「なぜ患者を拘束・抑制するのか」
計見一雄先生の答えがシンプルで、自分の中での非公式な指針にしている。
「患者に近づくため、触れるためだ」
さらに、身体拘束を外すときの、計見先生の声かけも好き。
「外すから、殴るなよ」
精神科の診療や看護に集中するには、殴られるかもしれないという「雑念」が邪魔になる。もちろん、精神科に従事する人はみな、殴られる可能性があることを「覚悟」はしている。しかし、その「覚悟」と「殴られるかもしれないという雑念」は似て非なるものである。
「覚悟」と「雑念」。
この違いを感覚的に分からない医師が主治医になると、スタッフは苦労し、時に泣かされる。
「覚悟はある、しかし雑念が邪魔」
この感覚を分かるかどうかは、医師としての臨床経験ではなく、人としての感性にかかっているのかもしれない。
計見先生の言葉がどの本に書いてあったかは失念したが、臨床系の本はそう多くないのですぐ見つかるだろう。たぶん、この本だったとは思う。
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