育てることに疲れたみたい 嫌いになったわけじゃないこんな与太を思いついたのには訳がある。
部屋の掃除はやっておくわ ご飯はいつもの冷蔵庫の中
きっとあなたはいつものことと 笑いとばすにちがいない
だけど今度は本気みたい あなたの顔はちらつくけれど
子どもはいつも 待たせるだけで 親はいつも 待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめていた それでも親は親
多分あなたはいつもの店で 酒を飲んで記憶なくして
洗濯物は机の上に 短い手紙そえておくわ
今度生まれてくるとしたなら やっぱりあなたの親でいたい
だけど同じヘマを許して あなたと一緒につまずきたいわ
子どもはいつも 待たせるだけで 親はいつも 待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめていた それでも親は親
子どもはいつも 待たせるだけで 親はいつも 待ちくたびれて
それでもいいとなぐさめている それでも親は親
やっぱり親は親
サクラがけいれんを起こした一昨夜、母にメールをしておいた。翌朝、母から電話があり、真っ先にサクラのけいれんが大丈夫なのかという心配をしてくれた。検査の結果は心配ないことなどを伝えると、いくぶん安心したようだった。それで話は終わりかと思っていたが、ちょっと不安げな声で、
「あんたは大丈夫ね?」
と聞かれた。実は俺も体調を崩しており、昨夜のメールの最後に、俺も風邪でダウンしているということを書いておいたのだ。その母の声を聞いた時に、ふと、そして、ハッと、思い出して胸にしみた。この人は、サクラの大切なおばあちゃんだけれど、それよりもっと長年月を経た俺の大事な母なのだ。というより、俺は彼女にとってかけがえのない大切な息子なのだ。
母はこう言った。
「何歳になっても、親って卒業できないんだねぇ。孫は孫で、増えれば増えるほど嬉しいけれど心配事も増えていく。子どもはもう増えないけれど、心配事が尽きないよ」
その母の言葉に、俺はサクラに対する自分自身の想いを重ねた。
きっとサクラが何歳になっても、サクラに子どもが何人できても、俺が「おじいちゃん」と呼ばれるようになっても、俺はサクラを心配し続けるだろう。見守り続けるだろう。愛し続けるだろう。そしてやっぱり、母と同じことを言うのだろう。
「俺はじじいで君はオバサンだけど、やっぱり君のことが心配だよ」
親バカと言われても良い、マザコンと笑われても良い、親離れできていないと揶揄されても良い、子離れできていないと批難されても良い。誰が何と言おうとも、俺にとって母は一人しかいないし、母にとっても俺は大切な子どもなのだ。虐待やネグレクトが問題となる世の中で、
「俺は親にとって大切な子どもだ!」
と胸を張って言えることの、なんと素晴らしいことか。
だから、こんな与太歌を思いついたのだ。
「それでも親は親、やっぱり親は親」
自分が親になってみて、子どもを心配して夜も眠れない日を過ごし、こんな歳になっても風邪を心配されることのありがたさを感じて、素直に、そして自然にこう思った。
お母さん、ありがとう。
このエッセイを、世の中の、我が子を愛するあらゆる世代の全ての母親・父親に捧げます。
素敵なお話でウルウル来てしまいました。
返信削除私は子供の頃から父が家族にDVでした。死を考えた事もありましたが、「早くこの家を出て幸せになってやる」その一心で学生の頃からお金を貯めていました。今の主人と二十歳で結婚して自分が家庭を持った時に初めて親への感謝と親の苦労を知りました。
父も歳を取り今では暴力をふるう事は無くなりましたが、母に対する「言葉の暴力」は続いています。
子供は親を選べません。こんな父ですが私の父です。
ERさんの様な優しいご両親の元に産まれたサクラちゃんは幸せですね。
私には娘が二人いますが自分の両親を反面教師にして自分に子供にはこんな辛い思いはさせたく無いと一生懸命子育てして来ました。
その苦労を知ってか二人の娘は何とか平凡ながら幸せに暮らしてくれています。
親としてひと段落着いたと思えば、今はやっぱり孫の事が心配でつい余計な口出しをしてしまい反省の日々です(笑)
「結婚して親の有難みを知り、子を持って親の苦労を知る」
親が健康で長生きして傍にいてくれるだけで有り難いです。
>さゆりっぺさん
削除うちの父もDVでして^_^;
幸いにして、母は18年前に離婚できていますが。
父は子どもに一切興味のない人だったので、こちらも会いたいとか会わなきゃとか思えないんですよね……。会っても、結局はこちらが説教するか口論になるかなので(笑)
だからサクラには、両親が「まっとうな親」という環境で育って欲しいと思い、心を引き締めているところです。