テレビ番組を見る時間は少ないが、映画は時々観るので、テレビ自体の稼働時間はわりと長い。テレビをつけない時間は何をしているかというと、基本的には音楽をかけている。あまりテレビを見ない生活を続けていると、テレビの面白さがあまり分からなくなった。決して面白いわけでもないのに、つけるとだらだら見てしまう。テレビの恐ろしいのはここだ。どうでも良い番組でも、目が離せなくなるようにうまく作られている。
妻はどちらかというとテレビをつけるほうだ。彼女の面白いところは、音楽をかけていても、テレビの音声を消して映像だけは見れるようにするところ。特別にテレビを見たいわけではないらしい。おそらく、聴覚刺激以外に視覚刺激もないと嫌なのだろう。
ここまで書いてはたと思いついたのだが、テレビは視覚と聴覚を同時に刺激するから良いのかもしれない。テレビをつけないと気が済まない人というのは、多器官を同時に刺激されることに慣れてしまって、刺激がない、あるいは音楽などの聴覚刺激だけ、という状況に耐えきれないのかもしれない。
こう書いている自分も、過去にはテレビをつけていないと嫌だった。それなら映画でも良いかというとそうでもなさそうだ。テレビの前に2時間座ってストーリーを追うというのは、彼らの望む器官刺激とは違うのだ。家に帰ってから寝るまでテレビがついていないと気が済まない『テレビ依存症』の人たちは、番組の内容というよりは、純粋に視覚と聴覚の刺激だけが欲しいのだろう。
とまぁ、色々書いてはみたものの、 自分自身はというと、家の中で音楽が流れていないと嫌だし、かといって音楽だけ聴いていることもできずに、たいていはネットをしながら音楽を流していて、これはこれで、複数器官の同時刺激である。結局のところ、現代社会は刺激が多すぎて、単器官の刺激では物足りなくなった人たちで溢れているということかもしれない。
Ciao Willwayさん
返信削除私もね、ちょっと前まではなにしてても音楽、歩く時も音楽がないとだめだったんですが、
10年ほど前に、サイコテラピーに通ってたことがあって、不思議とその時期と一致するのですが、そのあたりから、一切それができなくなりました
むしろテレビの音とかが不愉快
環境の音、遠くで子供が笑ってる声とか、玄関の閉まる音とか、鳥の声とか、車の音とか、そういうのが心地よくなり、家のラジオ、ステレオ一切用なしになってしまいました
テレビも、気に入った映画を見るときしか見ませんし...
要するに、一度に一個のことしかできなくなったのだと、思います これってもしかして退化?? ははは笑
>junkoさん
削除自然音に心地よさを感じる、それこそ究極じゃないですかね。俺はまだその域には達していませんが、テレビの音が不愉快というところまでは来ています。
日本人とか現代人とかのくくりで考えるのは好きじゃないのですが、それでも最近は時間・空間の「空白」をそのままにするのが苦手という人が多いのかもしれないと思います、これは俺も含めて。音の空白が嫌だから音楽、視覚の空白が嫌だからテレビ、時間の空白が嫌だからネット、などなど。
空白のなかにあるいろいろな良いものに気づけば生き方も変わるのかもしれませんが、俺はまだまだ音楽だけは埋めておきたい派です。
音楽聴いてると音符で音を拾っちゃって、最終的には音楽にしか集中できなくなってるときが多々・・・笑
返信削除>あー太
削除それ、俺でいうところの読書で「この表現はなかろう」とか「うわ、ちょっと文法的に……」とかいうのと同じ感じかもw