2018年4月30日

「共感」にいたるプロセス 神田橋先生の『精神科講義』より

共感について、神田橋先生は、
「思いやり」や「思い入れ」→「思い込み」→「洞察」→「共感」
という流れで進むと言う。このことについて、神田橋先生の言葉を使ってもう少し詳しく書く。
最初は「患者を助けたい、支えになりたい」と考える。その思いやり、思い入れの熱心さが昂じて思い込みになってしまう。
「分かる分かる、あんたの言うことはよく分かる」
みたいな。しかし、そこで立ち止まって、
「いやいや、他人のことなんてそう簡単には分からないぞ」
と考えると、ズレが見えてくる。これが洞察。そうすると、異質な部分が見えながら、ある部分については思い込みのときとは異なった「ジーンとする感じ」が出てくる。これが共感。
本章の中で、この「洞察」が生じるような質問の工夫の仕方が紹介してある。

まずは会話の中の「重要な言葉」に着目する。
「私がこうなったのは、結局母のせいだ」
と言われたら、「せいだ」が重要な言葉であり、
「母のせいって、どういうこと? もう少しそのあたりを話してみて」
と問いを返す。
「母は分かってくれない、だから私はこうなった」
ときたら、
「お母さんが分かってくれる、分かってくれない、というのをもうちょっと詳しく」
と返す。
次に頻度の多い言葉に注目する。
「私は古い人間だから」「私のこういうところが古いんですかね」
というように「古い」の頻度が多い人には、
「あなたの言う『古い』とはどういうこと?」
と尋ねてみる。

名著ときどき迷著。精神科を数年やってから読むほうが良いと思う。

2018年4月26日

ダッシュ村から、断酒村へ! 山口達也さんに期待すること

山口達也、30秒間頭を下げて謝罪 芸能活動を無期限謹慎
1月15日ころからアルコール関係で体が不調になり入院し、翌2月12日に退院。その日の昼から飲酒し、酩酊状態になり
典型的なアルコール依存症の人の行動じゃないか……。
入院理由は「肝臓の不調」とし、アルコール依存は否定した。
遠い芸能界の人の話だが、酒にまつわる事件なだけに他人ごととは思えず、同情を禁じ得ない。もちろん、今回は被害者がいるので「酔っていたから」で済まされる話ではないし、その点について厳しい処分があっても仕方がない。

入院時点では「依存症」の診断はつかなかったかもしれないが、現時点ではどうだろう。依存症という現実を受け容れ、断酒治療に踏み切るのが、本人にとって一番良いことではなかろうか。そして、ジャニーズ事務所も、高校2年生から所属している彼のことを大切に思うならサポートして欲しい。

今回の未成年女性への行動で彼から離れるファンはいても、彼が「病気だから」という理由でファンをやめる人はほとんどいないだろう。

TOKIOのメンバーと力を合わせて、ダッシュ村ならぬ断酒村を創ったら良いんだよ!!

冗談はともかくとして、マジメな話、彼ほどの発信力を持つ人であるから、今後この苦しい経験を活かして「アルコール依存症への啓蒙活動」に携わってもらえると、救われる人がとても多いはずだ。

山口達也さん。
そういう再起のしかたは、鉄腕ダッシュで多くの奇跡を起こしてきたあなたにしかできない、あなたにならできることなのかもしれません。
TOKIOでの活躍を待っています。

「アクション」と「イメージ」 神田橋先生の『精神科講義』より

診察室での会話においては、「アクション」(行動)には「イメージ」「言葉」「感じる」といった内省的なものを、逆に「イメージ」「言葉」「感じる」といったものには「アクション」を添えてやると良い。

例えばリストカットは典型的な「アクション」である。これに対して神田橋先生は、
多少カミソリに似たようなプラスチックの定規みたいなものを持って、患者さんに手首を切ったときの動作をどういう姿勢でしたのか、そのとき、どういう気持ちが流れていって、どういうふうになったのかを思い出させるんです。思い出させたら、それ以上なにも解釈する必要はないの。ただ「ああ、そういうことだったんだね」と言っとけば、だいたいリストカットはしなくなります。
実際に自分がやってみたとして、こんなに上手く行く気はしないが、そこは達人と凡人の差であろう。ただ、この考え方はすごく参考になるし、そして、根底にある優しさを感じた。神田橋先生はこうも言う。
家庭内暴力の患者さんに、「家庭内暴力をしてはいけません」とか言わんでね。そうではなくて、「あなたが棒で叩く気持ちと、その叩いた棒が当たった瞬間の気持をぜひ知りたいんだけど。あなたは研究してないだろうから、この次、棒を振りまわしたときに、叩くときの気持ちと当たったときの気持をよく観察しといて、治療の時に報告してね。そうすれば一緒に考えられるから」と言っておくといいです。
これもまた達人の技ではあるが、やはり内側にある優しさが感じられる。そして先生は上記二つについて、こうまとめる。
「アクション」というものは、傍らに「内省」が置かれると、興奮が一定以上にかきたてられず、むしろ基本的な「雰囲気」というものに目覚める。
ではこの逆、イメージにアクションを添えるにはどうやるか。
たとえば「あいつをぶん殴ってやりたかったんだ」と患者さんが言うとします。どのぐらいの強さでぶん殴ってやりたいかが分かるとずいぶんいいので、昔よくやってたのは、枕を持ってきて「殴ってやりたいっていう気持ちぐらい枕を殴ってみて」と言って、「ああ、そのぐらいなの」と言うようにするんです。
「落ち込んじゃう」と患者が言ったら、「落ち込んじゃう、という格好をして」というふうに言うと、アクションを通して本人のなかに無意識が明確化されるのです。アクションと言葉の相互作用が重要です。
精神科講義

2018年4月24日

一生のうち、カゼに苦しむ期間は合計で5年間!? 『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』


一生のうち、鼻づまり、咳、頭痛、喉の痛みといったカゼ症状に苦しむ期間を合計すると、なんと5年間にもなるらしい。しかも、カゼのせいで床につく期間だけでも1年間というから驚きだ。たかがカゼ、されどカゼ。侮るなかれ。カゼ、恐るべし。

本書はそんなカゼについて、サイエンス・ライターである著者が分かりやすく書いたもの。あくまでも一般書であって、専門書ではない。しかも俺は感染症の専門家ではない精神科医なので、内容の真偽については評価できない。内容をまったくの鵜呑みにしてカゼ治療にあたるのも当然アウトだ。ただ、俺が一般人として、自分や家族にあてはめて考えるぶんには許されるだろう。

さて、コロラド大学デンヴァー校の小児科副部長ロットバート医師によると、

「第一次世界大戦時の塹壕以来、病原体がこれほど効率的に共有されている場所は現代の保育施設以外にない」

皮肉な表現だが、先進国においてはかなり真実に近いだろう。そういえば、我が家も長女が幼稚園に行きだしてから、本人、妻、俺という順番でカゼをひくことが増えた。次女、三女が生まれてからは、彼女らにもカゼは伝播している。

本書によると、アメリカ人は合計して年間10億回カゼにかかり、治療に何十億ドルもつかうらしい。また、カゼで病院にかかる外来患者は年間で1億人、欠勤日数は数億日にもなり、経済損失は推定600億ドル以上にのぼるらしい。子どもがカゼで欠席する日数の合計は1億8900万日。すごい数字だ。

ところで我が家では、ほぼ全てのカゼに対して、子どもに薬を使わない。大人は仕事や家事があるので、鎮痛・解熱目的でカロナール(アセトアミノフェン)は飲むが、結婚して以来、夫婦ともに総合感冒薬は飲んだことがない。

カゼ治療についても、本書にかなりあれこれ書いてあるが、結局のところ「有効な治療は明らかでない」という結論である。ただし、子どものカゼについて「総合感冒薬を使わないほうが良い」ことは繰り返し書いてあり、総合感冒薬以外の鎮咳薬などについても勧められてはいない。これには大いに賛成である。

本書の内容とは少しそれるが、実体験を少し。

最近、月1回の全科日直(休日の昼間、子どもから高齢者まで、すべての科の初期診療を行なう)をするようになった。そこで乳児や小児もみるのだが、咳や鼻水や微熱といったカゼ症状に対して、保護者が薬を欲しがることが予想以上に多くて驚いた。子ども自身はケロッとしていて重篤感がなくても、親としては咳や鼻水や微熱が気になるようだ。俺も三人の娘をもつ父なので、心配な気持ちはよく分かる。しかし、子どもは人形ではないのだから、咳も鼻水も微熱も出るものだ。軽微なカゼ症状よりも、不必要な薬を飲ませるほうが有害なことは知っておいて欲しい。また、そういう説明もできる限りやっている。決して「軽症で受診させるな」という話ではない。「せっかく受診したのだから、なにかお薬でも」というお土産感覚で処方箋を求めることは、やめておいたほうが良いということだ。

とても面白い医学系ノンフィクションだったので、多くの人にお勧め!!

2018年4月23日

患者本人にしてみれば、とても怖いと思う 『屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理』

「家の中に誰かがいる」
「知らない人が忍び込んできて悪さをする」
そんなことを訴える患者が時どきいる。

「冷蔵庫の野菜を新鮮なものに入れ替えられる」
「買い置きのゴミ袋を増やしてあった」
「床にこっそりホコリを置いて行く」
はた目には荒唐無稽に見えることを熱弁する姿が、おかしくも切ない。

そういった患者が薬を飲むとどうなるか。
「家の中に人がいるというのは、私の妄想だったみたいです」
となることはあまりない。それよりは、
「些細なことだし、もう気にしないことにしました」
と気持ちが緩やかになったり、
「最近は忍び込まれなくなりました」
そんな解釈をしてみたり、聞いていて微笑ましくなるようなことが多い。

そうしてしばらくすると、再び、
「先生、また家の中に人が……」
と言いだす。詳しく聴いてみると、案の定、薬をやめている。こういうことの繰り返しが精神科ではしばしば見られる。

そんな人たちと接することは、滑稽なようで切なくて、深刻なのに微笑ましい。彼らが上手くバランスをとる手伝いをすることは、医療者としてやり甲斐のある仕事である。


精神科医・春日武彦の本。一般の人が読んでも面白いと思う。

2018年4月21日

ちょっとブラックな短編集 『あなたがさっき食べたのは、ボクのお母さんです』


スマホにKindleアプリを入れたので、無料で読めるプライムリーディングを利用して読んでみた。「KDP作家」というのを初めて知った。「Kindle ダイレクト・パブリッシング」の略である。KDPは「自費出版」みたいなものなので、質はかなりバラつきがあるらしい。

本書のタイトルから食育関係かと思わされるが、実際にはちょっとブラックな短編集である。収録されているのは以下の6編。いずれもちょっとしたオチがある。

「願いをかなえる悪魔」
「アナタがさっき食べたのは、ボクのお母さんです」
「有機3Dプリンター」
「開かずの扉」
「骨折アルバイト」
「脳内ちゃんねる」

このうち秀逸なのは「脳内ちゃんねる」で、ちょいちょい吹き出しながら読んだ。このギャグセンスは好き。ラストはちょっと好みではない。

「開かずの扉」「骨折アルバイト」の二編は主人公が同一で、シリーズ化できそうなくらいキャラだちが良いのだが、「骨折アルバイト」のオチがちょっと弱かった。

どの短編も一定の質は保たれているが、あと一歩か二歩くらいのレベルアップを期待!!

ちなみに、著者はツイッターもされている。@tikyuumarui

2018年4月20日

いま介護している人と、いずれ介護される人たちへ。それから、猫好きな人と、そうでない人たちへ。 『天国への旅立ちを知らせる猫』


老人ホームに住む猫・オスカーには、
「死期の近づいた入居者が分かるらしい」
そんな奇妙な噂がある。その人が亡くなる直前に居室に現れ、ベッドの上で患者に寄り添い、息を引き取るのをそっと見守るというのだ。

その施設で働く著者・ドーサ医師は、最初は施設職員が語る噂を信じようとはしなかった。しかし、オスカーを観察していくうちに、オスカーには「なにか」があると考えるようになる。

本書はなんと、医師なら知らない者はいない権威ある医学雑誌NEJM(ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン)に連載されたエッセイで、多少の脚色は混じっているだろうが実話である。

自分自身、精神科医として認知症の患者やその家族、施設スタッフと接する機会が多いだけに、本書の内容は身近であり、かつ考えさせられた。

ドーサ医師が学生時代に受けた授業を回想する場面があり、その講師の言葉が印象的だったので少し長いが抜粋引用する。
「医療の現場では、医師はよく診断を追及するというあやまちを犯します。いいですか、わたしがここで言いたいのは、病名の診断などさほど重要な問題ではない、ということです。内科医にとっては重要に思えるでしょうし、多くの患者さんもまたそれが重要だと思うでしょう。でも、請けあいます。たいてい、それは見当違い。だって自分の病気が進行性核上性麻痺なのか、アルツハイマー型認知症なのか、ピック病なのか、それともレビー小体型認知症なのか、患者さんがほんとうに気にかけると思いますか?
医師にとっては、とても重要です。病名は、わたしたちが互いに情報を伝達する言語ですから。疾患を定義し、それについて話すうえで役立ちます。しかし、患者さんにとって同様に重要であるとは言えません。
その病気によって自分の生活が変化するかどうかを、患者さんは一番気にかけます。この病気で自分は死ぬのか? 病気になってからも歩いたり、身の回りのことをしたりできるのか? 夫や妻、子どもの世話はできるのか? 痛みはあるのか? 患者さんがいちばん気にかけるのは、そうしたことなのです」
最後に「後記」として、ドーサ医師が認知症の人の介護をしている家族へのアドバイスを5つ挙げているので、これもまた抜粋して紹介しよう。

1.自分自身を大切にしよう。
長期にわたり、一人で責任を背負いこみ、成功した人などいない。

2.現在を生きよう。

3.長い目で見ながらも、ささやかな勝利を祝おう。
「食欲が上向いた」
「あるモノの名前を覚えていた」
そんなささやかな勝利を。

4.質の良い介護を求めよう。
違いを生むのは、施設と家族の関わりである。

5.愛して、手放そう。
どんなに最愛の人であっても、最後には手放すしかない。それは施設に入所させることかもしれないし、死期が迫ったとき自然なかたちで看取ってあげることかもしれない。いずれにしろ、認知症の終末期の人を手放すのは敗北ではない。それは、愛ある行為なのだ。


今や日本は超高齢社会であり、認知症の問題を避けて通れる人はごく一握りだ。

いま介護している人と、いずれ介護される人たちへ。
それから、猫好きな人と、そうでない人たちへ。

この本をお勧めしたい。

2018年4月19日

腫瘍内科医の友人も勧めている名著 『医者は現場でどう考えるか』


腫瘍内科医の友人も勧めている名著。

著者のグループマンはハーバード大学医学部の教授。一般人向けと書かれてはいるものの、医師が読んでもすごくためになる本だ。

また、「この本を書くにあたって、精神科医については奥が深すぎるので除外する」と精神科を持ち上げるようなことが書いてあるが、実際には精神科医が読んでも参考になることが多く、また刺激的だった。

本書は翻訳者・美沢惠子の力量も素晴らしい。医師でこそないものの、国際化学療法学会、国際移植学会、アレルギー・免疫学会、小児科学会、救急医療学会、看護学会などに所属し、医学論文の翻訳に従事しているようで、さすがと頷くレベルの訳に仕上がっている。

医療者・非医療者にかかわらず、多くの人に勧めたい本。

ただし、値段が高い。現時点では中古でも1000円超える。これは購入者泣かせ。これくらいの値段にしないと執筆者・訳者・出版社の利益が出ないのも分かるのだが……。図書館にあれば理想か……。

2018年4月16日

見ただけでなく、現地で働いた人にしか描けない世界 『藻屑蟹』


著者・赤松さんとは、僭越ながら個人的に少しだけやり取りをさせていただいている。年に数回、互いの近況をかいつまんで報告し合うような関係で、ときどき赤松さんの作品を添付していただくこともあった。

そんなある日、「まだ明らかにはできないが、ある賞をとれるかもしれない」というメールをいただいた。まだ確定ではないという話だったので、浮足立ちそうになるのを務めて抑え、しかし、こころは浮き立った。ついに赤松さんが世間から評価される日が来たか。

本作は作家「赤松利市」のデビュー作である。ただし、実のところ、赤松さんは以前に別のペンネームで本を出版されている。それを読んで書いたレビューが赤松さんの目にとまり、そこからのお付き合いになる。俺はその作品をとても面白いと思っているし、ここで大々的に宣伝もしたいのだが、「新人作家・赤松利市」の門出となる本書のレビューで紹介するには不向きと考え断念する。

さて、本作について。

出版されていないものも含めた作品を知っている身からすると、本作は赤松さんらしさが研ぎ澄まされ、ヒリヒリするような作品に仕上がっていると感じた。ただ、この研ぎ澄まされた「赤松さんらしさ」という評価が、ご本人にとって褒め言葉なのか、あるいは歯がみされるものなのか。赤松さんなら、賛辞を賛辞として受け止めつつ、歯がみもされそうな気がする。

他のレビューにも書いてあるので、本の内容を詳述するのは避けつつ感想を書く。

前半から中盤にかけては、グイグイ引っ張られた。誰が読んでもひきつけられるはずだ。人によっては眉をひそめながら、あるいは主人公にある種の密かな共感を抱きながら、これまで誰も明瞭には書いてこなかった原発事故後の町を読むことになる。

この段階で出てくる脇役である友人らを、ただ原稿を埋めるだけの登場人物にせず、各人の背景に触れていくことで人物に厚みを持たせている。そして、主人公と彼らとの友人関係を通じて、主人公の日常生活が想像される。これを短編でやってのけるあたりが、スゴい。

中盤からラスト。赤松さんらしさが研ぎ澄まされ、赤松さんにしか描けないと感じるのはここだ。前半から中盤の内容が多くの人をひきつけるのは確かだが、極端な話、現地を知っていて、なおかつ赤松さんレベルの描写力があれば書けるものでもある(ただし、実際にはそんな人は稀有なのだが)。

赤松さんにしか書けない、描けない。そんな中盤からラストにかけてを好むかどうかが、本作品の読者の分かれ目になるのではなかろうか。

面白くてエンタテインメントに特化した小説も創られる赤松さんの筆が、今回はかなり人間を掘り下げるほうに振られた。インタビューなどを読む限りでは、今後もこの方向性で小説を書かれるようで、これから「赤松刀」がどう研がれていくのか楽しみである。とはいえ、赤松応援団の団長を自認する俺は、基本的にエンタテインメント小説が好きだ。いつかまた、魅力的なキャラが活躍したり、ゾッとするようなラストが待っていたりするエンタテインメント小説も読ませてもらいたいと、団長なのにワガママなことを考えている。

今後の赤松さんのご活躍に期待して、敢えて星を一つ預からせてもらいます。

2018年4月13日

非常に優れたノンフィクション・エッセイ! ただし、章によるクオリティ差が大きい…… 『れるられる』


これは、境目についての本です。生と死、正気と狂気、強者と弱者など、私たちが相反するものと認識している言葉と言葉の境目について考えました。
「はじめに」の冒頭で、著者はこう語り始める。

全6章から成り、それぞれに考えさせられるテーマを適度に掘り下げ投げかける。

第1章「生む・生まれる」は、知力体力に優れ、美形でもあった小学校の同級生・堂元くんの思い出から始まる。著者はある日、帰宅した母から「堂元くん、えらいね」と言われる。母によると、実は彼の兄はダウン症で、その兄の手を堂元くんが引いて歩いているのを目撃したらしい。そのことを知って、著者は「人生の辻褄が合ったような気がして、そんな感情を抱いた自分にぞっと」する。そして、この章では出生前診断、体外受精や遺伝カウンセリングといった問題と、そこにある「境目」に目を向けていく。

第2章は「支える・支えられる」で、阪神淡路大震災や東日本大震災での自衛隊や消防隊、医療チームといった被災者支援をする側、される側の「境目」をたどっていく。そして、PTSDを発症して辞めていく隊員たちや、発症しているのに見逃されたまま思い悩んでいる隊員たちの存在を知り、「支援者」も「支援を必要としている」ことに気づく。彼らを支援するのは心理治療の専門家だけではない。被災者からの「ありがとう」の一言が、彼らを勇気づけ、支えるのだ。「支える」と「支えられる」の「境目」は、メビウスの輪のように循環していた。

第3章「狂う・狂わされる」。
これは精神科領域で、双極性障害の友人の思い出から、自らの双極性障害Ⅱ型に関する話が綴られた。

第4章「断つ・断たれる」は自殺したMくんの話から始まり、大学院を卒業し「ポスドク」と言われる立場にいる人たちの不遇さ等について。

第5章は「聞く・聞かれる」で、盲目の人を取材した経験や、自らの父が喉頭摘出する前後のエピソードなど。

第6章は「愛する・愛される」で、作家・田宮虎彦と妻・千代について。

と、このレビューを読んで分かるように、第1・2・3・5章については優れたノンフィクション、エッセイであったが、第4章と第6章は興味や関心をそそられるものではなかった。

文章量は多くなく、これで2000円はちょっと高い。

2018年4月11日

「終わり良ければすべて良し」が証明された心理実験 『ファスト&スロー』


面白い心理実験がある。

患者グループAとBに大腸内視鏡検査を受けてもらい、Aは10分、Bは20分をかけた。AとBに、1分ごとに感じる苦痛を0(平気)から10(耐えがたい)までの数値で表してもらったところ、双方ともピークは8。検査開始から8分前後が最も辛かった。Aはその後すぐに検査終了し、終了時の苦痛は7。Bはさらに10分近くかけて終了し、10分以降の苦痛のピークは5程度で、最後に感じた苦痛は1であった。

さて、この二つのグループの苦痛を折れ線グラフにすれば、グラフ下側の面積が、おおよその「苦痛の総量」と言える。当然、Bのほうが総量は多くなる。ところが、患者に「検査中に感じた苦痛の総量」を評価してもらったところ、AのほうがBよりはるかに検査に対して悪い印象を持っていた。これについて、ダニエル・カーネマンは次の二つが影響していると言う。

1.ピーク・エンドの法則
記憶に基づく評価は、ピーク時と終了時の苦痛の平均でほとんど決まる。

2.持続時間の無視
検査の持続時間は、苦痛の総量の評価にはほとんど影響を及ぼさない。


もう一つ、別の実験を紹介しよう。被験者は14℃の水に1分間、手をつける。14℃はかなり冷たくて苦痛だが、我慢できる程度ではある。

A.1分たったら、すぐに手を出して暖かいタオルをもらう。

B.1分たったら、水槽にお湯が流れ込み、水の温度が15度になる。15度はそれでもまだ冷たいが、14℃よりはいくぶん苦痛が和らぐ。そのまま30秒ひたして手を出し、暖かいタオルをもらう。

もうお分かりだろう。被験者に、「もう一回、同じ実験に参加するとしたらAとBのどちらが良いか」を答えてもらった結果、8割がBを選んだのだ。客観的に見れば、Bのほうが30秒余計な苦痛を受けているというのに!


単に「苦痛を減らす」ことが目的ならば、たとえピーク時の苦痛が大きくて印象が悪くても、さっさと終わらせてしまうほうが良いだろう。しかし、「苦痛の記憶を減らす」ことが目的なら、たとえ時間がかかっても終了時の苦痛を穏やかなものにするほうが効果的なようだ。

これはまさに精神科医療で実感することである。入院生活を、保護室という苦痛の多い環境からスタートする患者は少なくない。彼らの症状が治まったからといって、すぐに退院させるとどうなるだろう。逆に、そこから一般病棟に移って、看護師やスタッフと関係を築いて、それなりに居心地が良くなってから退院するとどうなるだろう。上記の実験のように、苦痛レベルと時間だけで考えたら、さっさと退院するほうが苦痛総量は少ないはずだが、実際には、ゆっくり退院させた患者のほうが精神科に悪い印象を持つことは少なく、治療の継続率も高い印象がある(※)。

「終わり良ければすべて良し」
心理学を応用した騙しと誤魔化しの手口とも言えるが、長期にわたる治療が必要な患者とその家族にとってプラスになるのなら、そのために医療者は多少ズルくならなくてはいけない。

※もちろん、長く入院することでより強い治療関係が構築されるという要素もあるだろう。

2018年4月10日

米原万里の読みハズレしないエッセイ集で、隙間時間の読書に最適 『真昼の星空』


米原万里が読売新聞の日曜版に連載したエッセイを集めたもの。さすが名エッセイストと言われるだけあって、いずれも読みやすく、そして面白い。新聞連載の短いエッセイなので、一つ一つを読むのに時間がかからない。隙間時間で読み進めていくうち、いつのまにか読了。

強く印象に残った部分を1ヶ所だけ引用。
才能とは、才能そのものだけではなく、それを現実に合わせて生かす能力を含めて才能なのだ、という考え方。(中略)
才能は埋もれるはずのないものなのだ。その才能を花開かせる力も含めて才能なのだ。
隙間時間での読書にオススメ。

2018年4月9日

AIはプロ棋士を廃業に追い込むのか? 『不屈の棋士』


将棋のプロが人工知能(AI)に負けた。

そのニュースを知った数年前、「ふーん」くらいにしか思わなかった。「だからなに?」と。今回、本書を読んで改めて「コンピュータが勝ったからって、別にどうってことはない」という想いを強くした。

本書は将棋ソフトに対する姿勢や想いを11人の棋士にインタビューしたものである。羽生善治は超有名なので知っている人も多いだろう。残り10人は将棋ファンなら知っているのかもしれないが、俺は知らない人ばかり。それでも将棋そのものは好きだし(とはいえ、もう何年も指していないが)、将棋界に興味はあるので、それぞれの棋士が語る話は面白かった。

AIと人間の勝負、あるいはAI同士の勝負を、仮にフィギュアスケートに置き換えて想像してみる。見た目が人間そっくりのアンドロイドができたとして、そのアンドロイドと人間の演技勝負を見て楽しいだろうか? あるいは、アンドロイド同士の勝負は魅力的だろうか? きっと一部のマニアだけが好むものになるはずだ。

人間には、体調管理、プレッシャー、ミスといった要素があり、それらを乗り越えて勝利を掴んだ人や、つまずいて涙する人の姿に共感したり感動したりするのではなかろうか。だからきっと、AIがどんなに進歩しても、プロ棋士同士の勝負の魅力が失われることはないだろうと、希望もこめて信じている。

2018年4月7日

認知症ケアについて 神田橋先生の『精神科講義』より

認知症への対応は、子どもの発達を頭に入れておくと役に立つ。

1.介護される。
2.意見を言う、イヤと言う。
3.自分で自分のことが分かる。 
4.お手伝いができる。
5.能力を自分でも認め、人にも認められるようになる。 
6.他人を介護する、教える。

認知症はこれを逆に進んでいく。そして、できるだけ成長した段階をあせてあげることが相手を大切にしていることになるし、看護にもやりがいがある。例えば、重度の認知症だと受身の介護だけであるが、ここでたとえばオムツを替える時に嫌がるそぶりがあれば、
「イヤだよね、イヤだったらイヤって言ってみましょう」
と声をかけてみる。これは1を2へ誘導しているということ。

オムツを替える時、
「着物のすそをちょっと持っていてね」
とやるのは、4の段階であるし、終わって「ありがとうね」と声をかけてあげれば5の段階に近い。

また、余談ではあるが、女性は姓が変わっていることが多いから、名前で呼んであげるほうが良い。

以上、神田橋先生の『精神科講義』から抜粋したものを文語体に直してある。

精神科講義

名著であり、一部迷著である(笑)

2018年4月6日

音楽にまつわる症例で知的興奮を感じるだけでなく、サックス先生の臨床姿勢に背筋を伸ばされるような一冊 『音楽嗜好症 脳神経科医と音楽に憑かれた人々』



音楽幻聴が聴こえる側頭葉てんかんの話題から始まり、絶対音感、音楽サヴァン(サヴァン症候群の中でも音楽に秀でるもの)、共感覚、記憶喪失と音楽、失語症やパーキンソン病や認知症に対する音楽療法、片腕のピアニストの幻肢、音楽家のジストニー(指が動かなくなる)、ウイリアムズ症候群など、扱われる話題は幅広く、そして奥深い。

オリヴァー・サックス先生は神経内科医だが、その中でも立ち位置的に精神科寄りのところがある。実際、先生自身が精神科病院で勤務した期間も長いようだ。だからだろうか、単に専門的に詳細なだけでなく、サックス先生が患者と関わりながら、温かな目を通して患者の症状や生活が描かれていて、その姿勢にこちらも背筋が伸びる気持ちになる。

本書を読むには大脳生理学、神経生理学の知識が多少ないとちょっと分かりにくいところがあるかもしれない。逆にそういう知識が少しでもある人(本当に少しでいい)が読むと、これほど面白い本はないのではないかというくらいに引きこまれる。

最相葉月の『絶対音感』も面白かったが、それを圧倒的に上回る、エキサイティングでスリリングな音楽と脳にまつわる一冊。

2018年4月5日

「なんとなく」の感覚を大切に!! 『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』 (後編)

人の顔を思い出すという行為は無意識の認知である。考える必要はなく、顔がすっと浮かぶ。しかし、紙とペンを渡されて、輪郭、髪の色、目鼻立ち、服装、アクセサリーなど、見た目の特徴を詳しく書かされたらどうだろう。警察が容疑者を捕まえて目撃者に確認させることを「面通し」と言うが、こうした説明を求められた後に面通しをすると、今度はその人の顔をちゃんと言い当てられなくなるそうだ。

何もしなければ問題がなかったはずの「顔を見分ける能力」が、顔の特徴を説明することで弱まってしまう。心理学者ジョナサン・W ・スクーラーは、これを「言語による書き換え」と呼ぶ。顔を言葉で説明すると、視覚記憶が言語に置き換わり、「どんなふうに見えたか」ではなく、「どんなふうに見えると言ったか」の記憶を引き出すというのだ。


別の話もある。

1983年、カリフォルニアにあるゲッティ美術館に、紀元前6世紀の大理石像が持ち込まれた。「クーロス」と呼ばれる全裸の若い男性の立像で、美術商の言い値は1000万ドルだった。美術館側はクーロス像を借り入れ、徹底的な調査にかけるなど慎重に対応した。地質学者が高解像度の立体顕微鏡を使って2日がかりで精査し、また電子顕微鏡、質量解析機、X線解析などのハイテク装置を駆使して調べあげた結果、このクーロスは本物であると結論づけられた。

しかし、このクーロスを見たイタリア人の美術史家は一目見て、なぜだか分からないが「爪が変だ」と思った。また、別のギリシア彫刻専門家は見るなり「お気の毒に」と言っていた。さらに、メトロポリタンの元館長は見た瞬間に「新しい」と感じた。アテネ考古学会会長は「初めて見た瞬間、なんだかガラス越しに見てるような感じがした」としらけてしまった。これらの評価を受け、改めて調査された結果、クーロスそのものではなく、彫像にまつわる手紙や書類が偽者であることが発覚し、このクーロスはほぼ間違いなく模造品だと結論づけられた。

専門家が第1感で見抜くのに要した時間、2秒。

この本では、こうした第1感による成功例だけでなく、それが失敗につながった例も挙げてある。そして、なにがその第1感を歪めてしまったのかにも言及してあるところがバランスが取れていて良い。

2018年4月4日

「なんとなく」の感覚を大切に!! 『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』 (前編)

アイオワ大学で行なわれた面白い心理学実験がある。

赤いカードと青いカードが数十枚ずつ用意され、それぞれ「10ドル勝ち」「2ドル負け」など書かれている。赤には大勝ちもあるが大損もある。逆に青には大勝ちが少なく、負けを引いても損が少ない。

被検者はそれぞれの山から一枚ずつめくっていき、最終的にプラスなら勝ちだ。先に手の内を明かすなら、赤を無視して青だけを引いてゲームを終われば勝てる仕組みになっている。さて、被検者はカードを何枚ほど引いたところでに気づくだろう?

たいていの被検者は、50枚ほどめくったところで、なんとなく必勝の法則に気づく。確信にまでは至らないが、なんとなく「青のほうが良さそうだ」と思い始める。さらにゲームを続け、80枚ほどめくれば必勝法に確信を持ち、赤いカードを避けたほうが良い理由も説明できるようになった。経験を積み重ねて一定の仮説を立て、さらに経験を重ねて仮説を検証するというプロセスの結果である。

しかし、この実験の面白いのはここからだ。

被検者の手のひらに測定機を取りつけ、汗の出かたを調べた。汗の出かたで、被検者のストレス反応を測ろうとしたのだ。その結果、なんと10枚目くらいで、みんな赤いカードにストレス反応を示し始めた。また、同時に青いカードを引く回数が増え、赤の回数は減った。つまり、被検者は「なんとなく青が良さそうだ」と意識する前から、危険を回避する方法を取り始めていたということだ。


この本に挙げられる実験や事例は面白かったので、また改めて紹介したい。

2018年4月3日

「ものは言いよう」がよく分かる心理実験 『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』

まず以下の文章を読んで、選ぶとするならどちらかを考えてみて欲しい。

1.10%の確率で9500円もらえるが、90%の確率で500円失う賭けをやりませんか?

2.10%の確率で1万円もらえるが、90%の確率でなにも貰えないこのクジ券を500円で買いませんか?

心理実験では(2)と答える人が圧倒的に多いらしい。あなたはどうだっただろうか。実際には内容はまったく同じで、どちらも勝てば9500円のプラス、負ければ500円のマイナスである。

では次の問い。

1.術後1ヶ月後の生存率は90%です。

2.術後1ヶ月後の死亡率は10%です。

もう分かると思うが、これも同じことを生存率・死亡率と表現を変えて言っているに過ぎない。しかし、自分が患者だとしたら(1)に賭けてみたい気になる。

では、さらに問題。

ある病気が流行する兆しがあり、放置すると600人が死亡すると見込まれる。対策として、2つのプログラムが提案されているとする。さてどちらを選ぶだろうか。

1.プログラムAでは、200人が助かる。

2.プログラムBでは、3分の1の確率で600人が助かるが、3分の2の確率で600人が死ぬ。

次に、これらをこう言い換える。

1.プログラムAでは、400人が死ぬ。

2.プログラムBでは、3分の1の確率で誰も死なずに済むが、3分の2の確率で600人が死ぬ。

内容は同じだが、ニュアンスが違い、選択を変えたくなる人もいるだろう。


「ものは言いよう」という言葉があるが、まさにその通りだと思う。先日、これを診察室でも応用してみた。抗うつ薬の副作用について説明する時に、いつもは、
「100人に1人くらい、吐き気や食欲不振、下痢や便秘があります」
と言うのだが、少し変えて、
「副作用には吐き気が食欲不振、下痢や便秘がありますが、100人中99人には起こりません」
というふうに伝えてみた。結果は驚くべきもので、とは行かず、もともと抗うつ薬を飲むのに抵抗はなかったみたいで、伝え方を変えたことがどう影響したかは分からなかった。

でもまぁ、臨床にも日常生活にも使える心理学ではある。


上記実験は以下から引用。

2018年4月2日

司馬遼太郎の直木賞受賞作だが…… 『梟の城』


司馬遼太郎といえば歴史小説家というイメージだったが、忍者を主役にした本書は歴史伝奇小説というジャンルに入るかもしれない。

主人公は伊賀忍者の葛籠重蔵(つづらじゅうぞう)だが、全体の記述は神視点の群像劇である。物語は重蔵が秀吉を暗殺するという最終目的に向かって、わりと淡々と進む。そんなにドラマチックな展開や華々しいアクションといったものはない。率直なところ、これが直木賞を受賞したということには首を傾げてしまう。

とはいえ、面白くなかったわけではない。期待しすぎていただけに、ちょっと肩すかしをくらった感じである。