2011年12月3日

見えなくなる、ということ

医学生時代、患者が目の前で失明した。

患者は70代男性。もともとかなり厳しい手術と予想されていた。エコー所見(目にもエコー検査をする)も、眼底所見もかなり悪かった。眼底所見は、あまりに硝子体が濁り過ぎて全く見えなかったくらいだ。網膜剥離の、非常に重症な症例。

手術前の打ち合わせで、教授は患者に、
「なんとか失明だけは避けたいんで、頑張って手術させてください」
と言っていた。
(先生によって、言い方って様々だなぁと感心した)
患者は歳のわりに元気で、
「はいはい、お願いします」
と答えた。

手術が始まった。俺は教授の隣に座り顕微鏡をのぞきながら、時々角膜に水をかけるという仕事をやらせてもらっていた。顕微鏡をのぞくことは、非常に興味深い体験だった。目の中が見えるのだ。
そして、この患者の目の中は、教科書で見る正常像とはかけ離れたものだった。突然、教授が、
「閉めます」
と言った。
手術開始から一時間も経っていなかった。手術予定は二時間半。つまり、ここから先、手のうちようがないってことだ。助手の先生が、
「マジですか!?」
と短く驚いていた。
これで、俺の手術参加のノルマは終わったし、レポートだって凄く軽く済みそうだ。だけど、非常に後味が悪い。多少きつくても良いから、目の前の患者の良くなるところが見たい。多少レポートが多くなっても良いから、患者が良くなる手術のレポートが書きたい。

正確には、まだ失明には至っていない。だけど、時間の問題。予後は、極めて不良。患者は、光を失う。左目だけではあるが、それは大きな損失だ。恐らく徐々に進行し、最期にはほとんど何も見えなくなる。

彼の左目は、今まで一体どんなものを見てきたのだろうか? 孫の姿を見るときには目を細めながら、妻とケンカするときには見開いて、悲しい時には視界をにじませながら、上下左右に動いて色々なものを見続けてきたんだろう。そして、もうすぐ、彼の左目は役目を終える。多分、持ち主の寿命より早く、左目は死んでしまう。

病室を車椅子で出て行く患者に、
「お疲れ様でした。ありがとうございました」
と声を掛けた。
「はいはい」
彼はニッコリ笑って、そう言った。

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