2012年3月16日

なぜ日本人は落合博満が嫌いか?

プロ野球には全く興味がないのだが、ネットで書評を読んだら面白そうだったので買ってみた。ちょっと流行遅れな感は否めないが……。

なぜ日本人は落合博満が嫌いか?

落合と言えば三冠王、くらいは俺も知っている。中日の監督をやっていたことも知っている。でも、それ以外はほとんど知らない。この本を読んで、へぇそうなんだぁ、と思うことがあった。Wikipediaでも調べてみた。なかなか面白い人生だと思う。
以下、Wikipediaを抜粋引用する。
落合は、高学で野球部に在籍していたが、野球をしている時間よりも映画館にいる時間の方が長かった。その後、先輩による理不尽なしごきに耐えかねて野球部を退部したものの、投打共に落合ほどの実力を持った選手がいなかったため、試合が近づくと部員たちに説得され復帰した。落合はほとんど練習をせずに、4番打者として試合に出場していた。
東洋大学に進学して野球部に所属したが、「先輩がタバコを手にしたら素早く火をつける」といった体育会系の慣習に納得できず、故障もし、わずか半年で野球部を退部し、さらに大学も中退して秋田に帰ってしまった。その後、ボウリングのプロを志すが、プロテスト受験の際にスピード違反で捕まって罰金を支払ったことで受験料が払えなくなり受験できず、これも挫折してしまう。
なんという人生の流れ。このあと、プロ野球入りするまでは以下のとおり。
東京芝浦電気の府中工場に季節工として入社し、同工場の社会人野球チーム・東芝府中に加わった。ここでの在籍5年間の公式戦で約70本塁打を放つなど頭角を現し、昭和53年、アマチュア野球全日本代表に選出された。その後、ドラフト会議でロッテに3位指名されて入団。同年の誕生日で既に25歳という非常に遅いプロ入りとなった。
そんな落合と著者テリー伊藤が対談した時の話。中日ドラゴンズにとって53年ぶりの日本一がかかった2007年の日本シリーズで、完全試合を達成目前の山井をリリーフエースの岩瀬に交代したことについて。
「さすがの落合監督も、あの時は相当、迷ったでしょ?」
「ぜんぜん迷わなかったよ。あれがうちの野球。8回までリードしていたら日本一の抑えにすべて任せる。あそこでもし岩瀬が打たれて負けたらしょうがない。逆に山井が続投して負けたら、あのシリーズは落としていたと思う。うちの連中は、全員、そう思っていたよ」
「でも完全試合ですよ。普通なら、絶対に替えられないんじゃないですか?」
「そりゃあ、テリーさん。俺だってパーフェクトは見たかったよ。でも、53年は長いんだよ。あそこで中日ドラゴンズは絶対に負けるわけには行かなかった」
「それにしても、あのときの岩瀬。顔面蒼白でマウンドに上がって行きましたよね。とんでもないプレッシャーだったでしょうね」
「そこで抑えられるんだから岩瀬はすごいんですよ。あの場面については、他のことはともかく、岩瀬投手のことがもっともっと評価されるべきだと俺は思うよ」
「自分が責められるのも分かるけれど、それよりはあの場面でキッチリ3人で抑えきった岩瀬にもっと注目してよ」というところに、落合の人柄、監督としての姿勢が表われていて非常に好感が持てた。

監督は退任しちゃったけれど、またどこかの監督に呼ばれないとも限らないし、その時には落合の言動にだけは興味を持てそうだなと思える一冊だった。

2 件のコメント:

  1. 私はなんとなく落合が好きです。
    そのわけが分かりました。

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    1. >佐平次さん
      ぜひ今度の図書館チェックで読んでみてください。
      読みやすいのであっという間に読み終えてしまいますが、面白かったです。

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