2012年3月15日

最後の殉教者

最後の殉教者

10篇から成る短編集で、表題作である『最後の殉教者』がもっとも印象的で面白かった。以下、『最後の殉教者』のネタバレとちょっとした考察。


長崎の浦上に、喜助という図体のでかいくせに小心の若者がいた。彼は切支丹であったが、小心ゆえに他人の拷問の声に恐れをなして、いともあっさりと「ころぶ」と宣言してしまう。ころぶとは、キリストの教えを裏切って転向することである。この喜助、最後は捕まった仲間のもとに戻ってきて自分も牢に入る。牢には、甚三郎という幼馴染が入っていて、彼は喜助と違って拷問に耐え続けてきた。そんな甚三郎は、簡単にころんだ喜助を臆病者と見下していたのだが、喜助がわざわざ切支丹と名乗り出て牢に戻ってきたことで気持ちが変わる。最後の場面、喜助が拷問に引き出されるとき、
甚三郎は、「喜助」とひくい声をかけた。
「苦しければころんで、ええんじゃぞ。ころんで、ええんじゃぞ。お前がここに戻ってきただけでゼズスさまは悦んどられる。悦んどられる」
上記一文で物語が終わる。喜助がこの後ころんだかとうかは分からないが、小説のタイトルは『最後の殉教者』である。甚三郎に関しては小説中に、
後年、生き残った甚三郎はこの時の模様を次のように語っている。
という記述が出てくる。つまり、甚三郎は殉教していない。とすると、結末は明らかには描かれていないものの、臆病者の喜助が殉教したのではないだろうか。イエスの使徒であり臆病だったペテロが、最期は殉教したことを髣髴とさせる。タイトルと結末の関係が非常に良いと思った。

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