2019年9月20日

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。 『打撃投手 天才バッターの恋人と呼ばれた男たち』


打撃投手と精神科医は似ている。
一流の打撃投手は、いかに打者にとって打ちやすい球を多く投げられるか、打者の要求するコースに確実に投げられるか、とこれまで私は考えていた。(中略)
だが、これは土台と言うべきであって、それだけでは条件を満たさない。これにプラスアルファして、打者といかに意思の疎通をはかることができるか、という能力が必要だとわかった。(中略)
投げながら打者を育ててゆく、同時に打者に助言もする。ここに打撃投手の技術の神髄がある。
精神科医も、患者や家族が理解できる言葉を探りつつ、答えやすい質問を選んで投げかけ、その様子から言葉を選びなおし、質問の内容を変え、助言するときにも同じように配慮する。そして、打者である患者が病院外でヒットを打ってくれれば嬉しい。

また著者はこんなことも書いている。
打撃投手が一流になれるか、なれないか、その要諦は組んだ打者にもよる。打者によって打撃投手も育てられるのだ。
これを医師と患者に置き換えても、まったく違和感ないものになる。

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。

精神科医としてストンと納得のいく話を、落合博満の打撃投手だった渡部司がこう語っている。
打者が打ってくれた球がストライクなんです。打者が打ってくれるところに投げればいいんです。たとえボールでも、ワンバウンドしても、打者が打てばこれはストライク。
精神科でも、患者さんや家族の心に届いた言葉がストライクである。そして、届くような態度と言葉を選べば良い。たとえ不器用でも、下手くそでも、患者さんや家族に届けばこれはストライク。そういうことだ。

さて、前著『この腕がつきるまで 打撃投手、もう一人のエースたちの物語』では長嶋、王など往年の名選手たちがメインであったが、今回は松井秀喜、イチロー、清原和博といった自分と同世代の野球選手の名前がたくさん出てきた。その中でも印象に残ったのが、先日、覚醒剤で逮捕・起訴された清原和博のエピソード。巨人軍で清原の打撃投手をつとめた田子譲治の父親が、平成18年に他界した時のことだ。この当時、すでに清原は巨人軍を去っていた。
巨人軍から大きな花束が届けられたが、選手からは「選手会一同」という形で届けられた。その中に交じって一つだけ花束が別に届けられた。そこには「清原和博」と書かれてあった。清原とはそんな心遣いをする人間だった。
覚醒剤に手を出したのはバカだと思うけれど、清原の人物伝を読むと、この人のことを嫌いにはなれない。むしろ、叱りつつ応援し続けたくなる。

精神科医は専門書以外からでも学べること、学ぶべきことがたくさんあるので、「精神科専門書」だけでなく「小説」「ノンフィクション」「サラリーマン向けの本」などにも手を出すほうが良い。本書はその点でも素晴らしい一冊だった。

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