2012年4月13日

かぁちゃんと神様と真夏の温泉

高校には行かない、と恭一が母親に告げると、
「かぁちゃん、天国のとうちゃんに叱られちまうよ」
母親はそう言って、ため息をついた。早く働いて金を稼いで、それで母親に楽をさせてやろう、などと殊勝なことを考えたわけではない。恭一は単純に、もうこれ以上、勉強することが嫌だったのだ。

小学校に入学して足し算引き算までは良かったが、掛け算になると九九の暗記が苦手で、割り算では頭が混乱し、分数になると意味不明、中学に入って算数が数学になると、今度は式の中にローマ字が入ってきて、英語まで一緒にやらされているような気がした。作文もダメ、理科も社会も覚える気になれず、体育はまぁまぁ、図工はそこそこ器用にこなせて、道徳の時間に時どき聞かされる話にこっそり涙ぐみながらも、俺には関係ないなどと強がってみせる、そんな学校生活だった。放課後には、恭一と同じようなデキの悪い友人たちとつるんで、時には他校の生徒とケンカもした。母親は、恭一の生活態度にあまり口出しはしなかったが、一度、相手に大怪我をさせた時、母親は大声で怒り、恭一は初めてビンタを張られた。
「なにすんだ、クソババァ」
思わずそう叫んで、ちょっとだけ後悔して、しかしそれ以後、恭一は母親のことを「クソババァ」と呼ぶようになってしまった。

働き始めた当初は、十分に一回くらいのペースで、
「やってらんねぇ」
と言っていた。作業がきつかったわけではないし、職場の仲間ともうまくやれていた。ただただ、なんとなく「やってらんねぇ」という言葉が口から出てくるのだった。「やってらんねぇ」と言わなくなったのは、職場の先輩であるコウヘイの一言がきっかけだった。コウヘイは、恭一より五つ年上だった。兄のいない恭一にとって、仕事を手取り足取り教えてくれるコウヘイは、もし兄がいるとしたら、こんな人が良いなと思えるような先輩であり、恭一は「コウさん」と呼んで慕った。ある日、「やってらんねぇ」とぼやいた恭一に、コウヘイは、
「まぁ、そのわりに、お前しっかりやってるよ」
と言って笑った。小学校時代からあまり褒められたことがなかった恭一にとって、コウヘイからそう言われたことはすごく嬉しかった。恭一は、
「うす」
とだけ答えて、それ以来、「やってらんねぇ」とは言わなくなった。怒られたり褒められたりしながら一生懸命に働いて、初めての給料をもらった日。恭一が小学校三年生の時から、ずっと一人で育ててくれた母親の苦労が、なんとなくでしかないけれど、少しだけ分かったような気がした。

働き始めて五ヶ月目になる八月。恭一の通帳には五万円が貯まっていた。恩返しとか親孝行とか、そこまでの気持ちではなかったが、恭一は母親を温泉旅行に連れて行くことに決めていた。旅行代理店を何軒かまわって、土日に二人で一泊二日、交通費込みで四万二千円というプランを予約した。宿は古そうだったが、夕食に母親の好きな刺身が出るのが決め手になった。温泉旅行の件をコウヘイに話すと、
「八月に温泉はねぇだろよ」
と言われ、恭一はそういうものかとちょっと恥ずかしく思ったが、今さら旅行代理店に金を返せとも言えないので、
「うちのクソババァ、すんげぇ温泉好きなんすよ」
と言って誤魔化した。
「でも絶対、おふくろさん、喜ぶよ」
コウヘイは恭一の肩を叩きながらそう言った。残高が八千円に減った通帳を眺めるのは、不思議と五万円入っていた時よりも心が浮いた。母親と一緒の部屋で布団を並べて眠るのかと思うと、みぞおちのあたりがモゾモゾと、恥ずかしいような、落ち着かないような、そんな気持ちになった。刺身を前にして満面の笑顔で喜ぶ母親を想像しては、
「なんでもねぇよ、これくらい」
そう言ってすまし顔をする自分をイメージしながら眠りについた。

「クソババァ、明日っからの土日、あけとけよ」
金曜日の出勤前、母親の弁当を受け取りながらそう言うと、
「はいはい、ったく、口の悪さはとうちゃんゆずりだね」
そう言いながら母親は頷いた。その日は、今年一番の暑さだった。湿度が高く、雲ひとつなく、風も吹かず、蝉が鳴きじゃくり、道路には蜃気楼が見えた。そんな炎天下の午後二時五分。恭一の頭の上に鉄骨が落ちてきた。痛みはなかった。小学校や中学校の時みたいに、誰かがふざけて飛び掛ってきた、そんな感覚だった。気づくと、目の前にアスファルトがあって、アスファルトは思っていたほど熱くはなかった。ただ少しべたつく気がした。目を上に向けると、コウヘイが何か叫びながら走ってくるのが見えた。コウヘイは、怒っているような、泣いているような、変な顔をして、一人じゃ持ち上がるはずのない鉄骨を必死に動かそうとしていた。その姿がおかしくて、恭一は笑ったつもりだったが、咳しか出なかった。ようやく、自分が鉄骨の下敷きになったのだと気づいたが、痛みがなくて、だからまったく実感がわかなかった。
今日はもう、仕事にならないな。
怪我したの見たら、クソババァ驚くかな。
今日の弁当の玉子焼き、ちょっと塩辛かったな。
ウインナー二個じゃなくて、三個にしろっていつも言ってんのに。
帰ったらまた文句言っちまうな。
温泉は、キャンセルして仕切り直しだ。
そんなことを考えながらも、恭一はもう母親には会えない気がした。会えない寂しさよりも、母親を一人にすることが辛かった。また一人、家族を失って泣く母親の姿を思い浮かべ、恭一はつぶやいた。
「かぁちゃん、ごめん」

恭一は自分の涙で目が覚めた。見慣れた部屋の、万年床の上。全てが夢だったことに気づき、夢で泣いたことが恥ずかしくなった。洗面所へ行って顔を念入りに洗ったが、相当に泣いたのか、目は赤いままだった。出勤前、いつものように母親から弁当を受け取る時、
「クソバ……、いや……、かぁちゃん、土日あけといてくれよ」
恭一がそう言うと、母親は、
「なんだい気持ち悪いねぇ」
そう言いながら、少し嬉しそうな顔をしていた。迎えのバンに乗ってコウヘイたちに挨拶をしながら、今日からまたかぁちゃんと呼ぶようになるかもしれないと考えると、恭一はくすぐったい気持ちになった。

それからおよそ六時間十五分後、恭一の夢が正夢になることを、この時の恭一は想像だにしていない。

神様なんて、いないのだ。







しかし、作者が作品に及ぼせる神の力によって、恭一を救うことにした。作者の傲慢かもしれないが、女手一つで六年以上も頑張ってきた母親と、不器用ながらも母を大切にする恭一には、小さな幸せを感じながら静かに生涯を閉じる、そんな舞台を用意してあげたいと思ったのだ。







八月の温泉を、母親はとても喜んでくれた。浴衣姿の母親は、刺身を一切れ食べては美味しいと笑い、天ぷらを頬張ってはありがとうと涙を浮かべた。
「なんでもねぇよ、これくらい」
とは言えなかった。照れくさくって、こっぱずかしくて、そしてやっぱり嬉しくて。恭一は母親が何か言うたびに「おう」と相槌をうち、「いいから食えよ」と苦笑した。

それから三十五年後、母親は病室のベッドの上で、恭一夫婦と三人の孫たちに囲まれていた。母親は「恭一、恭一」と呼んだ後、「真夏の温泉は良かったねぇ」と静かに笑い、そのまま息をひき取った。「おう」と言った恭一は、それから肩を震わせて、かぁちゃん、かぁちゃん、かぁちゃんと、何度もそう呼びかけてはおいおいと大泣きした。

さらに三十五年後、恭一は妻と息子二人、娘一人、八人の孫、ひ孫一人に囲まれて、自分は笑顔で、皆は泣き笑いをしている中で世を去った。あの正夢から救われて七十年の間に、一体どんなことがあったのか。小さな不幸、ささやかな幸せ、ちょっとした悔しさ、ふとした喜び。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、たくさんの思い出を積み重ねて幸せな最期を迎えるまでの恭一の人生は、読者の想像力という神の力に委ねたい。

2 件のコメント:

  1. うん。
    そういうのかなり好きです。

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    1. >キム兄さん
      前のブログに載せていた時も、ほとんど同じようなコメントを頂いた気がしますw ということは、こういうのかなり好きってことですねw

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