2014年5月25日

おじちゃん、ありがとう。

昨日、小学校のころから「おじちゃん」と慕っていた人が亡くなったという報せを受けた。

俺の父母と同年代で、まだ63歳くらいのはずだ。おじちゃんは俺の出身高校の大先輩で、またその高校の一期生でもある。母が若いころ働いていた住友生命の支部長で、よく俺や弟妹の面倒をみてくれた。子どもの頃は「シブチョー」とも呼んでいたが、いつの間にか「おじちゃん」になっていた。

ひょうきんな人で、あっけらかんとしていて、それでいながら剣道部で鍛えただけあって肝っ玉の座った人だった。

昨年、異常高血糖があって、精査の結果、すい臓ガンが見つかった。手術では全部は取りきれなかった。その後、おじちゃんは抗がん剤治療を嫌がった。おじちゃんは保険を扱っていたから、ガンの人たちの苦しみをたくさん見てきている。
「俺、あの吐き気が怖いんだよ」
そう言って苦笑するおじちゃんに、俺は、
「副作用の出方は人それぞれだから。全然でない人だっているんだよ。絶対に受けたほうが良いよ」
そう説得した。そして、おじちゃんは抗がん剤治療を受け始めた。ある時、おじちゃんは、
「主治医の先生から、『これだけのクール(治療回数)をやり遂げた人は初めてです』って言われたよ~」
と誇らしそうにしていた。

つい1ヶ月ほど前に電話がかかってきた時には、
「俺、いちは君に主治医になってもらおうかなぁ。そっちに行こうかなぁ」
と笑いながら言っていた。
「いやいや、俺は精神科医だから」
「あっ、そうか(笑)」
そんな会話を明るくした。おじちゃん、もしかしたら無理しているのかもしれないと思ったが、そんなことは電話越しには言えなかった。

「おじちゃん、今年の8月には帰省するから。その時にはサクラと下の子を連れて遊びに行くからね」
「うんうん、待ってるよ~。いちは君、ばぁさん(俺の母のこと)を大事にしろよ」
「うん、分かってる」
それが、俺にとっておじちゃんとの最後の会話になった。約束を果たせなかったことが、もの凄く悔しい。精神科医として、おじちゃんのプライベートなターミナルケアとして何か関わりがもてたんじゃないだろうか、そういう心残りもある。

おじちゃんにはあれこれお世話になったので、いろいろな思い出があるが、中でも強烈に印象に残っていて、俺の人生にも大きな影響を与えたエピソードがある。
俺が20歳になる直前のことだ。おじちゃんは九州大学に通う俺の部屋の引っ越しを手伝いに来てくれた。その時に、こんなことを言われたのだ。
「いちは君、大学生のうちに身につけないといけないことって何か分かるか? それはね、哲学さ。自分なりの生き方の哲学。これを身につけておけば、これからの人生で迷わずに済むからね。迷いそうになったら、自分の哲学にしたがって選ぶんだ」
普段はひょうきんなおじちゃんの言葉は、俺の心に深く焼きついた。

自分なりの哲学。それはうまく言葉にできないけれど、確かに俺の中にある。その哲学のおかげで、こうして医師という職業につけたし、良い家庭も持てた。
おじちゃんの教えのおかげだ。

おじちゃん、本当にありがとう。

お疲れさまでした。

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