2016年5月30日

いくら外国語での表現上手になっても、頭の中に表現したいものがなければ内容は薄っぺらく、中身のないことを流暢に語っても相手はシラケるだけである。では、日本語教育とはいかにあるべきか? 『祖国とは国語』


実に納得のいく話ばかりで、かつ語り口が痛快なので読んでいて面白かった。本書を読む少し前に、翻訳家の鈴木主税と通訳家の米原万里の本をそれぞれ読んでいたため、なおのこと日本語教育というものの大切さを感じた。

数学者である著者が日本語に関して熱く語るのを不思議に思う人もいるかもしれないが、数学について考える時にも言語を用いるので、思考ツールとしての日本語は大切なのだ。著者は、
「言語とは、表現のためのツールである以上に、まず思考するためのツールである」
ということを繰り返す。

いくら外国語での表現上手になっても、頭の中に表現したいものがなければ内容は薄っぺらく、中身のないことを流暢に語っても相手はシラケるだけである。国際人になるために英語を小学校から学ばせるというが、それなら英語を母国語にして流暢に喋るイギリス人やアメリカ人はみんな国際人なのかというと、そんなことは断じてない。

小学校で英語を教えるということは、そのぶん他の授業を削ることになる。当然、国語も削られる。頭の中で思考するためのツールが犠牲になる。その結果、貧困な思考を中途半端な英語で伝えるという悲惨な結果になってしまう。

日本人の大半が旅行の時にしか使わないような英語を、義務教育である小学校で全員に時間を割いて教えることによる、国民をあげてのエネルギー浪費は避けるべきである。日本語と他言語を比べて優劣をつけるという話ではなく、あくまでも「思考するためのツールとしての日本語」をきちんと身につけさせなければ「祖国」は危うい。

著者のこうした主張には強く同意する。本書は3部に分かれていて、日本語に関しては第1部、軽いエッセイが第2部、満州旅行記が第3部となっている。第3部は、自分の持ち時間を配分しないことにして読んでいない。

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2 件のコメント:

  1. 日本語→英語の翻訳を生業にしてるヤツが言ってた。
    「元の日本語文が無茶苦茶で苦労することが多い」と。
    特に、理系の研究者の文章。

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    1. >ししとう43さん
      もとの日本語がムチャクチャでも、翻訳する価値のある文章ってあるんでしょうかね?
      あー、でも生業であれば、価値の有無に関わらず、依頼があったものを翻訳するということになるのかもしれませんね……。
      それは嫌だなぁ……。

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