための小道具セットを用意してくれている。鉛筆、カギ、スプーン、歯ブラシ、腕時計が入ったコンパクトなセットである。

施設にいる高齢者の中には、この5つの品物を見ても名前が出てこない人が結構いる。特にカギと歯ブラシ、次いでスプーンだ。恐らく、普段あまり使わないものだからだろう。施設に入ってしまえばカギは要らないし、総入れ歯になれば歯ブラシも使わない。食事の準備をしなくなって食べることも介助になれば、スプーンを憶えておく必要がない。

物を見ても名前が出てこない人は重度の認知症のことが多いが、ただ単に「あまり使わないから覚えていない」というだけの人もいる(まぁ、それにしたって重度だろうが)。だから、この3つの品物については、何か他に良い代替物がないものかと思案中。


平安の都で陰陽師が活躍する話。夢枕獏の『陰陽師』とは趣きが違うが、こちらも面白い。全ての怪異が鬼の仕業というわけではなく、蓋を開ければ人間の欲からくることだった、なんてところが良い。
文字数は多くなく、あっという間に読み終える。

2012年7月18日

40歳の教科書 親が子どものためにできること

40歳の教科書 親が子どものためにできること

本の評判が良かったので読んでみた。14人のスペシャリストへインタビューした結果がまとめてある。まず、マンガ家・西原理恵子のものから引用。
お金さえあれば、たいていの不幸は乗り越えられる。
年収200万円の人が年収を増やしたいとき、どうすればいいか。
いきなり年収1億円の経営者なんかの仕事術を真似しても、土台無理というものです。そうではなく、自分の身近にいる年収220万円の人を真似しましょう。それができたら、今度は年収300万円の人を真似していく。
大切なのは、もう少し頑張れば手が届きそうな目標を見つけて、一歩ずつ前に進むこと。
どこで働いてもストレスだらけという人は、自業自得だと思います。
仕事そのものがストレスになる人って、怠け者なんです。
アルバイトは絶対、若いうちからやるべきですね。
働いた経験もないのに、「この仕事は向いてない」とか「やりたい仕事がない」とか言っている若い子なんか、冗談じゃないよね。そんな甘ったれたガキなんて、私が経営者だったら絶対に雇いたくないもん。 
次、サイゼリヤの社長は、こんなことを言っている。
「儲けるんじゃない、儲かるんだ」
お金って人の裸と一緒で、隠そうとすればするほど、イヤらしくて下品に感じるものなんですよ。 
次、ニトリの社長。
現在、ニトリの優先順位は1に安さ、2に安さ、3まで安さで、ようやく4番目に適正な品質、5番目がトータルコーディネートとなっています。
なぜ1から3までが安さなのか? 品質はどうでもいいのか?
いいえ、違います。ものごとの優先順位は、これくらい徹底しないとすぐに入れ替わってしまうからなのです。
以前は、優先順位を「1に安さ、2に品質」としていました。
ところが、自分たちでも気づかないうちに優先順位が入れ替わって、ある時期から品質優先になってくる。品質にこだわるのはいいことなんだけれど、さすがに目標や優先順位まで入れ替わってしまったら、「欧米並みの豊かさを実現したい」という当初の志まで失われてしまう。
そこで、1番から3番までのすべてを「安さ」にしたわけです。これなら、いつ順番が入れ替わっても大丈夫ですからね。
今どきの子どもたちも、第1志望だの第2志望だのと考えず、1から3まですべてプロ野球選手、というくらいの強い決意が必要ではないでしょうか。
次、経済評論家・山崎元。株をやる人は必読(俺はやらないけれど)。
お金の恐ろしいところは、とにかく感情と絡みやすい点です。
たとえば1000円で買った株が、800円になったとしましょう。こうなると大半の人は「損をした。最低でも1000円に戻るまでは手放せない」と考えてしまいます。
しかし、実際に投資をやっていくうえでは「自分が1000円で買った」という事実を切り離して、その株の価値そのものを判断しないといけません。もしかしたら将来的に500円の価値しかない株なのかもしれないし、2000円の価値を持つ株なのかもしれないのです。
でも、損得の感情が絡むと冷静に判断できない。どうしても自分が買った1000円を基準に考えてしまう。株価が上がる見込みがないのに「200円の損だ」という感情が先にきて、非合理的な判断をしてしまう。
投資をするうえでは、ある意味ゲームのチップを扱うくらい、ドライにお金を扱えないといけないのです。
最後、東大名誉教授・畑村洋太郎。
苦しいときには時間の力を信じることだ。長い人生には、時間だけにしか解決できないものってあるんだよ。
いろいろな人のいろいろな考え方を読める本。「堅い自己啓発はちょっとなぁ」と思う人にはお勧めの、読みやすくて、ちょっとタメになる本。

脳波計は購入しないことに決まりました

この島には公立の病院が三つある。そのうちの一つである当院に精神科が常設されており、車で二時間の距離にあるへき地病院には一ヶ月に二回、一泊二日で俺と指導医が交代で出張診療に行っている。

そのへき地病院の脳波計が最近壊れたらしい。そして、新しい脳波計は購入しないことに決まったそうだ。確かに、脳波まで診る内科医は多くないし、月に四日しか精神科医がおらず、しかも脳波をとることはあまりないので、新たに買うのは勿体ない。かといって、脳波検査のためだけに車で二時間かけて当院まで来てもらうのも、患者にとっては大変なことこの上ない。

仕方がないことではあるが、今から新たに田舎に住もうかと考えている人には、こういう不便がありとあらゆるところで出てくるので、それなりの覚悟が必要だ。

2012年7月17日

「嫌なことなんて忘れてしまったら良いじゃん」

「嫌なことなんて忘れてしまったら良いじゃん」
小学校五年生の時に近所に引っ越してきたアリ君は、何か嫌なことがあると、そう言っていつもヘラヘラ笑っていた。

アリ君は、近所の上田さんという老夫婦のところに、母親と二人で引っ越してきた。どうやら、上田さんの孫になるようで、アリ君は「有田」という苗字からきたあだ名。アリ君は都会から引っ越してきていて、標準語みたいな喋り方をして、サッカーが得意で、勉強もまぁまぁできて、そしてなにより、明るかった。

アリ君が転校してきたことで、クラスは十四人から十五人になった。田舎の小学校に、アリ君は簡単に馴染んだ。クラスのリーダー格といった感じになるのも早かった。だけど、アリ君がいないところで、時どき、
「アリ君ちって、リコンしたんだって」
という話題が出た。五年生にとって、リコンという言葉には、怖さと、不気味さと、切なさと、それから貧しさというイメージがあった。自分の親がリコンになったらどうしよう。そう考えると、僕は不安でたまらなかった。だから、アリ君がいつも明るいことが不思議だった。

ある日の朝。教室でアリ君が、いつものようにヘラヘラしながら、
「今日から、俺、上田になるけぇ」
ちょっと違和感のある方言でそう言った。詳しい事情は分からないけれど、きっとリコンが関係している。誰も口には出さなかったが、みんな、そう思ったはずだ。

アリ君は、苗字は上田になったけれど、あだ名はアリ君のままだった。きっと、あだ名を変えることに、みんな抵抗があったのだと思う。上田君とか下の名前でカズキ君とかに呼び方を変えるのは、親がリコンしたという現実をアリ君に突き付けるような、そんな感じがした。

クラスの誰も知らない、誰にも話したことのない出来事がある。

アリ君の家に、回覧板だったか何だったか、用事を頼まれて行ったことがある。僕が玄関の呼び鈴を押そうとすると、中からアリ君の声が聞こえてきた。学校では聞いたこともないような、アリ君の怒ったような、いや、泣いているような、震えて、甲高い声。
「強くないって」
アリ君はそう言って、その後は明らかに泣き出した。上田のじいさんが、アリ君をなぐさめていた。
「お母ちゃんは、カズキは強いけぇ大丈夫って、そう思っとるんよ」
「強くないって」
アリ君は、同じ言葉を何回も繰り返して泣いていた。
「ちょっとの間じゃ。お母さん、また絶対に帰ってくるけぇ」
立ち聞きは良くないと思ったが、僕は動くのが怖くて黙って立っていた。
「お母さんも、どうせ捨てるんでしょ」
アリ君のその言葉に、リコンという文字が重なった。
「俺、強いわけじゃないもん。俺が泣いたら、お母さんも泣くもん。お母さん困るもん」
家の中から、大人の男の人が鼻をすするような音が聞こえた。きっと、上田のじいさんも泣いているのだ。そのことに気づいて、ようやく体が動いた。僕は、走って家に帰った。

翌日、何ごともなかったかのように、アリ君はヘラヘラ笑っていた。授業参観の時も、運動会の時も、何も感じないかのようにヘラヘラと。アリ君は、本当は物凄く寂しくて辛かったと思う。お母さんを泣かさないように、困らせないように、という理由で笑うアリ君は、僕から見たら、やっぱり強くて、不思議な存在だった。

あれから二十四年。三十五歳の僕たちは同窓会を開いた。十人しか集まらなかった。その中にアリ君はいなかった。噂では、あまり広くない借家に住んでいるらしい。奥さんと子ども三人と、それからアリ君のお母さんの六人暮らし。嫁姑問題があったり、子育てが大変だったりで、いろいろと苦労しているらしい。みんなは口々に、
「嫁と姑の板挟みって大変だねぇ」
と気の毒そうに話していた。しかし、あの日、アリ君の泣き声を聞いてしまった僕は、アリ君が今すごく幸せなはずだと、そう確信している。

写真は、「何を使って撮るか」より、「何を撮るか」のほうが大切

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いま使っているカメラは、EOS KISS X2という数世代古いもの。買ったのがもう5年以上前になる。機能としては、シャッター速度をもう少し速くしたかったり、ISO感度をもっと上げたかったりと若干不満な部分があるにはあるが、それでもその場その場の工夫で撮れないこともないから、凄く困るということもない。

後輩がEOS 60Dを持っていて、それを触らせてもらった感想としては、高級感があって素敵なのだが、やっぱり重い。あちこち持って行って手軽に撮影したい俺にとって重さは大切な要素だ。持っているX2がレンズ込みで600グラムくらいなのに対して、買い替えるならこれにしようと思っているEOS 7Dという機種が900グラムくらいになる。俺はカメラを首から下げているので、500mlのペットボトルを1本下げるか、2本下げるかの差で、これは結構な違いがある。

もちろん、写りは7Dのほうが良いに決まっているのだが、写真はカメラの性能よりもまず感性だと信じているので、俺が7Dに替えて凄く良い写真が撮れるようになるわけでもなかろうし、もうしばらくはX2でカメラ世界を楽しもうと思う。

写真は、「何を使って撮るか」より、「何を撮るか」のほうが大切なのだ。

2012年7月16日

Power shot S95で久しぶりに

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ステンレスピンチ

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一人暮らしの時は、週に一度だけ洗濯していた。

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結婚して、洗濯は妻の仕事になった。

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妻は洗濯が好きで、わりと頻繁にやっていた。

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子どもができて、今やほぼ毎日、洗濯機が稼働している。

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干すのを手伝うこともある。

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天気が良い日の洗濯干しは、けっこう楽しいことに気づく。

夜の街歩き

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2012年7月15日

赤ちゃんステッカー

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過去にもこのステッカーについて読んだり書いたりしたけれど、結局このステッカーの一番の役割は、父母の嬉しさや喜びを周囲に発散することだと思う。それを見て不愉快に思う人がいるのは確かなんだけれど、たかだかステッカー1枚で怒ったり苛立ったりされると、貼っているほうとしてはちょっと戸惑う。

2012年7月14日

『開運!なんでも鑑定団』で見えてくる詐欺にひっかかる心理

『開運!なんでも鑑定団』という番組が好きで、特に中島誠之助さんの熱烈なファンである。一度、たまたま入った京都の骨董屋で中島さんをお見かけして、直接にいろいろ質問した経験でもあれば良いなと思っているくらいだ。

ところで、この番組を観ていると、詐欺にひっかかる心理というものが見えてくる。

50万円で買った壺がニセモノで1万円だったとか、100万円で譲ってもらった掛軸が2万円もしないものだったとか、そういう痛い失敗をたくさん見かけるが、それ自体は大したことはない。骨董や古美術なんてものは、買った人が満足すればそれで良いのだから、彼らが詐欺にあったかどうかは分からない。

問題は、観客のほうだ。出張鑑定に登場した60歳男性のAさんが、30万円で購入した湯のみを鑑定に出したとする。Aさんは、この湯のみの価値を分からない妻や子どもらへの愚痴を鼻息荒く語る。自己評価額も、自信満々の100万円。中島誠之助さんが湯のみを手にとり、いざ鑑定へ。固唾をのんで見守る観客。松尾伴内が声高に合図する。
「鑑定結果は……、じゃかじゃん!!」
そこに書かれた赤文字は……、
「5万えーん!!」
松尾伴内の残念さをこめた声。会場内につめかけた人たちの失笑が響き渡る。

ここ。問題は、ここである。30万円で湯のみを買って、その自己評価額は100万円だったが、プロの評価額は5万円だった。 観ている側としては、思わず思う。
「やすーい!!」
いやいや、ちょっと待て。冷静に考えてみると、5万円の湯のみはかなり高価だ。家にあったら、使わずに飾る気がする。それが一瞬、とても安く感じられる。もしこのあと、この湯のみを1万円で売ると言われたら、
「実際にプロが5万円と鑑定したものだし、買っても良いかな」
なんて思うんじゃないだろうか。たとえ、その湯のみが本当は1000円くらいのものだったとしても……。

詐欺とは、こういう心理を巧みに利用して行なわれているのだと思う。

夜風に吹かれて

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被差別部落の青春

小中学校時代に住んでいた土地は、かつては「部落」と呼ばれていた。中岳部落とか宮代部落とかいうように、今でいうなら「町」のかわりに「部落」という単語が使われていた。運動会でも「部落対抗リー」というものがあったが、後に「地区対抗リレー」と呼び名が変わった。俺が知らないだけかもしれないが、おそらく「被差別部落」ではなかったと思う。

だから、道徳の授業なので「部落差別」と言われても、まったくピンと来なかった。学校に通ってきている仲間は全員が、「○○部落」に住んでいるからだ。
「え? 部落って差別されるの?」
という感覚で、しかし、街に住んでいる従弟から差別された記憶はないし、市内の小中学校全体の体育大会なんかでも後ろ指差されたこともないし、なんだか変な感じだなぁと思っていた。



部落差別について書かれた本を読んでみたかったので購入。中身は読みやすかったけれど、部落差別というのが身近にはまったくなかったので、やっぱり部落差別は分かりにくい。それは良いことなのかもしれないし、悪いことなのかもしれない。

<関連>
放送禁止歌
ちびくろサンボよすこやかによみがえれ
差別用語って何だ!?

2012年7月13日

ハワイの住宅街

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Adobe Photoshop Lightroom 4でイラストみたいに加工してみた。

2012年7月12日

かたみ歌

かたみ歌
昭和40年代の下町アカシア商店街を舞台に描かれるちょっと不思議で、どこか切なくて、なんとなく心温まる7つの短編。

これは文句なく面白かった。

昭和50年生まれの俺にしてみたら、この本は両親や叔父叔母の青春時代の話。彼らが詠んだら、また違った感慨があるのかもしれない。勧めてみたい。

東京タワー 昼の顔、夜の顔

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2012年7月11日

レジスタ

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築地で見た年季の入ったレジスタ。

俺が使ったことがあるのはファミリーマート、サンクス、ブックオフ、ビデオレンタル店のGEO、ブックオフ模倣の古本店。思い起こしてみると、意外に多い。

レジが作動してレシートに印字されている時のジーガチャ、ジーガチャという音が好きだ。

いじめを減らすために

いじめを苦にしての自殺が裁判となった場合、遺族から「真実が知りたい」「真実を知ることができず残念」といったコメントが発表されることがある。これは本当のところは、遺族側に「真実は○○だ」という気持ちがあって、それを裁判で認めて欲しい、ということだと思う。そこで真実とはなにか、という問題になるのだが、これは亡くなった子にしか分からない。「いや、いじめた側だって分かるはずだ」というのは、いじめを経験したことがない人の妄言だ。

俺はいじめを受けたことがあるが、いじめたことはない。そう思っているのだが、一部の友人からは「あの頃のお前はAをいじめていた」と言われることがある。つまり、俺はいじめだとは思っておらず、それこそ「じゃれていた」「からかっていた」というのに近い。ところが、周囲からはいじめだと受け取られていた。それなら、ましてAからしてみたら完全に「いじめ」だっただろう。幸いAは自殺しなかったし、今もし会ったとしたら当時のことを聞くことも可能だ。俺をいじめた人たちも、たぶん俺と同じような感覚があるんじゃないだろうか。

いじめは良いか悪いかと考えたら、それはもちろん悪いに決まっている。ないほうが良いのは当然だ。ただ、いじめをなくすためにどうしたら良いのかと考える時には、上記したような「いじめる側の認識」にも光を当てないと、きっとうまくいかない。

「見ているだけでもいじめに参加しているのと同じです」
これは確かにそうかもしれないが、これだけだと不十分なのだ。
「彼らは、自分たちがいじめていると気づいていないかもしれません。直接に止めなくても良いけれど、何らかの手段で、彼らに気づかせてあげてください。いじめられている子のためだけでなく、彼らのためにも」
こういったメッセージも送らなければいけないし、気づくだけで変わることは案外多いと思う。

もし俺がAと一緒だったころに、同級生から「お前がやっているのはいじめだ」と指摘されたら、かなりショックを受けただろう。「止めはしないけれど、もし続けるなら、“いじめ”という認識は持っておいた方が良いぞ」とまで付け加えられたら、もうAには関わらないようにしようとさえ思ったかもしれない。中高生にそこまで期待するのはちょっと難しいけれど……。

<関連>
いじめ→自殺の裁判に思う (精神科医の本音日記)

2012年7月10日

バカ丁寧化する日本語

「皆さまに、わたくしの政策をお訴えさせていただきたく……」
これを読んで皆さんは誰を思い浮かべるだろう。俺は真っ先に鳩山前首相の間抜け面が浮かんだ。あの人の敬語こそ、まさに「バカ丁寧語」であった。

先日、気になるコラムがあった。内容よりも、言葉の使い方に違和感があったのだ。

『「内引き」という行為をご存じでしょうか? 万引きはお客さまが商品を無断で持ち帰る行為ですが、内引きは従業員が商品を無断で持ち帰る行為のことです』

気になったのは「お客さま」。ここで「お客さま」を用いることは、果たして正しいのだろうか。通常、万引きする人に対して「お客さま」という表現は使わない。「食い逃げをするお客さま」とも言わない。仮に、万引きの話ではなかったとしても、やはり違和感がある。通常、「お客さま」という言葉は、サービスする側が、サービスされる側に、あるいは、サービスする側同士で使う言葉であって、記者のような第三者が「お客さま」というのも少々おかしい。

客側から従業員に対して「お客さまを何だと思っているんだ!?」と言うのもおかしい。また、例えば超高級ホテルについて意見を求められた人が、
「ああいうホテルはお客さまを大事に扱ってくれそうで憧れる」
と言うとしたら、やはりそこで使われる「お客さま」という言葉は変だ。

コラムの筆者はコンビニのコンサルティングもしているようだが、不特定多数向けに書くからといって、万引き犯にまで「お客さま」を付けるべきなのだろうか。それはやはり過剰敬語であろう。というより、万引き犯にまで「さま」を付けることは、正当な金額を支払っている「本当の客」に対して失礼ではないだろうか。

と、そういうことを考えてしまうようになる一冊がこちら。
バカ丁寧化する日本語

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覗き見る少年

Willway_ER
ワイキキビーチを歩いていると、砂の彫刻を創る男がいた。彼のそばにはバケツが置いてあり、その中には一ドル札が数枚入っていた。砂の彫刻師もやはり大道芸人と呼ぶのだろうか。俺は5ドル札を入れて、かなりの長時間、そして何枚も写真を撮らせてもらった。そんな中の一枚。

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砂の彫刻師@ハワイ
砂の彫刻師@ハワイ
砂の彫刻師@ハワイ
砂の彫刻師@ハワイ 
人魚

2012年7月9日

入籍一周年!!

昨日、平成24年7月8日で入籍一周年。後輩カップルが島外から泊りがけで遊びに来てくれていたので、朝から島内観光に連れて行き、夕方に空港で見送ってから帰宅。妻は車酔いと気疲れとでダウン、俺も運転疲れでダウン、元気はサクラばかりなり、という状態。

這う這うの体(ほうほうのてい、はこう書くのか)で風呂を済ませて、20時半には布団に入ったものの、サクラがなかなか寝なかった。サクラなりにお祝いしてくれていたのか?w

そんな入籍記念日だった。一年間、たまにケンカもしたけれど、家族みんなが無事に過ごすことができたし、それが何よりだ。

2012年7月8日

Grasshopper

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自然の中には機能美が溢れている。

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2012年7月6日

マイケル・ジャクソン

The Essential: Michael Jackson
アマゾン探検をしていてたまたま見つけた。ジャクソン5時代も含めたベスト版2枚組で1000円以下という破格の安さ。これは買いだと思い即購入。聴いてみての感想、これは買って大正解!!

コラプティオ

コラプティオ
初めて読む政治小説。タイトル『コラプティオ』というのは、ラテン語で「汚職・腐敗」を意味する。

舞台は東日本大震災から3年後。カリスマ性のある総理大臣・宮藤を支える政治学者・白石と、白石の中学時代の同級生であり新聞記者の神林。この二人の視点を交互に移動しながら、政治世界の表舞台と裏舞台を描いていく。

震災後の原発がテーマだったこともあり、あまり身近でない政治の話でも飽きることなく読み通せた。amazonの評価も結構高い。ちょっとだけ骨太な小説を読みたいなと思っている人にはお勧め。
「私には希望がある」―国民の圧倒的支持を受ける総理・宮藤隼人。「政治とは、約束」―宮藤を支える若き内閣調査官・白石望。「言葉とは、力」―巨大権力に食らいつく新聞記者・神林裕太。震災後の原子力政策をめぐって火花を散らす男たちが辿り着いた選択とは?

2012年7月5日

アメ横

Willway_ER

2012年7月4日

王様は裸だと言った子供はその後どうなったか

王様は裸だと言った子供はその後どうなったか
森達也が童話や子ども向け番組を題材にマスコミ論のようなものを語るのだが、ところどころ挿入されるギャグに思わず笑ってしまう、これまでの森の印象とは大きく違う本。特に仮面ライダーの項では吹き出して、テレビに見はまっていた妻がこちらを振り返るレベルだった。


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見える人
本書を読む前に、俺が『裸の王様』をモチーフとして描いた小説。

2012年7月3日

人を殺すとはどういうことか

死刑に賛成の人も反対の人も、ちょっと読んでみて欲しい。

嘘か本当か分からないが、刑務所で服役中の殺人犯が書いたという本。同じ刑務所にいるのは殺人犯ばかりである。著者が何人かの受刑者らと接して得た彼らの本音に呆れ果てる。
愕然としたのは、反省と言う単語を口に出した時の反応で、ほとんどの人が「変なことを聞く人だ」という表情で私を見ました。
「反省って、事件のでしょう?」
「うん」
「そうだなぁ、やっぱり指紋を残しちゃまずいですよね。あとは、共犯に口の軽いのはダメですね。今回は勉強になりました」
(中略)
一緒にテレビのニュースを見ていると、事件報道がありますが、その際には自分たちの犯行を面白おかしく披露するのは、よくあることでした。
「向かってくるから刺しちゃったよ」
「黙って言うとおりにしてりゃ殺されなくて済んだのに」
「ひいひい言ってやがんだ。助けてくれって言ったって、こっちだってパクられたくないから助ける訳ないじゃん、バカな奴」
「あんな所にいやがって、おかげでこっちはこんな所だ、チクショーめ!」
こんな言葉が洪水のように溢れてきます。
「単に自分が服役したくないから殺してしまったわけだけど、それについてどう考えてるの?」
「うーん、ま、悪いかなと思ってます」
「それだけ?」
「へっ!? それだけとは?」
被害者に対しての気持ちはほとんどありません。ここでは珍しいことではなく、むしろ普通と言えるでしょう。
今回の事件は、深夜人の居住している住宅に盗みに入ったものの、何も目ぼしい物がなく、その腹いせに人が寝ているのを知りながら放火をして4人を焼死させたというものです。
もちろん端から人が寝ているのを知りながら放火したと言えば極刑は免れません。彼は徹頭徹尾「知らなかった」と警察でも裁判でも頑張り、裁判ではその風貌を十分に生かしてしおらしく振る舞い、無期の求刑だったのに有期刑を勝ち取った歴戦の猛者です。
(中略)
「僕は仕事で入った訳です。でも大した物もなく無駄な仕事をさせられました。それが、まぁ……恨みというか腹が立ったんですね。こっちはそれなりの手間をかけて入ったのに何もなく、むこうはグーグー寝ているという状況に無性に腹が立ってきて……。ま、それでやっちゃったんですね」
「あんな所にいやがるから殺されたんだ。まったくざまあみろだ。だけどそれでこっちは無期だぜ。ちっくしょうめ」
こういう言い方に同調して、俺の時もそうだったと話し始める人も少なくありません。
「いい恰好するから殺られるんだ」
「正義の味方ぶりやがって」
「黙って金を出せばよかったんだ」
「勘違いして向かってきやがって」
テレビや新聞のニュースで強盗犯が捕まったのを知ると必ず、「けっ、殺っちまえばよかったのによ。ドジな奴だ」と毒づきます。

人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白

文章はこなれていて、稚拙ではないが難解でもなく読みやすい。

俺は死刑についても色々本を読んだし、その度に色々と考えてきたけれど、やっぱり死刑は残して欲しいと思う。著者は「執行猶予付きの死刑」があっても良いのではないかと言う。もちろん、その猶予期間中は刑務所での生活となるが、そうしてこそ奪った命に対する反省や贖罪の気持ちが芽生えるのではなかろうか、と。俺はその案に賛成だ。

<関連>
殺人犯への怒りより、まず恐怖を感じて慄く一冊 『消された一家』
死刑
元刑務官が明かす死刑のすべて
彼女は、なぜ人を殺したのか

2012年7月2日

日本人男性が妻に読ませたくない本ナンバー1かも!? 『セックスレスキュー』


日本人男性が妻に読ませたくない本ナンバー1になるんじゃないかというくらい、過激というか、毒気が強いというか……、かといって不快感を抱くかといえばそうでもなく、実になんとも言えない読後感である。
夫婦間のセックスレスに悩む女性および彼女らを対象としたカウンセリング、それから彼女らと肉体関係を結ぶ「奉仕隊」と言われる男性ボランティアを取材対象としたノンフィクションであるが、あまりの内容に「これはノンフィクションを装ったフィクションではないか」と疑いもした。一部引用してみる。

冒頭6ページめに、奉仕隊を束ねるカウンセラーであるキム・ミョンガンの経験談がある。
「マスターベーションをしたらどうですかと、バイブレーターのカタログを見せた。そうしたら、『私は膣にモノを突っ込みたいんじゃないんです!』と怒られましてね」
のっけからこんな感じなのだから、あとは推して知るべし、ではあるが、もう少し引用を重ねよう。
「長い間セックスレスでいた女性は、夫から『女として最低』というレッテルを貼り続けられたようなもの。女性としての自信がなくなっているんです」とキムは言う。
キムいわく、男の人格と教養とペニスは、いずれも歯を磨くように毎日自分で磨かなければならない。人格だけでも教養だけでも、男は磨かれない。
「男の下半身は人格です。人格のない男はちんちんもだめ。人格なきちんちんはただの棒です。海綿体です」と、キムは笑う。 
セックスは食べ物とよく似ていて、ジャンクフードが好きな人も、グルメの人も、小食の人もいるように好みや必要な量は人それぞれ。パートナーの好みとあまりに違い過ぎれば生活しづらい点も同じだ。 
最後に、知る人ぞ知るアダム徳永にも取材してあり、例え話が上手かったので引用。
「キスして、おっぱいなめて、クリトリスを愛撫するのが普通だと思うでしょ? でもそれは違う。女性は全身が性感帯で、ゆっくりと快感のレベルを高めていけばもっともっと深く感じるようになる。37℃の温泉なんて普通ならぬるいと思うが、北極にもっていけば熱湯のように熱く感じる。同じ温度でも状況によって感じ方は違う。それと同じです。のっけから乳首やクリトリスを刺激するのは、上品な日本食のコースで、キムチの山盛りを前菜に出すようなもの。そこで快感の上限が来てしまう」
<関連>
封印されたアダルトビデオ
職業としてのAV女優

<参考>
スローセックス実践入門――真実の愛を育むために (講談社+α新書) 

2012年7月1日

見える人

幼い頃から、聡い子だと言われていた。四歳で近所のパン屋から金の計算を任され、お礼に一日一個の飴玉をもらった。六歳にしてすでに聖書を暗記し、近所の老人たちに頼まれては諳んじた。周囲の大人たちからは神童だ才子だと褒められていた。ところが、七歳を過ぎたあたりから、大人たちの態度に変化を感じるようになった。だんだんと、眼の奥に怯えのようなものが混じり始めたのだ。パン屋の仕事はやんわりと断られた。老人たちは私と目を合わせようとしなくなった。ついには私だけでなく、私の家族まで、徐々に周囲から避けられるようになった。

あの日の話をしよう。私は九歳になったばかりだった。あの日あの時、あの場所で、私にはすべてが見えていた。それなのに、「見える」と言わなかったのは、周囲の空気を察したからだ。見えてはいけない。そう感じた。いや、むしろ、「見えない」と公言したほうが良いとさえ思った。誰のためでもない。自分のために。だから私は、叫んだ。精一杯に、子どもらしい無邪気さを装って。

「王様は、はだかだ!!」

一瞬の沈黙、そして周囲の大人たちのホッとした顔。
「自分たちが王様に言えなかったことを、正直な子どもが指摘してくれた」
そんな安堵?
いいや。
ちがう。
そうじゃない。
「この子にも見えなかった」
そのことが、大人たちを安心させたのだ。これまで馬鹿な大人たちは、幼い私を頭が良いと褒めあげ、天才だと囃し立てた。それからだんだんと私を畏れるようになり、ついには不気味だと疎んじるまでになった。ところが、そんな私にも王様の服は見えないというではないか。大人たちは、私を囲んで談笑した。
この子も普通の子どもなのだ。
ちょっと賢こいだけだったのよ。
ただ勉強ができる、それだけのことじゃないか。
薄っぺらな阿保面で、嬉しそうに大人たちは話していた。そんな大人たちの向こうに見える王様は、怒りで体を震わせていた。見たこともない神秘的な、金色の光りを放つ服に身を包んで。

その日の夜は満月だった。二人の布織職人が生きて見た最後の満月。翌日、二人は広場で処刑された。弟子と称していた男は跪かされ、深いため息をつく途中、あっさりと首をはねられた。痙攣する体から吹き出す血を見て、大人たちは興奮気味に声をあげた。師匠と呼ばれていた男は裸にされ、二頭の馬で左右に引き裂かれた。破れた内臓から漏れ出た糞尿の臭いに、大人たちは顔をしかめ笑った。私は、そんな低能な大人たちを冷やかに眺めていた。

あの日、私は、王様の着た美しい服が見えていたのに、見えないふりをした。そのおかげで、私も、私の家族も、街の一員に戻れた。私は小遣い程度の賃金をもらって、より難しい会計を頼まれるようになった。老人たちからは、また聖書を諳んじてくれと頼まれるようになった。私は安い賃金に子どもらしくはしゃいで見せた。喜んだふりをして聖書を語って聞かせた。ふと目をあげると、パン屋の窓の向こうには、自らの首を抱えた男が立っていた。聖書を聞く老人に混ざって、体の裂けた男が内臓を垂らして座っていた。私は、彼らの姿など見えない素振りで生活し、今や七十歳をこえた。

ほら、今こうして語っている間も、二人はそこで、私をただ無表情に見つめているのだ。どうだ、お前にも見えるか? きっと見えないだろう。そう、彼らは知っているのだ。
私にだけ見える、ということを。
私にしか見えない、ということを。
恐怖?
彼らの亡霊につきまとわれて生きることなど、さして怖くはない。ここで話したとおり、私は見えないふりが得意なのだし、なにより亡霊たちは見えるだけで無害なのだから。そんなことよりも、この街の愚か者たちに囲まれて生き続けなければならないことが、苦しいのだよ、虚しいのだよ。心の中で身悶えしながら生きてきた。彼らの愚かさなど見ないふりをして、安い愛想笑いを浮かべて暮らしてきた。
毎日が苦しい。
生活が虚しい。
こんな私をただただ見続けること。
それが、彼ら二人の復讐なのだろうか。

砂の彫刻師@ハワイ

Willway_ER