2017年11月17日

精神科診療における日記の効用

あるコーチングの本によると、思考は話し言葉より40倍から80倍の速さで流れるらしい。だから、言語化しない思考は高速で過ぎ去ってしまい、頭には残らない。

診察室で「ゴチャゴチャ考えすぎてしまう」と訴える人は多いが、その「ゴチャゴチャ」に具体性のあることは少ない。言語化していないので、悩みの中身はただただ流れ去り、「いっぱい悩んだ」という形跡だけが残っているのだ。

精神療法やカウンセリングの効用の一つは、この「ゴチャゴチャ」を言語化することだ。というより、言語化できた時点で問題の大半が解決するようなケースさえ珍しくないのではなかろうか。

さて、精神科やカウンセリングで「日記を書く」ことを勧められた人がいるかもしれない。この日記は、主治医が読んで分析するためというより、頭の中の「ゴチャゴチャ」を言語化するトレーニングという意味が大きいだろう。

「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」

これらは患者が「いっぱい悩んでいる」ことを伝えるために用いることの多い表現だが、診察室ではそれらを具体的な言葉にしてもらうよう促す。また、日記などを通じて日常でもそういう訓練をしてもらう。(※)

このように、精神科診療やカウンセリングにおける日記は「自分の思考を言葉にするため」である。決して、主治医やカウンセラーを喜ばせるためではない。だから「一生懸命書いたのにサラッとしか読まれなかった」という愚痴がこぼれるうちは、日記の役割が正しく認識されていない。

ただし、そうやって「愚痴を言語化できた」ことはすごく良いことである。日記に目を通す主治医やカウンセラーの様子を見て「イヤーな気持ち」になるだけでなく、「何がイヤー」だったのかを言葉にしてみる。「なんとなくイヤー」で済ませない。

そうこうするうちに、「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」と、大雑把で適当で安易に表現してきた「頭の中の悩みごと」を、もう少し具体的な言葉にできるようになるかもしれない。そうして、
「自分はこれで悩んでいたのか」
という気づきにつながれば良い。

例えるなら、「ゴチャゴチャ」「グルグル」「モヤモヤ」「あれこれ」「なんだかんだ」という「頭の中の悩みごと」は、夜道を独りで歩いているときの暗がりや正体不明の音みたいなものである。ライトを当てたり音の正体を確かめたりするだけで、「なぁんだ」と楽になることも多い。

自分の診療で患者に日記を勧めたことは数回しかない。そして、実際に書いてきた人は一人もいない。精神科やカウンセリングに対して、ファストフード的でお手軽な癒しを求めている人には不向きな方法ではあるだろう。精神科やカウンセリングでは、敢えて今風に言えば、「鉄腕ダッシュのTOKIOみたいに基礎からコツコツやる」と思ってもらうほうが良い。

ここまで、頭の中の「ゴチャゴチャ」を言葉にすることの効用を書いてきた。診療における日記については、俺自身が効用をきちんと伝え切れていなかったことも大いに反省すべきところである。こうやって書いている自分自身が、このように文章にしたことで、日記の効用をもう少しうまく患者に伝えられるようになったのではないか、という気になっている。


※この点においては、ツイッターやブログでわりと具体的なグチを書いている人は、悩みかたとしてかなり洗練されていると思う。みなさん、文章化しましょう。

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