2012年8月1日

死者に雨を、生者に傘を

原爆忌の今日、天気予報は晴れだった。
だが、十一時を過ぎた頃から雲行きが怪しくなり、やがて土砂降りになった。
大学の講義室前の階段に、老人が独り座って雨を眺めていた。
私は講義室に入って、置き去りの傘を二本拝借した。
老人に「どうぞ」と声をかけて気づいた。
雨を見ながら、彼は泣いていた。

原爆に遭った人たちは、喉をカラカラにして亡くなったと聞く。
この雨は、渇いた魂たちに対する慰霊の雨なのかもしれない。
そういえば、近くの公園では慰霊祭があっているはずだ。
きっと参加者はずぶ濡れだろう。
慰霊の雨を喜んでいる参加者も多いんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら大学内を歩いた。
傘を叩いて零れ落ちる雨は滝のようだった。
慰霊の雨とはいえ、自分が濡れるのはいやだった。

黒い服を着た人たちと擦れ違った。
きっと慰霊祭に参加したのだろう。
みんな、コンビニの傘をさしていた。
びしょ濡れの人はいなかった。
慰霊祭を抜け出して傘を買いに行ったのか。
いくら慰霊の雨とはいえ、誰だって我が身が濡れるのはいやなんだ。

目の前の問題に四苦八苦すること。
それが、生きている、ということなのかもしれない。
コンビニの傘の群れを見ながら、とりとめもなく考えた。

ふと見やれば、離れたところを、先ほどの老人が傘をさして歩いていた。

死者に雨を、生者に傘を。

(2005年8月9日)

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