小田嶋さんはTwitterで頓珍漢なツイートをすることも多い(@tako_ashi)が、本書は「アルコール依存症の当事者が書いた本」として読む価値がある。
ただし、あくまで「当事者が書いたエッセイ」であり、医療・医学とは一線を画す。治療者としての治療や、当事者としての生きかたのヒントにはなるが、あまり知識のない当事者や家族がまるっと鵜呑みにするのは良くない。
著者の主治医の言葉がイイところを突いている。
これも先生の言っていたことなんだけど、「ある中さんっていうのは、旅行に行くのでも、テレビを観るのでも、あるいは音楽を聴くのでも、全部酒ありきなんだ」と。だから、音楽を楽しんでいるつもりなのかもしれないけれど、酒の肴として音楽を享受している。そういうところを改めないといけないから、これは、飲まないで聴く音楽の楽しみ方を自分で考えないといけないよ、みたいなことを言われました。俺自身、旅行に行くのは美味しい酒が楽しみで、テレビは観ないが映画は酒を飲みながら、音楽も「ジャズの生演奏を聴きたいな、酒でも飲みながら」といったぐあいに、なんでも「酒ありき」「酒の肴として」という思考に陥っていた。非常に納得のいく話である。
また、著者が断酒生活をダイエットと比較して語るところも大いに頷けるものであった。
減量で厄介なのは、食べるのを我慢すると必ず痩せるわけなんだけど、酒と一緒で、何かを我慢している人生って、本当の人生じゃないということです。いささか長い引用になってしまったが、それくらいこの部分に関しては強く賛同する。
少なくとも主観的には、減量中の人生はニセモノの人生です。
(中略)
とにかく四六時中カロリーを意識しつつ、「俺は我慢してる」ということを常に自覚しながら日々を暮らしていく生き方は、あまりにもくだらない。
十キロ減を達成した瞬間に、自分はいざとなったら十キロ痩せられる、ということが立証されるでしょ。その立証の瞬間に、今までしてきたくだらない我慢にうんざりしてしまい、しばらく好きなものを食べようというマインドセッティングに切り替わるわけです。でもって、そうするとちゃんと太るんです。つまり、そういう意味で、難しいのは、痩せている間にずっと我慢してやっていた食べ方を、痩せた以後もごく自然に続けていけるような人生観を発明して、その人生観を自分の中に定着させることです。
「我慢している」という設定だと、一生我慢することになります。
(中略)
酒をやめるのも、単純に「オレは酒を我慢しているんだ」って話だと減量と一緒で半年しかもたないはずです。そうじゃなくて「酒がない代わりにオレはこれを始めたぞ」と、酒以外の何かで、自分の人生を再構築するプランニングは再発明することですよね。
玉石混交のエッセイだが、治療者は一読しておいて損はないだろう。
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