2018年5月31日

「死むよ!」なんて言うのは、うちの子だけじゃなかったのか!! 『ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密』


「これ食べたら死む?」

表紙に書いてあるこの質問を見て、俺も妻も「あるある! みんなそうなんだ!」と驚いた。本書には取り上げられなかったが、うちの長女は「破いて」「破って」のことを「やぶして」と言っていた時期がある。

こうした子どもの言い間違いはどうして起こるのかを探ることで、言語はどのように習得されていくのか、言葉とはなにか、ということを追究していく。といっても本書はごくごく初歩の入門書ということで、非常に読みやすく面白い。言語学者はこんなことを仕事にしているのか、ということも分かる。

言語に興味のある人だけでなく、小さい子をもつ親も「あー、それうちも!」と面白く読めるのではなかろうか。

2018年5月28日

本当に読ませたい人には読まれない「読書」についての本 『読書のチカラ』


日本人の読書離れがニュースになっていた。2018年2月に発表されたものでは、全国の大学生の53.1%が1日の読書時間を「0分」(!)と回答したそうだ。2014年の調査では、マンガや雑誌を除く1ヶ月の読書量で、「読まない」との回答が最も多く、なんと47.5%!!

若者の活字離れ……? いや、そういう話でもないようだ。2014年調査では、高齢者で「読まない」割合が高く、70歳代以上で59.6%、60歳代で47.8%であるのに対し、20歳代は40.5%、10歳代(16~19歳)は42.7%なのだ。

本書は明治大学文学部教授である著者が、読書によって得られるものに始まり、いかにして本を選ぶか、そしてどう読むか(「読み飛ばすのもアリ」など)を語ったもの。読書が趣味の人にとっては当たり前のような話で、きわだって目新しいものがあるわけではない。普段あまり本を読まない人にとってこそ得ることの多い内容だろうが、ではそういう人たちにこの本を読ませるにはどうしたら良いのか……。

2018年5月25日

オックスフォード英語大辞典の完成に多大な貢献をした統合失調症患者の話 『博士と狂人』


『オックスフォード英語大辞典』というとんでもなく膨大な辞典の完成には、ウィリアム・チェスター・マイナーという男性が多大な貢献をした。彼は資産家の息子であり、元外科医であり、また元陸軍将校でもあった。そして、現在の医学用語で言えば、統合失調症を患う精神障害者でもあったのだ。

彼には幻覚妄想に影響されて殺人を犯したという経歴があり、そのせいで人生の半分以上を精神病院で過ごすことになった。彼は精神病院の中で本を読み、そして辞典の編纂者と連絡をとりながら、妄想と現実の間を行き来していた。

本書は“狂人”マイナー博士と、編纂者のマレー博士を中心にして、オックスフォード英語大辞典ができあがるまでを描いたノンフィクション。原題の『The Professor and The Madman』を直接に訳した邦題に好感が持てる。

紙の辞書・辞典が好きという人(俺も好き)には、それらがどうやってできるのかの一端を知ることができてお勧めである。

2018年5月24日

リーダーとしての役割を求められる人にお勧め 『野村の眼』

 
著者の野村克也は元プロ野球選手・監督であるが、本書は診療に携わる精神科医としても、病棟医長というリーダーとしても非常にためになる一冊だった。

野村克也が楽天イーグルスの監督をやっていた時期、自分よりもかなり若いコーチ陣に対してかけた言葉が良い。
「お前らには、決定権はないが発言権はあるんだ。遠慮はいかん」
これは自分も病棟スタッフに対するスタンスとして心がけていることであり、また時には言葉にして伝えることでもある。

「医師の判断も診断も治療方針も、絶対に正しいなんてことはありえない」
だからスタッフの「なんか変だぞ」という感覚や報告を大事にする。それが自分の感覚とズレている場合には、その原因がどこにあるのかを考える。患者と接する時間の長さや観察する時間帯の違いなのか、それとも自分が男でスタッフが女性だから感じかたが異なるのか、単に自分の見落としか、あるいはスタッフの考えすぎか等々。そして今後の方針を決定するが、決定権は自分にある。もちろん結果の責任も自分にある。

どんな医師もチームリーダーとなることは避けられない。生まれながらにリーダーとしての資質がある人は、自分の感性に任せてチーム運営すれば良いが、残念ながら多くの人にはそういう天性の素質は備わっていない。自分もそのことを重々分かっているので、こういう本を定期的に読むようにしている。ちなみに、野村克也もかなりたくさんの本を読んで言葉を磨いたそうだ。

プロフェッショナルは、そうでなくてはならない。

2018年5月23日

なんという虚しさ 『総員玉砕せよ!』


『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるの戦争体験を漫画化したもの。決してグロテスクに描かれているわけではないし、悲惨さをことさらに強調もしていないのだが、それでも伝わってくる虚しさがある。実際に体験した人だからこそ描ける世界、という感じだ。

当時の日本軍の理不尽さには呆れるばかりである。しかし、終戦から70年以上が経ったいま、その理不尽さを継承しているかのような日本企業が話題になることがある。こういう体質から脱却しないと、なんの展望もない「総員玉砕」という悲劇が繰り返されるんじゃなかろうか。

2018年5月22日

ちょっと中途半端な本 『アルコール依存症は治らない “治らない”の意味 』

旅人が老人に尋ねた。
「隣村までは歩いてどれくらいかかりますか?」
老人は、
「歩きなさい」
と答えた。
「いやいや、わたしが知りたいのは、隣村までどれくらい時間がかかるかなんですよ」
そう言う旅人に、老人は諭した。
「まず歩いてみなさい。その歩きかたを見なければ、何時間かかるか判断できないではないか」


本書にある寓話を少し改変したもので、精神科医療にとって有意義な示唆に富む物語である。診察室で、患者や家族に生活上の提案をしたら、
「それをやって、どれくらいで治りますか?」
と尋ねられることがある。まず実行できるかどうか、そしてどれくらいのペースでやれるか、そういったことは人によって異なる。だから、やってみないことには「どれくらい」なんて予測もつかない。実際には、やってみても予測がつかないことは多々あるけれど……。

さて、本書はソーシャルワーカーの吉岡隆が、精神科医なだいなだに個人指導を依頼したことから話が始まる。指導はメールのやりとりで行なわれ、なだいなだのピシピシと厳しくも小気味良い弁舌が読んでいて気持ち良かった。

ところが、読み始めは「なかなか良い本だ」と思ったのに、そのやりとりは80ページほどで終わってしまった。そして、そこから70ページほどは吉岡隆が自身の「性依存症」について語り、また、依存症を抱える人たちとの仕事での関わりを振り返るような内容だった。240ページ弱ある本のうち、3分の1である。率直に言って興味のもてるものではなかったので、かなり読み飛ばした。

最後はなだいなだによる「常識を治療する」と題された章だが、彼の本を何冊か読んだことのある者にとっては、ただの「繰り返し」に過ぎない。敢えて精読する必要性を感じなかった。

2018年5月21日

症状と自然治癒力 神田橋先生の『精神科講義』より

身体の症状というのは、多くは「自然治癒」あるいは「自己防御」の一つである。

たとえば怪我したり骨を折ったりすると痛い、だからその部分はあまり使わず、全身でかばうような動きになる。そうすることで、そこに外的刺激が加わらずに傷の治りが早くなる。「怪我したから痛い」というより、怪我した場所を使わせないために痛い。痛くなかったら、怪我した場所に気づかずに動かしたり汚したりして治りが悪くなる。

発熱は、体温を普段より高めることで体内の免疫を高めて外敵に対抗する(体温と免疫は関係ないという話もあるが)。下痢や嘔吐も、外敵や異物を早めに排除する機構だ。「倦怠感」は病気の結果に見えるが、「動かないようにして体を休ませるため」とも考えられる。「食欲低下」も、「エサを求めてウロウロする必要がなくなり、ただ休むことのみに集中できる」という機能があるとも言われている。

精神症状も似たようなところがあるはずだ。徹夜してナチュラルハイになった経験のある人は多いと思う。うつ病のときの不眠も、憂うつに対抗するためのナチュラルハイを「体が求めて創り出している」という部分があるのかもしれない。「朝がだるくて夕方が元気」という典型的な日内変動も、多くの精神・身体的な活動を要求される日中に療養させるという説明が一応成り立つ。これはもう完全に空想でしかないけれど、そういうようなことが多少はある気がする。

さて、神田橋先生が似たようなことを書いていたので抜粋・引用する。
悪い作用に対して、自然治癒力は反応という形で抵抗する。出てきている状態象というものはこの反応だから、悪い力とそれに抵抗している自然治癒力とのカクテル。
たとえば子どもが独立した。あるいは夫婦別れした。そして独りぼっちになって、寂しくなって、酒を飲んで、アル中になっちゃった。その経過をこういうふうに考えるの。
独りぼっちになった、寂しい。その寂しいのを治療するために、薬として酒を飲む。「寂しい」と、ずっと寝とってもいいけれども、酒でも飲んで、仕事も行って、「何とか酒の力を借りてやっていこう」ということにした。その結果、アル中になっちゃった。
アル中になって人にからむ。からむのは、酒を飲んでもなお癒されない寂しさから、人との関係の中にもう一度戻ろうとしていると考えれば、これもまた一つの自然治癒力で、“人にからむ”という自然治癒力の働きがそこにあるんじゃないか。寂しさを、なんとか癒していこうとする本人の無意識の工夫があるんじゃないか。
以前に紹介した『人はなぜ依存症になるのか』にも通じる言葉である。

2018年5月19日

質問の工夫 神田橋先生の『精神科講義』より

神田橋先生の『精神科講義』に、質問をする時の工夫についての話がある。その中でも一番面白くて、もの凄く腑に落ちる感じがしたのが、四文字熟語とカタカナ言葉について。
こういう言葉は、分かってないことを分かったみたいにまとめてしまうために使われているからね。
多くの場合、こちらが「えっ?」と思うくらいに、こっちの考えていることと違うことを言います。
「夫婦関係は大事にしています」
とまぁ、ある人が言う。
「そう、あなたは夫婦関係を大事にしているの。で、どんな風に大事にしているのかちょっと教えて?」
「残業のときは、寿司を買って帰るようにしています」
「で、いつも寿司?」
「はい、いつも寿司です」
「あなた、それじゃ夫婦関係を大事にされとるというふうに、相手の人は思わんじゃろう」
というような、そういうふうにびっくりするようなことがあります。
「この人は夫婦の間がズレているんだな。本人は寿司を買っていくということで調整している気になっているけど、何にも調整されていない。夫婦関係を大事にしとるどころか夫婦関係をむちゃくちゃにしてるんだなぁ」
ということが分かって、その人の話がよく分かってくる。そして、そうやっているその人の哀しさが伝わってきて、ジーンとしたりする。共感だ。

2018年5月18日

若い人たちにこそ読んでみて欲しい、ノンフィクションとリーダーシップ論を混ぜ合わせたような本 『宰相のインテリジェンス』


ノンフィクションとリーダーシップ論を混ぜ合わせたような本。

2001年9月11日に米国同時多発テロ、2011年3月11日の東日本大震災。それぞれの前後に発揮された、あるいはからっきしダメだったリーダーシップについて、ちょっとした裏話もまじえて論じてあった。

特に東日本大震災時の菅総理の行動について書かれている部分で印象的だったのが、
(リーダーは)些細な実務や小さな決定に手を出してはならない。国家の命運を左右する局面ではおのが決断に持てる全てを傾けて、しかる後に結果責任を淡々と担ってみせる――危機の指導者の取るべき鉄則から最も遠くにいたのが、我がニッポンの指導者だった。
民主党政権時代の鳩山総理や菅総理を、著者の政治的スタンスによってボロクソにけなしているような内容ではなく、どれも読んで納得のいくものばかりだった。

20歳前後の人に、ぜひとも読んでみて欲しい本。

2018年5月16日

酒を飲まないための小さな知恵を集めた本 『どうやって飲まないでいるか』


断酒して7ヶ月になる。これまでの俺を知っている人たちからは「意志が強い」という評価を受けることもあるが、その都度、
「本当に意志が強い人は適量でやめられる。意志が弱いから、そもそも飲まないという選択をしているだけなのだ」
と訂正している。

こう書いてみて、これはAA(アルコホーリクス・アノニマス)12のステップで真っ先に書いてあることと似ているなと思った。
私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた。
別にこれを意識しているわけではないが、仕事関係で過去に読んだこの文章が頭のどこかに残っていたのかもしれない。

断酒は大変か、というと、幸いにしてそうでもない。淡々とやめている、というのが実情だ。多くのアルコール依存症患者をみてきた身としては、その点とてもラッキーだったと思う。

ありがたいのは、これまでの飲み仲間も変わらず「飲み会」に誘ってくれつつ、そこで「飲まない」ことを受け容れてくれていること。禁煙や断酒をした人にしつこく再開を勧める人もいると聞いたことがあったので、自分の周りにそういう人がいないことに安堵した。

本書は「酒を飲まないための知恵」を集めたものである。酒を飲みたくなったら甘いものを食べるとか、食事会で酒を勧められたときの断りかたとか、そういう具体的な話が多い。どれもとても平易な言葉で書かれているので、アルコール問題を抱えていて、かつ断酒の意思のある多くの人に勧められる。

注意しないといけないのは、断酒の意思がない人に無理に読ませてもまったく意味のない本で、そういう人に家族が「これ読みなさい!」と渡すのは百害あって一利なしということ。あくまでも「どうやって飲まないでいるか」であって、「どうやって飲ませないか」ではないのだ。

2018年5月15日

あまりに残念…… 『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』


広島と長崎。原爆を落とされた二つの街について、「怒りの広島、祈りの長崎」という言い回しがあるらしい。完ぺきに言い当てているわけではないが、言い得ている部分はあるように思う。

広島に原爆ドームがあるように、長崎にも浦上天主堂という遺構があった。戦後すぐの長崎市民の意見は「残すべし」「撤去してほしい」と分かれたようだが、被爆後10年以上はそのまま残されていた。ところが、1958年には撤去されてしまう。本書には当時の写真が何枚か掲載されているが、これは残しておくべきだったのではないかと強く感じさせる。

写真はグーグル検索でも見ることができる。

どうして、こんなに訴求性の非常に高い遺物を撤去してしまったのか。それを徹底的に追及していったのが本書である。著者は、撤去の背後には、原爆を落としてしまったアメリカの後ろめたさや思惑があったのではないかと述べ、そのアメリカに追従してしまった当時の市長へもやや批判的に書いてある。市長にしてみれば反論もあろうが、撤去は大いなる過ちであったと、60年後のいまを生きる俺としては思う。

2018年5月14日

具体的かつ平易。ただし、実践できるかは別問題 『子どもと接するときに ほんとうに大切なこと』


どれも具体的で、かつ平易な文章で書かれている。だからといって実践も簡単かというと、子育てはそんな単純で甘いものではない。

とはいえ、親のこころや気持ちのリフレッシュになることは確か。

たとえば、同じ褒めるにしても「ちょっと時間をおいてから褒める」というのは、なるほどなぁ、と思う。こうすることで、たとえ本人は忘れていても「お父さんやお母さんがこんなに長く覚えているんだから、きっとかなり良いことだったんだ」と思う。

また、叱る場合も、事前に「教えたいこと」を決めておいて、良いタイミングを探して叱る。決して「叱る準備のできていない状態で叱らない」。準備不足だと、どうしても感情的になってしまうから。

こうして書くと簡単そうだが、やるとなると難しいだろうなぁ。でも、やってみようと思う気持ちが大切だと信じている。

2018年5月11日

池波正太郎が描く新選組二番隊組長・永倉新八の爽やかな生きざま 『幕末新選組』


『近藤勇白書』に続いて、新選組の二番隊組長・永倉新八を主人公にした本書を読んでみた。

新選組関係の小説は他にも読んできて、どれも永倉新八は好人物として描かれていたが、本書ではその永倉が主人公で、これでもかというくらい爽やかっぷりを前面に出してある。読んでいて微笑ましいし、こういうこころのありかたや生きかたに憧れる。

とても面白いので、お勧めである。

2018年5月10日

池波正太郎が描く愛され人間・近藤勇 『近藤勇白書』


新選組関係の小説は、これで何冊目になるだろうか。作者の視点、切り口で雰囲気が変わっていて、いまのところ、どれもたいてい面白い。今回は池波正太郎で、池波小説は初めだったが、とても面白かった。

近藤勇を主人公に据えてはいるが、いわゆる「神視点」がときどき入るし、他の人物視点になることもある。視点の移行はスムーズなので、「神視点」嫌いの俺でもそう気にすることなく読めた。

近藤勇を付け狙う架空の人物(?)がいる。あえて登場させる必要があるのか疑問に思ったのだが、要所でこの人物が語る内容は味わい深く、きっとこれこそ池波正太郎が言いたかったことなのではないかという気もする。

新選組をテーマにした小説なので、薩摩・長州に対してはちょっと辛口だった。

2018年5月9日

足の裏と性感帯、それから脊髄損傷患者の性感帯 『脳の中の幽霊』

これは脳のどの部分で体の刺激を感じるかということを示したものだが、見ると分かるように、足、それも足の尖端の近くに性器がある。


あっ!!

これを見て、もの凄く驚いた。
10人に1人くらいの割合で、足の裏をくすぐってもらうのが好きな人がいる(実際に俺もそうだ)。このことと、足の裏と性器の刺激を感じる大脳皮質がこれほど近いことは、決して無関係ではないのではなかろうか。


不幸にも手や足を切断した人には幻肢痛といわれるものが起こることがある。そのとき、たとえば手を切断した人の大脳皮質では、失われた手を司る大脳皮質部分の隣にある顔面や体幹の皮質が再配置される(グーッと侵食してくるようなイメージ)。本書の中に、腕を切断したあと、顔を触られると手を触られたような感じがするという患者の話があった。

あっ!!

そういえば過去に読んだ障害者のセックスに関する本のどれかに、脊髄損傷後の性感帯の話があった。脊髄損傷すると、損傷した脊髄の高さに応じて運動や感覚が麻痺する。そして、感覚の麻痺した部分と正常部分との境い目に強烈な性感帯ができるというのだ。冒頭に紹介した足の裏と性器、それから皮質の再配置と合わせて考えると、幻肢と同じようなメカニズムが関与しているのではないかと思えてくる。

本書はそれ以外の話題も豊富で、もの凄く知的刺激に満ちた本だった。『レナードの朝』で有名な神経内科医オリヴァー・サックスの本が好きな人なら、同じくらい楽しめると思う。

2018年5月8日

伊坂幸太郎が好きな人なら好みかも! 『映画篇』


ゆるやかにつながる5つの短編からなる物語。ミステリではないので、伊坂幸太郎のようなトリックがあるわけではないが、全体的な雰囲気が伊坂作品と似ていて、伊坂ファンなら好みかもしれない。

この本を読んだキッカケを書いておこう。

『BORDER』というテレビドラマをたまたま観たら面白くて、ネットで原作小説を探してみると、原作はないものの原案・脚本が金城一紀だということが分かり、彼の書いた小説を読んでみようということで本書にたどりついたのである。

こういう本の探しかたも、まさにネット時代という感じがする。

2018年5月7日

アルコール依存症の治療に携わるすべての医療者へお勧め。一緒に革命を起こしませんか!? 『アルコール依存症治療革命』

依存症の治療は難しい。患者たちはそう簡単に生きかたを変えようとしない。むしろ治療意欲に乏しい人が多く、「底つき体験」を経なければ自らの問題に直面できないし、問題に気づいていない人すら少なくない。

ずっとそう思ってきた。そういうタイトルのブログも書いた。
依存症治療は難しい 『依存症』

だが、本書を読んで考えかたが変わった。それも、大いに反省しながら。

依存症の治療は、確かに難しい。しかし、難しくしているのは、自分たち医療者のほうだったのではないか。

いくつか引用していく。
治療を困難にしている最大の原因は、治療者の患者に対する陰性感情・忌避感情である。
アルコール依存症の治療が困難なのは、治療技法が難しいからではなく、治療者が症状を「症状」として捉えられず、「けしからん!」と感情的になってしまうことに問題がある。「病気」や「症状」として理解できていないと、「治療」ではなく「罰」で対処しようとする。
まさに、これである。さすがに「けしからん!」「処罰感情」という状況にまで陥ってはいなかったものの、それに近い態度をとってしまったことがあるかもしれない。また、スタッフのそういう姿勢や発言を見過ごしてきたかもしれない。これでは治療がうまくいかないのも仕方ない。

依存症については「自己治療」という考えかたがある。
アルコール依存症患者の飲酒は、生きにくさを抱えた人の孤独な自己治療である。
彼らの多くは、幼少時から深い傷を負っていたり、人に対して安心感をもてなかったり、過度の緊張を強いられたりしている。そして、苦しい時にも人を信頼できず、誰にも相談したり助けを求めたりできない、対処できない困難に直面する時、飲酒によって気分を変えて凌いできた。
この「孤独な自己治療」という考えかたを初めて知ったのは『人はなぜ依存症になるのか』という本だった。この考えかたがとても好きで、今後の治療における座右の銘に据える。

さて、引用を続ける。
アルコール依存症の治療では、患者も家族も治療者も断酒に囚われやすい。治療者や家族は必ず「絶対飲酒しないように!」と釘を刺す。患者は「飲みたい」、でも「飲んではいけない」と葛藤している。断酒を強要されると飲酒欲求は高まる。断酒を強要することは害でありやってはいけない。再飲酒を責めることも禁忌である。
飲酒をやめようと思っても飲んでしまうのは、アルコール依存症の症状である。病気の症状を責めてよくなるわけがない。むしろ悪化する。
本書では治療者が留意すべきこともたくさん書いてあり、その一部を紹介する。
予定通り来院できなくても責めない(連続飲酒が続いている場合や、やめて間もない場合は、予定通りに来院することがいかに大変であるかを知っておく)。
「ようこそ」と笑顔で迎え入れる態度をもてれば、それだけでも十分に治療的である。 
断酒が続かなくても、治療につながっていればやめられるようになることを知っておくと、治療者は余裕をもって対応できる。治療者が、患者によい変化が得られず結果を焦ることのないように留意しておく。
最後に、依存症治療におけるもっとも大切なことを引用する。
彼らの中に「このままではいけない」、「回復したい」という思いが存在することも事実である。そして、自分を受け入れてくれる拠り所を求めている。人から癒しを得ることができなかったために物質による「仮初めの癒し」を求め、のめりこんだ結果が依存症である。とすると、人の中にあって人から安心感・安全感を得られるようになった時、物質によって気分を変える必要はなくなる。依存症からの回復には、基にある対人関係の問題の改善が不可欠である。(中略)
治療者は、薬物使用の有無ばかりに囚われた近視眼的な関わりではなく、背景にある「生きにくさ」「孤独感」「安心感・安全感の欠如」などを見据えた対応が必要である。
医療者であれば、科に関係なく、必ずどこかでアルコール依存症の人に関わる。なぜなら、アルコール依存症の人は絶対と言って良いくらい身体疾患も抱えているからだ。そして、本書は精神科の専門的な話だけでなく、かなり一般的な対応についてもページを多く割いてある。だから、精神科の従事者だけでなく、すべての医療者に強く勧めたい。

一緒に、革命を起こしませんか。

2018年5月5日

嘘で日本社会をまわす一族 『闇の中の系図』


嘘をつくことが本能として身についている人たちの話。古来から「嘘部」として、そういう人が日本史上で暗躍してきたというような伝奇的要素も入ってきて、そういうのが好きな人には楽しめるかもしれない。

ただ、ストーリーの緩急のうち、「緩」がやたらダラダラしていて、かと思えば「急」は説明不足のまま置いてけぼりにされるほどで、全体評価としては星3つくらい。シリーズものだが、これ一冊でお腹いっぱい。