2012年5月16日

正解はないが、無知偏見による間違いはある 『精神障害者をどう裁くか』


実地の精神鑑定についてではなく、触法精神障害者への対応の歴史を紐解いた一冊。事例に即して具体的な鑑定を知りたければ、『ドキュメント 精神鑑定』のほうが良い。

2005年に医療観察法が施行される前、触法精神障害者は措置入院という形で精神科に入院していた。これは司法とは一切関係のない、医療的な入院である。
つまりどんな重罪を犯した患者においても、病院からの退院、あるいは通院に関するフォローアップは、すべて病院の一存に任されていた。したがって、殺人事件のような重大犯罪を犯した患者が心神喪失によって精神病院に入院となっても、わずか数ヶ月で退院するということもしばしば起こっていた。
このような状況に対しては、各方面から異論があがっていた。病院は無責任に再犯の危険が大きい患者を野に放っているのではないか? 短期間できちんとした治療は行われたのか? 
もっとも精神医療の立場からすれば、そのような批判は納得がいかないものであった。というのは、病院の目的は疾患の治療である。したがってたとえ触法歴があったとしても、病状がよくなれば外出も許可をするし、退院させることもある。
重罪を犯した既往があっても、無期限に退院を延長することは困難である。
さらに退院後の外来通院を義務づけることもできない。もし長期の強制入院がどうしても必要ということならば、そのための法律的な根拠が必要である。単に再犯の恐れがあるというだけで、病院がいつまでも患者の行動を制限するなら、それこそが人権的な問題となる。
医療観察法は、池田小学校の事件をうけて慌てて施行されたような印象がある。法の成立そのものは2003年である。
宅間は1999年、勤務先の小学校で精神安定剤入りの茶を教師四人に飲ませたことによって、傷害容疑で逮捕された。しかし、簡易鑑定において「統合失調症の疑い」と診断されて不起訴となり、精神科に措置入院となった。
もっとも入院先の担当医は統合失調症であることを否定した。じつはこの時点で、警察は宅間を再度拘留すべきであった。
(中略)
宅間に関しては、彼の詐病を見抜けなかった精神科医による以前の診断は問題にすべきであろうが、池田小の事件は精神医療が不備だったために起こったとは言えない。むしろ、簡単に不起訴として精神病院に宅間の扱いをゆだねた捜査当局の姿勢が大きな問題だったと思われる。宅間が統合失調症であることが否定された時点において、司法当局が事件として立件していれば、池田小の事件は防げていた可能性もある。
しかし現実には、捜査当局はいったん不起訴とした事件を再度立件することはほとんどないのである。
これを読んでわかるように、池田小の事件を持ち出して、精神障害者に対して「怖い存在」というレッテルを貼ったり、精神医療がそういう「怖い存在」を無責任に野放しにしている、というのは的はずれも良いところだ。

触法精神障害者が、歴史的にどう扱われてきたのかを知るには良い一冊だった。しかし、もっと具体的事例で精神鑑定を知りたいという人には、繰り返しになるが、先にあげた『ドキュメント 精神鑑定』がお勧め。

<関連>
とある事件の精神鑑定
ドキュメント 精神鑑定
彼女は、なぜ人を殺したのか
福祉の網目は疎にして漏らす大雑把、こぼれた人たち 『累犯障害者』
精神障害者の犯罪を裁くべきか否か (前編)

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