2012年4月23日

放送禁止歌

きっかけはこの歌だった。

『手紙』 岡林信康
https://youtu.be/EE8GY-XM1GY

差別を受けた女性の悲しみを歌ったもの。この女性は岡林に手紙を出したあと、自殺したらしい。この歌は放送禁止歌らしい。臭いものにふたをして無かったことにする日本文化がよく表れていると思う。
『手紙』 岡林信康 1969年

私の好きな みつるさんは
おじいさんから お店をもらい
二人いっしょに 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私といっしょに なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの

私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人はいっしょに なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だからすべて 彼にあげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても

もしも差別が無かったら 
好きな人とお店が持てた
ブラクに生まれたそのことの  
何処が悪い何が違 う
くらい手紙になりました 
だけど私は書きたかった
だけども私は書きたかった


さて、この歌、結論から言えば実は放送禁止ではない。ではなぜ、この歌が放送禁止歌と言われるのか。また、その他の放送禁止歌はなぜ禁止されているのか。誰がどうやって禁止しているのか。

まず、そもそも「放送禁止歌」という規制は存在しないのだ。テレビ局のスタッフでさえ、放送禁止歌というのが存在していて、民放連(日本民間放送連盟)から厳しく規制を受けていると思い込んでいる。そして、なぜ規制されているのかといった理由などは考えようともしない。それが筆者・森達也の危ぶむ「マスコミの思考停止状態」だ。

いわゆる放送禁止歌は、正式には「要注意歌謡曲」という。これは民放連が1959年に発足させた「要注意歌謡曲指定制度」というシステムに由来するのだが、この趣旨はあくまでもガイドラインに過ぎない。それぞれの放送局が放送するかしないかを判断する性質のもので、決して放送禁止と規制されているわけではない。そして何より、このガイドライン自体1983年度以降は刷新されておらず、効力は1988年に切れている。つまり、「放送禁止歌」というものは存在しないということだ。

差別用語、放送禁止用語についても触れられているが、これはまた別の本を読む予定なので、今回は本書の中で興味深かった部分を引用する。
某局のバラエティ番組で、スイカ割りをタレントたちにやらせる企画が、収録直前にプロデューサーの一喝で中止になった。その理由をプロデューサーはこう説明した。
「考えてもみろ。目の見えない人たちを傷つけるだろう」
バカバカしいと思う、けれどこれが皆の好きなテレビを創る業界なのだ。俺は最近はテレビを観るということをほぼ完全に放棄しているけれど。

大好きだった「8時だよ!全員集合」に小人レスラーが登場したことがあったらしい。
その頃、試合数を減らされる傾向にあった彼らにしてみれば、プロレス以外に名をあげる大きなチャンスと張り切ったのだが、1クールの約束は、ほんの数週間で打ち切られた。視聴者からの電話が理由だった。「どうしてあんなかわいそうな人たちをテレビに出すのか」と、電話をかけてきた何人かの主婦たちは、口をそろえて抗議をしたという。
これを読んで、バカな主婦たちめ、と思うだろうか。しかし、今でも「24時間テレビ」で障害者を登場させることに対して、「障害者を食いものにしている」といった揶揄がネット上に飛び交う。この主婦らと同じく、誰も彼らの気持ちなんて分からないはずなのに。

一瞬なんのことだか分からない逸話もあった。
某テレビ局のバラエティ番組で、フロアディレクターがカメラの横でキュー出しをする動作が放送された。5、4、3、と数えながら指を順番に折っていくそのディレクターの指先に、4の瞬間、突然モザイクがかけられたという。
分かるだろうか? 親指を折って4本指が表すのが部落差別にあたるのだとか。しかし、数字を数える4をそのように解釈して抗議するバカがどこにいるのだ。

昭和30年代、川を隔てた場所にあった被差別部落では、その川の堤防の部落側が一段低くなっていた。要するに、増水したときには溢れた水はすべて部落内に流れ込むように造られていたのだ。そんな差別は未だに残っているらしい。これは今まで部落差別をあまり感じてこなかった俺は知らなったのだが、企業によって身元調査がなされたり、部落地名総鑑というものがあったりするそうだ。そして就職差別、結婚差別もあり、最近ではインターネットを使った差別的書き込みもあるとのこと。本書の初版が2000年なのだが、この時点で同和対策事業未実施の部落が、全国に1000ヶ所も残存しているらしい。

mixiの日記やコメントで見かけた「下女や外人は差別用語だから使ってはいけない」という指摘に、俺は多大な違和感があったのだが、この本の中でなぎら健壱はこう言う。
「……、結局、言葉に罪はないんだよね。使う人の意識の問題なんですよ」
また、部落解放同盟の役員も同様のことを言う。
「大切なことは一つ一つの言葉に条件反射で反応することではなく、その文脈を正しく捉えることです」
ちなみに、上記の「下女」は、ある人の日記で「解錠」をゲジョウと読んだ人がいるという話題の流れでぽっと出ただけ。また「外人」は、日本での外国人看護師採用の話題についての日記で、「外人なんぞに何が分かる」といった書かれ方をされていた。それぞれ「差別用語なので使わないほうが良い」という指摘が入ったのだが、前者の文脈に差別的な意味合いなど一切ないし、後者はむしろ言葉そのものよりも文脈にこそ問題がある。共通点は、「差別用語」という言葉だけが独り歩きをしたせいで、本質からズレまくって条件反射的な反応になってしまっているところだ。

本書は中身が濃くてお勧めである。差別問題に関してはとりあえずあと2冊読む予定。

11 件のコメント:

  1. 『手紙』(岡林信康)は、うたごえ喫茶で皆、歌っていましたよ。放送禁止だったのですね。存じませんでした。

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    1. >匿名Apr 22, 2012 04:15 PMさん
      いや、放送禁止ではなかった、というオチです。

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  2. 森の本で最初に読んだのが本書だったと思います。
    いろんな場面での自主規制が知らんふり社会をつくっているのだと思いますね。

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    1. >佐平次さん
      俺は佐平次さんお勧めの『A3』までこの人の存在すら知りませんでした。自主規制って、やり始めたときの理念がいつの間にか忘れ去られて、ほんと「知らんぷり社会」をつくっちゃいますね。

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  3. Ciao Willwayさん
    ぁ―――馬鹿馬鹿しい
    この欺瞞って奴が一番嫌い
    親切を気取って、後ろから刺す
    要するに、指さす指だけ見て、月を見ない大馬鹿ものたち
    イタリアでも、あるけどね
    でも日本は凄いと思うわ
    それが空気を読む、心遣いの日本と言われる?言われたい?ゆえんですかね?
    小学校の徒競争禁止、その陰で進学塾ではテストの点によって席替えをする
    つまり、成績の悪さが顕著になる、だから恥ずかしいでしょ? 頑張れと
    訳わかんないでしょ?
    お百姓と呼んではいけないとか、裏日本はだめとか
    表が良くて なんで裏が悪いのか?
    もともと日本の文化はきれいなものをあえて隠す文化
    大体差別ってこと自体、わけわかんないんですよね 私は
    何を根拠に?? 自分自身を見てごらんなさい なに様ですか?と思うわけで
    どんぐりの背比べは嫌いだけど、どんなにお腹を膨らまし、背伸びしてみたところで、同じ人間そんなに変わるわけじゃない
    こういうことの根源は、人間の妬み ちっちゃさだと思うわけで
    それが日本の人結構強いと思うのです
    なんでか いまだにわからない...

    なぎらさんに大賛成
    使う人の思いの問題です

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    1. >junkoさん
      指差す指見て月を見ない。そんな素敵な言い回しがあることを今日知りました。まさに差別に関してがそんな感じでしょうかね。言葉だけ見て、その先を見ない。「タブー」という言葉で誤魔化してる。
      言葉が差別を生み出したわけじゃなくて、差別する心が言葉を生み出したんだと思うんですよね。そしてその言葉だけにとらわれたら、言葉を使わなきゃ良いんでしょ、みたいな雰囲気になってしまって、本質からどんどん離れていく。
      そういうのって、気持ち悪いです。

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  4. ししとう432012年4月24日 0:19

    この件に関して、私に語らせると恐ろしく長くなるから、自粛しますが。
    山崎ハコの「呪い」は、唄を聞いて自殺者が出たとかで、規制?の緩い有線でもアウトだったとか。

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    1. >ししとう43さん
      もう15年前になりますが、オールナイトニッポンだったかな、それで流れていました。「コーン、コーン、コンコン、釘を刺す」という歌声に震え上がりましたもん。

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  5. 部落解放同盟の存在が差別を無くさないという、実に皮肉な結果になってますよね。
    誰だって「差別はよくない」と思ってますよ。だけど彼ら自身が「差別がなくなると困る」んですね。だっておいしい利権なんですから。世の中には差別が充満していて、いつも理不尽な差別が行われていればこそ部落解放同盟の存在意義があるんだと。そういう理屈です。
    いまの部落解放同盟はほとんどイコールやくざです。
    ですから私の意見は「差別は良くない」ってことと「差別利権にも反対」となります。

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    1. >Unknown2017年4月11日 13:14さん
      まったくもって同感です。
      目的達成のための手段であったはずの組織が、いつの間にか組織存続のために当初の目的であったものを手段として用いている、という逆転現象は、部落差別に限らず他のあらゆる面でも見られる気がします。

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  6. 24時間テレビは実際、その日だけ障がい者を出しタレントは出演料をもらいテレビ局も金を稼ぎ、視聴者に寄付させるから、偽善的。
    感動感動いってないで、普段から排除せず使えよと思う。スイカ割り云々のまえにバラエティ番組なんか、元々見るほどのものじゃないし、ドラマも背後に車椅子ひとつ映らないって変。障がい者の気持ちなんか人によるでしょう。言葉にこだわる人もいれば、言葉をかえることに抵抗のある人もいる。

    同和利権とかヤクザももう下火じゃないの。差別は他にもあるよね。

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