2012年10月4日

黄泉の犬  メメント・モリ

黄泉の犬

ずいぶん久しぶりに藤原新也の本を読んだ。オウム真理教について書かれた部分で、最近の俺のイジメに関する考えともの凄く近い部分があった。
断罪の前に、私たちは彼らの中に、どのような健全な精神が宿っていたかということも見つめる複眼の視線を持つべきだろう。
これはまた、精神科医として患者と接するときの姿勢にも通じる。すなわち、「いかな病者であっても、すべてが病的なわけではなく、むしろ病気の部分を上回る健康な部分が存在するということを忘れない」ということである。

さて、藤原新也といえば、もの凄く有名なこの本がある。

メメント・モリ
犬に食われる人間の死体、いや、人間の死体を食う犬……、どっちが主体かはともかくとして、そういうショッキングな写真に「人間は犬に食われるほど自由だ。」という一文が添えられている(※)。その衝撃は、20歳頃の俺の胸を打った。当時、まだ身内の死を経験したことがなかった俺は、いつか必ず人は死ぬという程度の感覚しかなく、死体が犬に食われているというグロテスクさのほうに強く引きつけられた。

あれから17年が経ち、祖父や友人、後輩らの病死や自死を経験した。さらには、まさかの人生路線の変更で、人の死を診断して死亡診断書を書くという立場になった。そうした中で、この写真集を改めて眺めてみると、また違った種類での衝撃を受けることができそうだ。今でも実家に持っているこの写真集は、いろいろな人に勧めてみたい本である。そして、その写真がどのような状況で撮られたか、という制作秘話のようなものが『黄泉の犬』では明かされている。これは読んで損はしない話だと感じた。

※どういう写真かは、「人間は犬に食われるほど自由だ」でグーグル検索すると見ることができる。

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