2019年4月12日

斬新で、新鮮だったのに失速してしまった大作 『ヒトごろし』


京極夏彦が描く土方歳三。さて、どんな人間活劇になるのやら、期待に胸を膨らませながら読み始めた。

これまでの新選組小説とはまったく違う土方歳三で、生まれついての殺人狂である。ただし、殺人が「通常は認められない」ということを重々承知している。「だったら殺人が認められる状況を創り出そう」というのが、本書の主人公・土方歳三の考えかたである。

沖田総司もまた、これまでの沖田像とはまったく別人だ。沖田も土方と同じく殺人狂であるが、こちらのほうがより悪質というか、不気味というか、ポジティブな感情を抱きにくいキャラクタである。

物語の序盤では、土方が内面を延々と一人語りするのだが、そういうグダグダした感じも含めて新鮮で良かった。ところが、半ばを過ぎて、幕府が大政奉還したあたりから、だんだんと史実の説明に紙幅をとられ、読むのが退屈になった。序盤であれほど無口だった土方歳三なのに、なぜかベラベラと喋るようになり、キャラがぶれたなと苦笑してしまった。そして、このころになると各章を締める台詞「土方歳三だーー」が陳腐にさえ感じてくる。さらに、脇役の生臭坊主は登場する必要があったとは思えず、存在も語りもとってつけた感が否めない。

斬新さ、新鮮さに期待感が大きかっただけに、勢いの殺がれた終盤は惰性で読むしかないありさまだった。ちょっと残念。

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