デンゼル・ワシントン主演で映画化もされている小説。
核戦争後の荒廃した世界で、舞台はアメリカ。主人公イーライは「本」を持って西を目指す。この「本」というのは実は聖書で、「聖書であること」には大したネタバレ要素もないのに、ずっと「本」として記述されている。思わず、もったいぶりやがって、という気持ちになる。
全体的には大したひねりもないストーリーであるが、街の支配者であるカーネギーの言葉には痺れた。
このカーネギーは、核戦争が起こった時にはまだ少年で、今は必死こいて聖書を手に入れようとしている。実は聖書は、戦争後にすべて禁書として焼き尽くさてしまっていたのだ。その聖書について、カーネギーがこう力説する。
「あれは“ただの本”じゃない! “兵器”なんだ! (中略)まだガキのころ、親父もおふくろも、毎日、あれを読んでいた」
「あの“本”は、絶望している者、弱っている者の心を、掌握できる兵器だ。人々に活気や希望を抱かせることもできれば、恐怖で威圧することもできる。人民の心を意のままにあやつれるんだよ、あれさえあれば。その用途や効果は無限だ」
「支配の手をひろげていくには、あれがどうしても必要だ。あの“本”の言葉を説くだけで、誰もが言いなりになる。審判の日以前の指導者たちは、みんなそうしてきた。今度は、わたしの番だ」実に鋭い指摘であり、この言葉こそ本書の核心であり、このセリフのためだけに本書があると言っても過言ではなかろう。
終末世界ものが大好きな人向け。
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