2011年12月3日

足の切断

医学生時代の思い出。

患者は50代の男性。長いこと透析治療を受けていた。もう、かれこれ30年弱。凄く若い時期から透析をしてきたのだ。透析というのは、長いこと続けると血管炎のような病気にもなりやすく、そのせいで片足の膝から下の血行が非常に悪くなり、とうとう足先から壊疽を起こし始めた。このまま放っておくと、感染し敗血症に至り、最終的に死ぬかもしれない。医師は何度となく切断を勧めた。しかし、患者は思い切りがつかなかった。

できればそのまま残したい。
粘れるところまで粘りたい。
切断だけは勘弁して欲しい。

そういう気持ちだったようだ。

手術当日。
術前の最終確認でも患者は、
「一応、腐った組織を先に取り除いて、それでもダメなら切断するってことにしてください」
と言っていた。

手術室にて。
腰椎麻酔が効くまでの間も、患者は看護師に、
「ギリギリまで粘ってみてね。どうにもならんやったら、そん時は仕方ないけど、ね、頼むよ」
と言っていた。
カルテを見直していた執刀医がその会話を聞きつけ、患者の近くまで行き、
「大丈夫です。ギリギリまでやってみますよ」
と答えた。
患者はその言葉で安心したようだった。

もともと、この患者は医師の言いつけをキチンと守るような人ではなかったらしく、透析もキチンと決められた時間に受けていたわけではない。不養生が過ぎる人だったのだが、同時にクレームも多い。そんな患者だったから医師側も慎重になっていた。術前には徹底的な説明がなされていた。それでも、やはり患者は不安になる。そういうもんなんだろう。

手術が始まった。
とりあえず壊疽した組織を取り除く。執刀医が足の甲の壊疽した部分をどんどん取り除いていくと、ついに骨が見え始めた。ポラロイド写真でその部分を撮り、執刀医が患者に見せた。ここまでで手術が始まって2時間。患者は写真を見ても判断がつかないようだった。

「先生はどう思いますか?」
患者はそう言って黙った。
「かなり壊疽が進んでいて、この部分は骨が見えてまいす。ここからは二つの選択肢があります。一つは、以前からお話していたとおり、このまま足を……」
執刀医は、そこまで言って黙った。
そしてしばらくして続けた。
「もちろん、このままキズを閉じることもできます。その場合、これまで通りに包帯の交換や消毒をしなければならず、その時に物凄く痛いと思います。感染の危険もありますし、私としてはやはり予定通りの方が良いと思います。そして、はやくリハビリに入った方が良いと思います。ただ、選択はあなた次第です」

残酷だと思った。
自分の足を切り落とすかどうか、自分で決めなければならない。そんなこと、簡単に決められるはずがない。だけど、医師側が勝手に決めるわけにもいかない。医師側が勝手に決めて良いのなら、医師も患者もこんなに苦しい状況にはならない。だけど、患者の自己決定権は絶対だ。そのことは揺るぎない、厳然たる決まりだ。俺は複雑な気持ちだった。

患者は、またしばらく黙った。俺も、執刀医も、その他の医師も、看護師も、麻酔医も、皆が黙っていた。物音を立ててはいけない。どことなく神聖な空気が漂っていた。どれくらいの間、黙ったのか分からないけれど、患者が思い切ったような口調で言った。

「切ってください。それが一番いいでしょ? 今までこの痛みで結構苦しんだし。もう良いやろ。このまま残しとっても、また痛くなるかもしれんし、早くリハビリした方が良いんだろうし。また痛くなるのもたまらんし。先生、切ってください。思いきり切って下さい。スパッと切った方が良いんやろ。お願いします」

饒舌だった。
やはり切らずに残したいという誘惑。術後の生活やリハビリに対する不安。今まで文字通り体の一部だった足を失うことの悲しみ。なぜ自分がこんなことにならねばならないのかということへの怒り。そんな気持ちを振り切るように、患者はぺらぺらとよく喋った。

俺も、執刀医も、すぐさま準備に取り掛かった。
手洗い場で手を洗いながら、俺は指導医に言った。
「残酷ですね」
先生は黙って頷いた。
手術は無事に終わった。1時間くらい。
執刀医から切り落とされた足を差し出され、
「持ってみろ」
と言われた。
持ってみると、重かった。
「重いだろ?」
「はい」
「人の、体、だからな」
指導医はそう言って、その足を丁寧に布にくるんだ。

整形外科医は、切断が嫌いらしい。
「くっつけるのが俺たちの仕事。切断なんてしたくない」
彼らは皆、口々にそう言う。

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