2012年8月18日

涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便

昭和60年8月12日、小学4年生だった俺は生まれて初めて飛行機に乗って東京へ行った。埼玉に住む叔父の家に着き、テレビを見ていると、飛行機が墜落したという臨時ニュースがあった。その直後に、俺が無事かどうか親戚中から叔父の家に電話がかかってきた。冷静に考えれば、行き先がまったく違う飛行機だから大丈夫に決まっているのだが、今になってみると親族の心配もよく分かる。

亡くなった方は520名、ご遺族は数千名にのぼる。当時の俺と同じ10歳の男の子が乗っていたというニュースが数年前にあっていた。俺と一緒で初めての一人旅行、甲子園を見に行く途中だったそうだ。俺が羽田に着いて数時間後に、墜落した日航機は離陸している。もしかしたら、空港で彼とすれ違ったのかもしれない。小学4年生のリュックを背負った自分の姿と重ねて、哀しさとも切なさとも言えないような感情が胸に湧く。

今回読んだ本は、遺体の身元確認作業で責任者だった人が書いている。中には、『三陸海岸大津波』や、『遺体 震災、津波の果てに』と同等か、それ以上にショッキングな光景が描かれている。涙なくしては読めない箇所も多々ある。引用するので、そういうのが苦手な人にはここで読むのをやめるようお勧めする。

「礼!」検視官の号令により、検視グループ一同が手を合わせ、一礼してから検視が開始される。
「何だこれは……」
毛布の中から取りだした塊を見て、検視官がつぶやく。
――塊様のものを少しずつ伸ばしたり、土を落としたりしていくうちに、頭髪、胸部の皮膚、耳、鼻、乳首二つ、右上顎骨、下顎骨の一部、上下数本の歯が現れてきた。
――少女の身体は中央部で180度ねじれてひきちぎれ、腰椎も真っ二つに切断され、腹部の皮膚で上下がやっとつながっている。
――なかば焦げた左上肢、その中ほどに臓腑の塊が付着している。塊の中から舌と数本の歯と頭蓋骨の骨片が出てきた。それらを丹念に広げてゆくと、ちょうど折りたたんだ紙細工のお面のように、顔面の皮膚が焦げもせずに現れた。
――二歳くらいの幼児。顔の損傷が激しく、半分が欠損している。それなのに、かわいい腰部にはおむつがきちっとあてがわれている。
「こういうの弱いよなぁ」
検視官がひとりごとのようにつぶやき、幼児の遺体を見つめている。それまでバシャバシャと切られていたカメラのシャッター音と閃光が一瞬止まった。
「おい、写真どうした」
検視官が座ったままの姿勢で、顔を右にねじ曲げ、脚立の上の警察官を見上げた。
「焦点が合わないんです」
写真担当の若い巡査が、カメラを両手で持ったまま泣きべそをかいている。
検屍総数は2065体である。このうち、完全遺体(註:頭部の一部分でも胴体と繋がっている遺体)は492体となっているが、五体満足な遺体は、177体であった。ほかは、完全体でありながら、第3-4度の火傷、炭化をともない、または四肢の先端部が焼失しているもの、炭化を伴いながら、四肢のいずれかを欠損しているもの、死体が、1-数ヶ所において離断されているもの等である。
離断遺体は、1143体となっているが、身体の部位を特定できるものは、680体であった。他の893体は、身体の部位が分からない骨肉片である。すなわち、520人の身体が、2065体となって検屍されたということである。検屍もできずに飛散した肉体の部分はどのくらいあったのだろうか。見当もつかない。 
中年の男性だと思ったら、15歳の少年であった。はいているパンツの上部に名前が書いてあり、血液型も一致している。確認に立ち会った父親が、「これはうちの子ではない」という。
「うちの子はこんなデブではない。もっとスマートだ」と。
少年の顔はむくんだようになっていて、それが地面にべたっと叩きつけられたようになっている。直径10センチくらいの丸いおせんべいのように。
顔の骨もぐしゃぐしゃに粉砕している。担当の警察官が両手で顔をはさみ、粘土で型でもつくるように寄せると、
「あっ、うちの子です」
父親は息子の名前を呼びつつ、棺の中の遺体を抱き起こした。
――「僕は泣きません」
前頭部が飛び、両手の前腕部、両下肢がちぎれた黒焦げの父の遺体の側で、14歳の長男が唇をかんでいる。
妻はドライアイスで冷たく凍った夫の胸を素手のままさすっていた。
「泣いた方がいいよ。我慢するなよ」
担当の若い警察官が声をかけ、少年の肩を軽く叩く。
「僕は泣きません……」
震える声で少年は同じ言葉を必死にしぼりだした。
「泣けよ」といった警察官の目からボロボロと涙がこぼれ落ちている。
生前の父親から「男の子は泣くもんじゃない」と言われていたのだろうか。父の無残な遺体を前にして涙をこらえる少年の姿を思い浮かべると胸が詰まる。

こういう凄惨な状況下で現場は必死になって作業をしているにもかかわらず、遠く東京で構えている本庁ときたらまったく……、というエピソードがある。
伝令の長谷川も次々と本庁の指示を私に報告してくる。体育館の面積、構造は。資料室はどうなっているか。遺体の保存方法は。電話回線は……等々、長谷川がほとんど窓口になっていた。
こんなこともあった。いらいらしている長谷川に、本庁の補佐は「伝令は君一人か」と聞く。「そうです」と答えたら、「班長にいってもっと増やせ」と命令された。むっときた長谷川が「検討しときます」と大声で答えると、「君の階級は何か」ときた。
こんな場面で階級を聞かれるとは思ってもみなかった。巡査と即答したら何か言われるような気がする。なんとなく巡査と言いにくい雰囲気にもなっている。
いささか返答に窮しているところに、私が戻ってきた。
「本庁で、私の階級を言えといっているんですけど……」
長谷川が受話器を右手のひらで、怒り顔を私に向けて言う。
「警部とでも言っておけ」
それだけ長谷川に言い、次の棺に向かった。
「あの夏だけ警部に特別昇進させてもらいました。その後は本庁の警部も私をさん付けで呼んできたりして……そのたびに顔がポーッとほてりました」
まさに「事件は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!!」を地で行くような話だ。


甲子園を応援に行った少年は10歳より先の自分を知らないままだ。当時10歳だった俺は結婚し、37歳になり、娘ができた。今ある自分の命も、自分の周りの人たちも、ともすれば当たり前のもの・存在だと錯覚してしまうが、時どきこういう本を読むと、その大切さ、素晴らしさが身に沁みる。


同時に購入した本についても書いておく。

墜落の夏―日航123便事故全記録
読みやすさは前者のほうが圧倒的に勝るが、事故原因や遺族の背景などに迫ったノンフィクションとしてはこちらのほうが厚い。ただし、読み疲れることは確かである。

本書の中に、背筋がヒヤリとするような話があった。この123便に乗る予定だった男性が、友人らとの食事が長引いたせいで乗りそこなって、新幹線で大阪に帰った。夜遅くに大阪に着いた男性は、ニュースで自分が乗るはずだった飛行機の墜落を知り、妻とともに驚きながらも偶然の無事を喜んだ。そして酒を飲んだ。夜中になって風呂に入り、そこで彼は転倒して、頭を強く打ち……、救急車で病院に運ばれて亡くなったそうだ。

<関連>
日本航空123便墜落事故の命日に  

10 件のコメント:

  1. あの夏、自分は大阪のある葬祭場で、学生アルバイトをしていました。

    墜落事故のあと、一晩中流れる搭乗者氏名のテロップと深夜テレビの不気味さを忘れません。

    直接の知り合いではありませんけれども、あとで知った知人の知人一家は、幼稚園の子どもと一緒に亡くなりました。

    あのあと、葬祭場には、たくさんの棺がやってきました。

    今日の棺には腕時計だけ、今日の棺には○○だけ、そんな話を職員のおばちゃんから聞いて心がなんというのか…つめたくつめたくなっていったのが昨日のように感じます。

    今でも、あの夏の暑かったことと、バイトの冷たい感覚は忘れられない。きっとご遺族には今でも昨日のことのようでしょう。たくさんのひとの哀しみが少しでも少しでも、癒されますようにと祈ります。

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    1. >けろちゃんさん
      あの事故は、被害者遺族だけでなく、関係者の心にも大きな爪痕を遺したんですね。それこそ学生アルバイトのけろちゃんさんの心がつめたくなっていって、そのことを今も覚えていらっしゃるように……。津波の時もそうですが、葬儀社の人たちのご苦労は想像以上だろうと思います。

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  2. Ciao いちはさん
    私はあのとき空港でそれもJalのカウンターで仕事をしていました
    ラッキーだったのは、大阪線の担当でもなく、チケットを売るキャッシャーでもなかったこと、それでも担当フライトが早めに終わった私は、はじめはそうと知らず、123便の回収チケットを仕分けし、堕ちたとわかってからは乗客名簿を作りました
    誰も、遺族の人たちが集まっている羽田東急ホテルに持っていきたがらないので、私が行きました
    遺族の人には配るなといわれたけど、配りました
    そして、帰り道一人で泣きました
    それからの空港での対応は大変だったけど、世間の非難のなかで差し入れをしてくれる人たちがいたのが、心のすくいでした
    以前にこの事で記事を書いたことがあります
    http://cocomerita.exblog.jp/13772935/
    お時間があったら見てみてください

    そう、あの夏はとても暑かったのです

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    1. >junkoさん
      junkoさんの記事リンク許可、ありがとうございます。
      まさかjunkoさんが渦中にいらっしゃったとは……。

      あの時、羽田から大阪に甲子園を見に行った少年がいたんですよね。それも当時の俺と同じ小学4年生で、彼も初めての飛行機だった。
      俺が羽田に着いたのは夕方だったと思います。もしかしたら、その少年と俺は空港のどこかですれ違っていたかもしれない、そんなことを思ったことがあります。
      彼は俺で、俺は彼で、どちらがどちらの人生を歩んでもおかしくなかった。
      その少年のことに触れたネット記事は、その後に探しても見つけきれませんでした。

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  3. 御巣鷹山の日航機墜落事故。
    生き残った川上慶子さんの名前と「夜中まで妹が泣いていた(か話していた)がそのうち声が聞こえなくなった」と言っていたことを今も覚えています。
    墜落後夕方になると救助・捜索活動をやめてしまったことも思い出します。
    岡山博 呼吸器科医 hirookay.blog.fc2.com/?all

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    1. >岡山博さん
      当初生存していた方々も徐々に力尽きたのではないかと言われていますね。
      当時小学4年生でしたが、今でもあの事故の時のニュースは記憶に残っています。

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  4. 大きな事故や大災害時、それ以外でも身元不明者の特定作業、作業という言葉も出来れば使いたくないですが、そのお仕事には我々歯科医師も関与します。歯が体の中で最も硬く残りやすい組織である事や入れ歯や詰め物などの治療歴が個人の特定に有効だからです。
    法歯学という授業で日航ジャンボの事故でも深く関わられた先生のお話をお聞きする機会があり、当時の状況をリアルに表されるスライドが出てきたことは20年以上たっても忘れられません。
    法歯学講座がある大学は非常に少なく、解剖学で歯の鑑別などは教えますがやはり身元特定に関わる知識は不十分で、ちょうど新たに法歯学を学び直そうと資料を集め、勉強を始めたところです。
    献体されるご遺体との対面でさえ何度繰り返しても慣れることなどなく、お迎えに行くその都度、心が辛くなるような私に務まるかどうか全く自信がない所からのスタートですが、同じ基礎研究者で歯科医師免許を持つ友人が岩手で震災時に駆り出された話を聞いたりして、私も頑張ろうと気持ちだけは強く持っています。
    身元特定ということだけでなく、ご家族への対応も心を込めてできるよう、まだまだ勉強しなければいけないことがたくさんある事に気付かせていただきました。いつもいろんな気付きをいただいてありがとうございます。

    私自身が現場へ行く機会があるかどうかは分かりませんが、これから必要とされるかもしれない学生達に適切な知識と心構えを持ってもらえるように努力したいです。解剖学という学問は膨大な知識の詰め込みだけではなく、その知識の元になってきた多くの方々の命があっての学問であることや、その命の大切さを理解してもらいたいというのは私が授業でいつも始めに伝えたいことですが、年々難しくなっている気がします。
    マティ (基礎研究者であるとともに解剖学を教える歯科医師です)

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    1. >マティ先生
      コメントをいただいたのが、ちょうど(?)法医学者である上野正彦の本を読んでいたところでした。法歯学という分野があるのですね。でも考えてみたら当たり前というか、臨床歯科だけでなく、そういう方面へ特化した分野はなくてはいけませんね。法医学と比べて、法歯学の興味深いところは、決して臨床と別物というわけではなく、(おそらく)治療歴がすごく重要な痕を残すところではないかと考えています。素人なので間違っているかもしれませんが。
      東日本大震災のノンフィクションを読むと、歯科医院が流されてしまったため歯の記録も残っておらず、歯による身元特定が大変な難仕事だったという記述があったように思います。
      自分自身は精神科なので、震災後、特に急性期よりは亜急性期から慢性期のほうで出番があるのだろうと思いますし、身元特定といったことには直接には関わらないのですが、解剖学は好きなほうでして、今回法歯学というものの存在を教えていただいて、また興味の幅が広がりました。ありがとうございます。

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    2. いちは先生
      返信ありがとうございます。ジャンボ機墜落以来、身元特定に関する法律がいくつか整備され、警察歯科医会なども発足しています。これは主に開業歯科医メインで、先生がおっしゃる通り身元特定には歯科治療歴がかなり重要な決め手となります。歯科医師会会報には毎月警察からの特定依頼が歯式や治療痕などと一緒に載っていますし、歯科においては臨床と密接な位置付けです。
      でも津波でその情報源である歯科医院がなくなってしまうというのは、想定外の出来事だったのでしょう。学会(法歯科医学会)では今後電子カルテの保管法など議論されて行くことになろうかと思いますが、個人情報の管理ですから簡単にクラウドを利用したりするわけにもいかないかとは予測されますね。また、今は虐待の早期発見にも歯科的所見が役立つ事もあります。虫歯の数が異常に多いとか、殴られて神経が死んでしまったため虫歯でもないのに歯が変色するなど、これらはわざわざ受診しなくても、服を脱がさなくても、通常の学校歯科検診で気をつけてみれば分かることです。実は歯科検診は虫歯予防だけでない大切な任務を持ち合わせる時代になってきています。そういう事を念頭における歯科医師を育てたり、現場に普及させるのも私達の役目かと思っている次第です。勉強し始めると奥が深く、やるべき事の多さに驚いています。

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    3. >Matie先生
      歯と虐待に関して、以前、
      「下の前歯が虫歯になっていたら特にネグレクト要注意」
      と教わりました。一番虫歯になりにくい、と聞いて、すごく納得しました。というのも、虫歯治療痕だらけの自分でも下の歯だけは無傷だからです。うちはネグレクトではありませんが、オーラルケアに関しての認識は非常に乏しかったです。歯科の先生にとっては当たり前なのかもしれませんが、そういうナルホドかつ具体的な観察項目が普及すると良いなと思います。

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