精神科医としてターミナルケアに関わらせてもらった経験が数回ある。いずれも癌患者であった。たった数回なので、未熟の域から出ることなく今に至るが、それぞれで考えたこと、得られたことは自分なりにある。ただ、現段階では、それをうまく言語化する自信がない。
終末期患者の在宅医療に尽力した岡部医師が、自ら末期の癌患者となった後、どんなことを考え、どう活動し最期を迎えたのか。ノンフィクション作家の奥野修司が密着し、聞き取ったものを、岡野先生が一人称で語るという形式でまとめてある。
本書を読みながら、知らず知らずのうち、5年前に亡くなった祖父のことを思い出していた。とはいえ、祖父は脳出血でポックリ逝ったので、在宅医療とは無縁だった。それなのに、どうして祖父のことを思い出すのかというと、「死の直前にある人でも、耳だけは最期まで聞こえる」という話があったからだ。祖父は、俺が病院に駆けつけて、呼びかけて、手を握って、30分足らずでスッと逝ってしまった。
「ああ、俺の声が聞こえたんだ、じぃちゃんは安心したんだ」
あの瞬間、深い喪失感が襲ってくる中で、そんな穏やかな気持ちにもなれたのだった。
看取りは、「逝く人」と「遺される人たち」の間における最後の交流である。その交流を、逝く人も家族も穏やかに、恐れや不安なく過ごすことができるためには、どうすれば良いのか。自ら病魔に冒された後も考え、関わり続けた岡部医師による歯に衣着せぬ『遺言』は、読む人の死生観、終末期医療観を変えるはずだ。
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