2020年5月22日

内容は悪くないが、著者の対人援助職に対する陳腐な発想が鼻につく 『チャイルド・プア 社会を蝕む子どもの貧困』


内容は悪くないが、著者の対人援助職に対する陳腐な発想が鼻につく。
スクールソーシャルワーカーによって救われた子どもが、自らスクールソーシャルワーカーになって、子どもたちを救う。とても理想的なかたちだと思った。
これはいかにも素人的発想で、燃え尽きる人に典型的なパターンでもある。

当事者がこういう発想になるのは仕方ない。だが、取材者がこれを「理想的なかたち」と書いてしまうのは、はっきり言って対人援助職というものをなめている。

溺れたことのある人がライフガードになるのが理想的なかたちか?
犯罪被害者が警察官や検察官になるのが理想的なかたちか?

確かに、そういう経緯で対人援助職につき、かなりうまくやれている人もいるだろう。

しかし、それは経緯が「理想的なかたち」だからではない。
その人の能力や努力の賜物なのだ。

スクールソーシャルワーカーが、厚待遇で社会的立場も高い仕事なら、ある意味「理想的なかたち」とは言えるかもしれない。

しかし、実際はどうだろう?
賃金の低さや雇用の不安定さによって、なり手が少ないのが現状だ。あるスクールソーシャルワーカーに聞いたところでは、時給は1500円ほど。雇用条件もフルタイムで働ければいい方で、週に3日などと制限されている場合も多い。
1日中、子どもとメールや電話で連絡を取り合い、必要があれば夜中でもかけつける、非常にハードな仕事であるにもかかわらず、報酬は少ないのだ。
著者は、取材を通して、こうしたことを知っているはずなのだ。

それなのに、過酷な環境で育った子を救われ、その子が成長して同じ境遇の子を救う仕事(しかも現状の待遇条件で)につくのを「理想的」と言うのは、「やりがい搾取」を肯定しているようにも読める。

最後の最後、著者の援助職への陳腐な思い込みがダメ押しのように書かれる。
第6章の裕子さん(仮名)は、志望していた大学に無事合格し、スクールソーシャルワーカーになる夢を追いかけて福祉の勉強に励んでいる。彼女ならきっと、子どもの痛みが分かる素敵なワーカーになるだろう。

改めて書くが、内容は決して悪くない。
しかし、著者は子どもの貧困の取材と同時に、対人援助職についての理解も深めていくべきだろう。

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