2019年9月26日

小野不由美による99話の怪談 『鬼談百景』


小さいころから「怖い話」が好きで、大人になってからも怪談は大好物だ。
たくさん見聞きしてきたので人に語るのも得意で、人からはよく「あなたが怖い話をすると、すぐそばにだれかいるような気がしてくる」と怖がられる。実際、語りながらなにかを引き寄せているような感覚がある。

本書は『十二国記』『屍鬼』の小野不由美による怪談99話。鳥肌の立つものも多く、そんなときは、だれかが後ろから覗きこんでいるような気配すらする。分かりやすい怪談話が好きな人よりは、「説明のつかない怪異」を受け入れられる人向け。

そんな99話の中から、分かりやすくて鳥肌の立つ話を二つ引用して紹介する。
踏切地蔵
Kさんの父親は霊感があると自称する。よく「肩が重くなった」と言うことがある。そんなときは数珠を肩に載せる。すると必ず治るのだと、父親は言っている。
その父親が、絶対に通ろうとしない踏切があった。そこを通ると肩どころか頭まで痛くなる、だから嫌だと言って、どんなに遠回りになっても避けて通っていた。事実、その踏切は、事故の絶えない踏切だった。決して見通しが悪いわけではないのに、次々と事故が起こる。だからだろう、踏切の脇には古いお地蔵さまが立っており、常に花や線香が供えられていた。お地蔵さまの周囲には、新旧の卒塔婆が何本も立っている。Kさん自身は、特に気にせずその踏切を利用していたが、新しい卒塔婆が立つたび、ひどく嫌な気分になったものだった。
その踏切でまた事故があった。Kさんが中学校に入った年だ。事故に遭ったのは父親の友人で、スクーターに乗ってその踏切を通っていて転倒してしまったのだ。
警報機が鳴り、遮断機が降りてきたので、おじさんは急いで踏切を渡ろうとした。
すると、思いがけず速いスピードで遮断機が降りてきて、それに頭が当たってしまった。スクーターは横転し、おじさんは軌道上に投げ出された。ふらふらしながら立ち上がり、スクーターを起こしたものの、おじさんはすでに踏切の中に閉じ込められている。スクーターを捨てて逃げようか、しかしスクーターを残していって、そのせいで列車が脱線でもしたら――等々と考えて、おじさんはパニックに陥ってしまった。
列車が来ても、根が生えたように足が動かなかった。足どころか身体も動かず、――そう証言できるのは、おじさんが奇跡的に怪我をするだけで済んだからだ。列車はスクーターに接触し、一緒に撥ね飛ばされたおじさんは踏切脇のお地蔵さんに突っ込んだが、それだけだった。お地蔵さんは壊れ、おじさんもあちこちを痛打したものの、打ち身と擦り傷、軽い骨折があった程度で、ほとんど入院もせずに済んだのだ。
「お地蔵さんが身代わりになってくれたのかねえ」とおじさんは言い、「お詫びに新しいお地蔵さんを寄付しないといけないなあ」と笑っていた。
現場にはしばらくの間、お地蔵さまの台座だけが残されていた。
半年ほどが経った。相変わらずお地蔵さまが立つ気配はなく、残された台座は片隅に移動され、代わりに卒塔婆だけが整然と並べ直された。いつの間にか、ぴたりと踏切での事故がやんでいた。べつに踏切の何が変わったわけでもないのに、父親の友人の事放以来、その踏切で事故があったという話を聞かない。
お地蔵さまはなくなったのにね、とKさんが言うと、お父さんは渋い顔で頷いた。
「だから妙な気がしてたんだ」と、踏切を執拗に避けていた父親は言った。
「あのお地蔵さんの前を通るのだけは、絶対に嫌だと思ってたんだよな」
Kさんは、ぽかんとした。父親が避けていたのは、踏切ではなくお地蔵さまのほうだったのか。
いまも踏切に地蔵が再建される様子はなく、そして同時に、事故があったという話も絶えて聞かない、という。
守ってくれるはずだと先入観を抱いていたものが、実は……、というパターンの怪談。こういう話はオチでゾッとするものが多く、喋って聴かせる場合、語り手の手腕が問われる。

次に紹介するのは、その情景が怖いというものだ。
密閉
Kさんは秋以来、自分が住んでいるマンションの部屋に気味の悪いものを感じている。元凶はクローゼットだ。Kさんの部屋には押入サイズのクローゼットがある。二つ折りになって開く折り戸が二枚付いていて、左右から中央で合わさって閉じるようになっている。その折り戸が、気がつくと少しだけ開いている。
隙間があると、そこから覗く薄闇が気味悪く思える。だから必ず閉めるのだが、やはり気がつくと、いつの間にかほんの少し開いている。建付が緩いとは思えない。自分の手で試してみても、勝手に開くとは思えない。なぜ開くのかが分からない。
最初は、別れた彼が留守中に部屋に入っているのかな、と思った。少しの間、転がり込んできて生活をしていた。別れるときに合鍵は返してもらったが、どうやらほかにもスペアを作っていたようで、何度か留守中に荷物を取りにきた様子があった。勝手にスペアを作っていたのも腹立たしいし、それを黙っていたことも許せない。勝手に入ってくるのも我慢できない。おまけに扉をきっちり閉めておかない。そういうルーズなところが耐えられなくて別れたのに。
あまりに腹が立ったので、管理会社に「鍵を矢くした」と言って、錠を取り替えてもらった。これで勝手に出入りできない。扉が開くこともないはずだ。
なのに、やはり開いている。
鍵は替えたから、誰かが忍び込んでいるはずはなかった。だったらなぜ、閉めても閉めても扉が開くのだろう。クローゼットの中は、押入のように上下二段に分かれている。そのせいで、扉が細く開いているとき、上段はまだしも、下段は本当に暗い。
そこに何かが潜んでいそうな気がする。我優できずに、お菓子の箱に繋っていたリボンで取っ手同士を括り合わせた。これでもう、開くことはないはずだ。
実際にそれで開かない日が続いた。そんなある夜、Kさんは風呂から上がって姿見でドライヤーを使いながら、何気なく目を上げた。すると、自分の背後にクローゼットが映り込んでいた。扉は閉まっている。二つの取っ手はリポンで括り合わせてある。だが、そのリボンが解けかけていた。
サテンのリボンは滑る。それでかな、と思っていたら、解けた片方の先が扉の間に挟まっているのが見えた。いや、片方の先が扉の間から中に引き込まれているのだ。誰かが中からリボンを引っ張っている。ゆっくりと音もなく、リボンが解けていった。
驚いて振り返った。とっさに膝の上に乗せていたタオルを投げつけていた。さっきまで髪を拭いていたせいで湿気を含んだタオルは、音を立てて扉に当たった。
はらり、とリボンの先がクローゼットの中から出てきた。
まさかとは思うが、誰かが中にいるのだろうか。確認せずにはいられなくて、飛びつくようにクローゼットに這い寄り、リボンを引っ張りながら扉を開いた。Kさんは膝を突いていたから、ちょうど下段を覗き込む恰好になった。
下段にはいろんなものが入れてある。衣装ケースや季節外れの家電。空き箱やスーツケース。そのスーツケースが、いましも閉まるところだった。立てて置いてあるスーツケースの蓋がわずかに開いて、その隙間に長い黒髪と白い手が吸い込まれていった。唖然としている目の前で、ぱたんと蓋が閉じた。
あいつ、と思った。
そのスーツケースは、彼氏がどこからか拾ってきたものだ。怒りにまかせて引っ張り出した。スーツケースは軽かった。――当然だ。何も入っていない。
引っ張り出したスーツケースをガムテープでぐるぐる巻きにした。何重にも留め付けて、その夜のうちにドアの外に放り出した。
翌日、彼に送りつけてやりましたと、Kさんは言う。
「彼が拾ってきたんだから、当然です」
小野不由美の巧みな描写で、リボンがクローゼットに引き込まれていく様子がまざまざと目に浮かぶ。なんとも怖い。

怪談好きにはぜひとも読んでみて欲しい一冊。

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